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エルフとマンゴープリン

「ようこそ、《スウィートドリームファクトリー》へ」


 古都からすぐの、小さな森。命あふれる自然の真ん中に、そのステキな場所はある。外を熱く照らす太陽の光は今日も強く、自然の強さを見せつけているというのに、その中だけは幾分かひんやりとしていた。


「エルフのおねーさん!」


「…ふふ、また来ちゃった」


 にこにこと笑うマスターと、シャリィちゃんが出迎えてくれる。この暖かな笑顔ほど、心に染み入るものはない。甘いお菓子も好きだけれど、私がここに来るのは、何よりこの二人の顔を見たいからなのかもしれない。


「……」


 今日は、爺がいない。それがちょっと寂しい。


「……」


 甘い香りと、落ち着いたデザインの家具。そこだけゆったりと時間が流れているかのようで、元来人工物にはなじみのないエルフの私ですら、どこか安らぐこの空間。色鮮やかな花がいくらか活けられており、窓際にはあの祭りで見かけた金魚なる綺麗な魚が、丸くて透明で綺麗な──なんだろう、壺みたいなものの中で優雅にすすいと泳いでいた。


 いつもの私なら、これに目を奪われることだろう。だけど、今日は違う。


「やっほ、お姉ちゃん」


「まぁ、いいタイミングね!」


「わぁ! ここでおねーちゃんに会うの、ミィミィ初めて!」


「…久しぶり」


 妹のティティ。おばあちゃんのチュチュ。集落の子供のミィミィ。本来ならここにいるはずのない三人が、椅子に座ってゆったりとくつろいでいる。


 もちろん、集落からわざわざ歩いてきたわけじゃない。服装があまりにも普段着過ぎる。それにほら、ティティに至っては──部屋着じゃない?


「…格好」


「私の勝手」


 妹はいつもこれだ。だからちょっと恥ずかしい。


 ……恥ずかしいなんて、昔は思ったことが無かったんだけど。これもこの喫茶店に……いや、古都の人間と触れ合うのようになったからなのだろうか。


「ホントねぇ、この子ったら、ミィミィが出かけるのに目ざとくついてきたのよ。普段は引きこもりのくせに、こういうときだけ行動が早いんだから」


「だってミィミィ、ここでおいしいもの食べてる。ズルい」


「ズルくないよ! だってミィミィ、ちゃんとエルフのお水持ってきてるもん!」


 こないだ里帰りした日。爺の謎の技術によって、この喫茶店と集落でもろくに使われていない物置の扉がつながった。この事実を知るのは今のところこの四人だけ。お勤めがあるおばあちゃんとティティはともかく、ミィミィはたまに遊びに来ている──らしい。


「本当に良いお水で助かってますよ。僕のところの水も綺麗な方らしいんですけど、やっぱり敵いませんね」


 ミィミィは子供だ。そうでなくとも、エルフは集落内で物々交換をするため、お金を持つという習慣がほとんどない。一般的なエルフなら、三百年の一生の中で数回使うかどうかってところだろう。


 だから、この喫茶店に来てもモノを注文することができない。いや、爺やマスターならお金を払わずともお菓子を食べさせてくれるだろうけど、それはおばあちゃんが許さなかった。


「エルフの村の水ですもの! ユメヒトくん、あなたの国でも負けるつもりはないわ! これでも、出すところに出せばちょっとしたお金になるのよ?」


 そんなわけで、おばあちゃんはミィミィにエルフの水を持たせた。ちょっとした手土産らしい。正直お菓子の代金としては釣り合っていないようにも思えるけど、爺も喜んでいたからたぶん大丈夫なんだろう。



