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魔法使訪話


「お、お邪魔しまーす……」


 古都の近くのとある森。その森の中にひっそりとたたずむ、ステキな喫茶店。そんな喫茶店で楽しいひと時と合気道のお稽古を済ませた私は、この喫茶店の奥にある──正確には魔法で別の場所に飛んでいるのでしょうが──マスターとシャリィちゃんのお家へとやってきていました。


「改めまして、我が家へようこそ、アミルさん。狭くて散らかっていて本当に申し訳ないですが……」


「おねーさんがここにいるのって、なんか不思議な感じがしますね!」


 いつものエプロンとバンダナを外し、制服──学校の制服らしいです──姿になったマスターと、これまたいつものメイド服を脱いで可愛い部屋着に着替えたシャリィちゃんが、私を迎え入れてくれました。


 なんだかんだでもうすっかり夕暮れ時です。曇ったガラスから差し込む光もきついオレンジ色で、黄昏の気配を感じさせます。マスターが壁に触れて何かをぱちりと押すと、パッと部屋の中が明るくなりました。


 喫茶店と繋がっているってだけでも不思議なのに、こんなにも簡単に明かりがつくなんて。“しゃわー”もそうですが、やっぱりマスターたちは普通の家とはまるで違う、いわば古代の超技術がこれでもかと詰め込まれたお家に住んでいるようですね。


「わ、あ……!」


「あの、恥ずかしいのであまりじろじろとは……」


 そんなマスターの声なんて、私の耳には全く届いていませんでした。


 何やら難しそうな書物がたくさん並べてある本棚。あっちの扉はもしかしてクローゼットとかでしょうか。それにシンプルで機能的なデザインをした小さなテーブル……でいいのかな? 椅子が見当たりませんけれども、ともかくそういったなんとなく見覚えのあるものから、用途が一切不明のインテリアや小物なんかがそこかしこにありました。


 壁際にある黒い板。なんとなくギルドの掲示板に似てなくもないですが、水面のように私の姿を映しています。なにやら怪しげな紐のようなものがそれからは伸びていて、これまた不思議な材質の四角い何かにつながっていました。


 それにほらほら、壁にかけられている見事な絵画! 見たことも無い魔物に変わった格好をした剣士がアーティファクトの剣で切りかかっています。ずいぶんと写実的でまるで本物の様な出来栄えですが、それにしたって仲間の女性の格好は少々きわどすぎるような?


「……!」


 それになによりも……私、はじめて男の人の部屋に入っちゃいましたよ!


 いえ、この家に来たのが初めてってわけではないんですよ。合気道のお稽古の度に“しゃわー”を貸してもらっていましたし、あの喫茶店の扉の部屋からマスターのお家の“しゃわー”の部屋まではもう目を瞑っていても歩いていける自信があります。


 でもでも、いわゆる居住スペース──マスターのプライベートな、生活の跡がある場所へ来たのは初めてです。今まではここに来ていい大義名分がありませんでしたし、シャリィちゃんもマスターの意を汲んでかこっちまで連れてきてくれることはありませんでした。何よりここ、“しゃわー”の部屋よりも奥にありますしね。


 確かに感じる生活の匂い。あの喫茶店の匂いじゃなくて、マスターの匂い。この場にいるとまるでマスターに抱きしめられているかのような気分になります。男の人の部屋って、みんなこんな感じなのでしょうか?


「……」


 ……そしてそして、否でも目に飛び込んでくるそれ。小さな小さなお部屋の中で、ひときわ大きくその存在感を主張するそれ。なんかすっごく上等そうな、ふわふわ具合ではお貴族様のものとも引けを取らない──シンプルなベッド。大きめの水色の枕と小さめのピンクの枕が印象的です。


 もしこの場に誰もいなければ、間違いなく私はそれにダイブしていたでしょう。ついでに、枕をぎゅーっ! ってしちゃっていたと思います。そのタオルケットを頭からかぶって、心行くまでお昼寝をするだろうことは簡単にわかります。


「……」


 ううう、なんだろ……なんかすっごくドキドキするよぉ……!


