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剣士と弓士とカトル・カール


 思えば、私は小さいころからそんなに女らしくなかった。おままごともお人形遊びもほとんどしなかったし、どっちかっていうとエリオを引っ張って一緒に外を駆けまわったり木登りをして遊んでいたっけ。


 もちろん、冒険者になりたかったら剣の修行だってした。最初はそこらの棒きれを振り回して、たしか十歳を超えるくらいの時に木剣を持つことを許された。周りの女友達はオシャレやお化粧なんかに興味を持ち出して、さらには嫁入りの準備として家事や裁縫の腕を磨いていたけど、私はずっと剣を振っていた。


 知ってる? 普通の女の子ってね、指先に細かい傷がいっぱいあるものなの。少しでもオシャレな服を着ようと裁縫の腕を磨くから、練習するときに指先を針で刺しちゃうのよね。


 でも、私は指先の傷はほとんどなかった。代わりに手の平が豆だらけだった。……それに見合った実力がついたかどうかは、その、ちょっと疑わしいところがあるけれど。


「おー、おねーさんってば、いつのまにやらずいぶんとナイフ捌きが上手になりましたね!」


「あは、ホントに? 実は結構練習していたのよ!」


 いつもの森の、いつもの喫茶店。うっとりする甘ぁい香りが満ちるそこだけど、あたしがいるのはいつもとちょっと違う場所──奥の厨房だ。エプロン付けて、バンダナ付けて、いつぞやの約束を果たしてもらうべく、こうして調理補助を担当させてもらっている。


 あたしの隣にいるのは給仕服姿のシャリィちゃん。まだまだ十歳くらいの子供なのに、今のあたしよりもはるかに手際が良いし、ナイフの使い方も様になっている。梨の皮の剥き残しだって全然ないし、皮にはほとんど実が付いていない。どれもが均等な仕上がりになっている。


 やっぱりすごく様になっているというか……あたしがこれくらいの頃はもっと外でやんちゃしてたというか……なにかしら、決定的な実力差みたいのをひしひしと感じちゃうわよね。


「そーですよ! だって、この前フルーツポンチを作ったときはおねーさん、もっとその……」


「ヘタクソだった、でしょ?」


「やーん♪」


 つん、とシャリィちゃんのおでこを笑いながら突く。冒険者やっているとこういう戯れが全然できないのよね。シャリィちゃんみたいにかわいい子だって全然いないし。


 エリオをからかって遊ぶのは面白いけれど、やっぱりこういうふうな付き合いができる相手ってのも重要だと思うのよ。ああ、本当に今更だけど妹が欲しかったなぁ……。


「たしかに、ちょいと前までド素人だったとは思えないほど腕を上げたねェ。ちゃんと毎日じっくり練習しないと、こうはならないだろう」


 私たちのやり取りを笑って眺めていたおじーちゃんがほめてくれた。やっぱりおじーちゃんに褒めてもらえるとすっごくうれしい。なんでだろ、その道のプロの人ってのもそうなんだけど、とにかくなんか認められた―っ! って感じがするのよね。


 ……たまにちょっと甘えたくなるのは内緒だ。だってあたし、オトナだもん。さすがにシャリィちゃんみたいには出来ないって。


「これでも剣士ですからね! 刃物の扱いは負けられませんよ!」


「お前さんは長剣が得物だろうに……もしかして、短剣の魅力に目覚めたのかね? あれは扱いやすいし隠しやすいしで便利なんだよねェ」


「や、さすがにそこまでではないですけど……。同じ刃物だし、エリオよりかはうまく扱える自信がありますよ」


 扱いやすいはともかく、どうしてここで隠しやすい、なんて言葉が出てくるのかしら? それって間違いなく暗殺者の考え方だと思うんだけど。……深くは考えないことにしましょう。こんなに穏やかににこにこ笑うおじーちゃんに限って、まさか、ねえ?


「むむむ、それを言ったら逆説的に、おねーさんよりもナイフ捌きがうまいあたしは凄腕の剣士になれるってことに……!」


 シャリィちゃんが頭をこてんって傾けて悩ましい表情をしている。普段は性格的に大人っぽいシャリィちゃんだけど、こういうふとしたところで見せる子供らしさがすっごく可愛い。思わずぎゅっと抱きしめたくなっちゃうわよね!


「なぁに? もしかしてシャリィちゃん、冒険者になりたいの? 長剣を扱うなら、あたしでよければ教えてあげるわよ!」


 言ってから気づく。あたしはまだまだ低級で、学ぶ側だ。ついでにこの《スウィートドリームファクトリー》──クランとしての、だ──には、あたし以外にも元騎士のセインさんが長剣を使う。習うならそっちからのほうが絶対に良い。


 しかも! ここにはこのおじーちゃんがいるじゃない! 木剣で真剣と渡り合える実力者、しかもたぶん教えるのもすごく上手な人がいるのに、あたしなんかが教師を務まるはずがなかったわよね。


「お誘いはうれしいですけど、あたしはこうしてマスターのお手伝いをするのが夢であり目標ですから! ……それに、やっぱりあたしには短剣(ナイフ)のほうが手になじみます。でも、もうそういう用途で使いたくはないんですよ」


