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冒険者とプリン

「いっちゃいましたね……」


「ああ……」


さんさんと降り注ぐお日様の光。

この時期にしてはいくらか涼やかな風がひゅうっと吹き渡り、

そして人のいなくなった広場に粗いつくりの椅子や机だけが残されていました。


熊鍋のおいしそうな香りが少しだけ残っているというのに、

今ここにいるのは私たち十人と一匹だけ。

焚き火の跡には水がしっかりかけられ、大きな天幕も最初からなかったかのように

消えてなくなっています。その部分だけ、草に跡がついていました。


「思えば長いようで短いような四日間だったなぁ」


オン!


エリィがポツリとつぶやきました。

つい先ほどまで人がいた広場なのに、その声は静かに溶け込んでいきます。

それは何かが『終わった』と実感させるのには十分なものです。


任務四日目は──思った以上にあっという間に過ぎ去りました。

もとより昼過ぎまでという話は聞いていたのですが、

朝起きてから二時間も経っていないような気さえします。


起きて、魔獣の後処理をして、熊鍋を食べて──マスターと散歩に行って。

こうして振り返ってみると、

結構長い時間だったような気もするから不思議なものです。


「ふふっ」


「どうした、ご機嫌だな。

 そんなにマスターと一緒にいられたのがうれしかったのか?」


「ええ、それはもう……!」


朝のちょっと早い時間に二人きりでお散歩に行けたのは幸運でした。

昨日の今日というのもありましたし、なんだかんだで二人きりになれたのは

久しぶりでもありました。もっといえば、その、マスターがいつもより

優しく笑顔を向けてくれた気もしましたし。


「おい、顔が緩んでる。ゆるゆるすぎてほっぺが落ちそうだぞ」


にやにやがとまりません。

ハンカチもこうして手元にありますし、これでどうして笑わずにいられるのでしょう。


「しっかし楽しかったな! またあいつらと会いたいもんだ!」


「右に同じ。語り合うにはあまりにも短すぎた」


バルダスさんは豪快に、アルさんは少し不満そうに言いました。

セイトのみなさんはもう帰路へとついたことでしょう。

どうやって帰るのか、どこへ向かうのかはわかりませんが、

先ほど別れの挨拶を済ませたばかりです。


「でもあの挨拶はすごかったわよねぇ……」


「うん。やっぱりガッコウって特殊部隊か何かなのかな」


普通に一言二言で終わると思っていたら、

責任者であるというマツカワさんとおじいさんが全体をまとめ、

前に立ってなにやら話しはじめました。

すると、五十人近くものセイトがいっせいに立ちあがって

『ありがとうございました』と言ったのです。


森全体に響かんばかりの大声は、私たちの体をぶるぶると震わせ、

そして仕事の達成感とある種の親しみや感激のようなものを覚えさせたのです。


「それにしても、どうしてついて行ってはいけなかったんだろうな。

 せめて森を出るくらいまでは護衛しようと思っていたのだが」


「…彼らの故郷は隠れ里と同じ扱いだといっていた。

 大方、場所を知られたくなかったのだろう」


別れの際、おじいさんはついてこないようにと言い残しました。

依頼はこの瞬間をもって達成で、二日後に喫茶店で報酬を渡すから

今日は解散して休んでくれと言ったのです。


さすがに中途半端な気がしたので私たち全員が最後まで見送ると

申し出たのですが、なぜだかおじいさんもシャリィちゃんも、

そしてマスターでさえも同じようなことを言って聞きませんでした。


……マスターもシャリィちゃんも、あの喫茶店に住んでいるんじゃないんでしょうか?

それにあれだけの人数が、あれだけ目立つ人たちが移動してたら

誰かが目撃しててもおかしくないような気がするのですが……。

来たときもそういったお話や気配が感じられなかったんですよね。


「まっ、とりあえず古都に帰ろうよ。

 どうせ今日は喫茶店も開けないだろうし」


「だな。くそ、今日の夕飯はどうすっかなぁ……。

 舌が慣れちまって安酒場じゃ満足できそうにねぇや」


アオン!


ラズちゃんの鳴き声を最後に、私たちもその場を後にします。

ぽっかりと空いてしまった広場はどこか切なく、風の音が寂寥感を煽りました。

まるで理想郷のようにイチゴやベリー、レモンといった果物がたわわに実り、

まるで収穫期のようにジャガイモやタマネギといった作物であふれかえった畑が、

さも当然とばかりに広場の片隅に広がっていました。



……あれ、そのままにしてていいのでしょうか?










「みなさんお疲れ様でした!」


「おかげさまで無事に終わることが出来ましたよ」


二日後。

午後のお茶会にはぴったりの時間に私たちはいつもの場所へと集まりました。


甘い香りに質素ながらもおしゃれな机。

クスノキくんが育てたのであろう綺麗なお花。

シャリィちゃんが給仕服を着てお盆を持ち、

マスターはいつもの蒼いエプロンと緑のバンダナを纏ってカウンターにいます。

おじいさんは深緑のひらひらした衣服を着てにっこりと笑っていました。


「それじゃ、約束どおり報酬だ。

 ……ユメヒト、もってきなさい」


なんだかんだでいつもどおりが一番落ち着きます。

みんなが思い思いの席に座っておしゃべりし、

その至福の時間をまだかまだかと待ち構えていました。


「マスターの一番得意なお菓子か。

 “しゅーくりーむ”も旨かったが、今度はなんだろうな?」


「それもお楽しみってやつですよ、きっと」


「ふっふっふ。知りたいですか、おねーさん?

