戦士と鳳梨酥
おひさしぶりです。
ちょっと珍しいかも?
読みは鳳梨酥です。
まだまだ暑い夏の午後。依頼も一通り終わり、ちょっぴりの空き時間ができたときは、ついついあの喫茶店へと足を向けてしまう自分がいる。それは憩いのひと時のためでもあり、大切な友人たちに会うためでもある。一応私たちのクランの本拠ではあるのだが、本来の意味であそこに向かったことはほとんどない。
からんからん、と涼やかな鐘の音が響けば、甘い香りが満ちた夢の空間が私を誘ってくれる。実家と同じかそれ以上に心休まる場所を、ここ以外に私は知らない。
「いらっしゃいませ! ようこそ、《スウィートドリームファクトリー》へ!」
「いらっしゃいませ、戦士のおねーさん!」
明るく溌剌とした看板娘のシャリィちゃん。にこにこと柔和な笑みを浮かべるマスター。今日も二人は温かく私を迎えてくれた。
「……ん?」
なーんか違和感。いつもと変わらないはずなのに、なんかちょっといつもと違う。
「あれれ、おねーさん? どうかいたしました?」
「いや、そうじゃないんだが……」
シャリィちゃんに手を引かれ、席へとつく。
なんだろう、店に入った瞬間のあの違和感は。少なくとも危険なものじゃないし、嫌な感じもしなかったのだが……どうにも心に引っかかる。
きょろきょろとあたりを見回してみる。店内に特別変わった様子は見受けられない。おしゃれな内装は今日もシャリィちゃんによって丁寧に手入れされているし、窓の花瓶には綺麗なヒマワリが活けられている。あっちのほうにはセインがマスターたちに預けたという赤金の魚が透明なガラスの中で悠然と泳いでいて、時折口をパクパクと動かしていた。
「エリィさん? どうしました?」
「ん……本当になんでもないんだ。……そうだな、今日も適当にオススメを頼む」
レモン水を持って来てくれたマスターに礼を言いながら、夢のお菓子の注文をする。
「わかりました。ちょうど、新しく作ってみたやつがあるんですよ。少々お待ちくださいね!」
マスターはその甘いマスクで蕩ける笑顔を浮かべると、鼻歌を歌いながら奥へと引っ込んでいく。棚の前でピタリと立ち止まり、そこにおいてあった四角い不思議な箱──オルゴールのねじをきりきりと動かした。
~♪
どうやら今日は機嫌が良いらしい。
「……あ」
「おねーさん?」
シャリィちゃんが私の前に座り、訝しむように顔を覗き込んでくる。そのほんのり赤いほっぺをむにむにしたくなる衝動を堪えながら、私はレモン水で喉を湿らせた。
──やっぱり今日も、この水はおいしい。
「いや……なんか、今日はやたらとマスターがご機嫌だと思ってな?」
先程抱いた違和感。その正体は、マスターだ。
マスターはいつも、私たち常連を温かく笑顔で迎えてくれる。それは誰でも、どんな時でも一緒で、だからこそ鬱になっていたアミルや漫然としたイライラを抱えていたハンナもここですっかり癒されたという話を聞いた。
だけど、今日のマスターの笑顔は──というか、雰囲気はどこかいつもと違う。
全身から喜びの気持ちが溢れ出ている。普段でさえ年頃の少女が十人いれば九人は振り向くような笑顔を惜しげもなく浮かべるけれど、今日のそれは段違いだ。
自分の夢にしか出てこない理想の王子様が、自分だけに最高の愛の言葉を囁いてくれるような──まぁ、うまく言えないけどそんな感じだ。
「……やっぱり、おねーさんもそう思います?」
シャリィちゃんはちょっとだけ深刻そうな顔をして、そう聞いてきた。
『やっぱり』と言うことは、つまりはシャリィちゃんにもそう思えるのだろう。
「ああ。いつもにこにこしているから最初は気づかなかったが、どう見たってあれは上機嫌そのものだろう? あの見た目であんなふうに笑っていたら、どんな女の子もコロッと一目ぼれしちゃうんじゃないか?」
