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#21 一日の終わり

 いい湯に浸かってリラックスし、布団に潜り込む。至福の時だ。枕に頭を乗せて天井を見上げる。これが元いた世界であれば、そこには電球がぶら下がっているはずだ。が、もちろん今は何もない。ただ、天井が見えるだけ。木で出来た梁と、土の壁。


 ストンと素直に眠りに落ちれたら良かったのだが、どうやらそうもいかないようだ。眠ろうとすると神経が昂ってしまって目が冴えてくる。旅行で良くあるやつだ。自分の家じゃないから寝付けない、旅先での軽い躁状態。


 今は酒が入っていないからスキルは発動していない。でも、周りが静かすぎるので小さな音でもよく聞こえる。例えば今、階段をギシギシと鳴らして人が下りてくる音だ。2階にはイリヤさんしかいないと思うので、必然的にこの足音はイリヤさんのものとなる。


 玄関の引き戸が開けられる音。外出するようだ。こんな遅くに、仕事だろうか。訝しみつつ、どうしたものかと思案する。後をつけたくなってきたのだ。どうせ、すぐには寝付けないし。


 そっと起き出し、廊下へ。板の間の上を歩くと、思った以上に大きな音が鳴ってしまう。

 素早く玄関へたどり着き、引き戸を開ける。建付けが悪いのか、戸はスムーズには開いてくれなかった。ギギッと摩擦音が響く。


 外は少し肌寒い。俺が転移したのは年末、すなわち季節は冬だったわけだ。こちらはそこまで冷え込んでいないので、もしかしたら春か秋か、それくらいの時期かな。季節感のあまりない土地柄の可能性もあるが。


 丸く大きな月が浮かんでいた。それと、満天の星空。圧巻の光景。大気の透明度が違うのだ。都会のように排気ガスに澱んでいない。そして周囲に余計な光源もない。だからこそ、そこには真実の夜空が広がっていた。躍動感すら感じさせるほどの星々の瞬き。プラネタリウムのようであり、プラネタリウムよりもなお、輝度が高く美しい大パノラマ。


 溜息が漏れる。異世界にも、俺がいた世界と同じ月と星がある。つまり同じ惑星なのだ。“第3の領域”とジュークは表現しているようだが、むしろ重なり合う世界はもっとたくさん、無限に存在しているのかもな。多次元宇宙、平行世界、神の掌の上に転がされるいくつものミニチュア。


 リズミカルな素振りの音が聞こえている。見れば月明かりの下、木刀を振り下ろすイリヤさんの姿があった。宿の水車の前で、暗闇の中、プラチナブロンドの髪が輝いて見える。

 反復運動を繰り返すイリヤさんは、ピタリと決まったその型から体が一切ブレていない。同じ場所を同じ軌道で剣が通過する。足捌きにもブレはない。まるで同じ映像を延々と再生し続けているように、帝国最強の女剣士の太刀筋は定まったコースから外れない。


 あまりにも精密で機械的な動作にしばし見とれているとイリヤさんの方から声をかけてきた。


「どうした?こんな時間に」


 素振りを中断して、俺の方を向いたその顔に、思わず息を呑む。青白く浮かび上がる完璧な造形の相貌、そして月明かりを含んで濡れたように光る水色の瞳。被造物めいているその姿。


「あ、いや、なんだか寝付けなくって」


 ドギマギしてしまう。返答に窮した挙句、しどろもどろで言葉を紡いだ。


「そうか」


 素っ気ない返事。実にイリヤさんらしい。


 何か話そうと思うが、何を話したらいいのかわからない。こんなときに気の効いた会話がスムーズに出来れば苦労はしない。俺は口下手だ。人付き合いが生来苦手な上に、こんな美人との会話だ。


 ふいに、イリヤさんが木刀を放り投げてきた。俺は慌ててそれを手に取る。


「お前も少し、振ってみるか?」


 イリヤさんはもう一振りの木刀を持ち、それを大上段に構えた。


 見よう見まねで、俺も同じように持ち上げてみる。


 こうしているだけで、腕に木刀の重さを感じる。これを振り続けるというのはどれほど過酷なことか。


 イリヤさんが素振りを再開した。大上段に構えて木刀を振り下ろし、持ち上げ、また振り下ろす。黙々と、同じ動作に打ち込む。力強い振りだが、余計な力みは無いように思える。振り下ろす際は剣自体の自由落下に任せ、あくまで腕はその制御に充てているような印象だ。


 打ち込みよりむしろ、攻撃から構えへの戻りに重きを置いているようだ。


 俺もやってみる。木刀を持ち上げ、イリヤさんと同じく大上段へ。両腕でしっかりと柄を握っているはずが、どうにもピタリと決まらない。そして、いざ振り下ろした時に剣の重みに体が引っ張られてバランスを崩した。前方へ剣の勢いに負けて体が流され、たたらを踏んだ。これは……予想以上に難しい。


 もう一回、もう一回と。


 段々夢中になってくるにつれ、剣を振ることだけに意識が集中する。雑念が、消えていく。


 どれくらいそうしていたのか、少しはマシに剣を振れるようになったところで、イリヤさんが動きを止め、俺に話しかけてきた。


「今日のところはこんなものだろう」


「は……はい」


 実はもう息も絶え絶えである。風呂に入ってさっぱりした体がもう、大量の発汗でベタついていた。腕の筋肉がプルプル震えている。体感として、向こうの世界にいた時よりかなり動けるようになっているみたいだが、それでも疲れる。むしろゴブリン、ケルベロス、ラザロとよくもまぁあんな連戦が出来たものだな、俺。


「お前もいきなりこんな場所へ来て戸惑うことが多いだろう。雑念に捕らわれそうになったなら、こうやって無心に剣を振るのもいい」


「た、確かに……これはちょっと余計な事を考える余裕がないっすねぇ……」


 俺は異世界転移についちゃそこまで深刻に考えていないわけだが、長期間こっちで暮らす可能性もあるわけで、体を鍛えておくことや剣を練習しておくことは大切だろう。あとは打撃の訓練だな。


 当初考えていたようなのんびりまったり異世界ライフを送ることは難しいのかもしれない。意外とシビアな世界。命の軽い世界だ。初日からまざまざと見せつけられた。


 イリヤさんは自分の木刀を麻袋に放り込んで肩に背負った。


「その剣はお前に渡しておく。好きに使うといい」


「あ、ありがとうございます」


「私はそろそろ寝るが、お前はどうする?」


 体には適度な疲労が溜まっていて、今ならすぐ寝付けそうだ。その前に水浴びしたいけど。


「俺ももう、寝ます」


「そうか」


 イリヤさんと連れ立って宿に戻り、玄関に施錠する。イリヤさんは2階の客室、俺は1階だ。


「おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


 挨拶を交わす。

 俺はこっそりと風呂場へ行って汗を流してから部屋に戻って布団に寝転んだ。

 そこでふと、疑問が頭を(よぎ)った。


 イリヤさんは何故、木刀を2本持っていたのか。


 もしかして、俺が寝付けずに起きてくることまで予想していたのだろうか。だったら勘が鋭すぎる。それかいつも予備を持ち歩いているのか。


 いや、違うな。きっと気配を察したのだろう。木造家屋なら音はよく通る。イリヤさん程の手練れであれば、俺が発するわずかな衣擦れの音も敏感に察知できるのかもしれない。


 有り難い。俺がなかなか寝付けないのを知り、気を紛らわそうとしてくれたのか。


 そしてイリヤさんの狙い通り、適度な疲労が運んできた急激な眠気が思考を麻痺させ、俺はすぐに微睡みへと落ちていったのだった。


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