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 数か月後、先生は黒市民の生活する区域に降りていた。理由は、「ユートピア」から下った指令だ。(いわ)く、「黒市民に身分を偽装し、その生活様態を監視する事。尚、正体は他の身分の者にも明かしてはならず、守護者の起動も禁止とする。期間は無期限」だ。実質上の降格。原因は不明だった。計画に関連しているのかどうかさえ、確かめられなかった。

 黒市民の生活区域は主に地表、即ち高架道路の下という事になる。高い建物と合わさって日差しは大きく遮られている。歩くと靴が砂埃に(まみ)れた。道路へ上がる事は自由に出来るが、迂闊(うかつ)に街の中心へ向かえば、そこは主に白市民の生活領域だ。気紛れに光線銃の的にされた所で、黒市民は何の文句も言えない。先生は社会のそういう現状が嫌だった。

 未だに慣れない黒の生活領域から逃げるように、先生は道路を上っていく。とは言え、以前ならば何の気兼ねもなかったであろう、下から上への、或いは上から下への移動が、今では多様の危険が待ち構える冒険になってしまっている。それでも()えて往くのは、そこに己の親友が居るからだ。

 道路の上に居たのは、皆、黒市民のように見えた。階級毎の人口比は、紫一%、青二%、赤四%、黄八%、白十六%、黒六十九%という程になっており、生活区域も大分明確に区切られている為、普通に生活していれば、上位市民と出くわす事はあまりない。(もっと)も、上位の市民が下位市民の生活領域に――特に白市民が黒市民の生活領域に――入り込んで、悪趣味な狩りに興じる事は珍しくなかった。

 先生は腕輪が目立たないよう懐手(ふところで)をして、街の中心に向かう。服装は黄市民として着用していた物だから、周囲に与える不審感は少ないと先生は考えている。狙いは図に当たり、目的地たる病院に着いた。

 先生が入った病室には既に、私柳が訪れていた。病室には、私柳以外はいなかった。

「彼女は?」

先生が問う。

「死んだ」

私柳が答える。先生に継げる句はなかった。覚悟はしていた筈で、きっと慰めの一つも捻っていた筈なのに、(つい)ぞ先生の方から何かを言う事は出来なかった。

「知っているか」

「何をです」

「北方万々代が結婚した」

「それで?」

「相手は誰だと思う」

「さあ、あの女傑の事ですからね、青市民以上の誰かだと思いますが……」

「灰鰓源一」

予想だにしない名前に、むしろ先生は失笑する。

「昏睡状態にあるんですよ。そんな事できる訳がない」

「確実な情報だ」

有無を言わさぬ、私柳の気配に、先生の表情は曇る。

「陰謀だよ」私柳が言う。「全てはあいつの陰謀だったんだ」

「証拠がありません」

「馬鹿か!? 北方万々代は俺たちの計画を知っていたんだ。それを灰鰓さんに話した事もな。そこであいつは黒市民を扇動して暴動を起こし、灰鰓さんを始末した後、俺たちをド底辺に追いやったのさ。それから灰鰓さんの地位と権力を利用して、更なる出世をしようって寸法だ」

「黒の監視任務は、『ユートピア』からのものです。北方万々代にはどうしようもない。その他の事についても、何も証拠はない」

私柳は血相を変えて、先生の胸倉を摑む。

「あいつの肩を持つのか」

「違います。ただ、我々にはどうしようもないと言っているのです」

私柳は鼻で笑うと、先生を突き放す。

「俺は何年掛けてでも、あいつらに復讐してやる。紫も青も赤も、北方万々代に関わった奴は全員殺してやる。黒市民は皆殺しだ」

私柳がそう言い、先生が怫然(ふつぜん)とする。

「何を馬鹿な、理想は、我々の理想は、それでどうなるんです」

「それで叶う!」私柳の口角が吊り上がる。「それでこそ平等な社会も実現できる。考えてもみろ、上の奴らは保身と出世で、格差を、それもとびきりの格差を是としている。下はどうだ。奴らは愚鈍で、目先の事しか(おもいみ)る事が出来ない。どちらも愚か者だ、社会の害悪だ。腫瘍なんだよ奴らは。切除しなけりゃならん。痛みは伴うだろうが、さもなくば完治は有り得ない」

「私はそうは思わない」

二人は暫し睨み合った。

「筆学所を始めます」先生が言う。「黒市民の監視を兼ねるという名目で、彼らに読み書き計算を、そして人間として基本的な教養を身に着けてもらいます。革命的な事ばかりが、社会を良くするという事ではない筈だ」

「理想を捨てるのか」

「違います。今の自分に出来る事を、出来るだけやりたいだけです」

再度の沈黙が訪れる。痺れるような空気が部屋を経巡(へめぐ)った後で、私柳の顔から憤懣(ふんまん)が去る。

「好きにしろよ。お前はそれでいい。だが俺は絶対に許さない。許せるわけがないだろう、違うか。大切な人間を殺されて、殺した奴を許せるそいつは何者だ。そんな奴は人間じゃない」

「私柳――」

「何も言うな。今は何も聞きたくない。一人にしてくれ」

先生は口を噤んで、病室を後にする。私柳は力なく椅子に座り込んで、誰もいないベッドに目を置く。心拍が聴こえそうなくらいの無音が充満する室内で、誰にも聞こえない声が漏れ出た。

「静流……」

 高架下には黒市民が住まう陋屋(ろうおく)が立ち並んでいる。その空き家に先生は引っ越した。私物はあまり持ち込めなかった。任務に支障を(きた)すからだ。しかし、任務の一環として扱う事の出来た筆学所に関連する物品は運び入れる事に成功した。紙の本だ。その他に、黒板と白墨など。生徒に支給できるだけの物は持って来られなかったが、一先ず、授業としての体裁は整えられそうだった。家の大して広くもない一番広い部屋を教室として、黒板を配置する。生徒の目星は付けて、声を掛け、そうして授業を始められると、先生は思っていた。実際、それは間違ってはいなかった。

 集まったのは、正確な年齢も定かでない少年少女と、野次馬根性を発揮した大人が数名。どうと言う事もないかと先生には思われたが、問題はいきなり頭をぶん殴ってきた。

「よいですか、皆さん、2足す2は4です」

「本当かよ、5じゃねえのか」

「いえ、4ですよ」

「何で6とか3じゃ駄目なんだ?」

「ここに2本の白墨が二組ありますね。これを数えれば4本になります。5本や3本ではありません」

「いや、でもさ、3本や5本になることもあるんじゃないか?」

「は?」

「そうだ、2足す2は5だ。若しくは3にも、同時に4と5にも成り得るぞ」

「いや、ならない……」

後はもう、先生が何をどう言っても無駄だった。彼らは彼らの答えを信じた。真実とは彼らの信じたものであって、先生の信じるものではなかった。言葉の意味を教えるにしても、文字の読みを教えるにしても、一事が万事、同じ事の繰り返しだった。そういう事が数日続き、何の進展もなく、筆学所に来る人数も減り、先生自身の疲労も積もり積もっていた。


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