からんからん



 涼やかなベルの音が響く。ピクリと四組の細長い耳が動いた。


「マスター、来ちゃいまし──リュリュさんが二人!?」


「…そういえば、初めてだったね」


 入口に立っていたのはベージュのローブを纏った金髪の女。杖を持った、典型的な魔法使いの格好。アミルだ。


「そ、それにエルフの方がこんなにも──!?」


「こんにちは、アミルさん。ほら、こないだじいさんが教えた扉があったでしょう? あそこから遊びに来てくれたんですよ」


 にこっとマスターが笑いかけ、慣れた手つきで座席に案内し、さりげなく椅子を引いてエスコートする。この一連の動作だけで、アミルは何もかもを忘れて真っ赤になり、そのままぺたんと椅子に座りこんだ。


「あ、う……!」


「……っ!」


 ……なんか二人とも、見つめあっている。ついでに、マスターの方も妙に顔が赤い。正直、目の前で二人の世界に入られても困るんだけど。


「あらあらあら! まあまあまあ!」


「ああいうの、初めて見た」


「ミィミィ知ってるよ! あの人修羅場のおねーさんだよ!」


「……」


 ……とりあえず、ミィミィの情操教育に悪いことをした人間を突き止めないと。たぶんミスティだろう。あいつはそういうやつだ。


「マスター、おねーさん? お客様の前ですよ? そのままロマンスに入るのもあたし的には問題ないですけど、お二人ともそこまで度胸ありました?」


「「──っ!?」」


 シャリィちゃんの一言で二人は元の世界に戻ってきた。マスターは慌てるようにおばあちゃんやティティの紹介をし、アミルはアミルでミィミィの頭を撫でながらおばあちゃんに挨拶をする。


「あ、アミルさん! こちら、リュリュさんのご家族と、エルフの集落の子供です!」


「み、ミィミィちゃんとはもうお友達ですよ! わ、私アミルです! 冒険者やってます!」


「…お友達」


 二人とも、だいぶパニックになっている。私もこっちに来てからこういう現象があると聞いたことがあるけれど、この二人のように典型的なのは見たことが無い。やっぱりエルフにとっては物珍しいのか、おばあちゃんもティティも興味深そうに二人が慌てる様子を見ていた。


「それにしても、リュリュさんに妹がいるとは聞いていましたが……まさかここまでそっくりとは……」


「よく言われる」


「でも、しのぶさんは一発で見抜いたのよね」


「……しのぶさん?」


 きょとんとアミルが首を傾げた。言われてみれば、爺の本名はこの喫茶店の常連では私だけしか知らない。


「えー、あー、うちのじいさんの本名ですよ」


「えっ? ヤギョウさんって言って……ああ、それも偽名って仰ってましたね。でも、どうしてチュチュさんが?」


「……なんかあの人、三百年近く前にチュチュさんに会っているとか」


「……はい?」


 爺は見た目は普通の人間で、こないだチェックした時も普通のヒトだった。髪は一本残らず白髪だし、どこからどうみてもお年寄りにしか見えない。かなり元気でまるで年を感じさせない動きもするけれど、その風格は誰よりもおじいちゃんって感じがする。


 ヒトだから、たぶん六十歳前後のはず。なのに三百年前におばあちゃんに会っていて、しかもマスターと一つしか違わないらしい。


「マスターはまだ二十歳になっていないんですよね?」


「ええ。僕は十七ですよ。じいさんは十八のはずなんですが……」


「よかった、年上だけどそこまで離れてない……!」


 ……アミルのつぶやきは聞かなかったことにした。


 それにしても、明らかに計算がおかしい。いや、計算以前にいろんなことがおかしい。いくらなんでもあれで十八歳ってことはないし、かといって三百歳を超えているってのもあり得ない。


