エルフとのし梅
祝五十話!
マイナー……かな?
山形のほうの和菓子です。
この喫茶店 《スウィートドリームファクトリー》に入り浸るようになって、
もうどれだけの時間が過ぎたのだろうか。
もう何十年と通い詰めたような気もするし、まだ三日と経っていないような気もする。
行くたびに新しい何かを発見し、
そしてやさしさに包まれて懐かしい気分になるものだから、
こういう錯覚に陥るのだろう。
元来、私たちエルフは感情の起伏が乏しい。
それはヒトの三倍以上という長い寿命を誇るがため、
物事に対する興味関心が薄いからだという説がある。
早い話、発見がなくなって物事全てに飽きてしまうのだ。
もちろん、そうでないエルフもいないわけではない。
子供のエルフは好奇心旺盛だし、いい年して世界中を旅するエルフもいる。
この喫茶店で退屈することはない。
この私にも友人と呼べる間柄の人間ができ、そして妹のようにかわいい娘もいる。
爺がいたおかげで私はトラウマになってもしょうがない出来事から立ち直れたし、
ホームシックにかかることもなかった。
本当に素晴らしいところだと思う。
そして、なによりも不思議な場所だ。
「……」
「準備はできたかねェ?」
「まぁ、できましたけど……」
善哉、善哉と笑いながら爺が扉の間へと入った。
腑に落ちない顔をしながらマスターがそれに続き、シャリィちゃんも
私の手を引っ張ってそこへと足を踏み入れる。
まだ午前の早い時間。
この時間は店は閉まっており、お弁当の注文を受けた時だけは
爺が出迎えてくれるが、通常ならばこうして中に入ることはできない。
マスターは大きなカバンと”くーらーぼっくす”を持ち、
シャリィちゃんは町娘の格好をしてポーチをもっている。
紛うことなきおでかけスタイルだ。
爺はいつも通りの格好だが、その服のあちこちにいろんなものを仕込んでいるのを
私は知っている。
「…どうしてここに?」
「すぐにわかるさ」
そう、今日はマスターたちとともに私の故郷へと行く日だ。
私は件の護衛依頼の報酬で、チュチュ婆様たちにお菓子を食べさせたいと願った。
婆様は年で足腰が悪く、日常生活は問題ないまでも
こっちのほうまで来ることは難しいからだ。
だが、古都から私たちの集落までは歩いて四日かかる。
マスターの時間の都合が合わなかったらしいが、
爺はすぐに行ける方法を知っているとのことで、今日集まるように言ったのだ。
てっきり、秘密の抜け道か何かをしっているのだとばかり思っていたのだが……。
「…ここ、喫茶店の中だよ?」
なんだかよくわらからない扉の間。
その名の通り、いろんな種類の扉がいっぱいある部屋だ。
そのうち二つはトイレで、一つは最近武道場へと至るようになったと聞いた。
他にアミルからマスターの住居へと続くものがあると聞いたが、それだけだ。
魔法か何かで空間を拡張したのだろうが、ここに来る理由にはならない。
「こいつでいいか」
そんなことを気にした様子も見せず、
爺はある扉の前に立ってなにやらもにょもにょと呟いた。
マスターやシャリィちゃんは聞き取れなかったようだけど、
私のエルフとしての優れた耳は確かに聞き取った。
妙に特徴的な、変に耳に残る声だった。
『それじゃ、繋げておくれ』
『了解です、課長』
……課長って誰のことだろう?
