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冒険者夜話

めぇとぅりぃーはぁ♪



「うぉっ、ちょぉっ!?」


 私がその女の子の悲鳴を聞いたのは川の近くでした。


 マスターたちの依頼により森に危険がないか見回っていた私は、できるだけ人の多そうなところに行こうと川へと向かっていたのです。いつもは人気がまるでないこの森も、今日だけはどことなくにぎやかでした。


 そして、どんな人がいるのだろう、とひょこっと川をのぞいた瞬間に、私はそれを見てしまったのです。


 森の中を歩くのにはおよそふさわしくない格好をした女の子が、川の近くの滑りやすい坂道で足を取られて体勢を崩していました。


 とっさに、私は魔法を使いました。使ったのは私の得意魔法である植物魔法。女の子の体に素早く蔓を絡ませ、完全に落下するのを阻止します。魔法はなるべく使うなと言われましたが、背に腹は代えられません。いくら暑いからとはいえ、ずぶ濡れになれば風邪をひきます。


 幸いなことに、もともとあの辺には枝や蔓みたいのがたくさんありますから、そう怪しまれることもないでしょう。残念だったのは、それでも片足が川の中へと入ってしまったことです。おまけに、肘のあたりを擦ってしまっています。血が滲んでいてとっても痛そう。


「大丈夫ですか!」


「な、なんとか……つぅっ!」


 蔓に支えられ宙ぶらりんみたいになっている女の子に手を差し出して引っ張り上げます。その女の子の手は指先にいくらか傷があったけれど、お姫様のようにすべすべで、私たち冒険者の手とは比べ物にならないくらい綺麗なものでした。


「あ、ありがとう……ええと、あなたも組合の人?」


「はい、おじいさんに雇われたアミルと申します」


「おい、椿原! 大丈夫か!」


 と、ここで他の人より少し年上の男性がやってきました。マスターの国の人を見るのは初めてなので、本当に年上かどうかはわかりませんが、体格や周りの態度を見る限りではそうでしょう。その方は素足に小石が刺さるのを気にした様子もなく、息を切らしてこちらに走ってきたようです。


「だいじょぶ。この人が助けてくれた」


「それは見てた。……すいません、お手数おかけして」


「いえ、お仕事ですから。それよりツバキハラ、ちゃん? 足のほうは大丈夫ですか?」


「……あんま、大丈夫じゃないかもしれない」


「あちゃあ、だいぶ赤くなっちまってるし、ちょっと腫れてるな」


「さやちゃん、大丈夫?」


「荒根先生、赤く……というか、挫いてるのでは?」


 今度はマスターと同じくらいの年齢の、魔晶鏡をかけた男の子と明るい印象をもつ女の子がやってきました。男の子のほうはツバキハラちゃんの足をしげしげと見つめ、魔晶鏡のブリッジを二つの指でくいっと押し上げました。


「うわ、本当だ……椿原、ちょっと触るぞ。痛かったら痛いって言え」


「ん、問題ないです……いったぁ!?」


「軽い捻挫だな。これくらいなら今日一日ゆっくりすればなんとかなるだろ」


「せんせー、女の子にひどーい!」


「桜井、先生は傷の具合を確認しようとしただけで痛めつけようとしたわけではない」


 ツバキハラちゃんは涙目になっています。出来るのなら回復魔法でもかけてあげたいところですが、生憎そんな高尚なものは私には使えません。そもそも、回復魔法は使える人が少なく、その大半は冒険者ではなく治療院で働いています。


「よし、とりあえず深空先生のところに行こう。おぶるからしっかりつかまれよ」


「や、さすがにそこまでは大丈夫ですって」


「なんだ、お姫様抱っこのほうがいいのか?」


「まだおんぶのほうがマシ……というか、魚とってもらわないとアタシたちの食べるものがないでしょ? 本当に大丈夫ですって」


「せんせー、私と穂積くんで連れて行くから、せんせーたちはお魚とっててよ」


「そのほうが全体効率的にもいいでしょう。ここであなたが抜けるのは大きな損害につながる。第一、監督者もつけずに生徒を川遊びさせていいんですか? 事故があったら大変ですよ」


「そう言われると言い返せねえのが情けないな……。だけど、三人できちんと帰れるのか?」


「あ、私が護衛していくので大丈夫ですよ」


 そう、私は護衛依頼を受けた冒険者なのです。ここは私が率先して動くべきでしょう。いくらここが新人でもなんとかできるレベルの森とはいえ、一般人がけが人を連れて行動するのはいくらか不安が残ります。


「じゃ……すみませんが、よろしくお願いします」


 ツバキハラちゃんに肩を貸すサクライちゃんとホヅミくんの後ろを守るようにして四人でキャンプ地へと向かいます。途中でお話をしてわかったのですが、ツバキハラちゃんは裁縫の名手で、サクライちゃんはなんと、音楽の名手だというのです!


