#19 魔法無き世界の“魔法”
とてつもない風圧を伴って、俺の頭上をロングソードが通過した。回避は余裕をもって行ったが、かわせるとわかっていても背筋が凍るような一撃だった。試合開始早々突っ込んできたコークスは2本のロングソードを水平に揃え、横薙ぎに斬りかかってきた。まともに喰らえばダルマ落としみたいに俺の胴体がスライスされて地面に転がることになっていただろう。
「おおおぉ!!」
低い体勢になった俺に向かって追撃が迫る。双剣の振り下ろし。ステップで後退。しかし安全圏に脱出することは叶わなかった。離れれば離れるだけ、コークスは距離を詰めてくる。そして剣の乱れ打ち。一見そこに技術らしきものは見当たらない。だがそもそも双剣を難なく扱うことが出来ている時点で実は相当に技巧派であることがわかる。
二刀と言えば日本で最も有名なのはやはり二天一流の宮本武蔵だろう。かの剣豪でさえ、二刀として用いたのは太刀と脇差のセットだ。つまり二つの刀の用途は始めから異なるという前提があるのだ。メイン武器と、それを補佐するサブ武器という考えである。更にこれが海外に目を向けると、双剣というのは攻撃と防御、すなわち片方は盾の代用品として用いるという思想も存在する。いずれにせよ、両手に同じ武器を持ち、同じように振り、あまつさえ攻撃の手数が二倍になるとかいうゲーム的思考は現実世界の剣術においては甚だリアリティに乏しいものであるということだ。
が、例外は往々にしてある。コークスはどうだ。右手にロングソード、左手にもロングソード。このチョイスの時点でナンセンスであるにも関わらず、両腕を巧みに操り、縦に横に、上に下に、自在に剣をコントロールしている。武術というより舞踊に近い動き。たおやかであり、全身から殺気立っていなければ演武を披露しているようにも見えたであろう。
剣の重さをまるで感じさせない振り回し方だ。タオルでも振っているようだ。あまりの剣速に、目視では刀身がしなっているように錯覚してしまうほどに。
追いかけられながら俺は観察を怠らない。コークスの剣の動き。それを可能とする、人間を遥かに超越したゴブリンの重厚な筋肉の動き。体幹の粘り。俺のスキルは一つ一つ丁寧に音を拾い上げて蓄積する。そして体内での音の“起こり”は当事者の知覚よりも先だ。ということはつまり、俺はコークスの攻撃意志よりも早く奴の動きを察知できるということ。
まるで攻撃予知。これがアルコール・コーリングのチートなところだ。
かといって、俺自身は人間の範疇を出るほどの身体能力は有していない。あくまで、先読みがあるからこそ回避できているに過ぎない。故に一瞬の油断が命取りであるという状況に依然、変わりは無し。
ロングソード×2という装備は懐へ潜り込まれると途端に不利になる。大剣では咄嗟の突きも繰り出せない。一応、十字鍔や刀身で叩いて突き放すくらいなら出来るが、そうしようにも剣自体の重さは仇になるはずだ。
コークスは間合いを調整してロングソードの先端が俺にギリギリ届く距離を保っている。この調整が絶妙にうまい。不用意に飛び込めない。剣は先端部分が最も高速で動いているから斬撃の威力の観点からしても合理的。さすが、戦い慣れている。
ふいに拳を持ち上げ、接近する素振りを見せてみた。が、焦らない。右手の剣を袈裟切りに振り下ろしてくる。俺が下がったと見るや、左足で半歩踏み込んで左の剣を俺の喉元へ突き込んできた。これでまた大きく後方へステップバックせざるを得なくなった。
やはり、強い。虚仮脅しの二刀ではない。まるで刃物が取り付けられた腕だ。コークスは意のままに双剣を駆使し、俺を近付けさせてくれない。
このまま動かし続けて奴の疲労を誘うか。それもいいが、果たしてどれだけ時間が必要だろう。俺の方が先にヘバってしまうと思う。
やはり剣を手放してもらうのがいいかな。コスパの観点からしても、よりグッドな選択肢だ。
注目すべきは奴の“握り”である。剣を把持している巨大な手にスキルをフォーカス。剣の達人の“握り”を解剖する。
アルコール・コーリングの精度なら、奴の手の中で剣がどういう風に握り込まれているのか、また各指がどの程度の力加減で握られ、あるいは離されているのか全て“掌握”できる。
俺にとっての利点は、コークスよりも握り拳が小さいこと。これにより俺はよりピンポイントでコークスの拳を叩くことが出来、コークス側は俺の攻撃をより受けやすくなっている。
まさか俺がこれだけ回避を続けながら並列処理でコークスの動作を丸裸にしているなどとは夢にも思うまい。