「爺──?」
問いかけようとしたそのとき、扉が開いた。
ぎしぎし、みしみしと扉が音を立て、少しかび臭いにおいが鼻を衝く。
その向こうからは健やかな朝の日差しが差し込み、
暗い扉の間に一条の光をもたらす。
流れ出てきた風の匂いが、すごく懐かしい。
「ほら、ついた」
「うそぉ……」
「…………え?」
扉の向こうに故郷が広がっていた。
やっぱり爺はすごい人だ。
エルフの集落は隠れ里のように外からは見つかりにくい構造になっている。
木々や岩で見通しを悪くし、土地の傾斜や錯覚を用いて
方向感覚を狂わせ、あえて似たような光景を作り上げることで
関係のない旅人が迷い込むことを防いでいるのだ。
もちろん、仲間内だけに伝わる目印がそこかしこにあるので、
集落のものが集落に帰れなくなる、なんてことはない。
「なんか……視線を感じるんですけど……」
「…物珍しいから、みんな見に来ている。
…それに、物置から出てきて注目されないほうがおかしい」
「の、割には声をかける人が一人もいませんねぇ……」
「…みんな、恥ずかしがり屋さんだから」
その構造上、集落の中そのものにも茂みや木々があり、
古都やその他の町村のように開けていたり広場になっていることろは
集落中央の集会場くらいしかない。
畑や水場も巧妙に隠されているし、家だって自然に溶け込むように作られている。
私から見ればあちこちに家の屋根や壁が見えるが、
どうやらマスターとシャリィちゃんは住居どころか
その窓から覗いているエルフたちにすら気づいていないようだった。
「…ここが、私のおうち」
なぜか喫茶店とつながっていた物置から歩いてしばらく。
ようやく、懐かしのわが家へとたどり着くことができた。
「えっと……ここは?」
マスターが面食らうのも無理はない。
外面だけ見れば、これはただの大樹だ。
大きなオーガだったら一人で抱きかかえることができるだろうけど、
私たちじゃ四人は絶対に必要なくらい太い樹だ。
「裏手に階段があるさね。葉や茂みで巧妙に隠されているが、よくみればわかる。
こういう大樹はツリーハウスを作るのに都合がよく、
エルフの住む土地に大樹があればだいたい住居となっている」
「…せいかい。上に家が造られているでしょ?」
「ホントだ! あんなところにある! なんかろまんちっく!」
爺の言う通り、大樹はエルフにとって格好の住処だ。
大きな太い枝はツリーハウスを作っても十分な耐久性があり、
そしてなにより木々の上なら魔物に襲われず、それでいて風を感じることができる。
樹という自然そのものを拠り所にしているのもポイントが高い。
「…さりげなく、エルフの中では高級住宅だったりする」
「これほどの大樹なんてそうそう無いからねェ。
家造るのも大変だし、普通は地上の岩陰や木々の間に作られることが多いんだ」
ひょいひょいと階段を上っていく。
マスターが足元を見て青ざめていたけど、高いところが苦手なんだろうか。
手すりがちょっと心もとないけど、それこそチュチュ婆様のように
年を取りすぎたエルフくらいしかそれの世話になることはない。
「……五メートルくらいない?」
「あるんじゃないですか? 二階よりちょっと高いくらいですし」
「シャリィ、怖くないの?」
「ぜんぜん? あたし、木登りも得意ですし」
「怖がる人、初めて見た」
「…彼は町育ち。町には高い樹はない」
「樹どころかこんな森だってないんですよ──ん?」
「やっほ」
マスターが止まった。
眼をぱちくりしながら、私のつま先から頭の先まで見渡す。
そして私の目の前の、家の扉を開けたそいつのほうをまじまじと見た。
「……リュリュさんが二人?」
「ちがう。私、ティティ」
「…妹」
「おねーさんの妹さん!?」
シャリィちゃんには言ってたと思うんだけど、どうしてそんなに驚いているのだろう。
たしかに、私とティティは見た目は結構似ていると言われることが多い。
私の髪をバッサリ切って、少し伸長を縮めればティティになる。
目元はティティのほうが眠そうな感じだけど、気づいてくれる人は少ない。
……でも、そんなに似てるかなぁ?
「なるほど、たしかによぉく似ている。
でも、目元が全然違うさね」
「…ふふ」
「お姉ちゃん、この人すごい」
「爺だからな」
「じいじですから!」
やっぱり爺はすごい。
笑みを隠しきれずに家に入ったら、お婆ちゃんが驚いた顔で固まっていた。
「…ただいま、お婆ちゃん」
「お、お帰りなさい」
私のお婆ちゃんはこのエルフの集落の中で一番長く生きていて、
長老というか、何かあった時の知恵袋のような役割を持っている。
確かもう三百歳を超えているはずだから、
エルフの中でも特に長生きの部類に入ると思う。