 ホヅミくんは“ぱそこん”の名手らしかったのですが、新手の魔道具でしょうか? なにやらとてもすごいということはわかったのですが、イマイチなんのことなのかわからなかったのは残念です。


 そして、歩くことしばらく。


「……誰だ?」


 突然、誰かの声が聞こえました。とっさに杖を構え直し、臨戦態勢をとります。ところが、私の行動は杞憂に終わりました。


「あ、華苗ちゃん! やっほー!」


「む? ああ、食糧問題は解決したのか。楠、八島に柊とは珍しいな」


 茂みの向こうにいたのは三人。シャリィちゃんより少し上くらいの女の子に、そのお兄ちゃんでしょうか、隙のない動きを──合気道の動きをもつ少年。そして日焼けした大柄の、おっかない顔をした男性です。


 たぶんセイトの一人でしょうけれど、念のために杖をいつでも振るえるようにしておきます。盗賊の類がおとりを使って後ろからグサリ、なんてわりとよくある話ですからね。


「どうも、おじいさんに雇われたアミルっていいます。短い間ですけど、よろしくおねがいしますね」


 一言二言会話をすると、やっぱりセイトだということがわかりました。女の子のほうは私の顔が珍しいのでしょうか、見上げるようにして見つめきます。ちょっとだけ仕草がシャリィちゃんと似ていてかわいいです。やっぱり妹が欲しかったなぁ……。


「とりあえずは俺たちはキャンプに戻ろうと思っているんだが、お前たちはどうするんだ?」


「…川に行って、水を汲んだり木を拾ってこようかと。昼飯のほうは順調なようです。もうちょっと時間がかかりそうですが」


「お昼? メニューはなぁに?」


「ピザみたいですよ」


 なにやらおいしそうなお話をしていますね。ピザと言えば私も食べたことは何度もありますが、マスターたちの故郷の基準で言えばピザすら違うものになってしまうでしょう。


 ……あれ、ホヅミくん、さっきクスノキって言いました? クスノキってマスターの親友の方でしたよね? 年齢的にも、こういってはなんですかガラの悪さ的にもなんかしっくりこないような……。


 まぁ、あとでマスターに聞けばいいですか。今は任務遂行のほうが大事です。


 適当に挨拶を返して、私たちは彼らと別れました。









「深空せんせー、もしくはおじぃちゃーん!」


「あら、春香ちゃん。呼んだ……って、どうしたの!?」


「椿原が川で足を滑らせて軽い捻挫をしました。患部がわずかに腫れ、強く触ると痛みが走るそうです」


「大丈夫? 他にどこか異常はない?」


「すっごい痛いけど、まあ大丈夫です」


「……ん、本当に軽い捻挫みたいね。冷やして、固めておけば大丈夫でしょう。でも、今日はもう安静にすること。ええと、生徒たちをここまで連れてきてくれて、どうもありがとうございます」


「いえいえ、これがお仕事ですから。大したことなくてよかったですね、ツバキハラちゃん」


 さて、これでひとまずは任務終了です。部外者があまり長居してもみなさんはいい気持ちしないでしょう。最後にちょっとだけ、ぐるりとあたりを見回しました。


 拠点はすさまじいことになっています。見たことのない素材でできた大きな天幕が四つに、真ん中ではお手製の台でなにやら調理をいろいろとしています。焚火の煙がもうもうと立ち込め、工具を用いて工作をしている人に降りかかっていました。


 そして、なぜか二匹の鶏さんが地面を突きながら歩いています。


 ……なんででしょう? とりあえず、頭を撫でておきました。


 二匹とも、嬉しそうにこっこっこ、と鳴いています。せっかくですので、森で見つけた木の実を小さくして二匹の目の前に置きます。二匹とも、おいしそうに木の実をついばんでいました。


