理想:美少女エルフに優しくして惚れさせてやる!! 現実:奴隷意識が高すぎて、惚れる気配がないんですが……
口枷、手枷、足枷。
目の前には、全身の自由を奪われた少女が転がっている。
きめ細かい褐色の肌、呼吸の度に豊かな胸が上下している。金糸のようになめらかな髪が、白いシーツに広がっていた。
二等辺三角形を思わせる、特徴的な長い耳。その耳につけられた番号札は、彼女が奴隷であったことを示す証左。
か、買った……ついに買ったぞ……!
僕は、興奮に息を弾ませ、溢れ出す歓喜を胸中で叫んだ。
全財産つぎ込んで!! 美少女奴隷、買ってやったぞーっ!!
勝利の雄叫びを口内で噛み締めて、少年の頃からの夢を果たした僕は、ベッドに横たわるダークエルフを見つめる。
そう、僕の夢! 僕の夢はっ!! 美少女奴隷にめちゃくちゃ優しくして、心底惚れてもらうことだっ!!
くるりと振り向いて、鏡に映る御尊顔を確認。
ボサボサの長い髪の毛、キョロキョロと蠢くギョロ目、目の下には色濃いクマ。痩せ型を通り越してガイコツみたいな痩躯、人目が怖くて外に出られないせいで肌は病的に白い。
一言で表せば、生き残った敗残兵。
ブサイク!! 見事なまでのブサイク!! 生涯で、僕は一度たりともモテたことがない!!
少年時代から、異性からの蔑みは当たり前!! なにもしてないのに『気持ち悪い』と言われ!! 落とし物を届けただけで、憲兵に通報されたこともある!! 挙句の果てに、新種の腐食鬼として騎士団に追いかけ回された!!
そんな僕、そんな僕だから、モテたかった。
かわいい女の子に『好き』と言って欲しくて、都市部で流布されている恋愛小説に憧れた。妄想力だけはご立派だったから、理想のシチュエーションを頭に思い描いた。
でも、妄想は妄想。口下手でこの容貌、女の子から好かれるなんて夢のまた夢。
だから、恋愛なんてものは、儚く尊い夢だった……と諦めていた。諦めていたのに。諦めていたのに、とある“噂”を聞いて僕は夢を叶えたのだ!
――貴族の間では、買い取った奴隷に紳士的に接して、惚れさせる遊びが流行ってるらしい
天才だ、と思った。
この悪魔的発想、コレしかないと感じた。恋愛が遊び扱いとはこのゲス野郎がとも思ったが、僕は最初から本気なのでなんの問題もない。
斯くして、僕は、全財産をつぎ込んで奴隷を買った。
今!! 眼の前に横たわる、この美少女ダークエルフをっ!!
計画は完璧。長命種であるエルフたちの中で、生まれつき肌の黒いダークエルフは日常的に差別されていると聞く。その上で奴隷なのだから、よっぽど、今まで酷い目に遭ってきたに違いない。
それに、エルフは、内向的ゆえに世間知らず!! 一度も森から出ず、他種族と交流をもたないまま死ぬことも珍しくない!! 純真無垢ゆえに染め上げるのは簡単!!
僕が、今までのぶん、幸せにしてあげるんだ!!
と、いつまでも、決意表明している場合ではない。なにせ、王子様を待つお姫様が、縛られたまま放置されているのだから。
奴隷商から受け取った鍵……手が震えているせいで、なかなか鍵穴に入らない。
緊張で強張った顔のままで、解錠していく。
カチリ、カチリ、カチリ。
全ての錠を外し終えた僕は、無意識に一歩下がっていた。
待望の対面。僕を視た彼女は、どんな反応を見せるだろうか。
恐ろしいバケモノに買われたとばかりに叫ぶのか、今までの艱難辛苦を思い描いて媚びへつらった笑みを浮かべるのか、はたまた従順に傅いて頭を垂れるのか。
さぁ、どんな反応を――
「抱きますか? 抱きますね?」
えっ。
見開かれた金色の瞳、エルフだけあって神の彫像のように美しい。
そんな美の権化たる彼女は、じっとこちらを見つめて、真剣な顔つきでつぶやいた。
「服は脱いだほうがいいですか脱がないほうがいいですか? 靴下は残す派ですか残さない派ですか? 責めるほうが好きですか責められるほうが好みですか? 純愛過激党ですか陵辱推進党ですか?」
僕の返事を待たずに襤褸を脱いだ彼女は、あばら骨の浮き出た裸身を晒した。
「では、お好きにどうぞ」
なんか……おもってたのとちがう……
茫然自失となって全裸の少女を見つめていると、彼女は不可思議そうに小首を傾げる。
「どういたしましたか、ご主人様? 初期不良?」
完全にフリーズする僕。あまりにも予想外過ぎる。なんで、初手、『抱きますか?』なの? 心が準備万端、豪の者過ぎませんか?
