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獣使いとクレープ


「──今日は、これくらいで終わりにしようか」


 アオン!


 私のつぶやきに嬉しそうに吠えたのは、緑の相棒──グラスウルフのラズだ。獣使いの使い魔としては非常に情けないことに、こいつはご主人様のために働くことよりも、ぐうたらしたり飯を食うことのほうが何よりも好きだったりする。


 普通、この手の魔獣はある程度運動させたり狩りをさせないと逆にストレスが溜まってよくないとは聞くけれど、こいつに限って言えば、全く持って当てはまらないというから困る。


「あん? いくらなんでもちょっと早すぎやしねえか?」


 怠惰な相棒と違って疑問の声を上げたのは……そのデカくてゴツい筋肉質な腕を惜しみなく晒している拳闘士のバルダスだ。同じクランのメンバーで、そして最近私が密か(?)に狙っている獲物でもある彼は、やはりというか今日の成果にあまり満足していないらしい。


「稼ぎたいから付き合ってくれ……って言ったのはお前だろ? ……まさか、ただ単に俺と一緒にいたいがための口実(ダシ)ってわけじゃねえよな?」


「うーん、半分くらいはそうだったんだけど」


「おい」


 しょうがないじゃん。そうでもしないとあの喫茶店くらいでしかおしゃべりできないんだし。だいたい、こんなに綺麗でスタイルの良い妙齢のおねーさんに言い寄られて何が不満だってのか。まさかこいつ、こんな厳ついカオして年下の少女趣味とか言わないよね?


「まじめな話するとね……今、マスターたちが古都で屋台をやってるらしいんだよ。だから、売り切れないうちにそっちにいこうかなって」


「お、マジか」


 喫茶店、《スウィートドリームファクトリー》。私たちの憩いの場でありクランでもあるそこは、古都からすぐの森の中にある、知る人ぞ知る秘密のお店だ。私たちはいつだって、冒険の帰りやたまの休日にそこを訪れ、あまぁいお菓子やマスターやシャリィちゃんたちと過ごす和やかな時間を何よりの楽しみにしているわけだけれども……。


 なんと今日は、古都の広場で屋台を出すらしい。クランメンバーとして、そして何より常連として、これを逃すなんてありえない。


「……待て、お前金あるのか?」


「やだなあ、だからここ最近ずっとキミと一緒に仕事をしてたんじゃないか」


 たとえ同じクランと言えど、お店でものを食べるからには金が要る。そして、自慢じゃないが私は普段から金欠だ。


 そう、ちょっと前にあったマスターの学校の文化祭。あれに参加したために二日間仕事を休んでいる。その準備と余韻のために前後一日ずつ仕事をしていないから、都合四日間働いていないことになる。で、さらに前には例の夏祭りもあったわけで、そこでも仕事をしていないわけだから……。


 ……さて、考えるのが怖くなってきたのでここまでにしておこう。とにかく大事なのは、文化祭が終わった時点で、私の懐は割とマジにヤバかったってことだ。


「おかげさまで、前と同じくらいの状態には戻せたよ。これもひとえにキミのおかげだね」


「その日暮らしが常の冒険者で、おまけに使い魔の面倒も見なきゃいけない獣使い(おまえ)の【前と同じくらい】ってのは……」


「うん、明日もきっちり働かないとだいぶヤバい」


「だろうな」


 とはいえ、バルダスが一緒だと割と稼げるからその辺は心配していない。あいつの拳と脚ならラズとも連携を取りやすい──お互い攻撃で相手を巻き込むことは無いし、魔法使いや鎧で固めた人間と違って素早く動くことができる。何より報酬を二人で山分けできる分、実入りが良い。


 バルダス自身は否定するけれど、あいつにとっても私と組むことは結構稼ぎになる……はずなんだよね、うん。


「ま、明日のことは明日考えればいいさ。いや、明日頑張るためにも、今日は早めに休憩して英気を養わないとね。それこそが冒険者ってものだろう?」


「冒険者としちゃお手本のようだが、友人としてみると心配になってくるな」


「やだね、私とキミの仲だろう? そこはほら……恋人って言ってほしいんだけど」


「バカなこと言ってないで、さっさと行くぞ」


 アオン!


 相も変わらず素っ気ない態度だけど、なんだかんだでないがしろにはしない。これほど素晴らしい獲物なんだもの、今度こそ仕留めなくっちゃね。


「……ふふっ」


 あいつの背中を見つめながら、ぺろりと唇をなめる。


 とりあえず今は……仕事終わりの食べ歩きデートを成功させることだけを、考えるとしようか。




▲▽▲▽▲▽▲▽




 ──ねえもう食べた!? アレ、すっごく美味しかったっ!


 ──あああ、どうしよう……!? もう一回並んでもいいかなあ……!?


 ──くっそぉ……! あのねーちゃん、恋人いるのかよ……!


 ──ああん、もう! ちょっと色目使っただけで睨まれたっ!




 さて。


 古都の大広場──要は、マスターたちが屋台を広げているであろう場所に向かうにつれて、明らかにいつもと異なる人の賑わいが感じられるようになってきた。普段は冒険者か商人か、あるいは買い物に来た主婦くらいしか見かけないはずなのに、なんだか今日は若い女や初々しい少年、そしてちびっこたちに職人風の人間……と、普段は見かけないタイプの人間が多くいる。


 にこにこと楽しそうに笑っているのが六割、なんだか悔しそうにも絶望しているようにも見えるのが三割、そして焦ったように喧騒の中心に向かおうとしているのが一割。なんとも不用心なことに、大半の人間が普段はしているはずの注意──つまりは、スリなんかに対する警戒が薄くなってしまっていた。


「おーおー、なんだかいつぞやどこかで見たような光景だな」


「マスターは紛れもなく目立つし、着飾ったアミルも可愛いからねえ……。そりゃあ、淡い期待を抱いちゃう人も出ちゃうだろうさ」


「獲物を狙う狩人みたいなギラギラした目ェした女が多い気がするんだが」


「乙女心だね。おねえさんちょっとシンパシー感じちゃうかも」


「……」


 歩を進めれば進めるほど、人の気配は強くなる。それと同時に、特有の甘い香り──普段はあの喫茶店でしか楽しむことができないはずのあまぁい香りが、風に乗ってふわりと漂ってくるのがわかった。


