騎士とびわのコンポートゼリー
バレンタイン? なぁにそれ?
最近どうにも調子が悪い。やることなすこと、全てがうまくいかない。
鎧を磨いた翌日に雨は降るし、どこかのバカのせいで報告書は増える。騎士の仕事は誇り高いのだが、煙突から盗みに入って出られなくなった泥棒の救助なんて、それは本当に騎士がすることなのだろうか。
思えば王都グラージャから派遣されてはや二年。いや派遣というより左遷だろう。
この古都の元となった遺跡には結界の機能が付いていたらしく、古都の中に魔物が入ることはまずない。獣使いの魔物ならば話は別だが、基本的には門番などはいらないのだ。
もちろん、いざというときのための戦力として騎士は必要だ。私がここに来た理由も、名目上はそうなっている。
ただまぁ、実際は自警団のような、なんでも屋のような、そんな存在になってしまっている。古都での問題も、そう沢山起こるわけでもない。交代の騎士も何人かいるし、一ヶ月で仕事の日と暇な日では後者のほうが多い。
そのため派遣された騎士のほとんどは冒険者の資格をとって日銭を稼いでいる。
給料も低いし、そうしないと生活が少し厳しい。正直に言うと、冒険者としての収入のほうが騎士の収入より多かった。
そして、面倒臭いことは一度に起こるものらしい。普段はそうたいして用もなく、書類の山さえなければ眠気すら覚えるような仕事なのに、今回に限って面倒事が一気に押し寄せた。
間抜けな泥棒、同僚のミスの尻ぬぐい、迷子のキュリオスバードの捜索。
それらだけでもいつも以上に忙しいというのに、極めつけはエルフとの交流会だった。
地元のボンボン──見た目的な意味でも、だ──が一人のエルフに執拗に絡み出し、それを止めようとした冒険者が会場を強制退去させられた。
私個人としてはあまりの行為をするそいつを止めようとした冒険者に、心の底から拍手をしたかったのだが、いかんせん私は警備担当だった。上からの命令で泣く泣く冒険者を連れていったが、私は彼女にすまん、と一言いうことしかできなかった。
そしてなぜか。
なぜか私のミスということで始末書を書くことになった。
どうやらその腐った豚みたいなボンボンが私が彼女にすまんと声をかけていたのを聞いていたらしい。その腹いせと言うか八つ当たりに巻き込まれたらしかった。小声とはいえ公の場で言った言葉だ。取り消すこともできない。
あまりにむかついたので始末書ではなく豚の醜態をめいっぱい、普段はあまり使わない上等な紙にみっしりと書きこんで古都議会に送りつけてやった。その時の私は後のことなど考えず、ただ正義の心に燃えて筆を動かしていたと思う。
ただ、当然ながら検閲も入り、私は見事にクビとなったわけだ。一応内容はキチンと議会に届いたはずだが、件の豚は今ものうのうと堕落した生活を送っている。
ああ、むかつく。あの場であの豚を殴っておけばよかった。
「うむ、やっぱりたまにはこういうのもいい」
さて、職を失いはしたが、私も他の騎士同様冒険者の資格も持っている。あの職場からああいう形でやめたのは悔しいが、せいせいしていないわけでもない。収入だって前よりはよくなるだろう。
そんなわけで、純粋な冒険者としての活動を始めようとした私だったが、自分へのご褒美と気分転換を兼ねてぬるい近場の森で森林浴をしているのだ。
事務仕事や面倒事と違って、何も考えずにただ体を動かすと気分がすっきりする。魔獣が何匹かいても、さしたる問題はない。騎士たるもの、この程度の魔獣などあくびをしながらでも倒せるものなのだ。
「……おや?」
そうして森の香りを胸一杯に吸いながら進んでいくと、やがて見覚えのない場所へと出てしまった。そこには、妙にメルヘンチックな建物があったのだ。
…──ッ…──!
