冒険者とカレーライス
「…どうだった?」
「さっぱりだな」
拠点──あいつらのじゃなくて俺たちの──に戻ってすぐにリュリュがそう問いかけてきた。俺の返事を聞くとその目に落胆と哀れみの色を浮かべ、自分のことのようにしょんぼりしながら俯いた。
なんともやるせない気分に辟易しながら俺は腰を下ろした。あいつらと同じように、ここにいる連中はみな火を囲って座っている。どんな育ちでもこういうところは変わらないらしい。
「やっぱりこの広い森でハンカチを探すなんて無理なんじゃ……」
「ばか! 無理って言うから無理なの! がんばれば絶対見つかるはずなんだから!」
弱弱しくつぶやいたエリオにハンナが当たった。しかし、いつもと違って手が出ていないところを見るとハンナ自身もなかなか難しいとは思っているのだろう。
ぱちり、と薪の爆ぜる軽い音が重々しい空気に場違いに響いた。その空気には到底似合いそうもない腹を刺激する香りが森の奥から薄く漂ってくる。
「おめえらのほうはどうよ?」
エリィ、リュリュ、おっさんはいっせいに首を振った。アルは肩をすくめるばかり。ま、こいつはここで待機するのが仕事だからしょうがない。残った一人であるアミルは暗くうつむいたままだ。
火を見るより明らかとはこういうことを指すのだろう。
ぱちっと強く薪が弾ける。石と枝でしつらえられたちょっと豪華な竈は弾けたそれを跳ね返す。食欲を掻き立てる香りが少し強まったようだった。
「ま、まぁその、そろそろ腹も減ってきたしな! 気分転換もかねてこいつを引っ張ってきたんだ」
エリィが殊更に明るい声を出す。それの意味をこの場にいる全員が理解し、そしてもっともそれに元気付けられなければならない人物が弱弱しく笑った。
「今日の昼餉はなんだろうな。……夕餉もかねているが」
「…きっとうまいものだろうさ」
普段は空気を読まないアルと口数の少ないリュリュが、その場をとりなすように言葉をつむぐ。風が少し強めに吹き、火の気が立ち上がる。細かい火の粉と煙が俺のほうに流れてきやがった。
なぜだか、振り払う気にはなれなかった。
「ところでよ……」
「あん?」
「いや、それなんなのかなって」
おっさんがかまどの前に座っている。火の気に晒されているからか、おっさんの肌から汗が噴出しテカテカと輝いていた。暑そうに──いや熱そうにしながらもおっさんはそこを離れない。その目の前には黒い奇妙な形をした、金属製の何かがある。
「火の番……にしちゃ、奇妙だなと思ってな」
「飯盒っていうらしいぜ。オレもよくわからんが、さっきちみっこが来て火にかけとけって」
「へぇ」
飯盒は三つ。その半分ほどが炎に飲まれており、中からじりじりと奇妙な音を出している。なにかを煮込んでいるのだろうか、蓋からは白い湯気が漏れ出て、そしてすぐに消えていく。
「今日のメシに欠かせない物なんだとよ。でも、これからは全然うまそうな匂いがしねえんだよなぁ」
「ま、そういうこともあるだろ」
おっさんが少しつまらなさそうに愚痴る。
なんでだろうな、いつもはすごくわくわくするのに今日はぜんぜんわくわくしねぇ。どす黒い油みたいな、いや、毒沼の霧みたいな空気が胸を重くしている。
たぶん、みんながそれを感じ、なんとかしようと思っているのだろう。そのぎこちなさがこの雰囲気を作っているんだろうな。
「……すみません」
「気にするこたぁねえだろ。同じクランなんだ」
触れたら壊れてしまいそうな笑顔でアミルが笑った。顔色は悪いしこころなしか頬がこけているような気もする。たぶん、そのほとんどは気のせいで、こいつの放つ空気がそう見せているのだろう。朝見たときは普通だったし、精神的ならともかく肉体的にこうもはやく影響が出るはずねえもんな。
「すみません……」
誰かが何かを言おうと息を吸った瞬間。しゅうしゅうと、飯盒から水が吹き出た。
「お、やっとか」
ちょっと大きな声を上げ、おっさんが手近な石ころを飯盒の上に乗せる。それはカタカタ、カンカンとわめきながらもやがて観念したかのように鳴りを潜め、再び白い湯気を撒き散らす仕事に専念し始めた。
