冒険者とじゃがバター
※ちょいと宣伝。文系・理系ならぬ魔系学生の友人の日記をちょろまかし、新作として公開してます。ちょっと不思議でシュールな学園生活や授業内容といった日常が綴られていました。よろしかったらどうぞ!
二話連続更新。いっこまえからどうぞ。バルダスさんについてはハートフルゾンビの【ゾンビの天敵】を読むとすんなりつながるかと思われまする。
「なんだったんださっきのは……」
「気にするこたぁないさ」
ガッコウのガキ──カシノとラズを襲った連中は、その主犯格であろう妙に顔色の悪い少年に連れられてさっさとどこかへと行ってしまう。
使い魔の証に気づかずラズを襲ったようだったが、武器の持ち込み禁止のルールを知らなかったり、こっちの人間の服装をしていたり、なんだか妙にちぐはぐな印象を受ける連中だった。
オレたちと同じようにこの隠れ里に遊びに来ているのかと思いきや、そうでないような感じもする。ただの実力者なのか冒険者なのかよくわからん。
おまけにあの顔色の悪いやつ、なんだってじいさんをあんなに恐れていたんだ? そりゃあ、めちゃくちゃ強い相手をみりゃ畏怖するのもわかるが、だからといってただ現れて諌めただけのじいさんをあんな風に怖がる理由にはならねえ。
「この後も、基本的なスタンスは変えないでおくれよ?」
「わかってるって。武器も魔法も無し。魔物はいない。出身は『ヨーロッパの田舎のほう』だろ?」
ただし、こいつはバレなければいいらしい。今だって対策三部とかいう連中が近くにいるが、小声で話しているから大丈夫なんだよな。
「わざわざすまなかったね。お前が駆け付けてくれたおかげでこの程度で済ますことができた」
「あの殺気に気づかないほうがおかしいだろ?」
ミスティが気づかなかったのはしょうがない。ハンナ、エリオはたぶん浮かれすぎている。アミルやセインもきっとそうだろう。アルは本業は学者であくまで兼業冒険者だ。
レイクとエリィくらいは気づいてもよさそうだったが……たぶんリュリュとちみっこの歌でも聞いていたのだろう。なんか大舞台のほうがすっげぇ盛り上がっていたしな。
「それじゃあ、すまんがラズを連れて行ってくれないかね? もうここに置いておく理由もなくなっちゃったからねェ」
アオン!
緑の毛皮のグラスウルフが気持ちよさそうに吠える。先ほどまで闘っていたというのに実にのんきなものだ。ご主人様が落ち込んでいたと知ったらどんな行動にでるのか、ちょっと気になる。
「じいさんはどうするんだ?」
「私は商売に戻るよ」
それだけ言ってじいさんはさっさと行ってしまった。対策三部の連中もこっちにぺこりと頭を下げ、それに続く。
この暗闇に響くのはラズの息と虫、風の音だけ。さっきまで殺気に満ちた空間だったとは思えない。
「おら、行くぞ」
オン!
ラズのリードを引いて歩いていく。どうやらここはあのでっかい校舎の裏手に近いところのようで、人の気配はおろか明かりさえほとんどない。ましてや、今はほとんどの人間が屋台や大舞台のほうへと集中しているからか、よりいっそう寂しい空気が流れていた。
「ああ、動いたらまた腹減っちまったなぁ」
アオン!
「おめえも肉食うか? 使い魔連れててもいい場所にも、いっぱい旨そうなもんがあったぜ」
アオン!
