#15 読み合い
じっと息を潜めている者達の気配。色町ネハンの娼館は表で繰り広げられる騒動の影響で静まり返っている。建物内から俺とコークスの戦いをこっそりと眺めている視線。アルコール・コーリングによる強力なソナーは、付近に何人いて、彼らがどのような体勢を取っているのか、どの程度興奮しているのか、男か女か、人間か否か、身長や体重、etc...無数の情報を収集している。
俺の脳へ送られてくる膨大な情報は俺の意志によって自在に収斂させることができる。今なら、注意すべきはコークスの動き。ピントを極限まで絞るカメラのように、必要とあらば奴の細胞の一つ一つの発する音まで、俺は傾聴することが可能だ。しかも、この過程はほぼオートフォーカスなのである。いちいち無数の音から取捨選択していては時間がかかりすぎる。煩雑な工程は全て、スキルによって一秒もかからずに自動で完了する。俺の意志をアルコール・コーリングは即座に感知し、必要に応じて必要な分だけ情報提供してくれるのだ。
一歩前へと踏み出す。その時に生じた地面を踏みしめる音。そこを足掛かりとして周辺の地形、オブジェクトの位置を正確に捕捉。コークスとの距離も確認。
自分自身とコークスとを交互にフォーカスし、それぞれから生じた音の反響を幾重にも脳処理し、このフィールド内での戦い方をシミュレートする。
コークスは俺の一歩に合わせて踏み込んできた。ツカツカと、散歩でも行くかのような軽やかな足取り。100キロは余裕で越えようかという巨体とは思えない、体重を思わせない足捌き。体軸がブレていない。骨格の歪みがない。真っすぐに、俺に向かってくる。
現代人であれば誰しも、生活習慣や職場環境を因子として、少なからず体が“歪んで”いるものだ。例えば俺は油断すると猫背気味になる。生来の陰キャである俺は大人になるまで視線恐怖症を患っていた。病院通いするほど酷いものではなかったが、とかく自分に自信が持てなかったせいでいつも俯いて歩いていた。恒常的に下を向いていたせいで、猫背になったのだ。ま、社会人になって変なプライドや自意識は衣服とともに吹っ飛んだので今は人前で裸踊りもできるほどだ。……成長したのか?
コークスは俺に対し直線的に歩いてくる。もし仮に地面に白いラインが引いてあれば、奴の歩みはその線上から一切外れないだろう。これはボディコントロールが完璧であることを示している。自分の思い描く理想の軌道と一切違えず、体を動かせているということ。スキルから得られたこの情報は重要だ。ボディイメージとボディコントロールが完璧にシンクロしているなら、例えば投擲武器を100発投げて全弾、同じ場所へピンポイントで当てることも出来る。剣で斬り付けるにしても、狙った箇所に狙った通りに刃を通すことが出来るのだ。
最強の剣闘士コークス。その最強たる所以の一端は間違いなくここにある。
だが、だからといって、それで俺が恐れをなして逃げ出すことはない。なぜなら俺も今や、コークスと同レベルに自分の肉体を操ることが出来るからだ。スキルによる自動補正は、情報の集積から俺にその場その場で最適なアクションを促す。武道の達人が何年も、何十年もかかってたどり着く境地へ、ものの数秒で俺を導いてくれる。
あまりにも自分勝手なこのゴブリンは、放置しておけばこれから益々増上慢になってゆくだろう。それに伴い無関係な人々の被る悲劇も比例定数的に増える恐れがある。誰かが止めなくてはならない。ならばその役目は俺だ。俺が、こいつに火をつけてしまった。
いよいよ打撃の間合いになるかという寸前で、コークスは立ち止った。俺を警戒したか。いや、その視線は俺の後方へと向けられていた。
「よぉ、ちょっと気になるな。帝国最強の女剣士さんよ」
俺の後ろにはイリヤさんが立っている。戦闘の邪魔にならないように距離は置いてくれているが、その手は未だ剣の柄にかかったままだった。
「私がどうかしたか?」
「そこに立たれたら、少し良くない。俺とこいつが乱打戦になった時、その位置からなら一足で斬りかかることが出来るだろ」
「私がそのような卑怯な真似をすると思うのか?」
「あんたのする、しないは問題じゃない。可能か否か、なんだよ俺が気にしているのは」
「ふん、なるほど。私のことが怖いからもっと後ろに下がってくれと、そう言いたいわけだ」
コークスは右の拳を持ち上げ自分のこめかみを掻く仕草をした。困ったな、というジェスチャーか。
「認めよう、俺は臆病なんだ。あんたほどの剣士に背中を見せて戦うのは無理だ。退いてもらえないか?」
懇願するように、コークスが言う。
俺はイリヤさんの方を向き、
「大丈夫です、イリヤさん。わかってますから」
そう言った。あぁ、わかっている。
イリヤさんが今、驚愕の表情を浮かべていること。
そして、コークスのサディスティックな笑みと、そのやり口も。
グォン!
俺は後頭部に迫ったコークスの右拳を身を沈めてかわして、右肘を脇腹めがけて深々と突き刺した。
「ぐっ!」
小さく呻いたコークスが背後へ大きく跳んだ。着地、近くに転がっている兵士の死体を蹴飛ばした。
「引っ掛からないかよ……」
「悪いな。この俺に、油断させてからの不意打ちの類は一切通用しないんだ」
イリヤさんへ雑談を仕掛けたのはあくまでブラフ。本命は会話の最中に俺の気が逸れた瞬間に叩き込む打撃。
しかし、俺のアルコール・コーリングはコークスの意図を筋肉の動きや呼吸音から予め察知している。
わかっているのだ、俺には。
「益々、燃えてくるじゃねぇか……」
獰猛な歯を見せて、最“凶”の剣闘士は嗤った。