「お邪魔しまーす!」
「お、お邪魔します」
「よくいらっしゃいました。お疲れでしょう?」
「いや、そうでもないさね」
「……!?」
正直なところいつ往生してもおかしくない年だけれど、
長時間の外出や激しい運動が難しいくらいで日常生活においては
それを感じさせないくらいぴんぴんしている。
最近ちょっと食が細くなって硬いものが食べられなくなってきているけど、
見た目も体型も私が生まれたときからほとんど変わっていない。
お婆ちゃんの意外とぷにぷにでちょっとふくよかなお腹は
抱きしめるとすごく気持ちがいい。
お昼寝するときはいっつも抱っこしてもらっていた。
私は、お婆ちゃんほど頼りになる人は一人しか知らない。
お婆ちゃんみたいに安心できて、そして貫録もある人なんてそうそういない。
二百年たっても、この二人くらいしか巡り会えないと思う。
「私の顔に、何かついてるかね?」
「いえ……」
そんなお婆ちゃんはやっぱり爺が気になったみたいだった。
服装も気配もなにもかもが森の民とは違う。
それはマスターもシャリィちゃんも一緒だけど、爺だけは決定的に何かが違う。
お婆ちゃんほどになれば、見かけよりもその中身のほうに気づいてしまうのだろう。
「友人を連れてくるとは伺っていましたが、てっきり女の子かと」
「私は見栄を張っているだけだと思っていた」
積もる話もいろいろあるけれど、とりあえずは自己紹介をする。
古都の外れの森の、ステキな喫茶店の人たちだと伝えた。
本当の家族じゃないみたいだけど、家族ってことで伝えておいた。
訂正も入らなかったし、それで良かったんだと思う。
「ご丁寧にどうも。私はチュチュ。この集落の語り部を務めています」
「私、ティティ。お姉ちゃんの妹。語り部見習い」
「おねーさん、語り部って?」
「…お話しする人のこと」
エルフの集落には必ず語り部がいる。
その長い寿命の中で見聞きしたことを後の世代に託す役割を果たす者どもだ。
どこの集落でも長老やご意見番みたいな役割も兼ねていて、
私の家が豪華なのもそのへんが理由だったりする。
「それよりお姉ちゃん、お土産。本ちょうだい」
ティティはその語り部の見習いだ。
この子は昔から本が好きで、暇さえあれば樹の上で日向ぼっこしながら本を読む。
知識欲や好奇心はエルフにしては強いほうで、血筋も相まって
語り部見習いになることは割と小さいうちから決まっていた。
……というか、運動がからっきしで狩も耕作もできないから
語り部になるしか道がなかったともいう。魔法だけは私よりも使えるけど。
「…本はない。あれは高い。嵩張る。重い」
「えー」
「…お土産はこの人たち」
私は二人にマスターたちを連れてきた理由を話した。
マスターたちの作る摩訶不思議なお菓子があるということ。
マスターたちの持つ独特な技術や道具があること。
……大切な友人を紹介しておきたかったこと。
「本当に友達だったんだ」
「…ティティだけお土産、あげない」
「ずるい」
本当はいくらかお土産はある。
マスターの持つ”くーらーぼっくす”の中にはあの偽物の果実のお菓子もあるし、
きれいな音色の箱──オルゴールも持ってきてもらっている。
本はないけど、古都で見つけたちょっとした小物も買ってきてある。
「爺、マスター。さっそくだけどよろしく」
「ええ、了解です」
だけど、そっちはあくまでおまけ。
私がここに帰ってきた一番の理由は、マスターたちのお菓子を食べさせること。
どうやらマスターたちはわざわざ新しいものを考えてきたらしく、
結局何を出すのかは最後まで教えてくれなかった。
「はい、お待たせしました。《のし梅》です」
「……んん?」
ごそごそと”くーらーぼっくす”を漁ったマスターが取り出したのは
長方形に整えられた木の皮だった。
ここらではあまり見かけない種類の樹のようで、
茶色みがかったキュリオスバードのような黄色っぽい色に
焼き跡のようなまだらがいくらかついている。
梅っていっていたから、きっとあの甘酸っぱい果実を使ったものなのだろうけど、
パッと見た限りではただの木の皮を張り付けた板にしか見えない。
いくら森を愛するエルフでも、木の皮を直接そのまま食べるようなことはない。
「……これが、食べ物なんですか?」
こんな食べ物はお婆ちゃんも知らないらしい。
エルフの語り部が知らないことなんて、それこそ未来の出来事だけだというのに。
お婆ちゃんが知らないのであれば、どんなに大きな図書館で調べても
これの正体を掴むことなんてできないと思う。
「お婆ちゃん、この木の皮を剥いて食べるんですよ!」
シャリィちゃんに言われ、私たち三人はその木の皮をはがしにかかった。