「……え? それって──」


「はいな、これでようやく皮むきは全部終わりだ。練習のためとはいえ、手伝ってくれてありがとうね」


 シャリィちゃんの顔に一瞬影が差す。またなにかやっちゃったか……って思った瞬間、おじーちゃんが明るい声を出してその場をさっと水に流した。


 ううん……。これってやっぱり、触れないほうがいい話題ってやつよね……。気になるけど、気にしないことにしましょう。


「おまたせしました……あれ、なにかありました?」


「んーん。なんでもないよ、マスター!」


 ちょうどいいタイミングでマスターが厨房に戻ってきた。当然だけど、マスターはクランとしてのマスターでもあるけれど、普通に喫茶店としてのマスターをメインとしている。だから、お客さんとしてのあたしたち──今日はあたしとエリオ以外にリュリュさんとレイクさんが来ている──の相手もしなきゃいけなかったのよね。


「ねえマスター、リュリュさんたちは何を頼んだの?」


「えーと、まずは飲み物ですけど、レイクさんがいつもの……クリームソーダで、リュリュさんもいつもの……なんだけどリュリュさんはいつも毎回違うものを頼んでいて、エリオさんはハンナさんに任せるって」


「リュリュは変なところで見栄っ張りだからねェ。おおかた、自分も通ぶってみたかったんだろう」


「おねーさんってば、可愛いですよね!」


 リュリュさん、ずるい。クールなのにこういうところで可愛いんだもん。あたしもこれだけの素直さとかわいらしさを出すことが出来たらなぁ……。


「まぁ、飲み物は私が適当に用意するさ。エリオのもそれでいいかね?」


「うんっ! ……それでマスター、お菓子のほうはどうなの?」


 そう、肝心なのはそれだ。あたしは今日、料理の勉強としてマスターが受けた注文のお菓子を一緒に作ることになっている。あくまで手伝い程度とはいえ、とても普通の料理とは想像できない調理法ばかり使うから、すっごく楽しみなのよ。


 もちろん、あたしが作ったのは全部エリオのお腹の中に行くんだけどね!


「それが……ハンナさんのことをみなさんに話したら、『じゃあ、ハンナの勉強になるやつで頼む』って。……ハンナさん、なにかこう、作ってみたいものとかありますか?」


 マスターが困った様に微笑んできた。


 うーん……作ってみたいものと言われても、どれも作ってみたいから正直困っちゃうのよね……。そもそもあたしが食べたことのあるお菓子なんて、きっとこの喫茶店のメニューのほんの一握りでしかないだろうし……。それに、リュリュさんたちだってどうせなら今までに食べたことないものを食べたいだろうし……あ、そうだ。


「ねえマスター?」


「なんでしょう?」


「計量器具を一切使わない、それでいて古都でも入手できる材料で出来るお菓子ってないかしら?」


 実はこれ、けっこう切実な問題だ。以前あたしたちは”ふれんちとーすと”の作り方を教えてもらったわけだけど、いざ実際に自分たちで作ってみるとなると、ここにあるような計量器具が無いものだから、全然うまくできないのよね。


 古都のどこを探してもこんな赤い線が規則的に入った器はなかったし……。お菓子ってとってもおいしいけど、どうも料理に比べてこの辺の分量がすごく厳密みたいなのよ。ガチガチパンを使ったとはいえ、何度失敗して味気ない”ふれんちとーすと”を食べる羽目になったことか。


 でもま、さすがにそんな都合のいいお菓子があるわけ──


「それでしたらちょうどいいのがありますよ。作り方も比較的単純ですし、今日はそれにしましょうか。おあつらえ向けに調理技法的にも次のステップです」


「あるの!?」


 あったみたい。にこにこ笑顔の眩しいマスターは、鼻歌なんか歌いながらそれの準備をし始めた。










「さて、本日のお菓子に使う材料はこちらとなっています」


 そう言ってマスターが用意したのは、小麦粉と砂糖と卵とバターだった。小麦粉なんて特に古都のものより質が良いけれど、どれも全部そこらへんで入手できるものではあるわね。……っていうか、前の”ふれんちとーすと”の時とほとんど同じじゃない?


「ねえマスター。これってそれぞれどれくらい用意すればいいの?」


「はは、それはまた後でのお楽しみってことで」


 いたずらっぽくマスターが笑った。ちょっとズルい。


 ……それにしても、本当にあまり代わり映えのしない材料よね。もしかして、お菓子ってこの四つさえあればだいたい何でも作れるのかな? 最近になってようやくマスターが作るお菓子にも慣れてきたし、なんとなくだけど元の材料もわかるようになってきたのよね。……あ、あと牛乳があれば完璧か。


「まずは材料の下準備からですね。今回は焼き菓子……ええと、要はケーキやパンみたいなやつを作るんですけれども、こちらがその型になります。これにバターを塗って粉を軽く振りましょう」


 バターを手に取り、金属の箱みたいなやつにしっかりと塗りこんでいく。食べ物をこんな風に扱うのってなんかちょっと新鮮で面白い……かも? こうしてみると、バターがバターじゃなくて新手の油か何かみたいに思えてくるから不思議よね。


 マスターに倣い、ちゃんと四隅にもしっかりと塗っていく。で、粉ふるいを使って上から軽くぱんぱんぱん! って粉をはたく。


 ……ところでこれ、いったい何をしているのかしら?