「あふれそうになったら蓋押さえろって言われたんだよな」
「さきほど聞きそびれたのだが、なぜシャリィは最初から蓋を押さえとけと言わなかったのだろうか。なにか深い意味はあったのだろうか」
「…お茶目ごころだろう」
「お茶目ごころなのか」
ちがうんじゃないかなぁ、というエリオの声は小さすぎて、アルやリュリュには聞こえなかったようだ。
ぱちり、と再び枝の弾ける音がした。ただし、今回は俺の後ろから聞こえてきたものだ。
うまそうな香りが、いつのまにかここら一帯を覆っていた。
「よっ、マスター」
「……みなさん、どうしました?」
「なぁに、あんまり気にしないでくれよ。詮索する男はモテないぞ?」
「エリィさん、酔ってます?」
でっかい鍋を一つとその上にちょっと小さな鍋を持ったマスターが、怪訝そうな顔をしてたっていた。
ちら、と眼でなにかあったのかと聞かれたので、適当に肩をすくめておく。なんにせよ、俺が言い出していいことでもないしこの空気を続ける気もない。俺、こういう空気苦手なんだよな。
「それより早く喰おうぜ! オレ腹減りすぎて背中とくっ付いちまいそうなんだ!」
「あたしも! おなかペコペコな上に、さっきからすっごくいい匂いがするんだもん!」
「ボ、ボクもお腹が空いちゃって……」
それはすみません、とマスターは軽やかに笑って鍋を火にかけた。
「飯盒のほうはうまくできました?」
「とりあえずちみっこに言われたとおりにはやっといたぜ」
「…あとは蒸らすだけ」
ちょうどいいかな、なんてマスターはつぶやきもう一度あたりをぐるりと見渡す。やっぱり、この妙な空気を肌で感じ取っているのだろう。人の機微の変化に敏感なマスターなら、むしろ気づかないほうがおかしい。
「……本当に、なにかありました?」
「んー、俺からはなんとも」
「…別に仕事で問題があったわけではない」
そうは言っても、信じられないこともあるのだろう。まじまじと全体を見渡したマスターは、やがてその人物へと近づく。とりあえず、黙ってみてることにした。
「アミルさん?」
「な、なんでしょう?」
精一杯元気があるように装ってアミルが笑いかける。俺から見てもぎこちない顔だから、マスターが見れば一発でなにかあるとばれるだろう。
じっとマスターの眼に見つめられれてアミルは見るからに動揺し、瞬きが多くなって眼の焦点があっちこっちにブレまくる。こうもわかりやすくされてしまうと見てるこっちがハラハラするってもんだ。
「……どうしました?」
「な、なんでもないですよ?」
マスターはふむ、と息をついて元の位置に腰を落とした。ほっ、と誰のかもわからない息をつく音が聞こえる。
「なにがあったのかはわかりませんけど、おいしいご飯を食べて気分を切り替えましょう。人間、お腹減っていると物事なんでも悪いほうに考えちゃいますから」
にこにこと、いつもどおりの笑顔でマスターが笑った。それのおかげでこの場の空気がだいぶいつもと同じようになってくる。緊張していたみんなの筋肉が緩まるのを感じた。
ああ、やっぱマスターの笑顔ってすげえな。俺にはとても真似できそうにない。
ぱちりと木の枝が強く弾けた。食欲をそそる刺激的な香りが暴れだそうとしていた。
「はい、今日のお昼? ご飯の《カレーライス》です」
「わぁ!」
おもむろにマスターが鍋の蓋を取った。白い湯気とともに、今まで嗅いだことのないような刺激的で、胃袋を直接槍で串刺しにするような見事な香りがこの場に広がる。ぐぅっと誰かの腹がなったけど、もはや誰もそんなこと気にしちゃいなかった。
「…茶色い、煮込み汁?」
「あはは、まぁ見た目はそんなですよね」
首を伸ばして鍋の中身を見たリュリュがつぶやいた。腰を浮かしてそれに倣うと、なるほど、わずかにとろみのついた茶色いスープの中にジャガイモだのタマネギだのがごろごろと入っている。ところどころに見えるスライスされた肉は俺が買ってきたものだろう。その茶色に染まったせいで、パッと見ると肉とは気づけない。
