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赤鬼の仮面  作者: 赤羽景
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案内人

 暗闇の中でその男は目を覚ました。

 上下左右どこに目を向けようと、眼前に広がる光景は黒一色のみ。

 世界はどこまで行っても何もなく、ここにあるのはただ己という存在だけだった。

 最初から何もなかったのだろうか。

 あるいは元々あったモノが、何かのキッカケで自分だけを残して他は全て消失してしまったのか。

 考えたところで何もわからない。

 なぜなら男は自分が何者なのか、どこから来たのか、なぜここにいるのか、何一つとして覚えていないのだから。

 

 自分以外に何もないなら何もできない。自分以外に誰もいないなら何もやる意味がない。

 何もない孤独の世界なら、自分が存在している意味は果たしてあるのだろうか。

 男がそんなことを考えていると、世界に変化があった。

 突然、遠くで何かが白い光を発したのだ。

 ここは何もない世界だが、何も起こらないというわけではなかった。

 白い光は黒の世界を照らしながらこちらへ近づいてくる。

 光が男を照らすころには、世界から闇は消え去っていた。


「はじめまして、鳴海力(なるみちから)さん」


 黒の世界を白の世界に書き換えたのは、白く美しい少女だった。

 まるで女神のような少女に名前を呼ばれたことで、男は自分が誰だったのかを思い出す。

 失っていた記憶が奔流となって押し寄せ、空っぽだった心があらゆる感情で埋め尽くされていった。

 自分の全てを取り戻した男はここがどこかを理解した。


「ここは……死後の世界だな?」


「はい、その通りです」


 柔和な微笑みを浮かべながら白い少女はそう答えた。


「ってことは、俺は……本当に……」


「はい、貴方は死にました」


 鳴海と違い言い淀むこともなく、あまりにも簡単に少女は彼の死を肯定した。

 曖昧な言い方はせず、いっそ清々しいほどはっきりとした物言いに、否定して欲しかったという気持ちもどこかへ吹き飛ばされてしまった。

 澄み渡る空のような少女の瞳に嘘の色は見えない。

 何よりも彼女の存在そのものが、ここが死後の世界だという話に説得力を持たせていた。

 雪のような純白の衣装でその身を包み、神秘的な白銀の髪を揺らめかせ、幻想的な雰囲気を漂わせているその少女は、鳴海が知っている世界の住人とは明らかに違う存在だった。


「なぜ死んだのか、思い出せましたか?」


 自分の存在を取り戻した時に死んだときの記憶も蘇っていた。

 鳴海はその時の痛みを思い出し、苦い表情で頷いた。


「ああ、まさか『赤鬼』と恐れられた俺が、女子高生に殺されるとは思ってもみなかったよ」


 仮面の殺人鬼、早瀬佳奈(はやせかな)――世間を騒がせた殺人鬼の彼女は、最愛の兄を鳴海に殺されたことで復讐を決意し、見事成し遂げた。


「随分と無理をされたようですね。肉体はともかく魂まで大きく損傷していましたよ」


「魂が損傷?」


 鳴海は首を傾げて聞き返した。魂が損傷するとはどういうことなのか、イメージがわかない。


「本来、肉体がどれだけ損傷しようとも魂が傷つくことはありません。ですが貴方は死んだはずの肉体を魂の力だけで無理やり動かした。その際に魂に大きな負荷がかかったのです」


