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宿世負


〈 ユートピアを貴方が見ている 〉


 光が差し込んでいる。宿世負すくせおうは高架道路の狭間(はざま)に遥かなる摩天楼を仰ぐ。楼閣の霞む頂点と足に地を踏む地点との空間で、()()しの吹き散るように黒い蝶が飛んでいる。

「どうかしたのか」

負の連れ合いが訊く。

「誤表示だ、あれ」

負の指差す先の電光掲示板には、本来の表示とは異なった標語が映し出されている。

「どうでもいいだろう、そんな事」

連れ合いは先に往く。負はまだ眺めている。「ユートピアを貴方が見守っている」。考え込む。

――「俺が」ユートピアを見ている、それはどのようにか。作った箱庭を眺め悦に入る創作者のように、はたまた先の展開を予想しながら小説の項を(めく)る読者のように……。

負が結論を出す前に、


〈 ユートピアが貴方を見ている 〉


誤表示は修正される。負は連れ合いの後を追って急ぐ。

 負と連れ合いは高架道路へ上がる。街からは多少離れている場所なので、上位市民に出くわす可能性は比較的に低い筈だった。日雇いの仕事を終えた二人は、その支払いを受ける為に、或る機械に向かっている。

「……しかし」歩きながら、負の連れ合いが言う。「知り合いに上位市民でも居れば、なあ」

連れ合いは名を蜂須賀はちすかと言って、負の長年の友人だ。負は蜂須賀の会話を受ける。

「もっとマシな仕事が出来るってか」

「そうそう。偶に見掛けるだろう、首輪をしている奴ら。あれは上位市民の使い走りだ」

「知っているよそれくらい」

「この前あいつらの一人に訊いたんだよ。稼ぎはどんなもんだって」

「それで」

「俺たちが月に稼ぐ倍は受け取っていた。しかも、そいつは白の使い走りだぜ。これが黄や赤だったら、どんなに……」

「気にするなよ。俺たちの稼ぎでもパンケーキに蜂蜜くらい垂らせられる」

「俺は料理という料理に蜂蜜をぶちまけたい」

「やめておけ、益々黄色の熊さんに似てくる」

 彼らを取り巻く世界の様相は、摩天楼の壁に区切られた迷路で、それを俯瞰(ふかん)してみれば、肌理(きり)に似た模様を描いている。負たちはさながら血液細胞だ。

 道路沿いに点々と設置してある人一人が入れる箱。中には「可乎帳かこちょう」と呼称される機器がある。これは腕輪の情報を利用して、「ユートピア」が腕輪に付与していない機能を利用する事の出来る装置だ。例えば、腕輪に記録されている識別情報から、探したい腕輪つまりは人物の位置を確認したり、腕輪で遣り取り出来るものを「可乎帳」に記録し、指定された識別情報を持つ腕輪だけがそれを受け取れるようにしたり、要は腕輪情報検索装置兼情報取引装置である。遣り取りされる情報には無論、電子上の金銭も含まれている。今の負らの目的もそれだ。そして、「可乎帳」の最大の特徴がその点にある。つまり、黒市民にも利用可能、むしろ黒市民向けに設置されている。

 蜂須賀が「可乎帳」から出て、負の肩を叩く。

「期待するな、雀の涙だ」

「御忠告どうも」

負が交代して「可乎帳」に入る。雑嚢(ざつのう)を床に置く。負は腕輪を嵌めない習慣が付いており、ポケットから腕輪を取り出して「可乎帳」の読み取り機に置く。表示画面に幾つかの項目が出て、手慣れた手付きで操作を繰り返す。すると瞬く間に負の所持金額が表示され、すかさず日雇いで得た対価がそれに加算される。負は操作を終えて腕輪をズボンのポケットに捻じ込む。置いていた雑嚢を取りながらふと窓ガラスの方を見ると、黒い蝶がびっしりと留まっている。少しぎくりとしながら、「最近また増えたな」と呟き、「可乎帳」から出る。

