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エルフとキャロットケーキ


 エルフの里を出てから、本当にいろんなものを目にしてきたと思う。あれからまだ一年と経っていないのに、良いものも悪いものも──エルフの里では絶対に見られなかったものを見聞きし、体験することが出来た。


 この前の文化祭だってそうだ。マスターの隠れ里に遊びに行くことが出来るだなんて、いったい誰が信じられたことだろう。見事な絵画にダイナミックな歌声……そして、マスターの作るそれに勝るとも劣らない美味しい料理やお菓子の数々。値千金の、得難い体験とはまさにあの事だ。


 あれほど不思議で素敵な体験はそうそうできるものじゃない……と、思っていたんだけれど。


 ──カランカラン。


「ようこそ、《スウィートドリームファクトリー》へ!」


 いつも通りの、涼やかで心地の良いベルの音。今日もまた、太陽のように明るいシャリィちゃんの笑顔が私を出迎えてくれた。


 出迎えてくれた、のは間違いないんだけど……。


「すみませんねえ、こんな格好で!」


 にこにこ笑顔を隠そうともしないシャリィちゃんは。


 こともあろうか、マスターと抱き合っている。


「…なに、やってるの?」


 一応聞いてみる。マスターとシャリィちゃんは家族とはいえ、本当は遠い親戚だって言う話だ。家族同士で抱き合うことなら普通だけれど、そういう意味では事案になりかねない。年端も行かない女の子をマスターの年代の男が抱きしめていたら、まっとうな人間なら色々諸々警戒する……よね?


「は、はは……その、シャリィがどうしてもと言って聞かず……」


「だってぇ……! ずるいじゃないですか! あたしだっておに……マスターみたいな格好いい人と踊りたいですもん!」


 そう言って、シャリィちゃんはさらにぎゅーって力強くマスターに抱き着いた。


 ……いや、よく見たら片手だけマスターと指を絡めるようにして繋いでいる。どうやらだいぶ変則的な型だけれど、フォークダンスのそれをやっているらしい。


「はぁ……! このぎゅって抱きしめられる安心感……! 抱き着きがいのある程よくしまったいい感じのカラダ……! うへへ、これはまさに至福の体験ですよぉ……!」


「踊るんじゃなかったの、シャリィ?」


「んもう! マスターったらわかってませんねえ! せっかちさんは嫌われちゃいますよ?」


「シャリィが良いって言うならいいけどさぁ……」


 本当に、心の底から幸せそうにシャリィちゃんはマスターにほおずりしていた。たぶん、今のシャリィちゃんは世の中の女の誰もが夢に見ることを体験できているのだと思う。マスターほど面の良い男とああして抱き合える女が、果たしてこの世に何人いるのか。


 とりあえず、勝手に席に座らせてもらう。今の私にとってはマスターに抱き着くよりも、マスターに抱き着くシャリィちゃんの笑顔を見るほうが何倍も楽しい。


「…そう言えば、マスター。あの後どうだったの?」


「あのあと、ですか?」


「…うん。文化祭の二日目の終わり。帰ってくるの、ずいぶん遅かった」


 この前の文化祭。最後の最後で、私達お客さんは参加できない後夜祭なるイベントがあったという。当然マスターもそれに参加することになったわけだけれども、それにはフォークダンス……要は、男女で踊るイベントもあったと聞く。


 未婚の男衆、女衆にとってはドキドキのイベント。でも、マスターにとっては……。


「…アミルがすっごく心配していた。あの空気で話題に出すの、気まずかった」


「は、はは……」


 マスターとアミルは、割と最近恋人同士になったらしい。傍から見ればようやくとも、意外と早かったとも思えるけれども、ともかくアミルからしてみればマスターがそんなイベントに参加するのなんて許せるはずがない。


 実際、こっちに帰ってきて落ち合ったときのアミルは……レイクに強制連行されてきたアミルは気が気じゃない感じだった。すっごくすっごく不安そうでそわそわしていて、心ここにあらずという感じだった。


