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学者とおまんじゅう

○○日


 本日も快晴。絶好の冒険日和である。


 いつも通りの時間に起床。最近は私よりハンナのほうが早く起きることが多くなってきた。お日様が昇るかどうかと言う時間には既に身支度を整え、例の綺麗な木剣──枇杷の木刀を持って朝の修練に励んでいる。


 体に染み込ませるように何度も剣を振るう姿は、とてもいつものものぐさなハンナとは思えない。汗で手が滑りそうになっても、乱れた髪が目に入りそうになっても、ただまっすぐ正面を見据え、無心でそれを自分のものにしようとしている。


 その姿がきれいだ、と感じてしまったことは私の心に秘しておくことにする。ハンナも私が訓練をこっそり見ていることを知らないようだし、誰にもバレることはないと思うが。


 ハンナが訓練を終了したのち、井戸のところで偶然を装い朝の挨拶をする。ハンナ自身、こっそり訓練しているのを隠しているようだから、これが一番自然な方法だろう。


 ただ、周りに誰もいないだろうからと、井戸のところで慌ただしく服を脱いで汗をぬぐうのはやめてほしい。年頃の娘がそれでどうするんだと毎回言いたくなる。こっそり見張りをしているこっちの身にもなってほしいものだ。


 朝食を適当に済ませたのちにギルドへと赴く。今日はガッツリ討伐系の依頼をしたいとのことで、ハンナが『これにするわよ!』とブレッドホッパーの討伐依頼を持ってきた。近くの農場付近で大量発生の兆候が見られたらしく、被害が大きくなる前に叩いてほしいとのこと。


 奴らは数こそ多いものの、今の私たちでもそこまで手こずるほどでもない。だが、報酬金は少なめだしブレッドホッパーの部位はそんなに高く売れない。実入りとしては悪く、受けるメリットは少ないといっていいだろう。


 だけど、ハンナは『困っている人がいたら放っておけないでしょ! だいたい、農家が被害を受けたら結局私たちが困ることになるんだから!』と、迷うことなくその依頼を受けることに決めたらしい。


 理想の冒険者としては完璧だが、現実の冒険者としてはちょっと不安が残る……けど、それがハンナのいいところだろう。私にも否はない……が、たまには私にも選択肢を貰いたいものである。


 いろいろ諸々冒険の準備が整い、さぁ、いざ討伐へ──行く前に、我らがクラン、《スウィートドリームファクトリー》へと赴く。 私たちが扉の前に立った瞬間、『やぁ、おはよう。今日もいい天気だねェ』と夜行さんが姿を現した。


 毎度のことながら、彼の気配はまるで読めない。いつか彼の隣……は無理でも、足元くらいには到達できるのだろうか。


 『ほい、今日のお弁当だ』と夜行さんからはランチボックスを貰う。中身はいつも通りミックスサンドだけれど、その具材は食べてみるまでのお楽しみだ。冒険中の数少ない楽しみと言っても過言じゃない。これがあるからこそ、私は頑張れる。


 さて、全ての準備が整ったところで件の依頼の現場へ。場所は古都の北西部に広がる麦畑のはずれのほう。なかなか肥沃な土地らしく、麦以外にも名の知らぬ作物がけっこうたくさん育てられている地帯だ。


 ブレッドホッパーを見つけるのにそう長い時間はかからなかった。大量発生の兆候が見られたとの言葉通り、わらわらとそこらへんにいる。ハンナが剣で切り払い、私が援護として矢を射るいつもの流れで討伐していく。


 途中、余裕があるときに何度かアルさんからもらった小手の魔道具で魔法矢を使ってみた。まだまだ私の腕が未熟なために、その能力を十全に引き出しているとは言い難いが、それでなお十分な威力。当たりさえすればあの程度の魔物なら一撃で仕留めることができるらしい。


 特にお気に入りなのは風の魔法矢だ。威力も精度も向上するし、たとえ外れても纏った風が敵の体を切り裂いてくれる。直撃した時なんて、それはもう傷口がエグいことになっていて直視するのが耐えがたいくらいだ。


 ただ、火の魔法矢と土の魔法矢はまだまだ制御が甘いのが頂けない。リュリュさんは雷の魔法矢も使えるようになったと言っていたけど、私は発動させることすら出来ない。まだまだ精進が必要だ。


 なんだかんだで三十匹近くブレッドホッパーを狩ったところで帰還する。収支としてはほぼトントン。『必要経費なんだからそんな顔しないでよ!』と言ってくれるが、やはり私の矢弾代の出費がけっこう嵩む。何とか対策を考えたいところだ。


 夕飯はハンナと共に外で適当に済ませた。私もハンナも酒は飲まないから、その点で見れば食費は少ないと思うのだが……三食全てスウィートドリームファクトリーで賄えたらと願わずにいられない。


 これくらいにしておこう。夜更かしのための油代だって積りに積もればバカにならないのだから。



○○日


 今日は非常に満足のいく一日だった。とりあえず、それをこれから詳しく書いていこうと思う。


 今日も今日とて依頼をこなす。いつもとちょっと違ったのは、妙にハンナがそわそわしていたのと、いつもよりかなり早めに仕事を終わらせたことだろう。


 スウィートドリームファクトリーに寄っていくこと自体は決めていたため、ああ、待ちきれないんだな……なんて思っていたら、これが間違いだった。


 いつもと同じく入り口で角の痛みに悶絶していたところ(なぜかいっつもぶつけてしまう。実は密かに幻覚の魔法がかかっているんじゃないかと睨んでいる)、今日はハンナが夜行さんとマスターに料理を習うのだという事実が判明する。まさか本気で料理を学ぼうとしているとは思ってもいなかった。


