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冒険者とマシュマロ(フルーツリキュール)

二話連続更新。

いっこまえからみてね!

もう一つのサブタイトルは

『冒険者とフルーツリキュール』です。

流れ的には園芸部の44、45のすぐ後ですので、そっち見とくとちょっといいかも?


勢いでやった。

★でフルーツリキュールに入りちょっと雰囲気変わります。

前みたいな残酷描写はないけれど、一応注意。

もちろん★前でもいつもと同じくらいの文量はあります。

「でもよぅ、なんだってあんな真似したんだ?」


「差し入れとはいえ仕事中だからねェ。酔ってもちゃんと動けるか試したかったのさ」


 焚火の近くに腰を下ろした夜行さんがにこにこと笑いながらそう言った。その眼はどこまでも穏やかで、とてもさっきの殺気を放った人物とは思えない。いったいどれほどの修練を積めばあそこまでの物を身に着けられるのだろう。この人は、本当に何者なのだろうか。


「じゃ、なんだ? あそこでミスティが起きてなきゃお預け喰らってたのか?」


「その通りさね」


 瓶は三本。中身は全部違うらしい。


 この人数で飲むのにはちょっと足りないかもしれないが、あくまで息抜き程度だからむしろこれくらいがちょうどいいだろう。


 先ほどまで青い顔をしていたマスターもいくらか落ちついて、アミルとミスティの間に腰を下ろした。なにやら大きな箱を肩から下げている。クーラーボックスという代物らしい。


「あの声は? 何かの技術なのか? 私はいろんなところを旅してまわった自負があるが、あんなことを出来る人なんて見たことがない」


「技術と言えば技術さね。腹話術に変声術さ。簡単に言えば音で相手を騙す術で、練習次第で誰でも使えるよ」


 ハンナが出会った二人はそういったすごい技術を習得するブカツに入っているらしい。


 調理やお菓子作り、園芸を学ぶブカツもあると聞いたが、私も入れてもらえることはできるのだろうか? アルじゃないが、学んでみたいことがたくさんある。


「夜行さんも何か入っているのかね?」


「ああ、私は文化研究部さ。ユメヒトと私の二人だけしかいない部活だけどね」


 様々な文化──主に彼らの故郷の古い文化を学び実践するブカツだそうだ。こちらで喫茶店を営むのは異国の文化を学ぶ一環らしい。


 しかし、二人だけのブカツか。なんだかすこし寂しいな。


「おいじいさん、それよりさっさと酒飲もうぜ。肴もあんだろ?」


 待ちきれなくなったバルダスが酒をせっついた。なんだかんだで夜行さんが酒を持ち出すことなど初めてのことだ。きっとここらにはないうまい酒なのだろう。彼らの故郷の地酒だろうか。


 くすくすと笑った夜行さんは顎でマスターを指した。


「それでもいいが、まずは甘い菓子を食べないかい? 酔う前に食べたほうがいいと思うんだけどねェ」


「あたし、そっちのほうがいい!」


 夜行さんに促されてマスターがその箱から何かを取り出した。自然と全員の視線がマスターの手元へと行く。


「ええと、本日のお夜食の《マシュマロ》です。こういうときの定番のお菓子なんですよ」


「わぁ……!」


 なんだろう、アレは……。


 薄いオレンジ、いや、火に照らされただけでたぶん白だ。“ざらだま”と同じくらいの大きさの、指で簡単につまめる可愛らしい形をしている。それが皿にコロコロと揺れながらたくさん乗っていた。


 本当に見た目はただの白くて丸い何かなのだ。いや、球という言い方では少しおかしいかもしれない。よくよく見れば楕円っぽくなっている。


 私が今まで見た中で一番近い例を挙げるとするならば猫の肉球だろうか?  あれを一つずつ取り出して白く染めたのなら、こんな感じになると思う。


 “ましゅまろ”には粉が塗してあるようで、皿にはうっすらと白い化粧のようなものがチラついている。塗されたそいつは“ざらだま”とは逆に、なんとも柔らかそうな見た目をしていた。


「小さくって柔らかくって、なんだか可愛いですね!」


「おねえさん、この触り心地癖になりそう」


 毎度のことながら、初めて見る物は味の予測ができない。“むーす”でも“けーき”でも“ぜりー”の類でもない。こういうのを見ると、自然と唇が吊り上ってしまう。騎士を辞めてよかったと思える瞬間だ。