 不思議なことに、「そのお菓子」を持っている人間とはすれ違わない。これだけ甘い香りがするのだから、どこかに食べている人がいてもおかしくないものだけれども。


「どんなお菓子だと思う、バルダス?」


「さてな。だけど、この匂いは……”けーき”とか”くっきー”とかじゃねえか? 少なくとも、この前の”かきごおり”みたいな氷菓じゃないだろ」


 私たちも慣れたものだから、香りで大体の見当はつけられるようになってきている。これは紛れもなく”けーき”の類……何か生地を焼いて作り上げるものの匂いのはずで、”あいすきゃんでー”や”かきごおり”のような、かつて出した屋台のそれとは全く別物であることはなんとなくわかる。


 だけど。


「それって結構時間かかるんじゃないっけ? 私も商売のことはよく知らないけどさ、たくさんの人間を捌くのには向いていないような」


「俺に聞くなよ。ぐだぐだ話すよりも、実際に見たほうが早くねえか?」


「ああ、それもそうだ……げ」


「げっ」


 アオン……



 私とバルダス、そしてラズの足が同時に止まる。


 それもそのはず、だって私たちの目の前には……。




「おい! もっと詰めろよ! 見えないじゃないか!」


「そっちこそ! 無駄に背ぇ高いんだからしゃがんでよ!」


「なんでもいいけど、こっちにはみ出すなよな! こっちは買うために並んでるんだぞ!」


「そうだそうだ! 買ったやつはさっさと移動しろよ!」



 人、人、人。


 ちょっと想像していたよりもはるかに多い人の群れ……っていうか、山。もはやいつもの屋台なんてここからじゃ見えないくらいに人が集っていて、そして耳が痛くなってくるほどの喧騒に満ちている。


「だ、大盛況だね……?」


「いや、なんかおかしくねえか? あっちに列が伸びてるのに、どうして屋台の前にあんな風に人だかりができる?」


 言われて気づく。


 なるほど確かに、順番待ちの長蛇の列とは別に、なんというかこう……遊都マーパフォーでの見世物を囲んでいるかのような、あるいは王様からの特別な御触れを囲んでいるかのような、そんな感じの人だかりができている。その中心にあるのはまず間違いなくマスターたちの屋台だろうけど、いったいどうしてそんなことがまかり通っているのか。


「バルダス、見える?」


「いや……さすがに無理だ」


 私らの中では一番背の高いバルダスでも、あの人だかりの向こうは見えないらしい。


 まぁ、見えないならば見えるところに行けばいいわけで。


「よっ……と」


 人と人の間のわずかな隙間を縫って、前へ前へと体を押し込んでいく。少々お行儀が悪いと言えないこともないけれど、そこはちょっとばかり目をつむってほしいところだ。どうせここに集まっている連中だって似たようなことをしているわけだし、そもそもとして往来のど真ん中でこれだけ人が集まっているということ自体が行儀のよくないことのわけだし。


 オン!


「……あれ?」


「……ん?」


 最前列。


 何やらラズが誰かに気づいた……と思ったら、どこかで見覚えのある、耳がピンと細長い子供がしゃがみこんでいた。


「……もこもこのおねーさん! かちかちのおじさんも!」


「ミィミィちゃん?」


 ミィミィちゃん。リュリュの地元の娘っ子で、この前あの喫茶店でちょっとばかりお話しした子。子供のエルフってだけでも珍しいのだから、見間違えるってことは万が一にもあり得ない。


 ただ、いったいどうしてこんなところにいるのだろう? エルフに限らず、小さな子供がこんなところに一人でいたら危ないような気がするんだけど。


「お前、一人か? 一緒に来てる保護者はどこにいる?」


「しっ! 今から始まるよ!」


「始まるって、何が──」


「おじさんはしゃがんで! 後ろの人が見えなくなっちゃう!」


 ちょっと何かを言いたそうにして、バルダスが腰を落とす。さりげなくミィミィちゃんの服の端をつかんで勝手にどこかに行かないようにしているあたり、こいつは意外と子供の扱いに長けている……というか、妙に面倒見がいい。こんな強面なのにいったいどこでそんなことを覚えたんだか。


「──それでは、今から始めさせていただきますね」


 屋台。私たちが最前列だから、受付をしているマスターとアミルの顔がよく見える。マスターはいつものバンダナとエプロンスタイルで、そしてアミルもバンダナに素敵なエプロン姿──と、どことなくお揃いっぽいように見えないこともない。


 ただでさえ顔の良いマスターと、そして可愛く着飾ったアミルの二人。傍から見てもお似合いで、そして人ごみの中から羨望とか嫉妬とかそんなまなざしを向けられているのがはっきりとわかる。


「……ん?」


 で、だ。いつもの通りにこにこと笑ったマスターは、いつもの屋台に増設された……おそらくは、調理器具が設えられたそこに立ったわけだけれども。


「なんだありゃ……鉄板、か?」


「丸い鉄板なんて見たことないけど……」


 その屋台には、丸い鉄板のようなものが二枚ほど設えられている。上手い例えが見つからないけれど、シャリィちゃんが両腕で抱きしめるように輪っかを作ったとしたらこれくらいの大きさになるだろうか。あるいは、ギルドで支給されるマップ──アレは四角いけれど──と同じくらいの大きさかもしれない。


 もっと簡単に言うなら、かなりデカめの鍋と同じくらい。あるいは特大サイズのピザが焼けるくらい。うん、そっちのほうがしっくりくる。


「あれは……」


 マスターが取り出したるは、ボウルに入った──どこかで見覚えのある優しい淡い黄色の液体。”ぷりん”のその色にそっくりなそれは、お菓子の最も基本的な色と言っていい。誰が言っていたのかは忘れたけれども、お菓子ってのは基本的に牛乳、砂糖、卵、小麦粉あたりを混ぜて焼くものであるらしいから、きっとアレもそうなのだろう。


