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危うい駆け引き

 情報統制局の(つかさ)は八方を純白の壁で塞ぐ。蒼天の浮雲が地に据わる壁の上端で一揖(いちゆう)して往き過ぎるように流れ去る。外壁は八角形の頂点でそれぞれ舳先(へさき)歪曲(わいきょく)を持ち、寄り来たる人々を睥睨(へいげい)する衛兵のような威圧感を突き付けている。その威圧の降り注ぐ、統制局への道路を秋子の車が走る。道路上に設けられた関門は車一台分程度の短いトンネルのようになっており、不透明の障壁が進路を塞ぐ。車はその手前で一時停止し、運転席から顔を覗かせる唐栗令奈は、設置してある読み取り機へ、赤い腕輪の嵌まった自身の手首を差し入れる。読み取りが完了すると、進路の障壁が立ち消えて、車は再発進する……。

 エレベーターから、情報統制局の応接広間へ秋子と唐栗令奈が出る。この上階と合わせて二階分の吹き抜け構造になっている広間からは、現実の全体との差はどうあれ、統制局を眺望するような印象を受ける。

「秋子様」と唐栗令奈が言う。「それでは又、御帰宅の折に……」

「ええ、ところで令奈、逮捕された私柳を含む『焚書官』の事だけど、全員が居なくなる(・・・・・)ように根回しをしておいて」

「畏まりました」

「宜しくね」

 秋子と令奈は別れ、各々の仕事場へ向かう。秋子は局長室の扉の前に着く。そこで扉の横に設置してある読み取り機に腕輪を翳そうとした秋子は、表情を曇らせて、手を止める。腰元の光線銃に手を添えてから、読み取り機に腕輪を翳す。扉の鍵が開いた。

 秋子が室に入る。既に、訪問者が居た。

「貴方は……」

秋子は呆気に取られる。

「息災だな」

応えるのは北方万々代。秋子に継げる句はなかった。覚悟も何もしておらず、ほんの十数歩前まで今後の行動計画を捻っていた頭では、咄嗟に何かを言う事は出来なかった。

 北方万々代の腕に嵌まる青い幅広の腕輪は、北方万々代が青の大市民である事を示している。彼女は局長室のソファに端然と腰を落ち着かせており、視線は秋子を見ずに、壁に掛かったダーツボードに向き、手には六本の手投げ矢を弄ぶ。

「部屋に蝶が這入り込んでいたぞ。世界の情報を司る者が、己の領域に易々侵入を許すものではない」

渋面を隠す秋子の表情は、軍人然とさえして、冷厳。

「以後、気を付けます。因みに、蝶は……?」

北方万々代は、やはり視線を向けずに、情報統制局局長室の玉案(ぎょくあん)の、その脇に置かれた屑かごに指を差す。

「潰した」

「左様で……。お茶をお出しします」

「構うな、直ぐに済む用事だ」

「何かお話が?」

「そうだ、坐れ」

 秋子は応接用の机を挟んだ北方万々代の向かいにあるソファへ足を向ける。だが「違う」と北方万々代が言う。

「ここだ」

自身の隣に手を当てる。

「そちらに坐ると、お前の額に穴が空くかも知れんぞ」

数秒の間を置いて、秋子は北方万々代の隣に腰を下ろす。北方万々代は秋子の玉手に、潺湲(せんかん)たる渓水(けいすい)を切り取ってきた如きの感ある己が手を添える。秋子が握らされたのは、三本の手投げ矢だ。

「知っているか」と北方万々代。

「何をです」

「昨日に起きた黒社会での騒動をだ。『守護者』を起動させた黒市民が二人、街で暴れ回り、一方は警官や民間人を殺害しつつバイクで逃亡、もう一方は死者こそ生まなかったものの、治安部隊員に重軽傷を負わせた末に消え失せた」

「ええ、話しは届いております」

秋子は手投げ矢を一本、利き手に構える。ボードに向けて矢を放る。ボートの真ん中に当たる。

「その件について此方で得られる情報は、然るべき部署から(すべか)らく其方へ送られている筈です。治安庁長官殿」

二本目の矢が次いでボートの中心に的中する。

「どのような事情で、貴方が直々にここまでいらっしゃったのか、お聞かせ願えますか」

「なに大した事ではない。ただ件の黒市民が、お前の部下と交戦していたというから、話しを訊きに来ただけだ」

秋子の手が止まる。

「相手は何者だ」

「何の事やら――」

「何を隠している」

秋子は矢を投げる。矢は過たず的の中心に命中。その小気味良い音が室内に冴える。

「何かの間違いでしょう。私の部下は、今回の件に一切の関り御座いません」

秋子は北方万々代を見詰める。北方万々代の人を射抜くような眼差しが秋子を捉えている。そのまま、北方万々代は手を上げる。手には手投げ矢、狙う先には的がある。その的を見もせずに放る矢が、的の中心より少し上、トリプルリングと呼ばれる領域に刺さる。

「何も知らないのならそれでよい。何も知らないのなら、な。用は済んだ」

次いで投げる矢がまたしても同領域に突き刺さる。北方万々代はそこで立ち上がって、部屋を出ようとする。扉の前で立ち止まる。

「そういえば、お前に令奈を預けて暫くだな。大市民に昇格した折以来か。どうだ、優秀だろう、令奈は」

「はい、運転の下手さが玉に瑕ですが」

「そういえばそうだったな。だが、まあ、完璧な人間などおらぬのだ。お前もそうだぞ、秋子」

やはり見もしないで投げ放つ北方万々代の手投げ矢が、ダーツボードに、舞い漂っていた過乎蝶を刺し留める。

「二頭目だ。以後、注意しろ」

北方万々代の目が秋子に向く。秋子はさっと頭を下げる。北方万々代はダーツボードに目を移す。

「ふむ、また引き分けたな」

そう言って、彼女は部屋を出た。

 一人、ソファに腰掛けている秋子は、溜め息を吐きながら天井を仰ぎ見る。

「ちゃちなカマかけするわね……」

懐からラムネバーを取り出だして、齧る。視線を前に戻すと、矢に刺された可乎蝶が、はたはたと翅を動かしている。

 秋子は机の椅子に移り、机上で種々の情報を展開する。そして、街の監視映像記録を開く。時と場所はそれぞれ、負や帯刀が、私柳と相争っていた辺り。しかし監視映像は全て、群がる蝶によって目隠しをされ、まともに状況を確認できるものはない。秋子から安堵の吐息が漏れた。


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