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追う者そして追われる者

 黒社会にも公共の場というものは存在しているが、その代表的なものは広場だ。広場には便所やベンチがある他に、広場の何処からでも見えるような位置にテレビスクリーンが設置されているのが標準だ。今現在テレビスクリーンには、「星屑の児戯」というアイドルの歌い踊っている姿が映し出されている。「星屑の児戯」の、伝記的な映画の予告編だ。「星屑の児戯」は黒市民として世に生を受けたが、或る日に「守護者」の起動を成功させる。その後に「大兄事務所」という芸能事務所の新人職員に見出され、アイドルとなる。「星屑の児戯」に(まつ)わる物語はどれもが一々劇的で、感動的だ。生まれが黒市民でありながら、「守護者」の起動に成功した希少例という事も相俟(あいま)ち、黒市民からの人気は絶大で、例えば蜂須賀もファンの一人だ。

 番組は内容が切り換わり、「星屑の児戯」によるバラエティ番組が映される。

『皆さん、こんにちは、「星屑の児戯」です! 今日は私の所属する大兄事務所からデビューする、期待の新人さんを紹介しちゃいます!』

「星屑の児戯」が登場する番組は、上位市民との親交を強調する内容が多かった。たったいま放映されている番組も、「星屑の児戯」の後輩を紹介している態ではあるが、その後輩は低くとも白市民階級だ。そして、黒市民は「星屑の児戯」を黒市民の代表のように見る。実際には黄市民であろうともだ。だから、「星屑の児戯」が上位市民と交流しているだけで、何となく黒市民の地位が向上したような気分を味わえる。

 今、広場で過ごす黒市民たちも、否応なく視界に映り、耳に入る番組をそれなりに楽しんでいる。

 (もっと)も、負は「星屑の児戯」に些かの関心も持ち合わせていなかったので、広場を素通りしていく。この広場を出て、通り沿いにあと二つの広場を過ぎれば秋子邸だ。筆学所を出て直ぐに秋子に連絡を取ろうとしたが、秋子は通信に応答しなかった。なので、取り敢えず徒歩で秋子邸に向かいながら、秋子からの折り返しの連絡を待っている。

 自販機が目に留まり、負は飲料を(あがな)おうと腕輪を取る。腕輪に表示される所持金の心許(こころもと)なさににやけて、自販機を離れる。

――後見が車で迎えに来てくれねえかな。

肩に提げている雑嚢を背負い直し、眠気に欠伸を誘われながら、負は高架道路を見上げた。

 高架道路へ上がった私柳は、「可乎帳」の前でバイクを停める。中に入って、先生の腕輪を使用し、情報を検索する。先生の腕輪に保存されている識別情報から、負の腕輪の位置情報を探る。そして、見付ける。それを自身の腕輪に転送し、通話機能を使う。

「俺だ」と私柳。「今からそちらに情報を送る。それから、『焚書官』の全団員に通達しろ。今から送る情報にある、宿世負という男を直ちに捕縛し、その腕輪を奪えとな」

通話を終了する。窓に群集する「可乎蝶」を見て、窓を叩く。「可乎蝶」は散っていく。私柳は早々にバイクへ戻り、高架道路の下へ、黒社会へ向けて、疾駆する。その頭上で「可乎蝶」は群れを為している。

 通りを往く負に着信が入る。応答する。

「後見か、実は――」

「貴方、先生から何か預かっていないかしら」

「何だよいきなり。預かっているが?」

「そう、それじゃあ……早く逃げて」

「え?」

「早く逃げて、わたしの家に向かって」

「いや、丁度向かっているんだけども、どうした」

「落ち着いて聞いてね。筆学所が燃やされたの」

 負は咄嗟に返事が出来ない。沈黙したまま何歩か歩いて、立ち止まる。

「先生は」

負の問いに、電話の向こうからは息を呑む微かな音声がする。

「死んだわ」

「冗談なら本気で怒るぞ」

「こんな冗談なんて言わないわよ。腕輪で掲示板を確認しなさい。黒の間で結構な話題になっているわ」

負は自身の腕輪をポケットから取り出し、「ユートピア」の機能の一つである、電子掲示板を表示する。掲示板の題が幾つも並ぶが、その中に「筆学所」や「炎上」「火災」「消失」等といった単語が散見される。

