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魔法使いとスタッフド・シャーベット

※ちょっとおしらせ


 明日12月17日に【スウィートドリームファクトリー】が発売します! 何卒よろしくお願いしまぁぁす!


 ついついスキップしそうになる──よく聞く慣用表現ですが、果たしてこれの本当の意味を理解している人はどれだけいるのでしょうか。実際、私も少し前までこれはただのたとえであり、本当にスキップしそうになることなんてありえないと思っていました。


「~♪」


 古都からすぐの森の奥。これと言って特徴が無く、冒険者から見るとほとんど旨味の無いただの森。森林浴やちょっとしたお散歩ならできるでしょうが、魔獣が闊歩するため一般人が歩くには少々不向きな、どこにでもある森。


 そんな森の中を、私はスキップをしそうなくらい上機嫌に歩いていました。


 あそこに向かうこの道を歩いているだけでこんなにうれしくなるなんて、誰が想像したことでしょう。足取りは自然と軽くなり、気づかないうちに鼻歌を歌っていました。子供みたいに杖をゆらゆらと揺らし、にこにことした顔をしているのが自分でもわかります。


「……ふふっ!」


 瞼を閉じれば、そこには優しくにこにこと笑いかけてくれる彼がいます。彼が作る甘ぁいお菓子も好きだけれど、たとえそれが無かったとしても、私は彼に会うためだけにあの喫茶店に通い続けることでしょう。


 ルンルン気分で歩いていると、やがてメルヘンチックな建物が見えてきました。この森の中に場違いにぽつんと建っていて、まるで夢の絵本の中に迷い込んでしまったかのよう。ああ、初めて来たときは悪魔の幻覚魔法と思ったりもしたっけ。


「……よし!」


 髪をパパッと手櫛で直し、服の乱れもチェックして。最後に汗臭くないことを確認して──この時期はこれが一番重要なんです──私はその夢の世界への扉を開けました。


 カランカラン。


 涼やかなベルの音。顔を撫でるあまぁい香り。そして、一息遅れて──


「ようこそ、《スウィートドリームファクトリー》へ。 ……ふふ、おねえさんも一度言ってみたかったんだよね」


 ……あれ?


「……もう、そんな露骨にがっかりした顔しないでよね? いくらおねえさんでもさすがに傷つくよ?」


「あ、いえ……」


 蜂蜜色の髪。暑そうなもこもこの毛皮鎧。女の私でも思わず見とれてしまうくらいグラマラスな獣使いの女性──ミスティさんが、汗を一筋かきながらグラスウルフのラズちゃんの頭を撫でていました。


「あ、あの、マスターは?」


「んー? さっきまでバルダスと柔道の稽古してたよ。今はちょうど後片付けとか着替えとかしてる頃合いかな?」


「なるほど……」


 この喫茶店、《スウィートドリームファクトリー》は冒険者クランとしての顔もあります。私たち常連はみんなこのクランに所属し、情報を共有したり依頼を一緒に達成したりしています。もちろん、クランメンバーであるマスターとバルダスさんが一緒に稽古することには何の不自然もありません。


 ですが……。


「なんでミスティさんが店番なんてしてるんです?」


 これは由々しき事態です。だってこういう時、普段はシャリィちゃんが店番をしているじゃないですか。それに私だってバイトこそしたものの、このお店の店番を頼まれたことなんてありません。


 つまり、ミスティさんが強引にこのポストに就いた可能性は決してゼロではないのです! そんなの絶対ずるいに決まっています!


「あっはっは! もう、そんなわかりやすくむくれないでよ!」


「むぅ……」


 いつの間にか膨らんでいたほっぺ。ミスティさんはニヤニヤと笑い、私のほっぺをむにむにと揉んできました。


 ……隙を見て噛みついても許されますよね?