 そんなお菓子の素とも言える素敵な液体──ちょっぴりとろみがついている──を、マスターはその丸い鉄板の上にとろりと垂らした。


 ──しゅうう、と微かに聞こえる特徴的な音と、かすかな白い煙。ちょっぴり遅れて漂ってくるふんわりと甘い匂い。大方の予想通り、今日のお菓子は焼き菓子の類みたい。


「……なんかちょっとケチくさくねえか? あんだけデカい鉄板使ってんのに、作るのはあんなに小さいのかよ」


 真ん中にちょっぴり垂らしただけ。綺麗に真ん丸に広がったそれだけれども、大きさは私の手のひらよりちょっと大きいくらい……どんなにおまけしても、バルダスの手をめいっぱい広げたくらいだろうか。鉄板が大きい分余計に小さく見えちゃうし、何よりマスターが作るお菓子にしては妙に気前が悪いような。


 おまけに。


「……なにあれ?」


 なんかマスターが、変な道具を取り出した。細長い木の板と棒を組み合わせただけの、とても調理器具には見えない何かだ。


 例えるならそう、これは……。


「すっごい貧弱な木槌……?」


「どっちかっていうと土均し(レーキ)っぽいが……」


 貧弱な木槌か、あるいは土均しか。木槌だとしたらまともに使えるはずがないことは明確で、そして土均しだとしても、手のひらサイズじゃやっぱり使い物にならない。


 というか、そもそもこんなの何に──!?


「えっ!?」


「なぬ!?」


 一瞬。


 そう、ほんの一瞬の出来事だった。



「わああああ!!」


「すっげー!」


「いやあ……! 見事だねこいつぁ……!」



 大歓声。私たちの目の前には、どこか照れ臭そうに微笑むマスターと、三倍くらいに広がったそれがある。


 そう、瞬きを一回か二回できるくらいの時間しかたっていないのに、あの素敵なお菓子の素が鉄板の大きさぎりぎりまで広がったんだ!


「すっごーい! ますたー、すっごーい!」


「え……ミィミィちゃん、あれは……」


「あれはね! ますたーがずっとやってるの! 何度も何度も見てるのに、ミィミィいっつもすごいって思っちゃうの!」


 ああ、どうしよう。ミィミィちゃんは興奮しすぎて要領を得ない。そして私たちが唖然としている間にもマスターは次の作業に進んで──!?



 ──ぱしん!



「どうなってんのアレ……!? なんであんな布みたいにぺらっぺらになってんの……!?」


「めちゃくちゃ薄く焼いたってことか……!? いやでも”くっきー”だろうと普通のパンだろうと、あんな風にはならねぇぞ……!?」


 薄く薄く、大きく広げて焼いたのであろうそれ。パンや”けーき”の類か、それとも”くっきー”の類か……と思っていたら、マスターはその下にヘラのようにも見える細長いナイフをさっと通して、そしてくるりと豪快にひっくり返した。



「もう一回! もう一回!」


「今度はゆっくり見せてくれよーっ!」



 困ったように笑ったマスターが、二枚目の準備に取り掛かる。今度は見逃さないようにしなくては。


「バルダス」


「タネ自体は単純だと思う。あの土均しで垂らしたアレを伸ばしているだけ……の、はず」


 鉄板の上にお菓子の素を垂らす。で、あの土均しでうまい具合に薄く延ばして広げ、焼きあがったところでひっくり返す。マスターがやって見せたのは言ってみればこれだけのことだ。


 そう、これだけのことのはずなのに。



「うおおおおお!!」


「かっけえええ!!」


「すっげえええ!!」



 子供たちの大歓声。いや、大人の歓声も混じっている。まるで広場全体から驚きの声が上がっているようで、そして実際、それは強ち嘘ってほどでもないのだろう。


「……見えた?」


「見えた。が、理解はできねえ」


 お菓子の素を垂らす。ここまで三秒。


 土均しをさっと動かしそいつを広げる。これに五秒もかかっていない。


 そう、動きがあまりにも(こな)れすぎている。土均しをごくごく自然な動きでくるくるって回すだけで、まるであらかじめそういう風に決まっていたかのようにあのお菓子の素が三倍くらいに一気にデカくなる。


 なんて言えばいいんだろう、コレ。本当に綺麗に広がっていくものだから見ていて楽しいというか、楽しいを通り越して驚くしかできないというか。まさしく職人芸、ある種の芸術と言っていいくらいの手捌きだ。


「ありゃあ、見た目以上に難しいはずだぞ。素早くやるってのもそうだが、綺麗に丸く広げるってのが何より難しい。あと、あれだけ薄く広げているとなると……」


「破けて千切れやすい、ってことだね。……ちなみにミィミィちゃん、今までマスターが失敗してたりとかは……」


「ミィミィずっと見てたけど、一枚もしてなかったよ!」



 ──ぱしん!



 深呼吸を四、五回ほどできる程度の時間で片面を焼いて。程よく焼けたところで、細長いナイフでぺらりとひっくり返して。裏面は深呼吸一回くらいの短い時間で焼いて……そして、このお菓子の仕込みは完了であるらしい。


 仕上がったそれは、例えるならば上等なシルクのような柔らかさと滑らかさを持っている。まぁ私、上等なシルクなんて話でしか聞いたことないんだけれども。


「なるほどね、こりゃあ見世物にもなるわけだよ」


「子供なんかにゃ受けそうだな……お」


 薄く丸く焼かれたそれ。当然、これで完成であるはずがない。


 マスターはそいつを調理台の上に広げ、あらかじめ切ってあった材料を丁寧に、されど素早く並べていく。


 イチゴとバナナを交互に並べて。そいつらをやさしく包むように真っ白の”くりーむ”を惜しみなく振りまいて。優雅な手つきで飛ばしたあれは……色合い的に”ちょこれーと”の類だろうか。


 見ているだけでワクワクしてくるこの作業。中の具材……トッピングはそれこそ何でもよいのだろう。今回もまた、「それ」の大きさの割には載せる量がずいぶんと少ないと思ったけれど、やっぱりこれにも意図があったらしい。


「……わ」


「器用なもんだな」


 ぺたん、ぱたん、くるくるくる。


 なんとも小気味よいリズムで、マスターはそれら全てを”巻き上げる”。あれだけ大きかったものが気づけばあっという間に手のひらに何とか収まるくらいの……なんだろコレ、なんて言えばいいんだろ?


