おかえりの声が聞こえる時
急な坂道を上った突き当りに、私の家はある。
高校も、大学へも、私はここから通った。
高校生の頃は、部活を終えて、腹ペコで帰宅するのが常だった。
玄関を開けると、台所から漂ってくる夕飯の匂いに腹が鳴った。
靴を放り出すように脱ぐと、そのまま台所に向かう。
母は振り返って、ひとこと「おかえり」と言ってくれた。
母の声に重なるのは、トントンという包丁の音、流しの水音。テレビから拍手や歓声が流れるている時は、大相撲の季節だ。
大学生になると、アルバイトや飲み会で遅い帰宅が増えた。
母はいつも台所にある食卓で、私の帰りを待っていた。
アルバイトの後の夕食はもちろん、飲み会の時には、温かい飯と自家製の浅漬けと熱いお茶が用意されていた。
夜も更けて帰宅すると、台所にはまだ明かりがついていた。
廊下のつきあたり、入口の暖簾をくぐる、母は読んでいた文庫本から顔をあげて、やはり「おかえり」と言ってくれた。
就職して、初めて家を出ることになった時、段ボールに荷物を詰める私の横で、母は何かを言いたげにうろうろとしていた。
時々「あれはいらないのかい」「これは必要ないのかい」と荷造りに口を挟んできた。
私はそんな母を煩わしく感じ、けんもほろろに返事を返した。
連休や正月に帰省するたびに、やはり台所で、嬉しそうに笑いながら「おかえり」と言ってくれた。
私はぶっきらぼうに挨拶すると、料理の匂いに気が付いていながら、友人に会うために町に出かけるのが常だった。
「夕食は外ですますよ」との言葉を残して。
今こうして坂道を登っていると、あの夕飯の匂いやまな板の音が、記憶の底から浮かび上がってくる。
好物の大根と油揚げの味噌汁の、ふわりとした匂い。
浅漬けをかじる時の、歯ごたえのいいあの感触。
玄関の戸を開けて、台所へ向かう。
母は振り返ると、いつものように「おかえり」と言ってくれる。
昔のままの台所。
食器棚のガラス戸に、天井の照明が写っている。古びた、流行おくれの電球の傘だ。そろそろ新しいものに買い替える時期なんだろう。
食卓の椅子に腰かけ、母の正面に座る。母の顔を見て、今日こそはありがとうと言おうと思った。
だが、どうにも照れくさくてかなわない。咳払いをしてごまかす。
しばしの沈黙の後、意を決してありがとうと言おうとする。
が、なぜかのどが詰まって声が出せない。
気を取り直してもう一度ありがとうと言おうとする。
でもやはり声にならない。あせって声を絞り出そうとすると、涙があふれた。
喉の奥から、嗚咽がこみ上げてくる。
嗚咽は止めようもなく、涙が滝のように流れ出す。
涙が流れるほど、周りの映像がだんだんとぼやけてくる。そして、ああすべてが薄暗くなっていく。
天井の明かりも、ガラス戸も、壁も色彩を失い、モノクロの写真のように平坦になっていく。
そして母の笑い顔も、暗く遠くなっていく。
何もかもがぼんやりと形を無くし、遠くへと消えていってしまう。
「先生、やはりここでした」
「Sさん、私のことがわかりますか?」
白衣の医師が、崖下の岩だらけの空き地の中で、座り込んで涙を流している男に声をかけている。
屈強そうな男性看護師が、医師の背後に控えるように立っている。
「お母さんには、会えましたか?」
「はい。でも・・・」
「どうしました?」
「でも、どうしても、ありがとうが・・・」
男は泣き崩れた。
「ありがとうが、言えなくて」
「大丈夫、お母さんは分かってくれていますよ」
医師は、男性看護師の力を借りながら、むせび泣き続ける男を促すように車の後部席に乗り込ませた。
そして男に頑丈そうなシートベルトを着用させ、しっかりとベルトを固定した。
この町は山の中腹にある。
ある時、記録的な集中豪雨がこの地域を襲った。
山津波が町を襲った時、一番初めに呑み込まれたのは、崖の真下にあるこの家だった。
この家に住んでいた女性は、瓦礫の下から遺体で発見された。エプロン姿で、手には包丁を握ったままだった。
「気の毒ですねえ、母親をあんなふうに亡くすなんて」
男性看護師が、声をひそるようにしてささやいた。
一瞬の沈黙の後、医師が口をひらいた。
「違うんだよ」
「え」
「彼は、あの家の息子なんかじゃないんだよ」
「えぇ」
「赤の他人なんだよ、あの女性はあの男の母親なんかじゃない。そしてあの男は、あの家には住んだこともない」
創りあげられた記憶の中に住むこの男は、あの集中豪雨の季節が来ると、格子の入った窓の中で「おかえりの声がきこえる」とつぶやく。
そしてその声にこたえるために、警備をかいくぐって脱走しては、記憶をたどりながらここにやってくる。
そしてそのたびに、また一つ記憶を増やし、堅固な過去を創り上げるのだった。