 そんなことをしていたら、聞きなれた優しくて甘い声が響きました。


「あ、やっぱりアミルさんだ」


「……マスター!」


 にこにこ笑顔の素敵な、漆黒の瞳に茶髪のマスター。いつもと違う、マスターの故郷の民族衣装らしき衣装に身を包んでいてとてもかっこいいです。いつものはどことなく優雅な格好ですけれど、今日のはラフというか、動きやすそうな活発な印象を受けます。ううん、どっちのマスターも素敵ですよね。


「珍しいなぁ、あやめさんとひぎりさんが初対面の人になついているなんて。アミルさん、なにかしたんですか?」


「いえ、ちょっと撫でただけですよ」


 こうして喫茶店のお外でお話しする機会は意外と少ないです。……ちょっと前に、デート、しちゃったんですけどねっ!


 自然と頬が緩み、笑顔になってしまうのがわかります。マスターの笑顔も、今日はいつもよりやわらかい気がしました。


「くぉら、夢一ぉ! なーにサボってる、の……」


「佐藤くんがいちゃいちゃしている……? あの鉄壁の佐藤くんが……?」


 と、後ろから女の子が二人。二人とも黒に茶が少し混じったふわふわの髪をしています。私から見れば顔はすごく幼げに見えて、うまく言えませんがとってもかわいいです。


 ……でも、なんだか、マスターととても親しげな様子です……よね?


「い、いや、これは……!」


「ねぇねぇ? これってもしかしてもしかしちゃうかんじ?」


「女の子に興味がないんじゃなくて、もう彼女さんがいたんだね……!」


「ち、ちが……っ!」


「しかも金髪の小動物系のでらべっぴんさん!」


「ちょっと、いろいろとお話聞かせてもらおうかな?」


 がしっと、そのうちの一人にマスターが腕を抑えられました。無理に振りほどくこともできず、マスターは動きを封じられています。


「おねーさんも、ね?」


 左腕に、がしっと重い感覚。それはもうまぶしい笑顔をして、もう一人の女の子が私の腕に引っ付いています。彼女の腕力があるのか、それとも私の腕力がないのかわかりませんが、ちょっと腕を動かしたくらいではとても振りほどけそうにありません。


 半笑いのまま、つっと嫌な汗が流れました。


「さぁ、ガールズトークにれっつごー!!」


「ちょっと参考にするだけだから……。本当だよ?」


 ずりずりと引っ張られていく私とマスター。おじいさんがその場をなだめてくれなければ、根掘り葉掘り聞きだされていたのであろうことは想像に難くありませんでした。







「…大変だったな」


「はい……」


 パチパチと焚火の爆ぜる音。空はもうとうの昔に真っ暗になり、魔獣の遠吠えがどこからか聞こえます。


 リュリュさんが近くにあった枝を適当に折って焚火に投げ入れると、火の勢いがいくらか強くなりました。炎に照らされた喫茶店が赤く揺らめくのが見えます。


「…セイトはみな個性的だ。冒険者よりも見ていて飽きない」


「ええ、それはたしかに……」


 真っ暗とはいえまだまだ夜は始まったばかりです。男性陣が一番つらい深夜の不寝番を受け持ってくれたので、私たちがこの時間の不寝番となりました。いまごろは喫茶店内でみんなが横になっていることでしょう。不測の事態が起きたら、叩き起こすことになっています。


「そのあと、“かめら”っていうので“しゃしん”っていうのも撮られたんです」


「…かめら?」


 マスターが教えてくれましたが、なんでも姿を一瞬で写し取る魔道具だそうです。どんな絵よりも精巧で、まるで空間をそのまま切り取ったかのような絵を作ることが出来るとのこと。“しゃしん”ができたらマスターを経由して渡してくれると言っていました。


 ……ちょっと、楽しみですね。


「…私が見たセイトはすごく穏やかだった」


「そうなんですか?」


「…おそらく、その楽器の名手と“ぱそこん”の名手だと思う」


「ああ、あの子たちですか」


 セイトのみなさんは私たちと常識が違うのか、何をするにしても突飛な行動をしていました。


 弓で魚を射ったり。

 木の剣で枝を切り落としていたり。

 大道芸人のようにパン生地をこねていたり。

 獣のように笑いながらバルダスさんと戦っていたり。


 とても、穏やかという言葉は似あいそうにありません。あのツバキハラちゃんでさえ、あの後軽く舌打ちをしながら解れた自分の洋服を一瞬で縫い上げていました。普通はあんなことはできない、というか冒険者でも針はあまり持ち歩かないのですが……。


