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#21 決着

 俺とコークスの戦いはいよいよ佳境を迎えている。こちらの被ったダメージはいくつかの切り傷と、コークスの歯が突き刺さった左足首からの出血。まぁ、これくらいなら想定の範囲内だ。


 コークスは両膝へのローを効かされ、彼の強さの根幹であるボディバランスを失っている。右拳は薬指と小指を骨折。歩行が困難、そして鼻を潰されたことで呼吸もままならない状態。


 とはいえ、戦いに対する執念は尊敬に値する。まだ向かってくるとは。

 だが俺も手を抜いてやるつもりはない。こいつは放置しておくには危険すぎる存在だ。


 静けさが、闘技場を支配している。いつもなら多分、大歓声に包まれているであろう場面で声援が上がらない。観客たちも戸惑っている。俺がいくら前評判のいい選手だからといっても、コークスを相手にこれほど一方的な試合運びになるとは予想できなかっただろう。それに俺が使っているのは未知なる技術だ。観客の理解は追いついていない。


 静寂の中、ゆっくりと俺は歩みを進める。


「降参するなら今のうちだぞ」


 一応、訊いておく。コークスにその意思があるのかどうか。


 無言で、口の端から血を滴らせながらコークスは前進。ともすれば嗤う膝を無理やり酷使しながら。


 まだ、ここに至ってもなお、コークスの勝利の可能性は残っている。俺を捕まえ、筋力にものを言わせて首をへし折るなどといったパターンだ。とにかく体格差、筋力差は歴然なのだ。そこだけは注意しておく。


 今思えば、昨日1日ローキックを練習していて本当に良かった。しっかりと自信をつけて本番へ臨むことが出来たから。あれが無かったらきっと不安に苛まれ戦いの最中にどこかで判断を誤ってしまっていたかもしれない。


 今、俺の目の前にいるのは軽く押せば倒れるほど脆い、一匹のゴブリンに過ぎない。最強の剣闘士の面影はそこにはない。


「降参するつもりは無いということだな?」


 コークスは俺の問いかけを無視して右拳を握りこんだ。左手で、折れ曲がった指を拳の中へ強引に押し込んで固める。その激烈な痛みをも上回る、闘争本能。


 こいつがここまで上がってくるのはどれ程困難な道程だったのだろう。奴隷の身分からスタートして王都で一番の剣闘士になるまでの間に、コークスはどれだけの試練を乗り越えてきたのか。知る由もない。計り知れない。俺の想像できる範疇にはない。

 異世界の困難は俺にはわからない。けれど、スター選手になったからといって何でも許されるわけではない。品行方正であれと偉そうに言うつもりではなく、あくまで俺が自らの意志と判断基準で動いているだけだ。


 コークスが両拳を持ち上げる。既に俺は奴のパンチが届く圏内にいる。この期に及んで殴り合いか。


「俺は……俺は最強の……」


 歯がほとんど折れてしまっているからコークスの言葉は酷く聞き取りづらい。息も絶え絶えで、喋っている。


「最強の……剣闘士だ!!」


 巨大な右拳が俺に襲いかかる。が、喰らわない。スウェーバック、そして痛めている拳の外側へ右ストレートを当てる。


「ぐうっ!!」


 激痛が跳ねたことだろう。苦し紛れに左のフック。これを上体を沈めて回避。ボクシングなら、ここからボディを狙うのもいいが、俺は違う個所を。コークスの痛めている右膝へ拳を叩き落とした。


「ぐわあっ!!」


 コークスが痛みに後ずさりしようとする。すかさず踏み込んで顔面へワンツー。それから左膝へのロー。俺の執拗な攻撃に、たまらず尻餅をつくコークス。声にならない声を上げ、のたうち回る。


 さて、剣闘士試合はどうやって決着するんだっけ?

