エルフ村話
れっつくっきんぐ!
鼻を突く古い樹の香り。夏の朝のわずかに涼しげな風が頬を撫で、耳には小鳥の鳴き声が届いた。その久しぶりの懐かしい感覚に思わず惰眠をむさぼりそうになるが、ここでお腹のあたりに何やら暖かく柔らかいものがあることに気づく。
「……」
ティティじゃない。だって、ティティと二人で寝るにはもうこのハンモックは小さすぎる。それにティティは寝相も歯ぎしりもひどいから、一緒に寝るなんてとてもじゃないけど出来はしない。
「……」
私に引っ付くようにしてすやすやと寝息を立てる赤い頭をそっと撫でる。シャリィちゃんはわずかに身じろぎし、そしてゆっくりと瞼を開けた。
一瞬ぽけっとした表情になったけれど、私の顔と差し込む朝の陽ざしに一瞬で覚醒したらしく、次の瞬間にはいつものお日様のように笑顔を浮かべる。
「……おねーさん? おはようございます♪」
「…おはよう」
朝の挨拶をかわし、まずは私がハンモックから降りた。ついで、ピンクのパジャマを着たシャリィちゃんを抱いて下ろしてやる。
脇腹に腕をいれ、しっかりと抱きしめつつもそうっと慎重に。私も小さい頃は一人で降りられなくて、よくチュチュお婆ちゃんに下ろしてもらっていたっけ。
「…よく眠れた?」
「そりゃもう、ばっちり!」
珍しく歯ぎしりをせずに眠っているティティを無視して寝室から出る。昨日、夕飯──エルフ風の、だけど──を食べたのち、マスターも爺も、もちろんシャリィちゃんも交えてかなり遅くまでおしゃべりをしてしまったのだ。
話題は尽きることがなく、私が古都で体験したあれこれや、出会った友人やあの喫茶店で食べたお菓子のいかに素晴らしいかを語っていたら、ついつい長引いちゃったんだ。
お婆ちゃんもティティも面白そうに聞いていたから、多分それでよかったと思う。ただ、やっぱり爺は最後まで自分のことを絶対に話さなかったけど。
「あら、おはよう。お寝坊さんね」
お婆ちゃんの朝は早い。いっつも私が起きたころには水も火も準備ができている。お着替えだって済んでいることがほとんどだし、多分集落で一番早く起きているんだと思う。
今日もほら、果物籠は森の恵みに満ちているし、水差しも重い。
「…お婆ちゃんが早いだけ」
「そんなことないわよ。ユメヒトくんもしのぶさんも、もう外で準備しているわよ?」
「……えっ」
面白そうににっこりと笑う祖母の顔を見て。私とシャリィちゃんは日窓から外の広場を覗き込んだ。
そこには、眠そうに眼をこするマスターと、いつも通りに──大鍋を抱えて微笑んでいる爺がいた。
「…なにやってるの?」
「見ての通り、調理の準備さね」
集落の広場で、爺とマスターはなにやら野営の準備のようなことをしていた。どこからか借りてきたのであろう薪にマスターが魔法で火をつける。たちまちのうちにぱちぱちとそれが燃え上がり、煙の香りが広がった。
爺は木と石を組んで簡易のかまどを作り、そこに大きなお鍋を乗せた。お祭りの時にでも使うような、子供一人くらいなら簡単に入ってしまいそうな鍋だ。中には水が入っているらしく、かまどに乗せるときにちゃぷちゃぷと音が聞こえる。それを見計らって、マスターが火のついた薪をくべた。
「…紫の、豆?」
ひょいとその鍋を覗いたら、無数の小さな紫色っぽい豆が鍋の底で揺蕩っていた。
紫って言ってもブドウのような紫じゃない。もっと赤みが強く、朝焼けをうんと濃くしたような感じの色。
豆そのものはありふれたような感じだけれど、この色合いのものはあまり見かけない。少なくとも、うちの集落では食べられていない。
「小豆っていうやつなんですよ。つい先日おすそ分けしてもらいまして」
マスターが腕まくりをしながら答えてくれた。たぶん、これも例の友人──クスノキのところで採れたものなんだろう。あの無骨な大男はいったいどれだけの大きさの畑を手掛けているのだろうか。正直ちょっと想像もできない。