「おねーさん? なんだかお顔がまっかっかですよ?」


「きき、気のせいですよ! ほら、夕日が差し込んでいるからそのせいですって!」


 それもそうですね、とマスターは慌てたようにカーテンを閉めました。……なんだか妙に外を気にしていたように見えたのは気のせいでしょうか?


「シャリィ、ポストの確認とお風呂の準備よろしく。僕は洗濯物取り込むから。あ、あとアミルさんに適当に冷たい飲み物でも用意して」


「がってんです!」


「あ、お構いなく……」


 とは言いつつも、今の私にできることなどありません。マスターたちが慌ただしく動くのをただただ見ていることしかできません。なにより、ここには椅子が無くて……その、ずっと棒立ちすることしかできないんですけど、いったいどうすればいいんでしょうか?


 ええ、もちろん、靴は脱いでいますからそのまま床に座ることはできますよ? 驚くべきことにカーペットまで敷いてありますし、少なくとも体を冷やしたり服を汚したりするってことはないでしょう。


 でもでも、外で野営中でもないのに直に座っていいものなのでしょうか? それってお客さんとして恥ずかしい真似だったりしないのでしょうか?


「おねーさん? どうしたんですか、ぼうっとしちゃって」


「いえ、あの、これって座ってもいいものなのかなって」


 飲み物を持ってきたシャリィちゃんがきょとんと首を傾げ、合点がいったとばかりに頷きました。


「ああ、家の中で床に座るってあっちじゃありませんもんね……そうですよね、普通はそうなりますよね」


「……シャリィちゃん?」


「ああいえ、なんでもないですよ?」


 何やら少し顔に影が差したシャリィちゃん。いつも明るくてずっと笑顔なのに、いったいどうしたのでしょう? もしかして私、なにかやらかしちゃったのでしょうか?


「それよりおねーさん、だったらベッドに座ればいいじゃないですか! ちょうどあつらえたかのような場所にありますし!」


「え、ええ!?」


 いいのかな、それって本当にいいのかな?

 

 図々しい奴だとか、馴れ馴れしい奴だとか、そんな風に思われたりしないかな?


「別にこれは普通のことじゃないですか。おにいちゃんもあたしも、特に意味もなく座ってますよ?」


 うん、そうだよね。ベッドに座るのくらい普通だよね。普通のなんてことの無い、当たり前のことだよね。


 うん、普通だから。これ絶対普通のことだから。全然変な意味とかないから。


「……ふふっ♪」


「おー、おねーさんってば、ご機嫌ですね!」


 ええ、だってお泊まりできるんですよ? マスターと夜遅くまでおしゃべりして、シャリィちゃんと一緒に寝られるんですよ? これほどうれしいことがほかにあるはずないじゃないですか。


 それに……ね?


「わかってますわかってます。つまりはこういうことでしょう……そぉい!」


「きゃっ!?」


 ぱふっと私に飛びついてきたシャリィちゃん。もちろんちゃんと受け止めましたがその勢いを止めきることは出来ず、私はそのまま押し倒されました。柔らかく良い匂いのするものがぽふんと私の頭を受けとめ、全身がふわふわの感覚に包まれました。


「うへへ……この温もり……!」


「ちょ、くすぐったいですよぉ……っ!」


 ベッドの上でシャリィちゃんは私の胸に顔を埋めていました。ぎゅっと抱きしめ、嬉しそうにほおずりなんてしちゃっています。私が起き上がろうとするとじたばたしてそれを止め、ふにゃりと笑って戯れてくる始末です。


 だから、私がこうしてベッドに寝転がっているのもしょうがないことなんです。決して変な意味はありませんからね?