「別に大したことじゃないんだ。おねえさん、バルダスの稽古を見学していてね。その時はシャリィちゃんが店番してたんだけど、シャリィちゃんは片付けの手伝いやら店の手伝いやらするからって一瞬だけ任されたんだ」


 その言葉は事実だったのでしょう。まさにミスティさんが言い終わったタイミングで、奥の扉が開き──そして、片時も頭を離れなかった彼の漆黒の瞳が目に飛び込んできました。


「おや、アミルさん。ようこそ、《スウィートドリームファクトリー》へ。……すみません、バタバタしていてお出迎え出来ませんでした」


 申し訳なさそうに言うマスター。その顔を見ただけなのに堪らなく幸せな気持ちになって、頭がぼうっとしてしまいます。慌てて準備をしてきたのか、ほんのちょっとだけ乱れている服装もどこかオシャレに見えました。


「いえいえ。私とマスターの仲じゃないですか」


「はは、そう言ってもらえると助かります」


 にこにことほほ笑むマスター。シャワーでも浴びてきたのでしょうか、ほんのりといい香りがします。ちょっぴり濡れた髪がいつもと違う雰囲気を放っていて、見ているだけでどきどきしてきます。お稽古を頑張っていたのか、腕まくりしたそこは少し赤くなっていますが、いかにも男の人! って感じのギャップがまた堪らないです。


「……」


「……アミルさん?」


 それにほらほら、こういうところです……!


 この、何気なくこちらの瞳を覗き込んでにこって微笑んでくれるところ! ちょっと照れているところが最高です! 私の顔も真っ赤になっているでしょうが、この瞬間だけは私だけがマスターの漆黒の瞳の中にいると思うと、もう周りが何も見えなくなって……!


「……なぁ、出入り口でナチュラルにいちゃつくのはやめてくれねぇか? いや、その、それ以外の場所で、二人きりの時なら存分にいちゃついてくれていいからよ」


「「!?」」


 マスターの後ろにぬうっと現れた大きな影。とてもとてもたくましい筋骨隆々の体。腕なんてまるで丸太の様な──拳闘士のバルダスさんが困った様に呟きました。


「おら、どいたどいた。さっきまでは稽古相手だったが、今からオレは客になるからな? 頼むから客の目の前でいちゃつくようなことはしてくれるなよ?」


「いいい、いちゃついてなんていませんってば! バルダスさん、僕がお客さんをないがしろにするような人だと……!」


 慌てたように言葉を取り繕うマスター。なんだかいつもとちょっと口調が違うような気がするのは気のせいでしょうか。ひょっとして、稽古試合で負けて拗ねてたりするのでしょうか。それとも、単純にバルダスさんとより仲良くなっただけでしょうか。


 ……なんか、それはそれでもやっとします。私、未だに初めて会った時の口調と変わっていないのに。


「……そういえば私、一回ないがしろにされました」


「ごめんなさい。ホントあのときはごめんなさい」


 ええ、忘れもしません。ちゃんと約束したのに、マスターってば私に”びわ”を食べさせてくれなかったんですよね。しかもレイクさんだけは食べていて、私に出すのは忘れていたっていうのだから驚きです。


「どうしましょうかねぇ……悪い子なマスターにはきちんとお仕置きしないといけませんよねぇ……?」


「えええ……ちゃんとあの後約束通りたくさんサービスしたじゃないですか……」


「私とマスターの仲ですよ? 果たしてあれはサービスだったと言えるのでしょうか? 常連さんならいつも通りのことじゃないのでしょうか?」


 そんなぁ、としょぼんとするマスター。普段通りの会話も楽しいですが、たまにはこういうのも面白いですね。もちろん、お互いに冗談だとわかりきっているので本気で言っているわけじゃないですけれども……本当になにかサービスとかしてくれないかなぁ?


「見ろ、ミスティ。言った傍からいちゃついてやがる。最初に見たときはもっと大人しい奴だと思ったんだが、今じゃ見る影もねぇな」


「すごいよね、バルダスとの会話の流れを強引に自分に持って来て、そのまま二人の世界に没頭するんだもの。おねえさんも強欲な方だけど、さすがにここまでは出来ないかなぁ……おねえさんたちも見せつけちゃおっか?」


「おいコラふざけんな。くっつくな。ひっつくな。お前のもこもこ、暑苦しいんだよ!」


「やーん、バルダスってばいけずー♪」


「……」


 バルダスさんの腕にひっつくミスティさんを見て、一周回って冷静になれました。もしかして私も、傍から見るとこんな風だったのでしょうか。いやでも、さすがにここまでアレな感じじゃない……よね?