「三百年前からあの姿だし、今日こそ本人に問い詰めたかったんだけれど……」


「学校の方で用事がありまして。三人が来たら土産を渡しといてくれって、ちょうど昨日言ってきたんですよ」


 爺は祭りの”りんごあめ”と”わたあめ”をお土産としてマスターに預けていたらしい。こういう配慮はさすがだと思う。私が来るだいぶ前にこの三人は食べてしまったようだ。


 よくよく見れば、ミィミィの口の端がちょっとテカテカしている。つまりはそういうことだろう。ティティの口まで同じようになっているのは気づかないことにした。


「ホント……綺麗よねぇ。私も誘ってくれればよかったのに」


 おばあちゃんがコルクボードに張られた写真を見ながらため息をつく。もちろん、写真には綺麗なお祭りの風景や、私たちが屋台で楽しんでいる様子が写っている。あの、奇妙な空の炎も綺麗に形どられていて、語り部のおばあちゃんなら──いや、語り部じゃなくとも、爺の故郷のこの光景にあこがれを抱くのは想像に難くない。


 どこか遠くを見つめるような瞳と、恋人との……デートでひたすら待ちぼうけを喰らったかのような雰囲気に、思わず胸が痛んだ。


「…ごめん」


「あなたが謝る必要なんてないわよ、リュリュ。あなたの晴れ姿も見られたし、これでまた会う口実ができたんですから。あの人、昔っからこうなんですもの。今日だって見計らったかのように留守だし。いい年なんだから、あの秘密主義ももうちょっとどうにかなるといいんだけれど」


 毎回思う。爺のことを話すおばあちゃんは、私たちの知っているおばあちゃんと全然違う。もっとこう、おばあちゃんじゃなくて、若い女の人って感じがする。


「あ、あはは……。今度僕からもよく言っておきますよ。僕も問い詰めたいことが腐るほどありますし」


「そのときはよろしくね、ユメヒトくん!」


「なんか……パワフルな方ですね、リュリュさんのおばあちゃん」


「…あれで今腰を痛めているから。無理は出来ない」


「こら、余計なこと言わないの」


「ねぇシャリィちゃん、おやつの時間までミィミィとあそぼ!」


「もちろんです! お土産でちょうどいいおもちゃがいっぱいあるんですよ!」


「ここにハンモック欲しい。マスター、ないの?」


「こら、こんなところで寝転がらないの!」




 ……いつにも増してにぎやかだけど、たまにはこういうのも悪くない。








 それからしばらく。女の子だけのガールズトークのなか、さりげなくフェードアウトしたマスターが、いつも通りのにこにこ笑顔でなにやらステキなものを持ってきた。


 今日もまた、誰も何も注文していないというのに、みんながこの状況を疑問に思っていない。心と心で通じ合ったというか、この自然と心を通わせるかのような感覚は結構好きだ。


 あまりにも盛り上がりすぎた話──【爺捕獲計画】の最終段階、ひっとらえてふんじばった爺の口をどうやって割るかを夢中になって話していた私たちも、思わずマスターの方を向いてしまう。


「おまたせしました。今日のおやつの《マンゴープリン》です」


「げ」


 盆の上にあったのは、六つのオレンジ色。いつものグラス──透明なカップをずんぐりむっくりと太らせたかのような容器に、いくらか黄味の強い、濃いオレンジ色のつやつや、ぷるぷるしたそれが揺らめいている。


 形だけ見れば、こないだ食べた”ぷりん”に近い。けれども、見た目から受ける印象は、”ぜりー”に近い。それでいて、よく似たその二つとはなにかが決定的に違う。


 ……なんで、シャリィちゃんはうめき声を上げたんだろう?


「まあ! とっても綺麗ね!」


「初めて見る質感。……スライム?」


「違うよ! きっとすごくおいしいやつだよ!」


「ええ、美味しい事には美味しいんですけどね……」


「……?」


 ティティもお婆ちゃんも目を真ん丸にして驚いている。思い起こしてみれば、二人とも見た目が華やかなお菓子を食べたことはない。この前食べた”のしうめ”も”しらたまぜんざい”も、ここで出てくるお菓子の中ではあまり目立つ見た目じゃなかったし。


 しかし、なんだろう。本当に不思議な食べ物だと思う。


 つやつや、ぷるぷるとしているけれど、”ぜりー”のように透明じゃない。まるでこういう果実を魔法でスライムにしたかのようで、”ぜりー”特有の無機質な感じがしない。もっとこう、どことなく温かみのある感じだ。


