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エルフと白玉善哉

前半戦闘注意。

ゾンビよりかはグロくないけれども一応。


 熊のような巨体。猿のようなしなやかさ。


 悍ましい顔面は凶悪な笑みを浮かべており、むき出しの牙の隙間からはよだれがぽたぽたと垂れている。重石のような厳つい筋肉の塊をこれでもかと着けた腕は木など簡単にへし折りそうで、見るものに生理的な嫌悪感と恐怖感を与えていた。


 茶色い毛がふわふわならまだましだったのだろうが、あいにく奴らの毛皮は固く脂ぎっていて獣臭くて気持ち悪い。


 そんな恐ろしい森の魔物──《森の暴君(フォレストタイラント)》が何十匹もの群れとなって面前に蠢いていた。


 エルフは森の民であり、こと森の中での戦闘に関しては右に出るものはいない。しかしながら、それは森の中で狩る側の立場での話であり、防衛側としての視点で見てみるとそれはまたちょっと変わってくる。


「…おまたせ」


「おそいよ、もう……リュリュ、久しぶり」


 弓矢。魔法。拠点を作り、数の暴力に任せてそれらをひたすら放ち続けるのがエルフ流の防衛だ。


 私たちが駆け付けたそこではすでに数人のエルフがフォレストタイラントと対峙し、時折飛んでくる彼奴らの投石を男衆が剣で叩き落していた。


 もちろん、援護として女衆や弓に自信のあるものが魔法や矢の雨をお見舞いしている。


「ごめん。急造だったからあまり持ちそうにない」


 顔を真っ青にし、体中から汗を流しているニィニィが呟いた。


「急造って……これ、魔法で作ったんですか!?」


「エルフの戦い方の一つさね。森との親和性を利用し、森そのものを一瞬で砦に変えちまう。森の民の名前は伊達じゃないってことさ」


 私たち──増援として駆け付けた私やマスターたちと、防衛に当たっていたニィニィやテレ・ルクーレは大樹が絡み合ったかのようにしてできた城壁のような拠点の上にいる。


 この防壁はエルフが得意とする木の魔法を用いて作られたもので、ニィニィのようにそれに特化した魔法使いがいて初めて成り立つものだ。戦が始まると、彼女のような人間が真っ先に前線に出てこれを構築し、それの上からエルフの戦士が敵を殲滅していくのがセオリーとなっている。


 ギァァァァァ!


「小賢しいな。確かに今回はいつもより勢いが強い」


 ルタが強弓で壁を登ろうとするフォレストタイラントの一匹を射抜く。それは見事に顔面を貫通し命の灯を吹き消したが、奴らはあまりにも多く、あと数刻もすればこの防壁が突破されるのも想像に難くない。


 ──でも、それはこの防壁が今のままなら、の話だ。


「まかせて」


 ティティがすっと目を細めながら魔法を使う。地面からニィニィが作り出したものよりはるかに巨大な大樹が現れた。


 ギィィィィ!?


 その大樹は防壁を壊そうとしていたフォレストタイラントを巻き込みながら、とぐろを巻く蛇のようにニィニィの防壁に巻き付き、より強固な鎧となって魔物の前に立ちふさがる。


 直径で見ればエルフ三人分もありそうな大樹をこうも簡単に扱えるのは、ティティを除いて他にいない。防壁はあきらかに強化されており、しなやかで強固なその木質に魔物どもも攻めあぐねているようだった。


「うわぁ……」


「守りは完璧。殲滅はよろしく」


 ティティがろくに働きもせずにいられるのは、語り部候補というその肩書きよりも、非常時における重要な戦力という意味合いが強い。


「エルフの戦士よ! 全力を尽くせ!」


 ルタが雄たけびを上げると同時に、先ほどよりも勢いづいたエルフの戦士が一斉に弓を放った。


 エルフは弓矢ならだれにも負けない。目玉、腱、心臓、喉を正確に射抜き、畜生どもを骸へと変えていく。拠点のおかげで一方的に攻撃ができるから楽だ。


 私も負けてはいられない。不可視の魔法矢、炎の魔法矢、雷の魔法矢を指で描き、短杖と弓を用いて魔力の弦を引き絞る。


「……」


 髪が揺れたのがわかった。


 気持ちよく飛んで行った三本の矢はそれぞれ眉間、口、側頭部に当たり、三匹の敵を骸に変えた。三匹とも、射抜かれる直前まで気づかなかったのだろうか、断末魔の声さえ上げずに大地に還って行った。