「と、とりあえず座りましょう! ほら、ミスティさんもバルダスさんから離れて!」


「ぶぅー……なんだよもぉ……おねえさんだってたまにはいちゃいちゃしたいんだよ?」


「たまにはもクソもねえだろ?」


 ちょっと子供っぽくなったミスティさんをなんとかなだめ、ようやく席に着くことが出来ました。いつのまにやらマスターもにこにこ笑顔に戻っていて、注文を聞く体勢はばっちりです。私たちのやりとりに飽き飽きしていたのか、ラズちゃんはぺとっと床におなかを付けてスヤスヤと寝入っておりました。


「それではみなさん、ご注文は?」


 来ました。とっても悩ましい質問が来ました。


 お気に入りの逸品を頼むのもいいですし、まだ見ぬオススメを注文するのも捨てがたいです。メニューの中から頭を悩ませつつ選びたくもありますし、マスターの気分で選んでもらいたくもあります。


「とりあえずいつものだろ? あとはどうすっかなぁ……」


「うーん……おねえさんもこれ! って決める気分じゃないんだよね」


 バルダスさんとミスティさんはうんうんと唸っています。ここで私も『いつもの!』と言いたいところではありますが、残念ながらいつも違うのを頼んでいるために言えないんですよね。いずれ一回くらいは言ってみたいものです。


「……どこかの誰かのせいで暑苦しくなったから、なんか冷たいものにしてくれねぇか? こう、腹の底から冷やしてくれるようなやつだ。そういうの、あるだろ?」


「もちろん。……というか、実はそのつもりで準備していたんですよ」


 さすがはマスターです。どうやら最初からすべてお見通しのようでした。当然のごとく私とミスティさんも同じものを注文すると、彼はぺこりと一礼をして奥へと歩いてきます。どうやら今日は気分じゃないのか、オルゴールは鳴らしてくれませんでしたね。あれを聞くの、すっごく好きなんだけどなぁ……。


「……」


 そして訪れる一瞬の間。ミスティさんがぷくっと口を膨らませ、じとっとバルダスさんを睨みながら言いました。


「なんだよもぉ……おねえさんへの当てつけかよぉ……。獣使いなんだから、毛皮鎧を装備するのはしょうがないことなんだよぉ……」


 ミスティさんは獣使いとしてもこもこの毛皮鎧を着ています。前々から獣使いの方はみんなもこもこの毛皮鎧を着ているので不思議に思っていたのですが、実はこれ、ちゃんとした理由があるって話なんですよね。


 なんでも、獣と同じく毛皮を纏うことで、さらにはそれに自らの汗、すなわち匂いを付けることで獣に対して自分も獣だとアピールし、調教しやすくしているのだとか。フェロモンがどうとか難しい話もあるみたいですけれども、とりあえず毛皮と汗が重要だって話を聞いたことがあります。


「んなこと言っても、暑いものは暑いんだ。それに、だからといってお前がオレにひっついていい理由にはならねえだろうが」


「……ミスティさん、もしかしたらバルダスさんは照れているのかもしれませんよ? 『暑くなった』っていうのはほら、そういうことですってば!」


「ええっ!? そうなの!? おねえさん、実はすごく意識されちゃってるの!?」


 にんまりと嬉しそうに笑うミスティさん。こころなし、最近ちょっと子供っぽくなってきた……というか、最初にあったオトナなイメージが崩れて可愛くなってきたような気がします。


 ……ぺろりとくちびるを舐めるところだけは、本物の獣のようで背筋がぞくりとしますけれど。


「ええい、この色ボケ女ども! いいか、オレが暑いっつったのは、目の前でいちゃいちゃいちゃいちゃしているお前のことも皮肉ってんだぞ!」


「やーん、バルダスが怒ったぁ……!」


「うぇぇ、おじさん、怖いですよぅ……!」


 ふざけてミスティさんと抱き合います。隣に座っているからこそできる芸当です。……悔しいですけど、本当にミスティさんってば大きいですよね。エリィと抱き合ったときとは別格の柔らかさがあります。


「おねーさんたち、その辺にしておきましょうねー?」


 そろそろまじめになろうかと思ったちょうどそのとき、厨房の奥からシャリィちゃんとマスターがやってきました。お盆の上にはお皿が載っていて、そこにある”それ”から白い冷気が出ているのがぼんやりとわかります。