「ちょっと作るのに時間がかかるのが難点ですけどね。それにしても、すごくきれいでいい水ですね」
「…エルフの水はどこも綺麗だよ。森が応えてくれるんだ」
大きな鍋だからか、あまり火の通りは良くないらしい。手持ち無沙汰にその様子を眺めていると、やはりこちらのことが気になるのかそこかしこからエルフたちの視線を感じた。
(物置の人間がいるぞ)
(語り部様の客人と言っていたぞ)
(ホントにお耳がまんまるなんだね)
「……なんか、見られています?」
「あたしたちってば、人気者ですね!」
そりゃあ、物置から突然現れた人間が大鍋で何かを作っていたら気にもなるだろう。マスターたちには聞こえていないようだけれど、さっきからひっきりなしにひそひそとこの様子について喋っているのが私には聞こえている。
「物置の人間よ。持ってきたぞ。これでよいのか」
と、ここで一人のエルフの男が現れた。ヒトで言うならば見た目は二十代後半の、エルフの中ではがっちりとした体格の男だ。私たちの民族衣装──風通しの良いひらひらしたやつ──を身に纏い、似たような衣服の爺と変わった格好をしているマスターをじろじろと見ている。
その背中には、やっぱり大きな大きな鍋があった。
「久しいな、リュリュ」
「…ルタ・ティルータ」
ルタはにこりともせずに鍋をそこに置いた。愛想の一つもないと思うかもしれないが、なんのことはない。こいつは感情の起伏に乏しいエルフの中でもとくにシャイなだけだ。こう見えて、エルフの猟師のトップを務めていたりする。
「テレ・ルクーレもキア・オルーアも会いたそうにしていた。キャキャもニィニィも同様だ。なぜ顔を出さなかった」
「…別に、昨日は家でゆっくりしたかっただけ」
「ふん。まぁいい。物置の人間よ、鍋の大きさはこれでいいのか?」
「ああ、十分だとも。わざわざすまなかったねェ」
「語り部様の指示だ。礼を言う必要などない」
ルタの言葉にマスターはびくびくしていたが、爺はにこにこといつも通りに受け答えをする。やっぱり年の功なのか、ルタがただ単にそういうやつだってだけなのを見抜いている。
「……僕、なんか失礼なことしましたっけ?」
「…本当に、言葉に裏はない。こいつは極端だが、エルフはだいたいみんなこうだ」
「ふん。随分外の人間らしい言葉を使うようになったじゃないか。こんな遅くまで寝ていたようだし、ティティの怠け癖がうつったのか?」
「……えっ」
てっきりマスターたちが早起きなだけだと思っていたけど、よくよく日の高さを見れば、割と寝坊していたことがうかがえた。
もともとこの集落のエルフは古都の人間に比べれば早起きだけれど、それにしたって昨日のおしゃべりのせいでぐっすり寝こけてしまったらしい。
「私、別に怠けてるわけじゃない。ひきこもっているだけ」
「あ、おねーさん。おはようございます!」
「おはよ」
ティティが起きだしてきた。寝癖を直そうともしていないその様子にルタがやれやれと首を振る。なんだかこの様子もすごく懐かしい。
「ルタ。お勤めはどうしたの?」
「している」
「うそ。私が起きるころには森で狩りをしているはず」
「早朝、語り部様から通達があった。今日は客人のもてなしのための宴を開く。狩人たちは森で獲物を仕留めて、女子供は宴の支度をしろと」
「いきなよ」
「……俺はこの客人の手伝いをするように言われた」
なるほど、道理でルタがこの時間にいるというわけだ。祭り用の鍋を持ってきたのも、きっとその時にお婆ちゃんに言われたからだろう。何をするのかまではわからないけれど、人では多いに越したことはないし、それにルタは力持ちだから荷物運びには最適だ。
よくよく気配を研ぎ澄ませて周りをみると、エルフの女連中は薪の支度をしたり木の実を擂り鉢にかけたりと、祭りの支度をしているのがわかった。
…まわりでちらちらしているのはいったい何をしているのだろう?