 ともかくまぁ、くるくるって巻いて扇形にしたなんか素敵なものが完成していた。



「──お待たせしました、《クレープ》です。少々お熱いのでお気をつけてくださいね」


 

 できあがったそれ──”くれーぷ”を、少年が嬉しそうに受け取る。一瞬だけマスターの隣に立つアミルに目が奪われていたけれど、今はもう”くれーぷ”しか目に入っていないらしく、そいつに噛り付きたい衝動を必死にこらえているように見えた。


「はい、こちらはお姉さんのです」


「ありがとう!」


 連れであろう女性──たぶん、この少年の姉だろう──には、アミルのほうから”くれーぷ”が渡される。少年に渡されたものとは中身が異なるようで、少年のそれはイチゴやバナナが見えていたのに対し、こっちは……なんだろ、黄色い果物がいっぱい入っているっぽい。


 どっちもとっても美味しそう。この分だと、ほかにもバリエーションがあるのかもしれない。


 それに、私たちは常連だ。もしかしたら……マスターのことだし、内緒でちょっとサービスしてたりもする、かも?


「……俺たちも並ぶか。これだけ盛況だと売り切れが心配だ」


「並ぶの? 同じクランの仲間なんだから、裏手に回ってこっそり……さ。それくらいの役得はあってもいいんじゃない?」


 ちら、とわざとらしく胸元からクランの証を引っ張り出してちらつかせてみる。きらきらと優しく輝くそれは、この日中であってもそれなりに目立ったのだろう。マスターとアミルの二人ともがこちらに気づき、そして。



 ──こんにちは。



 声を出さず、口だけを動かして。そして本当にさりげなく、手元だけで小さく手を振って。


 まともに受けたら世の中の大半の女が撃ち落されるであろう笑顔を、マスターは私たちに向けてきた。


「……ぽっ」


「ニクいねえ、マスターったら。この特別感はなかなかクセになっちゃうよ」


「……おい、ミスティ? なんかいま、だいぶヤバそうな殺気をめっちゃ叩きつけられまくってるってわかってるか? お前、こんなにみられてる中で抜け駆けなんてしたら袋叩きされかねないぞ」


 うーん、これが女の嫉妬の視線ってやつか。あるいはもっと単純にだいぶヤバいほうの羨望のまなざしってやつだろうか。この場にいる連中の半分近くが私たちとマスターの関係性を……何かしらの関係があることを見抜いたらしいけど、どうも事態は思っていたよりもよろしくないらしい。


 これはもしかして、ちゃんと真面目に並ばないといけないやつ……かも?




「…つぎ、私」



 

 まったく気にしていなかった、次の客。


 長い銀髪の、ミィミィちゃんと同じくとがった耳を持ったそいつは……周りのことなんてまるで気にしていないとばかりに屋台の前へと歩を進める。


「…………」


 私を見て、バルダスを見て、そしてミィミィちゃんを見て──もう一度、ぐるりとこの人だかりを見渡して。


 あきれたようにため息をついたそいつ──リュリュは、淡々と告げた。



「…代表として買いに来た。あいつらの分も買う。全部二つずつちょうだい」



 やっぱり、持つべきものは仲間らしい。




▲▽▲▽▲▽▲▽




「なんか悪いな、手間取らせちまって」


「…別にいい。これくらい仲間なら当然」


 さて。


 奇しくも、あのめちゃくちゃ長い行列に並ぶことなくそのお菓子を手にすることができた私たちは、屋台からちょっと離れたところで腰を落ち着けた。


「…それに、バルダスはミィミィを見ててくれた」


「……お、おう」


「…ミスティもまぁ、傍にいてくれた」


「だね」


 リュリュが買った”くれーぷ”は六つ。リュリュの分、ミィミィちゃんの分、そして私とバルダスの分……と、ここまで四つ。


「私もいた」


「……」


 残り二つのうち、一つを持った彼女は……驚くべきことに、リュリュとそっくりな見た目をしている。リュリュがこの場にいなければリュリュ本人だと思うくらいにはそっくりで、違うところと言えば髪の長さとその眠そうな目くらいだろうか。


「…いるだけじゃ、意味がない」


「魔法がある」


「…街中、禁止」


「正当防衛」


「…騎士」


「非常事態なら良し」


「…………」


 はぁ、とリュリュはわざとらしくため息をついた。


「…………口ばっかり達者な妹。今日はミィミィの保護者という名目で連れてきた。なのにこのザマ」


「だって、マスターがすごかったんだもん」


「…お前が並んでもよかったんだぞ」


「お金ない」


「…………」


 リュリュを何倍にも不愛想にした……というか、口数を極端に少なくしたような彼女は、表情を一切変えずにそう告げる。不思議なことに、あれだけの短い言葉なのに二人の間ではしっかり会話が成立しているらしく、リュリュがまたしても苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「ねえミィミィちゃん、彼女は……」


「ティティお姉ちゃんはね、最初はミィミィと一緒にますたーたちを見てたの。でもそのうちもっとよく見えるところに行っちゃったの。そのあたりから、リュリュお姉ちゃんはずっとティティお姉ちゃんのことを睨んでたの。ミィミィ、ちょっと怖かったの……」


「……」


「ミィミィもティティお姉ちゃんもお金は持ってないから、リュリュお姉ちゃんじゃないと買えなかったんだよ?」


 つまり、なんだ。集落暮らしでお金を持ってないティティはミィミィちゃんの御守を、冒険者としての稼ぎがあるリュリュは二人の分まで買うってことで列に並んでいたのに、ティティはあの見世物に一人で夢中になってたってことか。