「お待たせしました。《スタッフド・シャーベット》です」


 ことりと置かれたそれ。これはもう、どう見ても──


「キウイ、だな」


「キウイ、だね」


「キウイ、ですね」


 見た目はどこからどう見てもキウイです。日常的に食べられるってわけじゃありませんが、古都でも普通に食べることが出来るキウイです。


 ただし、このキウイは普通のキウイと決定的に違うところがあります。そう、既にかちんこちんに凍っているのです。毛の生えた茶色い皮には白い霜がうっすらと張っていて、まさにここだけに冬が訪れたかのようでした。


 さらにさらにこのキウイ、すでに中身が見えています。シルエットそのものはもぎたてキウイそのものだというのに、です。


 何と言えばいいのでしょうか……。卵型のそれの上の部分だけを切り取ったそこから、凍って霜のようになった黄緑色の果実が顔をのぞかせているのです。切り取ったそれを載せてやれば、きっと帽子のように見えることでしょう。


「大層な名前だが、要は凍ったキウイってことか?」


「それは食べてからのお楽しみってやつですよ! ちなみに、おじさんやマスターがおねーさんたちとずぅ~っといちゃいちゃいちゃいちゃしている間にあたしの魔法で凍らせて最終的な仕上げをしました!」


「「……」」


「ええ、ええ! 本当はもっと早くにもっていきたかったんですけれどね! タイミングがつかめませんでしたとも! 見ての通り氷菓子ですから、ちゃあんと頭も冷えると思いますよ!」


 シャリィちゃん、こわい。顔は笑っているのに言葉が冷たいです。


「ううう……あたしも盗賊のおにーさんといちゃいちゃしたいですよぉ……!」


 私とミスティさんの間に入ってきながら、シャリィちゃんはくすんと鼻を鳴らしました。私たちが『いちゃいちゃ』しているのを見て、ついついレイクさんのことを思い出してしまったそうです。……もしかして私、思った以上にふざけていたのでしょうか?


「……ま、まぁそれはいいとして。溶けてしまうので、早めにお召し上がりになってくださいね」


「もちろん」


 マスターに促され、私はスプーンを手に取りました。凍った果実は予想に反し、ざくっとした手応えを返しながらも大きな抵抗もなく掬うことが出来ます。どうやらただ単純に凍らせただけというわけではないようです。


 私の目の前でキラキラと輝きながら冷気を放つそれ。そのすべてを逃がさないとばかりに、私はそれを口に入れました。



 舌先に感じる冷たさ。


 香り高い冷気。


 目を見張る様な甘酸っぱさ。



 ああ、やっぱりこれも、今日もまた──



「おいしい……!」


「それはよかった」


 口の中の冷たい甘さが、全身に染み渡っていきました。



 ”すたっふど・しゃーべっと”は文字通りの氷菓です。凍ったキウイの果実はそのひんやりとした、冷たい甘さとでも形容すべきそれを口の中いっぱいに広がらせていきます。じわっと溶けてなくなっていく感覚は、他のお菓子ではなかなか味わえないものでしょう。


 重要なのは、この絶妙な凍り具合です。もしこれがただの大きな氷──それでさえこの喫茶店のお水くらいでしかみませんが──なら、こんなふうに口の中で溶けることなどまずありえません。もっとこう、存在を主張しながらゆっくりじっくり溶けていきます。


 ですが、これは違います。ざくざくとしている食感と見せかけて、すんなりと優しく溶けて広がっていくのです。そのキウイの甘酸っぱさを、余すところなく満遍なく伝えてくれるのです。


 繰り返しになりますが、ただキウイを凍らせただけではこんなふうにはならないでしょう。よくよく見れば、キウイ特有の中心の白い部分や細かな種もほとんど見当たりません。果肉そのものが凍ったというよりかは、これは……。


「おもしろいよね、これ。果物そのものが器も兼ねているなんて、なかなかシャレてるじゃないか」


 はっと、ミスティさんの言葉で気が付きました。


 何気なく、そう、まさに無意識でやっていましたが、私はその凍ったキウイを器として使っているのです。キウイの毛のちくちくとした感じが冷気と共に左手に伝わり、ほんのちょっとずつ濡れていくのがわかります。スプーンを持っている右手と器を握りしめている左手とでは夏と冬がバラバラに来たかのようで、このちぐはぐな感じがちょっと面白いです。


 ずっと持っていると手が冷たくなってしまいますが、この暑い今の時期なら、逆に結構気持ちよかったりする……かも?