「最初は普通に食べてくださいね」


 その言葉に歓喜に震えそうになる。つまり、食べ方は複数あるということだ。これで喜ばないやつがいるだろうか、いやいない。


 押しつぶしてしまわないようにその小さな白い幸せの塊を指でつまむ。赤子の頬のように柔らかく、羽のように軽い。儚げなそれが身をくねらせて、私を食べろと誘ってきた。


 ──誘われるまでもないさ。


 その瞬間をかみしめるように、慎重に口に運ぶ。


 世界が弾けた。



あまい。


やわらかい。


いとしく。


なつかしい。


そんな、たからものだ。


「うまい……!」


「それはよかった」


 夢見心地とは、まさにこういうことを言うのだろう。


 最初に感じたのは甘い粉だった。すごくきめ細やかなもので、舌に触れた途端に粉っぽさが消えてしまうのだ。


 なんだろうな、粉なのに粉という感じがしない。砂糖……ともまたちょっと違う。ほんのりと、優しい味がするんだ。


 そんな淡いベールの中にあったのはプルプルとした何か。そう、驚くべきことに粉の下はプルプルとしていたのだ。


 もっちりと、ふにゅんとしたそれは生涯で感じたことのない感覚。もしかしたら、これは本当に天使の頬の感覚なのかもしれない。


 舌で軽くそれを押すと、優しく跳ね返してくる。歯でかみしめるのがたまらなく惜しい。


「……!」


 そして、甘い。


 “くりーむ”のような派手な甘さではない。“きんぎょくかん”のようなお淑やかな甘さでもない。ましてや“ぐりよっと”のようなビターさを含む甘さでもない。


 強いて言うなら……天使の甘さだ。


「なんか……落ち着くな」


 エリィの言葉に全面的に同意する。たしかにこれはこういう場で食べるのにこそふさわしい。


 口にゆっくりと薄く染み渡っていく甘さ。ふっと抜けていくおぼろげな風味。かといって、決してそれが主張していないというわけではない。


 一歩下がって、優しく見守ってくれる……そんなかんじだ。


「面白い食感だよな、これ」


 固い決意を持って私はそれを歯で押しつぶした。くにゅうん、とじっくりとそれは身をくねらせ、最後に断ち切れる。上等のクッションをかみしめたとしても、この幸せの境地にはたどり着けまい。


 “ましゅまろ”の中は外側とわずかに味が違うように感じられた。粉がないせいだと思う。舌に触れたところがつるつるてかてかして、面白い食感になっている。局所的な“ぜりー”……とはちょっと違うが、まぁそんな感じだ。


 しかしまぁ、なんと不思議な食べ物なのだろう。味もさることながら、この舌触りと歯ざわりは想像すらできなかったものだ。いったい何を材料にしているのやら。まさかスライムを使っているわけでもあるまいし。


「マスター、こいつはどうやって作ったんだ?」


「砂糖と卵白、あと水あめ──飴のもとになるやつに、ゼラチンって言う、ぷるぷるの素を混ぜ合わせたりして作るんですよ」


「ふむぅ……。混ぜ合わせるだけなのか?」


「基本的には、ですけどね。混ぜて熱して型に入れれば出来上がりです」


「ならば、“ぜらちん”と“みずあめ”さえあれば私でも作れるのかな?」


「うーん……。できなくはないと思うんですけど、これ、手順が簡単な割に調整が難しいんですよ。結構力も使いますし、失敗するとベタベタになったりうまくまとまらなかったりしますし。それにこっちには設備がありませんから」


 申し訳なさそうにマスターが笑う。きっと今の私はあからさまに残念な顔をしていることだろう。これならいけると思ったのだがな……。


 しかし、作るのに力がかかるとはどういうことだろう。混ぜるだけではないのだろうか? それとも、“ぜらちん”はとても硬いものだったりするのだろうか? お菓子作りには謎が尽きない。


「マスター、もういっこ!」


「はは、もちろん。ただし、もう一個の食べ方でやりましょうか」


 マスターはどこからか鉄串を取り出した。暗器にもなりそうな、細く鋭いやつだ。それの先端に“ましゅまろ”を一つ、ぐさりと刺す。


 柔らかい天使が貫かれて、なんだかとても痛々しい。


「これ、キャンプとかで火で炙るのが定番なんですよ」


 人数分を串に刺したマスターはそれを私たちに手渡す。そしてお手本を見せるかのように焚火にそれを近づけた。私たちもそれに倣い“ましゅまろ”を火にあてる。


 天使が火炙りにされているようで、胸が張り裂けそうになった。


「マスター、本当にこうしないとならないのか? 変な話だが、私はこれに情が沸いてしまったかもしれない」


「じゃ、セインだけそのまま食えばよくね?」


「だいたい、食べたセインが言っても説得力ないよね」


アオン!


