冒険者とガトーショコラ
ガーデンパーティ──またの名を、園島西高校文化祭ともいうこのお祭り。マスターたち学校の生徒が、各々で店や催しごとをやって大いに盛り上がるというこのイベントに、私はお客さんとして参加しています。
ええ、もう、本当に驚くべきことに……マスターの隠れ里にこうしてお呼ばれして、しかもしかもこっちのお洋服に身を包んでいるというからびっくりです。
「はー……」
シャリィちゃんが見繕ってくれたこのお洋服。『フェミニンでちょっぴりのレトロモダンを意識した、女子大生をイメージしたコーデです!』というそれは、紺のロングスカートと可愛らしい白のブラウス。控えめながらもしっかり目立っている胸元のリボンが可愛くて、自分でもどうしてなかなか悪くないんじゃないかなって思います。
「……変じゃない、よね?」
祭りの喧騒。この前の島祭の時とはまた違った人の波。さりげなくあたりを見渡してみれば、私と似たような格好をしている女の子はそれなりにいないこともないです。私だけが浮いているって感じはしない……はず。
「……」
ええ、朝におじいさんのお家……例の古家からこの学校へとやってきて、一人で色々見て回りました。物珍しい催しに、美味しそうな匂いをこれでもかと漂わせているお店。絵やお洋服の展示があったり、何やら体験コーナーみたいなものがあったりと、それはもう楽しそうだったのですが……。
「変じゃない……よね?」
なんか、女の子たちの服装が全然違うんですよね。
学校の生徒の大半は、それぞれカラフルなシャツを着ています。たぶん、各々の所属毎にデザインが違うのでしょう。可愛いことには可愛いですが、おしゃれのために着ているって感じではないです。
ただ、それ以外の娘は……道着を着ていたり、浴衣を着ていたり。はたまた逆に私たちのほうのそれを彷彿とさせる衣装を身にまとっていたり。なぜか貴族のメイドのそれをあしらった服を着ている人までいました。
そう、ありていに言ってまとまりが無いのです。もちろん、私と同じようにお客さんとして来ているであろう女の人は、大なり小なり雰囲気が私と似ている感じはするのですが……。
「……むぅ」
これ、どっちが正しいんだろう? 学校の生徒であるマスター的には、やっぱりあのカラフルなシャツの方が良いのかなあ。それとも、シャリィちゃんが選んでくれたこれが正解なのかなあ。
「……シャリィちゃんを、信じよう」
たぶん、シャリィちゃんのほうがきっと正しい。私はこっちのことを知らないけれど、シャリィちゃんはそうじゃない。それに……シャリィちゃんだってたしか、私と同じような格好をしていたし。
それに、シャリィちゃんなら……マスターの好みだって、ばっちり把握しているはず!
「……ふふっ」
ああ、本当に楽しみだなあ! 朝ご飯を食べる前にマスターは学校に行っちゃったから、今日は一回も話していない……それに、あの喫茶店じゃないところで働いているマスターが見られるんだもの!
「……そろそろ、頃合いかな?」
昨日の夜、マスターがこっそり手渡してきた一枚のチケット。なんでも、このガーデンパーティで一番の人気を誇る素敵なお菓子を優先的に食べることが出来るという優れものらしいです。むしろこれが無いとそのお菓子を注文することすら不可能に近いって話ですけど……ホントに、貰っちゃってよかったのかな?
もちろん、使わないなんて選択肢はあるはずがありません。仮にこのチケットが無かったとしても、私はマスターに会うためだけにそのお店に出向いたことでしょう。
「ええと、お菓子部、お菓子部……」
チケットを片手に、私はその妖精郷と異界がごちゃまぜになったかのような不思議な校舎の中を進みます。マスターがそのお店で働き出すのはお昼の少し前くらいからだって言っていましたし、タイミング的にはこれでばっちりのはず!
「……わ」
階段を上って、そのまま廊下を突き進もう……として。
びっくりするくらいに長い長蛇の列が、見えてしまった。
いったい何人くらい並んでいるんだろう。さすがに百人はいない……と思いますけれど、二十や三十では聞かない数であるのは間違いないです。古都で人気の屋台でも、これだけの人数が並ぶところなんて見たことがありません。
……これ、本当にチケットでなんとかなるやつなんでしょうか? やっぱり並ばないとダメ……だよね?