 そんなわけで、ハンナはエプロンをつけて奥の厨房へと引っ込んでしまった。ただ、お店にはリュリュさんも休憩しにきていたので、せっかくだからと同じ席に座って雑談することに。


 どうやらリュリュさんも最近は少しずつ行動範囲を広げているらしく、あちこちで見聞きした魔物の情報やちょっとした穴場スポットを教えてくれた。『…西の森の大樹のそばに、甘い実をつける木があった』などと、ちょっぴりお得な情報も教えてもらう。


 毎回思うのだが、リュリュさんはあんな薄着のひらひらした装備で森を駆け巡って大丈夫なのだろうか? エルフにそんな心配は無用かもしれないけれど、ちらちら肌色が見えたりするし、正直目のやり場に困ることがある。


 実際、一度だけ『…露骨なのは、すぐわかる』ってやんわりと注意されたことがある。もちろん慌てて謝ったけれど、リュリュさん自身もあのスタイルを変える気はないらしい。『…風を感じられないことを、エルフは酷く嫌う』と言っていた。


 弓についての相談も行う。私の魔法弓の師匠はほかならぬリュリュさんだ。小手の調子を伝え、諸々の問題点等を指摘してもらい、魔法弓を扱うコツなどを教えてもらう。『…風の魔法矢を使う場合、いつもよりちょっとだけ上を狙う』というアドヴァイスももらえた。


 『雷の魔法矢のコツを教えてください』と頼んだところ、『…基本は、大事』って角をぺしっと軽くたたかれた。『…子供は、焦らず進めばいい』と、何やら非常に穏やかな表情で微笑んでくる。ちょっとドキッとしたのは内緒だ。


 ……別にここに書く必要はないと思うけど、一応ハンナには謝っておく。でも、エルフの美人さんにあんな風に笑われて、赤くならない男はこの世にはいない。


 それにしても、確かに私は十七歳で、まだまだ子供気分が抜けないとはいえ、それでも大人として扱われることの方が多い歳でもある。そんな私をあんな風に子供扱いするなんて、リュリュさんの実年齢はいったいどれくらいなのだろう?


 なんだかんだで話してたところ、エプロン姿のハンナが“ふるーつぽんち”をもってやってきた。メロンが器になった……何と言えばいいのだろうか。しゅわしゅわした甘い水を中身をくりぬいたメロンに注ぎ、そこにたくさんの果物を浮かべるといったお菓子だ。


 もちろん、初めて見聞きするお菓子。だけど、それがおいしいものだということだけは疑いようがない。


 イチゴもパイナップルもメロンもバナナもマンゴー(!)も……正直、どれだけの果物が浮かべてあったのかよくわからない。何より驚きなのは、これがマスターたちが作ったものではなくて、あのハンナが作ったという事実だろう。


 本人は『ほとんど切っただけだからっ!』って照れていたけれど、それでも私に同じことができるとは思えない。


 もちろん、味は大変素晴らしいものであった。果物の自然の恵みがしゅわしゅわでひきたてられていて、いつもと一風変わった面白さがある。甘さや香りがしゅわしゅわの水に溶けているからか、一口ごとにがらりと印象が変わるのも面白い。食べ応えもすごいし、なにより器であるはずのメロンまで食べられるというのが最高だ。


 ちなみに、リュリュさんの“ふるーつぽんち”にはそれはもうびっくりするくらいに精巧で綺麗な飾り彫りがされていた。やっぱりというか、夜行さんが彫りこんだものらしい。あの人、いったいどれだけ器用なのだろう。才能の塊だと思う。


 それにしても、本当に不思議だ。マスターたちはどうしてあんな不思議なお菓子を知っているのだろう。発想がとんでもなく突飛と言うか、根本的に私たちの考えと異なっている。何か大きな秘密が隠されているような気がしなくもない。


 ……まぁ。本人たちが何も言わない以上、私たちも深く探らないほうがいいのだろう。


 不思議な事と言えば、夜行さんはなぜか遊都マーパフォーの歴史や、リュリュさんでさえ忘れかけていた集落の物置(?)のことを話していた。おまけに歩いて四日もかかる距離を一瞬で行けるようにするとかいっていた。


 初めて会った時から不思議だと思っていたし、この前の護衛依頼のときだっていろいろと腑に落ちないことが多かったけど、いつかは全てを教えてくれる日が来るのだろうか? 