「どうです、このベッドのふかふか具合! 思わず飛び込みたくなるでしょう? あたしは最初にこれ見たとき、迷いなく飛び込みましたとも!」


「ええ、もう本当にうちのベッドとは比べ物にならないですよ! ふわふわで、ふかふかで、それに……!」


「それに?」


「な、なんでもありませんっ!」


 危ない危ない。ついつい変なことを口にすることでした。


 それにしてもなんでしょう、このどきどきは。幸せが全身を包んでいるようで、堪えようとしているのに笑ってしまいます。出来ることなら、一生このままここでお昼寝していたいくらいです。


「あ、あのー……」


「あ」


 なんて思っていたのがいけなかったのでしょうか。洗濯物をすっかり取り込み、さらにはきちんと畳んでいたマスターと目が合ってしまいます。彼は見るからに困惑していて、恥ずかしがっているような、困っているような、そんな顔をしていました。


 ……畳んだ洗濯物の中にちらりと見えたシャリィちゃんのぱんつ。そのすぐ下にあった黒いそれを見て、思わず恥かしさでいっぱいになってしまったのは言うまでもありません。


「ご、ごめんなさい! 私ったら人様のベッドでなんてことを!」


「いえ、僕としては特に問題ないんですけど……それよりその、あ、汗臭くなかったですか? いや、その、枕カバーもシーツも最後に洗濯したのがだいぶ前だったので」


「全然! 全然そんなことありませんでしたから! むしろ……!」


「むしろ?」


「な、なんでもないですっ!」


 それならよかった、とマスターは安心した顔を見せました。私もホッと一息つきます。大変に名残惜しいですが起き上がり、今度は普通に座ってマスターを見据えます。もちろん、私の腕の中にはシャリィちゃんがいました。


「そろそろ風呂が沸くので先に入っちゃってください。シャリィ、アミルさんのことよろしくね」


 そういえば、さっきマスターはシャリィちゃんに『お風呂の準備をよろしく』と言っていました。もしかしてあそこにあった風呂桶みたいなやつ、本物のお風呂な上に自動で沸かしてくれちゃったりするんですか?


「そんな、一番だなんていいですよ。家主であるマスターが先に入るべきですって」


「はは、大丈夫ですよ。僕はその間に夕飯の支度をしますので。むしろお客さんを差し置いて一番風呂なんて真似できませんよ」


「そうですよ、おねーさん! おにいちゃんなんて放っておいて、あたしと一緒にじっくりと長風呂しましょうよ!」


 シャリィちゃんに強く言われて、結局そういうことになりました。もはやすっかり恒例となったマスターのジャージを片手に、少々気恥かしい思いでお風呂場へと向かいます。


「あっぶねぇ……ファブるのすっかり忘れてたぁ……一応セーフでいいんだよな……? 大丈夫だよな……?」 


 ……最後に聞こえた言葉、いったいどういう意味なんでしょう?




 そして。


「はふぅ……」


 いつもの”しゃわー”とはまた違った心地よさ。ちょっぴり熱めのお湯に全身が包まれる感覚。シャリィちゃんと共に”しゃわー”ですっかり汚れを落とした私は、その湯船の中にしっかり肩まで漬かり、至福のひと時を過ごしていました。


 もちろん、私の長い金髪はしっかりまとめてあります。シャリィちゃんがうまい具合にタオルを使ってくるくるとやってくれたのです。一応お風呂では湯船に髪を付けないのが正式らしく、特にマスターたち黒髪の人種はお風呂に関してのマナーをすごく神聖視するのだとか。


「はふぅ……」


「うへへ……まさかおねーさんとこうして裸の付き合いができるとは……!」


 私の隣でシャリィちゃんがにこにこと笑っています。彼女もまた、髪をタオルでしっかりまとめており、なんだかいつもとちょっと雰囲気が違いますね。ぷるぷるでもちもちのお肌は同じ女として羨ましい限りですし、なんかもう、見ていて突きたくなってきます。


