盗賊とポップコーン
俺の目の前に、不機嫌そうな顔を隠そうともしないガキがいる。
「むぅー……っ!」
膨らませた頬はこれでもかと言うくらいにまん丸で、思わず握りつぶしてみたくなるくらいだ。眉間にはいくらかの皺が寄り、目じりはつり上がっている。まるでアヒルの様に突き出した口からは、何かおやつでも食べたのか、甘い香りが漂っていた。
不機嫌そうな赤毛の子供──シャリィは、店員である己の立場も振り返らず、客であるはずの俺の席に着き、何をすることもなくグダグダしていた。
毎回思うけど、こいつに店員としての自覚はあるのだろうか?
「お前、仕事はしなくていいのかよ?」
「いいんですよ。あたしってば今ストライキ中なんですから」
ぷいっとあいつはそっぽを向いた。何があったか知らないが、どうやら相当腹に据えかねているらしい。基本的には無邪気で明るいコイツがここまでへそを曲げるのも珍しいと思う。
「ストライキ、ねぇ……」
なんとなく周りを見渡してみる。
きちんと掃除された店内。ぴかぴかに磨かれた机。活けられた花は今日も元気いっぱいで、仄かな甘い香りを放っている。それとはまた別種の、お菓子特有の甘い香りもまた店内に満ちていて、オシャレでシックでエレガントな空間だ。
これでストライキ中だってんなら、古都の店の大半は廃墟のそれに等しいって言えるだろう。
「いつも通りじゃね?」
「そういうことじゃないんですよ! おにーさんったら、全然わかっていません!」
なんと。盗賊の眼をもってしても見抜けていない何かがあるというのか。それとも俺が気づいていないだけで、普段のこいつはもっと細かいところまでに気を配っているとでもいうのか。
「こういう時は、『どうしてストライキなんてしているんだ? 可愛いマイハニー?』って聞かなきゃダメなんですよ!?」
「……」
面倒くせぇ。こいつすっごく面倒くせぇ。女子供ってのは往々にして面倒くさいものだと思うが、それにしたってこいつはひでぇ。
だいたい、なんで俺がこいつをハニー呼ばわりせねばならないというのか。こいつの頭の中は本当に幸せだと思う。
「……ちっ」
そして困ったことに、俺はマスターからこいつの機嫌を直すようにお願いされてしまっている。いや、入店早々頼まれちまったんだよな。そうしたらもう、断れないじゃん?
だから、乗ってやるのも友人としてマスターのお願いを聞いてやるってだけなんだ。決してこいつの茶番につきあってやるつもりなんかじゃない。
「『どうしてストライキなんてしているんだ?』」
「もう一声! 大事なところが抜けていますよ!」
「ああもう! 付き合ってやってるんだから贅沢言うんじゃねえ!」
つれないですねえ、とシャリィは口を膨らませた。本当にこいつは店員なのだろうか。これじゃ、店で休憩しているのかガキのお守りをしているのか分かったものじゃない。
「真面目な話をしますとですね、昨日の夜のことなんですけど、じいじってばあたしを抜きにしてもこもこのおねーさんと戦士のおねーさんと一緒に酒盛りしていたんですよ!? 三人だけで美味しいものをつまみながら一晩中! ズルくないですか!?」
ぽん! ぽぽん!
ほんのりと、どことなく食欲をそそる香りが漂ってきた。
「そりゃ、夜遅くまでお前が起きていていいはずがないだろ? じーさんも大人なんだ、酒を飲みたくなる時くらいあるだろうに」
今まで一度も見たことが無いが、じーさんだって立派な大人だ。酒の一つや二つ飲むに決まっている。いつぞやだってあれだけうまい酒を用意してくれたんだし、きっといろんな酒を飲んで舌も肥えていることだろう。むしろ、子供の前で飲まないだけ偉いと思うんだが。
「まだまだ宵の口でしたもん! なのに、あたしを抱きかかえてここから追い出したんです! あたし、お酒は飲めないにしてもおつまみを食べたかったのに!」
ぽぽぽん! ぽん!