「あとできちんと型から取り出せるようにやってるんですよ。これそのものには調理的な意味はないですよ?」


「そうなの? なんかもったいないなあ」


「でもでもおねーさん、これをやっておかないと後で悲惨な目にあいますから! せっかく作ったのに取り出せなくてうまく食べられないって……どうです?」


「うん、それやだ」


 そう考えれば、バターと小麦粉をちょっと使うくらいどうってことないわよね。別に無駄なことしているわけじゃないんだし、それに取り出す時にしっかりバターを拭い取ってやれば問題ないはずだわ。


「また、バターと卵は常温に戻しておきます。特にバターはさっき型に塗った様に、ある程度柔らかくなっているくらいが理想です。まあ、作業している間にはそれなりにこなれることでしょう。今回はともかく、次回はその辺も気を付けてみてくださいね」


 ……そもそも、常温じゃない、冷えている卵やバターなんてここでくらいしか見られないんだけどね。マスターはまだまだその辺の認識が甘いと思う。そりゃあ、こういうのって保存するときは冷暗所って相場が決まっているけど……それにしたって【暑くない】ってだけで【冷えている】ってわけじゃないし。


「それでは実際の作業に入っていきましょう」


 とん、と私の前に置かれたのは程よく柔らかくなった上質のバターが入ったボウルだ。綺麗な銀色のボウルで、淡いヒヨコみたいな優しい色合いをしたバターの影をその曲面に映している。いちいち調理器具が豪華ですこし尻込みしそうになるけど、これもここしばらくの修練でだいぶ慣れてきた。


 一緒にあるのはどこにでもあるような普通の木べら。片手にしっくり馴染む様な大きさの、どの家庭にも一つはあるありふれたやつだ。


「マスター、これは?」


「はい、力いっぱいかき混ぜてください。練って練って練りまくって、これでもかというくらいに、バターの面影が無くなるまで練ってください」


「えっ」


 すごくいい笑顔。なんか思わずこっちがびっくりしちゃうくらいの、迷いのない瞳。


 ……これ、練るの? 本当に?


 ちょっと試しにやってみる。当たり前だけどバター……半固形だから手応えは限りなく重い。っていうか、木べらに引っ付いて思うように練ることができない。どっちかっていうと突いているだけって感じ。


「ハンナさん、手が止まってますよ?」


「……」


 ちらってマスターの手元を見る。がっしりとボウルを押さえ、猛然とした勢いでガシガシと練りまくっていた。優雅さの欠片もないし、想像していたようなスマートさもない。カンカンカンカン音が立っていて、まるで無理やり錠前を開けようと棒を鍵穴に突っ込んでひっかきまわしている盗賊みたい。


「ええー……」


「あたしも初めてこれ見たとき、ちょっと驚きましたよ……。お菓子ってもっとこう、エレガントかつロマンティックに作るものだと思ってたんですけどねぇ……」


 見よう見まねでバターを練る。木べらでめった刺しにして、ぐっちゃぐちゃに潰して、これでもか! えいや! って気合を入れて練りこんでいく。


 ……あっ、ちょ、これ、思った以上に力がいるんだけど……。なんかだんだん腕が疲れてきたんだけど……。


「お菓子作りって体力がいるんですよ」


「……これはこれで剣の修行になりそうな気がする」


 いったいどれだけ練っただろうか。やがて、少しだけ……ほんの少しだけ手応えが軽くなっていることに気づく。バターの色もどことなく明るさが増したような感じになってきて、なんとなく見た目も柔らかいものになってきていた。


「ねえマスター、これくらい?」


「まだまだ、ですね。もっとふわっふわで柔らかい感じですよ。クリーム状って言えばいいんでしょうか。空気を存分に含ませなくてはなりません」


「……そ、そんなに? これ、本当に”くりーむ”みたいになるの?」


「信じて手を動かしましょう。それしか道はありません」


 どうしよう。あたし、お菓子作りを完璧に舐めてたわ。


 カンカンカンカン音を立てて練り上げていく。ある程度できたところで途中で泡だて器に持ち替えた。それでもやっぱり手応えは固くて、腕はどんどん疲れていく。


「ぐ、ぐぬぬぬ……!」


「おねーさん、とてもお菓子を作っているとは思えないお顔になっているのですよ……!」


「うう、だってぇ……!」


 もういい加減腕が悲鳴を上げ、泣きべそをかきそうになったころ。ようやく手応えがそれっぽい感じになってきた。最初のころに比べると信じられないくらいに軽くなっている。


「……うん、こんなものですかね」


「お、終わったあ……!」


 終わったそれをマスターが泡だて器で軽く掬う。あんなに固かったはずのバターがその隙間からゆっくりとろりと流れ落ち、ちょっと積もって小さな跡を作った。


 どうしてマスターはこれだけの重労働をして顔色一つ変えていないのかしら? これが慣れってやつなのかしら? あたし、もう腕が上がりそうにないんだけど。


「では、これに小麦粉を混ぜていきましょう。小麦粉は必ず混ぜる直前にしっかりと振るっておきます。最低二回、念のため三回ふるっておけばまず問題ないでしょう。ふるった小麦粉は数回に分けて混ぜ込んでいきます」


 とんとんとん、とまずは粉を振るう。さっきまでバターをかき混ぜていたからか、なんだかすごく簡単な作業に思えるわ。粉ふるいがすごく軽く感じるの。息で飛ばさないように慎重にやって……よし、こんなものかしら。


 で、あとはバターを混ぜながら……片手を動かしながらゆっくり粉をバターと混ぜ合わせていく。一気にドバッて入れないように慎重に。


「あ、おねーさん、別に手を動かしながら入れなくても大丈夫ですよ? 要はしっかり混ざっていればいいんですから」


「そうなの?」


「ええ。分けて入れるのは一気に入れるとバターと粉がうまくなじんでくれないからなんです。ちょっとずつ入れることでしっかり全部混ざってくれるっていう寸法なんですよ!」


「ちなみに、粉を振るうのは小麦粉にもしっかり空気を含ませるために行います。一見変わらないように思えますが、やるとやらないとでは大違いなんですよ。粉のダマもとれますしね。ただ、振るってしばらくすると元に戻ってしまうので、こうして直前に振るうようにするわけです」


 やっぱり行動の一つ一つに意味があるのね。大衆食堂の料理……ごほん、あたしたちがいつも利用するような量だけが取り柄のところはもっと大雑把にやっているけど、さすがにそううまくはいかないか。


 ちょっとずつ雑談を挟みながらも、なんだかんだでバターと粉を混ぜていく。


 あは、なんかすっごくそれっぽくなってきたんじゃない? ”くりーむ”っぽさが増したというか……なんかすっごくお菓子だぞーっ! って感じがしているの!