「抱かないのですね」
床に放られたボロをもう一度身にまとい、彼女は満面の笑みを浮かべる。
「では、拷問でもしておきますか? 爪を剥がした時の美声はまるで人魚姫と、顧客の方々からは好評の声を頂いております」
なんか、この奴隷……拷問の押し売りしてくる……なんで、爪を剥がされた時のことを、満面の笑顔で語れるの……メンタルどうなってるのこの人……
「ご主人様?」
呼びかけられて、ようやく、僕は我に返る。
な、なにをしているんだ僕は!! 確かに予想外ではあったけれど、過去のトラウマから相手の思うがままに動こうとするのは当たり前!! 僕の想像力不足であって、計画はまだ破綻しちゃいない!!
よし!! まずは!! まずは、服だ!! 今まで着たこともないような上等な衣服をプレゼントする!!
「あ、あの……こ、これ、よかったら……」
仕立て屋に特注して、用意しておいた藍金絹のドレス。藍金鉱は軽い上に、布に織り込むと柔らかくなる性質をもつ。月光の下では藍色のぼうっとした光を放ち、巷の女性には大人気と聞いている。
「ど、どうぞ」
僕が用意した完璧なプレゼント!! さぁ、どうだ!! コレを受け取れば、僕にメロメロに――
「お任せください」
えっ。
ニッコリと微笑んだ彼女は、我が物顔で外に出ていき、パンパンに膨れた革袋を手に戻ってくる。
うやうやしく手渡されたソレを広げてみると、大量に詰まった金貨が溢れんばかりの光で僕を照らす。僕がドレスを買った際に、支払った金額の二倍はあるだろう。
なるほど~! プレゼントじゃなくて、資本金だと思われたか~! 性能テストでもしてると思ったのかな~?
「大変、申し訳ございません。市場の動向把握に時間をかけ過ぎて、増やすにしてもコレが限界でした」
彼女は、ダンッと大きな音を立てナタを机に突き立てる。慣れた動作で上腕根本の血管をベルトで締めて、まくり上げた左腕を机上に載せた。
美少女は、真顔でささやく。
「腕で」
なにが?
「こう見えましても、わたし、治癒縫合に失敗したことがありません。また、失血による動作不良もなし。性能検査では120時間連続可動も確かめられた優良人員ですので、ご安心して処罰ください」
最近の奴隷って、こんな夢のない販促ばっかりするの?
早く切れよと言わんばかりに、チラチラとこちらを見てくるエルフ。なぜ、腕を切断しないばかりに、罪悪感に悩まされるのかわからない。
「て……てがすべったー!」
思い切り、僕は、外にナタを放り捨てる。
彼女は、あからさまに不審気な目線を向けてくるが、少女の腕を切断できるような真似を僕にできるわけがない。
でも、次こそは! 次こそは、大丈夫だ!! なにせ、アレだけ、豪勢な食事を用意したんだから!! 普通の生活を送っていたら食べられないようなものを、その貧相な胃袋に詰め込んでやる!!
「よ、よかったら、その、お食事。お食事、用意しておいたんで」
階下に連れて行き、テーブルに広げたご馳走を見せつける。
肉、魚、野菜、なんでもござれ。王都でも評判な料理人を出張させて、今日のために準備させた完璧な料理群。
視覚の暴力とでも言うべきか、ホカホカと湯気を立てている料理を視ているだけでも、よだれが湧いてくる。
さすがに!! さすがに、コレだけのものを見せれ――
「経口栄養摂取ですか」
え、なに? その、なに?
「使用目的を鑑みて、経腸栄養、静脈栄養摂取もご検討ください。高カロリー輸液を頂ければ、性能カタログ通りの運用をお約束いたします」
奴隷ガチ勢かよ、コイツ。
温かな料理の脇で冷めている僕が座ると、彼女は床に正座して、真剣な眼差しを向けてくる。
「タイムを測ります」
もうやだぁ!! 食事に制限時間を設けてくるのやだぁ!!