 なめらかであろうその表面は、窓から差し込む日差しを反射して鈍く輝いている。宝石のような輝きではないけれど、ずっとみているとそのままその濃いオレンジに引き込まれていくかのような、言葉にしがたい深みを持っている。


 なにより印象的なのは、その強い香りだろう。果実特有の──特に南国の果実を彷彿とさせる、むわりと絡みついてくるような、ともすれば甘ったるい、されど決して不快ではない香り。


 見た目はオレンジのようだけど、柑橘特有の酸味や爽やかさは感じられない。ただひたすら、自然の恵みを甘さだけに凝縮したような、夏の魅惑を感じる香りだ。


「…いただこう」


 ともあれ、食べなくちゃ始まらない。どんなにステキなものであっても、お菓子はお菓子。見た目を愛でるのも悪くないけど、きちんとお腹の中に入れてあげることこそが、自然と言うものだろう。


「わぁっ! すっごくぷるぷる!」


「おばあちゃん、のどに詰まらせないでよ」


「失礼ね! これくらい楽勝よ! あなたたちこそ、慌てて食べたりしないのよ?」


「慌てなくてもたくさんありますよ。ええ、ホントに」


「こら、シャリィ」


「だってぇ……!」


 珍しくぐずるシャリィちゃん。マスターがつんと弾いたおでこを大仰に抑えて口を膨らませている。


「…どうした?」


「いえ、なんでも」


 にこにこ笑顔のマスターになんとなく不安なものを感じたけど、とりあえず銀の匙を使って一口分を掬い取る。指先のわずかな揺れが、それをぷるりと震わせた。


 ”ぜりー”ほどの弾力はなく、”ぷりん”のなめらかさともまた違った奇妙な手応え。絡みついてくるかのような、そんな感じだ。


 ちゅるりと、口に放り込む。




 夏の甘さ。


 自然の活力。


 そこに交じる、確かな幸福感。




「…おいしい」


「それはよかった」



 やっぱり今日も、この気持ちは変わらない。



 真っ先に来るのは、やっぱりその濃厚で深い果実の味だろう。果物の甘みをぎゅっと、これでもかと詰め込んだと思えるほど、そいつは甘い。口に含んだ瞬間、その絡みつくような甘さが舌の上を這い回り、いっぱいに広がって、うっとりとした気分にさせてくれる。


 芳醇と言う言葉がこれほどしっくりくるものはない。力強い甘さが口の中を行進していくのと同時に、深くくらくらする香りが鼻へと届く。まるで本当にその果実を食べたかと思わんばかりで、食感と香りのギャップがまた堪らなく面白い。


「すごいですね……! うまく言えないですけど、うんと甘い甘酸っぱさと言うか……!」


「名前はプリンで、なんとなくゼリーみたいな感じもしますけど、ほとんど別物でしょう?」


 マスターの言う通りだ。見た目はそっくりなのに、食べてみるとあの二つとは何かが根本的に違う。それが何かを表すことのできない自分が、たまらなく悔しい。


「初めて食べる食感だわ……! 長生きはするものねぇ……!」


「おばーちゃんが言うと、言葉の重みが違いますね!」


 それにしても、この滑らかな舌触りはなんなのだろう? 感触としては”ぷりん”のそれに近いけど、もっとこう、真に迫ってくる感じがする。濃厚な甘さがそう錯覚させているだけと言われたらそれまでだけど、それにしたってしっくりこない。


 もう一口食べてみる。おいしい。


「……」


 何もかもがどうでもよくなってきた。喉を通り越していくその心地よい感覚が、余計にその思いを加速させる。


 明日のことも昨日のことも、何もかもを忘れてこれを食べ耽ることができたなら、どれだけ幸せなことだろう。


「食べるの、ちょっともったいない」


 こういうと何だけど、味はシンプルだ。どこをとっても同じ味で、どこをとっても同じ食感。


 だのに、手が止まらない。もう少しゆっくり味わいたいのに、体がそれを許さない。自分の意思とは無関係に、カチャカチャとスプーンの音だけが響いていく。


 のど越しが良いのも、その一因なんだと思う。まるで自分から飛び込んでいくかのように”まんごーぷりん”は喉の奥へとするすると入ってしまう。さっきティティはああいったけど、こんなにも柔らかくて滑らかなものがのどに詰まるはずがない。


