冒険者巡話
ほの暗い明かりと人々の喧騒の中、俺はぺたぺたと音を立てて歩いていく。ねっとりと体に絡みつくような暑さには慣れないし、この薄いヒラヒラ──甚平を着てなお汗が止まらないが、不思議と悪い感じはしない。
そこら中から漂ううまそうな匂いと、祭り特有の活気。どこからか太鼓の音が聞こえ、嬉しそうにはしゃぎまわる子供やにこにこと笑いながら屋台をめぐるやつらがそこかしこにいる。
うん、ぶっちゃけ、視界に入る人間の四割がたはいちゃついているカップルだ。このガッコウが主催している祭りだからか、セイトの比率が多い。もちろん、見ていて微笑ましくなるようなちびっこいガキのカップル(?)もいるし、なんかすんげえ風格と言うか、熟練したって感じの老夫婦とかもいるけど。
「おにーさん、あっち! 次はあっち行きましょうよ!」
「……はあ」
「おにーさん?」
シャリィがくいくい、と俺の甚平を引っ張る。浴衣姿でばっちり決めたあいつは、認めなくはないが、いつもより結構可愛らしい感じではあった。基本的にこの浴衣ってのはじーさんやマスターの様な黒髪の人種にこそ映えるものだけど、どうしてなかなか、様になっている。
まぁ、それはいいんだ、それは。問題なのは……
「やーですねぇ。こんなにもかわいい浴衣美少女とデートしてるってのに、そんなため息なんかついて」
なぜか、俺とシャリィが二人きりで──まるでカップルかのように一緒に祭りを巡っていることだろう。
「デートぉ? お守りの間違いだろ? じーさんだって、一緒に行ってこい──なんて言ってたじゃないか」
俺、最初は普通に一人で祭りを巡っていたんだよ。別に一人が好きだとか、あいつらと一緒にめぐるのが嫌だったってわけじゃないけど、こういうのって最初はひとりで全部見たいタイプなんだよな。
そんで、うまいもん食べたり屋台で遊んだり、珍しいもの見てワクワクしていたら、なんかいきなりでっかい叫び声が聞こえたんだ。そりゃもう、みんながオーガみたいに叫びだすものだから、マジでびびったって。
そんな面白いことになってるんだ、騒ぎの中心を見てみたいと思うだろ? そんなわけで行ってみたら、なんか見覚えのある連中の真ん中でじーさんがよくわからん演説をして謎の感動に包まれていたんだよな。
で、気づいたらなぜかシャリィと祭りをめぐることになっていた。何を言ってるのかわからないと思うが、俺もわからない。
「そりゃ、公衆の面前でデートだなんて言えませんよ」
「なんでだ? ここらにゃそういうやつがいっぱいいるし、マスターとアミルだってじーさんに屋台を任せてデートに行ったじゃないか」
「あたしは別に気にしませんけど、おにーさんとあたしだと、犯罪になっちゃいますよ?」
てへっとシャリィが下手くそなウィンクをしてこちらに微笑む。なんかがっくりとした。黙ってさえいればけっこう可愛いし、十年……いや、五年後が案外楽しみな感じではあるのに、どうしてこいつはこうも残念なのか。
「それに見てくださいよ! こーんなに綺麗な浴衣姿なんですよ? そんなことを言うよりも、もっとこう、言わなきゃいけないことがあるんじゃないですか?」
「ああ、はいはい。可愛いよ。すっげぇ可愛い。正直見惚れちまったよ」
「へへん、どんなもんです!」
「浴衣の方」
「なんですとっ!?」
ひらりと回ってそれを見せつけていたシャリィが、むきーっと唸りながらぽかぽかと俺の腹を叩いてくる。このやり取りも、ちゃんとした女ならうれしいんだけどなぁ……。
「な、なら……! これならどうです? 知ってますよ、男の人ってこういうのが好きなんでしょう?」
「……」
シャリィが俺の腕を取り、そのまま腕に抱き付いてきた。イチャイチャしているバカップルがよくやる様なアレだ。俺はアレを見ると、歩きにくいんじゃないかと思わずにいられない。だいたい、盗賊……というか冒険者の命でもある腕を塞ぐ行為など、冒険中にやったらぶん殴られても文句は言えない。
もちろん、冒険中ではなく、誰にも迷惑をかけない形であるならば、俺だってそういうのは結構好きだったりする。腕に女を抱き付かせながら歩くって、全ての男の夢の一つだと思うし。
だた、まぁ──
「どうです? なんかこう、キュンキュン来ちゃいました?」
「むしろグリグリしてなんかちょっと痛い」
断崖。絶壁。まな板。洗濯板。デスウォール。嘆きの平原。そういう単語が頭に浮かぶ。
