ひよこ、実証、勝利
時間帯は武藤さんを捕まえたその日の夜9時頃を示す。7時の全国ニュースで通称湯煙殺人事件は現場となった娯楽施設を経営する40代の男性逮捕という形で事件は終息した。その殺害動機としては一目ぼれして声を掛けても相手にされないことに腹が立ち証拠の残りにくい浴場にばれないようにこっそり侵入して刺殺したというものだった。監視カメラに何も映っていなかったことについてはカメラに細工をしたということで警察がどんな機能だったのかを調べている。
この湯煙殺人事件は次の朝になったら真犯人が捕まり一大ニュースになるだろう。おそらく、みんなの記憶の残る事件となるだろう。
夜の9時になっても僕がいるのは人がすっかりいなくなった施設には一部だけ明かりがついている。それは事務所からだ。僕はゆっくりとスタッフ用の出入り口から事務所の方に入って行く。奥にはひとりしかいなかった。
「どうも。藍澤さん」
「・・・・・・あ。日夜古刑事さん」
結局、僕はどこに行ってもひよこなのね。
「その、今回はいろいろと残念でした」
「いえ、いいんです。まさか、あの人が人殺しなんて」
そういうと藍澤さんはメガネをはずして涙を拭き取る。声も震えて本当に藍色の透き通るような瞳から涙をあふれる。本当に今までお互いを助け合って仕事をしてきた仲間が殺人の罪で逮捕されたことを悔やんでいるかのようだ。
でも、僕は知っている。それはすべて偽りだって。
「これはお詫びというかとにかくおみあげです」
「あ、ありがとうございます」
彼女は涙をぬぐってお礼を言う。その頬はかすかに赤くむくんで本当に泣いていたかのようだ。
おみあげの紙袋を机の上においてさっそく本題に入る。
「ここならありのままのあなたと話せますね」
「え?」
「この建物には僕とあなた以外誰もいません。監視カメラも警察の方が例の画面上から物を消す機能について調べるためにすべて押収されて機能していない。つまり、外部の目を気にする必要ないですよね」
「何が言いたいんですか?」
「藍澤さん。あなたがこの湯煙殺人事件の真犯人ですよね?」
僕の発言に藍澤さんは一瞬だけかたまってからクスリと笑う。
「刑事さん。おもしろいこと言いますね」
「冗談じゃないですよ」
ここで武藤さんの供述を真っ向から言ってしまえば彼がやって来たことが無駄になる。そもそも無駄にしようとしているんだけど、少しくらい僕もいいところを見せようじゃないか。
「これは僕の推理です。聞いてくれますか?」
「ええ、聞きますよ。なんだかおもしろそうなんで」
彼女は僕のことをただのエンターテイメント程度のことしか思っていないようだ。別にそれでもいい。どうせこれからその余裕の表情が曇っていくのだから。
「この事件で殺害された女性とあなたは確かに面識がなかった。でも、タカシくんは彼女のことを知っていた。殺された女性はタカシくんのことを知らなかったけど、タカシくんとあなたは知っていた」
「どういうこと?そもそも、タカシって誰?」
「あなたの元彼です」
「どこでそれを?」
急に口調と目つきが鋭くなる。
ここは三根くんが作った設定を使わせてもらおう。
「僕の所属する警視庁未解決事件防止特別捜査係で調べ上げた結果です」
と言っても覗映像を見たから知っていたんだけど。
あの後、もう一度あの覗映像を見た。あの現場で不可解だったことは被害女性がタカシを知らなかったこと。そして、藍澤さんはタカシを知っていて武藤さんもタカシを知っていた。これは犯人側が一方的に被害女性をタカシの恋敵であると認識している。そうなるとタカシは被害女性のことが好きだったけどまだ顔を見たばかりで被害女性はタカシの名前を知らなかったということになる。これが藍澤さんが被害女性と面識がなくても殺害動機があるということになる。
「分かったわ。では、仮に私がそのタカシの元カノで新しい恋人の対象になった女性を殺したことにしましょう。でも、実際には武藤さんが凶器を持っていたのよ。監視カメラに細工が出来る技術を持っているのも武藤さんですよ。あの人以外にこれと言った証拠がどこにあるのですか?」
