冒険者閑話
二話連続更新。
「見て! あっちでリスがなんか食べてるよ!」
「朝の空気って格別じゃない? 冷たくって、透き通っていて、すっごくいいよね!」
「…ですね」
日の出から三十分経ったか経たないか、そんなまだ早朝と言える時間。少し茶色味かかったふわふわの黒髪の少女が二人に、日焼けした二、三人殺ってそうなおっかない目つきをした大柄な男が森を歩いていた。
男の方は麦わら帽子を被り、肩にはスコップを担いでいる。まるでどこぞの農夫のような出で立ちだが、来ているその服は上等な生地が使われているうえ、見たことのないデザインをしていた。こんな格好で畑を耕す農夫なんて、世界広しと言えど見つけることは出来ないだろう。
ついでにいえば、その生きているんだか死んでいるんだかわからない妙に迫力のある目つきのせいで、少女を誑かし、森で始末する殺し屋のように見える。子供が見たら泣きだしそうなほどおっかない顔立ちなものだから余計にそう思えてしまうのだろう。無表情なところがいかにも、といった感じにそれっぽさを演出している。スコップがあるからこそ農夫に……いや、あってもなくても大して変わらないな。
「ねっねっ、こうしてお散歩するのって素敵じゃない?」
「あたし、こういう本格的な森にちょっと憧れてたんだよね!」
「…そうですね」
でっかい男にじゃれつくように少女たちが笑顔で話しかける。どうやらこれは、信じがたいことではあるがデートのようなものらしい。相手はともかくとして、少女たちのあの輝く笑顔を見て他の答えを出すのはかなり難しいと言えるだろう。
しかし男にはそのつもりがないのか、ただ黙々と相槌を打ち、歩を進めている。少女たちとの温度差が凄まじかった。
「……ね、足元危ないから、掴まっててもいい?」
「あたしも、ちょっと寒いから……」
「ほぉぉ……!」
二人の少女は、ちょっと顔を赤らめながらその男の腕を取った。いや、取った、というのはちょっと語弊があるかもしれない。抱き着くように、腕を組んだんだ。
「…気を付けてください。足元もそうですが、ここで体を冷やしたら大変です」
「えへへ、わかってるよ」
「いひひ、もちろん!」
陳腐な表現だが、花の咲くような笑顔とは、まさにあのようなものをいうのだろう。女の私から見てもドキッとするような笑顔を浮かべた二人と対照的に、男の方はどこまでも無表情でひたすらに前を向いている。
両手に花のダブルデートでそうするとは、どうしてなかなかやるじゃないか。いや、正確にはダブルデートではないんだろうが……。
なんだかいい雰囲気になってきたので、私はパシッと頬を叩いて目をそらした。
こういうのを盗み見るのはよくない。いや、そりゃ、気にはなるが、同じ女として盗み見られるのは嫌だ。個人の恋愛は当人たちだけで共有すべきものだろう。
私が彼らを尾行しているのは、あくまで仕事のため、安全確保のためなのだから。
さっき──といっても一時間くらい前、唐突に森に人の気配を感じた。これが水辺や拠点の周辺、あるいはあの喫茶店に向かう気配だったらよかったのだが、その気配たちはまるっきり別の方向へと進んでいく。
若干の眠気とわずかな酒の香りに意識がぼうっとしていたが、仕事を放るわけにもいかないのですぐさま身支度を整えて後を追った。今までこんな朝早くに出かけるセイトなんていなかったのにといぶかしんではいたのだが、到着して現状を理解し今に至るというわけだ。
そりゃあ、デートなら人のいない時間がいいに決まっているよな。
「なんともほほえましいじゃないか、なぁアミル?」
「……っ!」
傍らにいる友人に問いかける。
ベージュのローブはちょっと皺がついているし、髪も寝癖が直し切れていない。わずかに酒の香りは残っているし、外面だけ見れば完全にダメ女そのものだ。これならまだちょっと前のひきこもりだったときのほうがマシだろう。
だが、問題はそこじゃない。
顔がすっごく赤いんだ。それはもう熱が出てるんじゃないかってくらい。
「エ、エ、エリィぃぃ……!」
「なんだ、やっぱり記憶があるのか? ……『ますたぁはわたしのことだけがすきなんだもんっ!』」
ぼふん、と音が出てアミルがうつむいた。耳まで真っ赤とかそんなレベルじゃない。頭をそっくりイチゴと取り換えてしまったかのようだ。
「な、な、なんで私あんなこと……!」
「いやーすごかったぞー。酔って乱れて、触るわ甘えるわ絡むわ噛むわ」
アミルの顔は真っ赤を通り越してうっ血したかのように赤黒くなった。湯気らしきものをしゅうしゅうだしながらうずくまる。
……こいつで遊ぶの楽しいな。普段が真面目な奴だからかな?