「おう、また一から食い直さないとやっていけねえよな」
この言葉に返事をしたのはラズじゃなかった。
「──その前に、ちょ~っとつきあってくれねえか?」
「……あん?」
ゆらりと木の陰から影が躍り出る。忘れもしない。さっきオレが一本背負いでぶん投げたはちみつ色の髪の男だ。どうやら去ったと見せかけて戻ってきたらしい。他の仲間が見えないところを考えると、こいつの独断なのだろう。
殺気こそないが、その眼には闘志があった。
「なんだかよくわかんねえけどさ、俺もやられっぱなしってのは性に合わないんだ」
「……まぁ、そうだろうな。おそらくだが、同じような生業だろ?」
「ありえないとは思うが、そう考えてもいいくらいには状況証拠がそろっているな」
はちみつ色の髪の男はちらりとラズを見る。そう、ラズを見たんだ。つまり、こいつもこっち側の人間で、何らかの方法でこの隠れ里に遊びに来たってことなんだろう。
服装もちゃんと偽装している割には武器持ち込み禁止のルールを知らなかったり、こいつを招き入れたやつはじいさんほど準備をしっかりしていなかったのかもしれない。
「でもよ、さすがに殴り合いはダメだろ? 模擬戦もここじゃ無理だ。こっそりやろうにも、だぶんじいさんは気づくぜ」
「……俺もそう思う。あのじいさんは一番ヤバい。何がどうヤバいのかはわかんねえけど、とにかく逆らっちゃいけない」
やっぱこいつは一流以上の冒険者だ。あの得体のしれなさを感覚で理解してやがる。そして、実力がなければそもそもそんなことを感じることはできないのだ。
「だから、こいつで勝負だ」
「お?」
はちみつ色のにーちゃんは一枚の紙を渡してきた。そこには闘志を呼び起こすような熱いデフォルメを加えられた筋肉が描かれていた。
「『腕相撲大会』……ねぇ」
「もうすぐ始まるんだってよ。飛び入り参加もありだ……まさか、逃げるなんて言わないよな?」
「上等だ」
純粋な力と力のぶつかり合い。男の勝負ってのは、やっぱこうじゃなきゃならない。
「──返り討ちにしてやるよ」
誰かの真似をして、ぺろりと唇を舐めて笑ってみる。
この時のオレは目の前の強敵との勝負のことしか頭になくて、他の事を一切合財忘れてしまっていた。
「それで、私一人ほったらかしにして大会に出ていたと?」
オン!
大舞台の前で、ミスティが冷め切った眼でオレを見下していた。言葉の端々から不満が漏れ、腕を組んで見下すさまはとてもさっきまで失恋で泣いていたようには見えない。
「まぁ、な。男なら受けなきゃいけないってわかるだろ?」
「私、女だからわかんない」
そりゃそうだ。こんなデカ乳の男がいてたまるか。こいつを見て男だとか言うやつがいたのだとしたら、そいつはオークに頭をぶん殴られたか、悪魔に頭をイジられたかのどっちかだ。
「自分で言うのもなんだけどさ、泣いていた女ほったからしにして遊ぶってどうなんだい? こう、普通は最後まで面倒見るものなんじゃない?」
「うっ」
「しかも、負けてるし」
「言うな!」
オレが参加したのはトーナメント形式の腕相撲大会だ。くじを引いて四つのブロックに分かれ、ブロック内での予選を勝ち抜いたものが代表として本戦に進めるといういたってシンプルなものだった。
オレとはちみつ色の髪の男──エディは別々のブロックになってしまった。だから、本戦で会おうと固く約束して予選に臨んだ。そこまではよかったんだ。
だけど、当然のことながら参加者はオレたちだけじゃない。近所の力自慢っぽいのが何人もいたし、棺桶に片足突っ込んでそうな年齢のくせにやたら元気なジジイもいた。
もちろん、全部倒せば全く持って問題ない。いくら強そうに見えても所詮は魔物と闘ったことすらない人間の集まりだ。冒険者、それも力が自慢の拳闘士であるオレが負けるなんて考えすらしなかった。
そう、敵はエディだけだと考えていたのがオレの敗因だ。
「本戦出場をかけた試合でサカキダとあたっちまったんだ、しょうがねえだろ?」
「倒せばよかったんじゃない?」
アオン!