 マスターが戻ってきた後も、頻りに色々心配していたけれど……。


「…本当に他の女の子と踊ったりしなかったの? …だいじょぶ、エルフの口は堅い」


「いや、踊ってませんからね!? ちゃんと約束通り、見てるだけにしましたからね!?」


「…ほんとぉ?」


「ホントですってば!」


 マスターに限って、浮気することはない……とは思う。でも、周りの女の子については保証できない。それにマスター、黙っていると女を誑かす悪い男に見えないことも無いし。


「確かに予定よりちょっと遅れちゃってみなさんと夕飯はご一緒できませんでしたが……それは打ち上げに行ってたからですし。なんならじいさんに聞いてもらっても構いませんよ?」


「…爺が言うなら、安心」


「あの人はあの人でとんでもない嘘つきですけどね。いつかチュチュさんと一緒にとっちめてやろうと思ってるので、その時はよろしくお願いします」


 ぽんぽん、とマスターは愚図る子供をあやすようにしてシャリィちゃんの頭をなでる。その意図を察したシャリィちゃんは、少々……というかかなり渋々と言った感じでマスターに絡めていた指を解いた。シャリィちゃん的にはもう少しばかり、マスターとのダンスを楽しみたかったらしい。


「さてさて。なんだかちょっと話が逸れていたかもしれませんが……改めて。リュリュさん、本日はいかがいたしましょう?」


「…うーん」


 喫茶店に来たなら、注文するものを決めなくっちゃいけない。常連らしく「いつもの」を頼みたいところだけど、私の場合は毎回違うものを頼んでいるからよくわからない……と、この前言われてしまっている。


 じゃあ、知っているものを……以前食べたことのあるものを注文しようかとも思ったけれど、今日はそういう気分じゃない。


 今日の気分は、例えるなら……。


「…ちょっとしっかり食べたい気分。それと、できれば……」


「できれば?」


「…お野菜の美味しさがわかるやつが、いい」


 マスターの顔を見て思い出してしまった。あの文化祭でマスターのお菓子部が出していたという”がとーしょこら”は食べ損ねてしまったけれど、もう一つのフライドベジタブルは私も食べることが出来た。


 こちらはお菓子ではなく料理の類だったけれど、あれもまた本当に美味しかった。大地と太陽の……自然の恵みがぎゅっと詰め込まれたあの野菜は、まさに豊穣の力そのものを体に取り込んでいるようで、一口食べただけで体に力が満ち満ちてくるかのようなものだった。


 コーンが甘かった。ニンジンも甘かった。あんな野菜の甘みや旨味を、私はもっと楽しみたい。


「野菜の甘み……なるほど、リュリュさんにぴったりのやつがありますよ」


 そう言って、マスターは奥へと引っ込んでいく。いつもの音の箱──オルゴールの螺子をきりきりと回していくのも忘れない。どうやら今日は、音楽を掛けたい気分だったらしい。


 ~♪


「…シャリィちゃん、ちょっと」


「どーされました? ……あら♪」


 これから出てくるであろう夢のお菓子に思いをはせながら。


 なんだかちょっぴり悔しくなった私は、シャリィちゃんをぎゅっと抱きしめた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



~♪~♪~♪♪~──......



 そうして、シャリィちゃんをおしゃべりしながら過ごすことしばらく。いつもよりちょっぴり長めの時間が経った後、奥の方から何やらいい香りが漂ってきた。


 甘い香りに混じるこの特徴的な感じは……そう、熱の匂い。どうやら今日は焼き菓子の類であるらしい。


「……あ、この香りは!」


「…知ってるの?」


「ええ! おねーさんもきっと気に入ってくれると思いますよ!」


 甘い香りはどんどん強くなり、そして私の胸は期待でどんどん膨らんでいく。もう少しシャリィちゃんとおしゃべりしていたいという気持ちと早くそれを食べてみたいという気持ちがせめぎあって……なんというか、悪くない気分だ。