「では次に、常温に戻した卵を別の容器に割りほぐして……ああ、こちらはバターほどしっかり泡立てる必要はありませんから安心してください。あくまで常識的な範囲内で」


 あからさまにほっとした顔をしたあたしを見て、マスターがにこにこ笑った。器用に片手で卵を割って、かちゃかちゃと解いていく。もちろん、あたしとシャリィちゃんは両手で割った。……うまく割れたことにホッとしたのは内緒だ。実はちょっと苦手なのよね。


 ……あれ?


「ねえ、マスター、それ……『じょうしきない』?」


「ええ、常識内ですよ」


「常識無い?」


 なんでかしら。あたしには、マスターがボウルをがっしり押さえて猛烈にしゃかしゃか泡だて器を動かしている様に見えるんだけど。卵の黄色みがすっかり薄くなって、”くりーむ”……ってほどじゃないにしろ、こう、卵自体がもったりしてとろとろになっている様に見えるんだけど。とてもただ混ぜたようには思えないんだけど。


「こちらもまた、空気をしっかりと含ませてやります。先程と同様に数回に分けて砂糖を混ぜますね。この独特の質感をよく覚えておいてください。これを専門の言葉……難しい言葉で【リュバン状】と言います」


 うん、覚えたわ。この死にかけのスライムを水で戻したような感じがリュバン状……ね。あたしの腕も死にそうなんだけど、もうどうすればいいのかしら?


 うう、やっぱりいくら冒険者と一般人とはいえ、プロと素人の違いってやつなのかしら。それとも、男と女の腕力の違いなのかしら。あくまでお菓子作りの腕前のはずなのに、あたしだけこうも疲れているのを見るとすっごく悔しく感じるわ……!


「まあまあ。卵と砂糖を混ぜ終わったら、最後に先程のバターと小麦粉を混ぜ合わせたものに加えて混ぜていくだけですから」


「その時も数回に分けてゆっくりやるの?」


「ええ。完全に混ぜ合わせる必要がありますからね。その後は艶が出るまで、生地が均質になるまでしっかり混ぜます。……しかし、今度は混ぜ過ぎは厳禁です。いえ、正確に言うとしっかり混ぜ合わせないといけないのですが、練ってはいけません」


「……」


「それが終わったらあとは生地を焼き上げるだけです。さあ、あと少しだけ頑張りましょう!」


 マスターはにこにこ笑っている。その言葉を信じるなら、あと少しでこのお菓子は完成するらしい。


 もう調理開始からだいぶ時間が経っている。エリオもレイクさんもリュリュさんも、きっとお腹を空かせていることだろう。泣き言なんて言ってられない……頑張らなきゃ。


「いいわ、やってやるわよ!」


「その意気ですよ、おねーさん!」


 あたしは気合を入れて、卵をしゃかしゃかする作業に戻った。






「おっ! ようやく来たな!」


「…いいにおい。もう待ちくたびれちゃった」


 それからだいぶ経った後。すでに片腕の限界を超えたあたしは、マスターに助けられながらも焼きたてほやほやのそれをみんなの元へと持っていくことが出来た。


 正直お菓子作りがここまで大変だとは思わなかったわ。なんか感慨深いっていうか、今まで以上にお菓子のありがたみってのを実感した気がする。


 マスターたち、毎回毎回こんな思いをしていたのかあ……。なんか、あんなに安いお値段で食べさせてもらうのが本当に申し訳なくなってくるわよね。


「わぁ! すっごく良い匂い! ねえ、これハンナが作ったの!?」


「もちろん! そりゃあ、マスターに手伝ってもらったところもあるけど、ほとんど一人でやったし、作り方もバッチリだわ!」


 エリオが私が持ったお皿の上にあるそれを見て目を輝かせている。なんかいつも以上にキラキラした瞳をしていて、ちょっと誇らしくて照れくさい。こうして自分が提供する側に立つってのもすごく楽しいし……なんだろ、ちょっとクセになる。


 さあ、あとはバシッと決め台詞を言うだけなんだから!


「ええと……お待たせしました! こちらは《カトル・カール》でございます!」


「……なんか、久しぶりに僕の台詞を盗られた気がする」


 宣言と同時にそれをエリオの前に置く。で、するりとその隣に座った。作るところまでやったんだし、さすがにもうお客さんに戻ってもいい……よね?


 レイクさんとリュリュさんの前にはマスターが作った”かとる・かーる”が置かれている。おじーちゃんの所にはシャリィちゃんが作った”かとる・かーる”だ。やっぱりというか、シャリィちゃんはおじーちゃんといっしょにそれを楽しむらしい。


「どうよ、すごいでしょ?」


 改めて”かとる・かーる”を見てみる。見た目的にはオシャレな小麦色のパンってかんじ。ただ、あたしたちがいつも食べているようなガチガチパンじゃなくて、マスターのところで食べられるふわふわパンのほうね。”けーき”に使われている”すぽんじ”と同じくらいふわふわで、これに”くりーむ”をかけてイチゴを乗せたらそのまま”しょーとけーき”として出せるくらいだと思う。