よくよく考えりゃ、オレたちはガッコウの祭りに参加しているわけで、ここはあいつらのホームグラウンドでもある。力自慢のサカキダ、ナカバヤシ、アシザワが参加していないはずもなく、全力での勝負の末にオレは負けたんだ。
「しかも、約束した相手も予選落ちとか笑い話にもならないよね」
「…………なんか、すみません」
オレの隣でうなだれるエディもまた、予選で落ちた。こいつの相手はナカバヤシだ。結構接戦だったが、体格の差とそもそもの腕力が違う──武道家であるナカバヤシとおそらく得物を使うであろうエディとでは、実戦的な筋肉のついていたナカバヤシのほうに軍配が上がったのだ。
「お互いベスト8で決着も付かなかったしなぁ……」
「おっさんはともかく、一般人にやられるとは……」
エディが悔しがっているが、あれでサカキダもナカバヤシもスケアリーベアを殴り殺している。複数人でフクロにしたし、オレも手伝ったとはいえ、立派な冒険者と同じ働きをしているのだ。
「よぉ、エディ。もうこの際、何もかも忘れて祭りを楽しまねえか?」
「そうだな。なんだかんだで動いたらスッキリしたし」
サカキダとの勝負は楽しかった。互いに全力で歯を食いしばって、勝負台がぶっ壊れる寸前まで白熱したんだ。負けたことは悔しいが、後悔はない。そして、エディもそういう気持ちなのだろう。
「俺、この祭りに来てからまだ何も食ってないんだ。腹が減ってしょうがない」
「おお、じゃあ何か一緒に喰おうぜ」
「……いいのか?」
「細けえことは気にしねえ。それがオレの生き方だ」
「いや、そっちじゃなくて後ろの彼女」
エディの視線を追い、おそるおそる振り向く。まさしく鬼の形相をしたミスティが、牙をむき出しにしてオレをにらんでいた。
「…………」
「女連れだから邪魔しちゃ悪いかなー……って」
「いや、これは──!」
「ラズ。《噛みつけ》」
オ゛ン!
「いってェ!?」
緑の相棒に噛みつかれた。加減されているとはいえ、痛いもんは痛い。
「ちょっとはうれしかったのに、どうしてそのまま空気を読まないのさ!」
「お前に言われたくねえ! だいたいそういうガラじゃねえだろうが!」
「大会だってそうだ! 人がせっかく応援したのに、何負けてんのさ!」
「え、マジで?」
「……おっさん、気づいてなかったのか」
ラズの噛む力が強くなった。いい加減肉を引き千切られそうになったので、無理やり首根っこをつまんで引き離す。
ミスティは心底不機嫌な顔で舌打ちした。泣いたり笑ったり怒ったり本当に忙しいやつだ。女ってのはどうしてこうもコロコロと表情を変えるのかね? オレには一生かかっても理解できそうにない。
「また奢ってやるから機嫌直してくれよ、な?」
「物で釣ろうとする……」
「じゃ、食わねえのか?」
「食べる」
オン!