 マスターでさえ、夜行さんについては知らないことが多いような節が見受けられる。あの三人の関係も、もしかしたら私たちが思っている以上に複雑で謎に満ちているのかもしれない。


 この辺にしておこう。『拗ねている様子がそっくりだ』といった私の発言をハンナは未だに根に持っているらしく、寝る直前までむすっくれたままだった。何とか明日の朝には機嫌を直してもらいたいのだが、イマイチいい方法が思いつかない。


 夢の中でグッドアイデアが浮かぶことを強く願う。














「……」


 連なる文字から目を離し、ふう、と一息をつく。いつのまにやら乾いていた唇をレモン風味の水で湿らし、書かれている几帳面な文字をもう一度目で追いかけた。


 静かでゆったりとした時間。わずかに香る甘い匂い。これに“おるごーる”の音が加われば最高だが、あいにく今聞こえるのは妙に荒い息遣いだけだ。


 夏の暑い時間とはいえ、この店の中は驚くほど涼しい。本来ならば、そこまで息を荒げる必要なんてないのだが……。


「……なあ、一応聞いておくぞ」


「は、はい」


「お前が書きたかったのは、冒険記とか、物語とか、そういうの──だよな?」


「え、ええ」


「僕が見る限りでは、ただの日記のように思えるのだが」


「……で、ですよねぇ」


 がくりとシカの獣人──エリオはうなだれた。その隣では、リスの獣人──ハンナが、顔から火が噴出しそうになるほど真っ赤になって、蒼髪の相棒を睨みつけている。


「しかも、書いてあることの大半はハンナのことだ。お前の日記と言うよりかは、【ハンナの観察日記】のほうがしっくりくるんじゃないか?」


「…………」


「何とか言いなさいよ! このばかエリオ!」


 戯れる獣人コンビを無視して、僕は改めてその日記を読むことにした。


 今日もまた、僕は自分の研究のためにこの喫茶店──《スウィートドリームファクトリー》へと訪れていた。自分の工房じゃ暑くて研究する気にもならないが、ここは涼しい上にゆったりと落ち着くことができる。魔法陣の研究をするのにこれほど捗る場所はないだろう。


 今日はうまい具合にノーノに見つからずにここに来ることができたし、たいそう気分がよかった。そう、ここまでは完璧だったんだ。


 しかし、途中でエリオとハンナの二人がやってくる。これ自体はまあ、別に問題ない。騒がしい二人ではあるが、研究の邪魔さえしなければ別段問題ないし、一応は僕に“くっきー”の素晴らしいデザインをめぐり合わせてくれたと思えないことも無いからだ。


 が、世間話中、『そういえば、お前が爺さんからもらった本はどうなったんだ?』──などと聞いてしまったのが問題だった。


 僕たちは以前に護衛依頼で、爺さんたちから各々好きな報酬をもらっている。僕の場合は“おるごーる”と“ぼーるぺん”。そしてエリオは弓と“ぼーるぺん”と白い空白の本だ。


 あの時、エリオは『冒険で知ったことを、みんなが楽しめる物語にしたい』などと言っていた。そんなことを思い出したから、半ば強引にその本を読ませてもらおうとしたわけだ。


 エリオ自身はすごく嫌がったのだが、意外なことにハンナが乗り気だった。どうやらあいつもその中身が気になっていたらしい。二人かかり……いや、シャリィも含めた三人掛かりでその本を失敬し、一緒に読みだした……んだよな。


「おにーさんの日記、どのページを見てもおねーさんのことしか書いていませんねぇ……」


「……『今日も寝起きのハンナの頭はすごいことになっている。いくら休日とはいえ、女の子なんだからもうちょっとその辺の気を使ってほしいものだ』」


「余計なお世話よ!」


「僕はただ読み上げているだけだ」


 が、冒険でのあれこれや有意義なことが書いてあるかと思いきや、そのほとんどがハンナに関する事ばかりだった。もちろん、ちゃんと冒険でどのようなことがあったのか、どんな発見があった、反省点がどうだ……と言ったこともきちんと書かれてはいるものの、全体から見ればその印象は限りなく薄い。


 よく言えば個人の日記。これだけだったら当初の目標に沿うところはあるが、ありていに言えばただのハンナの観察日記だ。


「ボクだってドラゴンを倒したりとか、秘密の財宝を探したりとか、妖精郷に迷い込むお話しとか書きたかったですよ……」


「でも、そんなの普通はありえないだろ。そうほいほいロマンティックな冒険が出来てたまるか。もしそうなら、この世の誰も本を読まなくなるぞ」


「だいたい、あたしたちがドラゴンなんかと出会ったら、何も出来ないうちに死んじゃうでしょ!?」


「……で、ですよねー」


 パッと見た限りでは、一か月分に満たないくらいのようだが、それにしては意外と文章量がある。まったくのずぶの素人が一日に書き記したにしては十分だろう。毎日ちゃんと続けたのはすごいことだし、その辺に関しては評価しなくもない。


「しかし、冒険部分も味気ない。僕が言うのもなんだが、臨場感に欠けるぞ。おとぎ話や物語のようにも思えんしな」


「私小説と言いますか、エッセイの類としてなら意外とハマればいけそうな気もしますけど……」


「そんなの却下! こんな恥かしいこと、世間に晒せるわけないじゃない!」


「ですよねー」


 ハンナの怒りは凄まじい。面白いものが見られると思っていたのに、ふたを開けてみれば自分の恥しか書かれていなかったのだから。おまけにどのページでもそんな調子と言うありさまである。


「いっつも遅くまで真面目に書いていると思ったら! こんな恥かしいことばっかり! だいたいなによ! エリオ、あんたどうして『私』なんてカッコつけてるのよっ!」


「え、ええと……一応ちゃんとした文章だから、『ボク』よりそっちのほうがいいかな、って……もしかして、『俺』のほうがよかった?」


「~~っ!」


「あれれ? おねーさぁん? もしかして一瞬、きゅん! ってしちゃいましたぁ?」


「そ、そんなわけないじゃないっ!」


 しかしまあ、凄まじい状況だ。おどおどしたエリオに、激昂したハンナ。そしてそんな二人をからかうシャリィときた。とてもじゃないが、ゆっくり落ち着いて研究できる雰囲気とは言えない。