「腕、あげたね。雷なんて使えなかったのに」


「…まぁね」


 エリオに弓をレクチャーした。

 アルと一緒に魔法矢のことを議論した。


 あの喫茶店での経験は、意外なところで役に立つ。


「本当に、量が多い……!」


「例年の倍以上はいるのではあるまいか」


 魔法と矢の雨は止まらない。しかしとて、敵もバカではない。何が奴らを駆り立てているのかは知らないが、仲間の骸を盾にしながらも防壁までたどり着くのがちらほらと出てきた。


「滅せよ」


 すかさず、テレがひらりと躍り出て頭に剣を突き立てる。一際大きな悲鳴が上がり、どうっと巨体が地に伏せた。


「援護は任せる」


「おい!?」


 テレはその場にとどまり、防壁の下を駆け回りながら複数の敵を相手取る。が、最初こそ調子が良かったものの、やがて傷も増え、息も上がりぼろぼろになってしまう。


 テレのその行動に誰もがいぶかしんだが、ルタだけはその真意をくみ取った。


「……骸が重なり、矢盾の代わりに使われてしまっている。しかも、その骸を足場に奴らはここを突破するつもりだ」


 それだ。


 調子よく始末できるのはいいものの、死体が消えるわけではない。奴らの巨体が重なれば、それを土台にこの防壁を乗り越える事だってできる。腹立たしいことに、フォレストタイラントはそれができるほどの俊敏性もあるのだから。


「……ぐぅっ!?」


「テレ!?」


 テレが今やっているのは、けん制と時間稼ぎに他ならない。


「キャキャ! 魔法で流せないか!?」


「無理! どこに流せって言うのよ!」


 テレの周りに骸が増えていく。当然だ、さっきから私たちが倒しているのだから。


 問題なのは倒せば倒すほどテレが不利になり、さらに魔物どもの勢いが未だに落ちないことだ。


 これはちょっと、いや、かなりまずいんじゃあないのだろうか?


「……そろそろ行くとするかねェ」


 そんな声が聞こえた瞬間だった。


 ギャァァァァ!


 グォォォォ!?


 テレを囲んでいた二匹の首が飛んで行った。どさりと落ち、ゴロゴロと転がって、テレの足にこつんと当たる。


「お疲れさん。よく一人で持ちこたえた。後は任せなさい」


「ヒトの老人──!?」


 にこやかな笑みを浮かべて、爺は持っていたクナイと呼ばれる短剣を投げる。それはテレの背後を取っていたそいつの眉間を貫通し、樹に突き刺さった。


「まったく、まさかこんなにいるとはね。……あの時と同じくらいいるじゃないか」


 黒い影が駆ける。


 魔物の腕の一撃を素早く回避し、しゅるりと風のように背後を取る。そのまま背中からとびかかり、太い首に腕を十字に絡めた。


 ゴキッ……


 爺と魔物の白目が見つめ合った。正面を向きながら、顔だけまっすぐ後ろを向いたこんにちはの挨拶だった。


 爺の動きは止まらない。


 木々を垂直に掛け、飛び、目まぐるしく動きながら目につく魔物にそのクナイを閃かせていく。黒い影が走った場所からは遅れて赤い飛沫が飛び立ち、むしろそれだけが爺の動きを追う唯一の道標となっていた。


「《一本背負い》」


 暴君の巨体が舞い、頭から地面にたたきつけられる。


「《小手返し》」


 腕を取り、投げてひねって捩じってもぎ取る。


「《鉄槌打ち》」


 拳で頭蓋をカチ割った。


 グァァァァ!?


