その手に掴んだモノ
最後の勝負に打って出た二人は炎神龍に向かって飛んだ。
少女の動きはキレを増し、火の雨を踊るように華麗に躱していく。
動きが洗練されたのは、迷いがなくなったからだろう。
人は迷えば弱くなる。自分のやっていることが正解だと自信を持てなければ、力を最大限に発揮することなどできない。
先程まで少女はただ耐え忍ぶために飛んでいた。
どうすれば事態を好転させられるかもわからず、いつまでこの状況が続くかもわからない。
少女は終わりのない迷宮に迷い込んでしまっていたのだ。
しかし、そんな彼女にリキは道を示した。
リキのやろうとしていることは、出口がないはずの迷宮に無理やりゴールを作るようなものだ。
道に沿って歩いていたら絶対にゴールには到達できない。だからリキは迷宮の壁を破壊し、用意されていた道は無視する。
無茶苦茶としか言いようのない方法だが、リキのおかげで出口の見えない暗い迷宮に一筋の光が差した。
あとはその光に向かって飛ぶだけだ。
ゴールが見えているのなら少女が力を温存する必要はない。立ちはだかる障害も全力で超えていく。
「……なんとか最初の関門は抜けたみたいだな」
二人は遂に火の雨を抜けヴォルガンの元に辿り着いた。
だがそれで安心してはいられない。
まだ最初の試練を超えただけ。すぐに次の試練を突破しなければならない。
次にやることは足場を用意してそこにリキを下ろすこと。
さらにリキが力を溜めるための時間稼ぎもしなくてはならない。
時間を稼ぐためにはヴォルガンの視線からリキを外すしかないだろう。
二人はヴォルガンの周囲を旋回するように飛んで好機を待つ。
「タイミングは任せる。焦るなよ」
「大丈夫」
少女から頼もしい返事が戻ってきた。
普通なら少しぐらい焦りそうなものだが、この状況でも少女は眉一つ動かさず冷静なまま。
ただ考えなしに行動に移っても、すぐに見つかってヴォルガンの餌食になるだけ。
それをこの少女はちゃんとわかっている。
少女は勝負を賭けるタイミングを慎重に見極めている。
だがなかなかチャンスが巡って来ない。
(待ってるだけじゃ厳しいか……)
チャンスは自分で作るしかない。
そう判断した二人は遠距離から攻撃してヴォルガンを挑発することにした。
近づきすぎないよう距離を保ちつつ、仕掛ける時は大胆に実行する。
挑発に乗ったヴォルガンは息を吸うと、口から炎を吐き出した。
(今しかねェ!)
待っていたのはこれだ。二人はヴォルガンの炎を誘っていた。
炎をギリギリまでひきつけてから回避することで、炎に隠れた二人はヴォルガンの視界から一瞬外れる。
少女はそのタイミングを逃さず、リキをヴォルガンの死角に風で飛ばした。
そして自分はヴォルガンの視線を引きつけるために、わざと見つかるように飛ぶ。
二人は気付かれることなく二手に分かれることに成功した。
リキが飛ばされた先には既に足場が用意されていた。
大地から風の力で飛ばして運んできた巨岩だ。
空に足場を用意するという無茶を少女はやってのけてくれた。
「大したヤツだぜ。まったくよ」
岩に着地すると、リキは計画通りすぐに行動に移る。
1秒たりとも無駄にはできない。
ここから始まる30秒は、人生において最も長く感じる時間になるだろう。
「――鬼気一発!」
【鬼気一発】――全身を流れる全ての生命エネルギーを一点へと集中させることで、次の一撃の威力を跳ね上げる技だ。
生命エネルギーとは生物が生きるために、常に体内で生産しているエネルギー。
一瞬でもなくなれば死んでしまうので、生物は普段から必要以上に生命エネルギーを生産している。
そして使われない分は『生命の波動』として体外に排出されてしまう。