「じゃあ、なんでもっと早くに来なかったの。鍋を持ち出すだけでこんなに時間がかかるわけないじゃない」
「……ミ、ミィミィが着いてきたいと駄々をこねた。説得に時間がかかり、結局連れて来ることになった。今もほら、あっちでちらちら覗いている」
「うそ」
それはたしかに嘘だ。ミィミィはまだ見た目はシャリィちゃんよりも小さいが、そんな風に駄々をこねて大人を困らせるような真似はしない。物事に興味があったのなら、大人しく言うことを聞いて機会をうかがう。
それがミィミィだ。ちなみにルタの年の離れた妹だ。
「いいなよ。本当のことを。うそつきは良くない」
「……たんだ」
「大きく」
「……どうやって話しかけたらいいのか、わからなかったんだ」
顔を少しだけ赤らめたルタを見て、マスターがぽかんと口を開けた。
もう一度言おう。こいつは極度のシャイで恥ずかしがりやなのだ。
「さぁ。もう恐れることなどなにもない。馬車馬のように好きなだけ酷使するがいい」
「いえ、さすがにそこまでは……」
さて、ルタが開き直ったところで調理の再開となった。
今ここにいるのは私、ティティ、爺にマスター、シャリィちゃん、そしてルタとその妹のミィミィだ。さっきよりかは近くにエルフの女たちがいるが、みなそれぞれ忙しそうに個人の仕事をこなしている。
「お兄ちゃん、お話随分長かったね。ミィミィ待ちくたびれちゃった」
「うむ。ゆっくりと親交を深めるのが人付き合いのコツなのだ」
ルタのヤツ、誰も声をかけられないのを見て、兄ちゃんに任せろだなんて言ってマスターたちに声をかけようとしたらしい。曲がりなりにも同胞であるので、先ほどの一幕はミィミィには黙っておこうと思う。
「さて、早速だが始めてしまおう。まずは小豆の処理から入る」
爺はかまどにさらに薪をくべた。パチパチと炎が燃え上がり、熱気が爺の頬を撫でる。鍋の水はそこそこ温まってきたようで、豆の間から時たま小さな泡が漏れていた。
「こいつを一度沸騰させる。そうしたら煮汁を捨て、また火にかける。力仕事だから、ルタにやってもらおうかねェ」
「任せろ」
豆をたっぷりの水に浸し、沸騰させるそうだ。一度沸騰したら煮汁を捨ててまた同じことをするらしい。
これは渋抜きと呼ばれる作業だそうで、下処理に当たるとのこと。これだけの規模の鍋となると水を入れ替えるのも火力を維持するのも大変だろうから、力を持て余しているルタにはちょうどいいだろう。
「さて、向こうが準備している間にこっちは中に入れるものを作ります」
マスターがどこからか白い粉の入った袋を取り出し、女衆がこそっと持ってきてくれた調理机にそれと金属の鉢──ボウルを置く。水差しをその傍らに準備して、ミィミィ、ティティ、シャリィちゃんに微笑んだ。
「この粉と水を練り合わせなきゃいけないんだ。でも、僕の手でやるよりも小さな手のほうがうまくいくからね。手伝ってもらってもいいかな?」
「うん。ミィミィやってみる!」
「おいしいものを食べるためなら」
ミィミィとティティがきりっと表情を引き締める。年はずいぶん離れているはずなのに、なんだか仕草がそっくりだった。
マスターは子供の扱いに手馴れているのだろうか。なにもティティやシャリィちゃんまで同じように接しなくてもいいのに。
「このボウルの中に粉を入れて……粉よりもちょっと少ないくらいの水を入れる。ああ、いきなり全部入れるんじゃなくて、ちょっとずつね」
「変わった粉だね。小麦粉ってわけじゃないし」
「泥んこ遊びみたいで楽しいね」
ちょっと触ってみる。なるほど、感触は小麦粉と全然違う。もっとさらさらしていてきめ細かい感じがするし、何より色が真っ白だ。このまま白粉としてお化粧に使っても、誰も気づかないと思う。
「ちょっとぺたぺたする」
「うーん、水が多かったのかな?」
マスターはミィミィのボウルに粉を追加し、その粉の練り具合を確かめる。力を入れてぎゅっぎゅっと練り合わせ、またほんの少しだけ水を加えた。
「耳たぶより少し固い程度が理想だね」
「基本的には柔らかいよりも固いほうがうまくいくさね」
