#4 アルコール・コーリング
この俺、酒井雄大は異世界転移者である。道先案内人と称する秘書さんによってまさかの全裸転移させられた俺。もちろんただの変態ではない。特別なスキルを授けられている。その名も、
「“酔えば酔うほど地獄耳”?」
イリヤさんが思わず訊き返す。
「はい、どうやらそうみたいです」
つっても俺も詳細はよく知らない。だって使ったことないんだもん。
「異世界転移に、神から与えられた地獄耳のスキル、か。最近は妙なことを言う変態がいるものだな」
変態疑惑、未だ解けず。
「いやぁ、俺もそう簡単に信じてもらえるとは思っていませんが、一応嘘偽りはありませんよ?」
俺自身も戸惑っている。異世界転移という現象は以前から知っていた。もちろん、架空のものとして。空想上の産物として。だがそれが自分の身に起こることになろうとは。そして何より、せっかく異世界転移したのに、もらったスキルが微妙過ぎると思った。あんなダーツ、二度とやるもんか。やる機会ないだろうけど。
「ちなみに、まだゴブリンの残党がいるみたいですよ」
俺は言った。
アルコール・コーリング、それがこのスキルの名前だ。酔えば酔うほど地獄耳となる、効果はただそれだけ。地味だ。秘書さんから最初に聞かされたときは、とんでもない外れスキルだと思ったものだ。
今はどうか。
「なーるほど、な」
独り言を言う。そうか、酒を飲めば自動で発動するわけか。さっき神界で飲まされたワインの効果がもう、出てきているようだ。
やけに森のざわめきがうるさく聞こえる。木々の間を抜ける夜行性の動物の枯れ枝を踏む音。風が葉を擦れあわせる時に鳴るカサカサした音。声。「イタ」「二人」「囲メ」「獲物」「持ッテイク」「ヤラレタ」「バカ」
人の……声?
様々な環境音の中で一際鮮明に聞こえたのは、いくつかの短い言葉でやり取りする複数人による会話だった。
周囲を見回しても、それらしき姿はない。だが聞こえている。少しずつ、その声達はこちらへ近付いてくる。人間にしては妙にたどたどしい発音。
そして声や音の反響から、俺は周囲の状況をまるで“見ているかのように”捉えていた。イルカが海中で音波によって地形や障害物を確認するように、俺のスキルは森の中で蠢く存在をいち早く察知していた。
俺の鼓膜は、こちらへ向かって接近してくるゴブリンの存在をしっかりと認めていたのである。
「ほぅ、お前にもわかるのか。私には何体いるかまでわかっているが、お前はどうだ?」
挑発的にイリヤさんが尋ねてくる。
「4体、で合ってます?」
「正解だ」
得心してイリヤさんが頷く。
高感度センサーと化した俺の聴覚は周囲の物音を鮮明に聞き分け、必要な音へ即座にフォーカスすることが可能になっていた。今はゴブリン達の動きに耳を傾けている状態。
やがて、俺とイリヤさんを包囲するように後方から3体、前方から1体のゴブリンが姿を見せた。
「人間、逃ガサナイ」
後方の連中よりも上背がある前方のゴブリンが言う。こいつがリーダー格か。
「またその台詞か、代わり映えしない連中だ」
溜め息と共に剣の柄に手をかけるイリヤさん。
「「「アニキ」」」
仲間の声に応えて軽く手をあげ、口元に余裕の笑み。纏っている雰囲気が他の個体とは違う。
「あの、イリヤさん。一体何が起こっているんです?」
俺には状況がさっぱりわからない。このゴブリンどもは見るからに好戦的だが、どうしてイリヤさんと戦っているのだろう。
「説明は後だ。お前、戦えるのか?」
ゴブリンが距離を詰めてきた。」
「えっ、俺ですか!?」
「他に誰がいるんだ。もし戦力になってくれないのなら、その場で身を低くしていろ」
言いながらイリヤさんが重心を下げた。
「えーっと……いえ、お手伝いしましょう」
足元に落ちている棍棒に手を伸ばす。拾い上げて得物にしようとして、やはり止めた。扱い慣れない武器などに頼れば、逆に振り回されることになるだろう。むしろ、せっかく獲得したスキルについて、ここで理解を深めておきたい。
「何だ、そいつを使わないのか?」
「ええ、気が変わりました。素手で、いきます」
「ほぅ、何か格闘技を身に付けているのか?」
「そういうわけじゃないんですけどね。口では説明しにくいんで……」
「何ヲゴチャゴチャ言ッテイル? 命乞イノ相談カ?」
リーダー格のゴブリンは巨大な棍棒で肩を叩いている。退屈そうに言ってから、大上段に、得物を持ち上げた。
「来るぞ!」
「はい!」
イリヤさんと背中合わせに、ゴブリンへ対峙する。
俺が後方のザコ3体、イリヤさんはリーダーを。
役割は自然に決まった。
「殺セ!」
その号令で、ゴブリンが一斉に動き出した。
俺は、聴覚を研ぎ澄まし構える。
アルコール・コーリングを用いた初めての戦闘だ。
死と隣り合わせの緊張感、しかしそれを遥か上回る高揚感があった。
やれる。不思議なその確信と共に、俺は前へ出た。