「シャリィちゃんはいっつもこのお風呂に入れるんですかぁ……ちょっとうらやましいです」


「夏場はシャワーで済ませることが多いですけどね。それに一人暮らしのお部屋のお風呂ですから、ちょっと小さいでしょう?」


 確かに言われてみれば少々狭い感じがしなくもありません。私とシャリィちゃんはほぼほぼ密着していますし、湯船に漬かった時もかなりの量のお湯が溢れ出てしまいました。本来ならものすごくもったいない事なのに、ここでは当たり前だというから贅沢なことだと思います。


「おにいちゃんが言うにはもっとすっごく広い、それこそ泳げるくらいの大きさのお風呂もあるらしいですけどね。一般的なお家だとせいぜいが足を伸ばせる程度らしいですよ?」


「へぇ……。でもでも、こんな便利なものが一般的になっているってだけでもすごいですよ。それに……この距離感も、なんかよくないですか?」


「ええ、それはもう!」


 こてん、とシャリィちゃんが私の肩に頭を乗せてきました。うっとりとしたその表情に、こちらとしてもなんだかうれしくなってきます。


 ああ、本当に今更だけれど、妹が欲しかったなぁ……!


「あたし、こうして誰かに触れるのが、触れてもらうのが好きなんですよ。ぎゅって抱きしめるのも、ぎゅって抱き締めてもらうのも。……隣に座ってくれるだけでも、あたしにとってはすごくうれしいことなんです」


「シャリィ、ちゃん?」


「お風呂って本当に最高ですよねぇ……。こうして直に、直接その温もりを感じられるんですから。なんででしょうかね、裸だからか、物理的にも精神的にも一緒に居るぞーっ! って感じになるんですよ」


「……」


 しんみりとつぶやくシャリィちゃん。その様子がどこか悲しげに見えて、私は無言で彼女を後ろから抱きしめました。少々狭くて窮屈ですか、背に腹は代えられません。


「……おねーさん?」


「ちょっとだけ……だめ、かな?」


「そりゃ、あたしとしては大歓迎ですけれども……」


 前々から思ってはいました。


 シャリィちゃんはすごく聡い子です。子供っぽいところはたしかにありますが、基本的にはしっかりもので、マスターやおじいさんの言うことをよく聞いています。とても十歳の女の子とは思えないくらい大人顔負けのことをしてみせることもありますし、学者のアルさんでさえ知らない、理解できないことを知っていたり、マスターのお手伝いが出来るほどに調理技術があったりします。


 ええ、そうです。シャリィちゃんはすっごくちぐはぐなんです。すっごく子供っぽいのに、すっごく大人っぽいところが……いえ、自立しているところがあるんです。もしかしたら、あの子供っぽさもわざとやっているところがあるのかもしれません。


 そして、ものすごくスキンシップが激しい。頭を撫でられるのが好きで、さっき自分で言った通り、抱きしめるのも抱きしめられるのも好き。マスターやおじいさんに抱き付いているのはもちろん、常連の私たちに抱き付くのだってしょっちゅうです。私やエリィだってシャリィちゃんを抱きしめますし、リュリュさんなんていっつもシャリィちゃんを膝にのせています。


「まさかおねーさんから抱きしめてくるとは……! あたし、おにいちゃんに怒られちゃいますね! これってもしかして修羅場ってやつですか!?」


 バルダスさんやレイクさんみたいに表現するなら『いっつもふざけた態度』。シャリィちゃんはいつだって殊更に笑い、明るく振る舞っています。どんなときでも明るい空気を纏っていて、私たちが持っている暗い雰囲気を吹き飛ばしてくれます。


 だからこそ、不思議なことがある。だからこそ、ひっかかる。


「ねぇ、シャリィちゃん」


「はいはい、おねーさん?」


「お風呂、マスターとも一緒に入ってますよね?」


「きゃあ! バレちゃいましたね! これはもう、本格的に修羅場ですよ!」


 きゃーっ! っと身をくねらせるシャリィちゃん。やっぱり、暗い顔なんて見せようともしませんでした。


「まぁ、バレたところで問題ないんですけどね。あたしはまだまだ貧相な体つきですし、それに二人で入ったほうが光熱費も浮きますから。……あ、一応弁明しますけど、あたしのほうがおにいちゃんに一緒にってお願いしたんですよ?」


