2話 最悪の出会い
──今日から春斗達が3年間通うこの『桜高校』は極々普通の進学校である。
特に偏差値が高くも低くもなく、ここに入学を決めるほとんどの理由が『家から近いから』や『自由な校風だから』といったものだ。
春斗や夏月が入学を決めたのもその2点が決め手であり、なんだったら春斗なんかは学力的にもっと上のレベルの高校も狙えた。
制服はブレザーであり、上着が藍色、ズボンとスカートは灰色といった塩梅だ。
因みに学年毎にネクタイとリボンの色が違い、1年生は『青』、2年生は『赤』、3年生は『緑』となっている。
全校生徒は600人程で、1学年約200人。
1クラス40人前後なので1学年でA組〜E組の5クラスである。
春斗のクラスは『1年A組』であり、その担任の先生が───
「みんなおはよう!私が、今日から君達の担任になる『佐藤薫』だ!佐藤先生でも薫先生でも薫ちゃんでも好きなように呼んでくれ!私も君達の名前を早く覚えて自由に呼ばせてもらうからよろしくな!さてさてこの後は第一体育館に移動して入学式となる訳だが開式が9時からでぶっちゃけまだ時間がある!今の内にトイレに行くも良し!新たな交流を求めるのも良し!とにかく自由に過ごしてくれ!先生はちょっと今から席を外すからあまりうるさくしないようにな!5分前には戻って来る!てか入学式に金髪とかヤバイ新入生だな!精々先輩達に目を付けられないように!じゃあそゆことで!」
─── 一息で自己紹介と今後の自分達の行動予定を説明していったこの人が、このクラスの担任となった『佐藤薫』先生である。因みに金髪のヤバイ奴は夏月の事。
暗めの茶髪を後ろの低い位置で団子状にした髪型で、顔はなかなかの美人である。
見た目20代後半であるが、あの堂々とした雰囲気と慣れた喋り方から恐らくはもう少し年齢は上であろう。
入学式ということもあり、ビシッとしたスーツ姿が似合ってはいるが、正直ジャージ姿の方がしっくりくる印象だ。式典以外は恐らくそういった格好であろう。
男勝りな喋り方から親しみやすさを感じ、誰もが良い第一印象を持った。
───そんな中、その先生に全くと言っていいほど意識が向かないぐらい自分の頭の中がごちゃごちゃになっている生徒が一人────言わずもがな立花春斗である。
朝のHRが始まる直前──即ち遅刻ギリギリまで涙が止まらなかった春斗は、3人の協力もあってなんとか涙を押し殺し、担任の先生が教室に入る直前に無事席に着く事が出来た。
そして、人前であれだけ盛大に泣いてしまった春斗の心情と言ったら───
「やっべぇ……マジでやらかした……」
恥ずかしいなんてものじゃない。
夏月と太陽はまだいい。あの2人はある程度春斗の事情を知っているのでなんで泣いたのか大体の想像がついてるはずだ。
──だがあの子は違う。
ただ桜に似ているだけであって────桜ではない。全くの別人。言ってしまえば初対面だ。
その子の前であれだけ泣いてしまったのだからもう恥ずかしいやら格好悪いやら───とにかく未だに立ち直ることが出来ずに自分の席で項垂れていた。
そんな春斗を余所に、佐藤先生が立ち去ってからクラス内の生徒達は各々動きを始めていた。
トイレに行く者。
元から仲が良かった友達の席に行く者。
新たな交流を求めて順番に席を回って行く者。
スマホをいじり始める者。
狸寝入りを決め込む者。
この僅かな時間ながら大体のクラスメイトのおおよその性格が窺える。
そして項垂れたままの春斗の目の前に、誰かが立つ気配を感じ、ゆるゆると顔を上げた。
スラリとした長身でありながら、肩周りなどを見るとなかなかガッシリとした体格に、ムカつくぐらいイケメンな顔を乗せた短髪で金髪のヤバイ新入生───緑川夏月だ。
「春斗、ちょっと……いいか?」
と言って親指をクイッと後方に向ける。
その方向を見てみると、そこには2人の女生徒が並んで立っていた。
2人共よく見知った顔だ。
「あぁ…おぅよ」
正直まだ自分の気持ちに整理がついていないので拒否したい気持ちもあったが、これ以上心配をかけたくないと思い渋々立ち上がる。