「はいはい、そんなところにしておかんかね」


 そんなことを思っていると、奥からひらひらした紺の衣服をまとった爺さんがやってきた。やはりというか、僕たちの誰もまだ注文していないというのに、片手には今日のおやつを持っている。


「所詮は個人の書いた本さ。本人が好きなようにやるのが、一番なんだよねェ」


「それは……そうだけどぉ……! 恥かしいものは恥ずかしいんだもん!」


「そうむくれなさんな、可愛い顔が台無しさね」


 にこやかに笑いながら、爺さんは僕たちの真ん中にことりと皿を置いた。


「はいよ、お待たせ。──《おまんじゅう》だ」


 “おまんじゅう”。そう呼ばれたそれは、なかなか僕好みの造形──ありていに言えば、片手でつまんで手軽に食べられるような形をしていた。


 ただし、それはいつぞやの“くっきー”のような平べったいものではない。


「……」


「なんか……」


「すっごくシンプル……?」


 基本的にこの喫茶店 《スウィートドリームファクトリー》で提供されるお菓子には、見た目が華やかでわくわくしてくるものが多い。そうでないものであったとしても、それはどこか落ち着く上品な雰囲気をもっていたり、何か目を引く見所とでも言うべきものを持っていたりする。


 だのに、この“おまんじゅう”とやらは全くと言っていいほどそれがない。いや、あえて言うのだとすれば、目立った特徴が無いのが特徴だ。


 端的に言おう。


 丸く、白く、もっちりとした何か。そうとしか言えない。


 大きさとしては僕の手のひらに収まるくらいだろうか。シャリィの手にはちょっと大きいかもしれないが、それでも大人の手から見れば十分に小さめの範疇に入る。


 パッと見る限りではもちもち、むっちりとした質感をしており、それを証明するかのように、わずかばかりの特有の光沢が表面に見受けられた。


 アレだ、“ずんだもち”の白いあれと似ている。その割には名前に似通った部分も共通点も無いが、まぁ、これはそういうものなのだろう。


 ちょっと不思議なのは、この“おまんじゅう”とやらからは甘い香りがほとんど感じられないことだろうか。今まで食べてきたお菓子はどれも甘い香りを漂わせていただけに、これからは妙な違和感──あるいは、奇妙な雰囲気を感じる。


「おじーちゃん、これってもしかして和菓子?」


「おや、よくわかったねェ」


「ふふん! こう見えて、もう何回か修行させてもらっている身だからね!」


 どうやら、この奇妙な雰囲気は和菓子特有のものらしい。言われてみれば、放つ雰囲気は“ずんだもち”や“わらびもち”のそれに似ていなくもない。少なくとも、マスターがよく作る部類のお菓子──いわゆる洋菓子に分類されるそれとは全然違う。


「なにはともあれ、食べて見なさいな」


「ふむ、それもそうだな」


 爺さんに促され、早速それを手に取ってみる。やはり、触った感じはもちもちとしている……けど、思ったほどでもないような。どっしりしっかりしていて、ちょっとぺたぺたしていて、それでいて……なんだ、粉がついている?


 まぁいい。とりあえず、食べれば全部わかることだろう。


 真っ白のそれを面前にもってくる。そして、ぱくっと齧りついた。




 どっしりした食感。


 落ち着いた、懐かしさすら覚える甘さ。


 舌に感じる、初めての感覚。


 ──ああ、これだからここに来るのはやめられない。


 今日のコイツも間違いなく──


「──うむ、うまい」


「そいつぁよかった」


 穏やかな老人の声が、静かな室内に響き渡った。




 まず、一つだけ言っておくべきことがある。


 “おまんじゅう”はとてもシンプルだと思っていたが……そんなことはない。


「な、ん……?」


 齧った瞬間にわかった、穏やかながらもしっかりとした甘さ。もちもちか、あるいはふわふわか──そんな予想を裏切ってくれた、どことなく滑らかな食感。


 そう、この白い丸の中には、未知の何かが入っている。


「なんだろ……これ?」


「うーん、ボクも初めて食べるや」


 齧り取った断面をまじまじと見てみる。そこには、黒のような、うんと濃い紫のような、ペースト状の何かがみっしりと詰まっていた。半径比率にして、おおよそ1:3か1:4と言ったところだろう。ここまでくると、『白の中に黒が入っている』というよりかは、『白が黒を薄く包んでいる』と言った方が的確かもしれない。


 まず間違いなく、“おまんじゅう”の正体……というかメインは、表面の白ではなく、中身のこの黒だろう。


 ゆっくりと次の一口を齧り、今度は意識するようにしてそれを舌の上で転がしてみる。


 砂糖でも果物でもない、不思議な甘さ。決して強い味ではないのに、どこか懐かしさに似たそれが痛烈に印象に残る。ペースト状の見た目よろしく、舌触りはしっとりしているような……気もするが、うまい言葉が見つからない。


 何かをすり潰したってことはわかる。だが、何をすり潰したのかがさっぱりわからない。


「……ふむ」


 ぱくりともう一口。


 もっちりした生地──生地でいいのか? ともかくそれには、ごくごくわずかに甘みが付けられているような気がしなくもない。ただ、どちらかと言えばこの黒い甘さを受け止め、引き立てるためのものなのだろう。この“おまんじゅう”の中で食べ応えと噛み応えを生み出しているのはこれであり、こいつと黒いのが合わさることで奇跡的な満足感を生み出している。