 深い香りと強い甘み。それらがもたらす幸福感が、スプーンを動かすたびに全身を貫いていく。


 ほんの少しだけ、悔しい。こんなにも素晴らしく、こんなにもおいしいお菓子なのに、私はこれ以上この”まんごーぷりん”を語る言葉が浮かんでこない。


 味も、見た目も、食感も。突き詰めて言えばシンプルで、どこかしらに今まで食べたお菓子の要素があって、これだけが持つ特徴というものは見いだせない……ように見える。けれど、言葉に表せないそこにこそ、この”まんごーぷりん”を”まんごーぷりん”足らしめる何かがあって、それを表現できないこの身が口惜しい。


「……」


 ああ、それにしても気になる。この甘さは何なのだろう?


 色はどう見ても柑橘のそれだ。けれど、柑橘の様な酸味はなくて、その甘さはむしろ桃に近いと思う。アミルが言った通り、果物特有の甘酸っぱさというものを、さらに甘さだけに特化したような……食べていてくらくらしてくるような、ともすればむせかえるともいえるような甘さだ。


 もちろん、これが砂糖の甘さであるはずもない。これでも私は、おそらくこの周辺で一、二を争うくらいに甘いものに詳しいのだから。砂糖の甘さとそうでないものの甘さくらい、わからないはずがない。


「…ところで」


「どうしました?」


 半分くらい食べたところで、ちょっと休憩。こういうことは、素直に聞くに限る。


「…これ、なんていう果物を使っているの?」


 そう。殊更に甘い、太陽の恵みをぎゅっと詰まった果実を使っているのはわかる。けれども、私はそんな果物を見たことも無ければ聞いたこともない。少なくともエルフの集落にはないし、古都で見かけたこともない。


「私も知らない。果物の本は読んだことが無い。知ってるの、エルフの集落で採れるやつだけ」


「ミィミィもこれ知らない! ねぇ、語り部さまは知ってるの?」


「あら、あなたたちは知らなかったのね。これはマンゴーって呼ばれる果実よ」


 やっぱりお婆ちゃんはすごい。知らないことなんてないんじゃないかってくらいに、いろんなことを知っている。


「南国の方で採れる果物よ。寒さに弱くて、実が付きにくいって話だったかしら。うんと甘くて、中に大きな大きな種があるの」


「…貴重?」


「まあ、そうなるわね。少なくとも、おいそれと食べられるものじゃないわ」


 …どうしよう。できればお代わりもしたかったんだけど。もとよりちょっと量は少な目だし、何よりこんなにおいしいのに。こういう美味しいものに限って高価だったり貴重だったりするからずるいと思う。


「もちろん、本来ならこの辺じゃ採れないものよ。森も山も超えたずうっと向こう……一年中暑くて、お日様がギラギラと輝いているところじゃないと育たないって話だわ」


「古都周辺もけっこう暑い」


「その程度じゃ駄目よ。少なくとも、冬に雪が降るような場所じゃあね」


 おばあちゃんの話を聞きつつ、もう一口食べる。今度はさっきよりも、慎重に、ていねいに。


 …味わいながら食べようと思ったのに、いつの間にか口の中からなくなっていた。本当にズルい。


「でも、実は古都でも栽培できないことはないんですよ」


「…アミル?」


 ここで、意外なところから声が上がる。今までそれに夢中になっていたアミルが、口から芳醇な甘い香りを漏らしながら話し始めた。


「リュリュさんはまだこちらに来て日が浅いから見たことが無いかもしれませんが、古都の中央部の方では特殊な魔法陣を使って栽培しているんですよ。暑さを保ち、雨風をしのぐ効果をもつやつですね」