───傍から見たらヤンキーに絡まれてる一生徒にしか見えないので、一瞬教室内がざわついたが、夏月は気にしてない───と言うより気付いてない様子なので春斗は黙っておく事にした。知らぬが仏だ。
「なんだか〜、春斗ちゃんが〜、ヤンキーさんに絡まれてるみたいだったね〜」
「ちょっと太陽さん!?」
普通にぶっちゃけちゃったよこの子。
俺の細やかな優しさの意味よ。
手を合わせながらいつもの優しい微笑みでそう言った栗色の髪の毛のゆるゆるふわふわ女子───朝日奈太陽は通常運転であった。
想い人から今の言葉を言われた夏月本人はと言うと流石に凹んで───
「ひ、太陽さんが俺の事めっちゃ見ててくれてたって事か!?ヤッベ、高まるぅ!!ウェイ!」
あ、うん、全然そんな事無かったわ。
コイツはそういうやつだったね。
俺の心配返して。
───いつもの2人のやり取りに少し心が軽くなる。
狙ってやってるのか、天然なのかは分からないが───てか100%天然だけど、それでもやはりこの2人にはいつも救われてばかりだなと春斗は痛感した。
夏月がこの場に自分を呼んだ理由は分かっている。しっかりと向き合わなければ。
覚悟を、決める。
パッと顔を上げ、『彼女』と目を合わせる。
突然目が合って少し驚いた表情をしたが、直ぐに不安そうな顔をした彼女────桜によく似た女生徒だ。
綺麗な黒髪をポニテにしており、解けば肩甲骨の辺りまでの長さはあるだろう。
顔を全体的に見た時は、本当に桜そっくりのとても綺麗な顔立ちだ。
────1つだけ違う点を上げるとしたら、目だ。
父親譲りの優しい目をしていた桜と違って、目の前に立つ彼女の目はとても凛々しく、攻撃的な可愛さを醸し出している。
最も、この高校でその違いが分かるのは春斗ぐらいのものだろう。
「えっと……」
「あの、私、もしかしたら何か春斗くんの気に触るような事しちゃったのかなって思ってて……それで、ちゃんと謝りたいなと思って呼んでもらったの」
何から話そうか、と思っていた春斗に対して、彼女は自分をここに呼び出した理由を未だに不安そうな、しかしとても心配そうな表情で話してくれた。
自分が何かしてしまったのでは、という不安と────春斗に対しての心配だ。
普通、初対面の人が自分を見て急に泣き出したりしたらドン引きしてもおかしくないものだが、彼女の表情からはそういった感情は一切見られなかった。
────性格まで桜そっくりかよ。
「ふっ…」
「ふぇ…?」
思わず笑みがこぼれる。
急に笑った春斗を見た彼女の表情に、少しの動揺と焦りが浮かんだ。
───その様子まで桜そっくりで可愛いな、と春斗は思いまた笑みをこぼす。
「いや、違うんだ。えっと……今朝のことは別に君が悪いって訳じゃなくて……ちょっと込み入った事情があると言うか何と言うか……。むしろお見苦しいモノを見せしてしまって申し訳ないと言うか…。兎に角、全然君が何かしたとかそういうんじゃないから安心して。心配してくれてありがとう。」
流石に泣いた理由まではここで話す事は出来なかったが、最低限彼女に否はないという事だけは伝えられたと思う。───勿論、泣いた理由という重要な部分は抜けているのでかなりふわっとした言葉になってしまったのには違いないが。
「そっ…か、それなら、安心しました。」
その言葉を受けて、彼女はまだ少し心配した表情をしていたが、取り敢えず不安は無くなったのかこちらに微笑んでそう言った。
彼女自身、春斗に聞きたい事は山程あるはずだ。
しかし彼女は春斗が言いたくなさそうにしていたのを悟ったのか、その後は何も聞いてこなかった。
優しい。本当に──桜そっくりで優しい。
───因みに春斗自身の口から夏月と太陽対して、自分の過去については話した事はない。
勿論学年が一個下とは言え、普通に春斗と桜の事は全校生徒に広まっていたので、春斗が直接話さなくても、2人共出会った当初からある程度の事情は把握していたらしい。
───もっとも、2人は桜の顔までは知らなかったようだが。
