#16 路地裏の流儀
「俺はもともと素手での格闘戦が得意なんだ。剣闘士になる前は奴隷の身分だったからな、もとより武器なんか持っちゃいなかった。様々な異人種の連中と殴りっこをしてよく遊んだものだ」
コークスは油断なく俺に視線を向けながら自分語りをしている。しかし先ほどの不意打ちがある以上、これも単なる雑談ではなく攻撃へ移る切っ掛けを探っていると考えた方が良さそうだ。
「俺にそんなどうでもいい話を聞かせてどうする? 同情でもすればいいのか?」
「いや、お前のことも知りたいと思ってな。どういう人間なんだ、お前は。その華奢な体のどこに、それほどのパワーがある?
魔法による肉体強化術か、それとも薬でもキメているのか?」
「秘密だよ。お前が倒れ伏していよいよ動けなくなったくらいで教えてやってもいいぜ」
「ハッ、そいつはいい。是非ともそうしてもらいたいね」
周囲の場を確認。土壁の建物もレンガの建物も、石造りの建物もある。長屋が多い。そして大抵の建物の入り口には扉が無く屋号的なシンボルを描いた暖簾が垂れ下がっている。これはアレだ、レンタルビデオ店のAVコーナー入り口のようなもの。扉があると気軽に入りにくく、かといって全開だと気恥ずかしい客の心理を汲み取った、程よくプライバシーを守るための折衷案。
地面には数名の死体。これは戦いが激しくなってくると邪魔になるかもしれない。足を引っかける可能性がある。リアルタイムでスキルの恩恵を受けている俺なら避けながら動くのは容易だが、コークスはそうもいかないだろう。トラップとしては使えるか?
今、この場で明かりとなっているものは建物の壁に取り付けられた大型の松明である。炎が妖し気に揺らめいている。俺とコークスの頭上、長屋の二階部分の高さに設置されている炎が風に煽られる度、足元で影が不規則に暴れる。
狭い路地、舗装されていない土が剥き出しの地面。その高低差も様々。つまり足場としてはいささか不安定だ。木箱がいくつか、建物に寄り添うように置かれている。ゴミ箱になっていたり、掃除道具が放り込まれていたりしている。
武器に転用できそうなものは手近には無い、か。ホウキなんか使っても意味なさそうだし。
コークスは両拳を肩幅に開いて持ち上げている。ボクシング的にはまるで洗練されていない素人くさい構えだ。しかしここで気を付けなくてはならないのは、俺とコークスとの身長差である。俺の身長は(四捨五入して)170センチ、対して奴は目測2メートル超。上背の違いは大きい。フライ級とヘビー級で戦っているようなもの。コークス側は敢えて拳で顎を守る必要すらないのだろう。俺が拳をそこへ届かせるためには、かなり深く踏み込んでのアッパーしかない。あるいは頭を下げさせるか。
どのような攻撃をするにせよ、基本的には上を取った方が有利だ。奴のあの巨大な拳を振り下ろされたら、俺など一撃で粉砕されてしまうだろう。
さて、どうするか。
考えが無いでは無い。一応、アイデアはある。だが実行できるのか。ここは少し狭すぎる気がしている。出来ればコークスの周囲を回りながら攻撃したい。
障害物も多く、路地が狭くて起伏があって、どうしても直線的なやり取りになるであろうこの場所では、今の俺のアイデアは使いにくい。反撃をまかり間違って受けてしまったら、その時点で俺の負けだ。耐久力の違いがデカすぎるな。
「攻めあぐねているのか? 周囲が気になっているようだが?」
「あぁ、出来るだけ建物は壊したくないなって思ってるよ」
「はっは、そいつは殊勝な考えだ!」
コークスは左の裏拳でレンガ造りの家屋の壁を破壊した。そして破片を掴み取る。
「俺は全く逆だ。使えるものは全て使う!」
破片を俺の顔面へ投擲、更に掃除用具の入った木箱を蹴り上げて、中身を空中に撒き散らす。奇襲と目晦しだ。
ナックルダスターを纏う拳でレンガを弾く。
コークスの踏み込みからの右拳。その辿るべき軌道は認知済み。目の前で漂う障害物達は視線の妨げにはなっても、俺にとっての妨げにはならない。むしろ、これは好都合。
ボゴォ!!