「器として使ってるってのも不思議だが、この……なんだ? 味はキウイなのに、食感が全然違ぇな」


 そう、それです。私が言いたいのはそういうことなのです。


 普通、キウイっていったらオレンジほどじゃないけれど瑞々しくて、どちらかというと滑らかな印象を受けるじゃないですか。それが凍ったのならば、もっとこう、ガツンとした歯触りになると思うんですけれど、全然そんなことありません。


 この、きめ細やかな氷がもたらすしゃくしゃく感。あっという間に口に広がり、後にはキウイの甘酸っぱさしか残さない爽快感。体の中から冷えてきて、止めようにも止められない中毒性。


 間違いないです。これは決して果実を凍らせたものじゃありません。


 これは……果汁を凍らせたもの、ですね。


 ちらり、と答え合わせの意味を込めてマスターを見つめます。彼は、私だけにわかるようにぱちりとウィンクしてくれました。


「これはですね、キウイの果実を裏ごししたりして果汁を集め、それにシロップなんかを加えて凍らせ、砕き、凍らせ……って繰り返したものなんですよ。凍った果実のような見た目をしていますが、分類としては《かき氷》や《グラニテ》のそれと一緒ですね」


 ほらほら、やっぱり大当たり。こう見えて私、クランの中でも一番の常連さんですし、売り子さんだって務めたことがあるんですからね! この程度、楽勝ですとも!


「ああ! そう言われるとしっくりくるな! “ぐらにて”ってのは食いっぱぐれたが、そうか、こいつが……!」


「へぇ……おねえさん、“あいすきゃんでー”しか食べたことないからよくわかんないけど……。おねえさんほど冷たいお菓子を望んでいる人はいないってのに、なぜか致命的にタイミングが悪かったんだよねぇ……」


 バルダスさんとミスティさんは感心しています。もちろん、その間もスプーンを持つ手は止まっていません。しゃくしゃくと小気味の良い音を立てながら、せっせとその冷たい緑の宝石の採掘作業に勤しんでおりました。


「でもでも、マスター」


「はいはい、アミルさん?」


「だとすると、それらとの違いって何なのですか?」


 “かきごおり”との違いはなんとなく分かります。あれは普通の氷を思いっきり削って甘いシロップをかけただだけの代物です。無論、あれほど夏の暑さにぴったりなお菓子はないと言えるほど素晴らしいものなのですが、単純にお菓子として見たらそこまで高尚って程でもないと思います。


 ですが、“ぐらにて”はジュース等を何度も凍らせたり砕いたりをして作るもの……と聞きました。この前の護衛依頼の時、そうやってシャリィちゃんたちがボール遊びを兼ねて作ったのだとエリィが言ってたんですよね。そしてそれはまさしく、先程マスターが語った作り方と合致しています。


「実は僕も厳密な定義までは知らないのですが……《グラニテ》と《シャーベット》では材料がちょっと違ったりするみたいです。あと、《シャーベット》のほうが歯触りがしゃくしゃくしているって言われていますね」


「それよりおねーさん! この《スタッフド・シャーベット》の最大の特徴は、見ての通り果物そのものを器としているところなんですよ! 調理するときに慎重に中身をくりぬいて、後から《シャーベット》を詰めることでステキなおちゃめ心を演出しているんです! なんかこう、可愛いと思いませんか?」


「……たしかに!」


 言われてハッと気づきます。


 きらきらと溶けながら輝く、ぎゅうぎゅうに詰められた緑の宝石。冬の芸術作品のような美しさもあるのですが、よくよく見たら……大きなコートから顔を出す子供みたいでちょっとかわいい……かも?