「どういう事だ、おい、何で……。お前は何か知っているんだろう、後見!」

「怒鳴らないで。貴方が先生から預かったものが原因よ。そして、それを狙っている人間がいるわ」

「誰だよ」

「私柳景という男よ。それに、そいつが率いる『焚書官』という地下組織の連中も敵よ」

負はまた黙る。渋面(じゅうめん)を抑えられない。

「ねえ、負」と秋子。

「何だ」

「細かい事は後で説明するわ。説明するから、逃げて、お願い」

「言われるまでもない」

抑圧された声音。負は歩き始める。

「御免なさい、負、本当に御免なさい。こんな風に貴方を巻き込むつもりはなかったの」

「切るぞ」

言って直ぐ様、負は通話を断つ。

 車内、音声の途切れた腕輪を構えたまま、秋子は苦々しく顔を顰める。

「嫌われたかしら」力なく手を膝に付く。

「嫌われるような要素がありましたか」と唐栗令奈。

「負にしてみれば、わたしが全ての元凶に思えても不思議はないわ」

「そうなれば不都合ですね。その預かり物が何なのか私は存じませんが、宿世さんから渡してもらえなくなるかも知れません」

「ええ、そうね、本当にそうだわ」

秋子は祈るような心持ちで、流れ去っていく車外の景色を見るしかなかった。

 黒社会の一画、再開発予定地の片隅に灰被りは居る。土の上に膝を抱え込んでいる。周囲に鳩が寄り集っている。「可乎蝶」も数頭が踊り回っている。

 灰被りは何度も人を殺めてきた。それが良い事だとは、流石に思わなかったが、しかし決して悪い事だとも思っていなかった。何故なら、「ユートピア」が下す指令は、正当なものである筈だからだ。灰被りは悪人を処刑してきたのだし、それが「紛紜処理係」の仕事である筈だった。だが、灰被りにとって、先生は悪人と言い切るには、その人柄を知り過ぎていた。

 年月を経て変わってしまったのだと――例えば自分のように――、そう考えてみる。けれども、最期に交わした会話から、そんな気配は感じ取れなかった。その一方で、先生が「紛紜処理係」の標的になるというのも、感覚では理解できていた。つまり、思想犯という理由だ。しかし、灰被りはそんな理由を理性によって認める訳にはどうしてもいかなかった。何故なら、思想が社会の規範と食い違う事は、必ずしも悪人である事を意味しはしないからだ。無知や誤解そのものが悪で有り得るとしても、それは無知の人や誤解する人を悪人として断罪する理由にはならない。

 灰被りは理性と感覚を一挙に納得させる理由を作ろうと頭を捻るが、一向に埒は明かない。

 時刻を見ようと、灰被りは腕輪に触れる。すると、メールの通知が入っていた。メールは登録していない相手から届いている。相手の識別情報を見て、見覚えを感じる灰被りはややの間、記憶を辿り、それが先生の腕輪のものだと思い出す。先程の先生との通話で見た識別情報だった。メールが送られてきた時間からして、灰被りが筆学所を燃やす直前に送っていたらしい。黒い(もや)を脳内に抱えるような気持ちを覚えながら、灰被りはメールを確認する。


〈 贈り物 〉

▽展開しますか?


