#18 本日のお宿
木造の、実に古めかしく和風な造りの2階建ての宿だった。
藁葺き屋根、土壁、引き戸の脇には水車が回っている。そしてその横が畑と牛舎。
「これは……」
「風変わりな建物だろう。鬼族の建築様式だ」
ここまで乗車してきた馬車を送り返して、イリヤさんが言った。
サンロメリア城から東西南北へ伸びる4本の大通り。ここはその東通りの最果てであり、ここまで来ると民家もまばらで少し物寂しい雰囲気がある。東の城塞には兵士が常駐しているだろうから治安は問題ないのだろうが、夜はさぞや暗いことだろう。
俺が転移したのは夜中だった。ゴブリン達の森は月明かり以外に人工的な明かりは何もなく、イリヤさんと馬車で王都ロメリアまで移動する道中も、民家はほぼ無く、真っ暗であった。
日本ではもう、真の闇というのはほとんど経験出来ない。どこにでも街灯くらいはあるし、夜中に森か山へ分け入らなければ夜の暗さを体験するのは難しいだろう。
だがこの世界では、夜はあくまで深く暗い。そんなことをふと、思った。
馬車の音を聞き付けたのだろう、引き戸を開けてひょっこりと女中が顔を覗かせた。見た感じ、とても幼い。まだ未成年だろうか。
「あ、イリヤさん! おかえりなさい!」
「シトリ、部屋の空きはあるか? 1人、客人を泊めてもらいたい」
溌剌とした印象の女中は俺の方を見、ニッコリと微笑みかけてくれた。商売人の営業スマイルなのだろうが、つられてこちらも笑顔になってしまいそうな、穏やかで明るい笑みだった。
「大丈夫、ウチはいっつも閑古鳥が鳴いてますから」
「良かった、ならばこの男を頼む。遠方からの旅人ゆえ、この町のことも何も知らない」
「あら、そうなんですね。わかりました。お客さん、お名前は?」
「あ、酒井雄大です」
「ええっと、サクイ……」
シトリと呼ばれた女中は俺の名前を復唱しようとして詰まった様子だ。
「お前の名は発音が難しいんだ。何か適当に通称を考えてくれ」
「え、そうなんですか?」
日本名は外国人には発音が困難と聞くが、それ程なのか。でもまぁいいや、名前を覚えてもらえないのは癪なので通称とやらを検討する。
うーん、ジュークは俺のことを“サッ君”と呼んでいたが、この呼ばれ方はちょっと恥ずかしいな。ええい、武器がメリケンサックだし、もうこれでいいや。
「じゃ、サック。俺の名はサックでどうでしょう?」
「うん、それなら呼びやすくていいんじゃないか」
「サックさん、ですね」
若干コンドームっぽいけど気にしない。こっちの世界の人、多分そんなもの知らないだろうし。
「じゃあお部屋の支度をしますね。とりあえず、中へどうぞ!」
土間で履き物を脱いで玄関に上がる。俺の今の履き物は粗末な藁編みのサンダルだ。服と一緒にイリヤさんに買ってもらったものである。普通に歩くだけならこれで十分。
「夕食はどうします?」
シトリが訊いてくる。ちなみに彼女が着ているのは割烹着だ。日本の料亭によくある、あの割烹着。ピンクを基調とした花柄があしらわれた割烹着はシトリの明るい雰囲気にはとても似合っていた。
「そうだな、今もらおうか」
「俺も、ご一緒します」
と言ってから肝心なことに気がつく。俺は金を持っていない。一文無しだ。さすがにタダで寝泊まりさせてもらうわけにも行くまい。
「あ、イリヤさん」
「ん、どうした?」
「お金は……」
「なんだ、そんなことを心配していたのか。シトリ、こいつの分も私に請求してくれ」
あっさりと、イリヤさんは肩代わりを申し出てくれた。
「そんな、さすがにそこまで甘えるわけには……」
「別に甘やかしてなどいないつもりだが? この金はお前に対する先行投資だ。私は決して損はしないと考えている」
「先行投資だなんて……」
「あら、珍しいですねイリヤさん。随分とこちらのお兄さんを買っていらっしゃるようですね」
「あぁ。今日はいいものを見た。後程シトリにも語ってやろう」
「わぁ、やった! じゃあ急いで夕食の支度しなくちゃですね!」
俺をそっちのけで盛り上がっているイリヤさんとシトリ。あれ、俺の情報ってどの程度大っぴらにしていいものなんだろうか? あまり噂が広まると面倒なことになりはしないか?
「不安そうな顔をしているな? 問題ない、シトリも帝国軍に属する人間だからな」
「はい、しかもこう見えて、魔導師なんですよ?」
「ええっ!?」
軍の人間なの!?
この女の子が!?
信じられない……見た目からは全く想像がつかない。体の線も細そうだし、戦場で戦う絵がまるで浮かばないが。そもそも何で魔導師が宿で働いているんだろう。
「ささっ、詳しくは夕食の席で」
俺の背中を両手で押して、シトリが奥へ誘う。
「じゃあ私は部屋着に着替えてこよう」
イリヤさんは階段を2階へ。
そして俺はシトリに誘導されて、これから俺の仮の住まいとなる部屋へとたどり着いた。
やはりどこまでも和風の宿だ。
客室の襖を開けると、今まで見てきた洋風の街並みからは想像もつかないほど場違いなレイアウトがそこに存在していた。
畳敷きで部屋の隅にせんべい布団。それと箪笥。まるで江戸か明治期の宿屋みたい。
「このお部屋を使ってくださいね。あ、お食事は出来たら声を掛けにきますので、それまで自由にくつろいでいてくだい」
シトリがぺこりと一礼し、廊下を静かに引き上げていった。
足に感じる畳の感触。イグサ独特のにおい。うーん、日本人のDNAに染み渡るなぁ。