「…そう、あれはたしか……」


 焚火を挟んでリュリュさんがぽつりぽつりと語りだします。なんだかんだで私、リュリュさんとゆっくりとお話したことがありません。それに、リュリュさんがどんな体験をしたのかもけっこう気になります。


 リュリュさんの白い肌が、炎に照らされ赤く染まっているように見えます。私は静かに耳を澄ませることにしました。










 騒がしい。


 今日、森に来て最初に思ったのがそれだ。


 小鳥のさえずりがある。

 獣の咆哮がある。

 葉の擦れ合う音がする。

 川のせせらぎが聞こえる。


 そして……若い人間の話し声が聞こえる。


 それも、あっちこっちでだ。こんなに騒がしいのは最初に集合した喫茶店の近くだけかと思っていたが、どこへ行っても、誰かしらの声がする。


「……」


 いや、護衛依頼であるのはわかっているのだ。しかし、私はこうもうるさい人間たちとはあまり仲良くなれそうにない。そもそも、マスターの友人たちとはいえ、見知らぬ大勢の人間の目に触れられることすらあまりよくは思っていないのだ。相手のナリがわかっていればいいのだが、そういうわけでもない。


「……」


 こういうときは、エルフの耳の良さを恨めしく思ってしまう。


 川はまだいい。

 少年たちが、楽しそうに遊んでいたから。


 東のほうもいい。

 少女たちが、笑いながら薪を拾っていたから。


 南だっていい。

 一人の少女が、心の奥底から嬉しそうな声を上げて走り回っていたから。


 だが、北はダメだ。


「……うっ」


 せっかく忘れかけていたことを、思い出してしまう。


 ちょっと近くに行っただけで、どしんどしんと大きな音が頭にガンガンと響いた。はぁはぁと息を切らしながら、四人の男が戦っている。狂ったように笑いながら、獣のように笑いながら、汗を滴らせながら。


 それを感じたとき、気絶しそうになった。いや、彼らに悪気がないことはわかっている。人によっては、それは美しい芸術のようにも感じただろう。


 だが、私の美的センスの琴線にはまったくもってふれなかった。それどころか、森とはかけ離れすぎたその雰囲気に私はあてられた。


 今更ながら、私はあの手のものがだめらしい。少なくとも、狂ったように笑う汗臭い大柄な男は生理的に受け付けない。


 あれが本物の獣であればいいのだ。だが、あれはヒトだ。獣じゃない。


「……ふぅ」


 心を落ち着ける。例え気分が悪くなったとしても、森は私を慰めてくれる。ほら、今だって心地よい風が私の頬をなで、どこからか優しい音楽を届けて──


~♪


「…うん?」


 この音楽は、どこから聞こえてくるのだろう。私は無意識のうちに耳に意識を集中させる。


 エルフの耳は獣のそれに匹敵すると言われるほど優れている。音の発声位置を確かめることなど動かない的を射るより簡単だ。


「…拠点のほうか」


 どうせなので行ってみることにする。これは決して音にひかれたからではない。護衛依頼の遂行のためだ。







~♪~♪~♪♪~──......


「……」


 拠点の端っこ。


 一人の少女が、目をつむってオカリナを吹いている。つんと唇を突き出して吹くさまはその容姿の幼さもあってとてもかわいらしい。まるで森に戯れるピクシーのようにも見えた。