ぴっ、とミスティはとある屋台を指さした。そこからはバターの食欲を限りなく刺激するいい香りが漂ってきている。強い香りではないもののその存在をかなり主張しており、ひきつけられてしまうのは間違いない。
店頭には大きな……たぶん、蒸し器がある。どうやらそこで何かを蒸して、そんでバターを使って食べるものらしい。
その何かってのはおそらくジャガイモだろう。だって、大きく『じゃがバター』って書いてあるし。
「あっ、いらっしゃい! ……お久しぶりですね!」
売り子の浴衣を着たねーちゃんがにっこりと笑った。どこかで見た顔だと思ったら、野営訓練の時に調理全般を担当していたやつだ。たしか、アミルやエリィあたりと仲が良くて、ナギサって名前のやつだったと思う。
「や、ナギサ。それ、三……いや、四人前もらえるかい?」
「はいはーい! 《じゃがバター》四人前、たしかに承りました!」
外れに置いてあった蒸し器の蓋をナギサは開けた。むわっと白い湯気が視界を埋め、ほんのりとほのかに甘い芋の匂いがあたりに立ち込める。
「じゃがいも、か」
「何だエディ。おめえは嫌いか?」
「ってわけじゃねえが、芋は芋だろ? それも、どう見たってただの蒸かし芋だ。正直なところ、食い飽きたってかんじだな」
たしかに、使う調理器具こそなんかカッコいいものの、出てきたそれは紛れもないふかし芋だ。どこの家庭でもよく見るものだし、ガキのころから食べているものでもある。安いから大量に用意するのも苦にならないし、何も食うものがなくてもこいつだけは絶対にある。
貧乏なやつ御用達で、オレも冒険者になるまではしょっちゅう食ってた。来る日も来る日も芋ばっか食ってた。ガキの時なんて、あまりにも芋ばっか食ってたからそのうち芋になっちまうんじゃないかと不安になったくらいだ。
「むー! おにいさん、うちの《じゃがバター》をそんじょそこらのものと比べられたら困りますよ!」
「君は知らないだろうけど、ナギサが作る料理はすっごくおいしいんだ」
ナギサは頬を膨らませながらなんかヘンなので芋をぱっかんと十字に割る。そして、そこに綺麗なバターをひとかけら乗せた。
「おお」
「お……俺の知ってるふかし芋と違う!?」
アツアツのイモが、バターをゆっくりじんわりと溶かしていく。黄色の雫がホクホクのイモの表面に流れ、提灯の明かりに反射してテカテカと輝いていた。
──ごくり、と喉を鳴らしたのは、果たして誰だろうか。
「おまたせしました! 《じゃがバター》です! 出来たてほやほやあっつあつですので、お気をつけてどうぞ! ミスティさんには女の子サービスでお芋もバターもちょっとオマケしちゃいます!」
「わぉ! おねえさんサービスって言葉大好き!」
最後にぱらりと塩コショウ。実にシンプル。なかなかわかっている。
見た目は結構普通な感じだ。蒸かした芋に十字に切れ込みを入れ、そこに一かけらのバターを乗せただけ。大ぶりで立派な芋ではあるものの、それ以上でもそれ以下でもない。
だというのに、それがたまらなくうまそうなものに見える。茶色い皮の下から覗く仄かな黄色が美しく、見るからに柔らかそうで、じゅるりと涎が出てしまう。
「うん、いい香り!」
アツアツのそれを鼻面へともっていく。溶けたバターの得も言われぬ香りが、魅惑の霧となって肺の奥までしみこんでいった。
ここまできたら、もう我慢は効かない。面前に感じる熱気を、そのまま口の中へとぶち込んだ。
ホクホクの食感。
どこか香ばしい薫り。
シンプルで、完成されたそれ。
もう、文句なしに──!
「うっめぇ!」
「うっめぇ!?」
祭りってのは、こうじゃなきゃいけない。
じゃがいもの魅力を三つあげろと言われて、きちんと答えられるやつがどれほどいるだろうか。
芋ってのは基本的に同じ味しかしないし、肉みたいに殊更にうまいってわけでもない。もそもそぽそぽそしていて、好きでも嫌いでもないが、好んで食うってやつはいないだろう。
ところが、どうだ。
この”じゃがばたー”を齧った瞬間に全身を駆け巡ったバターの香り。香ばしくて、胃袋をジンジンと刺激して、不覚にもこれから食べるものが芋であるということを忘れてしまいそうになってしまった。
目をつぶってあのすっげぇ香りをかがされたら、これから口に飛び込んでくるものが芋だなんて到底信じられないだろう。