「すみません、ちょっと時間がかかってしまいましたかね?」


「…ううん、だいじょぶ」


 奥から顔を出したマスター。その片手にあるは白磁の皿。


 私の目の前にことりと置かれたそれの上に乗っているのは……。


「おまたせしました。《キャロットケーキ》です」


「…わぉ」


 ”きゃろっとけーき”。それは、名前からしてわかるように”けーき”の一種であるのだろう。単純な見た目としてはいつぞやの”ぱんけーき”に近く、ともすればふわふわとしたパンのようにも見える。


 毎度のことながら、この特徴的な扇形……つまり、真ん丸のそれを焼き上げて、その一部を切り出して一人前としているらしい。焼き上げた直後のそれを見てみたいと思ってしまったのは、私が浅ましいから……ではないと信じたい。


「…色が、オレンジだね」


 何より特徴的なのは、マスターがいつも出してくれる”けーき”と違って、そいつが柔らかな淡い黄色をしていないところだ。やや茶色が混ざったオレンジというか、どことなく黄昏の終わりを彷彿とさせるようななんとも独特な色合いをしている。


 私の出した野菜の味を感じられるものというリクエスト。それに、さっきマスターが告げたこいつの名前を鑑みるに、このオレンジの元となっているのはニンジンなのだろう。


「…ニンジン?」


「ええ。その名のごとく、《キャロットケーキ》は生地にすり潰したニンジンを混ぜて焼き上げたものです。ニンジン入りのパウンドケーキみたいなものだと思っていただければ」


 まさか、野菜まで”けーき”にできるとは。今まで何となく、お菓子の材料にできるのは果物の類だけだと思っていたけれど。以前ハンナから聞いた話では、卵やバターなどの基本的な材料を混ぜて焼くだけで”けーき”は作れるってことだったから……そこに混ぜれば、果物でなくても問題ないってことなのかな。


 これはぜひとも、仕上がりを確かめて見なくちゃいけない。一エルフとして……いいや、このお店の常連として、この新しい何かを試さなくては悔やんでも悔やみきれない。


「…いただきます」


 フォークを入れる。ほんのちょっぴり、いつぞやの”かとる・かーる”よりもわずかに手ごたえが重いような。とはいえ、それも程度問題でふんわりとしていること自体には変わりない。


 面前まで持ってくれば、やはりふわりとニンジンの香りがする。堪えきれなくなって、私はそいつにぱくりと飛びついた。



 ほのかで優しい甘さ。


 大地の恵みを感じられる香り。


 ふんわりとした……それでいて、しっとりとやさしい食感。


 これはもう、間違いなく──


「…美味しい」


「それはよかった」


 オーダーに完璧に答えてくれたマスターを、ぎゅっと抱きしめたくなった。



 やはり何と言っても、”きゃろっとけーき”のその最大の特徴はニンジンの味と香りだろう。この手の”けーき”の類……というかお菓子全般からして見ても珍しいことに、甘さ自体はけっこう控えめだ。砂糖の甘さは本当に最低限で、ニンジンの……野菜としての甘さを前面に引き立てている。


 この野菜の甘さが、”きゃろっとけーき”に普通のお菓子とは全く異なる印象をもたらしている。”けーき”と名のつくお菓子なのにお菓子ではないような……それでもお菓子として甘いという、なんとも不思議な心持ちだ。


 ほのかだけどしっかりわかる甘さ。夢に虜になる甘さではなく、柔らかでふんわりとした甘さ。いつもの”くりーむ”の甘さが華やかで華美なそれと例えるならば、こいつの甘さは地味で質素と例えられるものかもしれないが……その中に潜む柔らかさと活力と言うべきものが魅力的だ。