言われてみれば、中になんかふにょふにょしたものがある。
見た目の地味さに気をとられて忘れていたけど、
常連さんである私も気づかなかったのはちょっと悔しい。
「まぁ……!」
「わぉ」
ぺりぺりぺりとそれをはがしたら、中から黄金色のぷるぷるが顔を覗かせた。
まるで上質の琥珀のように透明感があって、仄かに甘酸っぱい香りがする。
木の皮にぺっとりとくっついているそれはやっぱり長方形で、
厚さは私の小指ほどもない。
どうやらこのうすっぺらい何かを保護するために木の皮を張り付けていたらしい。
見た目を端的に表現するなら、羊皮紙のような琥珀、といったところだろう。
「お姉ちゃん、すごい」
「これは……初めて見ました……!」
「この辺にゃ、ないものだからねェ」
私は喫茶店で”ぜりー”や”あわゆきかん”といった似たようなものを
何度も食べているからそこまで驚かないけど、
初めて見たお婆ちゃんとティティは目を真ん丸にして驚いている。
こんなぷるぷるな食べ物なんて、エルフの長い人生の中でも見つけた人なんていない。
他のお菓子から比べればそこまで見た目は華やかじゃないけれど、
なんとなく上品で風流な感じがする。
きっとこれも和菓子という分類に入るものなんだろう。
見ていると懐かしい気分がしてくるし、自然を愛するエルフには受ける気がする。
私自身も和菓子は好きだし、爺たちはきっとそれを見越してこれを選んだに違いない。
……梅が好きだってこと、覚えてくれていたのがすごくうれしい。
語り部の二人はすっかり目を奪われ、ぼうっとそれを見つめていた。
お婆ちゃんがこんな風になるなんて、私は数回しか見たことがない。
最後に見たのはもう三十年以上は前だったと思う。
「本当に食べていいの? 宝石みたい」
「もちろん。食べて楽しんでもらうために作ってきたんですから」
ぺろんと飛び出たそれを、ティティはゆっくりと顔に近づけた。
私もお婆ちゃんもそれに倣い、黄金の琥珀板を唇にあてる。
ふわっと甘い香りが顔を撫で、うれしい気分になった。
そしてそのまま、口に入れる。
懐かしい甘さ。
馥郁たる自然の香り。
全身に感じる形容しがたい何か。
「──うまい」
「おいしい」
「う……そ……!?」
「それはよかった」
珍しく取り乱した祖母の顔にも、全然気づかなかった。
最初に感じたのはみょうにひんやりしたなにかだった。
舌の先にそのつるつるとしたのが当たって、
これから来るであろう幸せを予感せずにはいられない。
やはり、というべきかそれの舌触りは”ぜりー”のそれとよく似ている。
こないだ教えてもらったが、この手のぷるぷるしたのは
だいたい”ぜりー”か”ようかん”の類だそうだ。
「甘い……。何の甘さ?」
「…不思議だろう?」
そして、この自然の甘さ。
懐かしさや望郷、郷愁といったそんな感じを彷彿とさせる甘酸っぱい香り。
酸味はここらでとれる果物よりも強く特徴的なものだというのに、
それが全然苦にならず、愛しいとさえ思えてくる。
甘さも決して主張するものではない仄かなものなのに、強烈に印象に残る。
木の実だか果実だかわからないけれど、木の実にしてはフルーティーで、
果実にしては味わいが儚い。
この甘く切なく、酸っぱい不思議な味がすごく好きだ。
仄かに甘くて仄かに酸っぱいこれがすごくいいんだ。
ごくんとそれを飲み込む。
ゆっくりと喉へ、腹へと落ちていくその瞬間でさえ、甘酸っぱい香りを
体中へとまき散らしていく。
これこそが、梅なのだろう。
この梅の甘味と酸味が混じった、自然と唾が湧いて出てくるようなこのかんじが、
私は何よりも好きなのだ。
ぷるぷるとしたそれを、獣になったつもりで貪る。
唇に触れたそれが、まるで恋人の接吻のような心持さえしてくるから不思議なものだ。
「果実……じゃない。このへんにこんな味のものなんてない。
それに、このぷるぷるした感じは何なの?」
「…この集落に引きこもっていたら、決して出会えないもの」
はっきり言って味は単調だ。
見た目も華やかでないし、木の皮を剥いてそこに張り付く何かを食べる様は
お世辞にも美しいとはいいがたいだろう。
でも、そうやって食べるのが一番おいしい。
”のしうめ”に慣れた口に外の空気が入るとそれすら甘酸っぱく感じる。
口の中で咀嚼されるそれに空気が混じりこみ、ふわっと香りが鼻に抜ける。
歯触りもまたおもしろい。
柔らかくてすぐにちぎれるけど、平らなところからまっすぐ歯を当てると
少しの抵抗とともに歯がゆっくりと沈んでいくんだ。
他の食べ物では絶対に感じられないその感覚が、妙に癖になる。
しつこすぎない優しい甘さが飽きという二文字を彼方に持ち去り、