そして、アッツアツのを齧る。
「おふ、おふ!」
はふ、はふと息を漏らしながら感じるホクホクのじゃがいも。リュリュならば大地の恵みとでも表現するような芋本来の旨みがしっかりと主張して、舌に最高のプレゼントをしてくれる。
どこか懐かしく、そして芋特有の甘さが強烈に印象に残り、イモ臭くないのに芋らしさを存分に楽しませてくれた。
今まで食ってた芋ってのが、芋の名前を騙った何かだって思っちまうくらいに素晴らしい芋の味。
芋の味とは何かと聞かれて、オレは今でもうまく答えられる自信はない。でも、こいつは確かに芋の素朴な味で、それ以外に表現できないものだ。
この芋のすばらしさは、食ったやつにしかわからない。オレは、旨い芋ってのをここにきて初めて知ってしまった。
しかも──
「あち、あち」
見事なまでのこのボリューム。ミスティの握りこぶしくらいは軽くありそうな、大きな大きなじゃがいも。
普通、この手の大きな食い物は大味であまり味に期待できないことが多い。けれど、このじゃがいもは大きさと味の繊細さを兼ね備えてやがる。
ふっと鼻に抜けていく芋の香りも。
塩コショウで引き締められた芋の味も。
思わずしゃぶりつきたくなるようなそのどこかしっとりした食感も。
その全てがまさに理想の中の理想と言える芋だ。古都の芋でも、こんだけうまい芋をみたことがない。
一口ずつ食べても、口いっぱいに頬張っても、煮ても、焼いても、それこそ蒸しても。どう調理したって最高に活きるところしか想像できないくらい、素晴らしい芋だ。
「はっ、ふっ!」
「はっ! はっ!」
オレもエディも、バカみたいに口をパクパクさせていた。
一口食べても止まらない。二口食べても止まらない。どれだけ食べても、全然味に飽きが来ない。自然と唾が湧き出て、自然と顎が動いちまう。体がどんどん熱くなって、周りのことなんてどうでもよくなってくる。
ただひたすらに芋を食う──これがこんなに幸せなことだなんて、誰が想像しただろうか。
この芋の中毒性は、かなり危険だ。このままだと腹がはち切れるまで、オレは芋を食い続けてしまうだろう。
「はふ、はふ……あ、熱いけどそこがまたおいしい、ね!」
オン!
ミスティの唇が、溶けたバターで艶めかしく輝いている。
口の中を思いっきりヤケドしそうになるくらい熱い芋。だが、それがいい。
とろけるバターがほろほろの芋とからみ、特有の香ばしさを伴って口の中で暴れていく。芋の甘さとバターのごくわずかなしょっぱさという黄金コンビが、食い応えバッチリのご馳走となってすきっ腹に染みこんでいった。
顎を忙しく動かすたびに歯にほろほろとした感覚が伝わり、すとんとそれは二つに割られる。そこにもまたバターがしみこんでいって、どんどん幸せの連鎖を作り出していた。
舌に纏わりつく芋は口ん中の水分をごっそりもっていくが、それすら快感に感じる。喉の奥までみっしりと芋が詰まる喜び。ごくりと飲み込むときの高揚感。
口いっぱいに芋を頬張ることの、なんと幸せな事か。こいつを酒場で出したら、あっという間に品薄になってじゃがいもの値段が高騰するに違いない。
「俺が食ってたふかし芋って……なんだったんだ……!」
「どうだ、うまいだろ? たとえふかし芋だろうと、ここの連中の手にかかりゃざっとこんなもんよ」
「俺、こっちきてからいろんな旨いもの食ったけど、芋までこんなに旨いなんて考えすらしなかった!」
チープでうまい。最高じゃないか。祭りってのはこうじゃなきゃダメだ。豪快に食って、好きなように楽しむんだ。こいつは、お貴族様の食事では味わえまい。
「へっ、へへ……!」
にんまりと笑ったエディは大きき大きく口を開け、薄黄色のそいつにかじりつく。
「はふっ!」
幸せの欠片を口に放り込み、即座に上を向いてはふはふ。火山の様に断続的に蒸気が漏れる。んで、そのままごっくん。
「くぅ──っ!」
とろけたバターがたっぷり乗った、一番うまくて贅沢なところを丸かじり。
こいつだ。こいつこそが”じゃがばたー”を一番うまく食べる方法だ。
「なかなかわかってるじゃねえか!」
「おっさんも、な!」
ああ、それにしても止まらない。いつもは見向きもしない茶色い皮も、今日は肉よりもうまそうに見える。
どうして、ただ蒸してバターをのっけただけだってのに、こいつはこんなにもうまいんだろうか?