「……一人で、入れないんですよね?」


「……っ!?」


 シャリィちゃんは、たしかにぴしりと固まりました。


 シャリィちゃんはスキンシップが激しいです。いえ、激しすぎます。そこがまた子供らしくて可愛くはあるのですが、それにしたって少々不自然です。


 他のことはあそこまで大人っぽいのに、どうしてこれに関してはここまで子供っぽいのでしょうか?


 何より私──シャリィちゃんが一人でいるところ、見たことありません。いつだって近くに誰かいます。必ず誰かが視界に入る場所にいます。より正確に言うならば、人の気配を確かに感じられる場所にいます。たまたまそれが私たち常連やマスター、おじいちゃんの近くであるというだけで、この推測はおそらく大きく間違ってはいないでしょう。


 なんで、大人っぽくて実際にそれだけの実力がある──例え一人でも仕事が出来るはずのシャリィちゃんが、本当の意味で一人で仕事をしていることがないのでしょうか?


 もちろん、例外がないわけではありません。レイクさんはかつて、毒牙猪によって負傷し、フラフラになりながらあの喫茶店へと転がりこみました。その時はマスターが不在で、シャリィちゃんが一人で店番をしていたと聞きます。


『あいつは傷だらけの俺を思いっきり無視してよぉ、「うちに盗るようなものはない」……なんて言った挙句、めっちゃ笑顔で注文取って、そのままほったらかしにして“くりーむそーだ”を持ってきたんだぜ?』


 いつだったかレイクさんが言っていました。そう、シャリィちゃんは傷だらけでボロボロのレイクさんを見て、手当てをしようなんて一切思いつかなかったらしいのです。


 ……おそらくそれは、手当のことを忘れてしまうくらいに人に会えたことが嬉しかったから。寂しくて寂しくてどうしようもない時に、誰かが自分を必要としてくれたから。


 そしてさらに……あの時のレイクさんの様な、ズタボロの人間には見慣れていたからではないでしょうか? あの程度の怪我は、日常のそれと思えていたからではないのでしょうか。


「あ、あはは……バレちゃいましたか。実は恥ずかしながら、あたし、どうしても一人でいることとか、暗い場所とかが苦手でして……。最近はマシになってきたんですが、こういう密室で一人なのは未だに……」


「誰にでもありますよ、そういうのは」


「ううう……みんなには内緒にしてくださいよぉ……! さすがにおにいちゃんに一緒にお風呂してって頼んでいるのがバレたら……!」


「……子供なんですから、別に恥ずかしがることありませんよ」


 ええ、そうです。シャリィちゃんはまだまだ子供です。中身がいくら大人っぽくても、まだまだ十歳の子供なのです。


 じゃあ──シャリィちゃんのご両親は、いったいどこにいるのでしょう?


 なんで遠縁のマスターが、私たちの誰も知らない隠れ里に住む、しかもその隠れ里のルールではまだまだ子供であるはずのマスターが、シャリィちゃんの面倒を見ているのでしょうか?


 極度の寂しがりで、極度の甘えん坊で、一人でいることに耐えられない。ちぐはぐに大人っぽく、怪我人を見ても怪我人と思わない。両親の話は一切出てこず、本来ならその存在だって知ることが難しいはずの隠れ里のマスターと共に生活している。そのマスターだって、本物の兄ではなくてあくまで遠縁。