「む、むぅ……」


 言われてみれば確かにそうだ。ここは心を鬼にして耐えねばなるまい。


 じりじりと時間だけが過ぎてゆく。誰も何も言わずにぼうっと火を見つめていた。


 梟の鳴き声が遠くの方で聞こえる。パチパチと薪が跳ねた。ちょっと離れる。


 妙に月のきれいな夜だった。見惚れるような満月だ。


「おお……!」


 やがて変化が訪れた。


 いや、実際はそう長い時間は立っていなかったのかもしれない。ともかく、白い表面がわずかに茶色く焦げ始め、あたりに胸を焦がすような甘い香りが漂い始めたのだ。


 特徴的なその香りは、まるで私たちが森ではなくどこか素敵な場所にいるかのように錯覚させる。原始的な、飾り気の全くない、まっすぐな甘い香り。


 ──天使が、悪魔に化けた瞬間だ。


「あんまりやると黒こげになっちゃうので、適当なところで食べてくださいね」


 黒こげになる、と聞いた瞬間に私たちはそれを火から遠ざける。夜行さんがその様子をみてケラケラと笑っていた。彼はもうちょっと炙るのが好みらしい。


 どうせまだまだ量はあるのだ。まずはこれくらいの焼き加減で行こう。


 全てを飲み込む龍のように、私はそれに食らいついた。


「おいしいっ! 甘さがすっごくすっごく変わってる!」


「食感も変わってるな! なんだろう、とろりとしていて言葉に出来ない!」


 それだけではダメだ。香ばしい、というのを付け加えないと。


 茶色く色づいたそこが何とも言えない香ばしさを放っている。嗅いでいると胸がどきどきしてくるような魅惑の香だ。以前自宅で菓子を作ろうと試みて砂糖を焦がした時もこんな香りがしたのを覚えている。


 あのときは結局砂糖が落ちなくて、鍋を買い替える羽目になったっけ。


 ちょっぴり熱いとろりとしたそれは舌に絡みついてくる。なんとも不思議な心地よい感じだ。


 これは……中にあったぷるぷるが溶けたものか? いや、“ましゅまろ”そのものが溶けているのだろうか。


 甘さはさっきのものとは一味も二味も違う。熱いもの特有の甘さというものを私は今初めて知った。


 焼く前と焼いた後、どっちがいいかなんてとても決められはしない。自信をもってどっちもいいと言える。女神に誓ってもいい。


「……」


 私は無言で新しい“ましゅまろ”を突き刺し、火にあてた。やはり突き刺すなら魔物じゃなくてこれのほうがいい。火にあぶるなら、スウィートドリームマッシュじゃなくて“ましゅまろ”のほうがいい。アレも甘いはずなのに、どうしてこうも違うのだろう。


 焼きあがる瞬間をまつのがとても愛おしい。親が子供の成長を見守る、というのはこういう気分だろうか。


 たしかに夜に仲間と火を囲んで食べるのにふさわしいお菓子だ。冬の夜に本でも読みながら暖炉の前で食べるのもいいかもしれない。


 暖かい空気が、今この場に流れている。仲間とそれを共有できることが、たまらなく幸せだ。


 ──よし、明かりの魔道具と高めのロッキングチェアを買っておこう。


 あまり広いとは言えない我が家だが、冬にマスターを招待して、ボードゲームでもしながらこいつをつまむとしよう。はは、シャリィに暖炉の暖かいところを取られてしまうだろうな。


 ああ──うまく言葉に出来ないが──本当に幸せだ。


 甘い香りが立ち込める。うっかりしていた私は、溶けかけた“ましゅまろ”を火の中に落としてしまった。可笑しくなって笑ってしまったのは、もはやしょうがないことなのだ、




★★★★★










「ふう……」


 ひとしきり楽しんで、私は息をついた。まだまだ“ましゅまろ”は残っているが、一気に食べてしまうのはバカのすることだ。今寝ている連中の分も残しておかないと、あとで何を言われるかわからないからな。


「ふわぁぁ」


「マスター? 眠いのか?」


「はは、実はまだ一睡もしてなくて。ホントはちょっと寝る予定だったんですけど、話が……盛り上がっちゃって?」


 眠たそうに眼をこするマスター。どうやら友人同士で話をしていたらしい。


 忘れがちではあるが、彼もセイトなのだ。同じ年代の者とバカ騒ぎするのも若者の特権だろう。


 いかん、なんだか年寄りの思考になってきている。私だって一応はまだギリギリお兄さんで通る年齢のはずなのだ。……幾分老けて見られることが多々あるが。


「お酒出したら戻るから、もうちょい待ってな」


「ふわぁい」


 夜行さんがとくとくとグラスに瓶の中身を注いだ。ほわんと甘い香りがこの場の全員の鼻腔をくすぐる。フルーティで、上品で……とても酒場の安酒とは比べ物にならない。


 ごくり、と誰かの喉が鳴ったのが聞こえた。誰の物かは、わからない。


「《フルーツリキュール(果実酒)》さね。キルシュ──さくらんぼ酒もどきと梅酒、あとこいつはなんだったかな?」


「ベリーか桃じゃありませんでした?」


 果実酒だ。リキュールというやつだ。もしかしたらブランデーなのかもしれない。


 ええい、今はそんなのどうでもいい! 香りだけでわかる! 絶対私が今まで飲んだ酒の何よりもうまい!