「あの、最後尾はここですか?」
「えっ!? あ、は、はいっ!」
とりあえず、係の生徒……なぜかメイドの服を着ている生徒に聞いてみます。なんかかなり驚かれたような気がするけれども、やっぱり外国人は珍しいのかもしれません。思えば、さっき一通り下見して回った時もやたらと視線を感じたような?
「うわぁ、モノホンの小動物系外国人のおねーさん……素材の違いがすごいなぁ……ん?」
ぴた、とその女の子の動きが止まりました。
「おねーさん、もしかして優待券とか持ってます?」
「優待券……あの、チケットは貰っていますが」
「……もしかして、佐藤先輩の?」
佐藤先輩。つまりはマスターの家名のほう。今ならわかりますが、いつぞやお借りしたジャージの胸に書かれていたアレ。
「はい……その、ユメヒトさんに会いに」
来たのですが、と続けてチケットを差し出そうとして。
その女の子は、私の手をがしっと握りました。
「あ、あなたが……! お待ちしておりました! チケットを確認させていただきます! あと、チケット持ちの人は並ばなくて結構ですので!」
「え……」
行列なんてなんのその。止める間もなく腕を引っ張られ、お店の中へと連れ込まれました。
「チケット持ちの特別なお客様がいらっしゃいました! みなさん、ご対応お願いいたします!」
部屋の外とはがらりと違う、お貴族様が優雅なお茶会を開いていてもおかしくないような、そんなオシャレな店内。文字通り貴族の屋敷の一室と遜色ない程に飾り立てられたその部屋の中には、やっぱりメイド服姿の女の子たちが何人かいます。小さな子供や生徒たちがお客さんとしてそこに居なければ、たぶん本物の貴族の部屋だと思ってしまったことでしょう。
感じる視線は、二種類。
チケットに向けられた、珍しいものをみたような羨望の眼差し。行列に並んでいる人も含めた、私と同じお客さんからの視線。
もう一つは……。
(うっわ……! ホントに金髪の可愛い系おねーさん……!)
(めっちゃ可愛い……! こんなテンプレ外国人美人とか本当にいたの……!?)
(話盛り過ぎだろって思ってたけど、話以上じゃん……! 夢一のやつ、やるなあ……!)
……メイド服の女の子たちからの、好奇の視線。例えるなら……いや、例えと言うかそのまんま、友人が連れてきた恋人を見て盛り上がっている感じ。男の人から向けられる視線ではなくて、女の子同士でお互いの恋人を紹介しあってきゃあきゃあ話の花を咲かせる、あの感じ。
……これはこれで、悪くないかも?
「一名お席にごあんなーい! ささ、こちらにどうぞ!」
「あ、ありがとう……」
「それでですね! あの、個人的にいろいろお話をうかが……」
「はい、ストップ」
ぽんぽん、と肩を叩かれてその女の子はぴたりと止まりました。
その後ろにいたのは、もちろん。
「こんにちは、アミルさん」
「ユメヒト、さん……!」
今日もにこにこ笑顔な素敵なマスターが、そこにいます。
しかもしかも、それだけじゃなくってぇ……!
「すごい……! どうしたんです、その、それ……!」
「いやはや、お恥ずかしい……」
マスターはいつだってカッコいいです。いつものバンダナとエプロンの組み合わせももちろん素敵で、それこそがマスターだって感じがして最高なのですが、今日はまたちょっと雰囲気が違います。
「前髪あげているところ、初めて見ました……!」
整髪料でも使っているのでしょうか。どこぞの劇団の人気俳優のように、前髪を上げてそれっぽく仕上げています。男の人が人前に出る時のおめかしといいますか、ともかく普段は絶対にやらないような身だしなみに思わずドキッとしちゃいますね。
「それに……その燕尾服も! もう、そんなのずるいですよ!」
「は、はは……僕としては着せ替え人形にされたってイメージしかなかったのですが、お気に召したようで幸いです」
お貴族様のお屋敷の中のような豪華な店内。いつもと違う雰囲気の、執事のような格好のマスター。ここまでくるともう、まるで自分がお姫様になったかのような錯覚すら覚えてしまいます。
……というか、そのための内装なのでしょう。これを考えた人、天才なんじゃないでしょうか。
「さてさて……んん、僕個人としてもアミルさんとはいろいろお話したいところではありますが、それはまたの機会にして」
「……今日の夜か、明日のデートの時ですか?」
「……まぁ、そうです」
ほんのちょっぴり赤くなったマスターが、本当に可愛い。カッコいいのに可愛いって、もうそれ反則過ぎませんか?