ふんふん、と鼻歌を歌いながらマスターはお玉でそれをかき混ぜた。ごとり、と中のそれが鍋にぶつかる音がし、香りがよりいっそうと強くなる。
「おいしそうな香りがするんだけど……ちょっと勇気がいるわね」
「いや、見た目にだまされてはいけないだろう……。そういうものこそうまいって話はよく聞くぞ」
「それは逆説的にこれの見た目が最悪だと示していることにほかならないと思うのだが」
「い、いや! そんなつもりは!」
「はは、大丈夫ですよ。確かにこれ、初めての人からは泥で煮込んだ野菜汁って感じにしか見えませんよね」
もしいい香りがしていなければ俺は絶対にこれを口にしなかっただろう。マスターが作ったとわかっていればできるかもしれないが、それでも初見でいきなり食べろといわれたら、誰もが断る見た目をしていることは覆しようのない事実だ。
「こっちの飯盒はどうするんだ?」
「もちろん、使いますよ」
グローブ……にしちゃやけに薄っぺらく、貴族の付き人が着けるにしては無骨な手袋をつけたマスターが飯盒の蓋を開く。
もうもうと湧き上がる白い湯気の下に、白く輝くなにかがあった。
「ラ、ライスじゃないか!」
エリィが叫ぶ、マスターがいたずらが成功した子供のように笑った。
「いったでしょう? 《カレーライス》だって」
なんでも、この飯盒ってのはライス専用の調理器具らしい。見たところ、ライスは指でつまめるくらいの小さなふっくらとした粒粒だが、調理前は乾燥していて麦の実のような感じらしい。
「これのもちっとしながらもふっくらした感じとほのかななんともいえない甘みが堪らないんだよなぁ……。こっちじゃ流れの商人がたまに持ってるかってくらいだし、まともにこう調理できるやつだってほとんどいないし」
「エリィさん、なかなかわかってますね。僕の故郷では米が主食なんです。だからこんな道具もあるんですよ」
「"おむらいす”のあれの、赤くする前のやつか!」
バルダスのおっさんが叫ぶ。
“おむらいす”ってーとあれか、なんか卵で閉じたうまいものか。聞いたことはあるけど注文したことはねえんだよな、俺。つまり、ライスを食うのも初めてってこった。
否応なしに期待が高まってくる。
マスターは飯盒から米を皿によそい、そして鍋から“かれーらいす”───いや、“かれー”を掬ってその上に注ぐ。
ジャガイモが、肉が、タマネギが、ごろごろと転がっていくのは壮観だ。“かれー”が無垢なる白いライスを己が色に染め上げていくのは背徳的な高揚感すら覚える。
「はい、どうぞ。熱いので気をつけて」
スプーンと一緒に渡されたそれを見て、ごくりとのどを鳴らした。茶色──否、黄金色に輝くそれはまさに食の宝物。
ライスと“かれー”のちょうど中間の位置を掬い、スプーンの中に小さな“かれーらいす”の世界を創造する。
そう、つまり俺がこの世界の主だ。だから、遠慮なんて要らない。
一思いに、素敵な世界を飲み込んだ。
辛くて
刺激的で
焦がれるように
「──うっめぇ!」
「それはよかった」
この感動を、マスターの心に直接刻み込んでやりたい。
突然だが、『甘さ』の反対になる言葉とはなんだろうか。もちろん、それは『辛さ』だろう。『苦さ』という言葉はこの際なかったことにする。
「か、かりゃいけどおいしい……!」
エリオの顔がどんどん赤くなってきている。そう、この“かれーらいす”は辛いのだ。それもトウガラシやその他の野菜などがもつような、舌を直接痛めつけるような野蛮な辛味じゃない。うまみとある種独特のしょっぱさと香ばしさのまじったような、あとをひくすばらしすぎる辛味だ。
舌に触れたそれはまろやか且つ刺激的という相反する要素を併せ持った風味とともに口の中を踊り狂い、その印象を熱烈に焼き付けていく。最後に忘れ香のように舌がぴりぴりするのが最高に気持ちいい。
「タマネギの甘さがいい感じね……!」
さて、今までの評価は“かれー”の茶色い部分だけのことだ。そこに『具材』が合わさったのならどうなるか?