「ほら、どうする。俺たちに金を渡すか、それとも蒸発するか」

「勘弁して下さい、この金がなかったら生活も出来ないんです」

 蜂須賀が白市民四人に絡まれていた。土下座する蜂須賀に四人が光線銃を向けている。

「おい」と負。「やめてやれよ。給料安いんだ」

白市民の一人が負に光線銃を向ける。負は雑嚢を置き、手をポケットに突っ込む。

「黒市民の端た金なんぞ幾ら集めても端た金だ。俺たちは遊びたいだけなんだよ。……そうだ」

そう言った大将風情の白市民が、仲間に目配せする。された仲間は、持っていた光線銃を蜂須賀の前に落とす。ぎょっとして蜂須賀は顔を上げる。

「今『可乎帳』から出てきたこの男、お前の友達か」と白市民。

「そうです。十年以上つるんできました」と蜂須賀。

「良し、それじゃあお前がこいつを撃てば、お前は見逃してやる」

「え、いや、それは、その……」

「ほら選べよ。選べないなら仲良し小好しで消してやる」

腹を斬られたように呻く蜂須賀。

「拾えよ」と言ったのは負だ。

「え」

蜂須賀は当惑する。周囲の白市民の視線も一挙、負へ集う。

「拾えって。お前と心中は御免だ」

「俺だって御免だ。でもよ……」

「5」

白市民が数えだす。

「4」

恐慌し蜂須賀が銃を拾う。

「3」

負に向けて構える。

「2」

「負、すまん……」

「1」

「やっぱり俺には出来ん!」

銃を高架下へぶん投げた。――大将分の目が殺気を(ほとばし)らせ、銃口が蜂須賀に向く。負が手先でポケットの腕輪を跳ね上げる。

 ZAP! 白の光線は、黒の腕輪に接触して、その威力を音と光で知らしめながら消失する。何が起こったのか、白市民たちが理解しない内に、負は銃を構えて伸びきった大将分の手腕を手と脇で捕まえ関節を()める。咄嗟に周囲の白市民は負に向けて射撃する。だが光線は全て、負も触れる白い腕輪に吸収される。負はそのまま白市民の手首を挫き、白の腕輪を引き抜く。白市民たちを見回し、腕に白の輪を嵌める。負は蜂須賀を庇うように立っている。

「その銃も拾っておいてくれ」

負は大将分が落とした銃を蜂須賀へ蹴遣(けや)る。蜂須賀はこくこくと(うなず)くが、負は三人の白市民に立ちはだかっているので、それは見えていない。蜂須賀は光線銃を拾い上げる。ちらりと関節をやられた白市民を見れば、痛みの為に打ち悶えている。と思いきや「馬鹿野郎」と叫んだので、蜂須賀は驚いて肩が跳ねる。

「馬鹿野郎、お前ら、素手でやれ、三人掛かりなら誰でも勝てる」

その言葉に発奮し、一人が先駆けて負に襲い掛かる。負は殴打を(かわ)して拳を相手の胸に叩き込む。苦しみに堪えかねた相手は膝を折る。

「同時に来なけりゃ意味ないぜ」

しかし闘志は、残った二人に残ってはいなかった。

 遠くから猛々(たけだけ)しい車のエンジン音が聴こえてくる。その音に気付き、各々の動きが止まる。赤い車が猛進してきて、彼らに衝突する手前で停まる。車には女の運転手と、後部座席に青衣(しょうえ)の女が居る。後部座席の窓が開く。

「ごめんあそばせ、そこの黒に用があるのだけれど、お取込み中かしら」

そう言って彼女は、負を指し示す。その手首に、通常より広幅の赤い腕輪が嵌まっている。白市民たちは(たちまち)青褪(あおざ)め、口々に謙譲の言葉を漏らしてあたふたと走り去っていく。