「おねえさん、これ大好きになっちゃったんだよね」


「おじーちゃん、あたしにもちょっとだけちょうだい? 一口だけ、飲んでみたいの!」


 前教えてもらったが、ハンナは以前見栄を張って苦いエールを一気飲みしてフラフラになってしまったことがあるらしい。新人が必ず通る道だ。


 まずい安酒なんて最初は飲むべきでないというのに、若いのはなぜだか酒に憧れを持つ。飲み方を知らなければ、酒は毒に等しいのにな。


「おや、マスターは飲まないのか?」


「ああ、僕は飲めないんですよ。故郷での決まりなんです。子供は飲むなって」


「そういやそんなようなことを言ってたなぁ」


「でも、乾杯できないじゃないですか。せっかくだから一緒に何か飲みましょうよ」


「あー……じいさん、レモンスカッシュいい?」


「いいんじゃないかね。ただし、ほかの連中には内緒だよ」


 マスターが喫茶店へと入っていく。明かりの魔道具をつけ、ごそごそと中で作業しているのが外から分かった。


 やがて、氷の入った“れもんすかっしゅ”のグラスをもって出てくる。その数二つ。なぜだか夜行さんの分も持ってきていた。夜行さんはちょっと残念そうな顔をしている。


 ……いや、まさかな。


「じゃあマスター、乾杯の合図をお願いします!」


「ぼ、僕ですか?」


「だってマスターじゃないですか」


「そうだそうだ、景気いいのを一発頼むぜ!」


 レイクがはやし立てる。きっとこいつは酒の席では盛り上げ役を務めるのだろう。そういえば、このメンツで飲むのも今日が初めてだ。意外な一面が見られるかもしれない。


「じゃあ……みなさんに出会えた奇跡と、依頼の無事達成を祈って……この素敵な星空と満月に乾杯!」


「「か、かんぱーい!!」」


オン!


 ぶっとレイクが噴出した。がはは、とバルダスが大口を開けて笑った。ミスティは腹を抱えて笑い、ハンナもひいひいと息を切らして笑っている。エリィは肩を震わせて笑いをこらえ、アミルは顔をそらして笑っていた。


 私もにやける口元を抑えるので精いっぱいだ。


「な、なんだよそのセリフ……! マスター、やっぱあんた最高だよ!」


「キザ……っ! すっごくキザ……っ! そんな挨拶初めて聞いたわ!」


「お、おねえさんお腹が攀じきれそうだよ……っ!」


「え、ええ?」


 よもやいまどきこんな乾杯の音頭を取る人間が現存していようとは。戯曲の中でだってそんなセリフは言わないぞ。


 ああ、なんだかすっごくうまい酒が飲める気がする! こいつは愉快だ、最高だ!


「だ、だってこういうの初めてなんですよ!」


「マスター、オレこんなに笑ったの久しぶりだ! 『出会えた奇跡と満月と星空に乾杯……!』だろ? やっべ、思い出しても腹が捩れる! すっげえ腹筋鍛えられそうだ!」


「安心しろ、マスター。マスターでなければあのセリフは……。くっ……『星空に乾杯』は……で、できない!」


「か、かっこよかったですよ、マスター!」


 真っ赤になってマスターがうつむく。少年らしいあどけなさがそこにはあった。うん、やはり酒を飲む席はこうでなくては。


 グラスにもう一度口を近づける。さっきは笑ってそれどころじゃなかったが、上品な、芳しく甘い香りが私の鼻先をくすぐった。なんだろう……甘く切ない気分になる。


 グラスを傾け舌の上にそれを乗せる。口当たりが良くまろやかだ。酒特有の苦みなんて全然なくてすごく飲みやすい。そしてフルーティだ。これなら飲みなれてないものや女性でも好きになれるだろう。