 それ、マスターが一番最初にあたしに振舞ってくれたやつなんですよ。

 もう涙が出るほどおいしくて、一生ついていくって迷わず決めちゃったほどです!」


あのシャリィちゃんの舌をうならせるとは、これはますます期待できますね。

今まで食べてきたものだってすばらしいものだというのに、

それよりもさらに飛びぬけておいしいとなると、

一体どれだけのものなのか想像もつきません。


「はい、お待たせしました」


やがて、マスターが奥から戻ってきました。

銀のお盆には真っ白のカップのようなものが乗っています。

残念ながらここからではその中身を見ることはかないませんでしたが、

ほのかに優しい甘い香りがゆっくりと漂い、私の肺を満たしました。


「僕の一番得意なお菓子──《プリン》です」


「わぁ……!」


ことり、と優しくそれが私の前に置かれます。

淡い光のような、乳白色のような、優しい黄色のそれ。

子供の肌のようにつるつるでぷるんとした見た目。


カップの中に注がれて……いえ、中で固まっているようで、

表面は揺れることなく、されど振動でわずかに波紋が広がります。

外観は今まで見てきたお菓子の中でも五本の指に入るほどシンプルですが、

どこか可愛らしく、変な話ですが母性をくすぐられるような気がします。


「おお……! なんだこれは……理由もないのにこの、この……!」


「…きれい。すっごくきれい」


甘い香りがわずかにしますが、そんなに強いというほどでもありません、

だというのに、形容しがたい存在感が私たちの注目をひきつけ、

愛おしさすら感じさせるほどです。


「“ぜりー”に近い、のか?」


「はは、見た目はたしかに似てますね」


カップは少し小さめで、私の両手で簡単に包むことが出来そうです。

小さな飾りスプーンが添えられていて、その瞬間を待っています。


迷わず、スプーンをとりました。


「お姉さん、ちょっと手が震えてきちゃった」


「わかるぜ。今この瞬間だけは、この手が女の小さな手だったらなって思う。

 こんなごつい手じゃなくて、どこぞのお嬢様の綺麗な手だ」


すっとスプーンを入れるとそれはなだらかに滑り込んでいきました。

静かな水面に雫が落ちたかのようにゆっくり環が広がり、

淵に当たって消えていきます。


スプーンの先から伝わってくる感覚はとても言葉では表せません。

ただ、赤ちゃんのほっぺのようにぷるんとしていた──そうとしかいえません。


一口大に掬い取られたそれは、まるで水の表面が形を成したかのように

震えています。ミスティさんのも、バルダスさんのも、

もちろん私のもふるふると揺れていました。


ふるふると震えるそれを目の前に、思わずごくりと喉が鳴ります。





約束されたその瞬間を胸に、スプーンを口元へ。

冷たい硬質な感覚と、甘く柔らかななにかが唇に。


「──っ!」



あまくて。


おいしくて。


やわらかくて。


とろけて。



心がとろけるほどに。


目の前がくらくらするほどに。


ドキドキがとまらなくなるほどに。




「おいしい……!」


「それはよかった」


マスターの甘い声がぼうっとした頭に響きます。

甘くてステキなそれは、楽しくもあり、うれしくもあり、

そしてとってもすばらしいことなのだと思えました。




なんと表現すればいいのかわかりません。

ただ、最初に感じたのはミルクと卵が抱きあったかのような、

ともかくとろけるような甘さでした。


ぷるりと身を捩じらせながら口の中に入ってきたそれは、

きゅっと思わず目をつぶってしまうほどに軽やかな甘みを振りまくのです。


“くりーむ”ほど強くはなく、されど“ちょこれーと”と比肩するほどの

特徴的な甘さ。

ふわっと鼻に抜けていくその感覚は、どんな悪人の心でも

幼子のように純真にさせてしまうでしょう。


ぱくり、とろくに味わいもせずに喉へ押し込みました。

もはや味わうなど、そんなことを考えられないほどにそれは悪魔的です。


見た目は優しい感じがするのに、それはするりと口の中へ、

いえ、心の中に滑り込んできます。

舌の上をつるりとすべっていく感覚は、

あまりに不可思議で、あまりに魅力的で、私の貧弱な語彙では

適切な表現をすることは難しいです。

しいて言うなら、心を撫でられたかのような、と言ったところでしょうか。


変幻自在に形を変え、舌の上でダンスを踊り、そして全てを魅了していくのです。

なめらか、という言葉を百回連ねてもそれの本質は表せないでしょう。


「こ、こんな……! こんなことって……っ!」


「生きてて……よかったぁ……!」


目をキラキラさせながら、惚けた顔でエリオ君とハンナちゃんがつぶやきます。

何を大げさな、なんて人はいうかもしれませんが、

これを実際に食べたら考えを改めることは間違いありません。


舌で軽く押すだけで“ぷりん”は形を崩します。

その力とわずかな体温のみでとろとろとなめらかに溶けるのです。

これほど不思議な食感のものを、私は今までに食べたことがありません。

ああ、待って、もうちょっとだけ……と惜しむまもなく

するりとお腹の中へと落ちていきます。


「…あ」


「どうしました?」


「…集落から出て、本当によかったと──マスターたちに出会えて、

 本当によかったと思ったんだ」


「うれしいことを言ってくれるねェ」