いつぞや古都で屋台を出した時も、マスターはたくさんの若い娘に言い寄られていた。そう、マスターは物語の王子様が夢の世界から飛び出てきたかのような、『すっごいかっこいい人なのにすごく身近に感じる』タイプの、非常に女受けのいい存在と言えるだろう。
……正直な話、私もマスターの顔を見てドキッとすることがある。別に今更そういう気持ちを抱くことはないが、女として生まれた以上、ある意味生理反応みたいなものだろう。
もし私とアミルの立場が逆だったなら……私が最初にマスターと知り合い、そしてここにずっと入り浸っていたのなら、私の方がマスターに惚れていたかもしれない。
まあ、これはあくまで仮定の話。あったかもしれないもしものことだ。もちろん、たとえ冗談でもあの可愛くてちょっぴり嫉妬深い親友には話せるはずもないけれど。
いわばこれは、男がついついミスティみたいなやつを目でおっかけてしまうのと同じレベルの話だ。
今の私は、恋愛関係的な意味では観賞用のいい男──くらいにしかマスターのことを思っていない。冒険者の男は基本的に汗だくでむさくるしくて暑苦しいし、そう思うくらいは別にいいだろう。私だって目の保養くらいはしたいんだ。
~♪
私の言葉に深くうなずいてから、シャリィちゃんは語りだす。
「お察しの通り、マスターはすんごくご機嫌です。あたしのおやつだってすっごく奮発してくれますし、お夕飯のデザートだって贅沢にプリンを二個もつけてくれます。シャンプーだって三プッシュしていいよって言ってくれますし……二日連続でお風呂に入浴剤を入れてくれたんですよ!? それも、お高い柑橘のやつと白いやつを!」
「ほお。そりゃ豪勢だな」
「ええ! だからあたしってば、今はすっごくお肌がぷるぷるなんですよぉ……!」
「……あ、ホントだ」
「やーん♪」
入浴剤とやらのことは知らないが、すごく贅沢をしているってことだけはわかった。とりあえずシャリィちゃんのほっぺをむにむにしてみれば、なるほど、確かに今まで以上のぷるぷる感を味わえる。さっき謎の衝動に駆られたのは、きっとこのせいだったのだろう。
「まあ、シャリィちゃんから見てもご機嫌だってことはわかった。で、何か心当たりはあるのか?」
「……実は」
そしてシャリィちゃんは、衝撃的なことを教えてくれた。
「三日ほど前、もこもこのおねーさんとむきむきのおじさん、そしてアミルさんが遊びに来てくれました」
『魔法使いのおねーさん』から『アミルさん』に呼び方が変わっているけど、ここではあえて気にしないことにしておく。
「で、もこもこのおねーさんがこの前お泊まりしたって話をアミルさんが聞いてしまいまして、急遽一緒にお泊まりをすることになったんです」
「ああ、この前の“さんぐりあ”のときか……ん?」
ちょっと待て。今、シャリィちゃんはなんて言った?
「なあ……」
「はい?」
「お泊まり? 酒盛りじゃなくて、お泊まりって言った?」
私とミスティがじいさんと夜通し酒盛りをした話を聞いて、羨ましがったバルダスとアミルも酒盛りを所望した……ってことだよな? 私のときみたいに、ここで一晩中飲んで、武道場で雑魚寝したってことでいいんだよな?
「ええ、お泊まりです。アミルさんだけ、マスターとあたしのお家で」
「嘘だろ……ッ!?」
あの、アミルが? 奥手でシャイでウブで恥ずかしがり屋で恋愛経験ゼロで度胸も何もないアミルが?
そのアミルがたった一人で、マスターの……男の家でお泊まり、だと?
「ねえちょっとその話詳しく」
いや、深い意味はない。ただ、親友としていろいろ聞いておかないといけないし? ついつい身を乗り出しちゃったのも、シャリィちゃんの顔をもっと近くで見たいからだし?