「こんな簡単な料理が、ここまでおいしいなんてね」
そう、こいつは本当にシンプルな普通の芋なのだ。作り方はオレだってわかる。
蒸して、割って、バターを乗せるだけ。古都でも十分に材料が集まるし、ガキでも一発で作り方を覚えることができる。鼻で笑ってしまいそうなほどに簡単で、逆にまともな料理人なら作ろうとすら思わないだろう。
それなのに、こんなにもうまいのだ。ホクホクで、アツアツで、バターの香りにノックアウトされてしまいそうなんだ。
「じゃがいも、いいのを使っていますからね! 我が園島西高校の園芸部で採れた、まごころたぁっっっぷりの一級品なんですよ!」
ナギサが自慢げに胸を張る。なるほど、こいつはクスノキが栽培したじゃがいもなのだろう。質がいいのもうなずける。
「あとあと、愛情たっぷりこめました! まごころと愛情があれば、もう無敵ですよ! 最強ですよ!」
「ふふ、最強か。確かにそうかもね」
「はは、たしかにこいつにゃ敵わねえな! 地平線を埋める敵が何匹いても生き残れたけど、飯がなければ生き残れねえ!」
アオン!
最強だ。まさしくもって最強だ。こいつには何したって敵う気がしない。
ぺろりとじゃがいもの皮がむけ、その下から黄色い宝物がのぞきでた。なぜだか、それが踊り子のねーちゃんがちらりと見せる、魅惑の肌に思えてきた。
「……」
よし、最大の敬意をもってこいつを喰らうとしよう。最強なんだ、いっそ一口で思いっきり噛み砕いてやろうじゃねえか。
皿に溶け出たバターに、じゃがいもを念入りにくぐらせる。つやつや、てかてかとした黄金のベールで花嫁を飾りたて、うまそうになったところで一息に口に入れた。
──オレは、オレ達は、全力をもってこの”じゃがばたー”を喰らう。無駄な飾りの全くない、最高の褒め言葉が自然と漏れ出てしまった。
「「うめえうめえ!」」
アオン!
男二人と獣が一匹。祭りの喧騒の中、最高の宝物を貪った。
「ふう、ごっそさん!」
「ああ、うまかった!」
最後の一かけらまでしっかりと胃袋に送り込み、ふうと息をつく。口の中に残るバターの余韻が心地よく、体がさっきからカッカと暑い。
うまいモンを食った興奮なのか、祭りの興奮なのか。おそらく両方なのだろう。
「おねえさん、こんなおいしいお芋は初めて食べたよ! これなら毎日食べたいくらいだ!」
「えへへ、そういってくれると嬉しいです!」
ナギサとミスティが笑いあう。朧な光が乱れる幻想的な空間だからか、それがどこか有名な絵画の様に見えた。
「ミスティさん、すこしは元気出ました?」
「……えっ?」
突然、ナギサが妙な言葉を紡ぐ。その意味を理解できるのはほかならぬミスティとオレだけで、当然のことながらエディは意味は不思議そうに首をかしげていた。
「いったい、なんのことかな?」
「なんか、元気がなかったなって。何があったかは聞きませんけど、せっかくのお祭りなんですから! こういうときはおいしいものを食べて、気分を盛り上げないと! 人間、お腹が減っているとどんどん落ち込んじゃうんですよ!」
どこかで聞いたことがあるセリフ。そういえば、あの時ミスティはその場にいなかった。
もしこの言葉を──いや、ナギサのほうが先に言ったのかもしれねえけど、ともかくマスターも言っていたと知ってたのなら、またちょっと違った意味合いを持っていたのかもしれない。
「ふふ……たしかにそうだね。そういえば、イライラするときっていっつもお腹へってたっけ」
「こいつ、万年金欠だからな」
アオン!