 一体爺の細い体のどこにそんな力があるのだろう。あの細い枯れ木のような体だというのに巨体を投げ飛ばし、正面からフォレストタイラントと殴り合って勝っている。


 かと思えば縦横無尽に飛び回り、どこに仕込んでいたのかわからないくらいに大量のクナイを四方八方にばらまき、自らも進んで首を掻っ切り、そしてへし折ったり絞め殺したりしている。


「うわぁ……あのおじーちゃん、素手で首をへし折ってるぅ……。首が、白目が、ぐるんってなってこっち向いてるぅ……」


「しかもほぼ全部一撃。急所狙いの不意打ち上等。背後取るのは当たり前で、暗器をわんさか仕込んでる。ついでに攻撃をかすらせもしない。あれ、プロだね」


「リュリュ……なんなのだあの老人は……!?」


「…さぁ? いちおう、喫茶店の従業員の一人」


 もはや魔物どもは爺しか見えていない。


「あんな店員がいてたまるか!」


「用心棒の間違いでしょ!?」


 ひゅっと空気の切る音がクナイを投げた合図であり、そして死への鐘の音となる。


 下手に殴り掛かれば投げ飛ばされ、首を折られることになる。


 棒立ちしてればあっという間に首が飛ぶ。


 私がわかったのはそれだけだ。


「ふむぅ……寸鉄の調子が悪いねェ……」


「危ない!」


 ひとりごちる爺の背中を手負いのフォレストタイラントが取る。右の頭蓋がかち割れていたけれど、まだまだ動けたらしい。爺にしては珍しく、一撃で仕留め損ねたようだった。


 グォォォォ!


 その剛腕が振り下ろされた。が、そこには爺はいない。


 紺色のひらひら──作務衣が舞っているだけだ。


「こっちだ」


「変わり身の術……!?」


 背後を取った爺が魔物の腕をひねり上げる。悲鳴が尋常じゃなかった。


「角指は問題ないみたいだねェ」


 角指が何なのか知らないけど、指がめり込むほどに握ったら、魔物でも悲鳴を上げると思う。


「さて……まだまだ暴れたりないが、そろそろ終わりにしようかね」


 爺はそいつの頭をひもで締めるかのような動作をする。つっと赤い筋が走り、首がごろりと転がった。


 ……細くて丈夫な糸でも持っていたのだろうか? そんな武器、見たことも聞いたこともないけれど。


「なにをしたんだ……? というか、いったいどれほど武器を仕込んでいるのだ?」


「…さぁ? ……あ、また何かするみたい」


 そして、無造作に懐に手を忍ばせた。またクナイを取り出すのかと思ったけど、どうも様子が違う。


 手の中にあったのは──黒い、玉?


「げっ……!」


 マスターの顔が真っ青になった。それだけで、あれが何か良くないものだと理解できる。


「…あれは?」


「ほ、焙烙火矢……!」


 うん、わからない。


「ユメヒト! 最後の仕上げだ! 九十四頁、思いっきりぶちまけな!」


「ああもう、どうなっても知りませんからね!」


 爺の合図で、それまではらはら見守っていたマスターが懐から本を取り出した。丁寧な装丁がなされた豪華な分厚い本だ。


「…あ、それ」


 濃密な魔力の香りがすると思ったら──これ、アルが前に作ってたやつだ。


 マスターはパラパラとページを捲り、本を左手に構えた。注がれた魔力は人並みだったけれど、触媒である本は異常に反応し、不可視であるはずの魔力が黄金の輝きを放っている。


「《クッキーシリーズ第三章・雷! 第九十四頁【サンダーウェイブ】》!」


「そら、詰みだ」


 ぽーん、と黒い球が宙を舞う。





 ドォォォン!




「ぐぅっ!?」


 蠢く雷の巨大な波が発射されるのと爺が黒い球を放り投げたのはほぼ同時。紫電が森を舐めつくし、そして気づいたときには爆風が私の髪を揺らし、エルフの戦士どもの服をはためかしていた。


