小説家になろうへ投稿、というか小説を書くにあたっての心構えみたいななにか
小説を書くって楽しいよ!
近年、書籍化ラッシュやアニメ化などによりラノベ作家になるための一手段としても有名になってきた小説家になろうではあるが、そこで投稿するにあたっての気の持ちようや心構えのようなものを私なりに考えてみた。
断っておくが、私は書籍化した人間でもなければ、ブックマークも十ほどしかもらえていない、完全な凡人アマチュア作家である。これから私が語る内容は、決して上から目線のお説教でも、プロや人気作家目線の指導でもないことを理解して頂きたい。
某巨大匿名掲示板で散々言われている(≒馬鹿にされている)、小説家になろうにおける人気作品の傾向は、以下の通りだろう。
・トラックに轢かれて死ぬ
・異世界転生or異世界転移
・前世や転生前の世界では冴えない人間だった
・神のような存在からチート能力をもらう
・現代知識を駆使して文明が未発達な世界で天才扱いされる
・チートと現代知識でちやほやされ、ハーレムを作る
・俺TUEEEで無双状態
あの場所に張り付いている連中の事は嫌いだが、挙げられている特徴は確かにその通りだと思う。
今現在、小説家になろうから書籍化されているもののほとんどが上記の内容を含んだものばかりであるのは間違いない。飽和しているのも事実だろう。
しかし、彼らとなろう読者、なろう作者の決定的な違いは「物語を楽しんでいるかどうか」であると私は思う。
ありきたり、テンプレと呼ばれるものも、よく言えば王道であり、面白い作品ならばなおさらだ。
小説に感性やセンスは必要不可欠なものではあるが、何も考えず面白い作品を書ける人間などほんの一握りだろう。面白い作品にはきちんとしたパターンとロジックがあり、それから外れ過ぎた作品はかなりの高確率でトンデモ電波ストーリーになりかねない。
きちんと起承転結を考え、みんなが好きなストーリーを考えるのは容易な事ではない。それが好きな人が大勢いて、作者自身も好きならば何も問題は無い。
そして、掲示板の連中も執筆を始めるわけであるが、彼らが作品を書く時の考えは大体、次のようなものだと思う。
「俺の感性は高尚で俺の作品は芸術なんだ! あんなテンプレゴミ作品が受けて何で俺の作品が受けないんだ! レベルの低いやつらはついて来なくていい!」
「ほーらオタクども! こういうのが好きなんだろ!? こんな感じの書いてりゃたちまち人気作家だぜ!!」
このような考えで投稿された作品がどのような反応をされたのかはお察しである。そもそも反応すらされなかったかもしれない。
私が思うに、小説を書くにあたって一番やってはいけない事は「読者をなめてかかる」事である。
まとめサイトでラノベや小説家になろうについて語っているのを何度か読んでみたが、ハッキリ言って百害あって一利なしの空間であった。各々、好き勝手な事を言っているのはいつもの事だが、話している内容が薄っぺらくて仕方が無い。
「テンプレ通りにやれば俺でも書ける」「どうせクソニートの妄想の垂れ流し」「こんなんで儲かるとか楽な商売やな」etc……
中には自身も投稿してプロを目指しているという人もいたが、こいつらに共通している特徴としては「自分は特別」だと思っている点である。ろくに小説も書いた事がないくせに「俺はこいつらとは違う、才能がある」と内心思っているのが透けて見えるのだ。
言うは易く行うは難しの言葉通り、テンプレ通りに書いたからといって、それだけで人気が出るほど読者はバカではない。ましてや、読者を嘗めくさって書いた作品などなおさらだ。
私は根性論や精神論はあまり好きではないが、書いた作品に書き手の想いがこもるというのは嘘ではないと思う。うまく言えないが、本当に楽しんで自分が面白いと思って書いたものには何か「熱」のようなものが確かに宿るのだ。そしてそういった作品を読むと、なぜか読み手も楽しくなり、読者も自然と増える。例え文章が稚拙でも、内容に目新しさや緻密さがなくとも、何かしら人を引きつける魅力があるのだ。
創作という過程において、最も大切な事は「楽しむ」事なのだ。元々、なろうはプロになるための場ではなく、小説を読んだり書いたりするのが趣味な人同士が集まる憩いの場である。そこでやれ「文章力がー」「芸術性がー」などとのたまうのはナンセンスだ。
というより、そんな事を言いだすヤツは一体何をしに来ているのだろうか?