歯ざわりなんて無に等しいのに、存在感はすさまじいです。

ほのかな黄色の、天使であり悪魔である“ぷりん”は

舌触りも、香りも、もちろん味も、その全てにおいて

今まで食べてきたお菓子を遥かに凌駕している気がします。


「なめらか……とろける……。

 いや、そんな陳腐な言葉では表現できない……。

 この僕ですら、このようなもの想像することすらできなかった……」


「難しいこと考えんじゃねえ。

 うまいって、ただその一言でいいじゃねえか。

 余計なモンはいらねえんだよ」


シンプル──それは基礎にして真理。

言葉だけで書くならばそれだけのことなのですが、

この“ぷりん”にはそれだけでは伝わらないすばらしさがあります。


雛を守る母のように優しく。

底の見えない泉のように深く。

星の煌く夜空のように魅力的で。


一口掬う。

ぱくりと食べる。

頬が緩み、にっこりと笑ってしまう。


それだけのことだというのに、

いろいろなことを言いたくなって、そして何もいえなくなります。


淡くて、強くて、優しくて、切なくて、ドキドキする甘さが

お腹も、胸も、心も、体の隅々まで満たしていきます。


ぷるぷるとした、それでいてなめらかでとろけるような食感は

心をわくわくさせ、恋人の手をとって出かけにいくような、

そんな幸福をもたらしてくれます。


「懐かしいような……なんだろう、すごく安心する味だ」


「わかるよ、それ。お姉さん久しぶりに実家に帰りたくなっちゃった」


「薬屋のばばぁがたまにくれたミルク、

 すっげぇうまかったっけなぁ……」


“ぷりん”そのものを端的に表すならば……恋する女の子、でしょうか。

柔らかく、甘く、とびっきりの笑顔でこちらを見つめてくるような、

そんなステキな女の子です。


思わず抱きしめたくなる衝動を必死に抑え、私は黙々とスプーンを動かしました。


「卵、ミルク、砂糖、“くりーむ”……。これだけしかわからない。

 しかし、それだけでここまで出来るものなのか……?」


そう、そこもすごいところの一つです。

“ぷりん”からは果物の類の甘さを一切感じません。

ミルクと、卵と、“くりーむ”とそしてお菓子特有の甘い何か。

材料そのものはおそらく他のものと大して変わらないだろうというのに、

明らかに他のものと違う魅力があります。


滑らかな溺れるような舌触りも、鼻に抜けていく心地よい香りも、

悪魔の誘惑のように甘美なその味も。


それら全てが“ぷりん”の魅力であり、

また同時に“ぷりん”を“ぷりん”たらしめているものなのです。


「あれ? もしかしてみなさん、

 まだ底のほうまでいってなかったりします?」


「プリンを語るには底までちゃんと食べてからでないとダメですよー?」


みんなの手がぴたりと止まり、水脈を見つけた開拓者のようなめつきになりました。


揺れる黄色のそれを、激しく、すばやく、かつ優しく丁寧に掬っていきます。

たどり着いた先にあったのは、魅惑の茶色でした。


「……っ!」


「《カラメルソース》っていうやつなんですよ。

 どこかでお出ししましたっけ?」


“からめるそーす”は香ばしく、ほろ苦く、そして甘いです。

“ましゅまろ”の焦げた部分のような、そんな味がします。

苦さと甘さという、相反する要素を持ちながらも、

それ一つを纏め上げているというすばらしいものです。


ですが、それはこれの本質ではありません。


「“ぷりん”がすっごくおいしくなります……!」


「そうでしょうそうでしょう!」


“からめるそーす”のほろ苦い甘さが優しい“ぷりん”の甘さをさらに引き立てます。

ぷるんとしたそれに妖しく絡みつき、溶け込むように芸術を完成させるのです。

深みが数倍にも膨れ上がり、香りが数十倍にも魅力的になり、

味が数百倍にもすばらしくなり、

そして“ぷりん”がさらに上のステージへと駆け上がっていきました。


もはや周りが何もみえなくなり、ただひたすらにスプーンを動かすという

反復作業に没頭します。


掬い、運び、味わう。

たったそれだけのサイクルを繰り返すのがどうしようもなく楽しく、

そしてそれを止めようとする気が起きません。


それが自然の摂理かのように、それこそがあるべき姿かのように、

無意識の支配をもってただただ“ぷりん”を楽しみます。


一口を口につけるたびに体が歓喜に震え、

マスターとお話しているかのように頬が緩み、

自分でもわかるほどのとびっきりの笑顔を浮かべてしまいます。


ああ、本当に──本当に、夢のような時間です。

世界が明るく輝き、祝福の音楽が流れたかのような、

そんな錯覚すら覚えます。


常連のみなさんにシャリィちゃんにおじいさん、そしてマスター。

みんながにっこりと笑い、その幸せの瞬間を全身で楽しんでいました。








そして──唐突に悲しい事実が訪れました。

かつん、とスプーンが空しくカップの底をつつく音。

それは、覆しがたい現実を突きつけてくるのです。


「おいしかったぁ……」


「毎度のことながら、食べ終わった後のこの悲しい気持ちには慣れないな」


「そういってもらえると、僕もがんばった甲斐があったってものですよ」


シャリィちゃんとマスターが空になったカップを片付けて回ります。

唇に残るぷるぷるの感覚がとても切なく、

口に残る甘さがうれしくもありました。