「で、どうだったんだ? 満足できたか? 堪能できたか? ほら、遠慮せず言ってみろ」
「うぅぅ……っ!」
「マスターの反応もすごかったしなぁ。ウブってのはわかっていたが、あんなガチガチになるとは思わなかったぞ。良かったな、『わたしだけのおうじさま』がああいうタイプで」
「ひぃぃ……っ!」
ローブのフードを目深に被って赤くなるアミルと言葉の剣でせめ立てる私。アミルの目には涙すら浮かんでいる。そんなに恥ずかしいのなら最初っから飲まなければよかったのにと思わずにいられない。
この友人は妙な部分で可愛らしいところがあるんだよな。なんていうか、大人ぶってはいるが根が子供っぽいんだ。
「ミスティはまだいいさ。ああいう性格だし。でも、おまえは普段とのギャップが激しすぎたからなぁ。……覚えているか? 最後にしなだれかかって、こう、ぶちゅーって」
「ばかぁぁぁぁ!」
手をぶんぶん回してぽかぽか叩いてくるが、生憎魔法使いの貧弱な拳にやられるほど戦士は甘くない。というか、素手で叩いたら向こうの手が痛む。それくらい冒険者なら理解しておいてほしいものだ。
「さて、次はどんな顔してマスターと会えばいいのだろうな。いや、案外向こうも意識してくれて……」
「やめてぇぇぇぇ!」
「…なに、やってるんですか?」
「アミルさん……だよね?」
「顔まっかっか……熱でもあるんですか?」
おっと。
いつの間にやら護衛対象に気づかれてしまっていた。三人ともが不思議そうな目で私たちを──いや、アミルを見ている。
ま、別にいいか。なにもやましいことはしていないし。
「なに、気にするな。ちょっといろいろあっただけさ。それより、キミ達も朝の散歩の最中だっただろう?」
「…その最中に悲鳴が聞こえてきたのでやってきたのですが」
「おっと、それは失礼……念のため言っておくが、盗み見てたわけじゃないぞ?」
「…は?」
大男──クスノキのほうは私が言った意味をよく理解できなかったらしい。逆に少女──ナギサとシオリは正確に理解したようだ。ちょっと照れくさそうに頬をかいている。
私がじいさんに雇われた人間だと話すと、クスノキの方は警戒を解いてスコップを握っていた腕の力を緩める。どうやら彼は、私がアミルに仇なす不届きものだと思ったらしい。
思い返せば、私は彼のことを話で聞いたりしているが、彼は私のことを知らないはず。一応、昨日の風呂番の時にちらっと見られたような気がしたのだが、どうやらそれも気のせいだったらしい。自意識過剰だったか。
しかしそれにしても、なんでクスノキはスコップなんて持っているのだろう?
「なぁ、なんでスコップを持っているんだ?」
「…護身用に」
「護身用? スコップを?」
「…スコップはいい。根も切れるし石も砕ける。鉈にもなれば槌にもなる。…そしてなにより、手になじむ」
「……」
たしかに手になじむものが武器として一番ふさわしいとは言うが……。いや、でもそれスコップだぞ? 農具だぞ、それ!