「おねーちゃん、もう一回! もう一回!」


「しょ~がないなぁ~」


 その傍らにはシャリィちゃん。珍しくマスターも爺も傍にはいない。それだけここの連中は信用されているということだろう。


 少女はもう一度オカリナを口に戻す。


「桜井、こんどはアレンジを加えたやつにしてくれ」


「うんっ!」


♪~


 魔晶鏡をかけた少年のリクエストに応えたのか、少女は先ほどとすこし曲調を変えたメロディを紡ぎだす。ポー、ポーと柔らかな音色が森へどこまでも吸い込まれていった。


「……」


 私は思わずその音色に聞き惚れる。エルフの樹笛にも似た、どこか懐かしさすら覚える旋律。森と呼吸するかのように溶け込む調べ。


 ああ、やっぱりエルフでよかった。まさかこれほどの演奏を、こんなところで聞けるなんて。


♪~


 どこかで聞いたことがあると思ったら、いつもマスターがやってくれる音の箱と同じ曲だ。マスターの故郷では有名なのだろうか。


♪~


 いつもの音の箱も素晴らしいが、オカリナでの演奏もなかなか癖になる。曲がいいから素晴らしく聞こえるのか、それとも吹き手の腕がいいのか。おそらくはその両方だろう。


~♪~♪~♪♪~──......


「…すばらしい」


「あ、おねーさん!」


 ぱちぱちぱち、と私は思わず拍手をしていた。音楽でここまで心を動かされるのなんて何年振りだろうか。少なくとも、音の箱をのぞけばここ二、三十年はなかったはずだ。


「あれ、シャリィちゃん、お知り合い?」


「はい! ええと、組合の人でリュリュさんっていうんですよ!」


「…リュリュだ、よろしく。…演奏、すばらしかった」


「それほどでもないですよぅ」


 照れて赤くなる少女。実に可愛らしい。世の中がこのような人間ばかりだったら、どれほど平和になることだろう。


「本当に、みんな外国人なんだな」


 魔晶鏡をかけた少年がじろじろと私の体をなめまわすように見る。男が放ついつもの視線かと思って私はとっさにシャリィちゃんの陰に隠れるように動いたが、少年の目つきは男特有の下卑たそれではなく、むしろ学者が物を観察するかのような、そんな目つきだった。


「穂積おにーちゃん、女の人をそんなにジロジロ見ちゃダメですよ。ただでさえおねーさん、そういうのダメな人なんですから」


「む、すまない。気分を悪くされたのなら謝る。ただ、あまりにも……」


「あまりにも?」


「エルフに似てると思っただけだ。すごいな、本当にファンタジーの世界に来たかのようだ」


「穂積くん、そういうの大好きだもんね」


 その言葉に私の心臓がどきりとはねた。思わず隠してあるはずの耳に手を向けそうになる。が、シャリィちゃんがとっさに私の手を握ってくれたおかげで、なんとかそんなヘマをせずにはすんだ。


「白い肌、長い銀髪、その衣装。シルエットも立ち居振る舞いも、俺が想像していたエルフと限りなく近い。これで耳が長かったら、本物だ」


「…私の耳は、短いぞ」


「わかっています。ああ、でも本当にそっくりだ。なんだ? この環境だからか? それともそんな装備をしているからか? コスプレやCGなんかじゃ出せない格みたいのがにじみ出ている」


 それはそうだろう。だって私は正真正銘、本物のエルフなのだから。


 しかし、マスターの故郷にエルフはいないんじゃなかったのか? おまけにこの少年、やたらと観察能力が高い。もしエルフだとバレたら、人形のようにもみくちゃにされると爺は言っていた。


 それは甚だ不本意だ。なんとかしてこの場を切り抜けねばならない。


「…君、サクライと言ったな。あの曲は有名なのか?」


「ん~? 有名なの、穂積くん?」


「一般的にはそこまで有名ではない。が、知ってるやつにはとてもなじみ深い曲だ。俺のお気に入りの一つでもある」


「ゲームの音楽だよね、たしか」


「ああ、『ゴッドインバイバー』のフィールド音楽で『渇ク神々ノ杯』と言う曲だ」


 どうやらサクライはホヅミに言われてあの曲を吹いていただけらしい。曲名もわからずどうやって旋律にあれほどの気持ちを込めることが出来たのだろう。


 さっきからの態度をみるに、どうもサクライはホヅミに気があるようだった。彼の気を引くためだけに、あのような素晴らしい音楽を奏でたのだろうか。いったいどれほどの修練を重ねたのか、まるで想像が出来ない。


「おねーさんもあの曲好きなんですか?」


「…行きつけの喫茶店でよく聞く。知っているかどうかはわからないが、綺麗な音の出る箱があるんだ」


「……オルゴールか? この曲の……となると、タイムアタック企画で一定以上のスコアを出せば貰える限定品だったな」


「…限定品なのか」


「ええ。俺も一個持ってますが、今新しく手に入れるのはかなり難しい」


 なんかよくわからないが限定品らしい。手に入れられるなら代わりに買ってきてもらおうとも考えていたのだが、この様子じゃ無理そうだ。チュチュ婆や集落の連中に一度聞かせてやりたかったのだが。