「さて、そろそろもう一つの報酬について話そうじゃないか」


口元を上品にぬぐうおじいさんが切り出します。

“ぷりん”のときとは別の意味で、みんなが姿勢を正しました。

さっきまでの報酬は常連としてのもの。

ここからさきの報酬は冒険者としてのもの。

何を願うかは──切実に、命にかかわっているとすらいえるでしょう。


「前にも言ったとおり、物でも願いでも、私が出来る範囲ならなんでもいい。

 変な遠慮なんてせずに好きなことを言うといいさ。

 こんなチャンス、滅多にあるものじゃないからねェ」


にこにこと冗談めかしておじいさんは笑いますが、

その目はどこまでも真剣です。


うんうんと頭を悩ませる人、目をつぶって考える人。

かく言う私も少し悩みましたが、実はもうすでに報酬は決めてあります。


「ほら、誰からかね?」


「僕は音の出る箱──オルゴールがほしい」


口火を切ったのはアルさんでした。


「足りない分は自分で払う。だから、なんとかして入手してくれ」


「なぁに、その程度なら簡単に入手できるから問題ないさね。

 曲の好みはあるかい?」


「……本当にいいのか? ちょっと聞いたが、入手困難なのだろう?」


「それはウチのあのオルゴールだけですよ。

 曲がなんでもいいっていうのなら、故郷にはいくらでもありますし」


「見た目がステキなやつもいっぱいあるんですよ!」


「なら、研究中にでも使えそうな落ち着きのあるやつにしてくれ。

 子守唄にもなりそうな、そんなやつだ」


「いいとも。だが、本当にそれだけでいいのかね?」


「……なら、“ぼーるぺん”とやらもお願いしよう。

 聞いたぞ、インクをつけなくても書けるペンらしいな」


インクがなくても書けるペン、ですか。

たしかに便利そうではありますが、そもそもペンなんてそんな使わないような。

いえ、学者さんにとってはすばらしいものなのでしょうね。


おじいさんが了承の意を示します。

アルさんにしては珍しく頬を上気して興奮しているようでした。


「あたしは木刀が欲しい! マドカとおそろいの、すっごくかっこいいやつ!」


次はハンナちゃんです。剣士らしい、とても実用的なお願いでした。


「枇杷の木刀だね。材木もまだあるし、立派なのを作ってあげようねェ」


「それとね、お料理とお菓子作りも教えて欲しいの。

 あたし、まだまだ料理そんなに得意じゃないし、

 野営であそこまでおいしいものを作れるってのも知らなかったわ。

 おじーちゃんたちなら、宮廷料理人に教わるよりいいと思うの!」


「さすがに宮廷料理人と張り合えるかどうかはわからんが……。

 嫁に出ても恥をかかない程度には鍛えられると思うさね。

 ユメヒトもシャリィもきっと手伝ってくれるだろう」


「うん! むしろそこが目標だから!」


にっこりとハンナちゃんが笑います。

なんかこういうの、いいですよね。

私もお料理、習ってみようかなぁ?

やっぱり女として、料理は負けられないと思うんですよ。

……超えるべき壁が限りなく高いですけれど。


「ボクは弓が欲しいです。

 レイジが使ってたのと同じタイプがいいんですけど……」


「構わないさね。……でも、あれで本当にいいのかい?

 もっといいアーティファクトクラスの弓だって用意できないこともないんだがね」


「いえ、あの弓がいいんです。造りもしっかりしているし、

 それに魔法の効果こそないものの、ボクが見てきた中で一番すごい弓でした」


「そういわれるとうれしいねェ。だが、それだけじゃ少なすぎる。

 もっとなにかないのかい?」


「じゃあ……“ぼーるぺん”と白紙の本が欲しいです」


エリオくんの返答にその場にいたみんなが首を傾げました。

白紙の本なんて、一体何に使うのでしょう?


「テルテルって人にあったんですけど、その人、作家さんらしいんです。

 ボクも冒険で知ったことを記録したり、冒険をみんなが楽しむ物語にすることが

 できたらなぁって」


「ふむ、そいつはすばらしい! とびっきりのものを用意するよ」


照れくさそうに頭をかくエリオくん。

なんだかとっても彼らしいお願いですね。

本が出来たら、ぜひとも読ませてもらいましょう。


「オレは物はいらねぇな。ただ、これからもきっちり稽古つけてくれよ」


バルダスさんは男らしい発言をしました。


「無欲だねェ。でも、褒められるべきことではあるが、もったいないさね」


「ないわけじゃないんだが、無理そうなんでな」


「言ってみるだけ言ってみな。言うだけならタダさ」


「……たたみってのがある訓練場が欲しい。

 聞いたぜ、そこで修練を積むのが正式なんだろ?」


ポツリとバルダスさんが漏らします。

なるほど、たしかに場所は難しそうです。

物ならば何とかなりますが、訓練場──建物一つとなると、

いくらおじいさんでも無理でしょう。

ましてや、たたみという未知のものが必要なのですから。


ところが、バルダスさんの諦めの表情とは対称的におじいさんは笑って言いました。


「別に無理じゃないさね。一週間以内には用意しておこう」


「出来るのか!?」


「私を誰だと思ってるのかねェ?」


「いよっしゃぁぁぁぁ!」


飛び上がって喜ぶバルダスさん。

そりゃ、おじいさんなら出来そうな気もしますが……。

建物一つ、どうやって用意するのでしょう?