「梅酒だね。おねえさん、さっき飲んだ中ではこれが一番気に入ったんだよ」


 私の知らない果物だ。その梅とやらは酒の神に愛されているのだろう。甘みと果物の酸味、そして酒特有の酸味のバランスが素晴らしい。


 一口飲むたびに、少しずつ体が温まってくる。これは安酒場でわいわい騒いで飲む酒ではなく、高級酒場で静かに飲むタイプの酒だ。


 マスターじゃないが、月を見ながらテラスでぐびりとやるのが似合う。


「おじーちゃん、これ本当にお酒なの? 前飲んだのよりずっとずっとおいしいっ!」


「前飲んだってのはエールだろうね。安酒場のエールってのは味を楽しむための物じゃなくて、酔うためだけの物なのさ。酒の味を知らないやつにはつらかったろうねェ」


「へー。これがお酒なら、あたし毎晩でも飲みたい!」


「ほどほどにしとかないとダメだよ。酒は飲んでも飲まれるなって言われているさね」


「じいさん、なんでそんなに詳しいの? まさか……」


「はっはっは、法()犯しておらんよ。それこそ私自身、そしてこのセカイの神に誓ってね」


「神はともかく、自分に誓ってどうするのさ……」


「じゃ、奇跡と満月にでも誓うとするかねェ」


「お願いしますもうやめて……っ!」


 芳醇な香り──これこそが梅の香だろうか。切なく、甘く、酸っぱい。酒というよりかはジュースに近い。でも、酒だ。のど越しもよくてごくごく飲める。なのに、酔う。


 私が今まで飲んでいた酒とはなんだったのか? これに比べれば、あんなもの酔うだけの苦い水だ。


「うめえよなぁ……」


「ああ……エールをがぶがぶ飲むのもいいけど、こいつも侮れねえ」


「夜行さん、これはお金を出せば出してくれるのか?」


「こいつらは一応菓子作りに使うやつだからねェ。出せと言われてすぐ出せないこともあるさね。それに、さすがに昼間から酒を出すつもりは毛頭ないよ」


 それはそうだろう。昼間から酒を飲むなんてただの屑じゃないか。


 そういえば、私が左遷された理由はそんな屑副長をぶん殴ったことだったっけ。あれからずいぶんとたったものだ。ああ、殴っておいてよかったと心の底から思えてきた。


 ぐびっと一気にグラスを呷る。この楽しい席で嫌なことを思い出す必要もあるまい。


 次の狙いは──あの酒だ。


「ミスティ、そっちのボトルも取ってくれないか?」


「……」


「ミスティ?」


「せいん」


「?」


「おねえさん、きれい? まだわかいよね?」


 目元が赤い。というか顔全体が赤い。ついでに頬も緩んでいる。


 こいつ、酔ったな。


「エリィ、彼女は酔っているのか」


「だろうな。意外と酒には弱いらしい」


 まだ二杯も飲んでいなかったと思うのだが……。そんなに強い酒でもないのに、こうもなるものなのか? ハンナなんて怖いものを見るかのように見ているじゃないか。ラズに至っては、ご主人様を正気に戻そうと太ももにかみついている。


 ……うん?


クゥ~ン


「ラズも酔っているねェ。こいつが酔いやすいのはご主人様譲りだったか」


 性格が似るとは聞いたことがあるが、酒の強さも似る物なのか?


 さくらんぼ酒をぐびりとやる。こっちは酸味が少なめで甘みが強い。さくらんぼの甘みとアルコールがよくあっている。


 何より香りがすごく柔らかい。菓子の香りづけにでも使えるだろう。幸せで胸がいっぱいになりそうだ。


「おねーしゃんよっちゃったぁ~!」


「ミ、ミスティさん?」


 ミスティが赤い顔してマスターにしなだれかかる。ちょっとあれだが、その、なかなか発育のよろしい彼女のそれがマスターに押し付けられた。


 レイクとバルダスがにやにや笑っている。マスターはわたわたしていた。


「ますたぁ」


「な、なんでしょう?」


「おねえしゃんのこと、すき?」


 ミスティの熱い吐息がマスターの首筋にかかる。びくりとマスターが震えるのが見て取れた。あれで酒臭くなければ最高だったろうに。


「す、好きですよ?」


「うしょだっ! すきならぎゅってしてよ!」


「ひっ……ひっ……もうダメ……っ! じ、じーさん、“かめら”ねえの? こいつ撮っておこうぜ!」


「しかも絡み酒かよこいつ。一番厄介なタイプじゃねえか」


「……あたし、お酒しばらく飲まないことにする。マスター、“ましゅまろ”もういっこちょうだい!」


 マスターがそれを取り出そうとして腰を浮かすと、酔ったミスティは力づくで押し込めて無理やり座らせた。いくら酔っているとはいえ、冒険者なら一般人を押しとどめることくらい楽勝だ。