答えは簡単。『よりすばらしいものになる』だ。
「……!」
野菜の中でも特に強いタマネギの甘さが“かれー”と絶妙に絡み合い、風味とうまみに面白い変化をつけてくれている。うまく言葉で表現できないが、さっきまで“かれー”の辛さで慣れていた舌にタマネギが触れると、すっげえ甘く感じるんだ。それがふっと鼻に抜けていくときなんて言葉にできないくらいイイ。
タマネギはなんともいえない艶やかな舌触りも繰り出し、一種独特の存在感をかもし出している。
「ふむ、このジャガイモ、なかなかやるではないか!」
アルもたまにはいいことを言う。“かれー”という魅惑的且つ刺激的な海に浮かぶジャガイモという小島はなくてはならない存在だ。
ゴロッとしていてなかなか食べ応えがあるし、ホクホクの甘さが“かれー”の辛さを引き立てている。ゆっくりと歯を突きたてていくのもいいだろう。
だが、それだけだったらジャガイモはそこまで評価されない。重要なのは、そのゴロッとしているところと甘さがあるところ、その二つが組み合わさったところだ。
「…とってもおいし」
こいつは口の中ですりつぶされると、うまい具合に辛さをマイルドにしてくれる。これがどういう意味を持つのかは、食べたやつにしかわからないだろう。一口、二口とあごを動かすたびに、少しずつ“かれー”の味が変わっていくんだ。そのときの感動といったら、もうどう表現すればいいのかわからない。
「やっぱり肉だな!」
でかくてごっつい肉大好きなおっさんがニカッと笑った。その言葉を聴いて俺もあわてて肉をほおばる。
「……うめぇ」
買ってきたのは量の多いことだけが取り柄の安くて硬い肉だというのに、じっくり煮込まれたからか予想外のやわらかさを持っている。
ついでに言えば、肉そのものに“かれー”のうまみがじわっとと染み渡っていて、ぎゅっとかみ締めるたびに肉汁と交じり合ったそれが脳をしびれさせる快感を提供してくれた。
本当に、“かれー”はすごい。これと一緒に煮込まれれば、どんなまずい野菜だっておいしくいただけるだろう。マスターだって苦手なピーマンを食べられるかもしれない。こいつは、野菜のうまさを残しつつすべてを“かれー”に染め上げるのだから。
だが、まだだ。まだ終われない。“かれー”をまだまだこんなもんじゃない。
「──やっぱり、ライスだ!」
そう、それだ。俺はエリィの、その言葉を聴きたかったんだ。
無垢なる純白──いや、神聖なる白銀の輝きを持つ白い粒粒。夜空にたゆたう星星を連想せずにはいられない。ふっくらもちっとしたその粒は、ほのかに甘い特徴的な香りと熱々の情熱を持って口の中に行進してくる。
たぶん、これそのものはそこまで濃い味がするものではないのだろう。独特な粘り気とそのやわらかい感覚は普段食べてるパンや豆とは全然違くて、慣れないやつはとことん慣れないのかもしれない。
だが、“かれー”と合わせるとそれは微笑の天使と化す。“かれー”の激情的なうまさと辛さをやさしく、且つ力強く受け止めてくれるんだ。ライスのやさしい甘さが“かれー”の旨さを何倍にも引き立て、“かれー”の辛さがライスの旨さを数段上のものへと昇華させるんだ。
ライスの粒粒と“かれー”の汁っ気の相性も最高だ。互いが互いをうまい具合に受け入れあって溶け合い、食べやすくなった上でうまくなる。
確信した。“かれー”になによりも合うのはライスだと。“かれー”のパートナーはライスでしかありえないのだと。たとえ世界がそれを認めなくても、俺だけはそれを胸に刻む。
「はっ! ふっ!」
「そんなにあわてなくても、まだまだありますよ」
にこにこと笑うマスター。犬のようにがっつく俺。
カチャカチャとせわしなくスプーンを動かし、その幸せを詰められるだけ腹の中へと詰めようとする。
まずい。
どうがんばってもスプーンをとめられそうにない。少しでも長く味わえと心の奥底で願っているのに、また別のもう一人の自分が快楽におぼれろと耳元でささやいている。
悪魔に憑かれたかのように体の自由が利かず、ただただ獣のように白銀の大地と黄金の海を喰らい続ける。
──これではまるで、俺は邪神みたいではないか。
ふっと周りをうかがう。理想郷を喰らう邪神が何人もいた。
そして一人だけ、邪神というよりかは気弱な尖兵みたいのがいる。
「アミルさん? ……もしかして、お口に合いませんでした?」
「い、いえ! とってもおいしいですよ!」
ちょっと気分が重くなる。あいつ、まだ引きずっているのか。メシは楽しく喰わないとどんなご馳走でもおいしくないってのに。
「ただ……ちょっとだけ、辛いかなって」
「ああ、なるほど。ご心配なく」
にこやかに笑うアミルを見て俺の考えが間違っていたことを知る。こいつは……だれよりも真摯に“かれーらいす”と向き合っていたんだ!