 一方の明らかな戦闘不能か、ギブアップの意思表示だ。


 コークスはギブアップしないと決めている。ならば戦いはこいつが戦闘不能になるまで続く。誰の目からしても勝敗はもう決まりきっている。それでもストップの声がかからないのはこれが重要な賭け試合だからだ。大金が動いている。中途半端な所で試合が終わると文句を言う輩が必ず出てくる。コークスがたとえ手足をもがれ地面に這いつくばっていても、まだ動いているうちは試合は終わらないだろう。


「立てよ、コークス」


 俺が、きっちりとこいつに引導を渡してやる。殺しはしない。だからナックルダスターを装着してきた。死なないように、だか二度と暴れる気など起こらない程度には、コークスを破壊するために。


「この……俺が……」


 もう意識が朦朧としている。それでも立つ。さすが、己こそが最強という矜持(きょうじ)の成せる業か。


「お前の連勝記録は今日で終わる。お前の最強幻想は、ここで終焉を迎える」


「させねぇ……俺が……さいきょ」


 深く抉り込むように、俺は左拳をコークスの鳩尾へ。筋肉の鎧は意識が薄れるのに歩調を合わせ段々と柔らかくなってきている。この状態なら、衝撃はしっかり内部まで届く。


「ごはっ!!」


 血と唾液。

 更に追加で右のレバーブロー。これも効いた。腹を抱えて、コークスはくの字になって悶絶する。


「今のは、マグナスとエリーの分だ」


 アルコール・コーリング。固く握りしめた拳を持ち上げて観客席から俺を見下ろすマグナスの姿。潰れていない右目から涙を流している。俺の声が、聞こえただろうか。いや、聞こえなくていい。しっかりと見届けていて欲しい。


「そして!」


 右足がコークスの股間へ潜り込み、急所を蹴り上げる。


「おぶっ!?」


 目を剥いて股間を押え、横倒しになるコークス。


「今のは、お前の発言で不快な思いをしたイリヤさんの分」


 両手を打ち合わせ喝采を上げるイリヤさん。その横でジュークも感嘆の表情をしている。この会場にはいないがシトリも、もしかしたら屍体を観客席に忍び込ませて俺の戦いっぷりを見ているかもしれないな。


「がっ……がはっ……」


 陸に打ち上げられた魚のように小刻みに痙攣して泡を吹いているコークス。もうそろそろ誰かが止めに入ってもいい頃合いだと思うが……何のアクションも起きない。この広い闘技場に俺とコークスの2人だけ。止めに来る者は無し。だったら継続だ。


「もう降参か?」


「がっ……ガキがっ……」


「ガキじゃないんだけどね、こう見えて結構歳いってるよ?」


 やはり、アジア人は幼く見られがちだな。


「ひねり潰してやる……」


「まだ立てるのか。さすがは元・最強の剣闘士」


「ぬああっ!!」


 テレフォンパンチだ。見なくてもかわせる。コークスの左フックを顔面スレスレで通過させ、返す刀で俺も左フックを放つ。コークスの顎先をかすめるようにして、ヒット。最高の場所だ。脳震盪を起こすには絶好のポイント。


 コークスの顔面が衝撃に横を向いた。脳が頭蓋骨の中で跳ね回る水っぽくて生々しい音をスキルが拾う。これは、決定打だ。


「……あがぁ……」


 何かを言いかけ、コークスは動きを止めた。そして白目を剥いた。


「今の強烈なのは俺がムカついた分……って、もう聞こえてねぇか」


 コークスは倒れない。立ったまま気絶している。


 俺は深呼吸をした。肺一杯に空気を取り込んだ。酸素が送り込まれて細胞が一気に蘇るような錯覚。異世界の空気は美味いな。そんな事を思った。


「コークスよ、気を失っているのならお前のその薄汚い“魂”で聴け! これから俺が打つのは、今までお前が一顧だにせず、何の葛藤も良心の呵責もなく、奪い、甚振(いたぶ)り、葬ってきた者達の分だ。悔い改めなくてもいい。ただ、」


 ゆらりとコークスの両手が動いた。無意識に体が戦おうとしているのだ。すさまじい、勝利にかける想い。それが純粋なものであるならどれだけ良かったことか。


「因果は巡り、全てお前自身に跳ね返ってくると、」


 こいつは私利私欲のためだけに、その拳を、剣を振るう。

 俺は何のために?