「もともと一般受けはしない曲です。旋律は美しいが、きちんと歌える歌詞がないのも理由の一つでしょうね」


「たしかに、あの歌詞はちょっと歌えないもんね」


「…あれ、歌詞があるのか?」


「聞いたことないんですか?」


 あの曲に歌詞があるとは驚いた。てっきり旋律だけだと思っていたのだが。


 ぜひとも聞いてみたいが、歌えない歌詞とはどんなものなのだろう。ちょっと歌ってみたい気もする。


「あたし、あれ歌えますよ? お兄ちゃんがよく聞いてるんで覚えちゃいました!」


「そういえばあいつもけっこうやりこんでいたな。よし、せっかくだから歌ってみるか? 桜井、演奏頼む」


「うんっ!」


 どうやらシャリィちゃんは歌えるらしい。サクライがオカリナを口に咥え、すぅっと息を吸い込む。朗らかなメロディーが紡ぎだされ、伴奏は始まった。


 シャリィちゃんが、ゆっくりと息を吸い込む。


♪~


「う゛ぇ──や♪ ぱぱや♪ ぱや♪

 う゛ぇ──や♪ ぱぱや♪ ぱや♪」


「……」


「ぱぱぱやぱやぱや♪」


「……」


♪~


「めぇとぅりぃーはぁ♪

 とぅーれまぁー♪

 うぃーすてぇみりまぁー♪

 めぇぐりぃーてぇるぁーせぇばー♪ てにてぇせぇはぁでさー♪」


「……」


~♪~♪~♪♪~


「ふらーいもふらーい♪

 てにへやこぁーすてにぺやにょーん♪

 ふらーいもふらーい♪

 てにへやあるぁーすぁとれさめたけいれんのぉー

 けぇーにこみある♪

 きぃれぇなぁーけれーなこみある♪

 ほりゃこりゃこりゃあぁーん♪」


~♪~♪~♪♪~


 それが三回続いた。なるほど、たしかにメロディはいつも聞くものと全く同じだ。


 だが歌詞がつくと力強く、異国情緒あふれる旋律になる。どこかの怪しい民族が、その土地を守護する神を祀る儀式に流していそうな旋律だ。華々しさと軽快さ、そしておどろおどろしさが絶妙にマッチしている。


 ……あれは歌詞といえるのか? 翻訳の魔道具が壊れたんじゃないのか? いや、そもそも人間の言葉なのか?


「すごいな、ほぼそのまま歌えているじゃないか。あれ、完璧に歌える人なんてそういないぞ」


「あたし、お歌も得意ですから!」


「穂積くん、わたしは?」


「もちろん、桜井もだ。この曲をオカリナアレンジできるやつを、俺は桜井以外に知らない。本当にすごい腕だ。さすが吹奏楽部」


「えへへ、もっとほめて!」


「…あれは本当にあの歌詞で間違いはないのか? 意味がまるでわからなかったし、邪神を讃え祀る儀式の祝詞のように聞こえたぞ」


「あながちまちがっていない……というか、その感覚は正しいです。そういう場面で使われた曲なんで」


 どうやら魔道具が壊れたわけでも私の耳がいかれたわけでもなかったらしい。つくづく、マスターの故郷の人間とはわけのわからないものである。


「もう一曲行きましょう! 今度はおねーさんもどうですか?」


「…一曲だけな。仕事もあるし。…ふふ、私もこう見えて、歌にはちょっと自信があるんだ」


 シャリィちゃんに催促され、私もちょっとだけ歌ってみようかという気分になる。ここしばらく喉を使っていなかったから少し不安だが、まぁやってみて損にはなるまい。


「じゃ、もう一回いっくよー!」


「よかったら、録ってもいいですか?」


「…? まぁ、構わんぞ」


 ホヅミが変な四角い銀の箱を取り出したが、すぐにメロディが流れてきたのでそれを無視して集中する。すこしくらい、シャリィちゃんにかっこいいところを見せておきたいし。


♪~


 前奏が流れる。私の心も奇妙に高ぶっていた。唇をちろりとなめ、もう一度喉の調子を確かめる。


 この奇妙な時間は、あの喫茶店でも味わえないものだった。









「…感じからして、あれは姿ではなく声を写し取る“かめら”だったのだと思う」


 そう言ってリュリュさんはその長い銀髪をふぁさっと流しました。まるで何事もなかったかのように、乾いた布で弓を磨いています。ときおりふん、ふんと口ずさんでいるところ見ると、よほどその歌が気に入ったのでしょう。