「…そんなのあるんだ」


「私も詳しくは知らないですけど、古都の元となった太古の都市の遺跡に元から兼ね備えられていたそうです。大昔の人も、それを使って果物を栽培していたとか」


「アミルさんも詳しいですね! 私が知ったのも、古都の成り立ちを聞いたときなんですよ」


 おばあちゃんは語り部として古都の歴史を調べる中でこれを知ったらしい。もしかして、これって古都の人間にとっては常識だったりするのだろうか。


「…なんで、アミルはそんなこと知ってるの? それが普通なの?」


 なんとなくの疑問。思ったことをちょっと口にしただけ。


 だけど、アミルは私の言葉にいくらか赤くなり、ちょっとモジモジしだした。


「……し、知りたいです?」


「…うん」


「じ、実は、私も最近まで知らなかったんですよ。ですが、この前……といってももう数か月以上前ですけど」


「つい最近じゃん」


「…口を挟まない。エルフとヒトじゃ感覚が違う」


 ヒトはエルフの三分の一の寿命しかない。たったの数か月でも、きっとすごく長く感じることだろう。


「ともかく、友人の結婚式があったんです。そのお祝いパーティーにて初めてこのマンゴーを食べたんですよ」


「たしかに、祝い事の時くらいしか食べられないって話だったわね」


「ええ。私もちょっと高級な果物なんだな、としかその時は思いませんでした。実際、この年になるまでその存在を知らないくらい、一般的とは言えないものだったわけですし」


 身近で食べられることのない果物。果物じゃなくても、エルフの集落だとそんな存在はない。ミィミィはあまり実感できないのか、落ちるんじゃないかってくらいに首をかしげている。


「そして……あの運命の日……!」


 照れながら話すアミルに、これほどイラッとしたことはない。


 この後延々、初めてマスターと会った時の話をされた。いかにマスターがカッコよかったか、どれほど自分が救われたのか、初めて食べた”けーき”の甘さに、声をかけてくれたマスターのやさしさ……。


 これが、惚気ってやつなのだろう。マスターはもう、真っ赤になって声も出せずに顔を伏せている。ミィミィが不思議そうにマスターの髪を引っ張って遊んでいた。


「本当に、もう、もう……!」


「結論、早く」


「……あっ、ごめんなさい!」


 こういう時はティティがありがたい。この不愛想で本のことしか考えない妹は、エルフの中でもとりわけ空気を読むということをしない。


「……お、おほん。それで私、素材を持ち込んでマスターにお菓子を作ってもらおうと考えたんです。その時に一番に浮かんだのがマンゴーでした。珍しい材料なら、話の種にもなるし、マスターも喜んでくれるかなって」


「…それで?」


「ただ、すっごく、すっごぉく高かったんですよぉ……。それこそ、一級の私でも手を出すのをためらうくらいに……」


 魔法陣を使った栽培はとにもかくにも手間が掛かる。年中休みなく魔力を切らさないようにしなくちゃいけないから、魔法使いの雇用費だってバカにできない。雪が降る日はいつも以上に魔力を注がないといけないし、大昔の魔法陣であるぶん、燃費も悪くて使いづらいのだとか。


