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銃 槍 炎

 負が広場を抜けようという時、負の目前に上から何か落ちてきて着地する。高架道路から跳び下りたらしいそのバイクは、負の行く手を塞ぐ。乗手はヘルメットを脱ぐ。

「宿世負だな」私柳が言う。「道を間違えているぞ。筆学所は向こうだ」

「面白い冗談だな、道を間違えたのはあんただろうに」

負は後退(あとずさ)る。

「なぜ先生を裏切った」

私柳は負を一睨みする。

「どうせお前には分かるまい。黒の人畜生にはな」

私柳はバイクから降りると、腕輪に触れる。足元に液状の金属が出現する。その時の動作が、つい先程に秋子から教授された動作と相似である事に負は気付く。そしてそれが「守護者」の起動である事も。嫌な予感がした負は、相手の出方を窺う間もなく横に向けて飛び退く。背後へ向かって駆け出さなかったのは、方向を転換する隙が大きくなるのを嫌ったからだが、結果的には功を奏す。

 硬化した液体金属は槍状に突出して、負の居た空間を貫く。避けられた意外に、私柳が僅かに立ち竦む。負は脱兎の如くこの場から逃げている。液体金属は再び負の血肉を抉ろうと身を硬めるが、その先端は負の背に触れる手前で静止する。

 私柳は忌々し気に舌打ちをする。負の逃げ足を見て、バイクを使う判断をして、早速、乗って発進させる。

 背後でバイクの動く気配。負は藁にも縋る想いで、自身の嵌める腕輪に触れた。

「えい、ままよ!」

指を滑らす。

 振り向く負の視界には、バイクで迫る私柳の姿と、今にも己の心臓を穿ちそうな、鋼の先端――。それらを瞬時に、不透明の障壁が視界から奪う。壁の向こうで、壁にバイクが衝突するような音と、私柳の呻きが聴こえた。

 足が(もつ)れて、尻餅を搗く負。脈拍と心臓の鼓動を強く感じる。冷や汗が出る。腕輪を見る。色々と思い浮かぶ事はあるが、ともかく今は逃げなければと、地面を踏んで振り返り様、負の額に銃口が当たる。白銀に輝く銃は光線銃ではなく、負が観た昔の映画では世界一強力な拳銃だ。それを握っているのは、洒落た風体で長身の男。

 負が言葉を失っていると、男が口を開いた。

「誰だ貴様」

「いや、こっちの台詞だ」

男は銃口で負の額を押す。その手首には黄色の腕輪。負は黙る。

「名前は」と男。

「宿世負」

「すくせおう、すくせ、すくせ……」

男は何かを考えている様子。しかし負の背後では、障壁のあちら側で私柳が這いずりつつも負らを視界に映し、液体金属が障壁を迂回して顔を覗かせている。――刹那、負の耳に一発の銃声が轟く。液体金属を妨げるように、更に障壁が出現していた。そして至近距離で銃声を聞かされた負は、耳鳴りに苦しむ。が、鼓膜が破れる程ではなかった。()れども周囲の音は拾えず、男が負を引き上げながら何か言っているらしいのも良く聞こえない。

 男が走り出す。逃げているようなので、負もそれに続く。少しずつ聴覚が回復してくる。

 走りながら、負は今さっきの障壁が、腕輪の機能であるのか気になって、また腕輪に指を滑らせる。

「えいっ」

目の前を走っていた男が消える。

「あれっ?」

慌てて立ち止まり、周囲を見回す。しかし男の姿形もないし、先程出現してくれた障壁も消えて、私柳がゆらゆらと陽炎を思わせる気迫を負って追跡を再開しようとしている。恐れをなした負は、障壁を期待してまた腕輪に触れるが、今度は何も起こらない。何度も繰り返すが、やはり起こらない。いい加減にしないと私柳が襲ってきそうなので、致し方なく逃走を続けようと振り返った負の目の前に例の男。男は負の胸倉を摑み上げる。