 私の想像が正しければ、おそらく彼女は、彼女の両親は──。


「おねーさん」


「……」


「……薄々感付いていますよね。そりゃ、あれだけ口を滑らせたのなら──いえ、これだけ付き合いが深くなったのなら、いずれわかっちゃうことなんでしょうけれども」


 私の腕の中にいるから、シャリィちゃんの顔は見えません。けれど、確かに今のシャリィちゃんは、私の知っているシャリィちゃんではありませんでした。


「あたしの勘の鋭さを甘く見ちゃダメですよ? そりゃ、一番最初に気づいたのがおねーさんなのは驚きでしたけど……」


「……」


「前々からちょっとずつバレかねないことをしちゃってましたしね。いえ、それ以前にあたしがおにいちゃんの世話になっていること自体、おかしいですもんね」


「……そんなことは」


「ありますよ? 普通に考えておにいちゃんは──いえ、おにいちゃんの人種も、技術も、文化も、国も、何もかもがおかしすぎます。この世界の理から外れまくっています。魔物も魔法も武器もないとかどんだけ平和なんですかって話ですよ」


「……」


「みんな呑気で、のほほんとしていて、危機感も無くて、腑抜けている。いくらあたしが子供って言ったって、これがどれだけ異常な事かくらいかはわかっているつもりです」


 それ以上にわけわかんない人がいるからそう思えないだけで──と、シャリィちゃんは呟きました。


「妖精郷や鏡の国──そんなおとぎ話みたいな、いいえ、それよりもはるかに不思議な国がある。国ってよりかは文字通りもう別世界の話なんでしょうね」


 別世界──その言葉の重さを、おそらく私は正確には理解できていないのでしょう。


「あたし、科学の本を見たとき笑いそうになりましたもん。知ってます? あれ、魔法や武術と違って知識さえあればだれでも再現できますし、物として完成していれば知識が無くても絶大な効果が得られるんですよ。それこそ、三歳のごく普通の子供が屈強な大男を殺すことだってできます」


 だからこそ、マスターたちは魔法がなくても生活できるのか……と場違いなことを思った次の瞬間。シャリィちゃんは、衝撃的な、ある意味予想通りの言葉を紡ぎました。


「あれさえあれば──パパとママも」


「……ッ!」


 その先の言葉は、聞かなくてもわかりました。


「じいじはですね、冗談やあやふやなことは言いますけれど、決して嘘だけは言わないんです。……独りぼっちだったあたしに、おにいちゃんがあたしと血の繋がりのある家族だって教えてくれて、あたし、本当に嬉しかったですよ」


 ちゃぷ、とシャリィちゃんは所在なさげに片手をぷらぷらさせ、暇をつぶすかのように水と戯れています。


「ただあの人、未だに本気でわけわかんないですけど。あたしにも、おにいちゃんにも」


 そんなことはどうでもいいですけどね、と小さく呟いてシャリィちゃんは続けます。


「お察しの通り、いろいろ諸々あってあたしにはパパとママがもういません。で、いろいろ諸々あっておにいちゃんに拾われました。去年の夏になる前くらいですかね? あたしに言えるのはここまでです」


「……その」


「いろいろ諸々ってのはおにいちゃんに聞いてください。おにいちゃんが話してもいいと判断したのなら、あたしは別に構いません。……ただ、その結果、おねーさんは……いえ、アミルさんはあたしのことを嫌いになっちゃうかもしれません」


「嫌いになんて、なるはずがありませんっ!」


 ただただ悲しくなって、私はシャリィちゃんを強く抱き締めました。


「優しいんですね、アミルさん」


「私の知っているシャリィちゃんは、寂しがりで甘えん坊なシャリィちゃんです。いっつもにこにこ笑っている、無邪気で可愛い女の子ですよ?」


「……あたしは、例えアミルさんに嫌われようとも、おにいちゃんさえいてくれればいいって思うような性悪ですよ? そう思っているからこそ、この話を打ち明けられたんですよ?」


「だから何だというのですか?」


「……え?」


「大いに結構な話です。冒険者ならそれくらいしたたかじゃなきゃ生きていけません。それに全く信頼していなかったら、そもそもこんな話はしてくれないでしょう?」


 シャリィちゃんは言外に、『信用したから話したのではなく、嫌われても構わないから話した』と言いました。しかし、本気で信用していなかったらこんな話なんてするはずがないのです。


