結界
角猿との戦闘以降、しばらく歩いたが森の生物が襲って来るということはなかった。
あれからも生物の気配は何度か察知している。
しかし、リキの前に姿を現すことはなく全て避けるように離れていく。
ナワバリに堂々と踏み入っても襲ってこないのは、角猿を倒したという情報が森の生物に広まってリキに箔が付いたからかもしれない。
とはいえ油断は禁物だ。
日が沈んできたが、一向に森を抜けられる気がしない。
このままだとリキはこの森で野宿する羽目になってしまう。
森のモンスターたちも、もしかしたら夜を待ってから襲う算段かもしれない。
夜行性の生物もいるだろう。寝込みを襲撃されれば、さすがのリキも危ないかもしれない。
仮面能力者の力は無限ではない。
休息も取らず戦い続ければ、いずれ仮面の力も使えなくなるだろう。
周りが敵だらけの場所で一人の夜を迎えるのは危険すぎる。
「しまったな……ポイントを使って安全な場所からスタートするべきだったか」
根拠なく、どこかの街や村からスタートするものとリキは勝手に思っていたので、その発想には至らなかった。
スタート地点がこの森で固定かランダムかはわからない。
もしランダムなら場所によってはスタート開始と同時に即死する転生者もいるのではないだろうか。
リキはすぐ近くに危険なモンスターがいる場所から始まり、転生直後に角猿の襲撃を受けた。
全ての転生者があの角猿に勝てるとは思えない。
そう考えるとポイントで安全を買うというのもアリだったのではないか。
例えばポイントを使い、スタート地点を人が住んでいる安全な場所に変更してもらえば、安全と情報を簡単に手に入れることができたはずだ。
「ま、それを今更言っても仕方ねェが……」
すでに手遅れ。終わってしまったことだ。そういうときは切り替えるしかない。
今はこの森を抜けることが最優先。
森がどこまで続いているか見当がつかないのでリキは、木に登って確認することにした。
てっぺんが見えないほど背の高い木々が並んでいるが、仮面能力者のリキなら問題ない。
枝から枝へ、軽く跳躍しながら上を目指した。
「おお、すげえな……」
木の上から見た景色は壮観で大自然の力に圧倒された。
森は遥か先まで続いていて、その先には雲よりも高い山がそびえている。
空の世界では強大な鳥のような生物が飛び交っていた。
「何かいいものねェかなっと……」
周囲を見渡していると川を発見した。水の確保はサバイバルの基本だ。
酒なら大量にあるがそれを飲んでも水分補給にはならない。
酒に含まれるアルコールの利尿作用により飲んだ以上に排出してしまうからだ。
酒を飲めば飲むほど体の水分が奪われることになる。
人間が水分補給なしで生存できる限界は72時間が目安。それ以降は急激に生存率が下がると言われている。
今日中に森を抜けるのは難しそうなので、リキは川を目指すことに決めた。
「ん? なんだありゃ?」
リキの瞳に不可解なものが映った。
広大な森林の中で、背の高い木々がまったく生えていない場所がある。
代わりに赤、緑、黄色などさまざまな光が見える。
さらにその光も避けるようにした中心には、不自然に空間が歪んでいる部分があった。
その歪みはドームのように一部の空間を覆っている。
大自然の中で異彩を放つその空間の歪みにリキの興味は一気に引かれた。
「……行ってみるか」
ここからそれほど離れていないため、先にそっちを確認してから川を目指すことにした。
途中何度か木に登って方向を確認しつつ、進んでいく。
「ここか……」
ドームのような空間の歪み。その周りに見えた光は結晶だった。
地面から結晶が生えていてまるで花畑のように広がっている。
リキは使命のカードに『結晶の世界』と記されていたことを思い出した。
「これがその結晶ってやつか」
世界の名前にもなっているのだから、この世界にとって結晶が重要な意味を持つことは間違いないだろう。
「結晶って洞窟とかにありそうなイメージなんだが……こんな森の中心にもあるんだな」
リキは近くにあった赤色透明の結晶を手に取ってみる。
目を凝らすと、赤く透き通る結晶の中で炎が揺らいだ。
「お!」
炎が見えたのは一瞬だけですぐに消えてしまった。
気のせいかもしれない。そう思うほど短い時間だった。
「ただのキレイな結晶ってわけじゃなさそうだな……」
この結晶からは何かを感じる。それは確かだ。
結晶を観察した後は、空間の歪みの調査を始めた。
手で恐る恐る触れて見たが弾かれてしまう。歪みの中に入ろうとするのを拒んでいるようだった。
歪みの周りをグルっと一周回ってみたが、入れそうな場所はどこにもなかった。
上から入れないか石を投げて確認してみたが、石も弾かれてしまった。
「何かの結界っぽいなこれ」
この空間の歪みが自然にできたものでないとすれば、誰かがこの結界を作ったはず。