「じーさん、俺はサッカーボールとクナイが欲しい!」


今度はレイクさんです。

ええと、サッカーボールっていうと……。

三日目にお菓子を作りながら遊んだって言うアレですかね。


「そんなにサッカーが気に入ったのかね?」


「ああ。暇つぶしにはもってこいだ。

 それに次にアキヤマにあったとき、驚かせたいしな!」


「クナイは? あれも普通の短剣とさしてかわらないんだがね」


「いやいやいや! めっちゃ切れ味いいし、超使いやすそうじゃん!

 投げナイフにもなりそうだし、なによりカッコいい!」


「……本当にカンが鋭いねェ。投げたところは見せてないはずなんだが」


レイクさんのお願いにおじいさんは苦笑しました。

おもちゃと武器という面白い組み合わせですが、

レイクさんっぽい選択でもあります、

……クナイで訓練すれば、おじいさんみたいになれるのでしょうか?


「…私はサクライの持っていたオカリナが欲しい。

 …それと、チュチュ婆様たちにお菓子を食べさせたい。

 婆様の足じゃ、ここまで来るのはちょっと難しいの」


「ふむ。つまり、集落まで招待してくれるってことでいいのかねェ?」


「…うん。もちろん、マスターもシャリィちゃんも一緒に」


「やったぁ! エルフの集落ですよ!」


リュリュさんのお願いはお婆さんのためのようですね。

それにしても、エルフって滅多なことがない限り集落にヒトを招かないと聞くのに、

まさかの三人一緒の招待です。かなり珍しいことであるのは疑いようがありません。


いいなぁ、マスターたち。私もいつか招いてもらえるとうれしいな。


「えっと……もしかして行くのに結構時間かかったりします?」


「…歩いて四日。向こうに着いたら寝床とご飯は用意する」


「むー……。僕はちょっと難しいような……」


「…ダメ、なの?」


「なに、私がなんとかするさね」


「…ふふ、ありがと」


さすがにそんなに長い時間お店が閉まってしまうと私も困ります。

おじいさんの秘策にがんばって貰わないといけませんね。


「じいさん、私も木刀が欲しい。それと、“かめら”もだ」


「!」


エリィの発言にガタっといくつかの椅子が揺れました。

それがあったか、とレイクさんが手で顔を覆っています。

してやったり、とばかりにエリィがにやりと口をゆがめました。

ちなみに、当然のことながら一度口に出したお願いは訂正がききません。


「旅をしていると、風景を切り取って持って帰りたいと思うことが

 何度もあるんだ。私は絵は描けないし、写真なら絵よりも綺麗だからな」


「ふむ、とっておきのをプレゼントしてあげよう」


「じいさん、カメラってこっちに流していいんですか?

 それに、充電できませんよ?」


「魔道具にするから問題ないさね。電気の代わりに魔力を使えばいいさ。

 印刷するのだけは私がやれば、まったく持って問題ない」


「……本当に、なんでそんなことができるんだか」


「じいじですから!」


意味深なことをつぶやくマスターですが、おじいさんに出来ないことを

探すほうが難しいことはまちがいありません。


「私は……その……」


次に口を開いたのはセインさんです。

ところが、なぜか彼は頬を赤くして口ごもり、言いにくそうに

ちらちらと周りを伺っています。


「どうしたかね?」


「いや、欲しいものがあるのだが、その、この場で口に出すのは恥ずかしいというか」


「……出せるものと、出せないものがあるさね」


「いや、変なものじゃ……ない、ぞ。たぶん」


リュリュさんが腰を浮かし、シャリィちゃんを守るようにして抱きしめました。

ラズちゃんは毛を逆立てて威嚇をしているようです。

レイクさんとバルダスさんはにやにやと面白そうに笑いだします。


ハッと周りの反応に気づいたセインさんは青くなり、

そして赤くなってから震えた声であわてたように言いました。


「ユ、ユキ殿の写真が欲しいんだ! 別にいいだろ!?」


「うそぉ……?」


「まぁ……!」


ユキといえば、セインさんがお姫様抱っこしていた教師の方です。

魔晶鏡(めがね)をかけた、きりっとした顔立ちの人だったのを覚えています。


「紹介するまでもなかったみたいだね」


「あの人、まさかどんぴしゃな人見つけるとは……」


「ようやくあの人にも春が来そうだねェ……」


ミスティさんが笑い、マスターとおじいさんは感慨深そうにしています。

なにか思うところがあるのか、その表情はまるで売れ残った娘の

嫁入りが決まった親のようです。おじいさんはともかく、

マスターにその表情はあまり似合っていません。

セインさんは珍しくわたわたとし、耳の先まで真っ赤になっていました。


「そ、それでどうなんだ!?」


「もちろんいいさね。この訓練中に撮れた写真も含めて何枚か渡そう。

 ついでだ、ペンダントもつけておこうかね。

 ……実を言うと、向こう側からも連絡を取ってくれといわれていてねェ」


「え? あの人そんなこと言ってたんですか?」


「ああ。連絡先を聞き忘れたと。眼鏡のお礼もしたいそうでね」


「そういや、熊のときに眼鏡をなくしたって言ってたような……。

 あれ? でも帰りのバスでは着けてませんでした?」


「……私の騎士団時代に使っていた備品の魔晶鏡を譲ったのだ。

 遠方を確認する機会があると思い、念のために持ってきていたやつを」


眼鏡めがね、ですよね?」


「ああ、魔晶鏡(めがね)だ。夜行さんもつけてる一般的な魔道具だろう?」


マスターは頭を抱えました。

なにか不都合なことでもあったのでしょうか?