「ともかく、お仕事を……《スウィートドリームファクトリー》ではなく、お菓子部の【Petit bonheur】として、アミルさんをおもてなしさせていただきます。例のとっておきのお菓子をお持ちするので、少々お待ちくださいね」
そう言って、マスターが席を離れようとして。
私をここまで案内してきた女の子が、その肩をガシッと掴みました。
「佐藤先輩、そっちはいいんでここにいてください」
「えっ」
「部長命令……というより、お菓子部の総意です。特別なお客様が来たら、その時点で佐藤先輩は業務終了させろと。だいたい先輩、せっかく会いに来てくれた愛しのスウィートハニーをほったからしにして仕事しようっていうんですか?」
「いや、その……というかスウィートハニーってなんなの……」
「イケメン執事におもてなしされたいってのもそうですけどね! 恋人なら何よりも、一緒にお菓子を食べたいに決まっているでしょう! 応えてやるのが男ってものでしょう!? 良いからさっさと席についてくださいッ!!」
「で、でも……」
「おねーさん……いえ、アミルさんでしたっけ?」
「は、はい?」
「これで普通に佐藤先輩に働かせると、『このお店はイケメン執事にチヤホヤしてもらえるお店だ』ってことが公認のものになるのですが、よろしいですか? 一応今までそうならないよう、佐藤先輩には裏方に徹してもらっていたのですが」
「ご配慮ありがとうございます。ユメヒトさんは今からお客さんですね。お客さんだから、席について大人しく待つのが当たり前ですね」
マスターの腕をしっかりと握って。
私は心の中で、お菓子部のみなさんに心からのお礼を言いました。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「──お待たせしました!」
それから、大した時間もかからずにそれはやってきました。マスターを眺めているだけのあっという間の時間……時が過ぎるのが早かったのか、それとも本当に短い時間だったのか。いずれにせよ、幸せなひと時であったことは間違いありません。
「じゃ、私ここで退散するんで! 佐藤先輩、どうぞごゆっくり楽しんでくださいね!」
「こらこら、そのセリフは僕じゃなくてお客さんの方に言うべきものでしょう? ……あと、ごゆっくりっていうのは」
「そういう意味ですよ! 私達みんな、温かく見守っていますから!」
それだけ言って、メイド服姿の女の子はぴゅーっと離れていきました。
「まったくもう……見世物じゃないんだけどなあ……」
「まあまあ。それよりもユメヒトさん、こちらは……」
私たちの前に置かれたのは、何やら引き込まれそうなほどに深い茶色の何か。どこかで見覚えのある真っ白の粉のようなお砂糖が降りかけられています。彩のためか、その傍らには紺色のブルーベリーに赤紫のラズベリー、そして真っ赤なストロベリーが添えられていました。
綺麗で豪華なお皿に載ったそれは、特徴的な三角形。おそらくこれは、形からして。
「”けーき”の一種でしょうか?」
「ええ。《ガトーショコラ》というケーキですね。お察しの通り、チョコレートをふんだんに使ったものですよ」
”がとーしょこら”。それが、この素敵なお菓子の名前。色合いからなんとなく察していましたが、やはり”ちょこれーと”を使ったもののようです。
”けーき”と言えば、初めてマスターと出会ったときに食べたのも”しょーとけーき”でした。あれは真っ白のクリームと真っ赤なイチゴが特徴的で、もっと明るく華やかで、そして夢のように甘かったのを覚えています。
一方こちらの”がとーしょこら”は、同じ”けーき”でも華やかと言うよりかは落ち着いた、オトナの雰囲気が漂っています。ただし、”ちょこれーと”を使っているというからには、”しょーとけーき”に負けないくらいに甘くてステキな気分にさせてくれるのでしょう。
”ちょこれーと”と”けーき”の組み合わせ……この段階でもう、ワクワクが止まりませんね。
「ではでは、さっそく」
「ええ、頂くとしましょう」
フォークを取って、すっと一口分を切り取ってみる。
ふんわりとしているのに重く、ずっしり……いいえ、しっとりとした手応え。全く初めてのこの感触に、思わず胸が高鳴ります。
煌めく銀の先にある、引き込まれるほど魅力的な茶色。夢の時間へいざなってくれるそれを、私はそっと口に入れました。
深く、おぼれそうになる甘さ。
口の中に広がっていく、濃厚な香り。
もう何も、考えられないくらいに。
場所が変わっても、お菓子の甘さは変わらない。
「おい、しい……!」
「それはよかった」
にこにことほほ笑みながらこちらを見るマスターのことを、この瞬間だけは忘れてしまいました。
”がとーしょこら”は、いわば飛び切り濃厚な”ちょこれーと”をケーキの形にしたお菓子……といっていいものでしょう。最初に感じたそれは”ちょこれーと”特有の深く、香り高い強烈な甘さです。口の中いっぱいにそんな幸せが広がっていって、私の中の全てをそれで塗りつぶしていきます。
驚くべきは、そのしっとりと重い食感でしょうか。ふんわりと柔らかかった”しょーとけーき”とは違い、”がとーしょこら”はとにかく一口が重いのです。いえ、重いという表現だと語弊を招くかもしれませんが……もう、そうとしか例えられない。
たった一口にあれだけの幸せが詰まっている。濃厚で強烈な、凄まじいインパクト。しっとりと舌に絡みついてくるせいで、余計にそう思うのでしょうか?