軽快な音が、どこからともなく聞こえてくる。
「つっても、それを俺に言ってどうするんだ? だいたい、大人の酒盛りに子供がいたって邪魔なだけじゃねえか」
「……おにーさん。じいじが作るおつまみですよ? すっごくおいしいんですよ? 目の前でその機会を奪われて冷静でいられます?」
「……無理だな」
もし自分が同じ目にあったとしたら、俺だって怒るだろう。なんでエリィとミスティだけうまいものを喰わせてもらって俺だけ食えないのかってブチ切れるだろう。そう考えてみると、シャリィの怒りも正当なもののように思える。
「けど、お前子供じゃん。店員じゃん。むしろ、なんで行けると思ったのか」
「そーいうことじゃないんですっ!」
ぽぽぽぽん!
ぐるるるる、シャリィは唸り声のように喉を鳴らした。よほど悔しかったのか、目つきがすごく剣呑だ。今でも納得できていないって顔に書いてある。げに食べ物の恨みは恐ろしいらしい。
ぽぽぽ、ぽぽん!
カランカラン
軽いはじけるような音と、涼やかで心地の良い音。釣られるように入り口を見てみると、そこには鎧を着こんだ男が立っていた。
しかし、それはいつも見慣れたピカピカの鎧じゃない。デザインそのものは一緒だけど、あれほどきれいには磨き上げられていない。着ているそいつもまた、真面目そうな顔じゃなくて、古都の大通りでナンパにでも耽っていそうなチャラチャラした顔だ。
「あああ……ッ! やったぞッ! とうとう俺はやってやったぞ……ッ!」
なんかまた変なのが来た。
「……あれ、師匠? えーと、ようこそ、《スウィートドリームファクトリー》へ!」
どこかで見た顔だと思ったら、いつぞやの不良騎士のゼスタだった。が、あの時のチャラくも侮れない雰囲気はどこへやら、アブナイおくすりを一発キめたかのように目の焦点があってなく、ついでに頬がげっそりとこけている。
ありていに言って、尋常じゃない。騎士と言うよりかは、むしろこいつのほうがしょっぴかれる犯罪者の様な顔つきだ。
しかも、いつのまにやらシャリィの師匠になっている。いったい何の師匠なのか、どういう経緯でそうなったのか、知るのがすごく怖い。
「師匠、お仕事はどうしたんですか?」
「知るかあんなもん! 自主的にストライキにしちゃったぜ!」
ぽ、ぽ、ぽぽぽん!
あひゃひゃひゃ、と奇妙に笑いながらゼスタは俺と同じ席に着いた。それもなぜかシャリィの横じゃなくて俺の隣である。
あいにく野郎に隣に座られて喜ぶ趣味はない。これだったらまだシャリィが隣のほうがマシだ。
「師匠もストライキですか?」
「クソみたいな仕事が腐るほどたまっちゃってさぁ。上って本当に現場のことを考えてないんだよ。で、面倒事を全部下に押し付けて俺はここに癒されに来たってわけ」
「うわあ……」
ぽぽん! ぽぽん!
こいつも大概アレだと思う。どうしてこの喫茶店に来る人間にはまともなやつが少ないのか。
「も、ってことはシャリィちゃんもストライキ中な感じ?」
「そうですとも! 憎きじいじに対抗して、今日はお洗濯も洗い方も自分のしかしていません! このあふれる怒りは、ちょっとおやつをはずんでもらうくらいでは鎮まりませんよ! そうだ、師匠からも何か言ってやってくださいよ!」
「ごめん、マジであの人とは出来るだけ関わり合いになりたくない。主に俺の平穏のために」
ゼスタは一瞬で真面目な顔になってぷるぷると震えだした。いったいどうしてこいつがここまでじーさんを恐れるのか、俺には未だにわからない。もしかして何か弱みでも握られているのだろうか。
「変な事聞くけどさ、あのお爺さんからなんか伝言とか、預かっているものとかない?」
「いえ、ありませんけど?」
「……マジか。都合が悪かったのか、それとも自分で来いってことなのか」
ぽぽぽ、ぽぽん!