「武藤さんは大学時代パソコン研にいてパソコンにはある程度強い方でした。でも、パソコン研だったのは学生だった20年以上前の話。警察もそこまで調べが行っていなかったので知らなかった。でも、あなたは武藤さんと古い付き合いなので知っていたはずです。それにたまたま監視カメラから画像を消す技術をネットでみつけられるものなんですかね?いつも、お店のことばかりで頭がいっぱいの武藤さんがそんなものを見ている余裕がはたしてあったんですかね?」
この大型娯楽施設は新規開店の時は多くのお客さんがやってきて大盛況だった。そんなネットを見たりしてあんな仕事熱心な武藤さんにそんな余裕があったのか。
「なかったですよ」
「そうです。なかったんです。でも、このお店を受け持つ前ならば可能性はあったはずです。あなたがそう仕込ませた」
「はい?」
「あの人は早く事件が消息することを望んでいた。このお店を守るために。かなり真面目な人がそんな画像をいじるような技術を見るサイトをわざわざ見るはずがない」
「確かにそうね」
「あなたはどこで知ったのかは知りませんが、監視カメラの画像の一部を編集する技術を知りさりげなく武藤さんの使うパソコンにそのサイトを見るように仕込ませた。これであなたの計画の第1段階は終了です」
「第1段階?」
「第2段階はタカシの恋敵をここに呼び出すこと。おそらく、尾行して自宅を探して無料招待券でもポストに入れてなるべくお客さんの少ない早朝に来るように仕込んだんでしょう」
「へぇ~」
「そこであなたは実行に移った。お客に紛れていとも簡単にあなたは女性を殺した。そして最後の第3段階に移ったわけです」
「まだあるの?」
「まだ、朝が早く営業が始まったばかりで従業員はそれぞれの持ち場に出払っていて事務所には誰もいなかった。武藤さんを除いては」
それについては監視カメラで確認済みだ。事件の時間は誰もいなかった。いや、僕が知る女性が刺された時間には武藤さんは確かに事務所にいた。
「あなたは女性を殺害後、返り血を浴場で流してすぐに着替えて武藤さんの元に向かった。カメラの見えない裏口の扉から手招きかなんか呼んだのでしょう。あの事務所の監視カメラには従業員用通路の扉は死角になっていました。だから、事務所のカメラに細工する必要はなかった」
「そうなの・・・・・・。それで?」
「あなたは従業員用の通路に武藤さんを誘いこんでその美貌を使って誘惑したんだ。武藤さんに助けてくれって。あなたの古い知り合いである武藤さんはあなたの頼みを逃すはずがない。武藤さん以上にあなたを大切に思っている人はいないですから」
これは武藤さんの話の内容でそう判断したものだ。
「すぐに武藤さんは行動を起こした。まずは監視カメラに映ってしまったあなたを消すために、あなたが事前に仕込んでおいた監視カメラからあなたの姿を消すことだ。あれって意外と簡単なんですよ。情報源さえあれば」
「なんで知ってるの?」
「僕も使ったことがあるので」
というか現在進行形で使っている。
「さらにパソコンに強い武藤さんがやればすぐに終わる。これであなたが思い描いた状況が完成したわけです。武藤さんがあなたの代わりに犯人になったこの現状です」
しばらく、事務所中に沈黙が支配してカチカチと時計が時を刻む音のみが響く。その刻む時計が1周ほどした時藍澤さんは糖等に笑い出す。最初はお腹の中で必死に押させていたけど、だんだんそれが出来なくなってきて大きな高笑いをあげる。
「おもしろい推理をしますね。本当にドラマで出てくる刑事さんみたい。まぁ、場所が波しぶきがよく上がる海岸沿いの崖じゃないところ以外はいいシチュエーションでしたよ」
何がおもしろいのか僕にはさっぱりだ。
「でも、その推理は私が犯人であるということを想定した物ですよね。どうして、あなたは私が犯人だって思ったんですか?」
そう、問題はそこなのだ。僕推理を否定してこないところを見るとあの推理で大方あっているみたいだ。でも、彼女が知りたいのはなんで僕が藍澤さんを班員だと決めつけたのか。
それはもちろん現場を見たからだよ。
何て言えるはずもない。でも、それ以外になんて言おうか・・・・・・。
そうだ、今の僕は刑事っている都合のいい設定で動いているんだ。三根くんのせいで。ならば、あのベテラン刑事が散り際に言い放った言葉を拝借しよう。