「……バルダスさん、わかります?」


「一生かかっても理解できそうにねえな」


「えー? 結構可愛くない? ……って言いたいところだけれど、残念ながらおねえさんもそこはちょっとわからないや」


 愛おしさを感じながら、すっとスプーンを入れます。ひんやりとした感覚が唇に、舌に、喉の奥へと伝わって、暑くなった体を、ぼうっとしてきた頭を優しく撫でていきました。


 口の中で溶け行く冷たい氷は、華やかで踊りだしたくなるような甘酸っぱさを振りまいてくれます。鼻に抜けていくキウイのフレッシュな香が、気分をすっきりとさせてくれてます。


 じわじわと溶けていく氷の感覚。しゃくしゃくとした優しい氷の音。


 しっかり凍っているところも、ちょっと溶けて水っぽくなっているところも。スプーンを入れる度に新しい発見があります。


 きんきんに冷やされる舌先。感覚を失いつつあるそこに、キウイの刺激的な甘さがガツンと来た時の感動と言ったら!


「……!」


 ああ、出来るなら。出来ることなら灼熱の太陽の下でこれを食べたい。この穏やかでゆったりとした空間で食べるのもいいけれど、やっぱり氷菓は髪が貼りつくくらいに汗をかいた……存分に体を動かした後の野外で食べるのが最高だと思います。


「これさ、すぐには飲み込まないで、口の中で溶けるのを待って……ジュースみたいにするのもちょっと面白くない?」


「そうかぁ? むしろ思いっきり口に含んで、中でガッと圧縮して、思う存分かみ砕いたほうが気持ちいいんだが」


「あたしはもこもこのおねーさん派ですね! その方がいろんな食感を楽しめますし、それにあたしのお口はちっちゃいですから!」


 にこにこ笑いながら“すたっふど・しゃーべっと”を頬張るシャリィちゃん。リスのようにほっぺを膨らませているのがとても微笑ましいです。もし私がレイクさんだったのなら、きっとそのままほっぺをむにむにしていたことでしょう。……さすがにお食事中はやりませんけどね。


「……あ」


 左手に感じる冷気は弱くなり、かちかちだったそれはすでに水っぽく、ふにゃんとしていました。否応でも終わりを感じざるを得ないその雰囲気に、私の心は少しだけ寂しくなります。


 冷たいお菓子は、溶けてしまうから寂しいです。ずっとずっと、もっと長くゆっくり楽しみたいのに。強烈な印象だけ与えて、すぐにいなくなってしまうからずるいです。


「あー……しょうがないことだけど、ずっと握ってるから溶けるのも早いね」


「ええ。でも、このちょっと儚いところも他のお菓子にない魅力……かもしれませんよ?」


 にこりと笑いながらマスターは語ってくれました。その言葉を聞いて、自分の目の前がぱあっと明るくなった気がします。


 ええ、そうですよ。物事なんでも、ポジティブに考えるべきですよね。


「にしても、なんだかんだでちょっと食いづらいよな、こいつ。小さいし物が物だからかき出しづらい」


「それはおじさんのおててがおっきすぎるだけですよー。あたしの可愛いおててなら、ほら、ちょうどいいかんじにぴったり!」


 バルダスさんは大きな手をしているからか、スプーンを使って細かい作業をするのが苦手なようですね。最後のほうを食べるのにかなり苦労しています。上を向き、器でもあるそれを口の上まで持って来て、底をデコピンで突いて最後に残ったそれをうまく食べようと頑張っていますが……なんとももどかしそうです。


 逆にシャリィちゃんは年相応の小さな手をしているから、問題なくキウイの底の“しゃーべっと”をかき出すことが出来ています。ちょっぴり手についてしまったそれを、こっそりぺろりと舐めるところとか、思わず胸がきゅんとしてしまいそうです。


 もちろん、私もミスティさんも問題ないです。そりゃあ、シャリィちゃんに比べればちょっとはやりづらいですけれども……。


「悪ぃな、ゴツくて可愛くない手で」


「あたしはそんなおじさんのおててが大好きですよ♪」 


「……どうしよう、おねえさんの手、古傷だらけなんだけど。ちょっと洒落にならないくらいラズの噛み跡残ってるんだけど」


 ちょっと物憂げにつぶやくミスティさん。言われてみれば、ミスティさんの手には少なくない数の古傷があったりします。普通にしている分にはまず気付かないものではありますが、じっと見たらはっきりとわかるくらいのものです。