「すごく……すごく、甘くておいしい……!」
「チョコレート特有のこの甘さ、本当に美味しいですよね。果物とも砂糖とも違う……まさにお菓子を代表する甘さ。上手い例えの言葉が見つかりませんが、僕もこの甘さが大好きですよ」
そして私を溺れさせる、この香り。嗅いでいるだけで胸が夢でいっぱいになるような、このうっとりする香り。甘い甘い香りの中に、どこかほろ苦いそれを感じることが出来るのは、きっとその甘さをよりいっそう引き立たせるため。このわずかな苦さが、甘さの深みを引き出しているのでしょう。
ああ、それにしても本当に甘い。これはもう、味が濃い……なんてレベルの話ではありません。砂糖を直に舐めたってこんなに甘いことはないでしょう。
まだまだほんの数口なのに、この満足感。明らかにこれは、いつものお菓子とは頭一つ飛びぬけています。
「自分のことながら、よくできている……! 味見でもちょっと食べましたけれども、こうしてゆったりと腰を据えて食べるのもなかなかに……」
「……そこは、私と一緒だからって言ってほしかったです」
「おや。言わなくても伝わっているとばかり」
「……んもう!」
照れくささをごまかすように、”がとーしょこら”をぱくりと一口。しっとりと滑らかなそれは、くちどけもまた素晴らしく、蠱惑的にとろけ、幻か何かのように消え去っていきます。さっきまでは確かに口の中にあったはずのそれは、唯々甘いというそれだけを残して……それしか残さない。
それがまた、後悔にも似た凄烈な名残惜しさを感じさせます。あれだけ重い一口なのに、次の一口が待ち遠しくて仕方なくなります。
味と、香りと、この食感。どこまでも香り高く、どこまでも甘くて、どこまでも重い。”しょーとけーき”が天使のハグのような柔らかで軽やかな甘さと表現するならば、”がとーしょこら”は魅惑の夢魔が快楽の沼に引きずり込んでくるような誘惑の甘さ。抗いたいのに抗えない……いいえ、抗う必要なんてない程の幸せが、たった一かけらのそれにぎゅっと詰まっている。
何もかもを押しつぶし、塗りつぶして君臨するような。落ち着いた見た目からは想像できないほどのインパクトが、これにはある。
──たぶん私の心も、”がとーしょこら”に染まっている。あれだけ美味しかった”しょーとけーき”の味も、今は全く思い出せない。
「ねえ、マスター……ううん、ユメヒトさん」
ここは《スウィートドリームファクトリー》じゃない。だからこそ、あえて名前で呼んでみる。
ちょっぴり気恥ずかしかったけれど、彼はいつもどおり……いつも以上ににこやかな笑顔で、応えてくれました。
「どうしました、アミルさん?」
「なんだかこう……”ほっとここあ”や”ほっとちょこ”を思い出しますね」
「ああ……そうですね、どちらもチョコレートを使ってるようなものですから。……なんだか、ずいぶん昔のような気がするなあ」
「ふふ。まだほんの数か月前の話なのに……今まで、それだけたくさんのお菓子を食べてきたってことなんでしょうね」
あの大雨の日に飲んだ”ほっとここあ”。
この前の野営訓練の夜に飲んだ”ほっとちょこ”。
偶然でしょうけれども、この”ちょこれーと”の深い引き込まれる味と香りには、ロマンティックな思い出があります。この味にこうも愛おしさと切なさを覚えるのも、思い出と紐づいているからでしょうか。