「…所詮俺は鍬やスコップを振るうくらいしか能がありません。…あなたたちみたいに剣や弓が使えたり、武術があったりすればよかったんですけどね」
謙遜しているのか、控えめにクスノキが自らを評価する。
……おまえ、絶対それ嘘だろ。体だけなら私より強そうだし、拳闘士でも戦士でも騎士でもなれる……というか、むしろ狂暴化した高位の戦闘魔人みたいなナリをしているじゃないか。
「そういえば、なんで組合の人って剣なんてもっているんですか?」
「あたしも本物の剣なんて初めて見ました。……猟師じゃないんですか?」
「なに、万が一の時のためだよ。猪や熊に懐に入られたとき、小さなナイフじゃ心もとないんだ」
これはかねてから考えていたいいわけだ。実際、護身用に小剣やナイフを持ち歩く冒険者は多いが、そこそこの大きさと頑丈さがないと護身用として意味をなさない。小さいのは一般人が悪人から身を守るために持つものだ。
「…あなたのそれは、とてもそういう目的のものには見えないのですが」
「そ、そんなことも……ない、かな?」
クスノキたちの視線が私の背中のそれへと向かう。そこには、自分で言うのもなんだが、とても人が振るうものとは思えないほど巨大な鉄の塊が……私の得物である大剣があった。両手で振るう、人の身長ほどもあるでっかい剣だ。
よく考えなくても、護身用のそれとはとても思えない。
「そ、それより護身っていうならいい方法を教えてあげよう! これさえ覚えれば、格下のやつなら簡単に追い払えるぞ!」
私たちもよくやる──そこそこの実力を持つ冒険者ならだれでも使える、殺気を飛ばして脅かすというアレだ。
決して話をそらそうだとかそんな思いはない。あくまで人生の先輩としていいことを教えてあげようという親切心からだ。
「こう、気配を強い意思でぶん殴るんだ」
キッと近くにいた鳥に殺気を飛ばす。優雅に木の実を突いていたというのに、殺気が届いた瞬間に飛び立っていった。
「す、すごーい……!」
「最初は難しいかもしれないが、慣れれば簡単さ。まずはれん……」
ゾクッと鳥肌が立った。
かなりの広範囲に嫌な重圧感が広がり、付近一帯の鳥が一斉に飛び立っていく。茂みから飛び出したウッドラビットが足をもつれさせて転がっていった。
さっきからずっと赤くなっていたアミルも飛び起き、私も反射的に剣に手を伸ばす。その対象の首をはねようとして……柄から手を離した。
「…こうですかね?」
「やっぱすごいね! 惚れ直すよ!」
「……!?」
何でもない顔をして、クスノキが殺気を飛ばしていた。
……こいつ、本当に農家なのか? アルが言ってた通り、地方特有の魔物じゃないのだろうか? おかしいだろう、常識的に考えて!
「び、びっくりしたぁ……!」
「あたしとしてはなんでアミルさんがあんなに赤かったのか聞きたいんだけど……」
「お願い、聞かないで……!」
両手で顔を覆ってアミルがうつむく。だが、それは悪手……聞いてくれと言っているようなものだろう。ほらみろ、シオリとナギサの目が爛々と輝きだしたじゃないか!
「あれ? もしかして? もしかしちゃうかんじ?」
「おっ、オトナな恋の駆け引きで火傷しちゃった感じですかっ?」
「それならよかったんだがなぁ……」
「いやぁぁぁ……!」
「昨日な、マスター……ユメヒトとじいさんが酒の差し入れをくれたんだよ。で、こいつが酔っぱらって醜態さらした」
「うわぁ……」
「『なでなでしてくださいよぅ、ぎゅーってしてくださいよぅ』に、『わたしだけのおうじさまなんだもんっ!』と続いて……」
「おおぅ……」
「子供っぽくなって甘える甘える! 見てて恥ずかしくなるくらいだった!」
「うわぁぁぁん!」
「おっと」
後ろから来た杖の一撃をかがんでよける。ふぉっといい音が頭の上を通り過ぎ、髪を何本か持って行った。
……こいつ、少し体術のレベルがあがったな。これも愛しのマスターから“あいきどう”を習った影響だろう。
「でもでも! アピールにはなったんですよね!」
「あの朴念仁もそこまでやればいけますって!」
「それは……その……そうなのかもしれないですけどぉ……」
ちょっと落ち着いたアミルは今度はもじもじとしだした。本当に、こういう話題では見てて飽きない。
「私は酔いつぶれちゃいましたし、マスターはあのあと意識が飛んで連れて行かれたらしいですし……。どんな顔して会えばいいのか……!」
「…普通に会えばいいんじゃないですか? あいつの無自覚ぶりは相当ですし」
クスノキが放った一言。その瞬間、可愛らしく笑っていた二人の顔から表情が消えた。
「……楠くんがそれをいうの?」
「……結構アプローチしているつもりなんだけどな」
「…なにか?」
朴念仁はここにもいる。クスノキはマスターの親友だと聞くが、親友だからと言ってこんなところまで
一緒じゃなくてもいいものを。シオリとナギサが不憫になってくるな。どこの世界でもこういうのは共通ってわけか。
「あ、でも、無自覚っていっても、この間のデートの時にプレゼント貰いました」
「ふぉぉぉ! その話詳しく!」
「えええ!? 佐藤くんが!? あの佐藤くんが!?」
「…あいつにしては気が利くな」
サトウ……っていうのはマスターの呼び名の一つだったか? ユメヒトだったりサトウだったり、彼らの故郷では複数の名を持つのが一般的なのだろうか? じいさんも夜行という名は偽名とか言ってたしなぁ。
「ええ、的屋の景品なんですけど、すっごくがんばってとってくれたんです! ……見たいですか? どうしても見たいですか?」
「もちろん! もったいぶらずに見せてくださいよ!」
「な、なんだろこの奇妙な背徳感みたいなの……!」
「しょうがないですねぇ……!」
こいつ、絶対わかってくれる人に自慢したいだけだ。
アミルがローブのポケットに手をのばす。そういえば、なにか貰ったとは聞いたが何を貰ったかは聞いていなかった。というか、持ってきてたのか。それだけ大事だということなのだろう。
さぁ、いったい何を貰ったのか、見てやろうじゃないか!