 特筆すべきは、この絶妙な厚さだろうか。これ以上厚ければもったりしすぎて聊かむせ返りそうになるし、これ以上薄ければおそらく食べ応えが無い……というか、たぶん黒いのを包みきれずにはじけていると思う。なんにせよ、黒いのと白いののバランスが凄まじくよろしいのだ。


「なんだろ、ちょっと不思議な感じがするや」


「そーねぇ……おいしいことにはおいしいけど……こう、パーって騒ぐときには不向きな感じ? 落ち着いてゆっくり食べるほうが雰囲気に合っている……ような?」


「んふふ! おねーさんたちにはこのオトナの上品さはまだまだ早かったってことですかね!」


 ほっぺをころころと膨らませながら、シャリィがにこやかにハンナたちを煽る。両手で可愛らしく“おまんじゅう”をもち、口の端をほんのちょっぴりとはいえ白と黒で汚しているさまは、この場の誰よりも子供っぽいといっていいだろう。


 エリオはそんなシャリィを穏やかに見つめ、ハンナはいらずらっぽく笑いながら……


「……えいっ!」


「むぎゅ」


 シャリィの頬を両手で押さえた。


「にゃにするんですかぁー」


「あたし、お子様だから! おねえちゃんなシャリィちゃんに甘えているの!」


 そのままぷにぷに、もちもちとハンナはシャリィの頬を揉み続ける。シャリィはシャリィで口の中のそれを始末するのに忙しいのか、抵抗することなくもごもごと大きく口を動かすだけだ。それがまたハンナの手に程よい刺激を与えているようで、ハンナの眼のきらめきはより一層強くなっている。


「ほーんと、もちもちぷるぷるのほっぺよねぇ……もう、ずっと触っていたいくらい! やっぱり食べてるものが違うからかしら?」


「んむむ……おねーさんだってぷるぷるほっぺですよ?」


 そう言って、きゃあきゃあはしゃぎながら互いの手を握ったりほっぺを触りあったりする女ども。正直僕には理解できそうにない世界だ。どの時代、どの場所、どんな人種でも女と言うだけでこういったスキンシップを行うというから、世の中と言うのは不思議だと思う。


「ほらほら、食事中に遊ぶのは行儀がいいとは言えないねェ。ほどほどにして、食べるか遊ぶかどっちかにしなさいな」


「あっ、ごめんなさい!」


「やーん、怒られちゃいました」


「謝るくらいなら最初っからやらなきゃいいと思うんだけど……」


「僕もそう思う」


 爺さんが言うことは全面的に正しい。エリオが言うことも正しいように僕には思える。けれど、女二人は『これだから男ってやつは……』とでも言いたげな目つきで僕たちを見てきた。


「理不尽だ」


「は、はは……」


「いつの時代でもこんなもんさ。こういう時は、黙っているのが一番さね」


 気を取り直して、僕は再び“おまんじゅう”に向き直る。


 やはり、この奇妙な黒いやつはどうにもクセになる。ゆったりとした食べ応えとでも言えばいいのだろうか、静かにゆっくり口を動かす度に、心が落ち着いてくるような気がする。黒いやつの甘さを白いやつが優しく受け止め、素晴らしき一体感を醸し出していた。


 十分に噛みしめ、飲み込む時のこの心地よさをなんと表現するべきか。ふわっと鼻に抜けていく独特な甘い香りをなんと表現するべきか。この、今までに経験したことのない柔らかさをなんと表現するべきか。


 ちょっぴりもちっとした食感。表現できない黒いやつ。手軽にぱくぱく食べられて、どことなく落ち着くこの感じ……筆舌に尽くしがたい、とはまさにこのことを言うのだろう。


「爺さん、そろそろ教えてくれ。こいつは一体何なんだ?」


「うん? こいつかね? これは──」


 分からないのなら聞けばいい。僕は、その重要性をしっかり学んでいる。そして、明確な答えを持っている人間がここにいるのだから、聞かない理由はない。


 だというのに、爺さんはにこやかな顔を一瞬強張らせ、世にも恐ろしいものを見たかのように、カタカタ、ぷるぷると小さく震え出した。


「……本当に、聞きたいのかい?」


「……お、おじーちゃん? な、なんでそんなに震えているの?」


「お、おじいさんがこんなに震えるなんて……!?」


 聞かないほうがいいんじゃ、という獣人の二人の視線。


 当然、無視することにした。


「聞かせてくれ」


「……後悔しないかねェ?」


「無論」


 はぁ、とため息をつき、爺さんはお話しの体勢に入った。勇気がないのか、ハンナは両手で耳をふさいでいる。……なぜか微妙にふさぎ切れていないが、そこを聞くのは野暮と言うものだろう。


 ぱくりと“おまんじゅう”を一口。こいつを齧りながら話を聞くのも、なかなか乙なものだと思う。ついでに何か飲み物でも欲しいところだ。


「……この黒い奴はね、特別な材料を使っているのさ」


「特別な材料?」


「──魔物の目玉だよ」


 ぴしっと僕たち三人の動きが止まった。今まさに“おまんじゅう”に食らいつこうとしていたエリオは口を開けたまま固まっており、恐る恐ると言った様子でその断面を見つめている。