「にげるなぁっ!」


「えええ……。なんなのさ今日は……」


「レディの相手をするのも紳士の務めというものだよ」


「レディってこんなふうに絡むんですか?」


「……」


 無言で新しいのを注ぐ。ベリー酒のようだ。


 甘みよりも酸味──いや、忘れ香のようなほのかな渋みが印象に残る。それは決して不快なものではなく、むしろなくてはならないものだ。


 鼻に抜ける風味も特徴的といえるだろう。香りも特筆すべきものがある。味わい深い甘さの中に誘惑的な何かが潜んでいる。禁じられた泉で水浴びをするような……いや、城の宝物庫にこっそり忍び込んで昼寝をするような……。うまく言えないが、嗅いでいると胸がドキドキしてくるのだ。


 普通、この手のベリー酒には酸っぱい渋みというかえぐみのようなものがあり、私はあまり得意としていなかったのだが、これには前述したわずかな渋みしかなくとても飲みやすい。ぎゅっとベリーのうまみだけが詰まっている。上等の椅子に座って、注ぐ音を楽しみながら飲みたいものだ。


 ああ、酒がうまい。私もいいかんじに酔ってきたかもしれない。


「痛っ!?」


「うへへ~かんじゃったもんね~」


 ミスティがマスターの親指の付け根あたりをかんだらしい。くっきりと歯形がついている。彼女の歯は鋭いから、当分残るかもしれない。


「えへへ~おそろい~」


「本当にこれはミスティさんなのだろうか……」


「マスター、なんか素が出てきてないか?」


「そりゃでますって……。聞いてくださいよ、エリィさん。さっきもテントの中でいろいろからかわれたんですよ。今日、とことんついてないみたいです」


 傷跡の付いた右手をひらひらと振りながら抱き着こうと迫ってくるミスティ。彼女をさけるようにマスターがじりじりと後ずさる。マスターには申し訳ないが、見ていて大変面白い。酒の肴にはぴったりだ。


「そうか……あえて詳しくは聞かないが、その、がんばれ」


「はい?」


 どん、と大きな音がした。


 バルダスとレイクは腹を抱え、地面をバンバン叩いてゲラゲラ笑っている。ハンナは顔を真っ赤にして手で顔を抑えた。指の端からそれをちらちらとみている。


「ますたぁ……!」


「アミル、さん?」


 ミスティ以上に真っ赤になった顔。潤んだ瞳。少し汗ばんだ首筋。


 アミルがマスターに抱き着いていた。こいつもやっぱり酔っている。


「ぎゅーってしてくださいよぅ、なでなでしてくださいよぅ。わたし、かわいくないですか?」


「……」


「モテる男はつらいねェ」


 ああ、月がすっごくきれいだ。まるでこの酒宴のためだけに輝いているかのよう。


 酒が進む。もういっそ、全部飲んでしまおうか。


 酒臭い女二人に挟まれたマスターは顔を真っ赤にしてしどろもどろしている。助けに入りたいのはやまやまだが、酔った魔法使いに手を出すのも恐ろしい。獣みたいな獣使いに絡まれるのももっといやだ。