なんだろう、このそこはかとないワクワクとドキドキは。
~♪
「えーと、夕方ごろに三人でお家に帰りまして、あたしはアミルさんと一緒にお風呂に入って、その間にマスターは夕ご飯を作ってくれて……」
「ふむふむ」
まあ、さすがにいきなりの急展開はない、か。聞く限りでは割と普通。マスターの部屋の様子はちょっと気になるけれど、シャリィちゃんと二人で暮らしている以上、そうそう変なものは置いてないのだろう。
「ちょっぴり豪華なハンバーグをみんなで食べて、おねーさんはマスターと二人で夕飯の片づけとかしたりしちゃって……」
「ほおお……!」
なんだなんだ、すっごくいい感じじゃあないか。それってもう立派なお家デートじゃないか。いや、むしろ夫婦の共同作業ってやつじゃあないか。新婚生活感バリバリじゃあないか!
「で、夜は一緒のベッドで寝ました」
「ごフ……ッ!?」
「すっごくよかったですよぉ……! あたしってばおねーさんにぎゅっ! って抱き締めてもらえまして……!」
頬に手を添え、うっとりとするシャリィちゃん。
うん、そうだよな。この流れで一緒に寝るって、普通はそっちの意味だよな。
……いつから私、心の汚い大人になってしまったのだろうか。
ふう。落ち着け落ち着け。いくらなんでもちょっと期待しすぎだ。シャリィちゃんがいる以上、二人っきりってわけじゃないし、そんなに面白いことなど起きるはずがない。
どれ、ここはひとつ水でも飲んで頭を冷そ──。
「まあ、三人一緒のベッドでしたからね! 実際、マスターとおねーさんが抱き合って寝ていたようなものですよ!」
「んぐッ!?」
ちょっとまってへんなところにはいった。
目を白黒させて息を整える私を、シャリィちゃんがにこにことほほ笑みながら見ている。どうやら、あえてあのタイミングで衝撃の事実を告げたらしい。
「……ひどいぞ」
「なんのことやら?」
息を落ち着け、再びシャリィちゃんの顔を見る。
「……で、どこまで本当なんだ?」
「狭いベッドで三人一緒に寝たってのはホントですよ? 恥ずかしながら、あたし、暗いところがちょっぴりだけ、そう、ほんのちょっぴりだけ苦手でして。ウチにベッドは一つだけだし、おねーさんとも一緒に寝たかったし……」
はにかむその顔を見る限り、嘘を言っているようには思えない。
つまり、本当に、あのアミルがマスター(と、シャリィちゃん)と一緒に寝たということなのだろう。にわかにはちょっと信じられないが。
「あと、あたしがおねーさんにぎゅっ! って抱きしめてもらうようにお願いしまして。マスターにも同じお願いしましたから、結果的にほぼ二人で抱き合うような形になりました」
「まあ、狭いベッドで二人してシャリィちゃんを抱きしめたのなら、そんな風にはなるな」
……思っていたのと違っているのは嬉しくもあり残念でもある。まあ、健全ならそれでいいか。
「じゃあ、それがマスターがご機嫌な理由ってわけだな。……好きな女とお家でお泊まりデートか。そりゃ、ご機嫌にもなるか」
「……いえ、それがどうも違うみたいで」
と、ここでシャリィちゃんはうーん、と眉間に皺を寄せた。
「あたし、朝にちょっとお寝坊しちゃったんですけど、そのときはごくごく普通だったんですよ。ただ、その日学校からお家に帰ってきたときにはもうご機嫌でした」
「そうなのか? じゃあ、学校で何かあったのか……」
「それが、違うんです」
そしてシャリィちゃんは、必死になって頭の奥底から記憶を呼び起こそうとしていた。
「あの朝、あたしはマスターに言われて顔を洗いに行ってたんです。で、マスターは用事があるからってさっさと出発しようとしていて。おねーさんがお見送りをしようと玄関に行った……のは確かなんです」
「ふむ」
「顔を洗い、それでなおぼうっとした頭のまま、何気なく玄関の方をチラッと見たら……」
「見たら?」
「──マスターとおねーさんが、至近距離で向かい合っていて……おねーさんは背伸びをしていました」
「──えっ」
それって、つまり──。
「いや、一瞬で目が覚めましたね。自分のことじゃないのにすっごく心臓がドキドキして、変なところを見ちゃったかのようで、慌てて洗面所に逃げ帰っちゃいました」
もったいないことしましたねぇ……なんて言っているが、そのシャリィちゃんの頬や首筋は真っ赤になっている。たぶん私でも、その場を見たらそうなってしまうことだろう。
「あのときおねーさん、マスターのほっぺを手で包んでいたっぽいですし、間違いないと思うんですよ。朝食の時も顔は赤くてぼうっとしていましたし、帰る時までずーっと心ここにあらずでゆるゆるに笑っていましたから。でも、いくらあたしでもさすがに聞き出すのは躊躇われました……」
わかる。その気持ちすごくわかる。
~♪~♪~♪♪~──......