 この、野菜の甘さがそれを連想させるのだろうか? 大地の力強さと言うものを感じずにはいられない。これはまさしく、新鮮な野菜を食べた時と同じ感覚のそれだ。


「《キャロットケーキ》ってお菓子としてはなんかちょっと独特な感じがしますけど、そこがまたいいんですよねえ……♪」


 私の目の前で、シャリィちゃんも同じように”きゃろっとけーき”を楽しんでいる。ひょいぱく、ひょいぱくと手が止まらない。本当に幸せそうな表情をしていて、見ているこっちまで嬉しくなってくる……と思ったところで気づいた。


「…野菜なのに、青臭さが全然しない」


「そうでしょう? そこはまぁ腕の見せ所の一つでもありますが……おかげで、ニンジンが嫌いな子供でも食べられることが多いそうですね」


 ニンジン特有の……というか、野菜特有の青臭さが全くと言っていいほどこれからは感じられない。ただただニンジンの甘さだけを抽出したかのようで、そういう意味で「野菜」を感じさせない。


 「野菜」を感じさせないのに……ふわりと口の中に広がる味は確かにニンジンのそれで、鼻に抜けていく香りもやっぱりニンジンだ。ニンジンの良い所だけを抽出して、他の一切合切を置き去ってしまったかのように、それだけしか感じさせない。


 この不思議な感じは、それに起因しているのかも。ニンジンを食べているのに野菜じゃない感じがするのは、私のろくじゅ……ええと、そこそこ長い人生の中でも初めての経験だ。


「…不思議だね。野菜だけど野菜じゃない。お菓子だけどお菓子じゃない」


 ふんわりとしたこの食感。ちょっぴりしっとりしていて食べ応えはそこそこある。ぱふっとしていて柔らかいけれど、しっかりその存在を感じるような。


 パンと”けーき”を決定的に分ける何かがその軽やかさにあるのだとしたら、この”きゃろっとけーき”にも間違いなくその軽やかさは存在している。”すぽんじ”のそれと比べるとパン側寄りとはいえ、それは間違いない。


 だからこいつはお菓子なのに……それでもどこか、ニンジンのパンと言う気持ちがしないこともない。お菓子には砂糖と果物の甘さがあるものという盲目的な認識がそうさせるのか、はたまた別の理由か。


 自分で考えていてよくわからなくなってきたけれど、”きゃろっとけーき”はそんな不思議なお菓子だ。


 ただ一つ、はっきりしていることがあるとすれば。


「…美味しい。本当に美味しい。ニンジンの”けーき”がこんなに美味しいなんて、思わなかった」


 この”きゃろっとけーき”は間違いなく美味しい。”けーき”の王道からは外れるかもしれないし、好き嫌いが分かれる物なのかもしれないけれど……お菓子と野菜の共存と言う意味で、これ以上のものがあるとはとても思えない。お菓子らしさを出しつつ野菜の美味しさをここまで引き立てることが出来るものが、他にあるとは思えない。


 というか、自分で注文しておいて何だけど、こんなことが出来るということ自体が信じられない。最初にこれを考えた人は、いったいどうやってこの境地に辿り着いたのか。


 ──思えば、こんなオレンジ色の”けーき”も、私は他に見たことが無い。


「確かにケーキとしてみると不思議な感じがしますよね。野菜の甘さ自体が、一般的なお菓子ではあまり使われないものですし。お菓子と言うよりかは料理って印象があるのに……それでもやっぱりお菓子で、食べてみると不思議とケーキなんだなって思えてしまう……はは、自分で言っていてよくわからなくなってきました」


「…わかる。それ、すごくわかる」


 もし。もしも何も教えずに常連の連中にこれを食べさせたとしたら。果たして彼らは、この”きゃろっとけーき”をどう判断するのか。野菜の甘さを引き立てたパンの一種だと思うのか、それとも”けーき”の一種だと思うのか。


「ちなみに今回お出ししたキャロットケーキですが、実は本場のそれとは違う仕上がりにしているんですよ」


「…そうなの?」


「ええ。本場のはもっとこう……生地にシナモンやナツメグといった香辛料を効かせてちょっぴりスパイシーに仕上げます。そして最大の違いとして、この上にクリームチーズをかけるんですね」


「…へえ」


 頭の中で味の想像をしてみる。ニンジンの味と風味がしつつ、そこに香辛料を効かせてみると……どうなるんだろう?