外部からの干渉を拒絶するこの結界の中には、何か重要なモノが眠っているのかもしれない。
「上は無理……となれば、あとは穴でも掘って下から侵入するしかねェか? それか……」
もし地面の下も空間の歪みで包まれていたら時間と労力を無駄にするだけ。
「……やっぱぶっ壊すのが手っ取り早いな」
リキはそれが一番自分らしいやり方だと思い至り、さっそく腕を鬼化させた。
そして何の躊躇もなく歪みに向かって拳を放つ。
「痛ってー!」
鬼の力で殴りつけても結界はびくともしない。
それどころか逆に弾かれて鬼の腕の方がダメージを受けてしまった。
「クソッ! 鬼嵐!!」
鬼の拳による連続パンチ【鬼嵐】。
嵐のような怒涛の攻撃にも結界が壊れる様子はまったくない。
しばらく粘ったが手が痛くなるだけなのでリキは諦めて鬼化を解除した。
「……まぁ考えてみたら、中にお宝があるとも限らねェしこだわる必要もねェか」
今優先すべきはこんなことではない。
当初の目的通り川に進路を向ける。リキは結界に背を向け歩き出した。
そのわずか数分後にリキは結界の前に戻ってきていた。
「なんかよぉ、このままだとまるで俺が負けたみたいだよなぁ?」
今度は腕だけでなく全身を鬼化させた。
二本の角が頭部から生え、全身の肌は火が燃え広がるように赤く変わり、髪は背中まで伸びて体は一回り大きくなった。
強敵と認めたものにしか晒さないその姿は見る者を震え上がらせる。
完全な赤鬼となったリキが手をかざすと、その先に金砕棒が現れた。
四角錐型の棘がいくつも付いている二メートル越えの鉄の六角棒。
この金砕棒でリキは幾人もの強敵を屠ってきた。
本気も本気。リキの全力だ。
「オラアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
金棒による連続攻撃【鬼無双】。
一度喰らっただけでも、たいていのものは原形がなくなる金棒の一振り。それを何度も振り下ろす。
金棒を振る度に突風が吹き荒れ、結界に接触する度に衝撃が森全体を揺らした。
周りに生えていた結晶は粉々になり大地にも亀裂が広がっていく。
「これで、ラストだああああああああああ!!」
渾身の一撃を叩きこみ、リキは鬼化を解除した。
さすがに完全鬼化は体力の消耗が激しすぎる。
しかし手ごたえはあった。
リキが集中的に叩いた部分からヒビが入りそれが結界全体に広がっていく。
「よっしゃあああああああああああ!! 見たかオラァ!!」
勝利の歓声が轟いたのも束の間。
ガラスが割れるような高い音がした後、結界の中から何かが飛び出してきた。
最初に見えたのは帽子だった。鍔が広く頭頂部がとんがり折れ曲がっている魔女が被るような帽子だ。
それとほぼ同時に出てきたのは、
「子供!?」
黒のローブを纏った若草色の髪の少女が宙を舞っている。
リキは反射的にその少女をキャッチした。
「おい、大丈夫か!?」
「どう、して……?」
少女の黄金の瞳は虚ろで、リキの心配する声も届いていないようだった。
「一体何が――」
眼前の光景にリキは度肝を抜かれた。
結界の中にいたのは少女だけではなかった。
完全に消失した結界の中から姿を現したのは、鋭い牙と爪を持ち、巨大な翼をはためかせ、頭から尻尾の先まで紅の鱗で覆われている空想上の生物だった。
「ドラゴン!?」
その圧倒的な存在感は瞬く間にその場の空気を支配した。
あまりにも巨大すぎる存在。
対峙しただけで敗北の二文字を相手の心に刻み戦意を喪失させる超越者。
この龍を前にしたら、戦うという選択はおろか逃げるという選択肢も浮かんでこない。
何をしようが全ては無駄なこと。
出会った時点で選択権は龍に奪われる。
生きるか死ぬかは龍の機嫌次第なのだ。
「とんでもねェな、こりゃ……」
他の生物と次元を異にする龍の力を正確に測れる者など、世界中を探してもほとんどいない。
だが生命の波動を感じ取れるリキにはわかってしまう。
この龍と自分との絶望的なまでの力の差が。
力があるからこそ、強いからこそ、並の者よりも絶望は大きいのだ。
(少なくとも蟻と恐竜ぐらいには差がありやがる……。こいつと比べたらボス猿なんてミジンコ以下だ)
紅の龍はリキたちを視界に捉えた。
ギロッと睨みつけてくる龍の口からは炎と煙が漏れている。
その口を一度完全に閉じたあと、めいっぱい開いた。
次の瞬間、耳をつんざく攻撃的な咆哮がリキたちを襲った。
龍の雄叫びは大地を震わせ、肌をビリビリと差した。
「……ヴォル……ガン」
リキの胸の中で少女は消え入りそうな声でそう告げた。
「ヴォルガン?」
リキにはわからなかったが、この世界ではその名を知らない者などいない。
「龍には……誰も勝てない」
炎神龍ヴォルガン――最強生物と言われるドラゴンの中でも神龍の名を冠する伝説の一体。
初戦の角猿。二戦目の結界。そして三戦目にリキが相対するのは、この世界で最強の存在だった。