 本当は、ちょっとは信頼しているから……いいえ、シャリィちゃん自身が信頼したいと思っているから、話してくれたんです。


「私はシャリィちゃんが大好きです。それは今も、これからも、決して変わることはありません。……ふふ、魔女の約束は絶対なんですよ?」


 でなきゃわざわざ、『嫌われてもいい』なんて保険、かけるはずがないじゃないですか。本気でどうでもいいと思っているのなら、そんなこと言う必要がないじゃないですか。


「……おねーさん」


 シャリィちゃんは私の腕の中でくるりと振り返りました。先程までは背中の方から抱き締める形になっていたので、必然的に向かい合うような形になります。


 真正面から見たシャリィちゃんの顔。顔がお風呂中だということを抜きにしても赤く見えるのは、決して気のせいではないでしょう。


「……やっぱりあたし、おねーさんが大好きですよ!」


 シャリィちゃんは、ぎゅっと抱き付いてきました。私の首に手を回し、子供が母親に甘えるように。最後の瞬間、ちらりと目の端に光るものが見えたのは、私の心の中だけにしまっておくことにします。


「……ありがとう」


「……なんのことでしょう?」


 ぽんぽん、と頭を撫でて、ふう、と一息。


 やがて、すっかり満足したシャリィちゃんは私から体を離し、満面の笑みで告げました。


「さて、辛気臭い話はこれで終わりにしましょう! やっぱり美少女で愛されガールなあたしには、こんな空気似合いませんもんね!」


「ええ、そうですよ! 今日はせっかくのお泊まりなんだから、楽しまないと!」


 そうです、今日はお泊まりです。まだまだお楽しみイベントはたくさんあります。


 マスターと一緒に夕餉を楽しんで、シャリィちゃんとも夜更かししておしゃべりして……! きっともう、それ以外にもドキドキわくわくすることがたくさんあるに違いありません。


 ああ、こんな楽しいお泊まりなんていつ以来でしょう? 最近は専ら、泊りがけとなると魔物の跋扈する山中での野営くらいしかなかったのに……。


「それそれ、それなんですけれども」


「どうしました?」


「先ほどお話した通り、あたしは一人がダメです。暗いのもダメです。今はまだこうしていられますが、夜になったらお化けを怖がる三歳の子供よりも酷い有様になります。なんというか、人肌が無いと落ち着いていられないんです」


「ええ、ですから、一緒に寝ましょうね?」


「ぶっちゃけた話、おねーさんが思っているよりも酷いですよ。今でこそマシですが、当初は何をするにもおにいちゃんの傍から離れられませんでした。今でさえ、寝るのもお風呂も一緒じゃないとダメな有様なんですから」


「……しゃ、シャリィちゃん?」


「そして昔が昔だけに、あたしは家族の触れ合いというものに酷く餓えています。おぼろげにあるあの温もりを何よりも求めています。だからこそあたしは、本来受け取るべきだった分を取り戻そうとして、スキンシップが激しくなっている……んだと思います。甘えたがりなのも、おそらくそういう面があるのでしょう」


「……え、ええと?」


「まぁ早い話、一緒に寝ましょうってことなんですけどね。あたしが怖くならないように、ぎゅっと抱きしめて」


 それだけなら想定の範囲です。むしろ、そうするつもりでした。嫌だと言っても無理矢理抱きしめていたことでしょう。


 だから、にひひ、といたずらっ子の様に笑ったシャリィちゃんの意図が、どうしても読めませんでした。




「もちろん、あたし、おねーさん、そしておにいちゃん──三人一緒に、ですよ?」




「……えっ」


 いま、シャリィちゃんはなんて言いました?