 目玉。まさかの目玉。普通のものではないと思っていたが、まさか目玉とは。おいしかったはずのそれが、途端におどろおどろしいいわくありげなものに見えてくる。


「あれは……私がまだ、うんと、うんと若いころの話だ……たしか、五つか六つの時だったと思う……」


 爺さんは、遠いどこかを見つめながら語りだした。


「ついうっかり、夜の森に踏み込んじまってねェ。きっかけは些細な事……そう、ふと、あまぁい木の実を食いたくなったってだけだったんだ。仲間も近くにいるし、ちょっとくらいなら大丈夫だと、そう思っていたんだよ……」


「迂闊だな。仲間が近くにいようが夜の森は危険だ。そんなの僕にだってわかる」


「まぁ、あの時の私はまだガキだったからねェ。……ごほん、それで木の実を探していたんだが、そういう日に限ってなかなか見つからない。普段なら、嫌でも目につくくらい生っているというのに、だ」


「……」


「やがて月は雲に隠れ、森はすっかり闇で包まれた。慌てたときにはもう遅い。私は帰る道を見失ってしまった……それどころか、いつのまにやら周りが獣臭くなり、荒い息遣いさえ聞こえてくるじゃあないか!」


「えっ!? それって……!」


「ああ。──光の無い濁った黒い瞳の化け物が、私を喰らおうとじいっと見つめていたのさ」


 そいつは蛮頭マントウと呼ばれる異形の魔物だったらしい。大きくて、毛むくじゃらで、鋭いかぎ爪に猛々しい牙を持った、一つ目巨人の亜種とのことだった。そのあまりの強さから近隣地域では荒ぶる神々として祀られていることが少なくないらしく、出会ったが最後、死を覚悟しなければならない──と言われているのだとか。


「でも、ただ強いってだけでそこまで言われるの? あたしはまだまだ一人前とは言えないけど、それでもそこまで恐れられる魔物なんてほんの一握りしかいないってことくらいは知ってるよ?」


「いい着眼点だ。こいつの本当に恐ろしいところはその性格の残忍性にある。しかもこいつは人語を解し、操ることさえできるのさ」


「えっ!? 魔物が!?」


「ああ。あの時のあいつも──『半殺しがいいかえ? 皆殺しがいいかえ?』と、にたぁりと笑い、私を追いかけてきたんだ!」


 爺さんが幼子の様にがくがくと震える。本気で恐ろしかったのだろう、よくよく見れば腕には鳥肌が立っており、額には冷や汗をかいていた。


「そして私は夜の森の闇の中、仲間の元へと一目散に逃げだした。後ろを振り向けば化け物の一つ目が延々と追いかけてきて、耳にはずっと『半殺しがいいかえ? 皆殺しがいいかえ?』と悍ましい声が聞こえてくる」


「……」



「……正直、生きた心地がしなかった。今言うのもなんだが、チビっていたかもしれん。汗でぐっしょりで、区別がつかなかったんだよねェ……」


 青ざめた表情で語る爺さんを、どうして笑うことができるだろうか。子供とはいえあの爺さんがそこまで恐れた魔物。冒険者ならば誰でも一度は自分の下着をぐっしょり濡らすことがある──漏らして初めて一人前とまで言われているが、今の僕がその魔物と対峙した時、そうならないと自信を持って言うことが出来るだろうか。


 爺さんは、必死の思いで何とか仲間の元へと逃げ帰ったらしい。そして、魔物が現れた、早くここから逃げようと涙ながらに語ったそうだ。


「だが、爺は──おっと、パーティのリーダーなんだがね、そいつは大きく笑って森へ入って行ったんだ。そして、あっという間にそいつを狩って、戦利品として目玉を持ち帰ってきた」


「……すごいな」


「……強い人だったんだね」


「しかもそれだけじゃあない。『こんなものに臆するとはなんと不甲斐ない! 腹に入れちまえばなんも変わらん! こいつを食って強くなれ!』と、婆に──爺の妻に、私の根性を鍛え直すための料理を作らせたのさ」


「……それが、こいつなのか」


 黒い魔物の目玉をすり潰し、砂糖と併せてペースト状にし、小麦粉を使った生地で包んで蒸し焼きにしたもの──それがこの“おまんじゅう”の正体なんだそうだ。子供である爺さんが食べられるように、甘く味付けし、食べやすい工夫をした結果生まれたお菓子らしい。


「だから、このお菓子には蛮頭マントウの名前がそのまま付けられた。そのうちなまって饅頭まんじゅうになったがね」


 白と黒のそいつ。先程まで甘い幸せをもたらしてくれていたそれが、途端に怨念に塗れた目玉のように思えてくる。言われてみれば目玉のような見た目をしていないこともないし、食感も舌触りもちょっと不思議ではあった。


「そして私は、あの恐怖を克服すべく饅頭を食べた。婆が作ってくれた饅頭は何よりも美味く、私は襲われたってことも忘れてがっついちまったくらいさ。あの美味しさは、生涯忘れることはないだろう」


「……まぁ、材料を気にしなければ普通においしいもんね」


「何度も何度も食べて、さぁ、もう大丈夫だと爺が笑って背中を叩いてくれた。もう何も怖くないと、婆が抱き締め笑ってくれた。実際私も、もう大丈夫だと思っていたんだが──」