「さてと、取り敢えずこれで変なしこりは無くなったって事でいいのかな?」
「あぁ、心配かけて悪かったな。サンキュ」
ここまで2人の会話を見守っていた夏月が、会話が一段落した頃合いを見て言葉を挟んできてくれた。───正直、本当に助かる。
これで一旦この話は終了。
空気を変えるために別の会話に切り替えて───
「それにしても〜、いきなり春斗ちゃんが〜、泣き出しちゃった時は〜、流石の私もビックリしちゃった〜」
「なぜ掘り返したぁああああああああ!」
「太陽ちゃん!空気読んで!」
「ヤバイ!マイペースひまわりさん可愛過ぎる!」
あまりの空気の読めなさに総突っ込みだった。
若干一名バカが混ざってたが。
相変わらずのマイペース。ワンテンポ遅れた会話。圧倒的太陽節だった。
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ぶち壊された空気をどうにかこうにか取り戻し、ようやく各々自己紹介に入る。
───空気破壊の太陽は特に気にした様子もなく、相変わらずふわふわと微笑んでいた。その微笑みをチラチラと見ている夏月も相変わらずだった。ホント残念なイケメンだなコイツ。
「取り敢えず名前だな。俺の名前は……てかもう何度も呼んでるし分かってるか。フルネームは立花春斗。これからよろしくな。」
そう言って目の前の彼女に改めて自己紹介をする。
───目が合うと、無意識に『可愛い』と思ってしまうあたり、春斗の重症っぷりが窺える。
「オレは緑川夏月!彼女募集中だ!よろしく!」
あまりにもあんまりな自己紹介に当の彼女は困ったような笑みを浮かべた。ちょっと引き気味だ。
────が、そう言った直後の夏月の視線が自分ではなく太陽に向けられている事に気付いた彼女は、何かを悟ったように「あぁ…そゆこと」と言って我が子を見守るような慈愛に満ちた目をしていた。
あ、因みに太陽は全く気付いてません。夏月がこんなに見てるに。てかめっちゃ見てるじゃん。もう恐いぐらい太陽の事ガン見じゃねぇか。ちょっと太陽さん?いい加減気付いてあげてくれませんかね。
「立花春斗くんに、緑川夏月くん……だね。私は雛菊舞。舞踊るとかの舞ね。これからよろしくお願いします。春斗くん、夏月くん。」
────そう言って笑った彼女の顔は、まさに桜そのものだった。
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「てか2人っていつ知り合ったの?」
ふとした疑問を太陽に投げかけたのは春斗だ。
──と言うより最初から疑問に思いながら、言わずもがな色々とあったので忘れ去られていた素朴な疑問だ。
時間的にもうそろそろ佐藤先生が戻って来そうだったが、思い出したからには聞かずにはいられなかった。
彼女───舞の事は春斗も、そして三年間同じ学年だった夏月でさえ知らなかったのだから、勿論同じ中学出身ではないであろう。
さらに、太陽は今朝『新しいお友達』と言っていた事から、太陽自身も最近知り合ったのだろうということが窺える。
「あ〜、それはね〜、この高校の〜、入試の時にだよ〜」
「入試……か、なるほど。太陽も2期で入ったんだっけ?」
───高校の入試は1期選抜と2期選抜に分かれている。簡単に説明すると、1期は『面接』があり、その受け答えの良し悪しと、自分の3年間の実績や成績等で合否が決まる。2期は単純な『学力』で、50点満点のテストを5教科分、計250点満点のテストで高得点順に合否が決まる。
太陽『も』と言ってる事から、春斗自身も2期で入学を決めている。───まぁ留年してたからそれでしか入れなかったのだが。
「そうだよ〜、入試の時に私が校内で〜、迷子になっちゃった時に助けてもらったんだ〜」
うん、取り敢えず突っ込みたいところはあったが話を進めたいのでスルー。
「そういう事か、えっと、うちの子がお世話になりました」
「いやホントに。ありがとうございました」
春斗と夏月は揃って舞に対して深々とお辞儀をする。
「いやいや!全然大丈夫だよ!たまたま道に迷ってる太陽ちゃんを見つけて声をかけただけだから!」