ふと、気づく。甘い香りはどこへやら、なにやら食欲をそそるバターの香りがどこからか漂ってきている。いいものを使っているのか、安物のそれに比べて深みがあり、思わず腹の虫が鳴いてしまいそうになるくらいのものだ。
強い香りであることもさることながら、この強烈に引き込んでくる感じが堪らない。もしこれが屋台で売られているのだとしたら、周りの店は大赤字になることだろう。
「ま、ともかく俺は早いところ美味しいものを食べてリラックスしたいわけよ」
「なあ師匠。その前にこいつの機嫌も直してくれないか?」
「お前が愛の言葉を耳元で囁けば一発だぜ!」
「やーんもう、師匠ったらぁ!」
ぽぽぽぽぽん! と一際大きな音が鳴る。シャリィは頬を染めて器用にも座りながら身をくねらせた。バターの香りはより一層と強くなり、それ以降、音はしなくなる。
……さっきから気になってたんだが、あの音ってなんなのだろうか?
「やあ、ゼスタさん。その節はどうも」
「うぇーい、マスター! 来ちゃったぜい!」
「レイクさん、シャリィの機嫌、直りました?」
「正直よくわからん」
恋の伝道師を名乗るゼスタに教えてもらったテクニックで、俺でシャリィが遊んでいるころ。何やら瞳に仄暗い炎を灯したマスターが、強いバターの香りをするものをもってこちらへとやってきた。
「おませしました。《ポップコーン》です」
「ほお……!」
「おおっ! なんかすごいね!」
とん、と机に置かれた皿の上には、奇妙な白くて……なんだろうな、コレ。どことなく収穫前の綿を彷彿とさせるような、そんな不思議なものが乗っていた。
指先でつまめる程度のサイズのそれが、贅沢にも山盛りになっている。見た目は結構柔らかそうで、ちょっと力を入れれば簡単につぶれてしまいそうだ。ところどころに白に交じって薄茶色の……豆の皮みたいのがついてるのが特徴と言えば特徴か。
出来立てなのか、ほんのりと熱気を感じる。バターの良い香りと相まって、ついつい手が伸びた。
「これ、そのまま手づかみでいい感じか?」
「ええ。お話でもしながら適当に食べていただければ」
「初めて見るけど面白い触感してるねえ!」
見た目通り、軽い。ぶっちゃけ重さを感じない。綿そっくりな見た目と同様、中はけっこうスカスカらしい。まぁ、こっちはフワフワじゃなくて、形が崩れない程度の硬さがあるんだが。
パッと見は結構違うけど、”くっきー”とかそっち系と同じようなスタイルで食べるのが流儀なんだろう。手軽にサクッと食べられる、そんな印象を受けた。
「それじゃ、いただくぜ」
指でつまんだそいつを口に放り込む。
幸せの瞬間が訪れた。
深いバターの香り。
確かに感じる特有のしょっぱさ。
ついつい後を引くような、止められないかんじ。
「──うん、いいな!」
「それはよかった」
ご機嫌斜めのはずのシャリィも笑顔になっていた。
まず最初に断っておこう。この”ぽっぷこーん”ってのは甘いお菓子じゃない。
深いバターの香りに潜む、後を引くような塩の味。それそのものにはほとんど味がついていないというのに、どうしてなかなかクセになる。ちょっと噛み潰してしまえば何を楽しむこともなく無くなってしまうから、ある意味で味気ないと言えなくもない。
なのに、手が止まらない。
いや、本当に味はあまり感じねえんだ。バターの香りはすっげえし、良い塩を使っているのか、雑味のまるでないいい塩梅の塩味だけど、それ以外には特に感じない。複雑さのふの字もない。
サクッとしているようなぽりっとしているような、ともかく食べていると口の中で軽快な音を立てたりもするんだが、はっきり言ってそれだけなんだよな。
ああ、後味がなんか穀物っぽい感じがする。喰うものが無くてしょうがなく食べた豆とか、そっち系のアレだ。別に嫌いってわけじゃないが、お世辞にも金を出してまで食べたくなるような感じじゃない。
しかし、手が止まらない。
「なんだこれ、止まらないな」
「すごいねえ! 普通においしいんだけど、何がどうおいしいのかって聞かれると困る感じだ!」
それだ。まさにそれなんだ。
見た目はそんなに華やかなものでもない。かといって、和菓子のように落ち着きがある感じもしない。もしこれが普通の安酒場の机の上に置かれていたのなら、俺は黙って払い落としているだろう。
しいて言うなら、食感がちょっと不思議な感じがする。食べ応えが軽いっていうか、あんまり食べたって気がしない。舌で簡単にぺしゃって潰れるし、食べている途中で本当に食べているのかわからなくなってくる気さえする。
”くっきー”なんかはあれはあれでそれなりの食べ応えと言うか、満足感みたいのがあるんだが、これはいくつ食べてもそれが訪れない。
殊更に甘いわけでもない。バターのいい香りはするけれど、ほとんど塩味しか感じない。少なくとも、俺には塩の味しかわからない。たまにちょっとだけ、焦げの様な香ばしい味を感じるけど、それだって前面に押し出ているわけじゃない。
だのに、いつのまにやらどんどん量が減っている。
「おい、おい、これ……」
おかしい。手を止めようとしているのに、体が言うことを聞かない。一体全体、どうしたってんだ?