「……」
「……」
「……」
「……おい、アミル?」
ところが、アミルはポケットに手を突っ込んだきり、動かなくなった。先ほどまではほんのりと頬を染めて浮かれた表情をしていたというのに、見る間に赤みが引いていき、白くなり、そして蒼くなっていく。目はどんどんと絶望に染まっていき、全身がカタカタと震えだした。
「おい!?」
「あ……あ……」
その腕の先を見る。ローブのポケットの位置から、生地を貫通して指が見えた。いや、指どころか手の甲まで見える。
ぴっと手を引っこ抜く。くるりとポケットが裏返る。それはもう大きな穴が開いていた。
当然、中に入っているはずの物は見当たらない。
「そんな──!」
声にならない絶叫が森に静かに響いた。
「ということがあったんだ。おまえもできれば探してやってほしい」
「なるほどな……」
まぶしい太陽、澄んだ空気、木々の瑞々しい香り。今日もカラッと晴天で、外で運動するのにはもってこいの天候だ。
そんな気持ちのいい森の中を朝のすっきりしたいい気分で見回っていたら、息を切らして走ってきたエリィに呼び止められた。なにか面倒事でも起きたのかと思ったら、どうもアミルがマスターからもらった大切なものを落としたらしい。
「白いレースのハンカチねぇ……。落としたのはいつなんだ?」
「詳しいことはわからないが、少なくともこの依頼中だというのは確からしい」
エリィが悲しそうに告げた。
この依頼中ってことは下手したら落としたのは一昨日ってことだろ? それも、この森でセイトの面倒を見ているときってことだろ?
……絶望的じゃね? いや、なんも手がかりがないよりかはマシだけどさぁ。
「私はほかの連中にも声をかけてくる。あんまり期待はするなと言っていたが、クスノキたちもそれとなく探してくれるらしい。ただ、注意してもらいたいことが一つだけ……」
「なんだよ?」
「マスターには絶対に気づかれたくないって。……察してやれ」
「あー、まぁ、そうだよなぁ……」
好きな人からもらった大切なプレゼントだもんな。そりゃ、失くしたって知られるのは嫌に決まっている。マスターなら笑って許してくれそうだが、そういう問題じゃねえもんな。
寸暇も惜しいとばかりに、エリィはそれだけ言ってさっさと走って行ってしまった。鳥の鳴き声だけが森の中に残る。
「見つからない可能性のほうが大きいんだよなぁ……」
見回りをしながらそれとなく目を走らせる……が、いくら盗賊は探し物が得意とはいえ、これはちょっと専門外だ。町の中とかならまだしも、完全に野外。獣使いが使い魔を使って探させた方がまだ可能性があるだろう。
アミルにはかわいそうだが、素直にあきらめた方がいいような気がするんだよな。
「……ん?」
魔獣を駆逐しながら歩いていると、前方からなんか変な音が聞こえてきた。いや、変っていうか、森の中じゃ聞かない音だ。ぽーん、ぽーんと何かが弾む音が断続的に聞こえてくる。
……セイトかね?
「ようやくフリーの時間が取れたな!」
「なんだかんだで忙しかったですしね~」
元気のよさそうな少年に見た目の割に背の高い少女。少年の方は……なんだありゃ? 白と黒のチェック模様みたいな柄のボールを蹴っている。
皮でできているのか……とも思ったが、妙に艶がいいし張りもある。ボルバルンの皮にしてもあんな模様の奴なんて見たことないし、その線は薄いだろう。そもそもなんであいつはボールなんて蹴ってるんだ?