ただただそれを舌で絡め取って食べるという作業に没頭させてくれる。
全身に満ち溢れる自然の息吹が、新しい活力を与えてくれる。
このシンプルさが最高なのだ。
自然を自然のままにした、これがなによりも代えがたいものなのだ。
「すごいね。こんなやわらかいのはじめて。どうやって作ったの?」
「梅という果実……いや、木の実をうまいこと使うのさ」
「へぇ」
「…おいしい?」
「うん。すごく」
ティティはこちらを見ようともせずに言い切った。
妹にしては珍しく、耳の端が少し赤くなり、鼻息もうるさくなっている。
こんな出不精でも、この甘い魅力には敵わないのだろう。
「気に入ってもらえて幸いです」
「やっぱり和菓子はうけましたね! さすが姉妹!」
シャリィちゃんはそれをぺりぺりと剥がし、私たちよりもさらに小さなお口で
ちょっとずつちびちびとそれを楽しんでいる。
不器用なやつがやると手がべとべとになってしまうかもしれないが、
シャリィちゃんはその木の皮をうまくつかって手が汚れないようにしていた。
……口元が汚れているのはご愛嬌だろう。
「お姉ちゃん、これ、手づかみで食べるものなの?」
「…どうなんだ?」
「好きなように食べていいさね。
フォークを用意してもいいが、ちょっと食べづらいだろう?」
「なるほど」
確かに爺の言う通り、薄っぺらくてぺとぺとするからフォークだと
うまく食べるのは難しいだろう。
手づかみで食べたら当然手が汚れてしまうし、こうして木の皮を張り付けてあるのは
とても理にかなったことだったのだ。
「おかわりもあるさね」
「もらう……お姉ちゃんの奢り?」
「…うん」
ぺろりと一枚を平らげたティティはすぐにお代りへと心を変えた。
報酬で来てもらっているのだから本当は奢りも何もない。
「お婆ちゃんは?」
「……」
「…お婆ちゃん?」
なぜか、お婆ちゃんはぼうっとしていた。
一瞬噛み切れなかったのかと思ったけど、
こいつは柔らかいからそんな心配はいらない。
マスターはお婆ちゃんの歯が弱っているのかもしれないと思って、
そして私が梅を好きだということも考えて、これを用意したのだろう。
本当に気配りが行き届いていると思う。
「ど、どうされました?」
「…喉につっかえた?」
自分で言ってからそれはないと思い至る。
喉に張り付いた……なら可能性がなくもないけど、
小さく噛み切ればそんな心配はない。
子供なら慌てて食べてしまうこともあるけど、お婆ちゃんに限ってそれはない。
「い、いや……別になんでもないわ。私にももう一つくれる?」
「はいな。まだまだたんとあるさね」
「……ありがとう」
爺から受け取ったそれを、お婆ちゃんは確かめるように口に含み、
そして一回うなずくと、瞑想するかのように目をつむった。
こっくりこっくりとまるで居眠りみたいに首を揺らしているけど、
あれはお婆ちゃんの癖だ。
「リュリュさん……?」
「…お婆ちゃん、何かを思い出そうとしている」
「なにかって?」
「わかんない。語り部の知識は図書館のそれよりはるかに多いって聞く」
やがて、お婆ちゃんは目を開けた。
そして、爺の顔をじぃっと見つめる。
穴のあくほど顔を見られているのに、爺は顔色一つ変えずににこにこしている。
むしろマスターのほうがどこかおろおろしていて、それがなんとなくおもしろい。
お婆ちゃんの手の中の”のしうめ”がぴろぴろと動き。
ティティが二枚目を平らげたあたりでようやっとお婆ちゃんは視線をずらした。
「……ヤギョウさん。この、甘酸っぱいなにかはどこで手に入れたものですか?」
「私の故郷で友人が栽培したものさね。梅というんだ」
「その故郷はどちらに?」
「森越え山越え海越えて、風も知らない果ての果て。
どこにもないけどそこにある、とっても近い秘密の場所さ」
爺の故郷の童謡か何かだろうか。
歌うように紡がれたその言葉の意味を察するに、言う気はないらしい。
「ユメヒトくんにシャリィちゃん」
「は、はい!」
ここでお婆ちゃんはマスターたちに話題を振った。
まさかいきなり呼ばれるとは思ってもいなかったのか、
マスターの声は少し上ずり、恥ずかしそうに咳払いをする。
正直、私も何を言わんとしているのかがさっぱりわからない。
「出身はどちらかしら?」
「ぼ、僕はじいさんと一緒ですよ」
「そう。一緒なのよね?」
「え、ええ」
「あたしは古都ジシャンマのあたりですねー」
「……もしかして、お花がたくさん見えるところ?」
「あー……ちょっといろいろあったんで定かではないですが、
昔はそんなようなステキな場所に家があったとかなかったとか。
そんなようなことを聞いたことがあるようなないような……」
「……今日は、泊まっていくんでしょう?