「あまり、時短に向いている食事構成ではない……どこまで、自分がいけるのか……確かめてみるいい機会ですね……」
ブツブツ、意識が高いこというの怖い。
「あ、あの、す、座って。い、椅子に座って、食事を摂って、ください」
「そういうプレイですか」
普通の食事をプレイ呼ばわりするのやめて。
ようやく、始まる和やかな食事。人を殺すような目で時短を狙っている以外、日常的な風景として切り取れる。
あぁ、でも、改めて視るとやっぱり綺麗だ。金色の髪と瞳、物憂げに動くまつ毛が愛らしい。言動を一切封じれば、一流の美術品として、展示されていてもおかしくない。
熱を帯びた頬、いい雰囲気だ。
可憐な美少女と食事を共にしているという感覚、僕は必死に声を振り絞り彼女に声をかけた。
「あ、あの、僕、貴女のことなんて呼べばいいですか?」
「雌豚で」
はい、ぶち壊れ~! 夢を破壊するまでのタイムは、何秒でしたか~?
「ど、奴隷商の方が『フィオナ』と呼んでいたので、ふぃ、フィオナさんでもいいでしょうか?」
「では、雌豚フィオナで」
譲れよ!! お前、そこは譲れよっ!! 雌豚に対するその執念は、どっからきてんだ!?
「フィオナさん」
「雌豚フィオナ」
「フィオナさんは、どうして奴隷になってしまったんですか?」
人をガン無視できたのは、生まれてはじめてだよ。緊張感が皆無のせいか、どもることもなく話せてるし。なにも嬉しくないけど。
「んふっ」
無表情のまま、彼女は笑い声を漏らす。
「んふっ。エルフの里が、ふふっ、襲われまして。流行りのエルフ狩りで、あはっ、全員奴隷商に捕まってしまったんですよ。あはは」
なぜ、その内容で笑えるんですか?
「とっておきの笑い話だったんですが、面白くなかったですか? 笑い声もセルフで挿入してみたんですが」
才能ないから、二度とやらないでください。
精神的に疲弊した僕がやっとの思いで部屋に戻ろうとすると、先回りしたフィオナさんが進行路に寝そべる。
「どうぞ」
常人としゃべりたい~!! 今までの人生の中で、一度たりとも思ったことなかったけど、普通の人間とおしゃべりしたい~!!
「……なんでしょうか」
「えっ……カーペット……ですが……?」
疑問符を浮かべるのはこっちだよ!! こっちぃ!!
「とりあえず、今日はもう寝ますんで……申し訳ないんですけど、隣に用意した寝室で休んでください……」
「奴隷の保管方法としては、野ざらしスタイルをオススメしますが?」
スタイルと呼称できるような方法じゃないね、ソレね。
「いや、もう、本当に。本当に大丈夫なんで」
美少女とイチャイチャしたい。その一心だった僕は見事なまでに夢破れて、失意のままに部屋へと引きこもろうとする。
が、困惑気味に、顔をしかめた彼女に行く手を阻まれた。
「ご主人様、失礼ながらお尋ねいたしますが……わたしは、ミスをしましたでしょうか? ご機嫌を損ねるようなことをなにか?」
買い取ったダークエルフが、120時間連続運用も可能ですと自信満々に言い切り、自分を雌豚呼ばわりするカーペットだったとは思わなかっただけです。
「ご主人様?」
いやしかし、そもそも、問題なのは、浅はかな考えでひとりの人間を買い取った僕のほうじゃないのか? 純愛に憧れ夢を語って、金を払うという優位性をもって、女性の心を操ろうとしたゲスの僕がおかしいのでは?