 考えてみれば、香辛料なんてそんなに使ったことが無かった。肉に塩をかけるくらいならするけど、植物に植物をかけるなんて意味が分かんないし。


「ただ、なんとなくリュリュさんがスパイシーなものを好むイメージがなくてですね。それならいっそ、野菜の甘さを十分に生かした、素朴でシンプルな仕上がりの方がお気に召すかなって」


「…うん。マスターのその判断は正しい。私、これ好き」


「というか、単純にマスターがこっちのシンプルなキャロットケーキのほうが好きってだけですよね?」


「あはは、確かにそれもあるかな。どうにも、ナツメグはハンバーグに使うイメージが強いというか……あの刺激的な感じがお菓子にあるのに違和感を覚えてしまうというか。辛味や刺激がお菓子にあるっていうのはあんまり……」


 作れないわけではないですからね、とマスターはこっちに向かってウィンクしてきた。見栄っ張りと言うか、マスターも男の子と言うことなのだろう。こんな年相応の可愛らしいところがあるうえに顔が良くて、そしてごくごく自然にキザっぽいウィンクをしてしまうあたり、マスターは天性の女誑しなのかもしれない。


「尤も、このキャロットケーキを作るには良いニンジンが必須です。青臭くなくて、甘みがうんと強くて……そんな立派なニンジンが無ければ、ここまでの甘さは引き出せないでしょうね」


「…じゃあ、これもクスノキのところのやつ?」


「ええ。この前収穫を手伝ったんですよ。朝早くから作業するのはなかなか骨が折れましたが……リュリュさんのその笑顔を見れば、そのかいもあったというものです」


「…私だからいいけど、そういうこと、あまり他の女の人に言っちゃダメだよ」


 アミルはたぶん、アレで結構嫉妬深い。女なら少なからず誰でもそうだけれど、あいつは特に気にするタイプだ。マスターがキザでちゃんと事あるごとに愛を囁くタイプでなければ、そのうち刃傷沙汰になりかねないと私はひそかに思っている。


「おねーさん、おねーさん」


「…なぁに?」


「実はこのニンジン……ちょっといわくがあるんですけど、聞きます?」


「…聞く」


 このタイミングで話しかけてきたってことは、よっぽど面白い話なのだろう。シャリィちゃんは、イタズラの成功を確信したかのようににんまりとくちびるの端を釣り上げている。そんなところも本当に可愛い。


「先ほどマスターがおっしゃった通り、このニンジンは楠のおにーちゃんのところで収穫したものです。呼び出されたのが早朝だったこともあって、マスターは出かける直前までちょっとイライラしていたようでした」


「…へえ」


 あのマスターがイライラする……なんだかあんまり想像できない。親友であるクスノキだからこそ引き出せる感情と言うことだろうか。なんだかちょっぴりジェラシーを覚えないことも無いことも無いような。


 イライラするマスターだなんて、どうやったらみられるのか。今だってほら、にこにこの笑顔が……うん?


「ね、ねえシャリィ? いったい何を……?」


 ……なんか、笑顔が引きつっている。これはこれで、面白いものが見られたかもしれない。


 シャリィちゃんは、そんなマスターを無視して話をつづけた。


「ところがところが! 帰ってきたマスターは、それはもう上機嫌でした! あたしが最後に見た時はブツブツ文句を言っていたのに、ですよ!?」


「…畑で何かあったの?」


「じゃなくて! あたしが最後に見てから、玄関を出るまで……むぎゅっ!?」


「ストップ! やっぱりシャリィあれ見てたの!?」


「むぎゅー」


 大慌てでシャリィちゃんの口を塞ぐマスター。シャリィちゃんがぺしぺしとその手を叩くも、さすがに大の男がその程度で屈するはずもない。耳まで真っ赤にしたマスターは、シャリィちゃんには一言も話させまいと必死になっている。


 とはいえ。


「…アミルがお泊りした時の話? 出掛けに行ってらっしゃいのキスをしたんでしょ?」


「み゜っ!?」


 すごい。マスターが変な声出した。アレどうやってだしたんだろ?