「あたしがおにいちゃんと一緒に寝ているのはもうご存知ですよね? さっき言いましたし、ベッドには枕が二つあるんですから」


 困惑する私をよそに、シャリィちゃんはつづけます。


「当然、おにいちゃんは自分は床で寝ると言うでしょう。そりゃそうです、あのヘタレなおにいちゃんなんですから。下手したら同じ部屋ってだけでも無理で、台所か脱衣所で寝ると言い出しかねません」


「……む、むぅ」


 いや、確かに、気持ちはわかります、わかりますよ?


 でもでも、そこまでされると逆に私のプライドが……!


「おねーさん、そんなの許せますか?」


「許せません! マスターの性格を抜きにしても、家主を床に寝させるなんて真似できません!」


「ならもう、三人一緒に寝るしかないですよね! もちろん、あたしが真ん中ですよ!」


 えっでもちょっと待って。


 あのベッド、どう見てもシングルサイズでしたよね? マスター一人でしっくりくるサイズで、子供とはいえシャリィちゃんが一緒だとかなり狭苦しい感じになりますよね? その上三人目が、それも大人が入ったら──いや、出来ないことはないかもしれませんけれど、その、かなり……。


「だいじょうぶ! エアコンつければ暑苦しくはなりません! あたしもおにいちゃんも寝相は酷くありません! 枕の心配? おにいちゃんの腕枕がありますよ!」


「え、ええ、ええええっ!?」


 そ、それってなんとも魅力的……じゃなくて!


「むむむ、無理ですよぅ……っ! そ、そんなマスターと同じベッドだなんて……っ!」


「でも、あたしはおねーさんを床に寝かせたくありません。それはおにいちゃんも同じです。ついでに言えば、例えおにいちゃんがそれを認めようとも、あたしはふかふかのベッドの上でおねーさんにぎゅっ! ってしてほしいんです。……そして、おねーさんはおにいちゃんを床に寝かせたくない。だったら、もう三人一緒にベッドに入るしかないじゃないですか。それが一番平和じゃないですか」


「で、でもでも……っ! ま、マスターがそれで良いというかは……!」


「言わせますから大丈夫です。あたしがぐずれば一発ですもん。……それともおねーさん……あたしのお願い……だめ、ですか?」


「いや、そういうわけでは……!」


「……パパとママみたいに、両側からぎゅって、抱きしめてほしいんです」


「うぐ……っ!」


 卑怯です。シャリィちゃんってばすっごく卑怯です! そんな顔してお願いされたら、断れるはずないじゃないですかぁ!


「でもやっぱり、マスターもお疲れでしょうし、ゆっくり寝られないと……!」


「それです、おねーさん」


 シャリィちゃんは、その無邪気で純粋な笑みをさらに深くしました。


「もう営業時間は終わっています。喫茶店内でもありません。だからあたしはおにいちゃんって呼んでいます。……この意味、わかりますね?」


「……あぁっ!?」


 うへへ、と笑いながらシャリィちゃんはざばりと立ち上がりました。もうすっかりお風呂を堪能したのでしょう。


 あるいは──よほど楽しみなおもちゃを見つけたか、ですね。


「だからおねーさんも、マスターじゃなくて……『夢一ゆめひと』って、名前で呼んであげないと!」


 ぼっと真っ赤になった顔。かぁっと全身が熱くなる。


 にひひ、とシャリィちゃんに引っ張られ、ざばば、と音を立てて立ち上がる。


 めまいがしたのは、くらくらしたのは、果たしてのぼせたからなのか。


「あたしのお願い、聞いてくれますよね? ほんのささやかなお願いくらい、いいですよね? ……うへへ、あつあつ新婚さん夫婦に両側から抱き締めてもらって寝られるとか、これ以上ないくらい家族っぽい……! 長年の夢が叶うときが来ちゃいましたぁ……!」


 シャリィちゃんの言葉なんて、熱でやられた私には届いていませんでした。

【ファブる】 ラ行五段活用の動詞。ファブ○ーズを用いて消臭すること。転じて、消臭すること。


何が恐ろしいかって、Weblio英和・和英辞典に登録されてるんだよね。 to use Febrese だってさ。

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