ティティとシャリィちゃんの鉢を覗いてみる。シャリィちゃんの奴はもっちりしたような見た目だけど、ティティのはそれより幾分柔らかそうだった。こいつの場合、ひきこもりすぎて力が貧弱だからうまくこねられなかったんだろう。
「マスター、質問」
「なんでしょう?」
「耳たぶって、誰の?」
ティティの目が丸い耳と尖った耳の間をさまよう。エルフとヒトじゃ感触も違うだろうし、当然といえば当然の疑問だ。
シャリィちゃんも言っていたけど、エルフの耳って柔らかくて気持ちいいらしい。よもや、エルフの耳基準で考えられたレシピってわけでもないだろうけれど、聞いておいて損はないはずだ。
「……誰でもいいと思いますよ?」
「シャリィちゃん、お耳貸して」
「やーん♪」
楽しそうに耳を引っ張り合うシャリィちゃんとティティ。それに触発されたのか、ミィミィはマスターの裾をくいくいと引っ張った。
「ますたー、お耳貸して」
「ええと……」
「いいから」
「ミィミィ、耳なら俺の……」
「お兄ちゃんのはゴツい」
わざわざ腰をかがめて触らせてあげるあたり、マスターは優しいと思う。ミィミィのやつはもうマスターが調整を加えたから確かめる必要はないのに。
小さな指でおっかなびっくり耳たぶに触れるミィミィは、やがてポツリとつぶやいた。
「へぇ。ヒトのもけっこうぷにぷになんだね。ミィミィちょっとびっくり」
「う、うん。だからあまり引っ張りすぎないようにね?」
「ますたーのお耳欲しいなぁ。ずっとぷにぷにしていたい。……あっ、ますたーとずっと一緒にいられれば、ずっとぷにぷにできるね。ますたー、一生ミィミィの傍にいて?」
「うん。そういうのは大人になって、大好きになった人に言おうね」
「ますたーだからいったんだよ?」
「えっ」
……レイクじゃないし、マスターはセーフだろう。浮気じゃないと思うけど、帰ったら一応アミルに伝えておくか。
「おにーさん、そんなに落ち込まないで。ね?」
「……かたじけない」
落ち込むルタの様子を見かねてか、シャリィちゃんは天使のほほえみで耳を触ってあげていた。その隙に爺がティティに気づかれないように固さの調整をしてあげている。
「ばっちり!」
「そ、そうだね」
ふんす、と息を荒くするミィミィはともかく、次の行程だ。
「この生地を棒状に伸ばして、手でちぎりとって丸めるよ」
マスターはこねこねとそれを丸め、短剣のグリップのような形にする。さらにそれを片手に持ち、親指と人差し指とでつまめるくらい……そう、”ざらだま”と同じくらいの大きさにちぎりとって、片手で器用に丸めていく。
ぎゅっと握って、まぁるくこねて、そして最後に真ん中を指でぺしゃっと潰した。
「大きさはこれをお手本にしてやってみてくれる? 千切って、ぎゅってして、丸くして。最後に指でぺしゃっとするだけ……ちゃんときれいにできるかな?」
挑発的に微笑むマスターに二人が負けじと手を動かしたのは言うまでもない。上手下手はともかく、千切って丸めるだけなのだからそれこそ子供にだってできる。こうしてみている間にも白い球が続々と出来上がっていき、用意されていたトレーはたちまちのうちにそれでいっぱいになってしまった。
ざばば、と後方で熱気が上がる。どうやら一回目の沸騰が終わったらしい。うらやましそうな視線を背中に感じたが、とりあえず無視だ。
「……」
しかしまぁ、手伝ってみるとよくわかるが意外と面倒だ。
この粉、爺やマスターが調整したものはベタつかず、手にひっつかないで簡単にちぎれるんだけど、私が調整したのは水が多かったのか千切り取るのにひどく手間がかかる。白いのが指の間に引っ付いてしまうし、剥がそうとすると逆の手にくっつく。
丸めるだけだと思っていたものも、数を作っていくうちに大きさがどんどん変わってしまっていた。最初のほうはどれもほとんど同じ大きさなんだけど、後のほうのものは最初のものよりも一回りほど大きくなっている。自分では気づかなかったけど、ちょっとずつちょっとずつ大きく作ってしまっていたようだ。
「ますたー、はやいね」
「おじいちゃんも、すごい」