 その上、おばあちゃんが言ってた通り、マンゴーとは実が付きにくい果物らしく、それだけやってなお数個しか採れないどころか、全く採れないこともあるらしい。


 引きこもりだったとはいえ、本来ならいっぱい稼げるはずのアミルでも手を出せないほど高価。どれだけの手間が掛かっているのか、ちょっと想像できない。


「そもそもほとんど出回らないみたいで。自分で魔法陣のこととかどうにかしてみようといろいろ調べたんですよ」


「…なるほど、それで」


「修羅場のおねーさん、それでどうなったの?」


「魔法陣、難しすぎてさっぱりでした。たぶん、アルさんでもわからないと思います」


 よほど残念だったのだろうか。修羅場のおねーさん呼ばわりされたのに、アミルは気づいてすらいない。名残惜しそうに息を付きながら、最後の一口を口の中に入れている。


「はぁ、おいしい……っ!」


 途端にぱぁっと浮かぶ明るい笑顔。もし私が男なら、この笑顔で落とされていたと思う。そう感じるほど魅力的な微笑みだった。


 ……マスターは、アミルのこういうところに惹かれたのだろうか。


「でもマスター。きっとこれも、古都のものじゃないんでしょう?」


「え。ええ。ああ、僕の友人の──楠のところで作ったやつですよ」


「まぁ、しのぶさんの故郷ってこと? あの人、ふわっとした言い方しかしないけど、案外近いところにある……ちょっと待って、この辺ならコストは抑えられないんじゃ?」


「いやぁ、何と言いますか……いろんな意味で、その辺は大丈夫なんですよ」


「お姉ちゃん?」


「リュリュ?」


 二人の視線が私の顔を貫く。語り部特有の、知りたがりの眼だ。おばあちゃんなんて爺がらみの情報だからか、いつも以上に顔が真剣だったりする。


「…隠れ里? 地理的には全然違う」


「暑かった?」


「…こっちよりも暑かった。けど、程度問題」


 そもそもそんなの関係ない。暑かろうと寒かろうと、それこそ死の大地であろうと、マスターの親友だというあの大男が関わっているのなら、どんなものでも美味しく育て上げることだろう。


「今年も豊作でして……。文字通り腐るほど採れちゃって、今あっちでは処分にてんやわんやしております。痛むのも早いし、かといって人が食べられる量にも限界がありますし……」


「……そ、そんなに?」


「本人曰く、『まごころを込めたから』らしいですけどね。うちで使う材料、いっつもおすそわけしてもらってるんですよ。あ、お土産ってわけじゃないですけど、いくらでもあるんでよかったら好きなだけもってっちゃってください」


 にこにこと笑いながら、マスターがどどんとそれらをカウンターの上に置いた。三人かかりでも持ちきれないくらいの大量のマンゴーが、私たちの視界を埋め尽くす。


「あの野郎、ここぞとばかりに押し付けていきやがって……。残すとじいさんに怒られるし、ここしばらく、僕のデザートはずっとこれなんですよ」


 その数、いっぱい。数えるのが面倒くさい……というか、数えたくない。


「……こ、こんなにたくさん?」


「ホント、いくらでも持っていっていいですよ! もちろん、お代わりも好きなだけどうぞ! お代も入りませんから!」


「さすがのあたしでも、そろそろ飽きてきちゃうんですよねぇ……。いや、おいしいんですけど、一日十個のノルマはきつすぎますよぉ……」


 マスターは、『今日のおやつです』と持ってくるときに行った。そして私たちは誰も注文をしていない。つまり、これはあくまでマスターの善意と言うことになる。


 さらに、シャリィちゃんはこれを見たとき確かにうめいていた。


 つまりは、そういうことなんだろう。


「ま、まぁこれくらいなら持っていけないこともないし……むしろ、みんなにいいお土産ができたわ!」


「お兄ちゃんならいっぱい食べてくれるよ!」


「私のおやつにするからちょうどいい」






「いえ、これ、一部ですよ?」


「「えっ」」





 どどどどん、とさらに追加のマンゴーが私たちの隣のテーブルに置かれた。シャリィちゃんがここぞとばかりに奥に引っ込み、せっせと追加のマンゴーを持ってくる。目の前を埋め尽くすそれは、総重量にしたらミィミィが三人くらい……いや、下手したらおばあちゃんと同じくらいあるかもしれない。