「……」


「うそぉ……あいつら、みんなバラバラ……」


 蹂躙、とはこのことを言うのだろう。眼下には焼けこげ手足が吹き飛んだ魔物の死骸が転がっている。


 立っているものなど一人もいない。獣臭さと火の匂いだけがそこに漂っている。


 爆発のあまりの轟音に、魔物の悲鳴なんてもはや聞こえすらしなかった。というか、あまりの音の大きさに耳がジンジンする。耳の良いエルフにとってはあの轟音は結構キツい。


「爺……?」


「呼んだかね?」


 当たり前のように後ろに爺がいた。凄惨な現場とは裏腹にいつも通りの笑顔を浮かべており、服や髪にも煤ひとつ、血の一滴すらついていない。


「悪いが後片付けは頼むよ。こいつにこれを見せるのはちょっとまだ早い。それに、もうすぐ時間さ。ここまでやって失敗じゃ笑えないからねェ」


「……なんで僕はいきなり目隠しをされたのでしょうか?」


 いつのまにやらマスターの背後を取り、黒い手ぬぐいで目隠しをしていた。


「なんだかすっごい負戦の捕虜の気分……うわっ!? なにすんの!? なんで担ぎあげたの!?」


「あっはっは」


 爺はマスターを担いで走って行ってしまった。戦場に残っていたのは魔物の死骸と、夥しい量のクナイや黒い……鉄の糸。焼けた木々のあちこちに何かが破裂したような跡があり、爺が戦闘中にも焙烙火矢とやらを仕掛けていたのをそこで初めて知った。


「なんなんだ……あの人たちは……」


「私、あんな人、本でも見たことがない。暗殺者だよね、あれ」


 クナイも鉄の糸も、総重量で考えればとても一人が隠し持っていたとは思えないほどの量だ。しかも、中には粉々に砕け散ったクナイや持ち手に鉄糸が絡んだものまである。


「自らを省みずに攻撃させるとは、あの老人、なかなかのものだな」


「うーん……そんな風には思えなかったけど……。ちょっとしか話してないけど、あの人、もっと計算高いタイプよ? あの最後の爆発だって、絶対何か事前に仕込んであったはずよ」


 後に知ることになるが、爺はクナイに焙烙火矢を括り付け、投げて仕掛けていたそうだ。気づかれずに仕掛けるためにそうしたとのこと。クナイが砕けたのはそのためだろうと言っていた。


 鉄糸も同様にしてあちこちに仕掛け、向かってくる魔物への罠としていたらしい。私たちが知らないところで何匹もの魔物を切り刻んでいたそうな。


 ついでに、鉄糸を隙間なく張り巡らせることで雷の魔法の威力と範囲を広げ、確実に全ての魔物を屠れるようにしていたらしい。


 ──最後に爺が立っていた場所だけ、鉄糸は張っていなかった。自分にだけは当たらないように最初から考えていたみたいだった。











「ほいさ、おまたせ」


「たいへん長らくお待たせしました。《白玉善哉しらたまぜんざい》です」


 そして、夕方。奇しくもフォレストタイラント撃退の祝勝会とも重なった歓迎の宴。


 数えきれないほどのエルフが集まり、盛り上がりも最高潮となったところでとうとうそれはお披露目となった。


「ミィミィもがんばっちゃったんだから! いっぱい食べてね!」


 戦の後片付けをしていたため、エルフの戦士は誰一人としてそれを作っている様子を見ていない。かくいう私も、肝心の仕上げのところは見ることができなかった。


「……リュリュよ、これは食えるのか?」


「おいしいものって聞いたんだけど」


「…嫌なら食べなければいい」


 テレもニィニィも少し顔をひきつらせている。


「たしかに見た目はちょっと悪いですもんねぇ……。あたしも最初見たときはびっくりしましたもん」


 それは豆をドロドロに煮込んだ、ともすれば泥のようにも見えるものだった。まだ豆の形はいくらか残っていて、全体的に紫がかった茶色みたいな色をしている。ふんわりと甘い香りがしていなければ、私もこれが食べ物だとは思わなかっただろう。


 そんな煮込んだ豆の中に、夜空に浮かぶ月のように白い玉が浮いている。


 指でつまめる大ぶりな木の実くらいの大きさ。つやつやもっちりとした見た目で思わず突いてみたくなってくる。茹でる前はこんな光沢はなかったと思うけど、私たちが戦っている間にいったい何があったというのだろうか。