「それよりも! リュリュお姉ちゃん、買ってきてくれたやつって……!」


 ミィミィちゃんのその言葉で、私たちは改めて手の中にあるそれを見た。


 ”くれーぷ”。なんとも可愛らしい響きの名前であるこのお菓子は、イチゴやバナナといった具材を薄く延ばして焼いた生地で包んだお菓子らしい。小さかったはずの生地が鉄板の上であんなにも大きく広がって、そして私たちの手の中に納まる程度の大きさに戻っている……というのは、なんだかちょっと不思議な気分だ。


 もちろん、包まれているそれは思いのほかボリュームたっぷりというか、なかなかに食べ応えがありそうではある。手から感じるこのずっしりとした感覚をそのまま信じるならば、普通に”けーき”を一個か二個くらい食べるくらいの量はあるんじゃなかろうか。


「…全部で三種類。ミィミィは【オーソドックス】ってやつでよかったよね?」


「うん!」


 ミィミィちゃんが持っているのはオーソドックスと呼ばれていたもの。たっぷりのイチゴとバナナ、そしてあまぁい”くりーむ”をこれでもかと使っていて、そして”ちょこ”のソースも惜しみなく使われている。見た目がなんともまあ華やかで、いわば手づかみで食べられる”けーき”と言ってもいい。


「…ミスティは、ラズベリーが好きだったよね?」


「うん。まぁ、正確には私じゃなくてラズなんだけど」


 オン!


 私とリュリュが持っているのは、【スペシャルベリー】と名付けられていたものだ。真っ白の”くりーむ”のほかには真っ赤なストロベリー(イチゴ)、青いブルーベリー、赤紫色のラズベリー、そして黒いブラックベリー……と、たくさんのベリーがこれでもかってくらいにゴロゴロ使われている。うっかりしたら零れ落ちてしまいそうなくらいで、そんなベリーを飾り立てるようにして”じゃむ”のソースがふんだんに使われていた。


「…バルダスは、消去法」


「まぁ、別に構わねえけどさ……」


 バルダスとティティの手の中にあるのは、【トロピカル】と呼ばれていた黄色の”くれーぷ”だ。なにがどうトロピカルなのかはわからないけれど、少なくともパイナップルが入っているのはわかる。ただ、残り二つの果物がよくわからない。一つは淡い黄色の果物で、もう一つは濃く鮮やかな橙色の果物──それも、すごく甘い香りがするものだ。


 見た目はすこしオレンジに似ているけれど、でもオレンジ特有の柑橘っぽい香りはしない。もしかして、この辺じゃお目にかかれない果物だったりするのだろうか?


「ねえ、リュリュお姉ちゃん! もう食べていいかなあ? ミィミィ待ちくたびれちゃった!」


「…ふふ、いいよ。落っことさないようにね」


 リュリュのその言葉を合図に、私たち全員が手の中にある宝物に注目する。ここまでくればもう、あとは本能の赴くままに噛り付くだけでいい。


「……わぉ」




 口いっぱいに広がる”くりーむ”の底抜けの甘さ。


 たくさんのベリーの胸がドキドキするような甘酸っぱさ。


 そして、このお菓子特有の心が弾むような甘い香り。


 ああ、やっぱり。たとえあの喫茶店でなくても、マスターたちが作るお菓子は。


「──いいね、これは」


 独り占めしたくなるほど、素晴らしいものだった。




 屋台でこれだけのものを作れるのか──というのが、一番最初に抱いた感想だった。


 作る過程を見ていたから間違えるはずがないのだけれど、”くれーぷ”ってのは薄く焼いたあまぁい生地を使って具材を包んだお菓子だ。作り方としてはとても単純で、要は焼いて巻くっていうそれだけでしかない。


 が、シンプルな作り方とは裏腹に、見た目は豪華で華やか、そして食べ応えもしっかりある。


「すごいね、これは……!」


 噛り付いた瞬間の、あのお菓子の甘い香りが体中を見たいしていく感じ。”けーき”の”すぽんじ”によく似た柔らかな甘さが舌に触れた直後にやってくる、イチゴとラズベリーの甘酸っぱさ。底抜けに甘い”くりーむ”のそれと口の中で混ざり合って、なんだか幸せをそのまま丸かじりしているような気分になる。


 何より、文字通り口いっぱいにほおばれるってのが素晴らしい。フォークやナイフを使わず、ただただ本能のまま食らいつけるってのが本当に良い。


「おいしい! これ、すっごくおいしい!」


 作っているときは、もうちょっとたくさん具材を使ってくれてもいいのに……なんて思っていたけれど、実際食べてみると、そりゃもうびっくりするくらいに具材がゴロゴロ使われていることがわかる。どこをとっても何かしらの具材にあたって、絶対に満足させてやるっていう気概が見て取れるほどだ。


「……」


 ほら、これ。齧ったところからラズベリーとブルーベリーが零れ落ちそうになっている。こうしてみてみるとやっぱりこれでもかってくらいに具材が詰まっていて、”くりーむ”の白とイチゴの赤、ラズベリーの赤紫……と、綺麗な色が混ざってなんとも楽しそうな見た目になっている。


 アオン!


 ぽろりと落ちた──落としてしまったラズベリーを、ラズがもったいないとばかりに拾って食べた。


「けっこう食べ応えあっていいな、こいつは」


「あはは! かちかちのおじさん、おっきいおくち!」


 バルダスが口を大きく大きく広げてそいつに噛り付く。ミィミィちゃんの拳くらいならそのまま丸呑みにできそうなくらいのその大口をも、この”くれーぷ”は満足させることができるらしい。あいつの食べてるトロピカルってのもまた中には具材がたっぷりで、そしてふにゅりと押し出された”くりーむ”があいつの指にあふれ出た。


「うっすい”すぽんじ”で”けーき”の具材を巻いたもの……か? ほんの少し、バターの香りもするような」


「鉄板にバター引いてた。すごくいい匂いだった」


 言われてなんとなく、その生地だけを食べてみる。なるほど確かに、甘い香りのその奥にバターの良い香りが混じっている。きっとこのバターの香りが”くれーぷ”全体の甘さを引き立てているのだろう。というか、しっとりふわふわのこの生地だけでも十分に美味しい……それだけで一つのお菓子として完成しているといっていいくらいだ。


 ……本当に、どうやったらこんな風にペラペラに薄く焼き上げることができるんだろ?