「…もう噂になってるよ。女の子はみんな知ってる」


 ああ、マスターが真っ赤になって固まった。シャリィちゃんの口を塞いでいた手もポロリと落ちている。


 …………まさか、本当にバレてないと思っていたのだろうか。


「…マスターの様子もアミルの様子もここ最近ずっとおかしかった。何かあったのは間違いないだろうってみんな思ってた。そのうえで……」


「そのうえで!?」


 わぁ。シャリィちゃんの食いつきがすっごい。


「…この前みんなでお泊りした時にアミルを問い詰めた。…バラすのに、そんなに時間はかからなかった」


 エリィを筆頭に、あの晩女の子全員でアミルを囲んでつるし上げたっけ。最初は口を割らなかったアミルも、私たちの追求からは逃れることはできず……というか、最終的には結構ノリノリで自分から話していたような。他人様の色恋沙汰ももちろん面白いけれど、やっぱり自分のこと……しかも相手がマスターともなれば、自慢したくなっちゃうのもわからないではない。


「おねーさんが心配しなくとも、見えない所で存分にイチャイチャしている……って言いたかったんですけど、もう皆さん知っていたんですね! いいなあ、あたしもそっちに混ざりたかったですよ!」


「…今度また、一緒にお泊り会でもしよっか」


「は、ははは……もうみんなに筒抜け……いや、なんとなくそんな気はしてたけど……あはは……」


「…恥ずかしがることなくない? 喜ばしいことだよ? あんまり目の前でイチャイチャされるのは……まぁ、困るけど」


「き、肝に銘じておきます……」


 ああ、今日食べているのが”きゃろっとけーき”でよかった。甘さ控えめのこいつでなければ、私の胸はとっくに胸やけで大変なことになっていただろう。


「……」


 オレンジ色のそいつにフォークを突き刺し、ぱくりと一口で食べてみる。


 ほんのりと香るニンジンの香りに、ニンジンの控えめな優しい甘さ。どこか穏やかで落ち着くような……なんとなく、懐かしい気分。


 いつの間にかお皿の上はまっさらになっていて……今のが最後の一口であったことにようやく気付く。最後の一口は、いつだって切ない。


「…シャリィちゃん。私と、踊ろ?」


「おおお!? まさかのおねーさんからのお誘いですか!?」


「…ダメ? なんか、そういう気分」


「もちろん、いいですとも!」


 なんだか無性に踊りたい気分。気分転換しつつ、腹ごなしもしたいような。それに、さっき抱き合っていたマスターとシャリィちゃんを見て、私もなんだか羨ましくなってしまったのかもしれない。


「うへへ……! おねーさんといっしょに踊れるなんて、あたしってば本当についていますね……!」


「…このあと、爺とも踊りたい。あの人きっと、踊りも上手い」


「あっ、たしかに! あたしもじいじと踊らないと!」


「……ちなみにシャリィ、リュリュさん。あの人、後夜祭ではいろんな女の子と踊っていましたよ。そりゃもう学年関係なく、とっかえひっかえして最初から最後まで。と言うかあの人が一番手でしたし」


「なっ……!? あたしというものがありながら、じいじってばそんなことを……!?」


「…………おばあちゃんにも、言いつけてやる」


 お菓子なのに、お菓子じゃないみたいで。野菜なのに、野菜じゃないみたいな。そんな不思議な”きゃろっとけーき”の余韻に包まれながら、私はシャリィちゃんの手を取って、爺を取っちめるべくこれからのことに思いを馳せた。

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