「辛さには結構好みがありまして、こだわる人はとことんこだわるですよ。そんなわけで『甘口』も用意してあります」
「甘口……だと……!?」
マスターは小さめの容器に小さい鍋にあった“かれー”を入れ、にこにこと笑いながらアミルに手渡す。それをそっと受け取ったアミルは、一口それに口をつけて目を見開いた。
「おいしい……!」
眼をキラキラと輝かせ、かわいらしくスプーンを動かす。かちゃかちゃと音が妙にうるさく響き、ぼうっとしていたみんなが誰ともなしにそろって顔を見合す。
合わせたかのように互いがうなずきあったその瞬間──邪神共が暴走を始めた。
数秒もしないうちにすばらしき世界が滅亡する。
そして、無言で新たなイケニエを差し出せと禍々しい手を差し出した。
若干ビビッた哀れな創生主は、無残にも邪神の手に堕ち、要求を呑まされることになった。
「ほう! 辛さが控えめで、コクが深くなっているのか! なかなか見所があるじゃないか!」
『甘口』──それもまたすばらしい。勘違いしないでほしいのは、砂糖や果物みたいな甘さではないということだ。
アルの言うとおり、辛さが幾分抑えられて風味がやさしくなり、素材そのものの味が強く出てコクが深くなったような感じがする。刺激が控えめだから辛いのが苦手なやつや子供ならこっちのほうが好みかもしれない。
……甘口があるってことは、やっぱり激辛もあるのだろうか?
「…こっちのほうが好きかも」
「オレはもうちっと辛ぇほうがいいな!」
「はは、言いましたね? ちょうど、辛くさせすぎて誰も手をつけられなかったのが向こうにあるのですが」
「わり、ちょっと考えさせてくれ」
でかい口をたたいたおっさんにマスターがにこやかに笑いかける。
やっぱあんのか、激辛が。
……一口くらいは食べてみてえな。
「甘口、中辛、辛口、激辛って具合に辛さにも種類がありますね。あと、これは香辛料を何種類も使って作るのですが、その組み合わせと材料でガラッと印象が変わるんですよ。そのレパートリーはまさに無限大で、一口にカレーといっても数十、いえ、数百もの種類があるんです」
「数百!? そんなにあるの!?」
「ええ。たとえ同じ材料を使っていても、香辛料の分量の比率で味も食感もハッキリ変わって来ちゃいますしね。個人的にはこの香辛料がカレーの味を決めると思っています」
「やっぱり香辛料は重要なのか。……下世話な話、けっこうお高いんじゃないか?」
「あー、こっちで作ったらそうなるかもしれません。でも、ウチの方だと庶民の食べる料理の代表格みたいなものですよ。何て言うんですかね、手頃に作れる……香辛料を予め混ぜて手軽に扱えるようにしたルゥってものがありまして、それに各々の独自の工夫を加えて家庭の味を作るんです。作るのが楽で大量にできるから、一人暮らしの人とかが作り置きしたりすることもありますね」
「いいとこに住んでるんだなぁ。いずれ行ってみたいものだよ。どのへんなんだ? このあたりに香辛料の安い場所なんてないと思うんだが」
「ひ、秘密ですよ? あの、その、隠れ里みたいなアレですから!」
俺はやっぱり最初に食べた中辛が好きだ。マスターに皿を差し出し追加を求めると、どこか慌てふためいた様子でよそってくれた。
うん、やっぱり止まらない。スプーンを口に運ぶたびに体から汗が吹き出る。この暑い中だというのに食欲が衰えるどころかむしろ燃え上がってくる。顔も背中もぐっしょりとぬれてくるけれど、それがたまらなく気持ちいい。体の奥底からかぁっと熱くなって、気だるい暑さを吹き飛ばしてくれる。
「水、水!」
ぐびりと一口。最高に旨い。熱くなった体を冷たいそれが清らかに流れていくのが感じられる。ひりついた喉をやさしく慰めるそれは、ほのかに甘みすら感じられた。
「おいしかったぁ……!」