あえて直接的にいうのだとしたら、ぺたんこ、ナイチチ、ぺちゃぱい、貧乳ってところだろうか。
まぁ、こいつの年齢から考えればそれが普通なんだけど、それにしたって悲しくなってくる。将来のことを見据えて牛乳飲んどけって言いたくなる。
俺は、ぼんっ! きゅっ! ぼんっ! が好きだ。それが男ってもんだ。
「うっ……! ううっ……! ひっぐ……!」
「お?」
「お、おにーさぁん……! さすがにデリカシー無さすぎですよぉ……っ!」
シャリィが立ち止まり、手のひらで顔を覆った。鼻をすんすんと慣らし、涙声になっている。
もちろん、こんな往来のど真ん中でそんなことになっている女の子がいて目立たないわけがない。いろんな連中がこっちを見て、ろくでもない憶測に基づいた何かを話していた。
「ほれ、下手な演技はやめろって。ウソ泣きするんだとしたら、もっとそれっぽくやんなきゃ俺には通用しねえぞ?」
「あ、バレました? さすがおにーさん!」
ほら見ろ、ケロッとしてやがる。こいつはそういうやつだ。
「あたしたち、心と心で通じ合ってるんですね!」
「おい」
なんでそういう結論になるのか。ホント、転んでもタダじゃあ起きないというか……。このしたたかさ、ある意味で尊敬できるレベルだよな。
「でもでも、デリカシーが無いってのはホントですよ? あたしだからよかったものの、あれで泣きだす女の子は少なくないですって」
シャリィがにんまりと笑いながら俺の腹を突いてきた。まるで、出来の悪い弟に計算を教える姉の様な態度だ。
しかし、いくら俺だってそんなことくらいわかる。それでなおああいう言葉をつかえたのは──
「──そんなの、お前だからに決まってるだろ?」
「え、それって──?」
「言わせんな、恥ずかしい」
気の知れたこいつでもなきゃ、あんなことは言えない。いい意味でも悪い意味でも、こいつには気を使う必要なんてないからな。
……ん? なんであいつ、あんなにも真っ赤になってるんだ? 今のセリフのどこにそんな要素があったのかね? 本当にあいつの考えていることはよくわからん。
「ほれ、ボケっと突っ立ってるなって」
人ごみに飲まれそうになったので、シャリィの手を引いてやる。そうでもしないと、シャリィは動いてくれそうになかったからだ。
「おてて……!」
「お前まで迷子になっちゃ敵わんからな」
これはマジだ。そうでもなきゃ、どうして俺がこんな乳臭いガキと手をつながなきゃならんというのか。
「うへへ……!」
「……」
シャリィはにまにまと笑い、見るからにご機嫌そうに俺の腕に絡みついてきた。ご丁寧に手をしっかりと握り、さらには指と指を絡めてくる。俗にいう恋人つなぎって奴だろう。
「そーですよね! 迷子になっちゃうと困りますもんね! しっかり握らないとダメですよね!」
「……」
「やーんもう、おにーさんってばかわいいんだからぁ♪」
セットが乱れないよう、ゲンコツではなくデコピンにした俺って、世界で一番優しいのかもしれない。
さて、そんなこんなでシャリィと祭りを巡っていた時のことだった。不本意ながらあいつの喰うもの遊ぶものすべてを奢る羽目となり、そろそろ本命のじーさんとマスターの屋台に行こうかと歩を進めたところ、そいつに出会った。
「あっ、キミは……!」
「あら、利成くん!」
シャリィと同じくらいの年齢と思われる、どこにでもいそうなガキだ。半袖短パンの非常に動きやすそうな格好をしている。こっちの人種の顔の良し悪しは俺にはわかんねえけど、なんとなくモテそうな感じがする。俺の村でも足の速いやつ──自慢じゃないけど俺が一番モテていた。
「知り合いか?」
「こないだお友達になったんですよ!」
シャリィの無垢なる一言に、そいつ──トシナリはがっくりとうなだれた。なんとなくだけど、それだけでだいたいのことは察することができる。盗賊のカンの良さは侮れないのだ。
「本当に?」
「……えと、その、ナイショですけど……こないだ、告白されちゃいまして」
どこか恥ずかしそうな、後ろめたそうな顔をしてシャリィがひそひそと告げてくる。俺には何がいいんだかさっぱりわからないけど、こいつはこの年にしては精神的に大人びているし、それなりに人気があるのだろう。
「よかったな。お似合いじゃねえか」
「……ばかぁ!」
おもっくそケツを叩かれた。何なのコイツ?
