未使用のまま返されたスマートフォン
鈴谷凜子という名の、同じアパートに住んでいる大学生の女の子の部屋で、私はその時、寛いでいた。彼女は地味だけど、よく見ると可愛い子で、彼女を気に入っている私は、よく彼女の部屋に遊びに行くのだ。
凜子ちゃんは読書好きで、行くと大体は何かの本を読んでいる。しかも、民俗関係の難しそうなのを。読書の邪魔をして悪いと思った事もあるが、彼女としても少しくらいは息抜きがしたいらしく、それほど悪い顔はされない。まぁ、お茶菓子の類を私がよく持って行くからでもあるのかもしれないが。私が持って行くのは、お茶菓子だけじゃなく、お喋りのネタになる話もよく持って行く。そして、そんな中には、ちょっとしたミステリもあったりするのだ。
「スマートフォンが変なんですか?」
そして、その時に私が持って行ったネタも、そんなミステリのうちの一つだった。
「そうなのよ。これは、会社の事務の女の子から聞いた話なのだけどね。返却されたスマートフォンのログを確認したのに、使った記録がなかったのだって」
「つまり、その人はわざわざスマートフォンを借りたのに、まったく使わないでそのまま返したって事ですか?」
「そうなるわね。ま、借りたはいいけど、使う機会がなかったって事なのかもしれない。ない話じゃないわ。
ただ、スマートフォンの貸出期間以外では、何故かログが残っていたのだって」
それを聞くと、凜子ちゃんは首を軽く傾げた。
「わたしには、そっちの方が奇妙に思えるのですが」
それを聞くと私は笑う。
「ああ、そっちは不思議じゃないの。情けない話なんだけど、うちで確り会社の情報機器の備品管理をやり始めたのって、つい最近の話でね、それまでは杜撰な管理で、無断で借りて行っちゃう社員も多かったんだって」
それを聞くと、凜子ちゃんは少し変な顔を見せた。
「もしかして、それって、仮にスマートフォンを失くしていても、誰も気付かなかったかもしれないって話ですか?」
「その通りよ。でも、つい最近、実査があってね、ちゃんと全てあるって事は確認済みよ」
凜子ちゃんは私のその説明を聞くと、少し何かを考え、それからこう訊いて来た。
「綾さん。その実査の前に、今回のスマートフォンは返って来ていたのですか?」
「いいえ。返ってなかったわ。貸出中の物は、当然、実査の対象外だから」
「じゃ、スマートフォンを貸し出す時に、ちゃんと実物を確認してから貸しますか?」
私はどうして彼女がそんな事を尋ねて来るのか不思議に思いつつ、こう答えた。
「いいえ。そこまではしないわね。ノートに記入して、棚の鍵を借りて、自分で持って行くの」
その私の答えに、彼女は数度頷いた。そしてこんな確認をする。
「という事は、貸し出す時に、実物がなくても誰も気付かないって事ですよね?」
「そうなるけど。普通、これから借りようって物がなかったら、その人がそれを言うわよね?」
私が益々変に思ってそう尋ねると、凜子ちゃんはこう返して来た。
「でも、仮に、その人がスマートフォンを失くした張本人だとしたら、どうなりますか?」
私はそれを聞いて少し考えてみた。
管理が杜撰な時代に黙って無断でスマートフォンを借りる。ところが、それを紛失してしまう。そのうちに管理が厳しくなった。実査がそろそろ行われる。その実査で紛失を隠す為には……
「ああ、そうか。借りている事にしてしまえば良いのか。借りる時は、実物を確認しないのだから」
「そうです。そして、その貸出期間中で、何とかスマートフォンを見つけ、何食わぬ顔でそれを返せば、紛失していた事は発覚しません」
私はそれを聞いてなるほどと思う。そう考えれば、貸出期間中に利用した形跡がなくて、その前にはあった事の説明が付く。それから凜子ちゃんはこう言った。
「もちろん、単なる憶測ですし、調べる程の価値のある事なのかは分かりませんが」
それに私はこう応える。
「いや、そこまでする気はないけどさ。だけど、制度の穴って思いも寄らない所に潜んでいるものなのね」
私はそう感心しながら、“恐らく、厳しくしすれば、今度は運用に耐えられなくなるのだろう”などと考え、制度ってのは難しいもんだと、そう思ったのだった。