「でもよっちゃんはよかったのか? わざわざオレの練習に付き合うことなんてなかったのに」
「いいんですよ。華苗はグースカ寝てるし、史香は田所に絡んで遊んでたし。それに秋山先輩だって一人で森に入るわけにはいかないでしょ?」
よっちゃんと呼ばれた女のほうがぷっと頬を膨らませた。もちろん怒っているわけじゃあなくて、にこにこと楽しそうな目をしている。
なんだ、もしかしてこいつらもデートなのか?
……つーかよく見たらあのアキヤマっての、昨日俺が追いかけてたやつじゃねえか。昨日はボールなんて持ってなかったよな。
二人は二言三言話しつつ、交互にボールを蹴りながら森を進んでいく。ときおり高い場所に生っているビーブフルッタ──通称ジュースの実を採取していた。……アキヤマが蹴り飛ばして。
「これだけあればいいかね?」
「いいんじゃないですか~」
……いやいやいや! なんで一般人がそんな高く跳べるんだよ! しかもなんであんなに無駄にアクロバットに蹴ってるんだよ!? 跳ぶのはともかく、そんなことするやつ初めて見たぞ!?
「あ、ミスった」
呆然としていたら白黒ボールがこちらへと転がってきた。それを探しに来た女と目が合う。アキヤマの方もすぐにやってきて、三人の間に妙な沈黙が訪れた。
とりあえず、笑っておくことにした。
「組合の人、ですか?」
「うわ、マジで映画の人みたいだな……」
「お、おう。散歩はいいが、気をつけろよ? この森は危ないところもあるんだから」
人間、いきなりしゃべりかけられると何言っていいのかわからなくなるもんだ。
やっぱり二人とも俺が珍しいのか、足の先から頭のてっぺんまでじろじろと見てくる。俺としちゃこの二人のほうがはるかに珍しい格好をしていると思うが、見方を変えればそれはある意味当然のことなんだと言えるだろう。
「球遊びするなら、拠点のほうがいいぜ?」
「……球遊びって言われると、ちょっとカチンとくるっすね」
「え? ちげぇの?」
ボールを蹴って遊ぶ──球遊びじゃねえか。いやむしろ、それ以外にボールを使う理由ってあったっけか?
個人的には親切のつもりでいったんだが、なんでこんなにアキヤマはむすってしてるんだ?
「サッカーって言ってもらえませんかね?」
「さっかー? なんだそれ?」
「え?」
不思議そうに首をひねる二人。いやむしろ、首をひねりたいのは俺の方だ。
「……本当に知らないんすか?」
「生憎、こっちはそっちほど進んでいなくてね。考えても見ろ、この辺に草木意外に戯れる物なんてあると思うのか?」
マスターの故郷はやたらと技術が進んでいるみたいだからな。きっとこのボールも実は魔道具で、なにか特別な効果があるんだろう。魔除けになったり、非常食になったり……。もしかしたら、変形してゴーレムみたいに操れるのかもしれない。
「そうっすね……なんかごめんなさい」
「組合の人もガチでサバイバル生活してるんだぁ……」
哀れみの混じった目で二人が説明してくれた。なんでも、これはサッカーボールという代物らしい。魔除けになるわけでも非常食になるわけでも、ましてや変形したりするわけでもないそうだ。
本当に、ただ遊ぶだけ。……俺の期待を返せ!
一人心の中でがっくりとうなだれていると、何か不憫に思ったのか、アキヤマはサッカーの説明をしてくれた。
「──それで、十一人対十一人でボールを奪い合って相手のゴールに入れるんですよ。最終的に得点を多くとったほうが勝ちっす!」
なるほど、サッカーという遊びはなかなか面白そうだ。冒険者連中に紹介すれば結構はやるんじゃなかろうか。死なない程度で全力を出せるなんてそうそうできないからな。チームワークも個人の力も発揮できるからぴったりじゃねえか。
「手を使っちゃいけないのはあれだが……。なぁ、ちょっとここで一緒にやってみてくれないか?」
「いいっすよ! じゃ、俺からボールを取れたらレイクさんの勝ちっす!」
アキヤマがボールをガッと踏みつけて戦闘態勢に入った。冒険者ではないはずなのに、その姿勢には一切の隙がない。
でもま、所詮は一般人。ボールを奪うだけなら楽勝だろ。
──盗賊の速さを舐めるなよ?
