犬に首輪を
夜はすっかり更けて、街灯の照らす公園。負と帯刀、そして灰被りが話し合っている。
帯刀が自分の腕輪を操作する。灰被りの腕輪に通知が入る。
「これで三日間は黄の腕輪と同等の閲覧権限を行使できる」
帯刀が言う。灰被りは腕輪に入った通知の内容を確かめると、二人に背を向ける。
「あ、待ってくれ」と負。
「連絡先を教えて欲しいと言ったら、どうかな」
灰被りは何も反応を返さずに、「浮行装置」で飛び去る。負は見えなくなるまでその後ろ姿を見詰めていた。
負の様子を観察している帯刀は、何気なく思った事を口にする。
「そんなにあの女が好みか」
「好み?」
「惚れているんだろう」
言われて初めて、負は自分の灰被りに対する心裡を振り返る。そして自分の浮ついた言動をも思い起こして、途端に羞恥の感情が込み上ってくる。
「違う違う違う!」
負は顔を真っ赤にして否定する。
「違うのか」
「違うよ!」
「どう違うんだ」
「どうって、そりゃあ、あれだよ、俺は心配しているだけだ。明らかに尋常の女じゃないからな」
「成程、尋常ではなく可愛い、と」
「変な解釈をするな!」
「助けてやりたいのか」
「ま、まあ……、助けられる事があるなら」
「笑顔になって欲しいと」
「それは、まあ、当然……」
「俺が幸せにしてやる、と言いたい訳だ」
「だから変な解釈をするな!」
「俺が手助けをしてやると言ったら」
「え、マジで!?」晴れ渡る負の笑顔。
「嘘だ」
「この野郎!」醜態に悶え天を仰ぐ。
帯刀は思ったよりも俗っぽい負の反応に、聖人かでなければ化生の類かという予想に新たな可能性を付け足す。即ち馬鹿の類。帯刀は微笑する。
一頻り身悶えた負は、帯刀に挨拶する。
「それじゃあな、後見に宜しく頼む」
そして負は立ち去ろうとする。
「待て」と帯刀。光線銃を負に向ける。
「おい、何のつもりだ」
「この腕輪――」帯刀が懐を叩く。そこには負が先生に預かった例の腕輪がある。「察しての通り非合法な物だ。『ユートピア』に知られれば反逆罪にもなるだろう」
「ええと、うん」
「このまま貴様を放っておくと思うか」
負に冷や汗が流れる。自分の腕輪を摑んで、投げる事は出来る。そうやって、光線を腕輪に当てて防ぐ事は、賭けではあるが、決して不可能ではない。だが今まで揶揄ってはきたものの、帯刀の射撃の腕前を、負は目の当たりにしてきている。「守護者」による障壁の出現位置、光線の狙い、どちらとも正確無比だ。しかも早撃ちも見事なもの。仮令、一発目を防げた所で、そこから対抗できる気はしない。
「俺を殺すのか」
「場合によってはな」
「後見の判断か」
「そういう場合もあるかも知れん」
負は帯刀を睨む。帯刀は平然としている。対峙する二人。
沈黙に割り込むように、公園の前で、赤い車が停まる。勢い良く扉が開いて、出てきたのは秋子だ。
「負!」
秋子が負の背中に飛び付く。
「ぐわっ」
負は地面に倒れる。
「心配したわよ、怪我はない」ぺたぺたと負の体に触れる秋子。負が秋子を見て、秋子は驚愕する。
「怪我してるじゃない! 怪我の一つもなく終わらせるって約束したのに、嘘吐き!」
今の飛び掛かりによって、負は顔を少し擦り剥いていた。
「何をふざけて――」
文句の一つも言おうとした負の首に、赤い首輪が嵌められる。
「え」負は言葉を失う。
「それは約束を破った罰よ。帯刀、負を運んでね」
「御意に」
「ち、ちょっと待て後見、これはどういう――」
秋子が負から離れた直後、電気的な衝撃が負を襲う。痛みと身体の硬直で、負は動けなくなる。そんな負を帯刀が持ち上げて、秋子と一緒に車へ乗り込んだ。
負が運び込まれたのは、秋子邸の物置部屋。椅子に縛り付けられている。向かい合う椅子には秋子が坐し、その脇に帯刀が控えている。
「それで」と負。「説明してくれるんだろうな」
「勿論よ」と秋子。「説明すると言ったものね」
二人の間に置かれた小机に、秋子は腕輪を置く。例の腕輪だ。
「先ず、これについて説明するわ」
