#20 暴威を打ち砕く“牙”
ローキックというのはとても地味で見栄えのしない技だ。相手の足を蹴る。それだけ。こんなのでノックアウトが狙えるのかと思われそうだが、実際にはうまく当てれば相当効く技だ。
俺は格闘技経験はゼロである。動画では結構見ているが自分でやったことはない。そんなど素人の俺がここまで動けているのはアルコール・コーリングのおかげだ。自分の体をどう使えばいいのかは、スキルが教えてくれる。
コークスとの試合を1日先延ばしにしたのには訳がある。パンチが問題なく打てることは事前に確かめていたから疑いようもなかったのだが、キックはこの世界ではほとんど使ったことがない。せいぜい、ケルベロスと距離を取るために使った前蹴りくらい。スキルの補助があるとはいえ、コークスほどの筋肉ダルマに効かせる蹴りを放てるのかどうか、これは検証しておく必要があった。ぶっつけ本番でやるにはリスキー過ぎるという判断である。
なので昨日、イリヤさんに頼み込んで屈強な兵士達を大勢集めてもらって実証していたわけだ。
この世界の人間は体格がいい。しっかりと栄養のある食生活を送っている証拠だ。王都ロメリアはそれだけ豊かだということ。イリヤさんが呼んできた20余名の兵士達の中には、肉体の威圧感だけならコークスとほとんど変わらない人もいた。190センチは優に超えていようかという巨体の兵士も複数名いたのだ。彼らを相手に1日かけてみっちり練習した。
アルコール・コーリングによって得られる蹴った時の反響音から、どれだけの威力が載っているのか分析。最も効くポイントを割り出し、最適なフォームを作っていった。
イリヤさんでさえ、ローキックが何故これほど効くのか理解不能な様子だった。さもありなん、下段蹴りという概念自体、ここでは起こりようがない。肉弾戦というのは稀な世界だからだ。
剣闘士や一般兵は武器を持って戦う。魔導師ならば魔法だ。
いずれも、それに応じた戦い方や受け方がある。
剣術には相手と距離を取る為の前蹴りくらいならあるだろう。しかし相手の足を痛めつけることに特化したローキックなど使う場面がない。よって技術体系が発達するはずも無い。剣で斬る方がよっぽど効率がいいからだ。
魔法なんかもっと極端だ。そもそも相手に触れさえしない、と思う。
俺の予想は正しかった。
イリヤさんはもんどり打って倒れ苦悶に顔を歪めている屈強な男達を見て「魔法か?」と俺に訊いてきた。理屈を知らねばそう見えるのは仕方ない。俺が不安定な体勢から苦し紛れに蹴っているように見えたかもしれない。
ローキックが何故効くのか、これを理屈によって解説しても、実際に喰らったことのない人間には理解しづらいと思う。
そういえば俺は過去、会社の同僚でキックボクシングのジムに通っている格闘技好きから一回、蹴ってもらったことがある。たった一発のローで、その日1日歩行が困難になったものである。加減を間違えた、とその人は笑ってたっけ。
ローキックの効く場所は太腿裏側と膝。
今回俺が狙ったのは膝だ。しっかり入れれば少ない回数で破壊できると睨んでのこと。
太腿を打つ場合、肉離れを起こさせて足を使用不能にするわけだが、コークスほど大腿筋が発達した相手の場合、数発では効かない可能性が高い。
それに太腿にいいのを入れるにはかなり深く相手に潜り込まないといけないし、俗に言う“落とす”ローキックという蹴り方をしないといけない。
コークスの方が俺より30センチくらい長身であり、腰の位置も高い。太腿に斜めに叩き落とすようなローを入れる為には蹴り足をかなり高く持ち上げる動作が必要になってくる。
俺の股関節は硬い。ミドルでもギリギリ、ハイなんか放てるわけがない。スキルを使っても体の柔軟さは変わらない。身体的な制約が多いから、こちらを狙うのは難しいと判断した。
膝なら、太腿より位置も低く狙いやすい。それに膝関節は骨と筋の繋ぎ目で筋肉の薄い箇所だからガードを知らない相手に対しては非常に少ない回数で効かせることが可能だ。
この蹴る位置による効き方の違いも、確認済み。俺に抜かりはないのだ。
コークスは俺のローを受けた時、何とも言えない表情になった。俺が何をしたのかわからなかったのだろう。
一発だけ蹴って俺は即座に暴風域から離脱した。
コークスの左の斬撃がスレスレで通過していく。
いい当たりだった。効いたはずだ。俺は確信している。コークスはポーカーフェイスを決め込んでいるが内心、驚いたはずだ。骨にまで響いた衝撃に。
そしてオマケで右拳も使用不能にしてやった。薬指と小指がへし折れて本来曲がらない方へ向いている。あれでは剣をしっかり握り込むのは無理だ。
「何なんだ、今の蹴りは?」
コークスの額から一筋の、大粒の汗の球が滑り落ちた。
「さぁ……何だろうな」
コークス優勢の流れからをぶった切って打撃を捻じ込んだ俺の行動に、観客席が水を打ったように静まり返る。未だかつて見たことのない俺のモーション。それに観客の思考回路が追い付いていない。
イリヤさんのニヤリとした表情。そして隣に座るジュークの息を呑む音が俺の鼓膜に届く。いい反応をしてくれる。うれしいじゃないか。
「どうしたコークス、ちょっと蹴られただけでビビっちまったか? さっさとかかってこいよ」