いえ、絶対に泊まっていきなさい。話したいことがたくさんあるわ」
おかしい。
お婆ちゃんの様子がおかしい。
なんか雰囲気がすごく若々しくなっている……というか、
お婆ちゃんじゃなくて一人の女の人みたいな感じになっている。
言動もなんかヘンだし、嬉しそうに爺のことを見つめている。
……なんか頬が上気しているのは気のせいなの?
「お久しぶりですね、しのぶさん」
「「……えっ?」」
みんなそろって声を上げた。
お婆ちゃんがあんな表情をして人を呼ぶのなんて初めて見る。
それに今、爺のことを自己紹介の時のヤギョウじゃなくてしのぶって呼んだ。
マスターたちの反応を見ると、たぶん本名だと思う。
……でも、なんでお婆ちゃんが知っているの?
「あの、どういった関係で……?」
「私がまだ小さい頃……もう三百年近く前になるかしら。
今ほどこの辺の治安もよくなくて、この付近の魔物ももっと強かった。
ある日ね、他所から来た魔物のせいでこの辺の魔物が一斉にこの集落へ
雪崩れ込んできたことがあったのよ」
それは私も聞いたことがある。
当時はヒトとの関わりも皆無に等しかったから自分たちで何とかしなくてはならず、
おまけに武器は木の弓くらいしかなくて相当苦戦したと聞いた。
その襲撃以降、少しずつ鉄の剣や槍もヒトから仕入れるようになり、
その縁が長く続いた末に古都との交流会が開かれるようになったらしい。
この集落の歴史を語るのに外せない、重要な出来事だ。
村中の人間が子供のころから語り部を通してそのことを知っている。
私もティティも、諳んじることができるほど聞かされた。
「通りすがりの冒険者が加勢してくれたおかげて助かったっていうあれ?」
「そう。その冒険者について、何か知ってる?」
「知らない。六人の冒険者としか」
お婆ちゃんは昔を懐かしむように微笑む。
その瞳には、私たちじゃなくて在りし日の光景が映っているのだろう。
あれを体験したのは、もうお婆ちゃんくらいしかいないはずだ。
三百超えたエルフなんて、エルフの中でも珍しいのだから。
「魔法使いの姉妹。黒髪の戦士。有角の赤い棍使い。賢い盗賊。
──そして、黒衣の老暗殺者」
「……」
お婆ちゃんは爺を見つめた。
爺の今日の服装は、真っ黒のひらひら──作務衣と呼ばれるものだ。
動きやすそうで、布ずれの音もしない。
防御力はあまりなさそうだけど、ひらひらしているから、
暗器を忍び込ませるのにはまたとない格好だ。
そう、端的に言えば暗殺者みたいな格好をしている。
「あの日のことは今でもよく覚えているわ。
森に木の実を集めに来ていた私が、魔物を見つけたんだもの。
必死に逃げたけど、子供の足じゃ結局逃げきれなかった。
でも、その冒険者たちが助けてくれた」
爺を見る。
相変わらず表情一つ変えずにこにこしている。
でも、よく見たらいつもとちょっと違う。
何かおかしいと思ったら……目元が変だ。泳いでいる。
それに、笑顔が固い。いつもはもっと柔らかく微笑んでいるのに。
「茶髪の魔法使いのおねえさんは、黒髪の戦士と仲が良かったっけ。
妹の赤毛のおねえさんは、おちゃらけた盗賊のおにいさんと仲が良かったなぁ。
初めて見る種族の角の赤いおじさんはちょっとこわかったけど、
黒い金棒をぐるんぐるん振るのがかっこよかった……!」
お婆ちゃんは、もうお婆ちゃんじゃなかった。
瞳には幼子の灯を宿している。
口もゆるく笑っていて、しわがなければ可愛らしい少女に見えたに違いない。
「お婆ちゃん。さっきからどうしたの。
脈絡がおかしい。さっぱり意味が分からない。語り部失格」
「いいのよ、今は語り部じゃなくてチュチュとしてお話しているんだから。
──そして老暗殺者。頭は真っ白で魔晶鏡をかけていた。
とても優しくて、すごく頼りになる感じがした。
男みたいな女みたいな声で、妙に特徴的なイントネーションがあった。
……襲われていた私を抱きかかえて走ってくれた」
ごほん、と咳払いを一つ。
お婆ちゃんの目が潤んでいる。
「しのぶさん、覚えていますか?
魔物がいなくなっても泣いていた私に、一つの変な木の実をくれたことを。
あの甘酸っぱさ、ずっとずっと、探し続けて結局見つけられなかったんです。
扉を開けたときにまさかと思ったんですが、”のしうめ”を食べて確信しました」
マスターの顔がすんごいことになっている。
シャリィちゃんの口は喉の奥まで見えるほど開かれていた。
「これは、この甘酸っぱさはあの日の木の実と同じです!