「こういうの、一度食べだすと止まりませんよね!」
にこっと笑いながらシャリィがそれを鷲掴みにする。そして、大きく大きく口を開け、思いっきり頬張った。
「……いやん、そんなにまじまじと見られますと、照れちゃいますよぅ♪」
今更何を言っていやがるのか、こいつは。少なくともそういう恥じらいの心があるやつならば、そんな風に口をパンパンに膨らませたりなんかしないだろう。
しっかし、本当に不思議だ。口当たりが良い……とはちょっと違うだろうが、軽くてサクサクしているからいくらでも食べられる。味も濃くないし、確かに感じるんだけど、ちょっとやそっとじゃ満足できない。
となれば、ここはやはりシャリィのように思いっきり口に含むのが正解なんだろう。
「よし……!」
「あー、盗賊さーん? 俺の分も残しておいてくれよ?」
「俺、優秀な盗賊だから。後には何も残さないぜ?」
「ひでえ」
そんな軽口を叩きながら、白い山を鷲掴みにする。軽くつまめば崩れてしまいそうなそれも、なるほど、いっぱい集まればそれなりの握りがいがあるというか、こう、ぎゅっ! ってつまっていい感じだ。
ポロポロと指の間からこぼしつつ、そいつを一気に口の中に放り込んだ。
「ん、ん……っ!」
やべえ。ちょっと多すぎた。苦しい。
「だ、大丈夫です? お水を持って来ましょうか?」
大丈夫だ、と目で訴える。どのみち、この状態じゃ水なんて飲めやしない。
「あっ! わかった! おにーさんってば、あたしにお背中をとんとんしてほしいんでしょ!」
「むぐぅっ!?」
赤毛の子供は、ものっすごいにまにました笑みを浮かべ、遠慮なくバシバシと俺の背中を叩いてきた。もちろん、そのせいで余計にむせ返ってしまったのは言うまでもない。
「おいコラ。殺す気か?」
「怒ってるおにーさんもカッコよくてステキですよ♪」
ダメだ。もはやシャリィには何を言っても通じない。いったいいつからこんなに拗らせてしまったのだろう。マスターもじーさんも、どうしてこんなになるまで放っておいたのか。
「やるねえ、シャリィちゃん! 恋の高等テクニック……さりげないボディタッチをこうも簡単にこなすとは! 今頃レイクの心臓はドッキドキで、頭の中はシャリィちゃんのことでいっぱいになってるはずだぜ?」
「えっ、ホントですか!?」
「あたぼうよ! 俺が言うんだらか間違いな……もがぁっ!?」
とりあえず、元凶っぽいのの口に”ぽっぷこーん”をぶち込んでおいた。目を白黒させている。ざまあみろ。
「……いいね、これ! 食べごたえがバッチリで、強いバターの香りが口いっぱいに広がっていく。ゆっくり慎重に口を動かす緊張感も堪らない! 単独では儚いそれらがいっぱいに集まることで産み出す重量感も素晴らしい! 噛み潰す時にじんわりと潰れていく様が愛おしい! すべてが終わった後に感じる口の中の寂しさも、逢瀬を終えた夜明けのそれを連想させる!」
よくぞまあ、こいつの口はここまで回るものだと思う。というか、いったいどうやって一瞬で口の中を空にしたんだか。
「出来れば、シャリィちゃんの手からやってほしかったぜ? そうしたら、きっともっと美味しかったに違いないのに!」
「いやん! もう、師匠ったらご冗談がうまいんですからぁ♪」
茶番を続ける二人は置いておくとして、ゆっくりとこの”ぽっぷこーん”の贅沢喰いの可能性について考えてみる。
まず、一つずつ食べたときに比べて食べごたえがある。なんかこう、食べたぞ! って感じになる。やっぱりなんだかんだで顎をしっかり使って食べるものはうまい。奇妙な達成感みたいなのがある。
次に、そのバターの香りだ。口いっぱいに含むものだから、その豊かで素晴らしい香りがずっと絶え間なく鼻を刺激してくる。これだけでもう、十分なごちそうだ。この匂いを嗅ぎ続けている状態なら、きっとあの携帯食料でさえ美味しく頂くことができるだろう。