……思い出の味、かあ。
「でも……こうして二人で食べるのって、結構珍しいかもしれませんね」
「ええ。……というより、初めてかも? ほら、あそこ以外で甘いものを出してくれるお店って無いですし」
「確かに。僕もすっかり作る側で、誰かが作ったものを食べる機会なんてめっきり減っちゃったからなあ」
私の前に座って、にこにこと笑いながら”がとーしょこら”を食べるマスター。普段あの喫茶店にいる時は、店主と言うこともあってこんな姿を見ることなんてほとんどあり得ません。マスターはいつだって、私たちの傍でにこにこと笑いながら、その姿を見ているだけです。
『美味しそうに食べているところを見るのが、好きなんです』……とは、いつか語ってくれたマスターの言葉ですが、今なら、その意味がちょっとわかるかも。
「……ふふっ」
マスターとお食事できるのが、こんなに楽しいなんて。何気ない会話に、こんなにもときめくだなんて。”がとーしょこら”の甘い気分は、きっとこういうことにも覿面なんでしょう。
「ご機嫌ですねえ、アミルさん」
「それはもう! こんなに素敵な場所で、こんなに美味しいものを食べられるなんて……! まるで、自分がどこぞのお嬢様になったみたいです!」
「……そこは、僕と一緒だったからって言ってほしかったですね?」
「言わなくても伝わっているって、信じてますから」
ああ、でも。もう少しだけ、欲を言うのなら。
「……せっかくそんな恰好をしているんですし、ここは一つ、本物のお嬢様みたいに甘やかしてくれたりしませんか?」
燕尾服のマスター。それってつまり、お話しによくある凄腕執事と同じってことでしょう? だから、ワガママなお嬢様にだって甲斐甲斐しく尽くして甘やかしてくれたっていい……はず!
女の子ならこのシチュエーション、一度は空想すると思います。
「んー……僕個人としては、アミルさんにそうしてあげるのもやぶさかではないのですが」
「ですが?」
「具体的に何をどうすればいいのかわからないんですよね……。その、本当にこれ、恰好だけそうしているってだけなので」
実は結構敬語とかも怪しかったりするんですよ、とマスターは悪戯っぽくウィンクしてきました。
「それと、こっちの方が重要なのですが……アミルさんにそれをすると、他のお客さんにもそういう扱いをしなくちゃいけなくなったり?」
「そこは、こう……こ、恋人権限で何とか!」
「はは……そうしたいのは山々ですが、周りに人がいっぱいいるので」
「むぅ……」
そうです、その人が問題なんですよ。
さっきまで、”がとーしょこら”に夢中であんまり気にしませんでしたが……その、明らかに恋人同士って組み合わせが多くないでしょうか? あっちに座っているのは生徒さん同士の微笑ましい組み合わせだし、向こうに座っているのは……見た感じ、ここの卒業生でしょうか。
そのまた向こうに座っているのは、たぶんきっとまだ告白していない二人組。この場と雰囲気を使って勝負を決めるんだ──という、女の子の気迫がこちらにもはっきり伝わってきます。
そんな、恋人がそれなりの割合を占めるこの空間。なら、ちょっとくらいその……イチャイチャ的なものがあっても、いいんじゃないでしょうか?