「セイン。向こうも連絡を取りたがってるさね。

 私が渡すから手紙を書くといい」


セインさんが小さくガッツポーズをしたのを、私は見逃しませんでした。


「次はお姉さんの番だね」


アオン!


ミスティさんが獣の笑みを浮かべてぺろりと唇をなめます。

もう、遠慮のかけらもないお願いをするのは誰の目にも明らかです。


「アツミが持ってたビッグナイフでしょ、寝泊りに使ってた天幕の

 小さめのやつでしょ、ああ、オカリナも欲しい。

 お姉さん実は楽器に興味あったんだよね。高くて買えないんだけど」


流れるように三つのお願い。

おじいさんは苦笑しています。


オン!


「ああ、ラズの分も考えなきゃな。

 こいつには──ラズベリーのうまいのをちょうだいよ。

 もちろん、クスノキのやつでおねがいね」


「はは、それくらいならいくらでも。処分に困っているようでしたし」


「そうだ、最後にあれだ──ジャージが欲しい!」


ピシリ、と私とマスターの顔が固まりました。


「デザインも面白いし、ちょっと触らせてもらったけど

 すっごくいい生地使ってるんだよね、あれ。

 伸び縮みして動きやすそうだし、寝巻きにもよさそうだ。

 ……ジャージが好きな誰かさんもいるようだしね?」


「ははは……」


そういえば私、そんなようなことを口走ったような……。

もしかして、ライバルに塩を送っちゃったりしたのでしょうか?


意味ありげに、ミスティさんが私に向かってウィンクしてきました。

パッチリと綺麗に、とってもオトナの色香あふれるウィンクでした。


……負けないもん!


「さて、ミスティのはそれでいいとして……。

 あとはアミル、お前さんだけだ」


来ました。とうとう私の番です。

みなさんの注目が集まっているのがわかります。

ゆっくりと、言葉を慎重につむぎます。


「私は……」


「私は?」






「ガッコウに行きたいです!」





ガタガタっと机と椅子が大きく揺れます。

レイクさんが悔しそうに机を叩き、

バルダスさんはポカンと口をあけています。

その手があったか、とセインさんが絶望の表情をし、

ミスティさんがやっちまった、という言葉を顔に浮かべていました。


……ふふん♪


「もちろん、マスターがセイトとして活動しているところですよ?

 なんでもいいって、言ってましたよね?」


シャリィちゃんはきゃっきゃとはしゃぎ、

おじいさんは面白そうに目を細めました。

肝心のマスターは……ちょっと、なんで頭を抱えているんですか?


「ナギサちゃんとシオリちゃんに聞きました。

 本来なら部外者は入れないそうですが、関係者なら入れるって。

 ……授業参観っていう、公開訓練もあるそうですね?」


「なんであの学校、高校なのにそんなのいつまでも残してるんだよ……!?」


「地域密着型だからねェ。土曜授業だから受験生の学校見学にもなるし」


私にぬかりはありません。

場所の特定こそ出来なくても、潜入方法は見つけておいたのです。

あの二人には感謝しないといけませんね。

こんどこっちのお化粧品でも送りましょうか。


「ま、いいよ。私には困ることなんてないし」


「じゃ、おねーさん一緒に行きましょうよ!」


「ちくしょう、その手があったか……!」


「お願いを使えば、断れないもんな。くそっ、賢者の講義を受けてみたかった!」


なんだか一人勝ちしたみたいで気分がいいです。

みんな目先のものにつられてきちんと考えなかったようですね。

何でもいいって言われたのなら、普段はダメなことを頼まないと。


「別にそう悔しがることもないさね。お前さんたち全員、学校に招待されているよ」


「え?」


衝撃的な言葉。

一瞬、おじいさんが何を言っているのわかりませんでした。

招待? みんな?


「松川教頭がね、世話になったからぜひ学校の祭りに来てくれないかと

 誘ってくれてね」


「祭りか。いい響きだな!」


「お祭りってことはすっごく楽しいのよね!」


「久しぶりだなぁ。最後にお祭りに出たのはいつだっけ?」


もしかしなくても、私のお願い、無駄だったりします?


「じいさん、どっちのお祭り?」


「両方」


「おおう……」


どうやらお祭りは二回やるみたいです。

常連のみなさんはハイタッチを決めあい、全身で喜びを表現しています。

……うれしいのですが、いまいち素直に喜びませんね。


行けるんですか(●●●●●●●)?」


「私を誰だと思ってるのかねェ?」


じゅ、授業参観はいけるからそれで良しとしましょう。

強欲は身を滅ぼすとも言いますし、高望みはいけないですよ、ええ。

それに考えようによっては、学校に行く機会が一回から三回に増えたような

ものじゃないですか!