「おまたせしました! 今日のはとっておきですよ!」
私とシャリィちゃんの間に落ちた沈黙。一拍置いてオルゴールの音が途絶え、まさにそのちょうどのタイミングで話題のマスターが奥から戻ってきた。
「……なるほど」
思わずその顔をじっと見てしまう。改めてみれば、たしかにすっごくうれしそう……というか、アミルと話しているかのような雰囲気を全身から放っていた。
「……あれ? エリィさん、僕の顔に何かついています?」
「……いや、ご機嫌だなと思ってな」
私の言葉に、マスターはにへらっと顔を崩す。
「そうかなあ? まあ、確かに最近ちょっといいことありましたけど……。いけないいけない、仮にも客商売をする身ですし、引き締めないとですね」
ぱんぱん、とマスターは大げさに頬を叩く。
でも、その顔は全然変わっていなかった。
「……ね?」
呆れたようにこちらを見てくるシャリィちゃん。
「……ああ」
まあ、あれだ。
おめでとう。末永くご幸せに──と、心の中で願っておく。
「ああ、マスター。早くそいつを食べさせてくれ」
「もちろんですとも!」
とにかく今は、何も考えずに甘いものを食べたい。あの二人よりもさらに甘いもので、この気持ちを静めたい。そうじゃなきゃ、やってられない。
……私もそろそろ、恋人に巡り合いたいなあ。
「お待たせしました! 《鳳梨酥》です!」
さて、とろけるような笑顔でマスターが持ってきたのは、いつもよりさらに奇妙な言葉の響きを持つ、なにやらパッと見は地味なお菓子だった。
「おんらいそー……」
「あ、発音はちょっと違うかもしれませんけど、そこは許してくださいね?」
違うも何も、元を知らないから判断しようがない。それにさすがに、正しい発音じゃないと美味しく食べられない……なんてことはないだろう。
改めて、目の前に出されたそれを見てみる。
手のひらサイズの……四角。そうとしか言いようがない。硬いパン、あるいは“くっきー”のような質感をしており、表面はどちらかというとぱさぱさしているようだ。暖かな、何とも優しい気分にしてくれる小麦色だけは“けーき”の“すぽんじ”を彷彿させなくもないが、逆に言うとそれくらいしか特徴らしい特徴が無い。
バルダスやレイクだったら一口でぺろりと食べてしまいそうな大きさのそれが、一、二……贅沢に五つもある。
ああ、こうしてたくさんあるのを眺めていると、こいつがレンガのように思えてくる。形も見た目もそっくりだし、もし大きなこいつで家を作ったのだとしたら、立派なお菓子の家が出来上がることだろう。
「なんか、アルが好きそうな見た目だな?」
「あー、たしかにアルさんは片手で手軽に食べられるのが好きですよね」
それにしてもなんだろう、このどこかで見たことあるような既視感は。そりゃあ、私だってもうかなりいろいろなお菓子を食べているわけだし、そう思えてしまうことになんら不思議はないのだが……。
「……あ」
「おねーさん?」
「いや……なんか、携帯食料にちょっと似ているなって」
うげ、とシャリィちゃんが眉を顰める。
携帯食料は冒険者御用達のアイテムだ。小さくて持ち運びしやすく、保存が効いて劣悪環境下でも痛むことなどほとんどない。
ただし、凄くマズい。一かけらでお腹は膨れるし、栄養価もすごく高いらしいけれど、そんなのどうでもよくなるくらいにマズい。冒険者はみなあれを悲痛な面持ちで食べて──否、胃袋に送り込んでいるし、あれが好きだという人間なんて見たことも聞いたことも無い。