「勘です。刑事の勘です」
「へぇ~。勘・・・・・・ね」
女性というのは隠し事を見ぬことに対して長けていることを社ハウスにいっしょに住んでいる女性陣からすでに経験積みだ。特に喜海嶋さんには隠し事がまったく通用しない。藍澤さんもそうだったらやばい。いろいろとやばい。
「ひとつ訊いておきたいことがあるの?」
「なんですか?」
「ここに来る前に私が犯人だって言うその推理は他の誰かに伝えたりはしてないわよね?」
「してない」
ここに来る前はね。
「そう。なら、私が犯人かもしれないと思っているのは日夜古刑事だけなのね」
「はい」
「なら、答えを言おうかしら。大正解。私はあの憎たらしい女を殺した犯人です」
ついに言ったな。
「すごいね。ほとんど正解だよ。さすが警察庁から直接派遣された警察官だよ。武藤さんが警戒するのも分かるよ」
いや、警戒するも何も僕は警視庁から派遣された警察官どころか警察官ですらないからね。
「でも、ひとりで来たのが運のつきだったようね」
そう不気味なことを言うと彼女は机から見覚えのあるものを取り出した。画面越しで見た銀色に輝くそれは人の命を容易く奪うことのできる凶器。
「何となく私を逮捕しに来たんじゃないかなって思って仕込んでおいたの。いつでも証拠を抹消できるようにね」
「悪魔みたいですね」
その形相はそっくりだよ。覗映像に移っていた人を刺す前の殺人者のまま。
「あなたは裁かれるべきだ。あなたはその手ですでに二人の人物の人生を台無しにしている。被害女性と武藤さん。あなたのせいですよ」
「知ったことじゃないわよ。私の幸せのためのただの踏み台よ」
踏み台だって?
「タカシに結婚を途中で切られてちょっと気が動転しているのよ。仕方ないことよ。いずれ、タカシにも私を裏切った罰を与えないとね」
最低な女もこの世界に入るんだって僕はここに来て初めて知った。今まで出会ってきた女性がいい人ばかりだったって言うのもあるかもしれない。おそらくこんな最低な女はふたりもいない。被害女性は何もしていない。何も覚えのない罪や嫉妬を突きつけられて殺された。武藤さんはあなたのことを第一に考えて自らが犠牲になることを選んだ。自分の幸せを生贄にしてあなたに幸せになってほしくて。それをただの踏み台としか思っていないあなたは・・・・・・本当に・・・・・・。
「あなた、最低の女ですね」
「いくらでも言うといいわ。どうせ死体はしゃべらないんだし」
「僕を殺したらあなたに別の罪が重なりますよ」
「別に気にしたことじゃないわ。あなたを殺した後、人かどうか分からないくらいバラバラにして返り血をまたお風呂で流して着替えたらここを燃やして証拠隠滅ですべてが終わりじゃない」
「本当に最低ですね」
「そんなことを言っているのも今だけよ」
ここだ。時は達した。言うなら・・・・・・・僕の切り札を出すならここしかない。
「あなたもそんな大口を叩けるのも今だけだと思いますよ」
「何?」
僕はおみあげにと持って来た。紙袋の中身を取り出す。それを見て藍澤さんは驚愕する。
「あなた何者?」
「ただの刑事だよ」
僕が紙袋から取り出したのはここの女風呂に仕掛けたカメラと全く同じタイプのカメラだ。手のひらサイズのカメラ。
「紙袋には小さな穴が開いていてずっとこのカメラは君のことを撮影していたんだ。最初から最後まで。君が僕の推理を認めて被害女性を殺したことを認めたところ」
「き・・・・・・・貴様!」
まるで悪魔が遠吠えをするように藍澤さんは叫ぶ。美人な顔を歪めて。
「ほしかったらあげるよ」
僕はカメラを放る。それを藍澤さんは慌ててキャッチする。
「どういうつもり?この私が犯人だって言う紛れもない証拠が収まったカメラを渡すなんてあなたバカなの?」
「バカじゃないよ。そのカメラは普通のカメラと違うんだ」
「何?」
「そのカメラは外部のパソコンに映像がダイレクトに送られているんだよ」
「それって・・・・・・」
「つまり、今ここで話していた内容丸っとすべて!」
その瞬間、事務局の従業員用の扉が勢いよく開き、事務所の窓ガラスを突き破り、天井裏から、床下から、僕の背後からありとあらゆる場所から完全武装をした警察官が一斉に藍澤さんに飛び掛かる。
「バレバレなんだよ!」