「祭りの日程は追って知らせるさね。

 最初の祭りは夏の中ごろ、二回目の祭りは夏の終わりか秋の初め頃だ。

 ……なにか質問はあるかね?」


「あ、おじいさん……」


質問ではないですが、これくらいのワガママは許してくれるでしょう。

良く考えたら、私だけ形に残るものをもらっていませんし。


「バンダナと、エプロンもつけてもらえますか? 色違いのやつで」


「まぁ、それくらいならいいだろう。学校に行くだけってのも少ないしね」


……これで、いつでも喫茶店のお手伝いができますね。

うん、それだけでも十分すぎるほどですよ。


いつか必ず、ずっと隣に立っていられるようになるんですから!







わいわいがやがやと、それこそ常連と店員の関係を超えて

もらう予定の報酬や、依頼の感想などをみんなでおしゃべりします。

積もる話は尽きることなく、誰もが笑いながらそのひと時を楽しんでいました。

お土産に持たされた“ぷりん”は、みんながその場で食べてしまったことは

いうまでもありません。


















常連たちが帰ってしばらく。

日はすっかりと暮れて、森は闇に包まれていた。

当然のごとく喫茶店内も真っ暗であり、数時間前の喧騒はどこにも見当たらない。

窓からわずかに入る星明りに、バラが儚げに映えている。


カランカラン


鍵がかかっているはずの、開かないはずの扉が開く。

いつもなら鐘がなった瞬間にかけられる暖かい声も聞こえてこない。

生ぬるい風と虫の音が喫茶店の中にぬるりと滑り込んでゆく。


「……」


「……」


入ってきたのは二人。

暗闇だというのにさした苦労もせず、席へとつく。

足音も立てなければ、椅子を引く音も立てない。

まるで一流の暗殺者かのようなふるまいだが、

その動向は多少不自然であれ、暗殺者のそれではなかった。


「……」


「……」


店主の声はかけれらない。

店員の声もかけられない。


当然だ。彼らは今ここにいないのだから。


「……」


「……」


二人は席に着いたままじっとうごかない。

身じろぎもしなければ、呼吸音すら聞こえない。

そのまま闇に溶け込んでしまうのではないか──否、人の形をした闇なのではないか、

そう錯覚してしまうほどに、それらはそこに馴染みすぎていた(●●●●●●●●)


「ほい、またせたねェ」


そして、突然にかけられる声。

男のような、女のような、それでいて老人特有のイントネーションを持つ

不思議な声だ。


ぱっと明かりがつき、その二人の姿があらわになる。

一人は男。一人は女。

もしこの場に常連がいれば、マスターと同じ故郷の人間だと、そう理解しただろう。

それもそのはず、彼らはマスターのズボンと良く似た生地の服装をしている。


男のほうは白い半袖ワイシャツに黒い制服のズボン。

女のほうは男と似たような、少し紺の入った制服と首元に黄色のスカーフ。


「いいえぇ、そんなでもないですよ」


眼鏡をかけた、後頭部の砂漠化が進んだ男が笑って言う。

その笑顔は奇妙で胡散臭く、雰囲気はまじめなくせにどこか侮れない。

さらにいえば、全体的にぼやっとしていて印象に残らない感じがした。


「こんなの待ったうちに入りませんよ!」


妙に機嫌のよい、男に比べてかなり若い女も笑う。

こちらの笑顔はどこまでも無邪気で、見るものにいくらかの安心感を与えた。

ただし、こちらはこちらでぽあっとしたようなふわふわした印象を受ける。

目立ちはするが、存在感が薄い感じがした。


「おまえさんたちにも報酬だ」


ことり、と老人のような人物がその二人の前にカップを置いた。

ここのマスター特製のプリンだ。

男の頬が歓喜に緩み、女の目が感動で震える。


「これが、プリン……!」


「久しぶりの嗜好品、ですねぇ。いつぶりでしょう?」


かちゃかちゃと静かに音を立てて二人はプリンを攻略しにかかった。

女は一口食べるたびにめまぐるしく表情を変え、

男は一口食べるたびに賞賛の言葉をつむぐ。


「甘くて、おいしくって、体の芯から癒されます……っ!」


「課長、あなたこんないいもの食べているんですか」


一口一口をかみ締めるように、全身全霊を持って味わっていく。


ものの一分もしないうちに、二人の前からプリンは消えた。

すかさず、老人は追加のプリンを机に置く。

まさに目の色を変えて──喜色満面の笑みで、二人は再び幸せを

腹に収める作業に戻った。


「ごちそうさまでした!」


「はい、お粗末さまでした」


うっとりとした表情で女は笑う。

事実、このような嗜好品を食べたことなど遥か昔のことだったからだ。


「課長、あなた恨みますよ」


「恨まれる覚えはないさね」


男は悔しげに老人を見る。

これほどの快楽を味わっては、無味無臭の生活に戻れる気がしなかった。


「だいぶ長くかかっちまったが、二人ともお疲れさん」


「いえいえ、制服着て案内するだけなんて、

 あのクソ面倒くさい業務に比べたら楽勝じゃないですか!