「んなもん気にするんじゃねえよ。冒険者なら普通だろうが。それに拳闘士なら拳の傷は勲章だ。だからお前のそれも、獣使いとしての勲章だろ?」


「……なんか、ありがとね」


 バルダスさんがそっぽを向きながら最後の一口を食べ終えます。あれだけしっかり体が冷えたのに、また少しだけ、ほんのちょっとだけ何かが熱くなった気がしました。







「……ふぅ、とってもおいしかったです!」


 そして訪れる食後のひと時。大いなる満足感と幸福感、それにちょびっとの寂しさが混じった何とも言えない余韻。お菓子を食べている間は確かに幸せですが、食べ終わった後の充足感が得られるこの時間もまた、私は大好きです。


「お気に召していただけたようでなによりです。暑いときはやっぱり、冷たいものに限りますよね」


 ささっと私たちの前からそれを片付けたマスターは、にこにこと笑いながら語りました。


「みなさんがこうして嬉しそうにしている姿を見ると、僕としても本当に嬉しくなってきます。料理人の端くれとして冥利に尽きる瞬間ですね」


「おいおい、どうしたんだよマスター? いきなり改まっちまって」


「いえ、別に深い意味があるわけじゃないんですが……なんとなく?」


「なんだ、実はマスターも暑さでおかしくなってたりするのかい? 運動した後だし、おまけに一人だけ食べていないじゃないか」


「いやぁ……暑いのは事実ですし、食べたいのもやまやまなんですが、仮にも店員とお客さんの関係なので……」


「もう、マスターってば水臭い。私たちとマスターの仲じゃないですか」


 何気ない食後の団欒。心落ち着くゆったりとした会話。だというのに、その後にミスティさんが放った一言で私は驚愕の渦に飲み込まれました。


「そうだよ。もう一つ屋根の下で過ごした仲じゃないか」


「「……え゛っ?」」


 いまみすてぃさんなんていいました?


「おねえさん、こないだお泊まりしちゃったし? まぁ、エリィも一緒だったけどさ。……あれ、もしかしてアミル、知らなかった? ……泊まったこと、なかったの?」


 泊まった事なんて、あるはずがありません。いつも日が沈む前には喫茶店を後にしています。だってだって、マスターはガッコウの宿題とかでも忙しいって聞きましたし、仕込みだとかお掃除だとかもありますし、そもそもお泊まりしていい口実が……!


「ま、マスター……?」


「ご、誤解です! こないだミスティさんとエリィさんがじいさんと夜通し酒盛りしていたってだけです! 僕は一切関与していません! むしろ、未成年だからって追い出されました!」


「はぁ!? 酒盛り!? おいマスター、ここそんなこともできるのか!? 聞いてねえぞ!」


 別の所から上がった大きな声。どういうことだ、とバルダスさんは鼻息を荒くしてマスターに詰め寄ります。


 そりゃそうです。お酒も宴会も大好きなバルダスさんが、ないがしろにされてしまったのですから。そのとっても楽しい最高のひと時を、知らされずにいたのですから。そんなのずるい……と私だったら思うことでしょう。というか、現在進行形でそう思っています。


 そんなことよりも、です。


「マスタぁ……私もお泊まりしたいですぅ……!」


 ずるいです。すっごくすっごくずるいです!


 どうしてエリィとミスティさんだけそんなおいしい体験しているんですか! ここ、宿屋も兼ねているなんて一言も言っていなかったのに!


「い、いえ、だからその、突発的に飲み始めてそのまま明け方まで騒いでいただけらしいので……!」


「んー? おねえさんもエリィも、夜遅くに潰れちゃったよ? 気付いたら武道場で、エリィと一緒にふかふかのお布団の中だったや。……いやぁ、朝餉に飲んだ貝のスープ、すっごくおいしかったっけなあ……!」


「……完全に宿屋じゃないですか」


「だな。それも結構上等な」


「あんの嘘吐きジジイ……! 僕に黙ってそんなことまで……!」


 ずるいです。すっごくすっごくずるいです!


 私、またしてもないがしろにされちゃったじゃないですか! これはもう、許すまじ、です!