「しのぶさん、今日は本当にお疲れ様でした」


「なぁに、礼なら若い連中に言うさね。私は最後にちょろっと戦っただけさ。奇襲に対処し、持ちこたえてくれた連中のほうが何倍もすごい」


「それでも、です。ユメヒト君だって魔法であいつらを一掃してくれたんでしょう?」


「僕のはおまけに近いですけどね……」


 お婆ちゃんがそれを木のお椀によそい、それをシャリィちゃんが魔法でキンキンに冷やしていく。あったかいのもあるそうだけど、夏場は冷やしたものが特に美味しいらしい。


「おねーさんも、お疲れ様でした!」


「……ん」


 受け取る。やっぱりすごい冷たい。


 そして、手の中にある勝利の恵みに思わず顔がほころんだ。


 見た目はあれでも、これがおいしくないはずがない。他でもないマスターと爺、そして私たちが一生懸命作ったのだから。


「……」


「……」


 周りを見る。やはりこれを最初に食べようとする奇特なエルフはいないらしい。


 ならば、私が栄光の先陣を切ってやろうではないか。


 木の匙に白い月と甘い闇を半分ずつ乗せる。そのまま一息にぱくりとやった。




強く、深く、上品な甘味。


くにゅりと伝わる柔らかい何か。


自然の素晴らしさが頭の先から足の先まで一瞬で駆け巡っていく。


疑うまでもない。やっぱりこいつは──


「──おいしい」


「そいつぁよかった」


 どんな勝利の美酒を飲むよりも、素晴らしい気持ちになれた。







 ものすごくおおざっぱに言ってしまえば、それは豆の甘みをうんと濃くしたものだ。ただ、豆の甘さなんて普通は感じられるかどうかわからないくらいに薄いものであり、この”しらたまぜんざい”の濃く、深みのある甘さにはとても敵わない。


 もちろん、この甘さは砂糖によるものも大きいのだろう。舌先に染みこむ強い甘さはたしかに砂糖のそれとよく似ている。ただ、砂糖だけでは決してこの味を再現することなんてできはしない。


 なんて言えばいいのだろう……。深く、優しく、大地の恵みがふんだんに感じられる、そんな素晴らしい甘さなのだ。これ以上の表現となると、ちょっと思いつかない。


 ああ、ティティみたいに本をもっとたくさん読んでおくべきだった。後悔してももう遅い。


「まぁ……! とても豆を煮ただけとは思えませんね!」


「そうだろう、そうだろう」


 にこにこと──心の底からうれしそうにそれを食べる爺の隣で、お婆ちゃんもまたにこやかに笑いながらそれを食べている。私と好みが似通っているのか、お婆ちゃんにもこの味は受け入られたみたいだった。


「この……白い玉、結局何なのですか?」


「白玉ってやつさ。穀物を粉にしたものを原料としている。ああ、もちろん麦じゃあない。この辺じゃあまり見かけないやつだねェ。のどに詰まらせないよう、小さく千切ってよく噛んで食べるさね」


「もう、子供じゃないんですから……。まぁ、お婆ちゃんなのは事実なんですけど。そういうしのぶさんこそ、気を付けてくださいよ?」


 なるほど、白い玉は見た目通りもっちりとしている。くにゅりとしたその食感がこの”しらたまぜんざい”の中の唯一の歯応えと言っても間違いはないだろう。


 くにゅくにゅ、もちもちとしたその食感はどこか”わらびもち”を彷彿とさせる。最初はあまり味がないけれど、ずっとずっと顎を動かしていると、ほのかに優しい風味とともに、微かに甘い味が口にじんわりとひろがった。


「ミィミィちゃんも気を付けるようにね。大人でも、食べなれた僕でもたまに危ない目に合うやつなんだ」


「まかせて!」


 その食感が何よりも魅力的ではあるけれど、年寄りや子供だと喉に詰まらせてしまうこともあり得るだろう。ちゃんとその辺の注意を喚起しているあたり、マスターも優しいと思う。