私たちが一個終わらせる間には、マスターたちは三つを終わらせている。高速で動くからくりのように、あるいは手が別の生き物であるかのように、ある種の美しさを伴って腕が動いていた。
見ているだけで惚れ惚れとするようで、量だけじゃなく形も完璧にそろっている。私たちが作ったものはあの二人のものとは雲泥の差がある。
素早さだけはシャリィちゃんとぎりぎり張り合えるかどうかってところだけど、シャリィちゃんも形がそろっていて並べたときの見栄えがいい。簡単だと思っていたけど、やっぱりプロには敵わないみたい。
「シャリィちゃん、どうすればそんなにうまくできるの? ミィミィに教えてほしい」
「うーん、こればっかりは数をこなさないとダメですよ」
「……シャリィちゃん、何歳?」
「十歳くらいのはずですよ?」
「……負けた」
ミィミィは今年で十二歳だ。エルフの中では赤ん坊に近い。
エルフは十六くらいまではヒトで言う幼児とそうたいして変わらない見た目であり、十六を超えると急激に年相応の見た目になる。そして若い時代が長く続き、寿命が近づくにつれ老化が早くなっていくのだ。
こねこね、こねこね。
ひたすらこねているとそのうち宴の打ち合わせをしていたお婆ちゃんも戻ってきて、作業の効率が少しだけよくなった。
「まさかしのぶさんとお料理ができるなんて、三百年前は思いもしませんでしたよ」
「……リュリュお姉ちゃん、語り部様は何を言っているの?」
「…気にしなくていい」
こねこね、こねこね。
作った玉はもう優に百は超えているはずだろう。でも、集落のみんなが食べられるほど作るとか言っていたから、もうちょっと頑張らないといけないはずだ。この集落には百人以上のエルフが住んでいるし、女子供はこぞってこの甘い魅力に取りつかれるに決まっているのだから。
ざばば、と二回目の音。
「物置の老人。茹で終わったぞ」
「はいな、お疲れ様」
ルタが汗をぬぐった。この暑い時期に火の番だけでもだけでも大変だっただろうに、一人で重労働をこなしていたのだ。
「じゃ、最後にもう一回茹でる。あと、こっちの玉も茹でたいからこれとは別の鍋も用意してくれんかね?」
「む、むぅ……」
「ルタ。お願いしますよ?」
そういわれてしまうとルタは逆らえない。三つめの大鍋を──ついでに水魔法が得意なキャキャも──借りてきて、ささっと言われたとおりに準備をした。
「お疲れ様。お礼と言っちゃなんだが、こいつをやるよ」
「……これは?」
「あまぁい食べ物さ」
ルタを労い、爺が懐から見覚えのある小袋を取り出す。”ざらだま”がパンパンに詰まった特製の袋だ。大粒のそれが五十個は入っているのに、なんとたったの銅貨五枚である。
しかも、シャリィちゃんの魔法でキンキンに冷えていた。
「……うまい!?」
「おにいちゃん、ミィミィにもちょうだい」
「ずるい。一人占め、よくない」
「ねぇルタ。あなたの仕事を手伝ってあげたのは誰だっけ?」
ミィミィとティティとキャキャが群がった。
ルタはそれを守ろうと必死になった。
無駄だった。
「あむ。おにいちゃんだーいすきっ!」
「お姉ちゃん、こんなのあるなんて聞いてない」
「もっと手伝うから、もう一個ちょうだい?」
例えエルフであろうとこんなものである。まぁ、今は珍しいかもしれないけれど、私を通せば好きなだけ買えるのだから、ここは太っ腹なところを見せて兄の威厳を保つのも悪くない選択肢だと思う。
「おにーさん、モテモテですね!」
「カッコイイ人ですしね。うらやましい限りですよ」
「物置の少年よ。そっくりそのままその言葉を返そう」
それに見ろ。お婆ちゃんなんて、無言で爺の裾を引っ張っている。大本から搾り取ろうとしているあたり、あっちのほうが遥かに強かでずぶとい。それに比べればエルフの娘三人に囲まれて、むしろルタは得をしたのではないか?
「まぁまぁ、そこらへんにしなさいな」
「や! ミィミィ、もう一個食べたい!」
「しょうがないねェ……ほれ、口あけな」
「あーん♪」
「じいじ、あたしも!」
「はいな」
「あーん♪」
爺の一言で茶番は終わる。みんなの頬がころころと膨らんでいる中、次の作業に移った。年少二人は両頬をまるまると膨らませているけど、食べにくくないのだろうか?
