筆学所炎上
負と灰被りが別れるのを、先生は監視映像で見ていた。その映像の隣には、火災現場の映像が流れている。過去の映像だったが、そこに映る人影のうちに、灰被りと良く似た背格好がある。装着されているらしい「守護者」の影絵は、片腕を覆う篭手の形姿だ。映像の画面に新しい表示が浮かぶ。「解析終了」そして「人物一致」。先生は大きく溜め息を吐き、自らの腕輪に触れる。「守護者」を起動した。
灰被りは筆学所に着く。この建物は部分的に周辺の民家と同様の佇まいをしているが、後から一、二度は建て増しされたらしく、新しい大きな部分が古い小さな部分に被さって、大体積の荷物を背負う媼の観を呈している。その上空を何頭もの「可乎蝶」が飛び回っている。灰被りは入口の戸の前に立つが、開けるか開けまいか迷う。逡巡していると、腕輪に着信が入った。知らない識別情報からだ。応答する。
「もしもし、私です」いつか聞いた覚えのある声だ。
「お久しぶりですね」相手は続ける。
「先生なのですか」灰被りが問う。
「ええ」
訳もなく先生は答えた。
暫時、両者共、無言で過ごす。先に口を開けたのは、灰被りだった。
「今、筆学所の中に居るのですか」
「ええ、居ますよ。貴方の事は映像で確認できています。因みに貴方の腕輪の識別情報は、大分前に検知させてもらいました。この通話はその情報から行っています」
「先生以外は、建物の中に居ないのですか」
「はい、人払いは済ませておきました」
「そうですか。……かなり広範に監視装置を仕掛けていましたね。鳩とか、樹とか、鼠にまで偽装して」
「あれを見破るとは、大したものですね」
「防犯にしては過剰です。先生は何をしているのですか」
先生は無言になる。灰被りは唇を噛む。
「こういう話しをご存知でしょうか」先生は言う。「『可乎蝶』は運命に人を導く」
「『可乎蝶』?」
「よく外を飛んでいるあの黒い蝶の事です。あの蝶が人を運命に導くという言い伝えです」
「それが何なのですか」
「貴方を救う魔法を持たない私からの、せめてもの贈り物ですよ。貴方を救うのは私の役目ではありませんので」
「全く意味が分からない」
灰被りは、腕輪の嵌まる方の掌を筆学所に当てる。片方の手は腕輪に触れる。
「先生はわたしが何者か知っていたのですか」
「ええ、知っていました」
「わたしが何者か知っていて、なぜ逃げなかったのですか」
「それは逆ですね。貴方が何者か知っていたから、逃げなかったのです」
「それは――」灰被りが「守護者」を起動する。「当てが外れましたね」
白光。
灰被りの前方が灰燼と化し、筆学所の跡形もない。溶け残ったような炎が地面に生え、細かい炭と一緒に「可乎蝶」が舞う。灰被りの片腕には、肩まで覆う篭手が出現している。炎熱を縦にする灰被りの「守護者」だ。
燃え滓を踏み進む。炭化した死骸を見付ける。人の形をしているが、誰であるかなど、見分けようもない。灰被りは心臓が不愉快なまでに強く鼓動しているのを感じる。腕輪の通信は途切れていた。
守護者を停止すると、灰被りは通りすがりを装って去っていく。しかし、顔は青褪め、唇には痺れがあった。