そんな携帯食料に、この“おんらいそー”は少しだけ似ている。このシンプルで飾り気のないところがそっくりだ。
「でもでも、味は格別ですよ? それにほらほら、ほんのり香る、良い匂い!」
なるほど、シャリィちゃんの言う通りほんのりとお菓子特有の甘い香りがそれからは漂っている。となると、こいつはきっと見た目を裏切るような衝撃を私にもたらしてくれるはずだ。
「どれ、それじゃあ──」
つまむ。やはり、触り心地は“くっきー”のそれに近い。いや、本物の“くっきー”よりかは柔らかい印象を受けるけれど。
ともあれ、私はその夢の四角を齧り取った。
ぱさっとした食感。
甘酸っぱい何か。
ふんわりと香る、甘い匂い。
ああ、やっぱりこのお菓子は嘘つきだ。
見た目からは想像できないほど──
「──うん、おいしい!」
「それはよかった」
いつも以上に眩しい笑顔のマスターよりも、私はそっちに惹かれてしまった。
まず最初に、“おんらいそー”のある特徴を伝えるべきだろう。そう、こいつは地味な見た目をしているくせに、その腹の中には華やかな切り札を隠して持っているのだ。
「こいつは……パイナップル、か?」
口いっぱいに広がる甘酸っぱさ。柑橘ともベリーとも違うその特有の甘さは、前に少しだけ食べたことのあるパイナップルの甘さに他ならない。甘みの裏に爽やかな酸味が隠れており、どこか南国を彷彿とさせる。
パイナップルなんて贅沢なもの、古都でさえあまり食べられないというのに、こうも惜しげもなくふるまわれることに舌を巻く。
もちろん、生のパイナップルがそのまま入っていたわけじゃあない。
「……“じゃむ”?」
齧った断面を見ると、そこには黄金色とも蜂蜜色とも、見方によっては夕焼け色ともとれるそれがみっしりと詰まっていた。
見た限りでは、“くっきー”に使われている“じゃむ”と似たようなものではある。だけど、こっちはもっとどっしり、しっとりとしていて……食べ応えはそれとはまるで別物だ。
何よりうれしいのは、それにはパイナップルの果肉が──ここまですり潰されていると繊維と言った方がいいかもしれないが、ともかく果実の恵みをはっきりと感じることができることだろう。決して生の果物ではないはずなのに、普通のパイナップルを食べているかのような錯覚すら覚えてしまう。
「ジャムと言うよりかは、餡のほうが近いですかね?」
「和菓子によく使われている……ほら! もこもこのおねーさんの大好きな、ずんだもちに使われているやつと同じですよ!」
となると、やはりこれはパイナップルをすり潰して砂糖となんやかんやして作ったもの……で、あっているのだろうか? 正直な話、何が使われているかはなんとなくわかるようになったものの、どうやって作っているのかは未だにさっぱりわからないんだよな。
ともあれ、再びその“おんらいそー”に意識を向けてみる。
一口齧ったときに感じたのは、この“くっきー”のようなもののほのかな甘みだろう。なんとなく香ばしいようなそれは、ほとんどのお菓子に共通する──あるいは、これこそがお菓子をお菓子らしくしているものと言っても過言じゃない。
そんな生地の部分が歯をしっとりと受け止めると、次に来るのはパイナップルの餡の衝撃。舌先に感じるその甘酸っぱさが、ゆっくり、されど確実に喉へと向かっていく。もにゅもにゅと口を動かしているうちには、その幸せで思わず頬が緩んでしまう。
「……!」