「こっちの普通の大鍋のほうにはこの丸めた白い球を入れる。ああ、入れるのは沸騰してからだ。中でくっつかないように木べらか何かでかき混ぜているとそのうち浮いてくるから、全部浮いたところでさらにもう一分待つ。最後に冷水でしめればお終いだ」
ただし、これには注意点が一つ。玉の茹で上がりにムラをなくして均一にするため、全ての玉を一度に入れてしまわないといけないらしい。
つまり、玉を作りながら茹でるのはダメで、ある程度まとまった量を作ってから一気に茹でなくてはならないそうだ。
当然のことながら、茹で終えたものから取り上げて新しいのを茹でるのもダメだ。
「小豆のほうは沸騰した後、煮汁を捨てずに小一時間弱火で炊きます。炊く途中で水がなくなってきたら小豆が顔を出す前に追加していきます。ただ、この豆は新しくていいものなので、もっと早くに炊き上がってしまうかもしれません。豆が柔らかくなった段階でざるに空けて水気を切るんです」
甘いものを作っているわけだが、ここまでの行程ではただ単に豆を煮ただけだ。いくらマスターの故郷と言えど煮ただけで甘くなる豆などあるはずがない。あの白い粉で作った、おそらくは”もち”も単体ではそれほど甘くないし、これから甘くする行程があるのだろうことは想像に難くない。
「ふむ、先ほどまでとさほど変わらんな」
「ええ。ですがこの後が一番重要です。これを失敗するだけで全部台無しになってしまいますから。ここだけは僕かじいさんがやることに──」
「ルタ! 大変だ!」
マスターの話の途中に、一つの影が割り込んできた。
片手には弓。背中には矢筒。顔に色葉で緑の模様を刻んだ、典型的なエルフの狩人の男──キア・オルーアだ。
キアはぜえぜえと息を吐き、詰め寄るようにルタとお婆ちゃんの元へと近寄った。
「キア。客人の前だ。それに今重要なところなんだ」
「それどころじゃない! 《森の暴君》の群れだ!」
「なんだと?」
「フォレストタイラントですって!?」
その場にいた全員が固まった。事態をよくわかっていないのはマスターくらいのものだ。お婆ちゃんは顔を真っ青にしているし、ティティでさえ目をすっと細めて警戒態勢に入っている。ミィミィはルタにひしっとしがみついていた。
「どうして……!? こないだ調べたときはおとなしいって話だったのに!」
「どうも、隠れて新しい皇帝を育てていたらしい。力を蓄えていたようで、眷属の数が膨れ上がっている」
たぶん、百を超えていた……というキアの呟きが森に吸い込まれていく。森は不穏にざわめき、ぽこぽこと水がゆだっていく音が妙にうるさく耳に届いた。
「テレ・ルクーレが指揮を取って侵攻を遅らせている。ニィニィはすでに防衛のために動き出した」
でも、それだけじゃだめだ。それがわかっているからこそ、キアはこうしてここへやってきたのだろう。よく見れば体のあちこちを擦りむいている。状況は芳しくない。
「チュ、チュチュさん。大丈夫なんですか?」
「あんまり、大丈夫じゃないわね」
それもそのはず。三百年前、この集落を襲ったのがそのフォレストタイラントだ。サルと熊を足して二で割ったような体をしており、体中に蔓だの苔だのを纏っているため森の中ではたいそう見つけづらい。
力も強くて動きも早く、夜目も効いて見つけづらい。この辺で一番戦いたくない相手だ。
「やつらは数十年に一度、群れの中で新たな皇帝が生まれて狂暴化するの。毎年その兆候がないか調べていたのに、よりにもよって今だなんて……!」
さらに言えば、エルフは狩猟民族だ。つまり、こっちから打って出て必要な分を狩ったり、数匹を罠にかけるのは得意であっても、大量の敵を相手にしたり、何かを守る戦いは得意としていない。
「あれ、でも武器があるから今は大丈夫って言ってませんでした? ほら、鉄の剣だとか槍だとかを仕入れるようになったって……!」
「ユメヒト。森の中では短剣、弓のほうが取り扱いが楽さね。剣はまだしも、槍なんかじゃまともに振り回すことができないんだ。……さて、上等な鉄の剣と鉄の槍。森で使えないのだとすれば、いつ、どこで使うためにあるのだと思うかね?」
「……しゅ、集落の中に入られちゃったとき?」
「正解だ」
もともとはエルフにだって自衛の能力はある。ただ昔、鉄壁だと思っていたそれが破られてしまったから今があるのだ。