なんだろうか、その家の中からは誰かの話し声が聞こえてくる。
しばらく聞いて分かったが、どうも愚痴のようだ。こんな森の中に家があることは驚きだが、少なくと声の調子を聞く限りでは盗賊の隠れ家というわけでもないらしい。この楽しげな雰囲気は、酒場か食事処といったところだろう。
「……今日くらいは、いいか」
本当は軌道に乗るまであまり無駄遣いはしないつもりだったのだが、まぁ、今は自分へのご褒美中だ。ちょっと中によっていくのも悪くない。
私はその美しい木目の扉を引いた。
「あ、いらっしゃいませ。《スウィートドリームファクトリー》へようこそ」
「いらっしゃいませ!」
カランカランと涼やかで心地よいベルの音。
それとほぼ同時に、店の店員が声をかけてくる。妙に幼い子供の声が聞こえてくるなと思っていたら、10歳くらいの赤毛の女の子が給仕をしていた。
「お、ぴかぴかの鎧。騎士様ですね!」
「ふふ、元、がつくがね」
小さく呟いてちらりと店内を見渡す。うん、なかなかいい感じの店だ。
見たことのないものもあるが、バラの花が美しく飾られている。どことなく甘い香りも漂っているが、これは何の香りだろうか。バラではない。
先客が一人いる。緑色の軽装を纏った……冒険者としての盗賊だろうか。カウンター席に座って、こちらに気付いて軽く会釈してきたのでこちらもそれに習う。
さきほど聞いた愚痴はこの盗賊のものだろう。どうやらこの……黒い瞳と奇妙な服装が特徴のマスターと喋っていたらしい。
「隣、いいかね?」
「ああ、構ねぇよ。……あんたも、なんかわけありって感じだな」
せっかくなので盗賊の隣に座る。それと同時に、給仕の女の子がサービスですといって水を持ってきてくれた。どうしてなかなか、気配りが行き届いている。
「盗賊のおにーさん、ご注文は?」
「う~ん、とりあえずいつものを頼む。後はいつも通り適当で」
「なあ君、すまないがここはどういう店か教えてくれないか? 私はなんとなくふらついて入ってきたんだが、看板が見当たらなくてね」
いつもの、で通じるということはこの盗賊はこの店の常連なんだろう。けっこう気さくそうな感じだし、お勧めなんかも教えてくれるかもしれない。
「あんた、ここ初めてか。……それじゃ、内緒だ。ここの、すっげぇびっくりするぞ?」
「うちにくるお客さんみんな、驚かれていきますもんねぇ」
店員と盗賊はお互い顔を見合わせてにやりと笑う。なんだか兄妹のようでほほえましいが…私の質問の答えになっていない。
「こら、シャリィは店員なんだからちゃんと答えなきゃ。……うちは、主に甘いものを扱っているんですよ。お客さん、甘いものは好きですか?」
「ああ、問題ない。じゃぁ、彼と同じものを頼む」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
「マスターはまじめだなぁ」
「ですねぇ」
にこにことしたマスターはそれだけいうと店の奥へと入っていく。
何が出るかはわからないが、なかなか楽しみだ。みんなが驚く甘いものとは一体何なのだろう?
「……なーんか、今日のマスター疲れてる感じしねぇか?」
「あれ、やっぱわかります? 実はあたしも疲れてるんですよ!」
「説得力がまるでねぇぞ?」
和気あいあいと店員と盗賊は喋り出す。ふと思ったのだが、この店員はマスターの手伝いをしなくていいのだろうか?
「今日、マスターのお友達のところで畑仕事してきたんですよ。いや、とってもすごかったです。みんなでがーっとやって、ぶぁさって何度もやって、それでようやく第一段階が終わりだって。 明日もやるんですよー」
「何が何だかわかんねえが、大変だったんだな。……そういやあんたも、なんか疲れた顔してるけど、なんかあったのか?」
いきなり話を振られても困る。ただまぁ、隠すようなこともないだろう。
冒険者同士、変な隠し事をしてもよいことなどない。それに、この騎士を象徴する鎧もつけているし、先ほどの呟きだって聞こえていたかもしれないのだ。言わなくてもすぐにばれるはずだ。
「ああ、つい先日、騎士をクビになった」
「……マジで?」
「今は元騎士だが、それでも心は騎士のつもりだ。嘘は言わない」
「……あんたも大変なんだな。安心しろよ、ここはそういうやつにとっては絶好の場所だ」
「……どういうことだ?」
「俺も詳しいことは知らねぇけど、ひきこもりの魔女と鬱気味の獣人と人嫌いのエルフが更生したって話だぜ」
「美少女にメロメロの盗賊さんは更正されてないですけどね!」
女の子──シャリィといったか、その子が声をかけたことで盗賊の男はがっくりとうなだれた。