生地のほのかな甘さと、パイナップルの甘酸っぱさの組み合わせが素晴らしい。互いが互いを引き立て合い、それぞれがいい感じのアクセントになっている。もちろん、あくまでメインはパイナップルの方なのだろうが、ただこの餡だけを食べたとしたら、到底この感動を味わうことは出来ないだろう。
なにより、だ。
「食べ応えが、凄まじいな」
「ああ、なんとなくわかります。ほんの一口だけでも、けっこうどっしり来ますよね」
早速一つを平らげた私だが、この時点で結構な満足感がある。しっかりした食べ応えがあるからか、それとも思った以上に口を動かせたからか。この感覚はやっぱり携帯食料のそれに似ているけれど、携帯食料と比べるのは“おんらいそー”に失礼だろう。
二つ目の魅惑の直方体を手に取り、再びそれを齧る。黄金色に煌めく餡がひょこりと顔をだし、私の口の中に幸せが訪れた。
それにしてもなんだろう、この食感。なんだかんだで今まで食べたことがない感覚だ。味だけで言えばふんだんに“じゃむ”が使われた“くっきー”に似ていなくもないのに、その食べ応えが、口の中での反応が似ても似つかない。
おそらく、その違いを生み出しているのはこのパイナップルの餡なのだろう。“じゃむ”の様に見えて、その実もっとしっかりとした実態がある。“ずんだもち”のそれより水分が控えめのようで、さらにその存在を主張する果肉が満足感を生み出している。
こう、ぎゅっと圧縮された歯ごたえのある“けーき”を食べているかのような……ああ、うまい言葉を思いつかない自分が恨めしい。
確かなのは、すっごくおいしくて最高だ、ということだけ。これ以上の言葉は、必要ないのかもしれない。
「……止まらないな!」
「こういうの、止め時がわかりませんよね!」
私の前でそれを齧っているシャリィちゃんもまた、にこにこと笑っている。小さな小さなお口を可愛らしくあーん、と開けて、極上の表情をうっとりと浮かべた。
毎度のことながら、本当に美味しそうに食べている。いやまあ、私も人のことは言えないと思うけれど。
「ちょっとパラパラしますけど、手軽に食べられていいですよね! これならおねーさんもお口を汚したりしませんし?」
「ひどいな? いくら私でも、そうしょっちゅう醜態を晒すわけじゃないぞ? それに……」
「それに?」
「私じゃなくて、おいしいものを作るマスターがいけない」
「わーぉ、見事なとばっちり……ですが、そう言って頂けると、料理人の端くれとして嬉しい限りですよ」
二つ目もあっという間にお腹の中へと入っていく。“おんらいそー”は全体的にぱさぱさしているからか、口の中の水分が軒並み奪われてしまうという欠点がある……が、そんなときにぐいっと水を飲むのがまた堪らなく心地いい。
「……ふう」
ぐいっと冷えたレモン水を呷る。少々甘ったるくなってしまった口の中がレモンの爽やかさですっきりとした。潤いが染みわたっていくこの感じも素晴らしい。これでまた、このお菓子のレンガを楽しむことができるという寸法だ。
……この暑い時期にはあまりやりたいと思わないが、熱い紅茶とも合うんじゃないだろうか。紅茶のほのかな甘さとすっきりとした後味は、おそらく“おんらいそー”の魅力をより引き出してくれることだろう。
「……ごちそうさま」
そして、気づけば。
いつのまにやら、私の目の前から“おんらいそー”はなくなってしまっていた。