 とはいっても、今まで食べてきたお菓子に比べると華やかさと言う面ではちょっと劣っている……ううん、こういうのは落ち着いているっていうのよね。優しい色合いをしていて、柔らかな雰囲気で、暖かで心がぽかぽかするような、なんとなく上品な印象を受けるのよ。


 全体としてはそうねぇ……水筒と同じくらいの大きさの長方形ってところかしら? 一人で全部頬張るのは結構きつい……かも? ってかんじ。バルダスさんとかならともかく、少なくともあたしだったら全部食べたらお腹パンパンになっちゃうわ。


「…真ん中、割れてるんだね」


「なんかこれ、そういうものらしいですよ」


 リュリュさんが”かとる・かーる”の真ん中に走った割れ目を見る。あたしもよくわからないけれど、この小麦色の大地に走った地割れは”かとる・かーる”になくちゃいけないものらしい。昔っからそう相場が決まっているってマスターが教えてくれた。


「それじゃ、さっそく食べましょ!」


 さりげなくキープしておいたナイフを使ってそれを切り分ける。思った通り、それはふんわりと沈み込んでいく。手応えも軽い。ふわって甘ぁい香りが立つところも本当にすてき。なんかこう、食べてもいないのにすっごく幸せな気分になるわよね。


 ……あれ?


「……どしたの、エリオ?」


 せっかく気分良く切り分けていたのに、エリオはなぜかあたしを見て目を白黒させていた。


「いや……ハンナが切り分けてくれるなんて初めてだなって」


「……べ、別にそういう気分だったってだけよ!」


 言ってからいつも後悔する。あたし、どうしていつも素直になれないんだろう? 今のだって、こんな突っかかるような言い方なんてしなくても、笑って流せるものなのに……。何より、全くもってその通りだってのが無性に悲しくなってくる。


 うう、やっぱりもっと女の子らしくなるように努力しないと……。


 照れ隠しとちょっぴりのごめんなさいの意味を込めて、エリオの前に切り分けたそれを置いた。もうすでに他の人の準備も万端で、あとはただ食べられるのを待つばかりの黄金色の固まりが、みんなの前でその瞬間を今か今かと待ち構えている。


 さくりとフォークを刺す。ぱくりと口へ放り込む。



 しっとりとした食感。


 仄かで優しい甘み。


 ふわりと鼻をくすぐる香り。


 とても自分がこれを作ったと思えないくらいに──


「「──おいしいっ!」」


「それはよかった」


 そのお菓子は、いつものお菓子以上にあたしの胸を喜びでいっぱいにしてくれた。



 ”かとる・かーる”は、たぶんマスターが作るお菓子の中でも最も基本的で、全てのお菓子の基礎となるような、いわばお菓子作りの練習にふさわしいメニューなのだと思う。


 一口食べたときに感じたのは、『あ、なんか”すぽんじ”にちょっと似ているな』ってありきたりなものだった。


 このふんわりと、だけどしっとりしている感じは今までに確かにどこかで感じたことのあるもの。あたしをいつだって魅了して引き込んできた、焼き菓子の味だ。


 この甘みは多分、砂糖と卵と牛乳があれば出せるものなのだと思う。ううん、この三つでないと出せないもの……これこそがお菓子の甘みの究極系なんだわ。お菓子をお菓子たらしめている、最も基本的な甘さってやつね。


 そんな甘さが、ストレートに口に伝わってくる。ふわふわな食感と一緒に舌の上を転がって行って、思わず頬が緩んでしまいそうになった。


「…いいね。余分なもののない、シンプルで優しい甘さ。…上手く言えないけど、すごくお菓子らしい感じがする」


 リュリュさんが優しげな瞳でそうつぶやいた。実際、余分なものなんて何一つ入っていない。デコレーションも何もしていない、凄くシンプルなお菓子なのよね。


 なのに、おいしい。その優しい甘さがあたしの心を虜にしてくる。控えめで積極的な主張をしてこないからこそ、こっちのほうからどんどん次を求めたくなってしまう。


 ぱふっとそれを頬張ると、口いっぱいに甘い香りが満ちていく。ふんわりしたその食感を楽しみつつ、ゆっくり、ゆっくりと顎を閉じて押しつぶされていくそれの感触をしっかりと味わっていく。


 うん、やっぱりこの食べ応えも絶妙よね。ちょっとずつ食べて楽しむのもいいし、一気にぱくって口いっぱいに頬張るのもすっごく楽しい。ちょっと重たい感じもするけれど、他では味わえないような贅沢な気分になれる。こう、食べてるぞーっ! って気がするのよ。


 口の中の水分がけっこう取られちゃう気がしなくもないけど、それが余計に……なんて言うのかしら、食べることの満足感を与えてくれるのよね。顎を動かすのがすごく楽しくて、ついつい頬張りたくなっちゃうのよ。


「ふんわりしているのに食べ応えもあっておいしいね! これ、本当にハンナが作ったの!?」


「もう、エリオったら! さっきからそう言ってるじゃない!」


 嬉しそうに頬張るエリオを見て、ついついほおが緩む。自分でもびっくりするくらいの出来だったってことを差し引いても、胸の奥底から湧き上がる喜びが止まらない。エリオが笑いながらあたしの作ったお菓子を食べてくれるってだけで、天にも昇りそうな気持になる。


「おお……! おねーさんが乙女な表情をしている……! このゆるゆる笑顔はプライスレスですよ……!」


「…ハンナがこういうふうに笑うの、ちょっと珍しい気がする」


 話ながらも、二人の手は止まらない。盗賊であるレイクさんもびっくりするくらいのスピードで、どんどんお皿の上のそれはなくなっていった。おじーちゃんに至っては、シャリィちゃんのために一口サイズに切り分ける作業に専念している始末だ。


「おいおいじーさん、それはいくらなんでも過保護ってもんじゃないか?」


「まあねェ。だが私はもう十分に食べたし、いちいち切り分けるよりかはこっちのほうが食べやすいだろう? 実際の所、見ての通りこいつは大きな塊として完成するが、客に出す時は小さな程よい大きさに切り分けるものなんだ」


「そうなのか? じゃあ、なんで……」


「だってほら! 大きいまま出した方がお得感がありますし、迫力もあるじゃないですか!」

 

 うん、最初はマスターも切り分けて出そうとしたのよね。でも、それを私が止めたのよ。どうせなら作ったまんまのやつを見せたかったし……それと、ね?


