#14 暴虐のコークス
ダッシュで現場へ向かわなくてはならない時、どうすればいいか。
この時間では馬車はもう走っていない。厩に帰っているだろう。
こういう場面でもアルコール・コーリングだ。酒を飲むことで人間を超越した聴覚を獲得し、自分の走る足音から地面との反発力の程度を測り、最高の走行フォームを導いてくれる。この過程は自動補正であり、ほとんど無意識であると言っていい。
俺はスキルによって、陸上選手と同様の、運動力学的に最も正しい走り方をすることが出来る。
そして、これによって人類史上最速になったんじゃないかと自惚れていた俺よりもイリヤさんの方が遥かに速い。に、人間じゃねぇ……。
「私についてこられるとは、やるな!」
「ゼェ、ゼェ……ども」
全力疾走したせいで息も絶え絶えの俺に、イリヤさんが涼しげに声をかけてくる。呼吸が一切乱れていない。走りながら普通に会話してくる。どうなってんだ、この人は!
「もうすぐ、着くぞ!」
「ゼェ……」
イリヤさんが少しずつスピードを緩め始めた。
俺は酒を一気飲みした上にいきなりハードな運動したからもうヘトヘト……。
とはいえ泣き言いってる場合じゃないので、激しく息切れしつつも気持ちを切り替え、スキルのフォーカスを自分の体から一旦外しコークスへと飛ばす。
色町ネハン。入り組んだ狭い路地に、めちゃくちゃに増築を重ねたかのような不格好な長屋がいくつも並んでいる。建っている向きも間隔もサイズもバラバラの建物の隙間を縫うようにして通路がある。普段ならばこの時間はさぞや賑わっているのであろう。今は通行している者はいない。
道の上に横たわるフルプレートアーマーの兵士を椅子代わりに、コークスは座っていた。その他にも、数名の人間が辺りには倒れていた。
ピクリとも動かない人々。俺は最悪の想定をしながら、コークスから発生する音を足掛かりに彼らの心音を探る。
そして、理解した。
その理解は俺に怒りをもたらした。
何故、彼らを殺す必要があった!?
「どうした!?」
俺の表情に気付き、イリヤさんが声をかけてくる。
「コークスは、既に何人も殺しています。 兵士も!」
今の俺の声に、コークスが反応を示した。非常に近い位置に奴はいる。
のそりと立ち上がり、俺の声を頼りに歩き始めた。
無言のまま、俺は手でイリヤさんを制止する。このまま角を折れればコークスと遭遇することになる。俺が先行し、奴の姿が見えた瞬間、この拳を叩き込む。
ナックルダスターは既に装着済み。スキルによる恩恵で、俺にはコークスとの具体的な距離が数ミリ単位でわかる。
声には出さず、ただ、イリヤさんと見詰めあう。無言の確認作業。それが終わり、俺は動いた。音を立てず、そっと。
悠々とこちらへ歩いてくるコークスに対し、俺は曲がり角で両拳を持ち上げて構えている。
間も無く奴の頭が見える。容赦なく殴る。全力で。俺は覚悟を決める。
「おい」
いよいよコークスが残り一歩で姿を見せるという絶妙の距離。ここで逆に、奴が言葉を発した。
「なっ!?」
大気が唸った。巨大な拳が空間を疾走し、俺が背を預けていた外壁を粉砕した。
赤レンガのブロック塀が砕け散って、欠片が俺に降り注ぐ。攻撃の寸前にステップバックしていなければ、コークスの初擊をまともに喰らっていただろう。
「てめぇ……」
「ふん、やはり避けたか」
コークスは砂塵の中からその巨体を現した。ふてぶてしい笑みを顔面いっぱいに張り付かせ、2メートルを超す高さから俺を見下ろしている。
「殺気を隠しきれてないぜ。俺は敏感なんだ」
殺気、か。それはスキルではどうしようもない。自分の体から出る音には注意を払えても、俺の攻撃意志そのものを悟られてしまっては、隠れられない。
戦士としての勘か、経験の成せる技か、いずれにしても先手必勝のパターンはこれで潰された。
「嬉しいぜ、お前が来てくれて。今夜は興奮しすぎて眠れそうに無かったんだ」
「だからどうした!? ここの住人や兵士は、関係ねぇだろ!」
「いいや、関係大有りだ。この俺の気が立っている時に、気に障ることをした。だから死んだ」
「気に障ること?」
「店員は俺につまらん女をつけた。女は俺へのサービスを怠った。兵士は俺が“抗議”しているところへ割って入ってきた」
「そんな……それだけの理由か!?」
「そうだが?」
こいつは、モラルの欠片もない。ただ自身の快楽の為に、鬱憤を晴らす為に、虫でも殺すように人を殺す。罪悪感など微塵も感じていない。
「何を怒っているんだ? この世界は弱肉強食だろ。強い者は弱い者を自由にしていい権利を持つ。俺は最強の剣闘士、だから何をしてもいい。この俺が最強でいる限り、誰も俺を裁くことは出来ないんだよ」
「だったら」
イリヤさんが剣の柄に手をかけていた。
「ここで私が教えてやろうか。貴様が語る最強という肩書きが、幻想でしかないということを」
「構わん、その剣を使え。生憎俺は素手だが、ハンデとしては丁度いいだろう。死なない程度に痛め付けてから、“奉仕”してもらおうか」
「この下衆がっ!!」
「待ってください!!」
鞘から剣を抜き放ち踏み込まんとするイリヤさんの前に、俺は身を滑り込ませる。決して、手は出させない。
「お前! どけ!」
「先約は、俺です!」
もはや、試合の日まで待ってはいられない。こいつは今ここで、俺が倒す。
「面白い」
一歩下がり、コークスはおもむろに両手を持ち上げた。俺を手招きしている。
いいだろう。やってやる。そんなにお望みなら。
「手加減は無しだ。再起不能になってもらうぜ……コークス!!」
アルコール・コーリング。
周辺情報を全て、俺の脳内へ。
マッピング完了、コークスのフォーカスも完璧。
さぁ、行くぞ!