本文はなく、添付画像だけのメールだ。(いぶか)る気持ちが胸中に疼くが、放置する理由もないので、灰被りは画像を確認する。

 それは名簿らしかった。顔写真に、活動期間と死亡年月日が併記されている。最初、何の名簿か分からないでいた灰被りは、名簿の一番下を見て愕然となる。名簿の一番下には、彼女の顔写真と活動期間が記されていた。灰被りに記されている情報は、活動開始年月日と、活動中であるとの記載。これは、「紛紜処理係」の名簿だった。

 改めて上から下へ名簿を確認していく。死亡、死亡、死亡、死亡……。現在活動中の者を除き、例外なく死亡している。しかも、その中には、且つて彼女が手を下した人物が複数人も含まれている。死因は記載されていないが、その活動期間から推察して、恐らく任務の失敗か、灰被りが知らずにそうしたように、暗殺の対象となった可能性が高い。灰被りの手指が震えている。

 この名簿が本物だとすれば、「紛紜処理係」としての労務が終了した時、自分はどうなるのか。労務の終了とは何を意味しているのか。若しかすると……。

 灰被りは自分の罪が全て暴かれ、連行され、裁きの場に立たされたように感じる。悪人は自分で、正義は自分に矛を向けている。騙されてやったんだ、何も知らなかった、仕方がなかった、そう訴えても、やった事の取り返しはつかない。

 「ユートピア」からメールが届く。それに驚いた灰被りが完全に怯えた声を上げてしまう。


〈 ユートピアだより 〉

▼黒市民 灰被り へ

▼「任務番号98」の達成を確認しました


〈 ユートピアだより 〉

▼黒市民 灰被り へ

▼貴方に指令を与えます

!指令の拒否は反逆と見做します!

▼「紛紜処理係」に課す一般任務……

▼詳細は別添の「任務情報99」にて

▽「任務情報99」を展開しますか?


「あと二人……」

 あと二人で、任務番号100は達成されてしまう。その時、自分はどうなるのか。そもそも、そこまで生きていられるのか。いつか、いつかの、元の生活に戻るという灰被りの願いは、ここに来て、急に遥か遠いものに変貌していた。行き慣れた道を進んでいるつもりが、いつの間にやら全く知らない場所を彷徨(さまよ)っていたかのようだ。

 灰被りは任務情報を展開する。仕事内容はやはり暗殺であり、その対象名は「私柳景」。

 周りに居る鳩の一羽が――灰被りの内心が――語り掛けてくる。

――やっぱり、貴方は利用されていたんだね。

「うるさい、違う」

――あと二人、任務を達成して、そうしたら、どうなるの。

「何もかも終わりだ。終わるんだ」

――そうだね、終わりだね、何もかもね、何もかもね。

「うるさい!」大声に周りの鳩が飛び立つ。「そうじゃない、終わるのは『紛紜処理係』の役目だけだから、お願い、もうやめてよ……」

しかし、声は止まなかった。

――貴方はきっと死ぬ。殺される。貴方がやってきたみたいに。死ぬ、死ね、死んじゃえ。貴方みたいな人は死んで当然なんだ。罪のない人を、騙されたような人を、貴方みたいな人を、焼いて、燃やして、殺した……。

「うるさい! うるさい、うるさい……」

――だって、そうでしょう。あの先生が、わざわざ偽物の名簿なんて送ってくる筈がないもの。

「違う、そうだよ、この名簿は偽物なんだ。こんな物がある筈ないもの。そうだよ、だって、どうしてこんな物が手に入るの。偽物なんだよ、偽物なんだ……」

――偽物なんていう証拠はない。

「だったら、証拠を摑んでやる。『ユートピア』の関わる情報だったら、全部、情報統制局に保管されている。だから、情報統制局に接続して、この名簿の情報と照合すれば、全部、はっきりする」

――出来ない事を言って、誤魔化すんだね。情報統制局の情報を検索するには、黄市民以上の権限が必要だもの。自分には絶対に確かめられない事を言って、永遠に保留するんだね。

「違う、保留なんてしない。だって、確かめられる」

 灰被りは「任務情報99」を再び展開する。暗殺の対象名は「私柳景」。黄市民ではあるが、現在は黒市民に身分を偽装しているとの事だ。灰被りの眼は爛々と輝く。口元は歪んだ笑みを湛えていた。


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