そして、味。まあ、こいつは良くも悪くも変わらない。シンプルで取り立てて変わったところなんてない、普通の塩味だ。
「……」
なのになぜ、あんなにも満足感があったのだろうか。どうして、こんなにもシンプルなのに手が止まらないのだろうか。普通の塩を舐め続けているだけならあっという間に飽きるだろうに、これに限って言えば全然そんなことはない。
そもそも、こいつはいったい何で出来ているんだ?
「なあ、マスター。こいつ、どうやって作ってるんだ?」
「これはですね、トウモロコシの実を炒って作るんですよ」
「トウモロコシ? これが?」
「ええ。まあ、普段食べられているトウモロコシとは品種が違うんですけれども。えーと、僕も専門外なので詳しくはないんですけど、普通に食べられるトウモロコシ、家畜の飼料としてのトウモロコシ、そしてこちらのポップコーン用のトウモロコシ──爆裂種と呼ばれるものがあるそうです」
そういやどこかで聞いたことがある。人が喰うトウモロコシと家畜のえさのトウモロコシは別種であると。その爆裂種ってのも、つまりはそういうことなんだろう。
「作り方はけっこう簡単ですね。バターや油と一緒に炒るだけです。熱が通っていくと、実が割れてぽんってはじけるんですよ。この白いのは膨張して弾けた中身ですね」
「なるほど、弾けたトウモロコシだからポップコーンってわけね!」
「トウモロコシの中身ってこんな風になってるのか……」
厳密なところは僕もわからないんですけどね、とマスターはにこにこと笑い、追加のそれを空になった皿の上にあけた。
自分でもすっかり気づかなかったが、いつのまにやら俺たちはあの山盛りのポップコーンを平らげてしまっていたらしい。ホント、食べた記憶なんてまるでないというのに。
「……まあ、これはあくまで一般論ですけど」
と、ここでマスターは少し声のトーンを落として呟いた。目つきがいくらか険しくなり、口元にはとてもマスターには似合わない邪悪めいた笑みを浮かべている。
「ど、どした?」
「こちらも僕の友人の楠からおすそ分けしてもらったものなんですけど、普通に食用の奴なんですよね」
「え? 普通のでも”ぽっぷこーん”に出来るのん?」
「いえ、普通は出来ません。爆裂種は皮が硬くて食べられたものじゃないんですが、それのおかげでこうして弾けることができます。しかし、普通の食用のものは皮が柔らかくて食べやすいでしょう? 炒っても普通に熱を通したコーンになるだけですよ」
それじゃあ、一体どうして今俺は”ぽっぷこーん”を食べることができているというのか。もしかして、何か特別な製法を使っていたりするのだろうか。
「しかし、どうせならポップコーンも食べたいじゃないですか。そして、不可解なことに不可能を可能にしてくれる人がウチにはいます」
「……じーさんか」
よくわからんけど、じーさんは物の時間を早めることができるらしい。その力を使ってトウモロコシを急速乾燥させたそうな。本来なら食用のトウモロコシを乾燥させても爆裂種の代わりにはならないそうだが、どういうわけかじーさんが手を加えたものに限って普通に扱えるのだとか。
「で、じいさんはその手間暇かけたトウモロコシをそれなりに楽しみにしていました。今回は、その加工済みのトウモロコシを全部使ったんですよね」
マスターがものすごい笑顔で追加のポップコーンを机に置いた。一つだったはずの皿が、気づけば三つに増えている。それも、全部が全部山盛りだ。
「……え、全部?」
「ええ、全部」
間違いない。マスター、顔は笑っているけど目が笑っていない。めっちゃ怒っている。