「いただきぃ!」
「んなっ!?」
さっと一瞬で間合いを詰めてボールに足を延ばす。アキヤマは取られまいと必死に抵抗したが、うまくボールを保持できず後ろへと逃してしまった。
ぽーんとボールが飛んでいく。
アキヤマよりも早く態勢を整え、風を纏って着地点に向かう。アキヤマは動けていない。俺はすでに一歩を踏み出している。ここから挽回しようったって、どう考えても無理だろう。
なんだ、やっぱり楽勝じぇねえか。
……そう思ったのが、良くなかったんだろうな。
「させないっすよ!」
「嘘だろ!?」
着地点に先回りし、余裕をもって受ける予定だったというのにボールは明後日の方向──アキヤマのもとへと戻っていった。
跳ねる軌道は明らかにおかしく、それがアキヤマの仕業だと気づくのに時間はかからない。よく見れば、ボールの着地点は酷く擦れたような跡があった。
「ヒールでスピンをかけました。サッカーにはこういうテクニックもあるっす!」
その言葉で悟る。アキヤマはボールを逃したんじゃなくて、あえて後ろに放ったのだと。俺がそのボールに追いつくことを見越して、スピンをかけたのだと。
「正直速すぎてびっくりしました。……もう通じませんけどね!」
「言ってろ!」
かかとに触れさせないよう、正面からつっこむ。俺の頭の上にボールをループさせてかわされた。
上を潰して飛び掛かる。足の甲で器用に保持したまま、ひらりとかわされた。
体ごとぶつかるようにして襲い掛かる。ちょこまかとした動きとフェイントに翻弄された。
「やりますねっ!」
「お前が言うか!」
なりふり構わず冒険者としての肉体をフルに使い、あらゆる角度──前後上下左右から波状に攻めたてる。そのすべてにおいてアキヤマはボールを保持し、弄び、そして優雅に舞い続けた。
「ボールをよこせぇぇぇっ!」
木々を利用し三次元的に攻め込む。三角飛びの応用で森の中をボルバルンのボールのように跳ね回る。大道芸人もびっくりな動きで攻め続けたというのに──触れることすらできない。
「レイクさんすごい……!」
「よっちゃん、オレはぁっ!?」
「余裕ぶってんじゃねぇっ!」
ボールに食らいつく。離される。
ボールに食らいつく。離される。
「はぁっ!」
「そらっ!」
何度も応酬を繰り広げていくうちに、俺の中にある感情が芽生えてきた。
さっきまでは闘争心しか感じられなかったけど……なんかすっげぇ楽しい!
「もう一度だっ!」
ボールを追うたびに心が躍る。
足を踏み込むたびに血が滾る。
アキヤマのテクニックを見るたびに……なにか熱いものが体を駆け巡った。
これが、サッカーなのか……! すっげぇよ……! なんかしらんがとにかくすっげぇよ……!
「へへっ、完敗だ……!」
結局、どうがんばってもアキヤマからボールを奪うことなんてできなかった。だが、不思議と悔しい気持ちはない。何か大いなる人仕事を終えたかのような、満ち足りた気分だ。
「おまえのテクニック、賞賛に値するぜ……!」
「レイクさんの身体能力も、すごかったですよ……!」
互いに汗ばんだ手でがっしりと握手する。友情を超えた何かでつながれた気がした。マスターたちとは別の、男同士の熱い何かだ。
「ほへー……。よくあれだけ動けましたね」
「俺の仕事は体が資本だからな」
ああ、なんか気分がすっげーすっきりした。冒険でお宝を見つけた時よりもいい気分かもしれない。
「そうだ、せっかくだから記念にこれやるよ。本当は俺のおやつにでもしようと思っていたんだが、そっち、今あんまこういうの持ってないんだろ?」
ふと思い立って懐から毒消し薬の瓶を取り出す。瓶っていっても手の中にすっぽり収まるくらいの大きさで、おまけにマスターのところで見るような透明できれいなやつなんかじゃない。もっと濁った色をした粗い作りのものだ。
「なんすか、これ?」
「蜂蜜。疲れた時に舐めるとうまいんだ」
ちょうどいい大きさだから捨てずにとっておいた容器に詰めたんだ。ちょっと高価だから贈り物としてはふさわしいし、こないだたくさんとったからまだまだ余裕はある。それに、なくなったらまた取りに行けばいいんだし。
「ありがとっす!」
「あたしも貰っちゃっていいんですか?」
「気にするな。楽しいひと時のお礼さ」
ぐぅっと伸びをする。運動した後の心地よい疲労感が最高だ。これでマスターのところで休憩できれば最高なんだがな。
「じゃ、そろそろオレたちも戻る? ちょっと休憩したいし、昼飯の準備もしないといけないしな」
「んー……ご飯はまだ心配しなくていいと思いますけどね」
「お、戻るのか? よかったら送るぜ」
「いいんですか?」
「ああ、暇だし仕事でもあるしな。あとぶっちゃけると、おまえらと話をしたいんだ。俺さ、じーさんに血腥いのとか見せないようにしろって言われたもんだから、てっきり接触禁止で陰から護衛しろって意味だと思ってたんだよ」
そんなわけで昨日一昨日と日中はほとんど人と話していない。せっかく面白そうなセイトがいっぱいいたってのに、俺だけがお預け喰らってたんだ。
ちょっとくらい、いいよな?