「遊ぶな」

凄む男の様子に当惑の負は応答を遅らせる。

 男は拳銃を抜き放つと連射する。着弾点と思われる辺りに不透明の障壁が出現し、私柳の進路を塞ぐ。

 男は銃から排莢し、何も持っていない手から手品のように弾丸を再装填していく。銃も弾丸も「守護者」らしい。つまり不透明の障壁は腕輪の機能ではなく、この男の「守護者」の機能だ。

「行くぞ」

言われ、負は男に付いていく。

「何処に向かっているんだ」と負。

「あいつから距離を取っているだけだ。敵なんだろう」

「そうだけど、逃げているばかりじゃどうしようもない。本来の目的地はあっち側だ」

男は足を止めて振り向く。

「目的地は何処だ」

「後見秋子っていう赤市民の家だ」

「成程な。……お前、あいつの階級は分かるか」

「私柳景のか。腕輪は黒だった」

「黒? なんで黒が『守護者』を……。珍しいな」

男は腰から光線銃を抜く。

「倒すのか」と負が訊く。

「当然だ」

「なあ、あんたは何者なんだ。名前は」

「俺は帯刀仁たてわきじん。お嬢の侍従だ」

そう言うと帯刀は、野鹿を仕留めんとする猟師の如き、威風に満ちた足取りで、私柳の許へ向かっていく。道を塞いでいた障壁は消失し、迂回しようとしていた私柳の姿も露わになる。

 帯刀は拳銃を撃ち、障壁を現して私柳を牽制、視界を遮られて横に跳び出た私柳に向けて、光線銃を構える。その顔には、余裕綽々たる勝者の笑みが零れている。ZAP! ZAP! ZAP! 目映い黄色の光線が宙を迸り、私柳の腕輪に吸収される。帯刀の動きが止まる。

 私柳は獰悪さを見る者に感じさせるような笑い方をする。そして帯刀へ一直線に駆けてくる。帯刀は銃を撃ち障壁を出現させるも、今度は私柳も機敏な横跳びでそれを避ける。或る程度の接近を以て、液体金属は槍への変化を見せる。帯刀の脇腹を尖先が掠る。だが二本目の槍先が帯刀の顔面へ肉薄――。

「えいっ」

その場から帯刀が立ち消える。

「ほいっ」

負が腕輪に指を滑らす。負の背後に帯刀が出現する。

「成程、あんたを出したり消したりするのが、この腕輪の機能か」

得心する負の肩を鷲摑み、帯刀は負の耳に顔を側付ける。

「その通りだ、そして良く俺を助けてくれたと言いたいところだが、おい、あれはどうなっている」

「いででで!」指が負の肩に食い込む。

「なぜ黒の腕輪が黄の光線を防ぐ」

「知るか! 知るか! 離せよ」

半ば突き飛ばすような離し方を帯刀がするので、負はよろけてしまう。むっとしながらも、負は帯刀の背後に隠れる。

「とにもかくにも、あんたが頼りだからな。あいつをやっつけてくれ」

「どうやって」

帯刀はまた撃って障壁を出し、時間を稼ぐ。再装填。

「その銃であいつを撃てばいいだろう。脚とか撃てばいい。射撃下手ですか?」

「喧嘩売ってんのか貴様は」

帯刀がその場から逃げるように歩き出し、負はそれに続く。帯刀は折々振り向き、銃を撃ち、障壁を続々と出現させる。

「この銃と弾丸は、見ての通り障壁を出現させる。障壁は着弾面に対して垂直に現れるか平行に現れるか選択できるし、消滅までの時間も俺の意思で調節できる。だが殺傷能力はない。当たっても少し痛いくらいだ」

「マジか」

 二人は目的地の秋子邸からどんどん離れていく。障壁で足止め出来るので、広場に居るうちは中々追い付かれないだろうが、射線を妨げる障害物の多い場所に出れば、どうなるかは未知数。そうかと言っても、私柳を無力化する術はない。