「だが?」


「──未だに怖い。蛮頭が、饅頭が怖い。怖くて怖くてしょうがなくて、見るだけで体が震えちまう」


 爺さんはぎゅっと目を瞑り、“おまんじゅう”をパクッと食べた。そのままもぐもぐと口を動かし、冷や汗をかきながらごくんと飲み込む。美味しいものを食べているはずなのに、酷く苦しそうな表情だ。


「わかってはいるんだ。こいつぁ美味いもんだ、もうあの魔物なんて楽勝で返り討ちに出来るって。……だが、体のほうが言うことを聞いてくれなくてねェ」


 再び“おまんじゅう”を持った爺さんの手は、やっぱりぶるぶると震えている。なんとかかんとかその震えを止めようとしているのが見ているこっちからでもわかるのだが、体は言うことを聞かないらしい。


「ああ、怖い、怖い。何回食べても怖い。克服しようとしているのに、どうにもならん」


 そのまま爺さんは震えながらもほいほいほい、と口の中に三つ、四つと“おまんじゅう”を入れていく。必死になって恐怖に打ち勝とうとしているのだが、一向にその成果は見られない。


 ほら、これで五個目。これだけやっているのに、手の震えはますます強くなるばかりだ。


「おじーちゃんでも、怖いものってあるんだね……」


「そりゃあそうさ。私だって完璧じゃあないんだから。……もし、この状態で敵に襲われたら、私はきっと足腰が立たず、何もできずに殺されるね」


「……ほう?」


 いいことを聞いてしまった。


 爺さんはこいつに類稀なるトラウマを持っている。それは長年努力しても払拭できないもので、見ただけで震えて動けなくなるほど重症だ。


「……爺さん、いつぞやの約束はまだ有効か?」


「うん? 何のことかはわからんが、有効さ。私は嘘は言わないし、約束はきちんと守るからね」


 ──よし。


「……シャリィ! もっとたくさん“おまんじゅう”を持ってこい! 店にある分すべてだ! 僕の有り金全部はたいてやる!」

 

「ちょ、ちょっと!? あんた何言ってるのよ!? おじーちゃんの話、聴いてなかったのっ!?」


 小癪にもハンナが僕を止めにかかった。練習用だという枇杷の木刀を手に取り、僕が不審な動きをすればいつでも打ちのめすことができる体勢だ。こんな小娘にここまで侮られていることに悔しさを感じないことも無いが、今はそれより重要なことがある。


「よく聞け! 以前僕は爺さんと約束した! どんな手を使ってでもいい、勝てたら何でも言うことを聞いてもらうとな!」


 そう、あれは──初めて“なぽりたん”を食べたときのことだ。でっかいの(バルダス)が爺さんと柔道の稽古をしていて、たとえどんな手を使っても、勝ちさえすれば何でも言うことを聞いてやる……なんて条件で勝負をしていたんだよな。


 あの時は、僕、でっかいの、アミル、エリィの四人掛かりの不意打ちでなお返り討ちにされてしまったが……今のこの、動くことさえままならない爺さんならば、僕一人でも勝てるんじゃあないか?


「おまんじゅうの追加、お持ちいたしましたー♪」


「よし! 僕のおごりだ! 全部爺さんの前に置けっ! あわよくばそのまま食べさせろっ!」


「りょーかいです! はい、あーん♪」


「ああ! 勘弁しておくれ! そんな、酷いこと……!」


「ははは! 勝負の世界に酷いも卑怯も無い! 約束は約束だ! 弱点をペラペラしゃべる方が悪い!」


「ひどい……! なんてひどい……! なんと恐ろしい……!」


 どーん、と目の前に置かれた“おまんじゅう”の山に爺さんは恐れ慄いている。これがあの誰よりも強い爺さんとは思えないくらいだ。肉体的にも精神的にも強い人だとは思っていたが、所詮は人間。トラウマ程度でこんなザマになってしまうのも、ある意味じゃ人間らしいと思えなくもない。


「ああ……! もうダメだ……! うっ、ううう……!」


「はーい、次のおまんじゅう行きますよー?」


「ふふふ……! 笑いが止まらんぞ……! ああ、今から何を願うか楽しみだ……!」


 爺さんはいやいやと赤子の様に首を横に振るうも、これ以上にないくらいの笑みを浮かべたシャリィにより“おまんじゅう”を口に入れられていく。


 あの爺さんを罠にはめられたという、未だかつてないこの優越感。自然を口の端がつり上がるのを、とても隠せそうにない。


「……ほんっとサイテーよね、あんた」


「ん? 嫉妬は見苦しいぞ。何も本当に止めを刺すわけじゃないんだし、これくらいいいだろう? 何だったら、お前も軽く一撃与えておくといい。それだけで共闘扱いになるだろうからな」


「……うわあ」


「ううう……怖い……怖い……」


「よくできました! さっ、もう一個いきましょう!」


 爺さんはすっかり俯き、震えながらブツブツと何かを呟いている。そんな姿に若干の罪悪感を覚えなくもないが、爺さんもいい大人だし、後に引きずることも無いだろう。そんな状態でも、目の前に出された“おまんじゅう”をしっかり食べている辺り、爺さんらしいと言えた。