確かに、語彙や文章力は未熟かもしれない。話もありきたりですぐにオチが読めるかもしれない。しかし、それが何だというのだ。
金を出して買った物の内容がひどければ、文句の一つも言う権利はあるだろう。だが、彼らは完全に趣味で書いているものを無料で公開しているアマチュア作家だ。嫌なら読まなければいいだけの話であるし、大きな声で非難される筋合いなどどこにもない。
よく、評論家気取りでああだこうだ言いいだす毒者(誤字ではない)は、誰かを批判する事で自分が上になったような気になっているだけであり、自分では小説など書かないし、書けないヤツばかりである。
毒者も匿名掲示板の連中も根っこは同じだ。自分が実力で上に行く事が出来ないのを自覚しているが、それを認めるのが嫌で、人の足を引っ張る事に全力を注いでいる風に見える。プライドばかりが無駄に高く、賢しらげなだけで賢くはない連中に、傷つけられる道理はどこにもないのだ。
小説(ラノベ含む)は教科書ではない。完全な娯楽であり嗜好品だ。楽しいひと時を提供するためのものだ。乱暴な言い方をすれば、読んでいる人が気持ちよくなる物であれば立派な作品である。
もし誰かの作品を読んで、憧れの作家がいて、自身も創作をしてみたいと思い始めた中高生や大人(もちろん小学生も)いたら、私は全力で応援する。どれだけ拙い作品であれど、まずはやってみなければ始まらない。アホなアンチなど気にする必要は無い。良いところは褒め合い、気になるところは批判ではなく指摘をして、お互いに楽しく技術を磨いていけばよいではないか。それは決して馴れ合いや傷の舐め合いではない。楽しく、自分の能力を高められるなど、これほど嬉しい環境はないだろう。
私には今、このような大規模な小説投稿サイトがあって気軽に同好の士と語り合える環境がとても楽しいし、中高生のころからこういった環境がある現役の中高生がとても羨ましい。
筆者が小説を書き始めたのは中学生のころ、初めて読んだライトノベル『学園カゲキ!』に感銘を受け、こんな世界があるのかと震撼してからである。私は子供の頃から本はよく読む方で、小学校時代には『かいけつゾロリ』『ズッコケ三人組』『名探偵夢水清志郎』シリーズを愛読していた。
児童文学からライトノベルへと読むものが変わり、いっちょ前に推理小説なども読みだすようになった。それからだ、私が読み手から書き手にジョブチェンジしたのは。
ラノベの自由な世界観や、感情移入しやすい主人公たち。甘酸っぱい青春と仲間との絆。苦悩と葛藤と快感。どれもが私にとって初めての感覚だった。そんな私が、読み手から書き手に回るのは、それほど不思議ではないだろう。
十年ほど前の学校というのは、オタク文化がようやく一般ピーポーに認知され始めた時期ではあったが、まだまだオタク=キモイの図式が根深く浸透していた。学校に堂々とラノベを持ってくるなど言語道断で、『涼宮ハルヒの憂鬱』を学校に持って来ようものなら、即日オタク認定され、イジメに近いイジりを受け続けるハメになる。
かくいう私も中一あたりから本格的にオタク化し始めたわけではあるが、学校で公にするほどの勇気はなかった。何かの拍子で、共通の趣味を持っていると発覚した連中と、こっそりと忍のように楽しんでいたわけである。
高校に入学すると、オタク文化はかなり浸透し『とある科学の超電磁砲』や『ソードアート・オンライン』『fate/zero』などが大人気となり、オタクたちにもある程度の居場所は出来ていた。多少、私たちを馬鹿にする輩もいたが、そんなのが気にならなくなる位、自分の趣味がおおっぴろげに出来る事が楽しくて嬉しかったのだ。
私の学生時代を漫画で例えるならば中学時代は『いきいきごんぼ』、高校大学時代は『以下略』である。『げんしけん』ではない、断じて!!(血涙)
そんな純粋オタクの私であるが、ちょうど中学生の時分、初めて書いた小説(原稿用紙に手書き)が出てきたので、ちょっと晒してみたいと思う。
それは小さな島だった。雲より高い空に浮かぶソレは、巨大な都市である。その開放的な都市の一区画に少年、バレットはいた。いかにも精力の無い死んだ魚のような目、見る者全てを切り裂くナイフのように凶悪なオーラを出していた。彼が所属する暗殺部隊「暗黒騎士」は長年、旧帝国と激しい戦争を繰り返し―――
やめろおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!!!!!!
ぴゃおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!!!!!!
いやいやいやいやいやいや! 想像以上に痛々しいよコレ!? ブラックナイツってなんだ!? それすら思い出せん! 恥ずかしさ三倍界王拳だよ!!
……失礼、少し取り乱した。
悶えながら、この物語(黒歴史)を読み進めていくと、どうにもこの主人公は帝国に親を殺され、復讐心を胸に秘めながら帝国兵に志願し、仇を内に行くというのが物語の骨子らしい。相棒の少年と、ピンチの時に乱入してきたヒロイン(実は帝国のスパイ)と共に、様々な冒険をする剣と魔法のファンタジー小説のようだ。
展開は唐突で、起承転結もクソもない話である。当時はファンタジー小説など読んだ事もなかったはずなのに、なぜこんな話を書いたのかというと、当時ドハマりしていたRPG『バテンカイトス』に強く影響を受けていたからだと推測される。読み進めていくと、あからさまなパクリが散見される。恐らく、それ以外にも色々な作品からパクッているのだろう。
お前は自分の恥部を晒して何がやりたいんだと問われると、私は「最初はこんなもんだよ」と言いたいのだ。
初めて小説を書き始め、自分の頭の中にある空想を何かの形にして生み出すというのは本当に楽しい事なのだ。夜、親に見つからないように、電子辞書と原稿用紙を机に置いて筆を走らせた時の何とも言えない興奮に覚えがある人はいないだろうか? 私はとても興奮した。
小説に限らず、スポーツや芸術、音楽にしても初めての人は手探りで、ある程度経験して慣れてしまった人にはレベルが低く映る事もあるのだろう。しかし、自分も最初はそうだったのを忘れてはならない。そこで微笑ましく見守り、時には背中を押して励ませる読み手になってほしい。間違っても掲示板の連中のように、わざわざ他人の粗探しをしてチンケなプライドを満足させるような人間にならないでほしい。
そして、趣味で小説を書く人も、プロを目指す人も、自分が楽しんで作品を生み出せる書き手になって欲しい。自分の人生を楽しんでいないような人間が、人を楽しませる物語を生み出せるわけがないし、生み出せたとしても表面だけの薄っぺらい作品になるだろう。かくいう私も、高尚ぶって気取った背伸びをした作品は賞にかすりもしなかったが、心より楽しんで書いた作品は某賞でそこそこのところまでいった。それだけが風海草一郎の密かな自慢であり、楽しんで書こうと声を大にして言う根拠である。
君たちは自由だ。可能性は無限大だ。自由に考え、書きなぐり、どうかその斬新で新しいお話をどんどん作り出してほしい。人の目や、批判するしか能の無いヤツの意見など気にせず、創作という楽しみに夢中になっていただきたい。それがアマチュア作家の端くれ、風海草一郎の願いである。
ここまで読んで不快になった方がいらっしゃいましたらごめんなさい。そうでない方は小説を読む事も書く事もめいいっぱい楽しんでください。