「……うん」


 もう一口齧ってみる。今度はブルーベリーと”じゃむ”のソースがたっぷりのところだったらしい。甘味が濃いのにどことなく爽やかなブルーベリーのその味と、夢でも見ているんじゃないかってくらいに濃い”じゃむ”の甘さを、”くれーぷ”のその生地の優しい甘さがしっかりと受け止めている。三つ同時に口に入れているだけなのにどうしてこんなにも美味しいのか、学のない私にはわかりそうにない。


「しっかし、この果物はなんだろうな……」


「うん? どしたの、バルダス?」


「いや、ここにある……ほら、これだよ。こっちのは普通に桃だったんだけどよ。この橙色のは多分初めて食べるやつだ」


 バルダスが食べているトロピカルに含まれている果物は三つ。ひとつは見たまんまパイナップルで、淡い黄色のそれは桃であったらしい。ただ、残る一つのそいつがどうにもわからない……と、バルダスは首をひねっている。


「ミィミィ知ってるよ! それ、マンゴーだよ!」


「「えっ」」


 バルダスも私も、体が固まった。


 ミィミィちゃん今なんて言った?


「…………なあ、なんでそんなこと知ってる? エルフの集落ではマンゴーの栽培をしてんのか?」


「んーん! ミィミィもこの前初めて知ったの! 語り部様が言ってたんだけどねえ、うーんと南のほうで採れる、すっごくすっごく貴重な果物なんだよ!」


 それは知ってる。祝い事の時くらいしか食べられないようなすごく貴重な果物で、めったにお目にかかれない……実際、私もバルダスもその名前を聞いたことくらいしかない果物なのだから。


 問題なのは、なんでそんな貴重な果物が屋台のお菓子の材料に使われているのかってところなわけで。


「この前たくさん食べた。エルフの集落におすそ分けできるくらいお土産でもらった」


「…マスターの友人のクスノキが栽培したものらしい。豊作すぎて、腐る心配をしなきゃいけないくらい」


「おいおいおいおいおい……」


 元の大きさがどんなものかは知らないけれど、少なくともこんな風に屋台で売りさばけるような値段じゃないだろう。それどころか、間違ってもタダでおすそ分けなんてできるはずもない。いったいマスターたちの金銭感覚(?)はどうなっているのやら。


「……そういやリュリュよぉ。こいつの値段って」


「…どれも一律、銅貨二枚」


「…………毎度ながら、逆に心配になってくる値段設定だよな」


 六個買っても銅貨十二枚。まっとうに考えるなら明らかに原価割れしているはず。私が商人だったら最低でも銀貨一枚はとっておきたいところだ。それだけの価値がこの”くれーぷ”にはあるはずだし、銀貨一枚でも飛ぶように売れるのは疑いようがない。


 ……それにしても、銅貨二枚か。本当に子供のお小遣いレベルなんだけど、もしかして三食すべてマスターにお願いしたら相当食費が浮くんじゃなかろうか。


「……うん」


 なんとなく感慨にふけりながらも、私は”くれーぷ”に噛り付く。とっても美味しくて素敵なそれだけれども、食べ進めるごとにこう……ちょっとずつ小さくなっていくのが実感できてしまうのがなんとなく寂しい。形が形だからしょうがないとはいえ、だんだんと噛り付いた時のその一口が小さくなってしまうのがもどかしいような、切ないような。


「…ミィミィ、おくち」


「あとで!」


 穏やかな目をしたリュリュが、ミィミィちゃんの口元の”くりーむ”を指でそっとぬぐう。前から少し思っていたけれど、どうもリュリュは子供に甘いというか、変に母性を発揮していることがあるようなないような。


「リュリュおねえちゃん!」


「…ん、あーん」


 あーん、と大きく口を開いたミィミィちゃん。びっくりするくらい優しいまなざしをしたリュリュが、そんなミィミィちゃんに自らの”くれーぷ”を食べさせた。


「リュリュおねえちゃんのもおいしー! すっごく甘酸っぱくって、たくさんのベリーが入ってて……! ミィミィ、こっちも好きかも!」


「お姉ちゃん」


「…ほら」


 かと思ったら、ティティにも同じように食べさせている。リュリュと見た目はそっくりなこの妹は、まるでそれが当然だと言わんばかりにリュリュのそれにくらいついて……というか、リュリュのほうもごくごく自然な動作で自分のそれをティティの前に差し出していた。


「こっちも美味しい……けど、ブルーベリーがなかったよ?」


「…そこまでは知らない」


「ティティおねえちゃん!」


「ん」


 そしてまた、ティティもミィミィちゃんの口元に”くれーぷ”を差し出して、ミィミィちゃんは何の疑いもせずに、本当に幸せそうにそれに噛り付いた。


「……! 桃とパイナップル……! ミィミィ、こっちも好きだ……!?」


「よかったね」


「どうしよう……!? どれも美味しくて、一番なんて選べないよ……!?」


 すごくすごく可愛らしい悩み。そして、悩んでいる間もミィミィちゃんの口は止まらない。止まらないというか、止められないのだろう。ぱくぱく、もぐもぐ……と、美味しそうに食べながら悩むという妙に器用なことをやってのけている。