 うん、ほら、その……たまには女の子らしいところ、見せたかったのよ。あたしもやればできるんだぞって驚かせたかったのよ。……別の意味で驚かれたけど。


「……あれ、ハンナ? どうしたの?」


「んーん。別に何でもないわよ」


 エリオはいつだってタイミングが悪い。どうして今みたいなときはすぐに気付くのに、気づいてほしい時に限って気づいてくれないのかしら。別にカンが悪いってわけじゃないし、冒険の時は意外なくらいにいろんなことに気づいてくれるし、幼馴染としてもうずっと一緒に居るっていうのに、とにかくタイミングが悪い。


 ……どうせ、エリオはあたしが料理を習っている理由にも気づいていないんだろうなあ。


「にしても、この”かとる・かーる”ってちょっと不思議な感じがするな。すっげえお菓子らしいお菓子なのに、普通のパンみたいに結構腹に溜まるってのは驚きだ」


「まぁ、パンもケーキも似たようなものではありますからね。僕も時間が無い時は朝食をこれで済ませることもありますよ。もちろん、作り置きしたものですが」


「お? 朝からエレガントに決めるってわけか。さすがはマスターだな」


「はは……そんなわけないじゃないですか。あわただしく着替えながら素手でひっつかみ、口にくわえたまま学校に向かってダッシュですよ……いや、口の中が猛烈にパサついてひどいことになりましたね……こういう時に限って薄情者の誰かさんは使わせてくれないし」


「寝坊する方が悪い。シャリィが寝た後に夜遅くまでゲームをやっていたのは誰だったっけねェ?」


「うっ……!」


「お兄ちゃんってば……あたしに隠れてそんなことを……!?」


 ゲームって何なのか、すごく気になる。あのマスターがわざわざシャリィちゃんが寝た後にやるだなんて、何か理由があるのかしら? 普通に二人で遊べばいいと思うけど……それともまさか、子供の前では言えないゲームだったり……とか?


「…ゲームってなに? 隠語?」


「お前、ズバッと言うのな」


 さすがリュリュさん。あたしたちが聞きにくかったことを躊躇いもなく聞きに行った。ちょっと目つきが険しいところを見ると、答え次第によってはマスターは大変なことになりかねない気がびんびんするわ。少なくとも、しばらくの間シャリィちゃんはリュリュさんと一緒に寝泊まりすることになると思う。


「いや、その……」


「…言えないことなの?」


 ここまでしどろもどろになるマスターも珍しいと思う。いつもはオトナの余裕があって常ににこにこ笑顔を絶やさないのに、今に限って言えば冷や汗ダラダラで目もぐるぐる回っている。


 ……自分が巻き込まれるならともかく、人のこういうところを見るのってちょっと面白いわよね!


「…言わないと、アミルにマスターがシャリィちゃんのいないところでヘンなことしてたって言う」


「何でも話しますからそれだけはご勘弁を……!」


 あ、マスター、折れちゃった。


「いえ、本当に大したことないんですよ。ただ、新作のゲームが発売されたのでどうしても、どうしてもやりたくなってしまいまして……! もちろん、ちゃんと自分のおこづかいの範囲で買いましたよ? しかしいろいろ諸々の支度や準備を済ませると空き時間なんてあまりないわけでして。特に最近はちょっと忙しいので余計にそうなんですよ」


「……」


「そうなるともう、夜更かしするほかないわけなんですが、シャリィに規則正しい生活をするように説いている身として、おおっぴらにそんなことが出来るはずもなく……」


「マスターってば、早寝早起きをするようにっていつも言ってますもんね。あたし、この一年ちょいでずいぶん肉体的にも精神的にも模範的で健康になりましたもん」


「あと、そのゲームの対象年齢は十五歳以上……子供にはいささか衝撃的な暴力描写やグロテスクなところがあるので、例え日中であったとしてもシャリィの前でやるのは憚られたんです」


「…暴力描写?」


「ええ。血飛沫がパッと飛び散ったり、敵の魔物の尾っぽが千切れたり……」


「…それだけなの?」


「えっ」


 不思議そうに首をかしげるリュリュさんと、虚を突かれたように声を上げるマスター。


 冒険者をやっていたら、それくらい日常茶飯事だ。むしろ、血を見ないで済む冒険の方が珍しい。敵を討伐する以上どうしても荒事になっちゃうし、敵を弱体化させるために尾っぽを切ったりするのなんて常套手段だ。切れば当然血飛沫を浴びるし、体中が真っ赤に染まることもある。


 それにほら、倒したら解体して必要な部位を取っていくじゃない。血が飛び散ったり尾っぽが千切れるどころか、もっとすごい光景になっちゃうわよ。


「なんだよ。虫も殺せないような優しい顔してヤバい趣味があるかと思ったのに……割とありきたりで普通じゃないか。なんかちょっと期待外れだぞ、マスター?」


「えええ……そんなこと言われましても……あ、みなさん冒険者だからそういうのに慣れてるだけですよ」


「あの……ボク、割と小さいころから鳥を締めるの手伝わされて、その、けっこうアレなものいっぱい見てきましたけど……ボクだけじゃなく、ほとんどの人はそうだと思いますけど……」