 負は周辺を見回す。二人は今、広場の中心辺りに居て、ここには花壇が円を描くように配置されている。円の十二時と六時、三時と九時の方向でそれぞれ花壇が断絶し、道を開けている形だ。花壇の向こうでは、戦闘に気付いた市民たちが慌てふためきながら退散している様子が窺える。

「待て」負が帯刀を引き止める。「ここで迎え撃とう」

「策があるのか」

「私柳の守護者は多分、射程が短い。でなければ俺はとっくに串刺しだ。それに操作にはあいつの視界が必要で、そうでなければ障壁の隙間をすり抜けるであろうあの液体金属を防いではこられなかった」

「ふむ、それで」

「奴が追い付いたら、あんたはこの花壇の円に沿って障壁を出してくれ。それで視界を邪魔して、不意を突いて攻撃する」

「失敗すれば死ぬぞ」

「このままでも死ぬさ」

二人は覚悟を決めて、頷き合う。

 十二時の位置で待ち構える負と帯刀に追い付く私柳。六時の方向に立っている。だが三人は動かない。身動ぎもしないで、それぞれの動きに注意している。逃げ続けるのは、追われる負と帯刀には無論、追う私柳にとっても無駄だ。だから負と帯刀は覚悟を固めたし、私柳は今すぐにも決着を付けたい。張り詰めた糸が断ち切れる寸前のような緊張感が三人に横溢(おういつ)する。液体金属は薄く私柳の足元に広がり、いつ命を貫く動きを見せても不思議はない。

 前触れもなく銃を抜くのは私柳。光線銃だ。黄の光が負を目掛けて飛翔する。――が、現れた障壁が負を守る。帯刀、電光石火の早撃ち。

「今だ」

負の合図で帯刀は連射。時計回りで円に沿い、障壁が立て続けに現れる。

「浅知恵め」

私柳から帯刀の方向へ、液体金属が硬化して壁を作る。帯刀からの攻撃を防ぐ役目。そして私柳自身は、障壁が立ち並んだ方へ悠々と体と光線銃を向ける。負が姿を見せた瞬間、それを蒸発させる手筈が整う。そして負の気配。だがそれは、私柳の背後にあった。

 世界がひっくり返るような悶絶ものの衝撃が、私柳の股間で爆発する。負の渾身の蹴り上げが私柳の急所へ、人生初、震天動地、痛烈無比の激痛を到来させた。

 負は障壁が出現した反対方向、つまり逆時計回りに走って、私柳の不意を突いたのだった。

 股間を押さえ倒れ伏す私柳に負が組み付く。私柳の腕を捕まえ、腕輪を奪おうとする。しかし顔を真っ赤に悶えながらも、私柳は鬼の形相で負を睨む。畏怖した負は、予感して、体勢を(かし)ぐ。そこに液体金属の槍が突き出し、間一髪で負は無事に済む。だが体勢を崩した事で拘束が弱まり、私柳に殴られる。負は殴り返す。数発を遣り合った後で、私柳の視線が横に逸れる。察知する負は私柳を引き揚げるようにして、転がる。位置が交換された私柳に、狙いの外れた金属の槍が掠る。至近距離が過ぎて、迂闊に「守護者」を使えば、自身に害を加えかねない。だが体勢が変わった事で、今度は私柳が負に馬乗り、滅茶苦茶に殴り付ける。割合には良く防いで反撃もする負だが、やや分が悪い。そこで負は自分が元々所有していた腕輪を取り摑み、それで以って私柳を殴る。私柳は怯み、負は私柳を横に倒す事に成功する。加えて一発殴った後、続け様、負の脚が素早く私柳の上膊(じょうはく)に絡みながら手は私柳の手首を取る。そうして負は地面に倒れ込む。肘関節が極まる。