 今、ここに答えはない。

 きっとここから、これから俺はその答えを探しに行くのだろう。


 さしあたり俺が成すべきことは一つ。

 こいつを……裁く!


「その身を以て……知れ!!」


 咆哮と共に体が動く。拳が、空気を切り裂きながら(はし)る。一瞬後に初撃がコークスの折れ曲がった鼻頭を叩き、次から次へ、またその次へと、俺の両拳は無数の(つぶて)となり物言わぬ肉の塊と化したゴブリンを打ち抜いてゆく。


 ドドドドドドドドドドドドドッ!!


 その音が、反響が、拳骨から脳へ駆け抜ける。無数の乱打が無防備なコークスの全身を襲う。打つ。打つ。打つ。そして打つ。


 刹那、痛みの衝撃か、わずかに残った闘争本能か、白目を剥いていたはずのコークスの瞳に色が戻った。


「……があっ!!」


 雄たけび。俺の顔面に飛んできたのはコークスが吐き出した大量の血液。当たる寸前で目を閉じた。顔に温かな鮮血のシャワーが降り注ぐ。


 頭上から、コークスの両拳が合わさり鉄槌となって俺に降ってくる。当たれば頸椎が砕け散って背骨もろとも破壊されてしまうだろう。それほどの威力。最後の最後、コークスの逆転の一手。


 それすら、


 空を切った。


 目つぶしは俺には効かない。ぐいっと腕で顔面に付着した血を拭い去り、俺は目を開く。燃えるようなコークスの瞳。それを見下ろし、鋭く、肺に残った空気を吐き出す。唇から細く呼気が漏れ、体幹が回り、筋繊維が蓄えた力を解放する。


「オラアッ!!」


 ドゴオッ!!!


 顔面へねじり込む右拳の一撃が、コークスの巨体を回転させながら吹っ飛ばす!


 地面へ熱烈なキスをしながら数メートルを滑って、邪悪なる剣闘士の肉体はようやく静止した。


土煙が、風に舞う。


 まだこの期に及んで、声を発する者はいない。

 イリヤさんも、ジュークも、マグナスも、サコンも(あ、コイツもいたんだ)、ほかの観客たちも。


 勝利者コールのようなものも無い。


 コークスは完全に動かなくなった。俺の勝ちは確定した。


「ふぅ……」


 息を吐き、全身から緊張をゆっくりと抜いていく。

 そして、拳を高く高く、俺は突き上げた。


 すると……


 パチ、パチ


 小さな拍手の音を最初に鳴らしたのは、イリヤさんだった。

 続いてニコニコ顔でジュークが拍手した。


 さざ波のように、拍手は人々の間に伝播してゆく。やがて一つの大きなうねりとなって会場を包み込んだ。更にスタンディングオベーションと大地を揺らすほど轟音の歓声が一気に爆発する。


「「「「「おおおおおおおおおおおおっ!!!!!!」」」」」


 拳を上げアピールをする俺に向かって、あらんかぎりの雄叫びがスコールみたいに降ってきた。何て……何て気持ちがいいんだろう。


 俺は勝った。宣言通り、最強の剣闘士である灰色ゴブリンのコークスを、打ち倒したのだ。

 この瞬間、剣闘士試合の歴史が変わった。

 いよいよ、俺の運命はここから、大きく動き出してゆくことになるだろう。


 いつまでも鳴り止まない拍手と大歓声に包まれ、俺は崩れるようにその場にへたり込んでいた。気が抜けると、いきなり全身が鉛を詰めたみたいに重い。こんなに体を酷使したのは生まれて初めてだった。疲労なのか酔いなのか、あるいはその両方か。ダメだ、立ってられない。


 砂の上に大の字に寝転がって、闘技場の遥か上空、真っ青な空に悠々と揺蕩(たゆた)う雲を眺めてみる。それから、


「あぁ……しんど!」


 誰に聞かせるでもないざっくりとした感想を言って、俺は目を閉じたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] バトルの熱と余韻が感じられる所ですね! ただ長くなっても読者が離れると言う恐怖心から、なろう作品はとにかく秒殺が多いんですが、結局それでは表現者として進歩しませんからね。 秒殺には事前の…
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