「…桃もマンゴーもすっごく甘いのに、そこにパイナップルの甘酸っぱさもあってすっごく美味しい」


「でしょ」


 そして、やっぱり。


 ちょっとドキッとするほどの優雅な手つきで髪を抑えたリュリュが、ティティの”くれーぷ”に噛り付いて顔をほころばせている。


 こいつはひょっとして、もしかすると。


「ねえリュリュ。エルフってのはそうやって分け合いっこするのが普通なの?」


「…普通では、ないと思う。少なくとも、ルタやテレには上げない。…キャキャやニィニィだったら、考えなくもないこともない」


 誰だか知らないけど、ルタとテレって人にちょっと同情したくなった。


「…ティティは妹。ミィミィは子供。だからあげる。エルフの集落では、子供はみんなの宝。分け合うのは当然」


「分け合えば、ほかの人が食べているものも食べられる。お得」


「それにね! おばあちゃんとかはすぐにおなか一杯になっちゃうから! だからもったいないからミィミィが食べてあげてるの!」


「……そうか、偉いんだなお前は。そのまま好き嫌いせずに何でも食えるようになれよ」


「うん!」


 なんとも言えない顔をしたバルダスが、空いているほうの手でミィミィちゃんの頭をなでる。まず間違いなく、おばあちゃんのおなかがいっぱいになっちゃう……ってのは半分くらいは方便のはずだ。同族同士で愛情深いってのはなんとなく察していたけれど、同じ集落でずっと暮らしていたらほとんどみんな家族同然……ってことなんだろうか?


 とはいえ。


「でも、確かに分け合うってのはいいアイディアだよね」


 なんとなく、周りを見渡してみれば。


「……ほぉ」


 親と子が、リュリュたちと同じように食べさせあいっこしている光景があちらこちらでうかがえる。やはりというか、子供の一口と親の一口は全然違う……もともとの口の大きさはもちろん、親のほうはあえて小さな一口にとどめていて、そして幸せそうに”くれーぷ”をほおばる子供を、それ以上に幸せそうな表情で見つめている。


 さらにさらに。


「……バルダス」


「……なんだよ」


「私もやってみたい」


 恋人同士が、甘酸っぱい雰囲気もまき散らしながら食べさせあいっこしている。そりゃそうだ、『あーん』ってやつだけでもドキドキなのに、これは俗にいう間接キスってやつでもある。嬉し恥ずかしの恋人らしいイベントとしてこれ以上のものはそうそうない。


 なら、これに乗っからない手はない……よね?


「そうか、リュリュたちとやってろよ」


「……美味しそうだよね、それ」


「……やらねえぞ?」


「じーっ……」


「てめえで買えよ? というか、それは普通口に出すもんじゃないだ──!?」


「……えいっ!」


「あっ!?」


 なるほど、確かにこいつは美味い。桃のとろけるような甘さと、パイナップルの甘酸っぱさ……そして、初めて感じる桃にも負けないくらいに強く、濃い甘さ。こいつがきっとマンゴーの甘さってやつなのだろう。同じ”くれーぷ”のはずなのに、具材が違うだけでこうもがらりと印象が変わるだなんて、もしかしてこいつは可能性の塊なんじゃなかろうか。


「この野郎……! マジで食いやがった……! しかもバカでかい口で……!」


「やだね、もう。キミとおねえさんの仲じゃないか。……もしかして、照れてるの?」


「ホントだ! かちかちのおじさんすっごくまっかっか! まるで修羅場のおねえさんみたい!」


 うん、たぶん照れて赤くなっているわけじゃあないんだろうな。あとミィミィちゃん、出来ればそれはリュリュの前では言ってほしくなかった。なんだかリュリュがとんでもない形相でこっちを睨みつけていてお姉さんマジで寿命が縮みそうなんだけど。


 ……言うほど、大きな口じゃないつもりだったんだけど。なんか地味にショックだ。


「やったからには、やられる覚悟はできてるんだろうなァ!?」


「あーっ!?」


 油断。慢心。


 まさかそんなことはないだろう、極悪人面であろうとか弱い乙女にそんな狼藉なんてしないだろうと思っていたら。


 バルダスのやつ──拳闘士らしい素早い動きで、私の手の中にあった”くれーぷ”に噛り付きやがった!


「ひ、ひどい……! こ、こんなに食べちゃうなんて……!」


 体が資本の、大の男の拳闘士の全力の一口だ。か弱い乙女の一口とは比べるべくもない。すでに六割は食べていたとはいえ……なんかもう、二割くらいしか残っていないような……。


「一口は一口だろうが。むしろ一口で済ませてやっただけありがたいと思え」


「ぐすん……」


「泣いても無駄だ。それに誰だったかが言ってたぞ。罪を償い、罰を受けて初めて人は許されるって」


 食べた分よりも多く食べられたのは、罰のほうだ……とこのおっさんは言いやがった。


「…………あれはない」


「もこもこのおねえさん、かわいそう……」


「甲斐性なし」


「えっ」


 満足そうに口元の”くりーむ”を拭っていたバルダスに放たれた三連撃。まさかリュリュたちからそんなことを言われるだなんて予想だにしていなかったのだろう。意外にも、バルダスは信じられないとばかりに驚いた顔をしていた。


「え……今のは明らかにこいつが……悪い、よな?」


「…女の子のおちゃめくらい、男なら受け入れるべき」


「それエルフの集落でやったら総スカン」


「ミィミィ知ってるよ。こーゆー時はなるべく早めに誠意を見せたほうがいいんだよ。ルタお兄ちゃんもいっつもそうしてるもん」


 アオン!


「……」


 何を言っても無駄だとバルダスは悟ったのだろう。女が四人……いや、四人と一匹いて、ここには男が一人しかいない。その段階で、もはやあいつに残された道なんてないのだから。


「……ちっ、わかったよ。確かに食いすぎたのはちっとばかしやりすぎだったかもしれねえな」


「…えらい、えらい。素直に謝れるのは、いい子の証だよ。ティティなんて減らず口ばかりで絶対に非を認めないし」


「そんなことないもん」


「……」


 あ、バルダスのやつ……いま、リュリュのことをババアって思ったな。でもって、ババアって思ったことに気づいた私に対して『頼むから見逃してくれ』ってアイコンタクトを送ってきている。そりゃもう必死に、懸命に。


 ……でもまぁ実際、エルフのリュリュは私たちからしてみれば相当な年配のはずだ。見た目が私と同じかちょっと若いくらい……つまりは二十の半ばくらいで、エルフは人の三倍の寿命を持つと言われているから、ざっくり計算で実年齢は七十歳くらいだろうか。


「…………なんかいま、失礼なこと考えた?」


「なんのことかな?」


 うっわ、すごく怖い顔して睨んでる。こりゃどうやらだいぶ近いところをついている……かも?