「マスター、今から合気道のお稽古をしましょう。それはもう、全力で。私、ちょうどいま気力に満ち溢れているんです。マスターが作ってくれた“すたっふど・しゃーべっと”のおかげですね」


「……あ、アミルさん?」


「ああ、でも、そうしたら疲れて古都まで戻れなくなっちゃいます。いくらなんでも、疲弊した状態で魔獣が闊歩する森を歩くのは危険すぎます。……でも、ここはお泊まり出来るんですよね? 何の心配もありませんよね?」


「……あ、あの?」


「さぁ、マスター。お稽古しましょう。マスターもおいしい“すたっふど・しゃーべっと”を食べたいんでしょう? ちょうどいいじゃあないですか。いい汗流しましょうよ」


「わぁ! 今日はおねーさんがお泊まりしてくれるんですね!」


「ええ! 一緒に寝ましょうね、シャリィちゃん!」


 ひしっと抱き付いてくるシャリィちゃん。彼女さえ味方にしてしまえば、もう怖いものはありません。なにせ、この喫茶店のヒエラルキーの頂点にいるであろうおじいさんは、シャリィちゃんにはものすごく甘いのですから。


 それにそれに、私がシャリィちゃんと遊ぶのにどんな問題があるというのでしょう? お友達の家にお泊まりすることに、何の不思議があるのでしょう?


 そう、これは決して不自然な事ではありません。いたって普通のことなんですから!


「ほ、本気ですか……?」


「……ばか」


 ……もう、どうしてそういうことを言うのかなぁ? 本気でなかったら、こんなこと、冗談でだって言えないのに。


「へぇぇ……! なんだいなんだい、すっごくおもしろいことになりそうじゃないか! おねえさん、ちょっとこの後の展開が楽しみだよ!」


「おう、ついでにオレとも稽古しようぜ。なぁに、ちょっと全力でブン投げて、そのあと仲良く酒盛りするだけだ。な、簡単だろ?」


「だーめ。バルダスはおねえさんと一緒に帰ろうね? お邪魔虫は退散するに限るよ?」


「おい! ミスティ!」


「うるさいな。……あれを見てもまだそう言えるかい?」


「ひっ」


 おかしいですね。なんでバルダスさんは私を見てあんな声を出したのでしょう? 私は普通に笑っているだけだというのに。もしかしてバルダスさん、疲れているのでしょうか? ……ええ、きっとそうですね。だってマスターと稽古していたんですもの、疲れていないはずがありません。


「じゃーね、アミル。あとでこっそりおねえさんにいろいろ教えてくれるとうれしいな」


 バルダスさんをひっぱって喫茶店を後にするミスティさん。しっかりお金は机の上に置いてあります。そしてさりげなく、なんだかんだいいながらも寝ているラズちゃんを担いでいくあたり、バルダスさんって優しいと思います。


「……」


「……」


「きゃー! うちにおねーさんがお泊まりしに来るのって初めてですよね! これはもう、夕飯も豪華にしなきゃだし、とうとうあたしの一張羅のパジャマを出しちゃうときが来ちゃいました!」


 くるくるまわって喜びを全身で表すシャリィちゃん。それとは対照的に、先程とは打って変わって、私とマスターは奇妙な、どこか気恥ずかしい沈黙に包まれていました。


「……あの」


「さぁ、お稽古しましょう。まずはそれからです」


 マスターの手を取って、武道場への扉をくぐる。


 あれだけ冷えたはずなのに、体の芯から熱い。暑いじゃなくて熱い。




 このあといったいどうなるのか、この時の私には知る由もありませんでした。

 要はくりぬいた果物の中にシャーベットを詰め込んだ(stuffed)もの。キウイ以外にも、オレンジとかリンゴとか、贅沢にメロンやスイカであっても、詰め込んであればスタッフド・シャーベットです。


 なんで魔法使いのおねーさんがこれを食べることになったのかって? staff(長杖)とstuff(詰める)で『なんとなくアミルさんに食べてもらいたかったんです』……って台詞をマスターに言わせたかっただけだよ。入れられなかったけれど。


 昔食べたメロンの器のシャーベットが未だに忘れられない。もうずいぶんと見ていない気がするけれど、あれはまだ売っているのだろうか?

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