三度もお代わりをし、すべてをぺろりと喰ってしまった緑の相棒が吠える。金欠の理由はこいつの餌代だそうだ。今も昔もとにかくよく食べる上に、貧相な食事は受け付けないらしい。
「ふふ、ラズも十分楽しんだみたいだね」
腹いっぱいになったからか、それとも料理に込められたまごころや愛情に触れたからか、ミスティはずいぶんとすっきりした顔でラズの頭を撫でた。
今更だが、オレは料理を食うことのもう一つの意味を知ってしまった。それはたぶん、うまいとかうまくないとか、量があるとかないとか、そういうことでは測れない大切な事なんだと確信する。
「んじゃ、そろそろ俺は行くとするぜ。……バルダス、また会えるかどうかはわからねえけどよ、今度会ったら本気でやろうや」
「おう、上等だ。おめえこそ、この国でヘマこくんじゃねえぞ」
エディはうっせーやぃ、と後ろを向いた。背中越しにひらひらと手を振り、最後にポツリとつぶやく。
「意味が分かんねえなら聞き捨てろ。──俺はエディ。『大地の終焉執行者』とか呼ばれている特級だ。次は必ず叩き潰す。それまでせいぜいツレといちゃついてるんだな」
「「なっ──!?」」
「ねーちゃん、うまい飯、ありがとうな! 後で時間があったらチビたち連れてまた来るぜ!」
「はーい、またのご来店お待ちしております!」
たったった、とはちみつ色の髪の男が走り去り、とうとうその背中が見えなくなってしまう。大剣を幻視してしまったのはもはや必然と言うほかない。
「バルダス……今の……!」
「言うな。……ここにきているのはオレたちだけじゃねえってこった」
『大地の終焉執行者』のエディって言えば、謎の魔物大襲撃から王都を守った英雄の一人じゃねえか!
地平線を埋めるほどの魔物を三日三晩斬り続けた、特級の中でもさらに化け物染みた最強の剣士だろ!?
大地に立つ魔物の首を一匹残らず撥ね飛ばした、文字通り怪物だろ!?
そんなやつが、のんきに屋台でふかし芋を食ってただと!?
「は、は……!」
もしあいつが得物を持って本気を出していたのなら、オレも、対策三部も、全員瞬殺されていたっておかしくなかった。それこそ、じいさんくらいしか対応できる奴はいないだろう。
ゾクリと背筋が震える。本当に、今日は驚くべきことがいっぱいだ。
「あの外国人さん、組合の人じゃなかったんですか?」
「うーん……おねえさんもよくわかんない」
「ありゃ、たぶんオレたちの──『ヨーロッパの田舎のほう』の近くの出だな。似たようなもんだと考えていいぜ」
「……なんか、日本語がおかしいような? ううん、まだ慣れてないだけかな」
祭りの喧騒が戻り、どうしようもないほどの熱気を肌に感じる。どこからか太鼓と笛の音が聞こえ、その盛り上がりはどんどんと大きくなっていた。
祭りのクライマックスは、まだもうちょっと先らしい。
まだまだオレは食い足りなくて、肉も、甘いモンも、見たこともないものも、何もかもが屋台でオレを手招きしている。的屋や玩具も見てみたいし、時折ガキがもっているボンボン弾むやつや、精巧なお面にも興味がある。
時間が十分にあるってことは、まだまだ楽しめるってことだ。
「じゃあ、バルダス。私たちもそろそろ行こうか?」
「あん? もうオレは用済みじゃねえの?」
ミスティが当たり前の様にオレの隣に並び、拳一個分だけ肩を寄せてきた。しょうがないので歩調を合わせ、ぺたぺたと二人で屋台を冷かしていく。
「つれないね。ソロで祭りを巡る女をほっとけないって言ったのはキミじゃないか」
それはただの方便だ──と、言おうとして口をつぐむ。こういうのは嘘でも黙っておいたほうがいいとオレはこの長い人生で学んでいる。
ミスティは何がおかしいのか、ぺろりと唇を舐めて笑った。
「私──強い男が好きなんだ」
「あん?」
「優秀な男も、有能な男も──要は、実力があって頼りがいのある男が好きなんだよね。マスターもお菓子作りと、もうキミに抜かれているとはいえ、珍しい武術の腕があった」
「ほお」
「獣の雌ってのは、どうしてもそういうのに惹かれるんだと思う。私、獣使いだから特に獣っぽいのかもしれない」
再び、ミスティは唇を舐めた。なぜだか、自分がウサギになったかのような錯覚を覚える。なぜなら、ヤツの眼は──獲物を狩る獣のそれだったからだ。
「案外、近くにいいやつがいたじゃないか──失恋は新しい恋の始まりとか言うけど、まさかこんな早くに巡り合えるなんてね?」
「…………は?」
ミスティは、一瞬のスキをついてオレの腕を取ってきた。そのままぎゅっと腕に抱き付き、眼を爛々を輝かせてオレを見上げ、挑発するように笑う。
こいつ、さっきまで失恋で泣いてたよな? オレの気のせいなんかじゃないよな?