 あたしだってそういう体験はけっこうある。女の子らしくない部分のほうが多かったとはいえ、普通に家の手伝いはやらされたしね。思えば、それだけがあたしにできる家庭的な技能かもしれない。


「それにあたしだって獣や鳥をもう何匹も捌いていますもん。今更その程度どうってことありません。マスターってば、変なところで気を使い過ぎですよ?」


 シャリィちゃんからもダメだしされて、マスターはがっくりとうなだれた。今までの僕の努力は……ってぶつぶつ呟いている。こうしてみると、マスターもあたしと同じ年代の人に見える──本当に同い年らしいけど──から不思議よね。


「それはそうとマスター、何か飲み物を貰えないか? 喋ってたってのもあるけど、なんかすごく喉が渇くんだ」


「そう言うと思って紅茶を淹れといてやったよ」


「お、ありがとな、じーさん」


 ふっと緩む空気。ほんわりと漂う紅茶の香り。うっとりするようなそれが鼻をくすぐって、なんだかなにもかもがどうでもいい気分になってくる。


 ことり、と目の前に置かれた紅茶を一口。暖かなそれがじわりと口の中に広がっていく。いくら控えめとはいえ、すっかり甘くなってしまっていた口の中をすっきりさっぱりとさせてくれた。


「…おいしい」


「そうだろう? この手の焼き菓子にゃ紅茶が合うんだ。尤も、こいつは安物の紅茶なんだけどね」


 とても安物とは思えない……っていうか、紅茶ってだけでかなりの高級品だと思う。しかも普通の紅茶は甘ったるいか渋いか味がしないかのどれかだって聞くのに、この紅茶はほんのりと上品に、かつさっぱりすっきりと甘いから驚きだ。


「ねえハンナ」


「どしたの、エリオ?」


「なんか、初めてここに来たときのことを思い出すね」


 ふわりと笑いかけてきたエリオの顔を見て、思わずドキッとする。慌ててカップに口をつけ、出来るだけ冷静を装った。


 ……はあ。言われてみればこの感じ、”みるくばーむくーへん”のときと似ているかも。あれはたしか、初めてこの喫茶店に来た時のことだっけ。


「…初めて来たとき、か。ふふ、あの時はマスターはいなくて、爺とシャリィちゃんにお菓子を食べさせてもらったんだっけ」


「そういやそんなこともあったねェ……。時が経つのは早いもんだ」


「……俺がここに来たのはエリオとハンナがきっかけだったな」


 思い出す。レイクさんは異常個体のポイズンタスクボアに襲われてどうしようもなかったあたしたちを助けてくれた。腰を抜かして動けなくなっていたあたしたちをかばって、自らを囮としてあたしたちを逃がしてくれた。


 たった一人で戦ってなんとかそいつを撃退したけど、麻痺毒を全身に喰らってフラフラになり、たまたま見かけたこの喫茶店に転がり込んだって聞いた。


「はは……ボロボロなのにシャリィに放置され、放置されたまま飲み物飲まされて……さらに苦薬をそのまま口に突っ込まれたっけなぁ……」


「おにーさんとあたしの輝かしい愛のメモリーですねぇ……ぽっ」


「ぽっ、じゃねーよ」


 頬に手を当て、くねくねとゆれるシャリィちゃん。反対にレイクさんは、どこか遠いものでも見つめているかのように虚ろな瞳をしていた。


「救援に来た魔女どもはマスターのことしか心配しないし、ギルドにヘンな張り紙をされるし……」


「……」


「”ちーずぱうんどけーき”の最後のひときれを巡って戦争を起こしそうにもなったなぁ……」


 レイクさん、すごい。あたしならアミルさんやエリィさんと戦おうとさえ思えないもん。なのに、その二人を相手取ってあまつさえ最後の一切れのお菓子を奪おうとするなんて。ううん、やっぱりレイクさんはすごい人よね……!


「そういや、この”かとる・かーる”っての、どことなく”ちーずぱうんどけーき”に似ているな?」


「いいところに気づきましたね! 実はこれ、本質的にはパウンドケーキと変わりありません。材料も同じですし、作り方もほとんど同じです。もちろん、細かい点で別物とする意見や理由はありますが、呼び方が違うだけと言っても過言ではないでしょう」


 曰く、”ぱうんどけーき”とあたしが作った”かとる・かーる”はほぼ同一のものらしい。材料も作り方も一緒なんだから、当たり前のことではある。


 なのに、どうして名前……呼び方だけが違うのかしら? だったら別に、呼び分ける必要なんてないんじゃないのかしら?