「お、お兄さん、もしかしてシャリィちゃんの……?」
「さぁ、どうだろうな? もしかしたら、こいつを誑かしている悪い大人かもしれねえなあ?」
とりあえず煽ってみる。ガキをからかうほど面白いことはない。案の定、トシナリは嫉妬(?)の炎をメラメラと燃やし、キッとこちらを睨みつけてきた。
「──俺と勝負しろ」
「お? 俺と? お前が?」
なかなか気概がある……と言いたいところだが、勝てない相手に勝負を挑もうってのはバカのやることだ。もし俺が逆の立場だったら、この場はズラかって後で正々堂々闇討ちする。
「あそこに射的の屋台がある! それで俺が勝ったらシャリィちゃんを解放しろ!」
トシナリはそれを指さした。なんか奇妙な棒から変なのをぶっ放し、的になっている景品に当てるってだけのいたってシンプルなゲームだ。どうやら祭りの定番らしく、それなりに人が集まっている。
中でも、こいつくらいの子供や男連中が夢中になっていることから、これは男の勝負として相応しい──さらに言えば、こいつの十八番でもあるってことなんだろう。
「面白ぇ。そうだな、勝った方がこの後シャリィとデートできるってのはどうだ?」
「男に二言はないぞ! その言葉、絶対に忘れるな!」
トシナリは鼻息を荒くし、屋台のねーちゃん──どこかで見たと思ったら、護衛依頼の時にいたやつだ──にコインを渡した。俺も適当に軽く挨拶だけして、同じようにコインを渡す。
「やぁ、久しぶりです。……なんだか面白いことになっていますね?」
「まぁな」
……ふと思ったけど、シャリィに了承を全くとっていなかった。まぁ、俺としては勝っても現状維持、負けても自由になれるだけだから、マジでどうでもよかったりするんだけど、こいつはどう思っているんだろう?
「やめて! あたしのために争わないで! ……うへへ、実は一回言ってみたかったんですよねぇ……!」
平常運転だった。そういや、こういうやつだったよな。
「にしても、わ、悪い気はしませんね……!」
しかもなんか、割とガチでお姫様気分に浸っている。こいつも年相応にそういうところはあるらしい。何で他のところもちゃんと子供らしくならなかったのだろうか。変なところだけ大人びていて、肝心なところが子供っぽい。主に胸とか。
「後で佐藤に報告したほうが良い……のかな?」
「いや、これくらい、女の子なら普通だろう? 私だってお姫様に憧れた時期があったし」
「い、いいから早く始めるぞっ!」
せっかちなのだろうか、トシナリはその奇妙な棒──銃を構えると、ぽん、と獲物の一つを撃ち抜く。片手で覆える程度の小さなクマのぬいぐるみがこてんと倒れ、コルクの弾がころころと転がった。
「どうだ!」
「やるじゃねえか」
どうしてなかなか、上手いものだと思う。なんだかんだで十二発貰った弾のうち、七発を的に当て、景品を取っていた。自信があるように見えたのも、気のせいじゃなかったらしい。
「俺はな、この辺で一番射的がうまいんだぞ!」
「ほお、そりゃすげえや。……どれ、俺もいっちょやってみるかね?」
トシナリから銃を受け取り、あいつと同じように構えてみる。狙いをつけて引き金を引くだけだから、弓や投げナイフよりはるかに取り扱いは楽だ。
そして、盗賊ってやつはみんな器用なんだよな。
ポン、ポン、ポポポン!