「……俺みたいに傷心のやつも利用するんだ。ははっ。ギルドに、『衝撃スクープ! 森の奥で幼気な少女に酌を強要する極悪盗賊!』ってあったろ? あれ、俺な。魔女たちにやられたんだ……。存分に笑ってくれよ」
「アレか……」
そういえば、ギルドにそんな感じの張り紙があったのを覚えている。二、三日でなくなってしまっていたが、騎士団の中ではふざけているのか本当の盗賊なのかで意見が分かれていたっけ。
「誤解、なんだろう? お互いまだ若いんだ。チャンスはあるさ」
「ギルドでもそう言ってくれたスキンヘッドの拳闘士のおっさんがいたよ。その時俺は、はじめて他人が神様のように見えたさ」
人間だれしも、苦労もするし、それを慰めてくれる人がいるらしい。
「おまたせしました、《びわのコンポートゼリー》です」
そんなこんなで雑談をすることしばらく。
にこにこ顔を崩さない──今から見ればたしかに若干疲れた顔をしているマスターが不思議なものを持ってきた。
「お、お……?」
なんと表現したいいのかはわからない。
ただ、黄色のようなオレンジのような半透明な色の何かに、濃い黄色の果実が閉じ込められているのがわかった。
「おっ、きたきた」
「これが何か知っているのか?」
「んにゃ、知らねぇ。でもうまいことは確かだぜ」
机に置かれたそれはその衝撃だけでぷるぷると揺れている。
なるほど、客が皆驚くというのも無理はない。こんなにぷるぷるしたもの、私は今までに見たことがない。……いや、スライムはプルプルしているが、あちらはもっと濁った色だ。この透き通った清涼感は、初めて見るものだった。
「うっめぇ!」
盗賊の男がぺろりと一口スプーンで持っていく。実にうまそうに食べていた。
「……ふむ」
どれ、私も食べなくてはなるまい。見た目だけでこれほどのものなのだ。味だって相当期待できる。
スプーンでちょっとつつくだけで波紋のようにそれは震える。すっとスプーンと縦に入れると、抵抗などまるでないかのようにそれは滑って切れていった。
口元へそいつを運ぶ。私の目の前に着たそれは、皿の上よりもさらに震えていた。
ちゅるん
その瞬間、私は飛び出てしまうかのように眼を見開いた。
「……!?」
やわらかい、なんてモノじゃない。食べたという実感がまるでない。
つるつる、ぷるぷるとしたそれは、舌でちょっと圧迫するだけで形を失ってしまう。もはや液体に近い。それでも、液体じゃない。
まるで意思を持つかのように舌の上を滑っていくそれは、私の意思とは関係なく、いや、もしかしたら私の無意識なのかもしれないが、ともかく止める間もなく喉の奥へと吸い込まれていった。
「なんと……!」
もう一口、スプーンですくう。今度はさらにゆっくり慎重に口に入れた。
このぷるぷる、ものすごく甘い。食べたことのない果実の甘さに、感じたことのない類の甘さがある。自然に頬が緩む様な、すさんだ心をいやすような、どこか形容しがたいものだ。
どうやらこのぷるぷる全体の色や味は、この見たことのない果実をベースとしているようだ。見た目は柑橘のようだが、どうも柑橘の類ではないらしい。酸味がなく、なぜか故郷を連想させる、包み込むような風味がいい。果実の風味が、恐ろしいほどに引き立てられている。
この実は、いったいどんな味がするのだろう?
光にあたってきれいに輝いている、ぷるぷるに閉じ込められた果実に私は夢中でスプーンを伸ばした。さすがにこれはぷるぷるではなかったが、それでも普通の果実よりもなめらかにスプーンが入っていく。
一体、なんなのだろう。もともとこういう果実なのだろうか。
ええい、いまはそんなことどうでもいいじゃないか!
私は考えるのをやめてそれを食べる。
「素晴らしいな……!」
なめらかな、しっとりした美しい食感だ。やはり、この素晴らしい甘味はこの果実由来のものらしく、ぷるぷる全体の甘味が濃縮されたかのようだった。
不快でない果実の柔らかさがくすぐるように私の口の中でダンスを踊る。同時に、今まで食べたなによりも甘い果汁が洪水を引き起こす。
舌の上にいるとき、飲み込むとき、そして喉から腹へと落ちていくとき。全てにおいて完璧だ。これを知らない奴は、間違いなく人生を損している。
この、芸術品のような輝きも素晴らしい。
水のように輝き、スプーンを入れた場所からあちこちに光が飛び散る。ただ透明なのではなく、色味がついていることで、その輝きには温かみがあった。
きっと太陽に透かしたのなら世界中の芸術家が卒倒するかのような光のオブジェが出来ることだろう。この輝きを、ずっと見ていたい。
しかし、それでは食べることが出来ない。世界というのは、なぜいつも残酷な選択を迫るのだろうか。
甘い香りに包まれながら、私は一心不乱にスプーンを動かした。
掬っては食べる。
掬っては食べる。
あまい。
うまい。
ああもうとにかく、最高だ!