「──獲物、みっけ♪」
頭をぶん殴られたような気がした。目の前が真っ白にならなかったのは、ひとえに《明鏡止水》を意識していたおかげだろう。
「どんだけ変わり身速いんだよおまえ!? 五歳のガキでももうちっと慎み深い交際をするぞ!?」
「私、獣だから。自分の欲望には忠実に生きることにしているの」
頭ン中まで獣なのか!? 欲望に忠実すぎるだろ! サカったウサギだって腰を透かして逃げ出すんじゃねえか!?
「む。なんか今、すごく失礼なことを考えなかったかな?」
「き、気のせいだろ?」
どこかで聞いたことがある。祭りで恋人が巡り会うことが多いのは、祭りで高揚して、そのドキドキを恋のドキドキと勘違いしてしまうからなのだそうだ。ただでさえ興奮状態になるもんだから、ハイテンションと相まってすんなり互いに巡り合えるらしい。
「今のお前はちょっとおかしいんだ! 冷静になれよ!」
「そんなの、試してみてからじゃわからないよね。──すでに一匹逃して空腹なんだ。今回ばかりは、絶対に離さないよ」
「ヒッ……!」
やべぇ。こいつ、眼がガチだ。
「地の果てまでも追いかける。逃げても、抵抗しても、無理やりにでも振り向かせる。もう後悔はしない」
鋭い犬歯がむき出しになり、きらりと輝いた。口をゆがめて笑う様は、とても恋の心を語っているようにはみえない。
こういうのが好きな物好きもいるんだろうが、あいにくこれはオレの趣味じゃない。オレが好きなのはデカチチで清楚でお淑やかで守ってあげたくなるような、それでいて冗談も通じる一緒にいて楽しい女だ。
「誰かに盗られる前に──こっちから襲ってやるよ」
「……襲うってどっちだ?」
「やだね、わかっているくせに。まぁ想像にお任せするよ」
ミスティはぺろりと唇を舐める。もしかしてオレは、とんでもない獣に目を付けられてしまったのかもしれない。
20160505 誤字修正
???『うめえうめえ!』
じゃがバターって茹でたり焼いたり揚げたり蒸かしたり、なんかいろんなパターンがあるよね。乗せるのもバター以外に明太子とかネギとか意外とバリエーションが豊富で、思い浮かべるのは人によって結構違ったりするんじゃないかな。
私はなんだかんだで 蒸かす&バター&塩コショウ のシンプルなのが好きです。夏場の暑い時期もいいですが、冬の寒い時期に食べたホクホクあつあつのじゃがいもが忘れられません。なんで普通のじゃがいもなのにあんなにおいしいんだろうね?
屋台のお芋はあんなにおいしいのに、家で作ると全然おいしくない……。昔某所で食べさせられた冷え切ったふかし芋は、嫌悪を覚えるレベルでまずかった。
あと、文化祭なんかでよくあるレンジでチンでごまかすのも個人的にはNG。なんかアレは違うのよ……。