「ぼちぼちってところかね?」
「う、嘘だろ……!?」
盗賊の眼を舐めないでほしい。弾の挙動やクセなんか、あれだけ見れば覚えられる。使い方だってそうだ。見ればだいたいわかる。第一、道具の使えない盗賊なんて何の役にも立たないし、俺はこれでも宝探し屋志望なのだから。
「十二発中、九発……! 弓を使わないからって油断した……!」
「くそっ! 組合の人はみんなこうなのか!」
……なーんか、俺の前にも誰かがここで遊んだみたいだな。弓っていうとエリオかリュリュってところだろうか。エリオにしてもリュリュにしても、ハンナかどっかの子供に景品のお菓子でもねだられたんだろうな。
「すっごぉい! おにーさん、すっごぉい!」
シャリィがぴょんぴょん飛び上がって喜んでいる。今回の戦利品は民芸品らしきアクセサリーとお菓子セットだ。正直お菓子なら喰い飽きるほど食べられるだろうと思えなくもないが、こういう的屋の景品ってなんかやたらと嬉しく感じるんだよな。
「ちくしょぉ……!」
敗者のトシナリは歯を食いしばっている。今更ながら、なんか罪悪感が出てきた。
「利成くんも、あたしのためにありがとうございます!」
「シャリィちゃん……」
シャリィがとてとてと歩き、トシナリの横に立つ。にっこりと笑顔を浮かべ、手を握ってお礼の言葉を述べていた。奴の戦利品の飴玉セットから二つほど綺麗な飴玉を抜き取り、幻想的な明かりをバッグに柔らかくはにかむ。
「これ、もらってもいいですか? おにーさんが取ったもので申し訳ないですが、あたしからはこっちのお菓子セットをプレゼントです!」
こういう気配りやフォローができるからこそ、惚れられたんだろう。こいつは曲がりなりにも接客業をしているわけだし、この手のことは文字通りお手の物だ。決して顔だけで惚れられたのではないと信じたい。
「あと、ごほうびってわけじゃないですけど、お礼として──」
ちゅっ!
「「!?」」
固まった。俺と、トシナリと、ヤナセと、タチバナが。
特にトシナリは、首筋から耳の先までイチゴのように真っ赤になり、ほっぺを触ってプルプルと震えている。
そう──シャリィは、トシナリのほっぺにキスをしたのだ。
「──っ!!」
「あ、逃げた」
何かに耐え切れなかったのか、トシナリはダッシュしてどこかへ行った。とにもかくにも、駆け出したくなったのだろう。気持ちはなんとなくわかる。
「ありゃ、利成くんには刺激が強すぎましたか」
「シャリィちゃん……魔性の女なんだな……」
「佐藤には黙っておこう……」
意外なようで意外じゃないような、何とも言えない感じだ。俺は未だにこいつが何を考えているのかさっぱりわからない。
ついでに、なんでか微妙にイラッと来ている。マジで意味不明だ。
「おや? おやおやぁ? おにーさんってばもしかして、嫉妬しちゃいましたぁ?」
「……」
「やーん、それならもっと素直になってくださいよぉ♪ おにーさんなら、あたしはいつだってうぇるかむっ! なんですから!」
「……ちげぇ」
違う。そういうアレじゃあねえ。なんというか、もっとこう、適切な表現ってものが……。
「アレだ、親戚の……小さいころから面倒を見てきた姪が、いきなり色気づいて男を紹介しに来た時みたいなアレだ」
「嫌に具体的だな……」
「でも、なんかわかる……」
嫉妬って意味で考えれば、そんなに間違っていない。でも、これは決して恋愛感情なんかじゃない。
繰り返すようだが、俺はぼんっ! きゅっ! ぼんっ! が好きなのだ。
「ほら、さっさと行くぞ」
「あ、おにーさん? ちょっ、そんなに慌てなくても……!」
シャリィの手を握り、半ば強引に歩を進める。
「ははぁ、そんなにあたしとデートしたいんですね!」
んなわけあるか。乳臭いガキとデートして喜ぶ趣味は俺にはない。たぶん一生そんな特殊な趣味に目覚めることはない。誓ってもいい。
ただ、これだけは言える。乳臭いガキとデートをする趣味はないけれど、気の合うやつとウマいものを食べるのはとても楽しい。それが男か女か、子供か大人かなんてのは、些細な問題だ。
そう、盗賊は細かいことは気にしない。だから、これもそういうことだ。
「もたもたしていたら祭りが終わっちまう。さっさとじーさんのとこでうまいもんを喰わなきゃいけない。わかるな?」
「まぁ、たしかにウチの屋台が一番ですからね!」
もう十分食べたし、十分に遊んだ。ここらでメインディッシュを迎えても問題ないだろう。なんとなくだけど、このお祭りの喧騒も、終わりのそれの盛り上がりを見せていることを感じる。
だったら、最後は一緒にいて楽しいやつと、最高にうまいもんを食べたくなるってのが人のサガだろ?
「あたし、どうしても食べたいのがあるんですよ。お祭りって言ったら絶対外せない、最高においしくて楽しいやつなんです!」
「決まりだな」
幻想的な光と絡みつくような暑さ。うまそうな匂いとお祭り特有の活気。ぺたぺたと二つの音を立てながら、俺は迷子にならないように、浴衣の女の子の手を引いて歩いて行った。