「じゃ、お願いします!」
「おう、任せろ。何が出ても蹴散らしてやるぜ?」
「なんだろ、この妙な安心感……?」
アキヤマとよっちゃん、二人と並んでゆったりと森を歩いていく。“くりーむそーだ”はとてもすばらしいということ、サッカーやこの野営訓練のこと、そしてガッコウのことなんかを歩きながら話した。そのおかげでガッコウに関するいくつかの情報があきらかになる。
読み書き計算、歴史に地理。ガッコウでは定期的にこれらの厳しい実力テストが行われる。これらに合格できないと軟禁状態にされ、ノルマを達成するまで自由を奪われるらしい。
さらにはテスト前の極度の緊張と疲労でフラフラになっているところを、鬼教官が冷たく嘲笑って死の宣告を告げるそうだ。そして、基準を満たさなかったものは容赦なく粛清が施されるらしい。
己が肉体、そして技術とチームの結束を示す祭りもあるようだ。勝者にはただ名誉のみが送られ、敗者は絶望のどんぞこに叩き落とされるとのこと。敗者はその屈辱を胸に翌年に復讐を誓うらしい。
ブカツは酷暑の炎天下でも行われ、地獄のシゴキが精神を蝕み、みながそれを乗り越えることで尋常ではない実力と結束を生む。早朝訓練もあるそうで、冬場は凍え死にそうになるそうだ。
……やはり、エリート兵士の特殊訓練施設なのか? さっきから物騒な単語ばかりが飛び交っている。
詳しいことはアキヤマも言えないのか、ときおり隠語を混ぜたり暗喩を用いて話をしていた。
「散々計算した結果0=0になったり、力が釣り合わなくて摩擦のない滑車が空に向かって吹っ飛んだり、解き放たれた鉄球の質量がマイナスになってこの世の物でなくなったり、求めたはずの体積が虚数になって世界が崩壊したり……」
「……」
「しかも解説が『自明だから省く』ってあるんすよ!? ああもう、理系なんて選ぶんじゃなかった! 理系のみんなが頭良いとは限らないのに、連中はそれを全然わかっていないんです!」
「あたしは文系科目より理系のほうが好きだけどな~。……文系ってなんかふわふわしていて解説に納得できないんですよね」
摩擦のない滑車が空に吹っ飛ぶ……なんのことだ? 体積がキョスウになって世界が崩壊する……なにを示している?
うん、深く探らないほうがよさそうだ。変なこと見つけたら大きな何かに始末されちまうな。
そんなこんなと話しているうちにやがて拠点に到着する。やっぱり何人かしか残っておらず、残りは森に繰り出しているらしい。
ふと見渡してみるとじーさんが煙の出る櫓の前で火の番をしていた。さらにその近くでシャリィとシャリィよりちょっと大きいくらいの女の子がボール遊びをしている。
どうやら遊びながらなにかうまいものを作っているらしい。うまそうになにかを口に運んでいるのが見えた。
「よし、割り込もうぜ。うまくすりゃうまいもんにありつけそうだ」
「いいっすね!」
「あれは……シャーベットかなにかかな?」
ウキウキとして俺たちはその場へと向かう。この時の俺はこの後の展開なんて想像すらしていなかったんだ。
20161226 誤字修正
レイクさんのその後は園芸部にて。
サッカーやろうぜ!