「擦ったら帯刀が出てきた」
「ええ、そうね。お願い事は叶えてくれた?」
「いいや、今一つだったな。もう一度頼んでみてもいいか」
「どうぞ」
「ギャルのパンティーおくれーっ」
光線が飛ぶ。あとほんの僅かにでもずれていれば、負はこの世から消滅していた。帯刀は光線銃を納める。
「満足した?」と秋子。
「満ち足りました」と負。
秋子が話を再開する。
「それでね、この腕輪は先生が開発したものよ」
「先生が? 嘘放け」
「本当よ。貴方の尊敬する先生は歴とした犯罪者よ」
負が身を乗り出す。だが、椅子は床に固定され、身を縛められている為に、負の位置は動かない。
「仮にお嬢へ摑み掛かれば――」帯刀が言う。「貴様を撃ち殺していた。貴様を縛らせたお嬢の判断に感謝するんだな」
「負、聞いて。先生が法を犯したのは間違いがないけれど、それは悪意や私欲からではないの」
「ああ、そうだろうさ」負は腰を落ち着かせる。「言ってくれ」
「先生は、有り体に言うと、平等な社会を目指していた。その為には、『守護者』の起動条件を判明させる事が必要だと考えたの。けれど、それは上手くいきそうになかった。そこで、やり方を変えたの。黒市民にも使える『守護者』の開発に着手したのよ」
「で、その成果がその腕輪か」
「そうよ。帯刀が消えたり現れたりするのは、通常の腕輪が『守護者』の機器を出現させたり消したりさせる仕組みと同じ。この腕輪の場合、『守護者』に相当する機器を用意できていないから、代わりに帯刀を呼び出せるように設定しておいたという訳。機器としては完成しているけど、運用的には試験段階だから」
「私柳景がそれを狙った理由は」
「恐らく復讐よ。彼は黒市民や上位市民の所為で、たくさんのものを失ったと考えているから。この腕輪の機能を使えば、潜入や兵器の持ち運びが容易よ。それを利用して、『ユートピア』の中枢に潜り込むかして、破壊工作を行うつもりだったんでしょう」
負は押し黙っている。秋子は続ける。
「この腕輪の開発に協力したのはわたしよ。だから先生は、不測の事態に陥って、わたしにこれを渡すよう、貴方に伝えたの」
「どうしてお前が開発に協力した。不測の事態って何だ」
「わたしは黒社会で探し物をしていたの。先生の持つ情報網は都合が良かった。不測の事態とは、『紛紜処理係』が動いた事」
「紛紜……、あの子が?」
「ええ、灰被りも『紛紜処理係』の一人」
「あの子が先生を狙ったのか」その負の声音は、確かめるようだった。驚きはなかった。
「そうよ」と秋子。「筆学所を灰にしたのはあの子」
負の表情は暗い。
「『紛紜処理係』ってのは、何なんだ」
「詳しい事は分からないわ。『ユートピア』が統轄する暗殺業者なんていう噂もあるけど、どうかしらね。証拠も何もないし、わたしは違うと思っているけど」
「お前はこれからどうするつもりなんだ。『紛紜処理係』が先生を狙ったという事は、その腕輪の存在がばれているという事だろう」
秋子を心配するような負の目に、秋子は微笑む。
「その通りよ。だから、わたしたちは、二つの事をしなければならない。一つには、情報の漏洩元を見付け出す事、もう一つは、この腕輪の存在を完璧に隠蔽する事。ここまで言えば、分かるわよね、負」
長年の付き合いによる勘が働いて、負は絶句する。もぞもぞと体を動かすが、逃げられそうにない。
「分かるわよね、負」
秋子が、ずい、と顔を近付ける。威圧感に、負は顔を背ける。
「俺はこれから家に帰れる」
「あらあら、惚けちゃって。なあに? わたしに直接、言って欲しいの?」
「こんな犯罪者の根城に居られるか、俺は家に戻る!」
「家に戻ったら死ぬわよ」
「な、何で?」
「この腕輪について詳しく知った人間を野放しにしておけると思う?」
「後見、お前……!」
秋子は負に嵌めた首輪を摑んで、宣言する。
「負、貴方は今日から、わたしの犬よ」
その顔には、絶対者的立場に裏打ちされた、慈愛とも、嘲弄とも付かぬ笑みが張り付いていた。




