#14 フルボッコのお時間
今回はお話の都合上、三人称でお送りいたします。
王都ロメリアにおける最大の娯楽と言えばやはり闘技場コロッセオで行われる剣闘士試合であろう。登場する剣闘士は主に奴隷身分である人間、またはゴブリンやコボルト、オークのような異人種だ。奴隷であれば金を稼いで自由の身となる為に、異人種であれば単に腕っぷしを使ってのし上がる為に、剣闘士をやる。
剣闘士試合のルールはその時々によって違う。真剣を用いて殺し合いを行う野蛮なルールもあれば、木刀によって腕を競い合うマイルドなルールもある。また野獣と複数人の人間による変則的な戦いの時もあるし、集団戦や騎馬戦も時には行われる。
共通するのはいずれの場合も、それが賭け事の対象となるという点である。巨大な利権の絡むギャンブルなのである。ロメリアでは、最大規模の闘技場であるマキシモ・カルカスにて行われる帝国政府が胴元となる剣闘士試合が最も有名である。これ以外にも個人が主催となる小さな剣闘士試合は無数に開催されている。
“裏”というのは政府を介在しない非合法の、国家公認ではない剣闘士試合の事である。この“裏”で実力を示し“表”でスターダムにのし上がる剣闘士も大勢いる。
今回暴れているゴブリンもまた、“裏”の剣闘士であった。
既に肉体のピークを過ぎているから今後の成長に期待も出来ず、かといって剣闘士以外の仕事は今更するつもりもなく、そのゴブリンは荒んだ感情を抱いでいた。鬱積した思い、そして前試合で負った全身への深刻なダメージ。いよいよ引退するしかないような状態に陥ってなお、現状を認めたくない彼が取った方法は、違法薬物によるドーピングであった。
この世界においては合成“魔”薬と呼ばれる物質。彼が摂取したのはそれであった。合成魔薬を服用すれば一時的に限界を超えた身体能力を獲得できる。だがその代償は大きい。亢進する攻撃衝動、各臓器への負担。そして何より恐ろしいのは非合法の合成魔薬が引き起こす、精神錯乱である。
血に染まった体で、ゴブリンは酔漢のようにフラフラと路地裏を彷徨ってた。その手には一振りの大剣。ファルシオンと呼ばれる得物を、だらりと垂らした右腕に握っている。
目につく者全てが自分を蔑んで嘲笑っているように感じられる。だからつい、殺してしまう。こんな精神状態は普通ではないと頭の片隅ではわかっているが、止められない。
既に何人殺してしまったのか。帝国兵も何人か殺ってしまった。だからいずれ、自分は処刑されてしまうだろう。
投げやりな思いのままに、壁にファルシオンを叩き付けた。砕けた壁面から砂塵が舞う。
表通りへ、ふらふらと歩いて行く。日差しが眩しい。
今のまま表通りへ出たら、恐らく無差別に殺戮してしまうだろう。ゴブリンは、理解していた。しかし足はどんどん、表通りを目指して進んでしまう。血に飢えた獣のように。
が、日光を背にした黒い人影が一つ、表通りから路地へと侵入してきた。
「ン? 誰だ?」
日差しが遮られ、そこに姿を現したのはひ弱な体躯の男。のっぺりとした特徴のない顔立ちをしている。
「お前が噂の、錯乱したゴブリンか?」
間違いなくこの男は自分を目指して歩いてきている。ならば帝国軍の差し金か。しかし何の防具も身につけていないし、剣や槍も携行していない。徒手空拳で自分を捕まえるつもりか。
ゴブリンは頭に血が上ってゆくのを感じた。バカにされていると思った。お前など、素手で充分だと。これほど華奢な人間にすら、侮られている。そう考えてしまった時、脳内で合成魔薬がスパークした。感情が振り切れた。
「ッガアァァ!!!」
悲鳴のような叫び声と共に、大剣が振り下ろされる。
ズガアッ!!
激しく石畳が砕け散り、小さなクレーターを生じた。だが男は、ファルシオンの下敷きになってはいなかった。身を翻して回避し、刀身に手で触れていた。
「問答無用で殺しに来るかよ、危ない奴だ」
胴体を真っ二つにせんと、剣を横薙ぎに振るう。しかしこれも空を切った。勢い余って壁に激突した大剣は再び土煙を巻き起こした。
男は、動いたとも見えないのにいつの間にかリーチ外にいた。奇妙な感じだった。
「感度良好。目を瞑っていてもかわせるな」
男が言う。挑発的な文言。
「殺ス、殺ス……殺スゥ……」
譫言を呟きながら、ゴブリンは剣を持ち上げた。
「こりゃあダメだな、話し合いで解決は不可能か。でも、ちょうどいいのかな。この俺の……」
喋っている途中でいきなり袈裟斬り。男は難なく半身になって回避し、それからステップバックした。舞のように、身軽な動きをする。
表通りへ躍り出た男を追って、ゴブリンが剣を振り回す。まるで当たらない。軌道を先読みされているように、男は必要最小限のモーションで剣筋から逃れていく。
「おいおい、話の途中だったろ」
「黙レ!!」
首筋へ、剣の横振り。
身を沈めて男がかわす。次の瞬間、ふわりと懐へ潜り込んだ男が拳を、ゴブリンの脇腹へと叩き込んだ。
「ゴフッ!!」
極太の棍棒で思いっきり腹を殴られたかのような衝撃に、思わず呻き声が出た。これほど細い体で、どうしてこんなに強烈なパンチが放てるのか。その疑問は、すぐに氷解することになる。
男が両拳を持ち上げ、体の前で構えた。日光を反射してギラリと光る“武器”が、その拳に装着されていた。
ナックルダスター。
裸拳を保護すると同時にパンチの威力を上乗せさせる目的で作られた、打撃用の武器。
「まるで、負ける気がしねぇ!」
ゴブリンがまだ戦うつもりであることを悟って、彼は言った。
酒井雄大は、異世界転移者は、チートスキルの申し子は……この時、歯を剥いて笑った。その地味な相貌からは不釣り合いな好戦的笑みを浮かべた。
「覚悟しな……これからお前を物理で、フルボッコにさせてもらうぜ!」