ついでに言えば、槍を得意とするエルフなんてそんなにいない。みんな弓矢や短剣のほうが遥かに得意だ。
「お、お菓子作りなんてしてる場合じゃないんじゃ!?」
「わかってくれたか、物置の客人よ。君では足手まといだ。すぐに避難してくれ」
「あああ、もう!! なんであのへっぽこ共ははこんなときに! もう三十年若かったら住処ごと焼き払ってやったのに!」
実際、あいつらを相手にする際は魔法で仕留めるのが一番楽だ。防衛拠点を作り、そこから魔法や弓でやつらが諦めるまで攻撃を繰り返すのが、最も被害が少なく効率的な方法だと認められている。
……まぁ、最近は兆候が見られた段階で冒険者に潰してもらうことも多いけど。
「仕方がないわ。ルタ、リュリュ、ティティ、キャキャ。あなたたちは撃退にあたりなさい。キアはこのまま女子供を避難させるように。こんないきなりの襲撃だもの、森の一部を燃やすのも認めます」
「それは……!」
エルフが、森を愛するエルフが森を焼く。それほど事態は切羽詰まっているということだ。
「ねぇ語り部様。せっかく作ったこれ、どうなっちゃうの?」
「ごめんなさいね、ミィミィ。また今度時間を作るから今日は諦めて?」
「…………はい」
ミィミィは聞き分けが良い。こいつはまだやつらのことは言伝にしか聞いていないはずだ。どれほどの恐ろしいかがわかっていないからこそ、お菓子の心配もできるのだろう。
眼に涙をためているのも、魔物の恐ろしさというよりかは、お菓子が無駄になってしまうことのためによるもののように思えた。
その悲しそうな表情に胸がギュッと締め付けられ、ひどく息苦しいような、切ない気持ちになる。
どうも、私は子供のこの手の表情が苦手らしい。自分のことのようにつらく、悲しい気分になってしまうのだ。
そして、そんな童の泣き顔を──否、幼子にそんな顔をさせるその事実を、とことん嫌っている人間がここにはいた。
「いんや。別に諦める必要はないさね」
「──え?」
爺は何でも無さそうに鍋の中身を確認し、豆を一粒すくって口に放り込む。何かを考えるような顔つきになり、そして満足そうにうなずいた。
「撃退すればいいだけの話だろう?」
「……できるんですか?」
「できないって誰がいったのかねェ?」
「物置の老人よ。うそはよくない」
「そうだ。仮にあなたがフォレストタイラントより強かったとしても、数が尋常じゃないのだ」
それでも、爺は散歩に行くかのような気軽さでのんびりと準備運動をする。なぜだかぽんぽんと懐と膝を叩き、ぐるりと肩を回した。
ゴブリンと戦うにしたって、普通はもうちょっと緊張感を孕む。だというのに、爺のその所作はごくごく日常的で気負ったところなど全くない。
「それの何が問題なのかねェ?」
爺は動作だけはそのままに、体から放つ雰囲気を一変させる。びくっと体が震えてしまったのは、もはやしょうがないことだ。
「私は嘘が嫌いだ。食べられるものを捨てるのも嫌いだ。努力が無駄になるのも嫌いだ。──せっかくの楽しみがおしゃかになるのは大っ嫌いだ」
「……」
眼を真ん丸にして見張ったのは、私だけじゃない。爺は、どうしてそれだけのことにここまで真剣な目つきになれるのだろう。
「シャリィ、茹でるほうは頼むよ。魔法で冷水は作れるね? さっき食べた感じでは、小豆も茹であがるまでまだしばらくかかりそうだ。それまでにはケリを付けてくる」
「もっちろん! こっちは任せて、気を付けて行ってくださいね!」
「じいさん、本当に行くんですか!? ちゃんと帰ってこなかったら承知しませんよ!」
「どうして他人事みたいに言っているのかねェ? お前も来るんだよ?」
「えっ」
「なに、そんな難しいことをさせるつもりはないよ」
ぽかんと口を開けたマスターを見て、爺はにっこりと笑う。彼の肩にぽん、と手を置き、今までにないほど明るい声で、されど有無を言わせぬ調子ではっきりと告げた。
「──豆が茹で上がるまでに蹴散らすってだけの話さ」
20141115 誤字修正
20160425 文法、形式を含めた改稿。
何を作っているかわかるかな?
お団子って水加減ミスると指の間にこびりつくよね。
いつも不思議に思うんだけど、エルフの耳に興味を持つ人間はいても、
人間の耳に興味を持つエルフっていないよね。
耳たぶ的な意味では人間のほうがぬくわやこくていいと思うんだ。
時間がないぜぇ……。