 鳴海にも心当たりはあった。

 鳴海の身体は一度完全に生命活動を停止した。

 力なんてもうどこにも残っていなかったはずなのに、気がつくと再び立ち上がっていた。

 確実に殺したはずの男が起き上がるのを見て復讐者の佳奈も大きく動揺していた。

 どうやらそのときには鳴海の命はすでに尽きていたらしい。


「……まぁなんとなくはわかってたよ。いつもは諦めの悪い俺が、なぜか自分の死を簡単に受け入れられたんだからな」


 死をあっさり受け入れられたのは、自分の命がもうとっくに終わっているのだということを、頭ではなく魂で理解していたからだろう。


「俺がさっきまで自分のことを思い出せなかったのも、魂の損傷ってやつが原因なのか?」


「はい。最悪の場合は、あなたの存在そのものが魂ごと消滅していたでしょう」


「なるほどな。だが記憶を取り戻したってことはもう直ってるんだよな?」


「ええ。修復はうまくいったようです」


 直したのはまずこの少女で間違いないだろう。

 死んだ男の魂を修復して少女はどうするつもりなのだろうか。何を求めているのだろうか。

 鳴海は少女の狙いに思考を傾けた。


「鳴海力さん、貴方がそこまで無茶をしたのは御幸零(みゆきれい)を守るためですか?」


 御幸零は鳴海が戦い方を教えた弟子であり、最後に守った命でもある。


「別にあいつのためじゃねェさ」


 鳴海はいつだって、誰かのためではなく自分のために戦ったきた。だから誰かのためだと言って、自分が死んだ原因を他人に押し付けることはしたくなかった。


「俺はただ……自分で蒔いた種を自分で刈り取りたかっただけだ」


 鳴海が早瀬佳奈の兄を殺害したことで、彼女の人生を大きく歪め復讐の道を進ませてしまった。

 兄が死んだときに佳奈は死者を操る力を手にした。

 彼女はその力で死にゆく兄の身体に魂を繋ぎ止め、現世に引き留めた。

 かつて鳴海と互角に渡り合った佳奈の兄と複数の死者を従えて鳴海の命を狙った。

 だが彼女はそれで満足しなかった。

 狡猾な彼女は復讐を盤石のものとするために、鳴海の弟子に目を付けたのだ。

 弟子の零を騙して近づき、鳴海の枷として利用することで大きな隙を作りだした。

 佳奈の策にまんまと嵌まり追い込まれた鳴海は、最後の力で妹に縛られていた兄の魂を解放した。

 二度も兄を奪われた佳奈は怒りの炎に身を焦がしたが、分が悪いと判断し引き下がった。

 佳奈を退かせたが、鳴海はすでにその命を燃やし尽くしていた。

 最期の言葉を弟子の零に託すと鳴海は事切れた。

 鳴海の記憶はここで途切れている。次に目を覚ましたらこの死後の世界だったというわけだ。


「俺が死んだあとはどうなった? わかるんだろ?」


 佳奈の兄である『黒騎士』との決着はついたが、因縁は引き継がれてしまった。

 弟子の零も復讐者の佳奈もまだ生きている。

 憧れ慕う師匠を失った少年と愛する肉親を失った少女。

 復讐に駆られる者と復讐から解放された者。

 二人が争うのは不毛でしかない。


「残念ながらそれを教えることはできません。死んだ人間はそこまで。自分のいない世界の先を知ることは叶わず、自分のいない世界に干渉することも許されない。それが死ぬということです」


 全ての因縁を断ち切れなかった自身の不甲斐なさに、鳴海は憤慨し拳を強く握りしめた。

 もはやその拳の届くところに二人はいない。

 自分にはもうどうすることもできないという事実が彼の心を強く締め付けた。


「後悔していますか?」


「……心残りがあるのは確かだな。果たせなかった約束もある。だが俺はいつだって自分が信じた道を全力で走ってきた。やれることはやった。だから心残りはあっても自分の生き方に後悔だけは絶対しねェ」


「もう未練はありませんか?」


 鳴海の心の内を確かめるために少女は質問を繰り返す。


「ああ。俺のやり残したことは、全部あいつに託してきたからな」


「信じているのですね。御幸零のことを」


「当然だ。なんたってあいつは、この俺の弟子なんだからな」


「彼もまた過酷な運命に囚われています。彼の進むその先に待っているのは貴方と同じかそれ以上の苦難の道です」


 零の身を案じてか白い少女の顔に暗い影が差した。

 少女の言うことはきっと全て本当なのだろう。

 だがそれを聞いても鳴海が顔を曇らせることはない。


「この俺がわざわざ主役の座を譲ってやったんだ。どんな壁が立ちふさがろうと乗り越えてもらわなきゃ困る。それに心配いらねェよ。残ってる連中があいつを導いてくれるはずだ」