「いいじゃないですか、少しくらい」
「いやあ……僕が言ってもあまり説得力はありませんが、店員とお客さんの線引きはしっかりしないと。これがあっちのお店なら、良かったんですが」
「……」
あと、単純に。
マスターの所属するお菓子部は、女の子しかいないって噂です。実際、給仕として歩き回っているのも、お会計をしているのも、行列を捌いているのも、心の底から楽しそうにこちらを見ているのも、みんなメイド服を着た女の子。
そう、マスターは学校にいる間、常に女の子に囲まれて過ごしているわけです。そこに本人の意思があるかはわかりませんが、それは全く疑いようのない事実。
……マスター自身が浮気なんてしないでしょうけど、向こうにその気がないかなんてわからない。出来ればここで、決定的に見せつけておきたい。
「ですが……お客さん同士なら、何の問題も無いでしょう」
「え」
全くの不意打ち。
余計なことをごちゃごちゃと考えていた私の目の前に、一口の”がとーしょこら”がありました。
「今の僕は、コスプレしているだけのただのお客さんです。コスプレと何の関係もない行動だったら、ただのお客さん同士のやり取りってことで落ち着きます」
フォークをもって──自身のそれをこちらに向けて、ちょっぴり恥ずかしそうにはにかむマスター。
ええ、これってつまり。
「あーん……ってやつです……!?」
「……恥ずかしながら、それらしい行動ってのにこれくらいしか心当たりがなくて」
どうしましょうどうしましょうどうしましょう!?
いや、そりゃいつかはやってもらいたかったし、何らなら今すぐこっちからやってみたくもあったけれども……! まさか、まさかまさかまさか、いきなりこんな……!
マスターってば、大胆過ぎません!?
「アミルさん? ……要らないんですか? 僕が食べちゃいますよ」
「えい」
「お」
ぱく、と一口。自分でも驚くほどにあっさりと冷静に、私はそれを食べていました。
”がとーしょこら”とフォークを通じて、今確かに、私とマスターは繋がっています。一瞬ぴくりと跳ねたマスターの腕の動きが、確かな波として私の口の中まで伝わってきました。
「……んふふ」
なんだろうコレ、とってもクセになりそう!
「お気に召したでしょうか?」
「……言わせないでくださいよぅ」
甘い。とっても甘い。さっきまでとは比べ物にならないほどに、この”がとーしょこら”は甘い。
まさか、マスターに”あーん”してもらえる日が来るなんて。それもまさか、こんな出先で。もうそれ以上にすごいことだってしちゃっているわけですが、どうしてこうも胸がドキドキしてくるんだろう? やっぱり、恋人っぽいことをしているからかなあ。
「ところでユメヒトさん」
「はいはい、なんでしょう?」
「──おかえし、です」
やられたらやり返す。冒険者の間では常識です。
そんな常識に則って、私は自分のそれをフォークに突き刺し、マスターの前へと突き出しました。
「あ、あーん!」
「うわあ……やられる側になると思った以上に恥ずかしいぞコレ……」
「え……いやなんですか?」
「まさか」
ぱく、とマスターは観念したように食べてくれました。はっきりわかるほどに真っ赤なのは、きっと意識してくれているから……なのはいいとして、少し離れたところでめちゃくちゃに盛り上がった歓声が聞こえてきたのはなぜでしょう?
「ど、どうですか?」
「──ええ、最高に美味しいです」
にこっと笑ったマスターの顔は、やっぱり素敵でした。
「さっきはあんなこと言いましたけど、たまにはやられる側になるのもいいものですね」
「え……それってつまり、普段はやる方ってことですか? そう言えば、なんか妙に手馴れていたような」
「ああ、シャリィが甘えてくるので」
納得。確かにシャリィちゃんなら、にこにこ笑って可愛らしくお口を開けることでしょう。私も何度かそれでついつい甘やかしちゃったことがあるような。というか、あんなに可愛いものに抗えるはずがありません。
「……」
……でも、今この瞬間だけは。
この瞬間だけは、シャリィちゃんにもマスターのことを渡したくない。
私以外の女の子のことを、マスターの口から話してほしくない。
「……アミルさん?」
「……いえ、なんでもないですよ」
最後に残ったほんの一口分の”がとーしょこら”。それを二つに切って、私はもう一度、それをマスターの方へと差し出しました。
「でも、デート中にほかの女の子のことを口にするのは感心しませんね。……埋め合わせ、一杯期待してるからね」
「あ……なんか、ごめんなさい」
「わかっているなら、いいですよ」
半ば無理やり、マスターの口に”がとーしょこら”を突っ込みます。恋人同士何だし、これくらいはきっと許される……か、間接キスくらいは普通……だよね?
「ただ……残念ながら、そろそろ時間です」
「え」
「実はこれから、ファッションショーに出るんです。もしよかったら、アミルさんも見に来てくださいね」
マスターのお皿に残った、最後の一口。
「だから、今は……これで勘弁してくださいね」
マスターの不意打ちは、惚けた私の口に甘い幸せを残していきました。