後見うしろみ」と負が女に呼び掛ける。

「ご機嫌よう。怪我はないかしら」

「ある。ケツが割れた」

「元からでしょう。良く無事でいられたわね。どうやって光線を防いだの」

「白の腕輪を奪ってだが、始めは自分の腕輪でだ」

「黒の腕輪でどうやって」

「黒でも腕輪は光線銃の攻撃で消えない。だから射線に腕輪を放ってやった」

「そんな都合良く光線に当たるの」

「練習の成果だよ」

酔狂(すいきょう)な練習をしたものね。……乗ってく?」

「連れ合いも一緒だ」と負が応える。

「構わないわよ。さあ、乗って」

負は良く事態の飲み込めていない蜂須賀を引っ張り、後部座席に乗り込む。車が発進する。結構な速度を出すので、蜂須賀が驚嘆した。

 後部座席に三人並んでいる。負が青衣の彼女に密着しないよう、もぞもぞと体を動かす。

「少し狭いか。痩せるべきかな」

「え? いや、お前は別に太っていないだろう」

「お前に言ったんだ」

蜂須賀は真顔になる。

「もっとこっちに寄ればいいじゃない」

女が負を引き寄せる。

「それで、そちらの方は? 貴方の友人かしら」

「まあ、そうだ。名前は蜂須賀。蜂須賀、この女は後見秋子と言って、見ての通り赤市民だ」

「この女だなんて失礼ね。どうせならもっと上品に紹介してよ。――宜しくね、蜂須賀」

秋子は蜂須賀に握手を求め、蜂須賀は恐縮しつつも、それに応じる。改めて秋子の腕輪を見る。

「どうかお見知りおきを、蜂須賀です。負とは餓鬼の頃からの仲です」

「そうなの? わたしも負とは古い方だと思っていたけれど、今まで貴方の話を聞いた事もなかったわ」

「俺もですよ。こいつに赤市民の知り合いがいるなんて……」

「ちょっと、負」

秋子が負の袖を引き、説明を求める。

「言う機会も必要もなかっただけだ。だから今日はいま紹介しただろう」

「ふぅん、まあ、いいわ。蜂須賀、貴方と負はどんな付き合いなの」

「そうですね、さっき言った通り餓鬼の頃から連れ合いですから、遊ぶ時なんかは大抵、一緒です。それに仕事仲間で、今も地下の仕事から戻ってきた所だったんです。ほら」

蜂須賀は自分の雑嚢から或る物を取り出し見せる。それはヘルメットとガスマスクが一体になったような代物だ。

「あら、何のお仕事かしら」

「地下の再開発ですよ。その為に施設の解体をしていたんです。このマスクはそれに伴う危険から身を守る為の、防塵防毒マスク一体型ヘルメット」

「へえ、自前なの」

「いや、一応は支給品です。ただ俺たちの賃金から予め備品代が引かれているんだ」

「成程ね」

 会話の一段落を見計らい、蜂須賀が咳払いをし、秋子に尋ねる。

「あの、今更ですが、ひょっとして、赤の、大市民様でいらっしゃいます?」

「ええ、赤市民を教導する立場にあるわ」

秋子は腕輪を見せる。

「そうでしたか! そうですよね、ええ。すみません、俺、黒以外で大市民の方を直接に見るのは初めてなもので、つい興奮してしまいました」

「そう。楽しんでくれたようで何より」

「おい、負」蜂須賀が負を小突く。「詳しく聞かせろよ。何処で知り合ったんだ」

「……彼女は『可乎帳』の開発及び管理者で、黒社会の調査をしている時に知り合ったんだ。以来、何度か仕事に手を貸している」

「貴様ァ、随分な御仁(ごじん)じゃないか。ってことは、かなり甘い汁を吸わせて貰ったんじゃないのか、え?」

「馬鹿、普通の汁だよ。精々出汁が効いているくらいのものだ」

「わたしが板前みたいな言い方はやめてくれないかしら。ところで、何処まで乗っていくの」

「そうだな、俺はこの後、筆学所まで行くつもりだったが、お前は?」

「俺もその辺りでいいぜ」

「じゃあ、そういうわけで、宜しくお願いします、唐栗さん」

負は運転席にそう声を掛ける。唐栗令奈は「はい」とだけ返事をする。

「そう言えば蜂須賀」秋子が言う。「貴方には立派な名前があるのね。黒市民は大抵、こう言うのも悪いけど、雑だったり、可笑しな名前の人が多いから」

「褒められると照れますね。でも実際、一番に嬉しいのはこいつでしょうけど」

蜂須賀が負を小突く。負は確かに、照れ臭さを仏頂面で隠している。

「あら、どうして?」

「俺の名前はこいつが付けてくれたんですよ、まだ餓鬼の時分に。あの時のこいつは、自分に名前を付けて、変な自信を付けて、色んな奴に名前を付けてやってたんでね」

「へえ、それじゃあ宿世負って、貴方が自分で付けた名前なのね、道理で。変な名前だと思ってた」

「変で悪かったな。次の機会があればもっと可愛いのにしておくよ」

「拗ねてる?」

「てない。そんな事より、これを頼んでもいいか」