「あら……! すごくおいしいじゃない! 本当に豆と砂糖だけなの!?」


「それだけではない。これには作り手の惜しみない努力と労力が入っている。俺が何度水を沸かしたのか、おまえにわかるのか?」


「ルタ、嘘は良くない。最後はキャキャに手伝ってもらってた」


 忘れちゃいけないのが、この豆と白玉のコンビネーションだ。強い闇の甘みが優しい白い月の甘さに包まれ、程よく調和して更なる不可思議なおいしさを醸し出している。


「おいしい! すっごくおいしい! ミィミィとシャリィちゃんで作ったの、すっごくすっごくおいしい!」


「自分で作った奴はやっぱり格別ですよねぇ……!」


 顎を動かすたびにそんな不思議で濃密な香りが体中を駆け巡り、くにゅくにゅとした噛み応えがどこまでも愛おしい。


 もっちりした食感とどろっとした食感が合わさり、何とも言えない摩訶不思議な舌触りを作り出している。


 最後に──ごくりと飲み込むその瞬間さえ、これは私を楽しませてくれる。


「おお……! 何とも奇妙でうまい……!」


「物置の人が作ってくれたんだよね。古都ではこれが当たり前のように食べられるの?」


「…いや、この人たちのところでしか食べられない。…有名になると人が押し寄せるから、内緒で」


 傷だらけのテレ、魔力を使い切ってへばっていたニィニィ、そしてあちこちで驚きと歓喜の声を上げるエルフたちを見て、このお菓子は受け入れられたのだと知ることができた。


「……♪」


 ちょっとはしたないけれど、お椀に口を付けて豆の煮汁を飲む。よく冷えたそれは、戦で火照った体にとても心地よく染みわたる。そうでなくとも、この夏の黄昏に非常によく合うものだった。


「物置の少女よ、お代りを頼んでもよいのだろうか」


「わたしも、もうちょっと食べたいな……!」


「はいはーい、少々お待ち下さいねー!」


「これ、ミィミィが作ったんだからね!」


 特に魅了されてしまった何人かのエルフが、すっかり空になった椀をもってシャリィちゃんとミィミィの元へとこそこそと小走りで並ぶ。こうしてみると、ミィミィの給仕姿もなかなか様になっているから不思議なものだ。


「マスター。この豆の煮汁、最後の仕上げってどうやったの?」


「うーん、秘密ってことでお願いします。今この場でたくさん食べて、それでも満足できなかったら、ぜひウチ──《スウィートドリームファクトリー》までいらして下さい」


「ずるい」


 そう言いながらもティティは立ち上がってシャリィちゃんの元へと走った。口の端には豆の煮汁がついたままで、とても戦の重要戦力には見えない。ホクホク顔で”しらたまぜんざい”をかっ込む姿を見ると嫁入り前の娘とは到底思えず、むしろミィミィのほうが大人っぽく見えた。


「もう、何杯でも食べられちゃいそう……♪」


「キャキャ、食べすぎは良くないよ。代わりに私が食べてあげる」


 そして残念なことに、同じ嫁入り前の年頃の娘であるキャキャやニィニィも口の端を汚してお椀に口を付けている。


 ……同胞の名誉のために付け加えておくが、魔法使いである彼女らにとって甘いものは何よりのご馳走である。魔法による精神的な疲れは甘味で回復することが知られており、戦のあとに果物を齧る魔法使いを見るのは珍しいことではない。


 女であれば甘いものが好きなのも当然のことであり、突然の奇襲で全力を尽くした彼女らがこの素晴らしい甘味に夢中になってしまうのもしょうがないことなのだ。


「貴様、横入りはするな」


「バカを言うな。俺は前線で切り結んだのだ。功労者には譲るべきだ」


「怪我を負いながらも集落に知らせまわった俺のほうが功労者だと思わないか? ……その大きな白玉、疲弊しきったお前たちの手には余るだろう?」


 ルタ、キア、テレがぎゃあぎゃあ騒いでいるのは見ないことにした。ミィミィは兄とその友人の滑稽な姿を軽蔑しきった眼差して見下している。


「あんのバカどもは……! いつまでたっても子供なんだから……!」


「まぁまぁ、こういう場くらいいいじゃあないか。私だってこれは大好物だし、取り合う気持ちもよぉくわかる」


「あら、しのぶさんはこれが好きなんですか?」


「正確に言えばこの豆──アズキが好きなのさ。こいつを煮込んで処理したのを餡子と言うんだが、私は餡子が使われてるもの全般が好きなのさね。今回も、友人に頼んで特別にアズキを栽培してもらったんだよねェ」


 ちなみにこの餡子、豆の形が残っているものやそうでないもの、水気の多さ少なさなどでかなりのバリエーションがあるそうだ。煮込むだけかと思いきや、どうしてなかなか奥が深い。