「あああ……怖い……怖い……」


 ひょいぱく、ひょいぱく。


「……ん?」


 ふと、違和感を覚える。


「ひどいねェ……あんまりだねェ……」


 ひょいぱく、ひょいぱく。


「おい、爺さん」


「こんなにたくさんの饅頭……ああ、怖い怖い」


 ひょいひょいひょい、ぱくぱくぱく。


「……ええい、こっちを向け!」


 俯いた爺さんの頭をひっつかみ、無理やり顔をこちらに向けさせる。


 爺さんは、今までにないくらい満面の笑みをしていた。


「なんだい、いきなり」


 ひょいぱく、ひょいぱくと爺さんは嬉しそうに“おまんじゅう”を食べている。口いっぱいに頬張り、シャリィの様に頬をころころと膨らませ、今までに見たことが無いくらいに子供っぽい喜びの表情をしていた。


 ──とても、トラウマで怯えているようには思えない。


「……嘘か。“おまんじゅう”がトラウマというのは嘘か!」


「人聞きが悪いねェ。嘘じゃあなくて、冗談さ」


「じいじ、本当は大好物ですよね!」


 シャリィが明かした、衝撃の新事実。爺さんは“おまんじゅう”が苦手どころか、大好物であるらしい。鳥肌を立たせて震え、冷や汗をかいていたというのに、全てが演技──嘘だったのだ。


「……謀ったなぁっ!?」


「はっはっは! 勝負に酷いも卑怯もない! 勘違いする方が悪いのさ! ……だいたい、エリオは最初っから気づいていただろう?」


 嘘だろ、という思いを胸にエリオの方へと振り向く。若干を目を反らしたエリオは、弱弱しいながらもはっきりと首を縦に振った。


「えーっと、真っ暗闇の中で『光の無い濁った黒い瞳』を見たって言うのはありえないし……。そんな強い魔物を材料にするお菓子が、こんなに手軽に食べられるのはおかしいなーって……」


 言われてみればそうだ。爺さんが語った話はあまりにも矛盾点が多すぎる。描写的にもそうだし、シチュエーションだっておかしい。だいたい、そんなに強くて凶悪な魔物なら、僕たちの耳に入っていないほうがおかしい。


「おじいさん、どこまでが本当なんですか?」


「蛮頭と呼ばれていたらしいってところは合っているが、そんな魔物は存在しないさね。この黒いやつ──餡子も、小豆という豆の一種を煮て、砂糖を加えて炊いてペースト状にしたものさ」


「ああ……言われてみれば、豆っぽい感じもするかも?」


「ふぅん……豆がこんなに甘くなるなんて……特別な豆なのかしら?」


「まぁ、ここらにゃ見かけん豆ではあるさね。……私はこいつが大好物でねェ。この時期はちょくちょく食べたくなっちまうのさ」


 爺さんは“おまんじゅう”を手に取り、ぺろりと一口で平らげた。実に見事な、見ていて惚れ惚れとするいい食いっぷりである。


「──どこかの誰かさんがこんなにたくさん奢ってくれたんだ、楽しみでしょうがない」


「おにーさんがこんなにも売り上げに貢献してくれるなんて、思ってもいませんでしたよ♪」


 人のよさそうな老いた店員と、純真な子供らしい看板娘。いつもは温かく迎えてくれるはずの彼らの笑顔は、今に限っては悪魔の様に思えてならない。


「……クソっ!」


 爺さんを打倒し、願いをかなえてもらおうと思った僕。そんな僕には、悔しさと大量の“おまんじゅう”の支払いだけが残された。


 人のよさそうな顔で笑っている爺さんの前には、大好物の“おまんじゅう”が山ほど用意されている。


「ああ、怖い、怖い……そんな怖い顔で見られると、食が細くなっちまうねェ。……ああ、うまい、うまい」


 絶対嘘だ。今も元気にうまそうにバクバク食べているじゃないか! もうすでに十個近く食べているんじゃないか!?


「お、覚えてろ……! 絶対いつかこの借りは返してやるっ!」


「そうかい? 期待せずに待っておくよ。……ちなみにだが、私が本当に怖いのは──」


「熱い紅茶とか言うんじゃないだろうな!?」


「あたしに『じいじなんて、大っ嫌い!』って拗ねられちゃうことですよ♪」


「そうそう。冗談抜きでそいつは怖い……あと、この子が嫁入りすることかねェ?」


「うがぁぁぁぁ!」


「……エリオ、日記に書いといて。『強欲な学者さんは、力を合わせた老人と孫の策略により、哀れにも醜態を晒す羽目になりました』って。訓話じみていて物語としていいんじゃない?」


「あ、あはは……」


 嬉しそうに“おまんじゅう”を頬張る老人と看板娘。にやにやと笑いながらこっちを見てくるリスの獣人。ひきつった笑みを浮かべながらも、本に出来事をメモしているシカの獣人。


 悔しくなって、爺さんの皿から“おまんじゅう”を失敬し、思いっきりかじりつく。


 甘かったはずのそれは、ほんのちょっぴりだけしょっぱくなっていた。

(実は小さいころおまんじゅう嫌いだったなんて口が裂けても言えない。口が裂けたら物理的に言えない)


 粒餡かこし餡か、焼くか蒸すか、どんな生地にするのか……意外と多くのヴァリエーションがありますよね。いずれにせよ、おともにあっついお茶が欲しいところですな。


 おまんじゅうが似合うステキな和風美人さんとお付き合いしたいと思う今日この頃。京都とか鎌倉あたりに行けば出会えるのだろうか?


 ちなみに、私が一番好きな饅頭は肉饅頭です。冬に外で食べる肉饅頭こそがジャスティスです。

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