「そこですよ、ハンナさん。実はこのカトル・カールにはある大きな特徴があるんです」


「特徴?」


 まじまじと目の前のそれを見てみる。たしかに古都じゃ絶対に見られないような代物だけど、お菓子と言う意味でなら特別珍しいところがあるわけでもない。パンと”けーき”の中間みたいな感じで、殊更に華やかってわけでもなければ、未知の材料を使っているわけでもない。調理方法だって、今思えば混ぜて焼くだけ……ごくごく自然でありきたりなものだ。


「気付きませんか? 実はこれを作るのに用意した材料……全部同じ量だったんですよ」


「あっ!」


 言われてハッと気づく。あの時は何も思わなかったけれど、たしかに砂糖も小麦粉もバターも、どれもほとんど同じくらいの量だった。卵でさえ、量的に見れば他の三つと同じだったように思える。


 つまり、それって……。


「カトル・カールは卵、砂糖、小麦粉、バターの計四つの材料をすべて同じ割合で用いることで作るお菓子です。すなわち、他のお菓子と違って材料の計量が必要ないんですよ。どれか一つ……例えば卵を基準にして、残りをそれと同じ重さの分だけ用意するだけなんです」


 そう、私が今回リクエストしたのは【計量をせずに作れるお菓子】。マスターたちが使っている計量器具を使わなくても、古都でそろえられる道具だけでも作れるお菓子。


 どれも全部同じだけ用意すればいいっていうのなら、あたしにも出来る。それぞれどれだけの量があるのか細かい数字なんてわからなくても、天秤に載せて釣り合うようにすればいいだけ。文字通り、細かい計量の必要なんてこれっぽっちもない。


「カトル・カール……これは四分の四って意味なんですよ。四つの材料を一:一:一:一で。材料比率がそのまま名前になっているわけですね。おそらくですけど、この分量のわかりやすさゆえにカトル・カールは独立したレシピとしてその名前を貰えたのではないでしょうか」


 思わず感心する。これ以上にないくらいにわかりやすい。たしかに、これならほとんど同じものであったとしても、別のものとして名前がもらえるのもうなずける。


 しかも、作り方も簡単と来ている。これはもう、まさにあたしのために存在しているお菓子って言ってもいいんじゃないかしら?


「ちなみにですが、簡単そうに見えて奥が深いお菓子だったりします。レシピも基本は材料を混ぜて焼くだけなのですが、どの材料をどの順番で混ぜるのかによって仕上がりも結構変わってくるんです。今回は最も失敗しにくいとされるレシピを参考にしましたね」


「…へえ。でも、仕上がりが違うってだけで簡単さには変わらないんでしょう?」


「いえいえ、それがまたそういうわけにもいかなくてですね……。簡単で単純なレシピであるぶん、失敗すると何が原因なのかわからないんですよ。実は材料を混ぜたときにうまくいかずに分離してしまっていたとか、焼き加減が均一ではなくムラが出来てしまっていたとか……仮に原因が分かったとしても、どうしてそうなってしまうのか、それが何に起因するものなのかを見極めねばなりません。その辺のノウハウが結構重要になってきます」


「なんかお菓子作りってのも大変なんだな……。一瞬、俺でも何とかできそうだって思っちまったぜ」


「そこがまたお菓子作りの醍醐味でもあるんですけどね。自分で頑張って作ったお菓子の味は格別ですよ?」


 お菓子作りは大変だ。やってる作業そのものは単純でも、時間がかかるし力も要る。知識も必要だし、設備や道具も重要だ。


 今回だってそうだ。”かとる・かーる”だからこそ細かい計量は必要なかったけど、本来ならば小さなスプーン一杯単位で使う分量が細かく決められている。泡だて器みたいに、古都じゃ用意できない道具を使わないとうまく調理をすることが出来ないことも多い。


 アレンジをする場合……ううん、そうでなくてもどうしてその工程が調理に必要なのかを知っている必要がある。あとで型から取り出しやすいようにバターを塗ったり、ダマを取ったり空気を含ませるために粉を振るったり。失敗をした時だって、各工程の意味を知らなければ原因の特定も対処も出来ない。


 そして、腕力。ただひたすらに材料を、元の面影が無くなるまでにかき混ぜ続けることが出来る腕力。いくらまだまだ低級で、それも女とはいえ、冒険者で剣士のあたしでさえクタクタになるほどにお菓子作りは体力を使う。生半可な覚悟でやると痛い目を見る。


「まだまだ修行が足りないわね……」


 改めて今日のことを思い出して反省する。あたしはずっとマスターに助けてもらってばかりで、自分で何も考えずほとんど言われた通りに動いていただけ。それでさえ、途中で音を上げそうになった。


 お菓子作りにしてもお料理にしても、全然ダメダメだ。まだまだがんばって、腕を磨く必要がある。少なくとも、言われる前に物事の意味を理解できるようにならないと。


「最初はそんなものですよ。僕だってそうだったんですから。それに、練習しようと思えばいつだってできるんです。ここは、僕たちのクランの場所ですから。僕たちはいつだってみなさんの味方ですよ?」


「おっ! なんか綺麗にまとめたな!」


「…私もお菓子作り、習おうかなあ」


 何も知らずに呑気に”かとる・かーる”を頬張る相棒を見て、決意を新たにする。次こそは、ひっくり返って驚くくらいに美味しいものを作ってやるんだから。


 さしあたっては──


「あれ、ハンナはもう食べないの?」


「ん。ほら、食べちゃいなさいよ」


「もがっ!?」


 ちょっぴり残った”かとる・かーる”をまとめてエリオの口の中に放り込む。エリオってば目を白黒させて、ちょっと恨めしげな表情でこちらをじとっと見つめてきた。


「ほら、おいしいでしょ? 存分に楽しみなさい!」


 ──あたしのよりおいしいマスターの”かとる・かーる”に行きつく前に、エリオのお腹をいっぱいにさせないと、ね? 

20191121 誤字修正


 なお、計量ができてもオーブンが無いため焼き加減で相当な苦労をする模様。


 やっぱり調理過程が入ると長くなるよね。あと、できたてほやほやよりも少し置いたほうがおいしくいただけるって噂。出来立てほやほやのを食べた記憶がもうないから比べられないんだけれども。

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[気になる点] 第72話より >お菓子をお菓子足らしめている この"たらしめている"は助動詞"たり"の活用であって、"足る"ではないので漢字では書きません。
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