後に残っているのはパイナップルのほのかな香りと、机の上にパラパラと落ちたその欠片、そして胸の中に残る満足感だけである。ほんのちょっぴりの寂しさが、お菓子に使われるアクセントの様に、幸福感を強調させている。
「それにしても……」
「はいはい、なんでしょう?」
「今日のは……なんか、いつもと違うお菓子だったな?」
うまくは言えないが、何かがいつもと違うってことだけはわかる。十分に満足することは出来たのだが、その一点だけが妙に引っかかる。
「ええ、その通り。実はこれ、外国のお菓子なんですよ」
「外国?」
「はい。いつもお出ししているやつ──ロールケーキやゼリーなんかは洋菓子って分類で、ずんだもちとかわらびもちなんかは和菓子って分類になるんですが」
「ああ、それならなんとなくわかる。こう、じいさんが得意そうなやつが和菓子だろ?」
洋菓子と和菓子。その違いは私も知っている。うまく言葉にはできないが、お菓子の雰囲気が根本から違うのだから。
だけれども、“おんらいそー”は洋菓子っぽくもあり、和菓子っぽくもある。同時にまた、洋菓子らしくなく、和菓子らしくもない。
「ええ。それでこの鳳梨酥は洋菓子でも和菓子でもない──さらに別の国で作られたものなんですよ」
なるほど、道理で奇妙な違和感を覚えるわけだ。……というか、名前の響きからしていつもと違ったしな。
「まあ、僕はあまりその国のお菓子のレパートリーがないので……これから先、同じようなお菓子を提供できるかはわかりませんが」
「マスターってば、ご機嫌だからついつい新しいお菓子に挑戦したくなっちゃったんですよね!」
「う、うるさいなあ。別にいいでしょ? 貰ったパイナップルも使ってみたかったし」
「別に、悪いなんて言ってませんよー? ただ、あたしとしてはどーしてそんなに上機嫌なのかってのを知りたいだけで」
「……な、内緒! シャリィが知るには十年早いことだからっ!」
そう言うなり、マスターは首から耳まで真っ赤になってしまった。これだけでもう、シャリィちゃんの推測が正しかったという証明になるだろう。
アミルもアミルだが、マスターもマスターでこの手の話題にはあまり耐性が無い。そしてやたらとモテるくせにウブで奥手で、無自覚に女をたらしこむという悪質な特性を持っている。いやま、自覚ありで誑かすような奴より百倍マシだけれども。
……似た者同士でよかったのか悪かったのか。とりあえず、もし次に古都で屋台を出すことになったのなら、いろいろと対策を考えておかないとマズいかもしれない。
「お、おほん! それはともかくとして……実はエリィさん、この鳳梨酥、ほんのちょっぴりですけど日持ちするんです。たくさん作りましたので、よかったらお持ち帰り用にいかがですか? ……あ、もちろんこちらはサービスですよ」
さすがに携帯食料の代わりにはならないだろうが、それでも十分なごちそうだ。甘くておいしい食べ物を気軽に楽しめる冒険者なんて、おそらく私たち以外にいないんじゃないだろうか?
「いいのか? パイナップルって結構良い値段がすると思うのだが……」
「大丈夫! これも分けてもらったものですし、僕だってあの畑にはかなりの貢献をしていますからね!」
相変わらずマスターは気前がいい。こっちが心配したくなるレベルだ。お菓子の値段だってものすごく安いし、経営者としてその辺はどうなんだと思わなくもない。もし彼の親友とやらがいなかったら、おそらくこの喫茶店はあっという間に潰れて……いや、じいさんがいるし、大丈夫なのか?