私はずっと、あなたにちゃんとお礼を言いたかったんです!
ようやく会えました……! 名前だけ言って、すぐにいなくなるなんて……!
どうして、今まで会いに来てくれなかったんですか……!」
「泣いて……いや、笑っているの?」
お婆ちゃんが泣きながら笑っていた。
そういわれてみれば、お婆ちゃんは昔から木の実が好きだった。
私たちにこっそり木の実をくれたことが何度もあるし、
お婆ちゃんといえば木の実だってイメージがある。
……爺とお婆ちゃんが被って見えたことも少なくない。
爺の目つきも優しい口調も、優しく名前を呼んでくれる所も、
小さな動作の一つ一つがお婆ちゃんそっくりだった。
もしかして、お婆ちゃんが爺の真似をしていたの?
「ちょ、ちょっと待ってください!
そんなはずありませんよ!」
ここでマスターが口を開いた。
「いくらなんでも、三百年前ですよ!?
たしかに老人に見えるし、服装もそれっぽいけどこの人は……!」
「ユメヒトくん。私はしのぶって本名を知っていたのよ?
それに、この梅の味が何よりの証拠。
まさかこれほど共通点があって同名の人間が、
この世に二人もいるはずないでしょう?」
「でも、人間は三百年も生きられませんよ?
だいたい、その人は三百年前から老人だったんでしょう?」
「黄泉人ね。それなら魔力のガタがくるまでは見た目は変わらず生きていけるわ。
凄腕の冒険者だったし、魔石なんていくらでも取れたはず。
たしかに黄泉人にしても長生きすぎるけど。
……心当たり、ないわけじゃないでしょう?」
そういえば、爺は妙に古びた冒険者印を持っていた。
あのゼスタとかいう不良騎士もその記録をみて驚いたいたのを覚えている。
マスターたちが知らない過去もあるみたいだし、
なぜだか他国の由来や国の特徴なんかも把握していた。
ただ単に博識なだけだと思っていたけど、
それにしたって例の物置のことまで知っているのはちょっと異常だ。
もしかして、本当に昔ここに来たことがあるのだろうか。
いや、そうでなければ説明がつかない。
「昔は黄泉人に対する偏見も強かったから」
「いや、この人は普通の人ですよ?」
「心臓触れば一発」
「「あっ」」
言うや否や、ティティが椅子から立ち上がり爺の背後に迫る。
そのまま作務衣の前をはだけさせ、爺の年の割には白くきれいな肌をさらけ出した。
「きゃっ!」
ちょっと、なんでお婆ちゃんが赤くなるの?
なんで、眼を反らしながらもちらちら見ているの?
「……」
「……」
沈黙だけが過ぎていく。
ティティの細い指が爺の胸に張り付き、時折思い出したように場所を変える。
マスターもシャリィちゃんもその様子を固唾をのんで見守っていた。
もし黄泉人であるならば、心臓は止まっているはず。
エルフ以上に数が少ない種族とはいえ、いないわけではない。
「…心臓は?」
「どくどく」
「…脈は?」
「ぴくぴく」
「…耳は?」
「まんまる」
「…判定」
「普通のヒト。黄泉人どころかエルフでもない。ただのおじいちゃん」
「……あ、あれ?」
「さ、満足かねェ?」
爺はにこにこと笑いながら肌蹴た作務衣を直した。
のんきに鼻歌なんて歌いながら手に残っていた”のしうめ”を口に放り込む。
甘酸っぱい香りが再び部屋に充満するとともに、
妙な緊迫感をはらんだ重い空気はどこかへと去って行った。
「同じ故郷だったのなら、名前が被ったり似たような顔立ちでも驚くこたぁないさね」
「で、でも……」
「梅もこっちじゃ割と一般的さ。いったろう?
友人が栽培したものだって」
「じゃあ、その子たちと一緒にいる理由は?
ユメヒトくんは茶髪の魔法使いと黒髪の戦士の末裔でしょう?
それにシャリィちゃんは赤毛の妹と盗賊の血を引いています。
二人とも、ごまかしきれないほどにしっかりと面影がありますよ!」
「あ、ホントですか!
あたし、ひーひーひーひーおばーちゃんの話初めて聞きます!」
「ええ、そうよ。赤毛も茶髪も色合いがそっくりですもの。
あなたのご先祖様は古都のお花畑が見えるところに住みたいといっていたし、
それに黒髪の戦士がしのぶさんとは同郷だって言ってたもの。
確定で間違いないと思うわ。
仲間の子孫を見守るのは、割と普通のことじゃないの?」
「でも、たまたま似ているってだけじゃ、根拠が不十分じゃ?