 鳴海は死んだがそれで零が独りになったわけではない。

 彼を支える者がいる、彼の背中を押す者がいる、彼の手を引っ張る者がいる。

 それを知っているから安心できる。

 そして何より彼自身の強さを信じている。

 だから御幸零に鳴海力という師匠はもう必要ないのだ。


 少女は瞑目したあとゆっくりと目を開けた。

 その表情を見る限り、どうやら鳴海の回答に満足してくれたようだ。


「壮絶な最期だったにもかかわらず、貴方は全てを受け止め、もう前を向いているのですね」


「過去を振り返るのは終わりだ。そろそろ本題に入ろうぜ。……ここが死後の世界なら俺の前に現れたお前は天使か? それとも死神か?」


「いいえ、どちらでもありません。私は魂を導く案内人です。そしてここは生と死の狭間。全ての魂の還る場所、同時に全ての魂が旅立つ場所でもあります」


「魂を導く案内人? 天国か地獄にでも案内してくれんのか?」


「いいえ。私が案内するのは天国でも地獄でも、ましてあなたがいた『仮面の世界』でもありません」


「ならどこに俺を連れて行ってくれるんだ?」


「強き魂の来訪を待つ異世界」


「……異世界」


「鳴海力さん、貴方には二つの道が用意されています」


 死後の世界で選ばされる二択。

 異世界とは言っていたが、二つの道と聞くと片方は天国で片方は地獄に繋がる道なのではないかという疑念が頭をよぎってしまう。


「一方は魂に刻まれた情報を全て消去して歩む道、もう一方は積み重ねてきた魂の価値はそのままに歩む道です。前者は完全に別の命として、後者は記憶と経験を引き継いだまま新たな人生を歩んでもらいます」


 選択肢は向かう場所のことではなく、自分という存在の有無についてだった。

 自分を残すかそれとも消すか、選択は二つに一つ。


「貴方はどちらの道を望みますか?」


「一つ目の道を選べば俺は死ぬってことでいいんだよな?」


「はい。そう受け取ってもらって構いません。仮に一つ目の道を選ぶと魂の情報は完全に消去されます。その後は新たな器が与えられ異世界で再出発となります。魂は同じでも貴方という存在は消えてしまいます」


「新たな器ってのは?」


「魂を入れる器――つまり肉体のことです。また人の器が用意されるとは限りません。新たな器は鳥かもしれませんし、虫や植物ということもあり得ます」


「なるほどな。じゃあ二つ目の道を選べば魂はもちろん、器も俺のままってことでいいんだよな?」


「その通りです。一つ付け加えると、器は死亡直後の情報が適用されますが、損傷は完全に修復され病気も完治した状態となります」


「怪我が治ってたのはそういうことか」


 鳴海は身体の状態を確認し、案内人の言葉が正しいか確かめた。死んだときはボロボロだった体も小さな傷一つ残っていない。


「さて、どっちの道を選ぶべきか……」


 鳴海はこれまで後悔しない選択を続けてきた。

 復讐で殺された今となっても自分の選択が間違っていたとは思っていない。

 一つ目の道を選べば、鳴海力という男は消え別の存在に生まれ変わる。何も未練がないのならきっとこの道が正しい。

 生き返るということに抵抗もある。

 人は一度死んだらそれで終わり。

 人は人生が一度しかないと知っているからこそ、命が尽きるその瞬間まで精一杯生きられるのだ。

 鳴海は瞑目し、これまで出会い、そして死んでいった者たちのことを思い出す。

 敵も味方も最期の時まで全力で生きていた。それができたのも人生が一度きりだからだ。

 生き返るという選択は彼らをあざ笑い、自分のこれまでの人生も否定することになるのではないか。

 そんな考えが鳴海の選択をためらわせていた。


「自分の生き様に後悔も未練もねェ……」


「…………」


「……そう言って、かっこよく人生の幕を下ろしたかったんだけどな……どうやら俺はまだ鳴海力でいたいらしい」


 鳴海は最期まで全力で生きた。それは間違いない。

 だがもう充分だと、全て出し切ったと納得して死んだわけではない。

 自分はもっとやれる、もっと遠いところまで行けるのだという想いが溢れてくる。


「それが貴方の答えなのですね」


「情けねェけどな。でもまだ俺は終わりたくねェんだ。この選択が間違っていたとしても自分の心は偽りたくねェ」


 正しいか間違っているかではなく、自分の選びたい道を鳴海は選択した。

 今度はちゃんと納得して自分の死を受け入れられるように。

 鳴海は第二の人生を歩むことを決意した。

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