 騎士もたまには守られたい。だからマスター、身代わりになっておくれよ。


「セインさん、その意味ありげなウィンクは!?」


「おねえしゃんをみろぉっ!」


「えへへ、ますたぁ」


「ちょっ、噛まないで!? 触らないで!? 手を入れないで!?」


「ますたーはおねえしゃんきらいなの? ぼんっきゅっぼんっ! はきらいなの? おふろのとき、じーっとみられてたからじしんあったのに……」


「き、嫌いじゃないですよ? だから正気に戻って!?」


「むふーえっちー」


「……マスター、あのとき見てたのか?」


「見てませんってば! それ別の奴です! 三人ともきれいだって!」


「ほお、面と向かって言われると照れるな。なでなでしてあげようか?」


「この人も酔ってる!?」


「安心しろ、正気だ」


「ウケる……マジウケる……っ!」


「おさけこわいおさけこわいおさけこわい」


「落ち着け、ハンナ。ここまでひどいのはそうそういない。オレが保証する。なんだろうな、周りがこうもアレだと返って冷静になってくるな」


「ますたぁ、でーとのときいってくれたのはうそだったんですか? ずっとずっとわたしだけをみてくれるってうそだったんでしか? ……おおきくないと、だめですか?」


「そうだマスター、こいつとのデートのこと聞かせろよ!」


「おねがい誰か助けて……!」


 アミルがぽんぽんと自分の胸を叩いてミスティの胸を見た。あえてなにがとは言わないが、どどん! とぽん、だ。


 上目づかいで悲しげにマスターを見つめると、マスターは真っ赤になってあからさまに顔をそらした。その様子を見て、アミルはだらしなくにへら、と笑う。


 酒だ、酒を飲もう。飲んですべて忘れてしまうのが彼女たちの為でもある。そうだ、私が飲むのは人を守るためなのだ。そういうことなのだ。


「でもおかしいなぁ。こいつ、昔は仲間と依頼帰りに一杯やるのが楽しみだったって言ってたんだけどな」


「それ、一杯やるのがっていうか一杯だけしかできなかったんじゃねえの?」


「……だな」


「しかも、絡み酒の上に……幼くなってるか? おまけに自己主張も激しくなるときた。どうすんだよコレ」


「私に聞かれても。レイク、おまえは変な飲み癖はないだろうな?」


「ちょっと口が軽くなるくらいだぜ、俺は。意識もしっかりあるし。おまえは?」


「私も特にないな。あんまり酔わない体質なんだ。バルダスは?」


「昔は暴れっぽくなってたらしいが、今はそんなことねえな。酒に強くなったって言うか、酒に慣れてきたんだと思う」


「で、セインが無口になってテンションがおかしくなる、と。行動は奇妙だが、実害がないだけマシだな」


 あの盗賊は何を言っているのだろう? 私は正気を保っているではないか。


 “ましゅまろ”食べて、酒飲んで。月を仰げば完璧だ。歌でも歌うべきだろうか。


 そうだ、この三つの酒、全部混ぜ合わせればもっとうまくなるんじゃないか?


 私はアルよりもかしこくなってしまったかもしれない。酒場で働けば天下を取れるだろう……名前は『騎士の杯』で決まりだな。


 そうだ、天下を取ってやろうじゃないか──この私が!


「すきなたいぷは? おねえしゃんだよね?」


「じゃーじですぅー! にあってるっていってくれたもん!」


「すきなんだろ、おっきいのがすきなんだろー!  ましゅまろみたいにむにゅむにゅだぞー! ぬくやわこくてふっかふかだぞー!」


「ますたぁはわたしのことだけがすきなんだもんっ! わたしだけのおうじさまなんだもんっ! おしろでけっこんしきをあげるんだもんっ!」


「どうすりゃいいんだよこれ……」


「おーおー、勝者の贅沢な悩みですなぁ。あやかりたいもんだぜ」


「ですなぁ。私もそろそろ、顔に傷がつかないうちに恋人と巡り合いたいものだよ」


「意外だな、おめえがそんなこというなんて。実は酔ってんのか?」


「失礼な、私だって女さ。嫁に行けずに売れ残るってのは、龍と相対するより恐ろしいと感じるよ」


「絶対龍のほうがこわいとおもう……」


 恋人と巡り合う……か。今までそんなこと考えたこともなかったな。というか、今の私にそれは必要なのだろうか。


 私の恋人は……酒だ。それでいいじゃないか。何の問題がある。


 ああくそ、私だって青春を謳歌したかったさ。だというのに、私はその大切な時期に自分を捨てて、自分が目指すものへと近づこうとしたのだ。その先に待っている現実は自分の理想とかけ離れているということも知らずに。


 騎士になったことへの後悔はない。だが、騎士ではない、普通の若者としての未来にある種の憧れがあるのも確かだ。


 夢を追うには……もう、遅いのかもしれない。


 ちくしょう。


 誰かが酒を注いでくれた。


 うまい。酒はいつだってうまい。どんなときも。これを恋人と言わずしてなんといえばいいのだろう。


「うーごーくーなー!」


「だいしゅきだからこれくらいもんだいないよねっ!」


「えっなにこれなんでがっちり固められてるの? ミスティさん? このがっしりと巻き付いている腕はなんでしょう? アミルさん? 僕を縛っているやたら丈夫な蔓は魔法ですよね?」


「むふー」


「えへー」


 二人が動くに動けないマスターにじりじりと体を寄せていく。指がマスターの脚、腹、肩、そして顔へと伝っていきぐっと押さえ込んだ。しなだれかかるように──というか今まさにしなだれかかってる状態だ。


 二人分の酒臭く甘く熱い吐息がマスターの顔にかかる。体はぴっしりと寄せられていて、マスターは身動き一つ取れそうにない。顔も近づきすぎていて、視線を動かすこともできはしない。


 アレだ、怯える小鹿そっくりの表情だ。


「……お?」


 赤く、艶っぽい、湿った柔らかなそれらがゆっくりと近づいていく。もう指一本分くらいしか離れていない。


 酒臭い女どもが嬉しそうに目をつむりそれをつきだす。ひゅっと誰かが大きく息を吸い込む音が聞こえた。


 いいぞ、やれやれやっちまえ!