そして奴の“握り”の全容がいよいよ判明した。
四指の付け根の関節でグリップ部を軽くホールドし、親指を必要に応じて立てたり押さえたりして剣を握っている。この握りと親指の動かし方はカッターナイフのスライドをカチカチと動かして刃を出したり仕舞ったりする動作に似ている。掌を丸めてソフトに握り込みながら、相手との距離に応じて掌中でグリップ部をスライドさせて刀身の位置を微調整したり、親指をスナップすることで簡単に表刃と裏刃を切り返すことが出来るようだ。
これを、両手とも同様に行っている。極めて高度に訓練された両利き、というわけだ。
さて、ではどのタイミングでこちらの拳を“差して”行くかを考えなくてはならない。
暴風雨のように回転力を増しながら迫る二刀に対し、ギリギリのところで避け続けている俺。しかしシャツは所々切り裂かれ、うっすらと皮膚からも出血している。出来るだけ距離を離したくない。隙を晒した瞬間、最速で反撃を入れんが為だ。多少のリスクは俺も冒す必要がある。
コークスの懐が深い。剣の間合いにいては、俺がずっと温めている秘策も使えない。単純に届かないから。
一つずつ、薄皮を剥いていくように、丁寧に下ごしらえしていかなくては。
縦の斬撃。これを右側へ回り込むようにして回避。即座に胴体へ叩き付けるようにコークスの左の剣が横薙ぎ。この動きには手が出せない。スウェーバック。ここで、コークスの右腕の筋肉が鳴った。振り下ろしたはずのロングソードが素早く持ち上がって斜め上へ。低い位置から突き上げるような刺突。
ここだ。
これを待っていた。
俺のスウェーはあくまで上半身だけ。下半身はそのまま残してある。すぐにでも、前傾姿勢へ移行できるように。
「しゃあっ!!」
前方へ体ごと投げ出すように、上体を折る。腰を捻って力を蓄え、コークスの突きを右肩の外側へ避けながら、柄を握るコークスの右拳に対し、下から強烈なアッパーカットを叩き付ける。
四指のうち外側、すなわち薬指と小指を、ナックルダスターに包まれた拳骨が強かに打つ。
パキッ
意外にも呆気ない音が、コークスの拳から俺の鼓膜へ届いた。
その直後、奴の表情に陰り。顔をしかめ、右腕からロングソードが離れた。
「ぐっ!」
その呻き声を聴いた瞬間に俺は一歩、右足を深く踏み込んでいた。
今、この瞬間だ。
好機はまさに訪れた。
これまでひた隠しにしてきた、俺の秘策。
帝国最強の女剣士イリヤさんをして「魔法か?」と言わせるほどの技術。
それは決して特別なものじゃない。
俺のいた世界には普通にあったもの。
でも、ここにはない。
それは何故か。
簡単なことだ、ここが“剣と魔法の世界”だからだ。
踏み込んだ右足から生じたエネルギーが全身に駆け巡る。体中の筋肉は全て連動しているのだと、俺はこのスキルを得て初めて実感として理解できた。
腰を捻りその勢いのままに左足を持ち上げる。体の軸が先に回るイメージ。足は、後からついてくる。遠心力を充分に載せて。
思えばコークスはいつも“ベタ足”だった。それは奴の剣の振り方が、主にその膂力に拠っているから。つまり上半身の筋肉だ。足は、相手との距離を保ったり追いかけたりするのには使うが、肝心の剣の振りにはほとんど寄与していない。だから基本、ベタ足なわけだ。
“剣と魔法の世界”ならばそれで良い。剣で勝つのだから。
この場合は幸いというべきだが、俺がいた世界では剣は最早過去の産物であり魔法はそもそも存在しない。
このことの持つ意味は大きい。
もし仮に魔法が存在したら、多分銃器類は開発されていなかっただろう。
それと同時に、俺のいた世界に魔法が存在したとしたら誕生することのなかった技術がある。
我々が武道と呼ぶもの、格闘技と呼称するもの。
それらが発展してきたのはひとえに、徒手空拳で戦う必要性があったから。
決してわかるまい。
この世界の住人達には。
考えも及ぶまい。
必要に迫られることのなかった者達には。
これは理屈によって繰り出す技であり魔法でもなんでもない。
だが初見では何故効くのかわからない魔法のような技だ。
この世界には魔法がある。
だからこそ逆説的に、俺の“魔法”の攻撃は防げない。
スパァン!
肉を打つ小気味の良い音がコークスの右膝から発生した。
俺の蹴り足が鳴らしたのだ。
その技は、ローキックと呼ばれる。
下段蹴り。
最高に地味で、見栄えなんかまるでしなくて、初心者でも簡単に使えて、
それでも、
最高に効く技術である。