「昨日一人で勝手にいろんなことをしていたみたいですし、そうでなくとも隠し事ばかりですし、本当のことだって教えてくれないし……」
「……お、おう」
「嘘ばっかりついてるんですから。自分だけおいしい思いばかりしているんです、これくらい可愛いものだと思いませんか? どうせ作ろうと思えば自分で作れますし」
怒っていたのはどうやらシャリィだけじゃなかったようだ。何があったか知らないけど、マスターもそれなりに鬱憤が溜まっていたのだろう。じーさんはあれでイタズラ好きなところがあるし、マスターが怒ったとしてもそれほど不思議はないのだろう……たぶん。
「そんなわけで、今日のおやつで使い切ると決めたんです。遠慮なく食べちゃってください」
ぽぽぽん! と、何かが弾ける音が聞こえた気がした。普段優しい奴ほど怒ると怖いっていうけど、あれってホントだったんだな。
「マスター……その、あのお爺さんのこと、怖くねえの? というか、あの人のこと知らないの? それとも、知っていてなおそう言えるの?」
ゼスタがぷるぷると震えながら聞いた。マスターは、それに飛び切りの笑顔を浮かべて返す。
「あの人はただの嘘つきジジイです。それ以上でもそれ以下でもありません。僕は最近、あの人の認識を改めました」
「「……」」
食べよう。全部食べて忘れてしまおう。マスターには悪いけど、こういうのは部外者でないとならない。変に関わると命取りになると盗賊のカンが告げている。
ぱりぽり、ぱりぽり。黙っていても手は進む。本当に心の底から怒っているのか、珍しくマスターまでもがシャリィの皿から”ぽっぷこーん”をつまんで食べていた。シャリィとは違い、普段は客と一緒に食べることなどほとんどしないというのに。
手軽さゆえにできることだろう。アルじゃないが、こいつはおしゃべりをしながらだとか、何か作業をしながら食べるのが正解だと思う。
「ちなみにですけど、今回はシンプルに塩だけで味付けをしていますが、バリエーションは結構あったりします」
「しょっぱい感じで言えばチーズだとか、甘い感じで言えばキャラメルの奴なんかもあるんですよ! あたしはキャラメルの奴が一番好きです!」
よほどおいしいのだろうか。シャリィは頬をゆるゆるとさせ、ほにゃりとだらしなく笑っている。すんげえもちもちしてそうなほっぺだったから、とりあえずつまんで引っ張っておいた。
「あにするんですかあー」
「いや、なんとなく?」
「んもう! ほっぺに塩がついちゃったじゃないですか! 責任取ってください!」
ずずい、とシャリィが頬をこちらに向けてきた。もしかしなくても、そういうことなんだろう。むしろ、ここまでされて気づかないほうがおかしい。
「さっ、早く! 焦らす男は嫌われますよ?」
「ふゥ──ッ! シャリィちゃんってばおっとなー!」
「え……あ、え……?」
身を乗り出すシャリィ。煽るゼスタ。そして、顔面蒼白になって立ち尽くすマスター。
「……」
じーさんじゃないが、なんとなくイタズラしたい気分になった。よくよく考えてみれば、エリィとミスティだけ内緒の宴会をするってズルくね? 同じクランの仲間なんだし、俺にもその権利はあるはずだよな? でも、たぶんマスターはそれを許してくれないだろう。
盗賊はノリと勢いで生きるものなのだ。それに、こいつ程度ならまだ子供の遊びの範疇に収まるはずだ。
「ちっ、しょうがねえ。今回だけだからな」
「──えっ」
ちゅっ、と塩を取ってやった。
「え……あれ……え、ホント?」
「マジ!? マジでやったの!?」
シャリィが真っ赤になっている。自分でも信じられないのか、ほっぺを押さえ、目をぱちぱちとさせていた。あいつにしては珍しく口数が少なくなっているところをみると、どうやら内心で結構パニックになっているらしい。