右手の人差し指をクイッと折り曲げて、挑発する。それにちょっとばかし口角を上げて薄ら笑いを浮かべてみる。
コークスは怒りを顕わにして、踏み込んで来た。その右足が、膝からカクンと曲がる。
「なっ!?」
膝に力が入らなかったのだろう。そんな現象これまで一度たりとも味わったことがないはずだ。あまりにも、隙だらけのコークス。俺がこの好機を逃すわけがない。
右ストレート。ガラ空きの顔面に突き刺すように、ブチ当てる。ドンピシャだ。コークスの鼻頭を捉えた拳は深くめり込んでコークスの顔面を跳ね上げさせた。
それで終わりではない。再度、右膝へロー。これもクリーンヒット。更に追加でもう一発。当たる。対処法を知らないコークスには面白いようにローが当たる。
「ぐあああぁっ!!」
怒りか痛みか、絶叫しながらコークスは剣を叩き降ろしてくるが、狙いが雑過ぎる。半身になって余裕の回避。
憤怒を隠さぬコークスと、視線が交差する。
ベタ足では絶対に、ローは防げない。足を持ち上げて脛で受け流さなくてはならないのだが、そんなのこいつが知るはずがない。というかこの世界では誰も、それを知らない。
足は自重を支える重要な役目を担っている。関節を痛めるということは歩行する度に自分の重さでダメージを受けるということ。ローが効いてしまうとまともな踏み込みは出来なくなるのだ。片足を失うに等しい。
コークスの対処法は、最悪だった。言う事を聞かぬ右足の筋肉を最大限まで固めて、根性で蹴りを耐えようとしたのだ。それは逆効果だ。筋肉を絞って関節を固めてしまえば、ローの威力はよりしっかりと届いてしまう。俺にとっては願ったり叶ったり。
が、性格の悪い俺はここでフェイントを織り交ぜる。大きめに腰を回し、コークスの視線を下へ向けさせた。ローを蹴ると思い込ませ、ジャブとストレート。典型的なコンビネーション。綺麗にコークスの顔面を打つ。嫌がって背を丸めようとしたコークスの左膝にロー。剣をかわして大きく後退する。
いい動きが出来ている。剣闘士というよりも、“拳闘士”だなこれじゃあ。
コークスの鼻が完全に潰されて横を向いた。鼻呼吸を奪った。これも地味に後々意味を成してくる。
ゴブリンの骨格が人間のそれとほぼ変わらなかったというのはラッキーだ。効果的なヒッティングポイントが同じになる。体格や筋肉量、内臓の位置や種類には若干の違いがあるようだが、これは誤差の範囲内だ。
俺はレバーブローやミドルキックなんかで内臓にダメージを蓄積させる方法を取らない。あくまで狙いは膝関節と顔面だけ。先に膝の自由を奪ってから、下がった頭部に嫌という程打撃を浴びせ掛ける。
黄金パターンに、徐々に入りつつある。
コークスの呼吸が荒くなっている。だらしなく口を開いて、唾液を滴らせていた。そこに血が混じる。ほぅ、こいつの血はくすんだ青色なのか。灰色ゴブリンというのは緑色ゴブリンとは血の色が違うんだな。色素の違いかな。
鼻呼吸が出来なくなると、口呼吸せざるをえない。だからコークスは口を半開きにしている。いい兆候だ。咬筋が弛緩しているこの状態からは威力のある打ち込みは出来ない。歯を食いしばれないからだ。
「辛そうだな、ギブアップするか?」
「……貴様、この俺を、愚弄する気か!?」
一本だけになったロングソードをしっかりと両手で握り込み、コークスは吼えた。斬り下ろしを俺に回避され、たたらを踏んで地面に倒れる。膝の踏ん張りが効いていない。
無様に地に両手をつき、起き上がろうとするその顔面を掬い上げるようにしてサッカーボールキック。開いた口元に食い込んだ俺の背足がコークスの歯をまとめてへし折った。
グギィ!!
下手すれば頸椎を損傷しかねない威力だが、さすがにコークスの首はそこまでヤワではない。
嗤う膝を酷使し無理矢理立ち上がり、俺に覆いかぶさろうとしてくる。剣は既に手放していた。俺を捕まえて、腕力でどうにかするつもりだろう。
鬼気迫る表情だ。大量に吐血し、歯も失い、ぽっかりと空いた空洞から声にならぬ声を上げている。
ここまで痛めつけられたら、戦意を喪失していてもおかしくない。俺だったらとっくに戦うのを諦めて命乞いしているところだ。
コークスの抱き付きを避け、ステップを踏んで距離を取る。
足下を見ると、コークスの折れた歯が数本、俺の足首に食い込んでいた。まるで奴の執念のように。屈みこんで、一本ずつ抜いていく。ちょっと痛いじゃねぇか……。
ふらふらしながら、コークスはそれでも前進を止めない。多分、気絶するか死ぬまで俺に向かってくるだろう。
恐るべき相手だ。しかし勝敗はもう、決したと言っていい。
目の前で繰り広げられる一方的過ぎる勝負に、観客たちは困惑していた。どうしてこうなるのか。何故、最強の剣闘士たるコークスがこうも易々と翻弄されているのか。
全ては未知なる技術のせいだ。野生動物と較べれば脆弱過ぎる人間が幾星霜を賭けて編み出してきた“武術”という牙。そしてそれを完璧に遂行させる俺だけのスキル、アルコール・コーリング。
魔法無き世界からやってきた“魔法”は今、悪逆無道のゴブリンを討ち滅ぼさんとしている。コークスの、血に塗れ欲に塗れた威光を叩き潰すべく、拳を固める。
「さぁ、そろそろ終わりにしようか」
俺はそう、宣言した。