そのため生物は持っている力の全てを発揮できているわけではない。
仮面能力者はその余った分の生命エネルギーを使うことでパワー、スピード、防御力や回復力すら高めている。
生命エネルギーをコントロールできれば、普通の人間でも驚異的な力を発揮することができる。
まして鬼の生命エネルギーは人とは比較にならないほど桁外れ。
鬼気一発では、その鬼の生命エネルギーを一撃に全て込めるのだから威力は折り紙付きである。
しかし弱点として力を溜めている間は、身動き一つとれなくなるのが厄介なところだ。
さらに普段は防御力を高めるために使っている分の生命エネルギーも攻撃分に回さなければならない。
そのため、もし発動中に攻撃を喰らってしまったらひとたまりもない。
味方が時間を稼いでくれなければ、とても使うことなどできない技だ。
(頼む。なんとか持ち堪えてくれよ……)
リキは力の集中が終わるまではもう何もできない。
少女がどれだけ追い詰められようと助けに行くこともできない。
堪え切れず途中で飛び出せば全てが無駄になる。
できることはと言えば少女の力を信じること。あとは祈ることぐらいだ。
少女はヴォルガンの注意を引きつけるため全力で応戦する。
出し惜しみはしない。この30秒で全てを使い切る勢いで一気に力を解放する。
暴風吹き荒れ風の刃が宙を飛び交い、猛る炎が空を焦がす。
天才と天災による紙一重の攻防が繰り広げられる中、リキは飛び出したい気持ちを必死に抑える。
1秒が永遠にも感じる。時間は残り15秒。
(つーかやべェ……。30秒はいくら何でも短く伝えすぎた。どう考えてももっと時間がかかる)
30秒では全ての力を収束することはできない。
見通しが甘かった。ヴォルガンに勝つためには30秒ではまったく足りない。
少女はそんなことは知る由もなく全力を振り絞っている。
囮としての役割を完璧に果たす中、空に変化があった。
炎の雨は止み魔法陣も消えている。
ヴォルガンは全力を出すために無駄な消耗である魔法陣を自ら消したのだ。
少女の決死の抵抗は遂にヴォルガンを本気にさせた。
【魂を燼滅する炎】
本気を出したヴォルガンの炎は、それまで拮抗していた少女の風を簡単に飲み込むと、より強い炎となって彼女を襲った。
強い風は炎を吹き消すが弱い風では逆に炎の勢いを強めてしまう。
これまで何度も窮地をしのいでくれた風の力が逆に仇となってしまった。
炎に包まれた少女を見てリキは叫び出しそうになったが、喉の奥で食い止めた。
ここで叫んでヴォルガンに気付かれたら少女の頑張りが無駄になる。
それにまだ終わったわけではない。少女の生命の波動はまだ消えていない。
あらゆるものを灰燼に帰す龍の炎をまともに喰らって無事でいられるはずはない。
それでも生きているということは、何らかの力で防御したに違いない。
とはいえ波動が弱まっているのも事実。無傷とはいかないだろう。
すでに約束の30秒は過ぎていた。
(すまねェ……だがもう少しなんだ。もう少しで力は最大になる)
炎が消えると中から少女が出てきた。
少女の生存を確認したリキは安堵したが、すぐに不安に胸を衝かれた。
少女は生きてはいたがダメージは軽くなかった。
ローブは焦げてボロボロになり火傷も負っている。
意識も朦朧としていて飛んでいるというよりは、空をフラフラと漂っているような状態だ。
それでもまだ戦う意思を見せるものの体のほうが先に限界を迎えた。
纏っていた風は消え、少女は真っ逆さまに落ちていく。
落ちていく少女に向かってヴォルガンは容赦なく炎で追撃しようと息を吸う。
「おい!! こっちを見やがれっ!! トカゲ野郎!!」
追撃を止めたのはリキの叫びだった。
力はまだ溜まっていない。