シャリィのご先祖様にしても、それだけ有名な場所だったってだけでしょう?
見守る云々はおいとくにしても、
本当に僕たちのご先祖さまって証拠はありませんよ」
「いや、それに関しては合っているよ。
以前教えただろう? おまえのひいひいひいひい……爺さんくらいが
異国の娘を娶って一緒に故郷に戻ったって。
その姉妹のとこでお前たちの血がつながっているのさ」
「本当なの!?
というか、なんでそんなの知っているの!?
今日という今日は吐いてもらうよ!」
「大人は何でも知っているのさ。
知っているもんは知っているとしか言いようがないだろう?」
「こんの、うそつきじじい! いい加減そのはぐらかす癖どうにかしてよ!」
「はっはっは。お前もいうようになったじゃないか。
……あいつとそっくりだ」
「やっぱり!
しのぶさん、黒髪の戦士に『うそつきじじい』って言われてましたよね!」
「はて? なんのことやらさっぱりだねェ?」
「しのぶさん! いい加減認めなさい──ッ!」
「はっはっは!」
結局、なんだかよくわからないままその話はオシマイとなった。
爺はあれからずっとお茶らけたように笑い続け、
お婆ちゃんの追及もマスターの詰問ものらりくらりとかわし続けたのだ。
諦めたお婆ちゃんは首をひねりながら夕飯の支度をすることになった。
樹上生活だとご飯の支度は早めにしないといけないから、
食べ終わった後にまたゆっくりと問い詰めることにしたらしい。
その爺とマスターはティティとシャリィちゃんのおやつとデザート用の
”わらびもち”の準備をしていた。
なんだかんだで材料から作るのを見るのは初めてだ。
ごりごりとすり鉢で豆を潰すのを見て、これが甘いお菓子になると誰が思うのだろう。
ティティはシャリィちゃんとおしゃべりしながらオルゴールに夢中になっており、
こっそりと果物籠に混ぜた偽物の果実を食べて目を白黒させていた。
この二人は爺の秘密や三百年前のことなんて割とどうでもいいらしい。
「絶対、あのしのぶさんのはずなのに……」
「…爺は秘密主義。あの人の過去はマスターたちも知らない。
…それより、なんでお婆ちゃん、あんな態度だったの?
アミル……友達を見ているみたいですごくムズムズした」
お婆ちゃんの手伝いをしながら問いかける。
あのときのお婆ちゃんを思い出すと心がムズムズして不思議な気分になった。
いい気分じゃないけど、どういう風に悪い気分なのかわからなかったんだ。
「初恋の人だったのよ」
「…………えっ」
「もしかしたら、あなたのおじいちゃんはしのぶさんだったかもしれないわ」
「…………」
「本人が認めてなくても、私は信じてる。
三百年越しだけど、お礼はきっちりしないと私の気が収まらない。
明日、集落のみんなで大きな宴を開くことにするわ。
あの時もお礼の宴はやったけど、これは私個人のしのぶさんに対するお礼よ。
理由なんて語り部権限で適当にでっち上げればいい。
お金さえこちらもちなら誰も文句は言わないでしょう」
「…………」
「それに、あなたのお友達たちなんでしょう?
みんなに紹介したいし、私たちだけおいしい思いをするのも気が引けるわ」
「…………」
「そうでなくても、今晩はあの人たちからいろんなお話を聞きたいの。
孫が向こうでちゃんとやれているのかとか、ね」
その時のお婆ちゃんの表情は、たかだか六十年程度生きた私には
決してまねできないような、
懐かしさと悲しさと優しさが入り混じった儚いものだった。
「──あ」
ふわりと窓から風が吹き込む。
胸がきゅっとするほど甘酸っぱい香りが。
心が震えるほど懐かしい香りが。
何かに手を伸ばしたくなるような切なくなる香りが。
そんな優しい”のしうめ”の残り香が私とお婆ちゃんを包み込んだ。
長方形の平べったい琥珀色の梅の寒天っぽいのを竹の皮で包んだ和菓子。
皮をむいてぺろっと食べることができる。
甘酸っぱさと特徴的な口当たりがすんごくうまうま。
山形ってさくらんぼだけじゃないんだぜ!
地方名菓ってマイナーになるのかな?
地元だと逆に名物なのかどうかってわからないもんだよね。
まさか地元のアレが名物だったなんて思いもしなかったよ。
最近妙にポイントと閲覧数が上がっている気がする。
なんかあったっけか?