「……リュリュ、ティティ? あなたたちちょっと今失礼なことを考えなかった?」


「…別に?」


「べっつにー?」


 お土産はそれだけじゃ終わらない。今度返してくれればいいからと、こないだの”くーらーぼっくす”に大量の”まんごーぷりん”が入れられていく。どれもびっくりするほど甘い香りを放っており、その濃く鮮やかなオレンジ色はこちらを引きこむ……というか引きずり込んでくるほど深く、濃厚だ。


「甘みが強くて濃厚なのも、いいマンゴーを贅沢に、大量に使っているからなんですよ」


「それでなおこれだけ余るんですもん。マンゴープリンもマンゴーそのものも一日十個食べないと終わりそうにありません」


「十個って、そっちもですか!?」


 アミルのバッグはパンパンだ。『好きなだけ食べていいですよ!』とマスターに微笑まれ、これでもかと詰め込まれている。あくまで善意である手前、断ろうにも断れないし、そもそもアミルにはマスターからの贈り物を断るという選択肢が無い。


「も、もう持ちきれませんよ……!」


「アミルさんは売り上げにかなり貢献してくれていますからね。僕なりのサービスですよ!」


 たぶん、売ればかなりのお金になるだろう。でも、アミルも私たちも、それはしない。できない。


「足りなかったら言ってくださいね! いくらでも追加しますから!」


「ミィミィちゃん、あたしたち友達ですよね。遠慮なんかしないで、いーっぱいもってっちゃってください♪」


「シャリィちゃんがなんか怖い……!?」


「……」










 結局、アミルも交えて大量のマンゴーをエルフの集落にもっていくことになった。隠し通せるものではないと判断し、途中でルタも仲間に引き入れる。奴はグチグチ言いながらも、おばあちゃん三人分以上はありそうなマンゴーの山を運んでくれた。


「おい、これは何の実だ?」


「あら、リュリュ! 今度は何を持ってきてくれたの!?」


「甘い。おいしい。もっと欲しい」


「狩人に譲れ。俺たちは疲れているのだ」


「あなたたちは肉でも食べてればいいのよ」


「あっ、あたしこれだいすき!」


 恐ろしいことに、同胞たちはあっという間にそれを喰らいつくした。ティティに至っては、本を読みながらその日のうちに十個以上もの”まんごーぷりん”を平らげた。女どもは、男どもの三倍以上もの”まんごーぷりん”を平らげた。


 あれだけあったお土産が、あっという間になくなった。


「一応、貴重な果物なんだけど……」


「…いっぱいあったんだからいいんじゃない?」


 げに、恐ろしきは甘いものに対する女の執念だろう。それはマンゴーの甘さよりも深く、照り付ける夏の太陽よりもギラギラしているのかもしれない。


 なんとなくですけど、昼餉には遅く、おやつにはちょっと早いくらいの夏の午後にテラスで食べたいお菓子です。


 マンゴープリンも当たり外れが大きい気がする……というか、ものによってかなり印象が変わると思います。本当にプリンっぽい食感だったり、むしろゼリーみたいに弾力があったり。マンゴーの甘さ一つとっても、本当に果実そのものを食べているかのように濃いものだってありますし。


 そして書いていて思ったのですが、食べたときの印象の強さのわりに、文章にしたときすごくシンプルでびっくりしました。極端な話、『ゼリーっぽい』、『マンゴーの味がする』だけで表現で来ちゃいますし。もっと感じたことをいろんな形で表現する力を身に着けたいものですな。


 個人的には某中華街で食べたマンゴープリンが一番おいしかったような気がします。食べ放題でいくらでも食べてよかったやつなんですけど、なんだかんだ三つでおなかいっぱいになっちゃいましたね。


 ところで、マンゴー本体ってなんとなく味が巨峰(ブドウ)に似ていません? 以前お土産のマンゴーに直接かじりついたとき確かにそう感じたのです。姉上は共感してくれるのですが、ほかの誰もが『それはちょっとおかしい』って言うのです……。


 最後に。


 結局これってプリン扱いでいいのだろうか……。ゼラチン使って固める場合、もうマンゴーゼリーでいいんじゃないかって思うの。

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