負は先程の喧嘩で白市民から奪った腕輪を秋子に渡す。

「上位階級の腕輪を所持するのは厳罰だものね。いいわ、預かる」

「あの、すみませんが、これもお願いします」

蜂須賀が光線銃を差し出す。

「いいの? 黒社会で光線銃は大変な武器だと聞いたことがあるけど」

「だからこそです。昔、地域の顔役を、光線銃を手にした不良集団が壊滅させたなんて話もあるし、要は争いの種なんです。存在自体が危険だ」

「そう、なら預かるわ。賢明な判断よ」

 秋子は車に据え付いてある物入れの上に腕輪と光線銃を置く。ついでに物入れを引き開け、ラムネバーと称される、棒状のラムネを取り出し、包装紙を破る。

「ちょっと失礼するわね」

「食いしん坊」

「見たってあげないわよ」

「要らない」

「でも、わたしの手下になるって言うなら、一本分けてあげる」

「手下にならないし安い」

「じゃあ二本。今から三十分以内にお申込みの方には更にもう四本をお付けするわ」

「お得な通信販売かよ。悩むじゃないか」

「本当に?」

「冗談」

「馬鹿」

秋子はへそを曲げた様子でラムネバーを齧る。負は窓の外を眺める。

 ひらひらと舞う蝶。黒く焦げた紙片のような蝶。幾頭もの蝶が世界の至る所で舞い踊っている。

「本当に増えたな」

負が呟く。この蝶は、十年近く前から現れ始め、今では世界の何処ででも見掛ける程に増殖していた。

「『可乎蝶かこちょう』の事?」

秋子が訊き、「『可乎帳』?」と負が聞き返す。

「『可乎蝶』。あの蝶の事よ」

「あの蝶はそういう名前だったのか」

「ええ、わたしが決めたの」

「何だよ」

「ねえ、知ってる? 『可乎蝶』は人を運命に導くの」

「知らないな。占いか」

「違うわよ。そういう、言い伝え。だから気を付けなさい。うっかり『可乎蝶』に導かれたら、貴方はわたしのしもべ、犬になっているから」

「それは確かに気を付けないとな」

負の(いい)に機嫌を損ねて、秋子はむつかしい顔をする。

「そんなにわたしの下で働くのは嫌かしら」

「何度も言っている。嫌ではないが、俺は今の生活に十分、満足しているんだ」

「筆学所があるから?」

「そうだな。それも大きい。先生の居る場所が俺の居場所だ」

「おいおい、負、馬鹿を言うな。働かせてもらえよ。どれだけ生活が良くなるか考えてもみろよ。いざや、転職!」

「放っとけって。若し筆学所に通えなくなるような事があったら考えるよ」

「お前そんな事を言っていたら枠が埋まるぜ。はい、はい、後見さん、俺が喜んで貴方の犬になります!」

「有り難う。貴方の積極性がこの朴念仁にもあれば良かったのにね」

「唐栗さん、この辺でいい。そろそろ降ろしてくれ」

「はい」

「あ、逃げる気ね」

「こいつこういう所があるんですよね、サンキューオッケーイケてるしらす、とか言って」

「三十六計逃げるに如かず、だ」

「ねえねえ蜂須賀、この男はどうしてこんなに無愛想なのかしらね」

「そうですねえ、こいつはこれでどうして中々、むっつりスケベですからね。後見さんが美人で照れているのかも」

「あらあら、そうだったの。やあねぇ、もう」

秋子が負の脇腹をつつく。

「やめ、やめろっ、この……」

 負が身を()じらせ、秋子に抵抗していると、視界の隅でちらつく黒い影に気付く。それは蝶だった。秋子が「可乎蝶」と称した蝶だ。

「おい、蝶が入り込んでいるぞ」

「ええ、そうね」

蝶はゆらゆらと降下し、秋子の胸元に座を置くロケットに留まる。丁度その時、車が半回転して急停車する。慣性に釣られて負は前のめり、秋子は仰け反る。二人は向かい合う体勢だったので、負の顔は秋子の胸に潜る。顔にロケットが当たって負は痛い。次いで顎に秋子の拳が一発。

「へぶらっ!?」

「ほ、本性現したわね、けだもの!」

「羨ましいぞ、この野郎!」

「宿世さん、到着しました」

「これ理不尽だろう。くそ、痛ぇ」

負は蜂須賀を押し出して車を出る。

「じゃあな、後見。送ってくれて有り難うよ」

「ええ、そうね――」秋子は胸のロケットを握り締める。「今のは事故という事で不問にしてあげる。また会いましょう」

負は苦笑し、秋子は微笑する。車が再発進する。それを見送り、負と蜂須賀は高架道路を降りていく。

「で、お前は筆学所か」蜂須賀が言う。

「ああ。お前は」

「帰ってひと眠りだよ。夜勤明けに勉強する気力なんざないからな」

埃っぽい地面を踏んだ二人の足は、二手に別れる。負の頭上に浮かんだ可乎蝶が、負の行く手を漂い始めた。


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