「そうなんですか……。ところで、この白いのは”しらたま”だとわかりましたが、”しらたまぜんざい”のぜんざいってなんのことですか?」


「こいつは善哉……善哉(よきかな)って意味さ。すばらしいとか、いいね、だとか、ともかくめでたい言葉だと思っていい。勝利の宴にはぴったりだろう?」


「ふふ、そうですね!」


 予想以上に鍋の中身の減りが早かったので、私も慌ててお代わりを貰う。やっぱりひんやりと冷えていて、そして甘い香りがふわっと頬を撫でた。


「…よきかな、よきかな」


「そうとも、善哉だ」


 大きな損害も出さずに撃退できたのは実に善哉よきかな、だ。名前の由来を聞いたからか、さっきよりもずっとおいしく感じる。


 うん、この勝利の喜びの中で食べるのが、”しらたまぜんざい”をもっともおいしく頂く方法なのだろう。


「ミィミィ、白玉いっぱい作ったのにもうなくなりそう」


「餡子は一度にたくさん作れますけど、白玉はそうはいきませんもんね」


「…それはちょっと困る。私、まだまだ食べたりない」


「じゃあ、また白玉だけ追加で作ります? あれならそこまで時間はかかりませんし、『村のみんなが満足するお菓子を振舞う』ってのがリュリュさんのお願いだったんでしょう?」


 マスターはにこやかに笑い、そして広場の片隅で白玉を作る準備を始めた。酒やご馳走、そして未知の甘味に酔った大半のエルフはそれに気づかない。


「…ごめんね、手間をかけさせて」


「大丈夫ですよ。明日の朝には帰っちゃいますし、またいつ来れるかわかりませんから」


「……あ」


 そうだった。マスターは普段ガッコウに行って勉学を修めているんだった。こんな風に一日がかりで村で調理をしてくれるなんて普通はできない。


 マスターがここに来てくれたのは、あくまで報酬のため(●●●●●)なのだから。


「……」


「リュリュさん?」


 そのことがなんだか無性に悲しくなって、私はぐいっと椀を傾けた。甘い何かが肺腑の奥までしみこみ、そんな気分をいくらか和らげてくれる。


~♪


「あ、綺麗な音色」


 気分が盛り上がったのか、誰かがエルフの樹笛を吹きだした。お祭り騒ぎといえばこれであり、エルフの宴はこれがないと始まらないし終れない。


 高く低く、その優しい音色は森にどこまでも響いていく。


「お姉ちゃん、歌わないの?」


「……」


 今はなんだかそんな気分じゃない。貰ったオカリナも披露したいし、シャリィちゃんから教えてもらった歌も歌いたいけど、どうしてか体が動かなかった。


~♪~♪


「リュリュ、あなたなんて顔をしているのよ」


「…お婆ちゃん」


「ユメヒトくんたちが帰るのはわかっていたことでしょう? いつでも会いに行けるあなたよりも、私たちのほうがつらいわよ」


「……」


 そうじゃない。


 私は、マスターたちを友人として招待したかったんだ。


 報酬なんて言ったけれど、お婆ちゃんのためとは言ったけれど、本当は──何のしがらみなく招待したかったんだ。


 そうじゃなきゃ、またマスターが来てくれる保証なんてどこにもない。


「ほんと、バカね」


「……お婆ちゃん!?」


 泣き出しそうになっていたら、お婆ちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。


「あなたは昔っから思い込みが激しいというか、考えすぎなのよ。あなたが思うほどこの世界は悪いものじゃないし、人と人とのつながりは綺麗なものなのよ?」


「……」


「また招待すればいいじゃない。またみんなで騒げばいいじゃない。今度はもっとゆっくり、ちゃんと準備をして……ね?」


 お婆ちゃんには私の考えが全部わかっていたらしい。ぐしぐしと頭を撫でられ、本当に勝てないと思い自然と笑みがこぼれた。


~♪~♪~♪


「あの、結局なんだったんです?」


「孫と祖母の心温まるふれあいさ。あまり気にするこたぁない」


 全部爺とマスターに見られていたらしい。なんだかちょっと恥ずかしかったけど、不思議といい気分だった。エルフの樹笛の盛り上がりも最高潮に達している。


「見苦しいところをお見せして申し訳ありません。……エルフの樹笛の演奏を楽しんでくださいね。帰ってからいいお土産話になり──」


「……語り部様、ますたー、帰っちゃうの?」


 ミィミィに見つかった。この世の終わりを見たかのような絶望の表情を浮かべている。


「ええそうよ。だから今日だけは特別に騒いでいていいの。ミィミィも夜遅くまで起きていていいし、狩人のみんなも明日はお休みよ」


「……やだ」


「あら?」


「やだ! ますたー帰っちゃやだ!」


 ひしっとミィミィがマスターに抱き付いた。ぐしぐしとおでこをマスターのお腹に擦り付け、絶対離れないとばかりに引っ付き、徹底抗戦の構えである。


「えええ……」


「モテモテじゃあないか」


 やだと言われてもしょうがないものはしょうがない。マスターにだって帰る場所はあるし、喫茶店の営業だってある。というか、ミィミィはいつの間にこんなにもマスターのことを気に入っていたのだろうか。