 容赦する理由もなく、そのまま限界まで極めて、靭帯を破壊するつもりの負。だがその上空を向いた目に、人影が映り込む。

 上空から灰被りは組み争う二人の男を視界に入れた。背後の雫形の機器が作動し、灰被りを宙に浮かせている。灰被りは「守護者」を起動、肩までを覆う篭手が出現。組み合う二人に向けて降下する。

 降ってくる女の見覚えに、負の私柳に向けた意識が削がれる。その女の異形にも見える篭手が炎を纏い始めて、負は感情の働くより先に私柳から離れる。負の技から逃れた私柳は身を転がして体勢を変え、「守護者」を負に差し向ける。が、それを妨げる爆炎を伴って灰被りが着地する。炎々たる殺気の煌めく瞳が私柳を捉えた。

 俄かに肌の粟立つ私柳は、猛獣と邂逅したような危機を感じる。私柳の「守護者」は咄嗟に変化し、血肉欲する槍の形は灰被りの心臓を狙う。弾け飛んだが如き速さを以て、灰被りの胸を目掛けた槍は、しかし灰被りの篭手にいなされる。灰被りはそのまま灼熱する岩石のような篭手の拳を私柳に打ち込む。寸での所で液体金属が壁となり、直撃を防いだものの、その高温にたちまちほどけて、金属の防壁を突き破る。稼いだ一瞬間の一刹那でも空費したなら、自身の肉の焦げる臭いを嗅いだであろう私柳は、後ろへ下がって難を逃れた。

 一歩、歩み出た状態の灰被り。結果、液体金属はその大凡(おおよそ)を灰被りの背後に位置取る。

――しめた。

私柳は勝機をそこに見る。硬化する液体金属、二度目の狙いは、灰被りの背。だが灰被りは背後に目でもあるかのように、絶妙の間合いでそれを外す。ほんの僅かに宙に体を浮かせ、氷上を滑走する如く、溜めのない避け方に、自身の顔面を誤って貫きそうになる私柳。殆どひっくり返るようにして、後方へ飛び退いた。

 私柳は光線銃を出す。黄色の光線は、炎熱の篭手に防がれる。灰被りの「守護者」の圧倒的な性能に、私柳が防戦に徹する形で、二人は戦いを繰り広げ続ける。

 灰被りと私柳が交戦する最中、負は匍匐(ほふく)しその場を離脱し、花壇の陰から帯刀と共に、その様子を眺めていた。

「どうするよ」と負が言う。

帯刀はそこはかとなく口惜しそうな表情で、灰被りらの戦闘に見入っている。

「おい」と負が返事を促す。

「聞こえている。逃げるが吉だろう」

「なら行こうぜ」

「ああ」

二人は私柳たちからこっそり離れ、或る程度の距離を見計らい、駆け足になる。

「なあ」と訊くのは負。「あの、炎を使っていた女の事、何か知っているか」

「何故そんな事を俺に訊く」

帯刀は負を見ない。

「他に訊く奴がいるか」

暫く無言で走った後、通常の足取りに戻り、歩きながら、帯刀は言う。

「『紛紜処理係』の灰被りだ」

「ふんうん……? 空を飛んでいたのは何だ。あれも『守護者』か」

「いいや、あれは『浮行装置』だ。頭部に制御操作の為の機器を装着したりしてはいるが、物を浮かせたり動かす原理は普通の車と同じ。治安部隊もよく使っている」

「じゃあ紛紜処理係というのは、公的な組織なのか」

「灰被りの使っていた物は正規品ではない。つまりそういうことだ」

「私柳景を狙っていたようだが、殺し屋なのか」

「少し違うが、そう考えても差し支えはないだろう。さっき見た通り、かなり危険な相手だ。出来れば戦いたくはない」

「あんた碌な攻撃手段ないもんな」

帯刀の光線銃が負に向く。

「まあ俺程ではないがな」

からからと負は笑った。


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