薄く反射する路地
「そのフェニル=ソリタリーっていうのは有名なのかい?」
表通りからのびる目立たない細い路地に、コツコツと一つの足音と呟きが静かに響く。質問口調なのは彼、「ミゼル=ストラウト」の癖だ。
少しばかり夕暮れの影が差してきたが、この路地はおかまいなく年中夕暮れの雰囲気をさらしだしていた。
見たことのない文字で書かれているちゃっちな木製の看板を横目で見ながら
「いかにも裏の工房があるとしたらこんなところなんだろうな」
とぼちぼちと白髪が見えはじめた、髭面の中年ミゼルは呟く。
彼、ミゼル=ストラウトは国家資格をもつ魔法錬金術士だ。何十年前の話にもなるがアカデミーを首席で卒業しており、かなり有名な工房へと入社した。齢42、中には親方と呼ばれる者もちらほら現れる年頃といえよう。
「あれは誰かの陰謀だった」
嫌みな上司「パークマン」かそれとも一度も自分に勝てなかった「ぺスター」か
「あるいはあのヒステリックな経理のティオエラか」
自分の中にも外にも答えのないことをリフレインさせながら、鬱蒼とした路地を進む。
陰謀(そう確信している――)とは彼がこんな道を歩いている要因の一つである。
ヘイローポーションは工房法で濃度60までと定められているが、コカトリスの卵を使うため完成品はそのギリギリのラインに落ち着く。ミゼルも例に漏れずギリギリの濃度で完成させたが、顧客に手渡したヘイローポーションは濃度62となっていたのだ。
工房法破りの品を提供したとしてミゼルは破門の扱いを受けた。もちろん彼は納得するはずもないが、元々ギリギリで作られていた品だけに「ミスである」との見解で片付けられてしまったのだ。こうして彼は表にはいられなくなった。
「裏があるさ」
やや黒めな毒を舐めるように舌は苦い。
「フェニル=ソリタリー」
それは表の世界で真面目に魔法錬金術士を営んでいたミゼルには、とんとつながりのない名前であった。
魔法錬金術士としての生活以外は生活ではないと感じているミゼルは、自分を受け入れてくれる工房を探しまわっていた。だがそこは信用商売。一度失ったものを取り戻すのは、サザエの尻尾をちぎらず綺麗に取り出すことよりも遥かに難しい。
途方にくれていた彼に古くからの友人の一人がこう勧めてきた。
「フェニル=ソリタリーって知ってるかい?まだあどけなさの残る少女魔法錬金術士らしいぞ。聞いたことない?そりゃそうさ、彼女は裏の人間さ。裏工房だ。」
少し憮然とした面持ちになったミゼルをみながら友人は続ける。
「まあ待て怒ることはないだろう。悪い話じゃない。技術が失われて表に出てない薬品なんかを作ってるだけでさ。」
「工房法ではアレかもしれないけど、必要なんだよ。事実、うちの社長は彼女の薬で命をとりとめたんだ。くだらない派閥や陰謀で満足に人を救えやしない表よりよっぽどクリーンさ。お前もわかるだろう?」
「なるほどね」
その陰謀とやらに恐らく巻き込まれたミゼルにとっては、なるほどと思えなくもない。
精神も肉体も疲れきっていた彼は、結局その友人と社長を介し魔法錬金術士として生きるために裏の「フェニル=ソリタリー」の工房へ雇われる運びになったのである。
「42にもなって少女の下で働くとはなあ」
新しい雇い主に対して愚痴をいったわけではない。世の中の不思議さに対しての言葉だ。そこらに転がる空き缶が細く反射しているが、むなしくはない。
「裏では年齢は関係ない。評判重視ときいた。彼女がその世界で有名ならラッキーだと思わないか?」
少し(そこを狙われた気もするが)大工房の醜さに嫌気が差していたミゼルにとっては、ある意味では画期的なシステムなように思える。
実はいうと、彼はまだフェニルに会ったことはない。今日の陽が沈むころ、つまり今初めて彼女に会うのだ。
若干の奇妙さを覚えながらも、普通でないそれが裏である証なのだと納得していた。
「そういう世界だ。裏で有名ならば彼女は有能だということになる。」
答えはすでに出ていることをリフレインさせるのも彼の癖である。
しばらくぶりに彼は靴を鳴らすのを止め、立ち止まった。
「ここか。」
看板も出ていない細く下へ続く階段がある。目的地だ。
石造りの階段は見た目ほど重くはなく、コツーンと水を得た魚のように響く。13段ある階段(わざとだろうか?)を降りきると、木製の扉が目の前に現れる。石と同様見た目ほどの重さはないその扉は軽く押すだけでチリンリンとベルが鳴る。
「おじさんが新しい工房員かな?」
扉を開けてから辺りを見回す暇もなく、それほど入り口から離れていない左側のカウンターらしきところから少女の声が聞こえた。
薄紫のローブに良く映える、肩口まで伸びた赤い髪をした少女。
彼女がフェニルだろうか?
「じゃあ早速だけどー。」
「おじさんの唾液、ちょうだい?」
やや甘ったるさを残すその声の唐突さに、ミゼルは言葉をすぐに紡ぐことはできなかった。