「んーぅっ!」


「んちゅっ!」


 チュッとやわらかい音が静かに大きく響き渡った。


「あ」


「あ」


「あ」


「きゃっ!」


 ほっぺたに湿ったマークが二つ。


 嬉しそうにはにかむ女が二人。酒臭い。表情は緩みきっており、夢でも見ているかのようだ。そのまま二人ともが倒れ掛かるようにしてマスターの肩に頭を乗せた。二人の吐息がマスターの首筋にかかっているのがここからでも見て取れる。


 ……チッ、頬か。つまらねえ。


「酒の勢いって怖ぇなぁ……」


「明日の朝記憶残ってたらすげえことになりそうだよな。どうする? もうこいつらさっさと中に放り込んで寝かせておくか?」


「そうしよう。私とハンナでアミルたちの分まで頑張るさ」


「う、うん……なんか胸がドキドキして眠れそうにないし……」


「はっはっは、ハンナにゃまだまだ早かったかねェ。ま、私らもそろそろ戻るとしよう。ユメヒト、いつまでぼうっとしてるんだ、さっさと立ちな。……ユメヒト?」


 夜行さんが反応しないマスターをいぶかしんで二、三度頬を叩く。


「……」


「こいつ……意識が飛んでる。刺激が強すぎたみたいだねェ」


 けらけらと夜行さんが笑った。レイクとバルダスは笑い過ぎたのか小さく苦笑をしている。彼らももう結構疲れてきたらしい。笑えるときには笑っておかないと損だというのに。


 ほいさ、と声をかけて夜行さんはマスターを軽々と背負った。だらんと下がった腕を前でまとめて、クーラーボックスを肩にかける。


 夜行さんは見かけの割には体力がある。夜の森で人一人を背負って動くなど、老人には大変なことだというのに。


 そうだ、今度私もおぶさってみよう。古都からここまで運んでもらおう。よし、そうしよう。今決めた。


「ミスティさん……お酒臭い……。しかもヨダレ垂らしているし」


「見なかったことにしてやれ。アミルも似たようなもんだ。吐かないだけまだこの二人はマシな方なんだぞ」


 寝息を立て始めた二人を女二人が喫茶店へと連れ立った。夜行さんも忘れ物がないか確認し、おやすみ、と声をかけて森の中へと消えていく。


 さきほどまでの喧騒がうそだったかのように、落ち着いた空気がその場を満たしていた。


「ここの酔っぱらいはどうするよ、おっさん」


「ほったらかしておいていいんじゃねえか? どうせすぐ交代だ」


 ああ、実に気分がいい。月はきれいで、星もきれいだ。この満天の星空の海に揺蕩っていたい。さぞかし気持ちのいいことだろう。


 冷たい風が熱い頬を撫でる。


 私は恋人を抱きしめた。


 一晩くらい、気分のいいまま恋人と共に星屑の海で寝るのもいいだろう。ふわふわして切なく、なによりも大切で抱きしめたくなるもの。それこそが恋人だ。お酒なのだ。


 剣と酒を抱きしめ、星の彼方に思いを寄せる。このまま眠ってしまおう。それがいいに違いない。どうせ、仕事は二人がやってくれるのだから。


「セインの奴、寝てるのか? なんつーか意外だな」


「なんだかんだでこいつも酒癖悪ぃよな。ストレスでも溜めこんでんのかね」


 私の恋人はなにも囁いてくれない。友人たちがぼそぼそと喋っているのが聞こえてくるだけだ。


 でも、それでいいのだ。このふわふわで羽が生えたかのような気持ちなら、なんでもいいのだ。


 ただ、一つだけ願いがあるとするならば──


 意識が薄れていく中で、私はたしかに強く願った。






 ──恋人の抱き心地を、“ましゅまろ”と同じにしてほしい。




 

20150327 サブタイちょっと変更。

20160803 文法、形式を含めた改稿。

20161225 誤字修正。


今は少し反省している。


おじいちゃんが出したお酒はホワイトリカーに各々果実を漬け込んだものです。

本当は園芸部で梅酒の製造をやりたかったのですが、学園物でお酒製造はどうよってことでこちらで物だけ出すことにしました。


マシュマロとってもおいしいよね。

園芸部でも書いたけど、どこまで焼けるかチキンレースをしたっけ。

焦げ付いているところなんてもう最高。


いまいちリキュールだとかカクテルだとかの区別がつかない。

ノンアルコールとかあれは結局飲んでいいのか悪いのか。


最後に一つだけ。


お 酒 は 二 十 に な っ て か ら !

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