「ミィミィまだ遊び足りないもん! おいしいものだってもっと食べたいもん! マスターはミィミィのおうちもこの村も知ってるけど、ミィミィはマスターのこと知らないもん! そんなのずるい!」


 ……意訳すれば、ミィミィもマスターの喫茶店を見てみたいということだろう。でも、ただ見に行きたいだけなら──


「……なら、遊びに来る? 物置通ればすぐみたいだよ?」


「「えっ」」


 そう、私たちが通ってきた物置を通ればすぐである。歩いて四日かかる距離も、これなら一瞬だ。


 マスターがこっちに遊びに来るのが時間的に難しくても、ミィミィがあっちに遊びに行くのは全くもって問題ない。


「物置って……ちょっと待って。リュリュ、あなたたち、物置の方向(●●●●●)からやってきたのよね?」


「…ううん、物置から出てきたの。爺が魔法? を使ったら喫茶店と繋がった」


 お婆ちゃんもミィミィもなんか勘違いしていたみたい。そりゃあ、朽ちた物置から人がやってくるなんて思いもしないだろう。


「しのぶさん……?」


「あっはっは」


 爺ははぐらかすことに決めたらしい。いそいそと”しらたまぜんざい”を椀に盛り付け、背中を向けて食べだした。


「シャリィも同年代の友達いないし、僕としては問題ないですけど……。あ、でも基本は午後でないといませんね。扉が開かないときは留守なんで。もしかしたらシャリィのほうからこっちに遊びに来るかもしれません」


「そ、それは大丈夫だけど……」


 なら問題ない。私も気軽に里帰りできるし、ミィミィもシャリィちゃんやマスターと会える。


 だいたい、あそこは私のクランの拠点でもあるのだ。家族を招いたところで何の問題があるのだろう。


「……ミィミィ、ティティ、リュリュ。このことは絶対に秘密ね」


 お婆ちゃんはすごく真剣な目で伝えてきた。外交上のいろんな問題があるのは確かにそうだけど、それ以上に夢の場所を独り占めしたいと顔に書いてあった。


「会えるの!? 本当にまた会えるの!?」


「ええそうよ。だから今日はなにかも忘れて楽しみましょう! そうだ、リュリュ。新しく覚えたって言う歌を披露してちょうだいな。オカリナの音色も気になるわ!」







 宵闇に飲まれつつある黄昏の中、焚き火に照らされた森に笑い声が木霊する。どこを見てもそこには笑顔があり、どこまでも暖かい場所だった。


 マスターはにこにこと笑いながら調理を続け。シャリィちゃんは忙しそうに給仕を続け。そして爺は心底嬉しそうに”しらたまぜんざい”を食べている。


 私はお椀の中身を一息で腹に収め、その甘い抱擁にひと時ばかり酔い乱れる。自分の口からは魔女の吐息のような甘い香りがしていた。


「…ふふ」


 自然と零れる笑み。いい気分のまま祖母と幼子の手を取り、久しぶりに自慢の歌声を披露しようと明りの元へと歩いて行った。









20160425 文法、形式を含めた改稿。


次回からはいつも通り喫茶店に戻ります。


冬場はあったかいのだけど、夏場は冷たいやつだよね!

でも、お汁粉とぜんざいの違いがいまいちよくわからぬ。


うちのほうではぜんざいっていうとお椀に水気の多い餡子みたいなあれをいれて白玉をいれるんだけど、白玉を入れるのがぜんざいで、餅や団子をいれるのがお汁粉なのかなぁ?


このセカイのエルフはガンガン肉も食べます。別に菜食主義ってわけじゃありません。ただ単に、森に棲んでいるから食べるものに森の恵みが多いってだけです。


焙烙火矢のほうろくって宝禄だった気がするんだけど、どっちだっけ?

最近どうも記憶があやふやでいけない。

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