#8 最強の男!
横薙ぎの一閃がケルベロスをまとめて切り裂き、鮮血の代わりにどす黒い瘴気を散らした。女騎士は疾走しながらケルベロスを意にも介さず切り抜けてゆく。
敵の魔法使いラザロとの距離が詰まる。奴を放置しているとどんどんケルベロスを召喚されてしまう。イリヤさんはラザロの魔弾を剣で両断し、ケルベロスの突進を避け、ぐいぐいと前に。
「ほえ~、凄い」
感心している場合ではないが、感心せざるを得ない。人間離れした速度、技のキレだ。俺や背後で固まっている兵士達とは比べ物にならない。あっという間にほとんどのケルベロスを斬り捨て、ラザロとの一騎打ちに持ち込んでいる。
俺はと言えば、唯一の武器であるナイフをさっき森の中に投げ捨ててしまったので徒手空拳でじゃれ付いてくるケルベロスの相手をしている。大口開けて突っ込んでくる度、その攻撃を避け、いなし、注意を引き付け、兵士達の負担を減らす地味な努力を続けていた。
意識をイリヤさんの方へ向けていても、ケルベロスの単調な攻撃を避け続けるくらい造作もない。が、さすがに鬱陶しくなってきたか。
背後から飛び込んできた一体の上顎目掛けて裏拳。鼻先に痛烈なヒット。宙で身をくねらせて苦悶するケルベロスが着地した瞬間に振り向きざまの前蹴りで横っ面を蹴り飛ばす。地面を転がったケルベロスはちょうど兵士の足元へ。
「そいつ斬っといてください!」
きょとんとした兵士に雑なお願いをしつつ、横から来たもう一体は噛み付かれる前に頭部を抑えて受け流す。気分はブリーダーだな。気性の荒い犬っころの調教は楽じゃない。だが。
「気をつけろ!」
イリヤさんの怒号。ラザロの魔弾が兵士達の方へ。イリヤさんの取りこぼしだ。問題ない。俺がケルベロスの誘導した先はまさに、魔弾の軌道上。俺の喉元目掛けて地を蹴ったケルベロス。宙に浮いた体なら、動かすのにさほどパワーはいらない。顎を開かれる前に右足で大きく踏み込み肩口からぶつけ、後方へ弾き飛ばす。タイミングは、バッチリだ。
魔弾がケルベロスに命中し、爆発を起こした。肉が吹っ飛んで上半身と下半身が分断された魔犬は瘴気を噴出させて灰燼に帰した。
背後では兵士がケルベロスの腹を剣で刺し貫いている。これで、こっちは片付いた。先ほどから魔犬の数は増えていない。それは何故か。決まっている。
魔法使いがイリヤさんに対応するので手一杯だからだ。
今、立ち並ぶ木々が次々と爆ぜ、破片を盛大にまき散らした。樹上を猿より身軽に移動しながら魔弾の連射を続けるラザロに対し、イリヤさんは地上を動き、全弾避けながら反撃の機を窺っている。
地の利は、より高い位置にいるラザロにある。ならばどうするか。
俺はこっそり兵士達に近づいていく。そして怪訝な表情をする彼らに耳打ちし、あるものを譲ってもらった。
「何をやっている!?」
イリヤさんに早速見咎められる。
「いえ、お手伝いさせてもらおうかと」
「手伝う?」
「こういうことですね!」
右手に握った使い古されて錆びかけているナイフを、斜め上空へ投擲。イリヤさんへ注意を向けていたラザロの反応は若干遅れた。左の脇腹に、ナイフは刺さった。
「ぐっ!」
呻き、体勢を崩すラザロ。しかし宙に魔法陣を生じさせそれを足場代わりに蹴って、地面への激突を回避し、転がって膝立ちに。
いい位置へ当たった。内臓を傷つけたか?
「おのれ……」
悪態をつくラザロの頭部目掛け、踏み込みから鋭い斬撃が放たれる。大上段からの振り下し。まともに喰らえば脳天から尻まで真っ二つだろう。
寸前で後方へ跳んで回避するラザロ。その離れた分だけ踏み込み距離を潰すイリヤさん。このチャンスを逃がさないつもりだ。ラザロは両手を地面に向かい突き出した。魔弾を、真下へ。土煙が巻き上がって二人を覆う。視覚では、動向を追えない。全く問題なし。俺が使うのは聴覚。目で見るよりもよく“見える”。
イリヤさんが地を蹴り大きく跳び退った。一瞬前まで彼女がいた場所をえぐり取る衝撃波。地面に巨大な爪痕を刻む。
徐々に晴れてゆく土煙の中から、左腕を欠損したラザロが姿を現した。イリヤさんは彼が術の行使の為に両腕を振う瞬間に剣を浴びせ掛けていたのだ。
「やるな……人間の剣士」
「お前が弱いだけだ」
にべもなく、イリヤさんは言う。
「人間相手に本気を出すのは不本意ではあるが……」
ラザロの右手に、またしても瘴気が渦巻き始める。瘴気は漆黒の蛇のように彼の腕から全身へと拡がってゆく。
「させるか!」
踏み込むイリヤさん。しかし突如、ラザロの足元から魔法陣が展開してケルベロスを“射出”した。それは彼が張っていた罠。イリヤさんは咄嗟に体の前で剣を構え、突進を防ぐも、勢いを殺し切れずもつれあったまま転がった。
「ふっ」
邪悪な笑みをラザロは浮かべる。そして右手でさっと、空間を撫でた。
その時、俺には彼の意図がはっきりと分かった。狙いは、俺達の方か!