「ま、まぁなんだ……オレも食い足りないし、他のもしっかり食いたくなってきたからよ。ちょっと追加で買ってきてやるよ」


「わぉ。それじゃ……今度はオーソドックスにしようかな?」


「…ほんと? …じゃあ私、次はトロピカルがいい」


「私、オーソドックス」


「ミィミィは……スペシャルベリー!」


「別にいいけどよぉ……今残ってるオーソドックスはどうすんだ?」


「…私が食べるの。悪い?」


 ほんのりと頬を赤らめたリュリュが、恥ずかしそうにバルダスをねめつける。冒険者で体を鍛えている分、ほかの二人より食べる量が多くなるのは普通のこととはいえ、やっぱり乙女としてちょっと恥ずかしかったらしい。


「んじゃ、ちょっくら行ってくらあ」


 最後の一かけらを口の中へと放り込んだバルダスは、長い長い列の最後尾へと向かっていく。思っていたよりかはずっと進むペースが速いとはいえ、この様子だと私たちのところへ戻ってくるにはいましばらくの時間がかかることだろう。



 ──わああああ!


 ──もういっかい! もういっかい!


 ──よっ! うまいね!



「…大盛況だね」


 何枚も何枚も焼かれる”くれーぷ”と、そのたびに湧き上がる大歓声。並んでいるときはよく見えなかったのだろうか、リュリュはきゃあきゃあと騒ぎ立てる子供たちと、照れくさそうに子供たちの期待に応えているマスターをどこか楽しそうに眺めている。


「ああやって活躍している人たちが身内だと、なんかちょっと優越感があるよね。あの人たちと私たちは特別な関係なんだぞ……って」


「…わかる」

 

 生地を垂らして、くるくるって回して。何かのカラクリでも見ているかのようによどみなくきれいに広がったそれを、くるりと手際よくひっくり返して。そこに果物を並べて飾り立てていく姿も、最後にくるくるって巻いていくところも。


 見ていて飽きない。ずっと見ていていたいくらい楽しい。甘い匂いが立ち込める中で、不思議と胸が弾んでくるような素敵な気分にさせてくれる。


「これだけ並んでいる屋台で、これだけ忙しそうにしていてこのクオリティってことはさ」


 なんとなく思い浮かんでしまった考え。そして、気づいたからには口に出さずにはいられなかった。


「あの喫茶店で、ちゃんと作ったのならどれだけすごいんだろうね?」


「…………あ」


「……もしかしなくても、もっとすごい?」


 屋台でさえ三種類もバリエーションを用意できるのだから、ちゃんと準備ができる場所で作ったのなら、もっとたくさんの”くれーぷ”を作れるに違いない。使える果物だってまだまだあるし、私の想像が追い付かないだけで、アレンジの幅なんていくらでもあるのだろう。


 何より──もっともっと大きい”くれーぷ”だって作ってくれそうな気がする。もっともっとたくさん具材を使ったものだってきっと作ってくれることだろう。


「え……だったらミィミィ、自分であれやってみたい!」


「…ふふ。じゃあ、今度マスターにお願いしてみようか。……だいじょぶ、いざとなったら爺に泣きつけばなんとかなる」


 私の隣で楽しそうにおしゃべりするエルフたち。ほぼ間違いなく、彼女らの願いは実現することになるのだろう。


 ここにはたくさんの人がいる。たくさんの知らない人がいて、そのみんながマスターのお菓子を食べて幸せな気持ちになっている。それ自体はきっととても素敵なことで、マスターもまた、その様子を嬉しく思っているのだろうけれども……。


「……ちょっと妬けちゃう、かも?」


「…ミスティのは、妬いてるんじゃなくて独占欲だと思う」


「はは、言うようになったね」


 それでもやっぱり、私たちだけのマスターでいてほしい。だから、常連だけの特権として、ここにいるみんなでは絶対に食べられないような……とびっきりの”くれーぷ”を作ってもらわないと、ね。


 そうでもないと、この少し切なくて寂しい気持ちは収まりそうにない。


「あの喫茶店にある果物全部乗せて、”くりーむ”も”ちょこ”も”じゃむ”も全部使った”くれーぷ”なんてどうだろう?」


「…ふふ。そんなにたくさんは乗せられないし、もしも乗せられたとしても……大きすぎて、食べられないよ」


「えーっ! そんなことないよ! ミィミィだったら食べられるもん! ……だからもこもこのおねーさん、その時は絶対呼んでね!」


「私も」


「うん、もちろんだとも」


 そんな幸せな約束を交わして。


 そして私たちは、最後の一つの”くれーぷ”を四等分する作業に取り掛かった。

 クレープをくるくるって伸ばすのを見るのが結構好き。上手な人だと、マジでトンボを回転させるだけで綺麗に広げられるんですよね。初めて見たときは本当にびっくりしましたとも。


 学校帰りにクレープを食べる……なんてことをしてみたかったものですけれども、帰り道にクレープ屋さんとかなかったんですよね……。あと、地味に屋台のクレープ屋さんも最近はあまり見かけない気がします。私が出不精なだけかもしれませんが。なんとなく500円から600円くらいのイメージなんですけど、いまどれくらいするんだろ? 少なくとも、学生さんが気軽に食べられるようなお値段じゃない気がしますな。

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クレープ好きなのに移動販売車が時々来てるとき位しか買う機会無いの悲しい…そして来てるときは大体外食前後で食べるに食べれないと言う… …いつも思うけど、まごころ農家の生産品って使い切れてるんだろうか…
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