それでももう限界だった。これ以上は見てはいられなかった。
ヴォルガンはリキと同じ目線になる高さに向かって飛んだ。
それから真っ直ぐ彼を見つめると口を開く。
口から放たれたのは炎ではなく紅い閃光。山を吹き飛ばしたヴォルガン最強の一撃だ。
万事休す。リキに逃れる術はなかった。
全てを終わらせる無情の光が空を引き裂くように伸びる。
紅い閃光の通り過ぎた先には何も残らなかった。
リキはもちろん、彼が足場にしていた巨岩さえも塵一つ残っていない。
自身の勝利を祝うかのように、炎神龍の咆哮が天空に轟いた。
「……いや、俺たちの勝ちだ」
ヴォルガンの勝利の雄叫びを否定するように男は呟いた。
赤鬼は死んでなどいなかった。
ヴォルガンからしてみればリキは紅い閃光で消し飛んだはず。生きているはずがなかった。
しかもいつの間にかリキはすでに龍の懐へと飛び込んでいる。
それもヴォルガンには理解できない。
ヴォルガンを欺いたのはリキではなく風の少女だった。
少女はヴォルガンが紅い閃光を放つと同時に、リキの足場である巨岩を支えていた風の力を少しの間だけ消したのだ。
風の力を失った足場は当然、重力に引かれ落下する。
リキが動けないから足場ごと移動させて攻撃を回避したのだ。
ヴォルガンは少女が力尽きたと思っていたがそれは彼女の演技だった。
本当に少女が力尽きていたのなら、リキの足場もとっくに風の力を失い落ちていなければおかしい。
ヴォルガンはそこで気付くべきだったのだ。
ヴォルガンの視線の下で力を溜め終わったリキは、思いっきり地を蹴りヴォルガンに向かって跳ねた。
下から飛んでくるリキに気付かず、ヴォルガンは懐への侵入を許してしまった。
(大技の後はどうしたって隙だらけになるよなぁ。まして勝ったと思っていたならなおさらだ)
大技とは諸刃の剣だ。
それで勝負を決められなければ最大のピンチが待っている。逆にしのげば最大のチャンスに変わる。
形勢は完全に逆転した。
少女は奇跡を起こしてくれた。次はリキの番だ。
(必要なのは死なない覚悟……それから死なせない覚悟だ。そうだろ? 零!)
少女がいなければリキはとっくに死んでいただろう。
命を救い、自分を信じてくれた少女の想いに報いるためにも負けられない。
少女の命をここで終わらせることなんてあってはならない。
少女を絶対に死なせないという覚悟により、リキの仮面の力が限界を超えて引き上げられる。
仮面の力の源は心。心の力に限界はなく仮面能力者に不可能はない。
「鬼葬天我意!! つらぬけえええええええええええええ!!」
狙いは一点。龍の心臓だ。
右腕に溜めた生命の力に想いの力を上乗せさせて、赤いオーラを纏った一撃がヴォルガンの胸を突く。
鱗で覆われていない胸は赤鬼の一撃を止めきれない。
鮮血が迸った。
一度は絶望しかけた圧倒的な龍の生命の波動が小さくなっていく。
命が消えていくのがわかる。
限界まで突き刺した手の先で何か硬い物が当たった。
握ってみたが心臓とは思えない。石のような丸い何かをリキは掴んでから腕を引き抜く。
それと同時にヴォルガンの命を潰えた。
炎神龍ヴォルガンは燃え盛る大地へと落ちていく。
リキは少女の風にその身を委ね、炎神龍の最後を見送った。
「お前の紅もなかなかだったが俺の赤も負けてなかったろ?」
勝敗は決した。
力を使い果たしたリキは元の姿に戻り、手の中に掴んだモノを確認する。
ヴォルガンの胸の中から引き抜いたのは紅い宝石のような石だった。
「こいつが戦利品か……最強の龍を倒した報酬にしては少々物足りねェが……」
不満をこぼしてはいるがリキは充分満足していた。
それよりももっと重要なモノをその手で掴み取ったのだから――。