顔を赤らめ、慌てて両手を胸の前で振りながら謙遜したようにそう言った舞だったが、方向音痴で、マイペースで、ふわふわと何処かに一人で行ってしまう太陽を見つけてくれた事はハッキリ言って大手柄だ。
何だったらそのまま迷いに迷って入試に間に合わずに不合格、なんて事になっていたかもしれないと考えるとゾッとする。
───まぁ多分本人が一番気にしないと思うが。
「テストが全部終わって後は帰るだけ、ってなった時に太陽ちゃんからお礼を言われて……そのまま連絡先も交換して、春休みの間も一緒に遊んだりしたもんね?」
「そうなの〜。あの時は〜、本当にありがとうね〜」
──と、2人の会話が一段落したところで教室の扉が勢い良く開かれ──
「よーし!待たせたな!今からお待ちかねの入学式だ!出席番号順に並んで第一体育館に移動するぞー!」
──入学式が、開式する。
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各クラス出席番号順に並び、A組から順番に第一体育館に入場する。
A組───つまり春斗達のクラスが最初に入ることになるので、出席番号1番である太陽を先頭にしての入場だ。
すでに各家庭の保護者は入場を済ませており、新入生が座る為に並べられた椅子よりも更に後方で、保護者同士が固まって座る形だ。
ステージ側を正面とするなら、入場するのは真反対の後方からなので保護者の横を通ってから自分達の椅子に向かうといった塩梅だ。
────因みに、春斗、夏月、太陽、舞の4人の保護者は入学式に出席していない為、この場にはいない。理由は、後々嫌でも分かる事なので今回は割愛させていただく。
そんなこんなで全新入生が入場を済ませたところで入学式が開式する。
開式の言葉が述べられた後、この学校の校長先生がステージに登壇し、春斗達新入生に向けてお祝いの言葉を述べた。
─────めっちゃ長かった。もう嫌になるぐらい。春斗なんかは心を無にして右から左へ聞き流し、夏月に至っては既に夢の中である。いや流石に起きてろや。
その長い校長先生の話も終わり、祝辞、祝電と淡々と式は進行し、続いては在校生代表の挨拶となり、この学校の生徒会長の名前が読み上げられる。
『在校生代表挨拶、在校生代表、生徒会長2年、神谷光太』
「はい」
「……は?」
返事をしたのはこの高校の在校生代表である生徒会長。
気の抜けた声を漏らしたのは新入生の春斗だ。
「なんでこいつがここに……てか生徒会長だと…!?」
自分だけに聞こえるような声にならない声でそう呟いた春斗は、登壇する生徒会長の姿を見て愕然とした。
見るからに真面目そうな銀縁のメガネを掛け、オシャレに七三分けされた黒髪が特徴的な整った顔立ちの美少年。
とてもとても性格が悪そうな(春斗視点)その男子生徒を春斗は知っている。
───忘れる訳がない。
彼は春斗と同じ中学出身であり、元同級生であり─────春斗に嫌がらせをしていた主犯格である。
正確に言えば、彼自身は春斗に直接何もしていない。
彼の特技は『人心掌握』であり、自分は手を汚さずに春斗に嫌がらせを繰り返してきた。
当時1年生でありながら、2、3年生を巧みな話術と言葉遣いで手中に収めて駒として扱い、更には教師陣まで取り込み、嫌がらせを見て見ぬふりさせていた事もあるぐらいだ。
───人を『使う』ことに関しては、彼に敵う者はいない。
その特出した特殊な能力により、中学時代も1年生で生徒会長にまで登り詰めた程だ。
恐らくこの高校でもそうなのだろう。
生徒会選挙が秋に行われるため、1年の秋に生徒会長になってなければここで在校生代表として登壇していないはずだからだ。
「最悪だ……よりよってアイツがいるなんて……」
────二度と関わりたくないと思っていた大嫌いな人との再会は、後に春斗の人生を大きく左右する事を、今の春斗は知らない。知る訳が、ない。
因みに新入生代表挨拶は入試満点合格の太陽だった。
天才らしくそつなくこなしましたとさ。ちゃんちゃん☆