木箱を破砕しコークスの極太の拳が突き抜ける。もちろんそこに俺はいない。手近な木箱へ飛び乗り、更に上へとジャンプし、そこにある松明の腕木を掴む。松明は壁に設置されたホルダーに腕木部分を嵌め込むことで固定されているらしく、腕木を掴みながら引けばすぐに取り外すことが出来た。
落下しながら、油がたっぷり塗られ燃え盛る先端部分を棍棒のようにしてコークスの頭頂部へ叩き付ける。だが咄嗟にコークスの持ち上げた右腕に阻まれ、接触した衝撃で腕木がへし折れて先端は壁に跳ね返った。
宙に舞う松明。壁に当たって火の粉が爆ぜる。コークスも俺も、最初の奇襲は失敗に終わった。
着地した場所はコークスの目の前。至近距離。すまわち両者ともに、打撃の間合いの内。
折れた腕木など用はない。手を離す。が、これは前フリ。
コークスが剛腕によるフックを繰り出そうとする寸前、俺の右足が落下する腕木をサッカー選手のようにボレーしコークスの顔面へと飛ばした。
「ぬっ!?」
腕を止め、顔を傾けたコークスの右のこめかみを腕木は掠った。へし折れてギザギザになった部分がコークスの皮膚を切り裂いて出血させる。
一瞬生じた隙。好機!
左右の拳を立て続けにコークスの腹へぶち込んだ。その反発が腕から伝わり、スキルによってコークスの全身に積載された筋肉の分厚さを俺に感じさせた。数発程度では、たとえ急所に入れてもこいつは倒せない。数を打つ必要がある。
「おおおあっ!!」
三発目は出せなかった。咆哮を上げるコークスの、両手を組み合わせたハンマーフックが襲い来る。避けなければ頭部が体にめり込んで背骨まで全部粉々にされてしまう。身を低くしながら全身のバネで後ろへ跳ぶ。顔面スレスレを通過したコークスの拳は大地を叩いて、その威力でクレーターを生じさせた。大量の土煙が舞い上がって視界を塞ぐ。
「本当に、本当に面白い奴だ!!」
コークスの大音声が大気を震わせ俺の肌を刺す。奴の内部から沸き起こってくる破壊的なエネルギーの奔流に、思わず鳥肌が立った。戦えば戦うほどに、俺はコークスの危険な獣性を呼び覚ましている。そんな気すら、する。
「機転が利く、打撃も鋭い。何より一番いいのはこの俺に対して一切怖気づいていないことだ。どこにこれほどの男が隠れていたんだ。なぜもっと早く、俺の元へ現れてくれなかった!?」
「うるせぇよ、俺に言われても困る。あとちょっと、気持ち悪いよ。恋の告白みたいで」
「その通り、これは俺からの熱烈な告白だし、今俺たちが交わしているのは睦言に違いない。全身が、悦びに震えているのがわかるぞ。俺はずっと待ち侘びていたんだ。こういう戦いを、お前のような相手をな!!」
「バトルジャンキー極まれりって感じだな……。イリヤさん、助けてくれません?」
「ダメだ、自分で何とかしろ」
とても冷たくあしらわれてしまった。だが壁に背を預け両腕を組んで成り行きを見守っているイリヤさんが微笑しているのを、俺はスキルで確認している。
歴戦の猛者であるイリヤさんが剣から手を離して静観を決め込んでいる。それはつまり、俺を信頼し俺に任せて問題なしと判断してくれたということ。
有り難い。この俺が最強の剣闘士に勝ると、最強の女剣士からお墨付きをもらったわけだ。
だったらあまり格好悪い様は、見せられないよな。