異常を前にして正常に戻る。
ようやく、僕は、自分が間違えた道を選んだことに気がつくことができた。
「ごめんなさい」
「えっ……なんて、斬新なプレイ……!」
プレイだと思われた心の底からの謝罪。
僕は申し訳ない気持ちを抱きながら、薄汚い夢とやらを切り捨てることにする。
「その、責任はとりますから。故郷に戻りたいのであればお送りしますし、家具を売れば路銀も用意できるんで。
あの、荷物とかは?」
言っている意味を理解できていないのか、まばたきを繰り返していたフィオナさんは、襤褸の懐から『完璧奴隷の作り方』という本を取り出す。
「この参考書くらいしかありません。奴隷ですので」
今まで、仕えてきた主人たちは、彼女のことを上手く扱うことができたのだろうか? 奴隷を買うくらいの人間は、僕と同じくらい狂ってるに違いない。
「わかりました。一週間後、答えを聞かせてください。それまでに、僕のほうでも、準備を整えておくので」
「……はぁ」
眉根をひそめる彼女に、内心で別れを告げてから、僕は扉を閉めた。
一月が経った。
「んふっ。ご主人様。また、頬に栄養素をつけておりますよ。やんちゃな子豚ではないのですから、もう少しゆったりとお召し上がりください」
でも、当然のように、フィオナさんは我が家にいた。
一週間後、返答を求めた僕は、彼女から『んふっ。申し訳ありませんが、エルフの里は、ふふっ、全焼してこの世から消えてるんですよ。あはは』と笑顔で答えられた。
つまり、帰るところがないらしい。ならば、買い取った責任として、自分の家に置いておくしかない。
「いや、自分でとれますから」
「ご遠慮なさらずに。生ごみ処理は、この雌豚フィオナにお任せください。なにせ、弊社の雌豚は、従来豚よりも数百倍のバキューム機能を備えておりますので」
「僕の頬、千切れ落ちますよねソレ」
とは言え、フィオナさんは、異常なまでに優秀だ。
家事全般は卒なくこなすし、村の市場を掌握し始めて食い扶持の数倍は稼いでくる。この一月で僕の全財産はほぼ取り返しつつあるし、正直言って、面倒を見るつもりが面倒を見られている事態。
「んふっ。卑しい雌豚が、ご主人様の頬を拭いますよ。ふふっ。拭っちゃいますよ」
しかも、最近、無駄に表情が豊かになってきた。僕の世話を甲斐甲斐しく焼いている間、特徴的なニヤけ面を浮かべるのだ。
どう考えても、立場が逆転しつつある。
「午後はどういたしますか? 奴隷読み聞かせ会でも開催いたしますか?」
「いちいち、頭に『奴隷』をつけてアピールするのやめてください。ただ、文字が読めない僕に、本を読んでくれるだけでしょ」
「では、買い物にでも。ご主人様が豚のように肥え太るようなことがあったら、わたしのアイデンティティに関わりますので」
最早、散歩に連れて行かれるペットの気分だ。収入的にも立場的にも仕方ないのだが、コレでは惚れてもらうなんて遠い彼方の出来事に思える。
「では、準――」
「首輪はつけないし、リードも引きませんから」
「……チッ」
四つん這いになっていたフィオナさんは、舌打ちをしてから立ち上がる。
「では、行きましょうかご主人様」
雌豚扱いを強要してくる奴隷ってなんなの?
村の外に出た僕は、付かず離れずの距離で『わたしは、卑しい雌豚です→』と書かれた札を下げるフィオナさんと村を練り歩く。
「んふっ。今日はとてもいい天気ですね。まるで、この世に悪意が存在しないように感じ――あぁ!! 力作がぁ!!」
木札を奪った僕は、膝で叩き割って、そこらに投げ捨てる。
「なんて惨いことを……享年0.5時間なんてことがあって良いのですか……腕も切断できないヘタレなのに、どうしてこんなに酷いことはできるんですか……」
「とてもいい天気に相応しくない、悪意を断罪して差し上げましたがぁ!? 文句、ございますかぁ!?」
「相変わらず、仲が良いねぇ」
道中で寄った本屋の主人は、小気味いい笑い声を立てながらそう言った。
「テメェなにご主人様以外の男がわたしに話しかけてんだケツの穴からしょんべんを放り出す介護してやろうかオォン?」
「ごめんなさい。この子、頭が奴隷なんです」
「わかってるわかってる。お手伝いさんにしてはまだちんまいが、人間から見ればもう十分に年いってるんだろ?」
奴隷を買ったとは公言し辛いので、村の人たちには『お手伝いさんを雇った』と言ってある。
他にはなにも話していないのだが、いつの間にか、エルフの里を襲われた際に脳を負傷したという尾ひれが付いた。理由は言わずもがな。
「フィオナちゃんが来てから良いこと尽くしだよ。村の市場は活気づいたし、本だって売れるようになった。それに、お前は、人の目を視て話せるようになったしな」
人とコミュニケーションをとるなんて、この奴隷と会話を成立させるのに比べたら、ベリーイージーだと気づきましてね。
「で、今日は、なにを買いに――」
「ご主人様、この不憫な奴隷めに本をお恵みください。靴をペロペロしてお掃除しますので、いつもみたいにしますので」
「日課の靴磨きとか言って、勝手にルーチン化した奇行を僕がやらせてるみたいに言うのやめてくれます?」
無理矢理に立ち上がらせると、フィオナさんは『完璧奴隷の作り方2』という本を指し示す。
どうやら、彼女にとって、唯一の荷物である奴隷参考書の続編らしい。
「参考書ですか……いや、まぁ、家の稼ぎを鑑みれば、お断り出来るわけもないので……これをください」
ペラペラと本をめくると、前回のおさらいと銘打ち『悲惨な身の上は、面白おかしく話しましょう!』とか『ご主人様からの呼び名は『雌豚』一択!』とか『自分の性能アピールには嘘も必要!』とか、この世の地獄みたいなことが書いてある。
エルフは、内向的ゆえに世間知らず。一度も森から出ず、他種族と交流をもたないまま、死ぬことも珍しくないらしい。純真無垢ゆえに、疑いを知らず影響を受けやすい。
だからこそ、買いたくない。コレを買えば、間違いなく、さらなる悪化を招く。
だが、世の奴隷のスタンダードがコレである以上、おかしいのは僕のほうであり、フィオナさんじゃない。
「はぁ? 参考書ぉ?