さっきよりもずいぶんと顔色のよくなったアミルがスプーンをおいた。水をこくりと飲み干し、ふう、と息をつく。
ハンナやリュリュももう満足したらしい。珍しくエリオはお代わりをしていた。
「そうでしょう? ……やっと笑ってくれましたね」
にこにこと笑いながら、マスターはさらっとキザな台詞をはいた。
「なにがあったのか知りませんけれど、やっぱりアミルさんは笑っていたほうがきれいですよ」
聞いていてドキッとする台詞を息をするかのように紡ぐ。関係ないはずのハンナの顔が赤いのは、絶対“かれー”のせいじゃない。
話しかけられているアミルなんて赤いってレベルじゃなかった。
「……んん、昨日、楠が言ってたんですけどね。『女の人の最高の化粧は笑顔だ』って」
「あのクスノキがそんなこと言ったのか? あいつ、そんなセリフを言えるやつには見えなかったぜ?」
「あれで意外とロマンチストなんでしょう。……レイクさん、今度あいつに会ったらその辺突っ込んで聞いておいてください。それはもうしつこく丁寧に穿り返すように」
「お、おう」
なにやら黒いものを抱えたかのようにマスターが笑う。
どうやらマスターも邪神の一人だったらしい。それも飛び切り極悪なやつだ。
「まぁ、話を戻しまして。悲しいときはおいしいものを食べてにっこり笑う! これが楽しく生きるコツですよ!」
「……ふふっ、そうですね!」
吹っ切れた様子のアミルがにっこりと笑う。森が一気に明るくなった気がした。ようやく、いつもの明るい、飯の空気になった気がしたんだ。
「マスター。この依頼が終わったら、聞いてほしいことがあります。謝りたいことがあるんです」
そうですか、と一言だけ言ってマスターはにこにこ笑う。どんな形であれ、この二人ならきっと丸く収まるだろう。
これでようやく、楽しい時間が戻るのだと、誰もがそう思ったに違いない。
「おい、誰かいるか!?」
「ちょっとまずいかもしれない」
オン!
だからこそ、いきなり飛び込んできたセインとミスティ、そしてラズに気づくのが一瞬送れた。
「セインさん? ミスティさん?」
「マスター、ちょっと困ったことになったかもしれないよ。いや、そうかもしれないってだけで確定じゃないんだけど」
「私のほうもいささかの懸念事項がある。昼の様子を見る限り、これくらいならそこまで問題はないと思うのだが……」
普段はふざけた様子を見せるミスティでさえ、すこし表情を引き締めている。取り乱してはいないところを見ると、緊急の案件というわけではなさそうだが、それでもろくでもないことが起こっただろう事は変わらない。
「でっかい足跡があったんだ。強面熊だね」
「スウィートドリームマッシュが動いたらしき形跡も発見した」
20161228 文法、形式を含めた改稿。
マスターが作ったのは中辛と甘口の二つ。
失敗した人達用にシンプルだけど完成度が高く誰にでも好まれるようなカレーを作りました。隠し味にホットチョコの余りのチョコレートとか入れてます。
園芸部でもカレー作って食べているのでよかったらそっちもどうぞ。
ウチのカレーはニンジンが入らない。ジャガイモも入らない。タマネギは入るけど形がなくなることがよくある。肉カレーじゃんって思う。
あと、カーチャンが圧力鍋でカレーを作るとすっごく汁気の強いカレーになる。ここでしかいえないけれど、味が薄いし汁気が強すぎて《カレー風味おかゆ~煮込み野菜と肉を添えて~》になってるの。いつもの鍋で作るカレーが好きだ。
でも、誰が何と言おうとウチのカーチャンのいつもの鍋で作ったカレーが一番なんだからな! マスターのよりもおいしいんだからなっ!
次回からちょっと変則的な投稿になります。
お菓子出てこなかったりするけど……ちょっとだけ我慢してね!
あとで帳尻あわせているから!