「れれれれ、レイクさん!? なんてことを!?」
「いや、マスター言ってたじゃん。シャリィの機嫌を取れって」
「うぐ……っ!」
今だからこそ言えるが、マスターはマスターでからかうと楽しい。面白いように表情がコロコロと変わる。ウブってわけじゃないが、さらっと流すことが出来なんだよな、マスターって。
「あ、あはは……ちょ、ちょっと本当にやってもらえるとは……!」
きゃーきゃー、とシャリィは一人で小さく落ち着きなく呟いていた。いつもみたいなふざけている感じじゃなくて、現実に思考が追い付いていないって感じだ。普段からこれくらい落ち着いていれば結構可愛いと思うんだけどな。
「な、なんか照れますね……! はー、あ、なんかちょっと暑くありません? 夏ってこんな暑かったでしたっけ?」
手の平を使ってぱたぱたと自分の顔を仰いでいる。それじゃろくに効果もないだろうに、とにもかくにもまあ落ち着きがない。赤毛の髪が手の動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。
「あえ、ホントですよね? あは、あたし何言ってるんでしょう。うれしすぎてちょっと……!」
……なんだこいつ。なんか恥ずかしがり方が妙に大人っぽいというか、イメージと違う。もっとこう、うるさいくらいにきゃあきゃあ騒ぐもんだと思っていたんだけど。なんだかんだでこいつも結構二面性があるよな。
「わかってます、わかってるんですから。これはきっと、おにーさんがあたしをからかっているだけ。そう、今のはちょっと不意打ちを喰らっただけです」
落ち着きなくそわそわしながら、シャリィが必死に自分に言い聞かせていた。一体何がこいつをここまでさせるのか、俺にはよくわからん。
が、初めてこいつに対して優位に立てた気がする。いつも散々からかわれているのだ。こういう機会にしっかりと仕返しをしておくのも悪くない。
「お、反対側にもついてるぞっと」
「──っ!?」
反対側にもやってやったら、ぽん! っと顔が真っ赤になった。これ以上何かをしたら、シャリィの頭という赤いそいつが弾けてしまうんじゃないかと心配するレベルである。
「お、お、お、おにーさぁん……!」
珍しく、シャリィが羞恥でわなわなと震えていた。ほっぺを手で押さえ、若干涙目にもなっている。
「からかわれるってのはこういうことだ。どうだ、頭が弾けそうなほど恥ずかしいだろ?」
「……もう、弾けちゃいましたよ」
「ん?」
「おにーさんの、ばかぁ……!」
赤くなったままうつむくシャリィ。表現しがたいこの優越感。なんだかとても気分が良くなり、俺は贅沢に”ぽっぷこーん”を鷲掴みにして口に放り込んだ。
なんだかんだでバターしょうゆ味がジャスティス。次いでうすしお。こういっちゃなんだけど、ポップコーンに限って言えば甘い系よりもしょっぱい系のほうが良いと思うの。
最近だとけっこういろんなフレーバーがあるらしいですね。私の中ではバターしょうゆ、うすしお、カレー、キャラメルくらいしかないのですが、中にはとても奇妙なフレーバーもあるのだとか。
こないだ研究室でレンジでチンするだけのポップコーン(バター味)を作ったら、フロア全体がなぜかものすごくチーズ臭くなってえらいことになった。しかも味が全然しないっていうね。
とりあえず、どんなポップコーンであれ、鷲掴みにして口いっぱいに頬張って貪り食うのが最高においしいと思います。映画館で食べるとよりいっそう気分が盛り上がります。なんとなくですけど、映画館のチケット売り場のなんか偉大なことが始まりそうなあの雰囲気が好きです。
最後に見た映画……十年くらい前のポ○モンだったっけ……?