「とか何とか言っちゃって、ホントは機嫌よすぎて作りすぎちゃっただけでしょう? ……おねーさん、実は昨日からずっと、あたしのおやつとデザートは鳳梨酥なんですよ?」
「へえ……ん? さっき“ぷりん”を食べているって言っていなかったっけ? もしかして、普通のデザートに加えてこいつも食べているのか?」
私の言葉にシャリィちゃんはこくりとうなずく。マスターは私が思っていた以上に上機嫌だったようだ。デザートが付くってだけでも贅沢なのに、いつもよりさらにたくさん食べられるなんて……文字通り、王様だってできないことだよな。
「なんとも羨ましい悩みだな?」
「たしかに、贅沢過ぎる悩みってのはわかるんですけどぉ……! もう食べきれないのに、成長期なんだからもっと食べろーって……」
ぽんぽん、とシャリィちゃんが自らのお腹をさする。すっと視線を下におろして、悲しそうな顔をした。
「あたしってば、食べても食べても太らないのに、胸の方には栄養がいかないんですよねぇ……」
「……ま、まだまだこれからだろ? そっちの成長期はもっと後さ」
「でも! あたしはもこもこのおねーさんくらいのを目指しているんですっ! こんなところで立ち止まってはいられないんですよ!」
「いや、あいつは例外だから。リュリュのだってそうそうお目にかかれないレベルだぞ。普通は私くらいだからな?」
「あの、僕の前でそういった話をされるのは……」
「安心しろ、アミル以上にはなるだろ。あいつ、成長終わってるのに成長途中のハンナと同じくらいだし。……マスターは小さいのが好きだったんだな」
「え、エリィさん!?」
「なんだ、違うのか?」
「ぼ、僕はアミルさんが好きなのであって、そ、そこに……む、胸とか関係ありませんっ!」
「言い切ったな」
「男、ですねぇ」
「あと、マスターの口から『胸』って単語が出るの、なんかちょっとアレだな」
「ああ……なんか、手馴れてそうなイメージありますよね」
『ちゅーとかぎゅっ! とか、自然にしそうですよねぇ……』と、シャリィちゃんは呟いている。どうかこのまま、純真のまま健やかに育ってほしいと願わずにはいられない。
「ああああ、もう! そろそろ本当に怒りますよ!?」
「きゃー、こわーい」
「こわーい!」
軽口を叩き合う、暑い午後。体温が高めのシャリィちゃんを抱きしめ、アミルもこの感触を楽しんだのかと、ふと、思いを馳せる。ちら、と窓の外を見てみれば、もういくらか影が長くなっていた。
──このくらいの時間に、お泊まりに行ったのだろうか。アミルもこうして、三人で楽しく過ごしたのだろうか。
少し汗ばむシャリィちゃんのうなじを見て、なんとなくそんなことを思う。一歩先に進んでしまった親友がうらやましくて、ちょっとだけ妬ましい。
──ま、私にはこれでも十分なんだけどさ。
「……おねーさん?」
「ん、なんでもない」
ちょっぴり悔しくなって、ぎゅっとシャリィちゃんを抱きしめる。汗をかいたグラスが茜色の光を受けてキラキラと反射し、溶けかけた氷がからりと音を立てた。
鳳梨酥は日本だとパイナップルケーキと訳される(?)ことが多いみたいです。実際は全然ケーキっぽくなくて、タルトとかクッキーに近いですけれども。なんで『パイナップルケーキ』になったのか、ちょっと不思議ですよね。
台湾銘菓として有名らしく、台湾のお土産で食べたことのある人も多いのではないでしょうか。かくいう私も後輩からのお土産でこれを頂きました。詳しいことはちょっとわかりませんが、中国読みだとフォンリースーになるのだとか。
さて、この鳳梨酥はお店ごとにその味や製法が異なるらしく、パイナップルの果肉(繊維)がたっぷり使われているところもあれば、ほぼ餡だけのもの、中にはパイナップルを使っていないものなど、様々な特色があるとのこと。
私が食べたのは果肉たっぷりヴァージョンです。ちょっとこっちがびっくりするくらいに果肉が詰まっていました。繊維の感じがしっかり残っていて食べ応えが抜群……本物のパイナップルを食べているような心持ちになりましたね。
九月のまだまだ暑さの残る日に食べるにはいささか口内の水分を奪われ過ぎる気がしましたが、めっちゃおいしかったです。たぶん紅茶とすごく合うんじゃないでしょうか。
外国のお菓子としては入手しやすい部類に入るので、台湾に行く機会があったら探してみるのもいいかもしれませんね!