 ごみの回収と物資の補給だって大した量もありませんでしたし」


「見られないようにやるのも、手間はかかりませんでしたしねぇ」


「おまえさんは降りて実際の試験をパスしたりもしただろう?

 道で練習だってしたし、それなりの時間がかかったと思うんだがねェ」


「別の場所でも運転手はやりましたし、所詮その程度じゃあないですか。

 ……もしかしてボケました?」


「ボケられたらどんなに楽だったことか……」


三人が三人とも、遠い目になった。

その理由を知るのは、三人だけだ。


白髪の頭と、薄い頭。

女の頭は必死の努力により平常を保てているが、

実は本人も気づかない場所──髪で隠れた首元に小皺ができ始めている。


森の奥で獣が吠え、ひゅうひゅうと風が二回吹き。

それからさらに時計の秒針が二週してから、ようやく三人は意識を戻す。


「ともかく! まだまだ休暇はあるのだから戻るまでは存分に楽しみなさい!」


「はいです! さりげなくこういうのは初めてですし!」


机にだらしなくひじを突きながら女が笑う。

これだけ休みがもらえれば、少しくらいは頑張れそうな気がしたからだ。


「お前も、まだまだ使うつもりなんだからくたばるんじゃないよ」


「まぁ、売れる恩なら売れるときに売っておきますよ。

 あなたに貸しを作れる機会なんてそうそうありませんしねぇ」


にやりと胡散臭い男は笑った。

そう遠くない未来に、また彼が助けを求めてくるのがわかっていたからだ。


くくく、と思わず喉の奥から笑いが漏れる。

女が不思議そうに見ても、老人があきれたように見ても、

それをとめることはできない。

なんてったって、今この瞬間が最高に楽しいからだ。


「課長、あなたのおかげで給料も使いませんし貯金もどんどん溜まっていきます」


「そうかい。ま、私と同じくらいのことが出来るほど溜まってから言うんだね」


「……なんかどれだけがんばっても届かない気がする」


課長のおかげで、娯楽がより楽しいものになった。

課長のおかげで、新しい娯楽が増えた。

課長のおかげで、自分がその流れに乗ることが出来た。


彼にとっては、それだけで最高の報酬だったのだ。


クソ面倒くさい業務も、いやみったらしい上司も、

趣味の悪い同僚だって今の彼には手を出せない。


ああ、これこそが休暇。これこそが真っ当な人間の楽しみ。


すでに真っ当な扱いを受けられなくなった彼にとって、

この事実はただただ喜びとして胸に突きつけられた。


「そうそう、実は、今度私のほうのアレでいろいろすることになりまして。

 たぶんそっちのほうにも顔を出すと思いますから、

 そのときはいろいろお願いしますよ」


「アレっていうと……そうか、ちょうど祭りとかぶるさね。

 というか、ウチの祭りに遊びに来るのか。

 おまえのとこのあの子はアレだから、かね?」


「ええ、行事好きのあなたなら理解してくれるでしょう?

 ま、ついでではありますし、あの子が本当に行くかどうかはわかりませんが、

 あの子の妹の進学先の候補にあなたのとこが入っているんですよ」


「……盆とハロウィンをごっちゃにしていないかね?

 まぁ、面白そうではあるねェ。もしかしたら後輩が増えるかもしれんし、

 事情がわかっているのなら、入部だってしてくれるかもしれない。

 どのみち、おまえたちもそれには加わるんだろう?」


「ええ、ええ。あの子に見つからないようにですけどね。

 アフターケアばっちりの私ですから、その辺はぬかりありませんよ」








それからしばらく歓談して、男と女は席を立つ。

手にはしっかり、土産のプリン六個セットを持って。

彼らは扉を出て振り返り、老人に向かってぺこりと頭を下げる。

そしてそのまま夜の闇に掻き消えてしまった。


店に残った老人はやれやれと肩をすくめながら残った四つのカップを片付ける。

懐から飴の入ったビンを取り出し、

無造作に手を突っ込んでぽんと口の中に飴玉を投げ入れた。


……彼の一番好きな梅味だった。


「~♪」


気分がよくなり、いつものオルゴールのメロディを鼻歌で再現しつつ、

ジャブジャブと洗い方を済ませる。

なんとなくだが、汚れが簡単に落ちるような気がした。


「戸締りよし、火の元よし、忘れ物なし」


最後にもう一個だけ、飴玉を取り出しぽんと口に放り入れる。

そして、明かりを消して店の奥へと続く扉を開けた。


「しまった……」


悔しげに彼のつぶやいた言葉が、闇へと染み渡っていく。


「はっかを引いちまった」





今度こそ、店には誰もいなくなった。




  

20140517 誤字修正


キャンプ交流編おわり!

次回から普通のお菓子タイムに戻ります。


マスターは卵使うのが得意って設定。最初に作ったのもオムレツだったっけ。


高級プリンやとろけるプリン、焼きプリン蒸しプリン、なめらかプリンに──ぷっちんなプリン。どれも好きだけれど、一番といえば……言わなくてもわかるよね?


那須で食べたプリンが一番おいしかったっけなぁ。やっぱ卵とか牛乳とかいいものを使っているんだろうか。もうね、とろっとしていて舌にやさしくまとわりついてくれるの。穏かな甘さで天にも昇る気持ちになるの。


あ、ストックつきました!

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