地面から瘴気が立ち上がり、漆黒の津波となって周囲の木々を薙ぎ払いながら猛進してくる。
「範囲攻撃は……ダメ!!」
単発の魔弾程度なら避けられるが、こんな広範囲のやつは無理!
絶望的な魔法が、俺に迫る。バカな……こんなところで。
波が、眼前に。
死……?
あまりにも、あまりにも早過ぎないか!?
イリヤさんの愕然とした顔がわかる。背後の兵士の怯えもわかる。
避けがたい残酷な運命が俺を呑み込まんとしている現実。
嘘、だろ……。
邪悪な魔法の波濤が俺に、今、ぶつかった!
「ぎゃああああああああぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!」
ぽふっ。
「ぁぁぁぁぁ……って、あれっ?」
波が、俺に触れた瞬間にまるで幻のように消滅した。凄い情けない音を立てて。
「……え?」
何が起こった?
唖然とするラザロ。悪役なのに、口をぽっかり開けて威厳のカケラもない。
イリヤさんも、目を見開いている。
この様子だとあの二人にも何が起こったのかまるでわかっていないようだ。当然、俺にもよくわからない。
だが、顔をペシペシ叩いてみたら痛みを感じるし、これは夢ではなさそうだ。だったらどう解釈するか。
うーん、もしかして俺、めちゃくちゃ強い魔法耐性備わってる?
「な、何なのだ……お前は!?」
驚愕し、後ずさるラザロに向かい、俺はゆっくりと歩き始めた。この状況……調子に乗るしか無いでしょ!?
「くっくっく……くーっくっくっくっ! 教えてやろうか、俺が何者なのか!?」
何だよ何だよ、こんなヤバい能力あるんなら秘書さんも先に教えておいて欲しかったな、全く。真剣に死ぬかと思ったぜ。
だが、全身で感じるこの全能感はどうだ!? 吹き抜ける風が心地よい!
「く、来るな……!」
すっかり怯えてしまっている悪の魔法使いに対し、俺は悠然と近付く。
「す、凄ぇ!」
「なんて男らしい奴なんだ!」
「堂々としている!」
兵士達が口々に述べる称賛の言葉が気持ちいい。
「俺はこの世界を救う英雄、その名も!」
俺が最高にハイな気分で名乗りを挙げる直前、ラザロの頭部が“消失”した。いや、より正確に言えば視認困難な程の速度の斬撃が彼の首を切断し、吹っ飛ばしたのだ。もちろん、やったのはイリヤさんだ。表情ひとつ変えずに魔法使いを絶命に至らしめた。
主を失い崩れ落ちるラザロの体。やがて、肉体は漆黒の煙となって霧散した。後には彼が纏っていたボロ布だけが残った。
イリヤさんが、剣を振るい汚れを落としてから鞘に納め、俺と向き直った。
「バカなっ……! あのイリヤ様にっ!?」
「俺達には出来ないことを平然とやってのける!」
「そこに痺れる憧れるぅぅ!!!」
兵士達も俺のあまりの強さに拍手喝采である。うぅーん、風が心地よい。……なんかおかしくないか、兵士達の褒め方。
「お前、な」
何故かうんざりしたような口調のイリヤさん。
「はい、すみません、やはり俺は強すぎたようです」
オレが胸を張るとイリヤさんが、俺の体の下部を指差した。
「……え?」
「隠せ、バカ」
「……っ!?」
俺の腰布が、無くなっている!?
バカな……そうか! ラザロの魔法は俺本体にはダメージを与えなかったが腰布だけを見事に吹き飛ばし、この俺に深刻な風評被害を与えたわけか! くそっ、これじゃお嫁に行けない!!!
「イリヤ様にあんな変態的な行為をして無事でいられるとは!?」
「なんて凄い男なんだ!」
「剛胆!」
そういうことかよ、兵士達……。そしてラザロが怯えていたのも俺が全裸だったからか。
「早く隠せ、斬るぞ?」
「ひえっ! すみません!!!」
酒井雄大の装備が、“ゴブリンの腰布(とても臭い)”から“魔法使いのボロ布(かなり臭い)”にランクアップしたぞ!やったぜ!