いや、コレはだな――」
「ご主人様、自罰メニュー表を用意いたしました。御覧ください。
ちなみに、オススメは、畑の肥料として養分にされる雌豚和えで――あぁ!! 渾身の一作がぁ!!」
「では、失礼します」
フィオナさんを引きずって、僕は帰宅の途に着く。
どうやら、美少女奴隷に優しくして惚れてもらうなんて出来事、僕には起きようがないらしい。
残念だ。
残念ではあるが――良かれ悪かれ、寂しくなくなったのは有り難い。
フィオナ・エーレベスクは、ふかふかとしたベッドに腰をかける。
彼女は『完璧奴隷の作り方2』を取り出し、美しい指でページをめくった。
「やはり、この参考書は素晴らしいですね……雌豚奴隷として、必要な要素が、この一冊に収まっている……」
一時間ほど、集中する。
至極の参考書を読み終えて、彼女はため息を吐いた。
もちろん、悩みごとの種は、一向に自分を奴隷扱いしないご主人さまのことである。この参考書に書かれているテクニックを用いても、柳に風で正しい奴隷運用をしようとしない。
フィオナにとって、彼は、初めての主人である。
だからこそ、初日から、自分に優しく接してきて、陵辱も拷問もしない彼に疑問を覚える。なにせ、参考書は絶対である。普通の男性であれば、自分のように美しいエルフには発情して然るべきではないだろうか。
「おかしい……あの御方は、普通ではない……是正しなければなりませんね……」
恐らく、彼は、フィオナと同じように素人同然なのだ。どうやって、奴隷を使えば良いのかすらもわからない。
ならば、導いてあげなければ! あの御方を!
決心したフィオナは、決意をもって床に入る。ふかふかの白いベッド、コレも、奴隷の主人としてマイナスである。
でも、フィオナは、自分が幸福を感じていることに気づく。
いつもいつも、なぜか、彼の情けない面構えばかり思い出している。なにかと、彼のことが気にかかる。もう少し、触れてくれれば良いのにと思う。
彼を見つめる度に、とくんとくんと、胸が脈打つのを感じた。
「……病気でしょうか?」
奴隷として、なんたることだ!
フィオナは、舌打ちをして、明日こそは彼に鞭を打たせなければと思う。いい加減、呼び名も雌豚に改善しなければ。
ふかふかのベッドで、仕方なく、フィオナは眠る。
参考書によれば、奴隷は、ベッドどころか睡眠も許されない筈なのに。深夜も働き続けていると、主人が本気で怒るので、仕方なく眠る他ない。
こうして、フィオナ・エーベレスクは眠りに落ちる。
彼女は知らない。
彼女が慕っている『完璧な奴隷の作り方』という本は、奴隷のプロフェッショナルを育てる参考書でもなんでもなく、奴隷制を痛烈に批判した風刺本であることを。
その本に書かれた内容は、奴隷制肯定派をからかう“冗談”のようなもので、現実味がないほどに誇張されたものであることを。
そして、彼女の主人は知らない。
ダークエルフの美少女奴隷には、とっくの昔に、優しい彼への恋心が芽生えていることを。
すやすやと眠る、ふたりが知る由もなかったが。
彼と彼女は、幸せな未来を確信するかのように――安堵の表情を浮かべて、眠り込んでいた。