「ああ、うまかった。やっぱマスターが作るのはいいな!」
「……くそっ!」
「……お気に召しませんでした?」
盗賊の男が満足そうに腹をさする。
私は、恨めしく目の前を見つめる。
そう、もうないのだ。あのぷるぷるは、もうないのだ。
ほんの一瞬の儚い幻影だったかのように、私の目の前には何もない。ただ、右手に握りしめたスプーンと、私の口の中の余韻だけがあのぷるぷるが存在していた証明だった。
少し悲しそうな表情をしているマスターを見て私は慌てて声をかける。
「いや、ちがう! 今まで食べた物の中で最高に素晴らしいものだった! ただ、なくなってしまったことが悲しかっただけだ!」
「そうですか、それはよかった」
あきらかにほっとした表情でマスターがわらう。そんな私たちを見て、盗賊の男も笑いながら私の肩を叩いた。
「ははっ、ここに来たやつ、だいたいあんたとおんなじ顔するよ。そこまで露骨に悔しそうなのはあんたが初めてだけどな。 騎士様ってのも、俗物的なところがあるんだな」
「それはそうだ、今の私は騎士ではない。ただの、セインだからな」
「おっ、あんた、セインっていうのか。そういや名前聞いてなかったな。
俺、レイクってんだ。……今のあんた、入ってきた時よりも、いい顔してるぜ。よっぽど騎士っぽく見える」
「お客さん、それ、僕の台詞なんですけど……」
「あはは、マスター、盗賊のおにーさんに台詞盗られちゃいましたね!」
困ったように笑うマスターと、いつのまにか私の反対側、レイクの横で“びわのこんぽーとぜりー”を食べているシャリィ。
なんだかとても、暖かい空気が満ちている。とても気分がいい。
目の前が明るくなったような、体に羽が生えたような。いまなら、なんだってできそうな気がする。
いい顔をしているというのも本当だろう。あれだけうまいものを食べて、嬉しくないわけがない。……うん? レイク?
「そういやマスター、今思い出したんだけど、この“こんぽーとぜりー”に入ってたこれ、“びわ”っていったよな。こないだのアレなのか?」
「ええ、そうですよ。出すのがちょっと遅くなっちゃいましたね」
「こないだ、というと?」
「ん? ああ、俺、ちょっと前に怪我してここに飛び込んできてさ。そのとき、この“びわ”からできた薬で治療してもらったんだよ。それがもう、めちゃくちゃ効くのなんのって!」
「そんなにすごいのか……。まて、ちょっと前? もしかして君、“影の英雄”か?」
「お、当たり」
レイク。盗賊。どこかで聞いたことがあると思っていたが、そうか、あの時の影の英雄だったのか。言われてみれば納得だ。あの後すぐにここに来ていたというのなら、見つからないのも当然である。
「今回のこれも、作り方まったく想像できないしなぁ。マスター、これ相当手間かかっているだろ?」
「そうだろうな。素人の私からみても、簡単にできるものではないということはわかる」
食後の雑談で、私たちは軽くマスターに問いかける。ほんの軽い気持ちだったのに、マスターはぴしりと一瞬固まると、申し訳なさそうに笑いながら言った。
「はは、実はこれ、作るのはわりと簡単なんですよ。最近いっぱいつくったので、ズルして作り置きしていたのをお出ししちゃいました」
「マスター疲れてますもんね。これ、取り分けるだけだから簡単だし、他のお菓子は体力使いますからねぇ」
恥ずかしそうに眼をそらすマスターと、のほほんとしているシャリィ。
その言葉に驚いたのは私とレイクだ。この素晴らしい出来で、作り置きだと言うのか。簡単にできて、この素晴らしさなのか。
「マジかよ……」
レイクのもらした言葉に私は心の中で同意する。
「あれで、まだ本気ではないというのか……!」
このマスターが作ったものをもっと食べてみたいという衝動が私の中でむくむくと起き上ってくる。冒険者というものの特性だろうか?
「マスター、また来てもいいかな? 今度はもっとゆっくり、君の体調も万全な時にだ」
「はは、もちろん。よろこんで」
私とマスターは互いに笑いあう。心の底から晴れやかな気分だった。
ともかく、まだまだここに来ることになりそうだ。騎士をクビになってよかったと思う。仕事に縛られていては、自由にここに来ることもできなかっただろう。
森の奥のお店の常連。実にすばらしいではないか。
「ユメヒト、クリームソーダを忘れてないかね? レイクが来ているんだろう? あいつはいつも頼んでいなかったかね?」
「あっじいさん! いけない、忘れていた!」
「そういやまだ来てなかったな」
「すみません、すぐにお持ちします!」
「マスター、本格的に疲れてますね。……じいじもかなり動いてたと思うんですけど、まるで疲れた様子がありませんねぇ」
奥から老人の声が聞こえてくると同時に、マスターが慌てて引っ込んでいく。そういえば、すっかり忘れていたが私も頼んだいつもの、とやらがまだきていない。
「……くくっ」
「楽しそうだな、セイン?」
私は自然と頬がつり上がるのを感じた。あともう少しは、このまま甘い夢を見られるのだから。
20150411 文法、形式を含めた改稿。
ははっ……。