「リュリュさんって、お歌が得意なんですか?」


「…まぁ、そこらのエルフよりかは上手いという自負がある。…さすがにそれを生業にしている者には負けるが。…ふふ、祭りのときにはよく歌ったものだよ」


 エルフの歌はとても上手いということで有名です。幼いエルフの子供でさえ、王都にいる芸人に匹敵するといわれています。そんなエルフの中でもさらに飛び出た実力を持っているってことは、売れっ子芸人よりもはるかに歌がうまいということに他なりません。


 おまけに、エルフのその民族性からか、彼らはめったに森から出て人前で歌うなどということをしません。つまり……サクライちゃんとホヅミくんはものすごく貴重な体験をしたということになります。


「きちんと歌えたのですか? 邪神の祝詞みたいなものだっだんですよね」


「…うん。最初の一順目で均して、二順目からは普通に歌えた。歌いまわしに独特の癖があったが、慣れればあまり問題じゃなかった」


「まだ歌詞は覚えていますか? ぜひとも聞いてみたいです!」


「…構わない」


 ダメもとでお願いしたのですが、リュリュさんはあっさりと了承してくれました。まさか、こんなところでエルフの歌声が聞けるなんて、だれが想像したことでしょう。初めて会ったときはちょっと怖い人かも、なんて思っていましたが、本当はとっても優しいみたいです。


「…演奏がないから雰囲気はあまりでない。そこは勘弁してくれ」


 そう言ってリュリュさんは立ち上がり、すぅっと息を吸いました。自然と背筋が伸び、その瞬間を待ち構えます。


「う゛ぇ──や♪ ぱぱや♪ ぱや♪

 う゛ぇ──や♪ ぱぱや♪ ぱや♪」


「……」


「ぱぱぱやぱやぱや♪」


「……」


♪~


「めぇとぅりぃーはぁ♪

 とぅーれまぁー♪

 うぃーすてぇみりまぁー♪

 めぇぐりぃーてぇるぁーせぇばー♪ てにてぇせぇはぁでさー♪」


「……」


~♪~♪~♪♪~


「ふらーいもふらーい♪

 てにへやこぁーすてにぺやにょーん♪

 ふらーいもふらーい♪

 てにへやあるぁーすぁとれさめたけいれんのぉー

 けぇーにこみある♪

 きぃれぇなぁーけれーなこみある♪

 ほりゃこりゃこりゃあぁーん♪」


~♪~♪~♪♪~


 綺麗な水晶のように透き通った歌声。女性特有のきれいな高い音が心地よく体に響き、低い音は心を震わせます。軽快なリズムとおどろおどろしさ、そしてミスマッチともいえるその歌声が、なんともいえない絶妙な雰囲気を醸し出し、一つの芸術を紡いでいました。どこからかエルフの樹笛が聞こえてくるかのような錯覚すら覚えます。


 リュリュさんの喉が美しく、可愛らしく、ただひたすらに歌を歌うという信念を持って震えているのが幽かに見えました。


 長い銀髪が月明かりに映え、夜空に溶け込むように揺らめいています。満天の星空をバックに歌うリュリュさんは、月の精霊になったかのように優艶で儚げで、巫女姫と歌姫が同時に存在しているかのようです。気のせいか、どこからか甘い香りが漂ってくるようにも感じました。


~♪~♪~♪♪~──......



「…これで、おしまい。ご清聴どうもありがとう」


「すごかったです!」


 闇に消えゆく余韻をたっぷりと楽しんだ後、私は惜しげもなく手をパチパチと叩きました。思っていた通り、いえ、思っていた以上にすばらしい歌声です。


 少し照れたリュリュさんの顔が赤くなっています。これは絶対、焚火のせいではありません。


「…なんだか、照れる」


 ふいっと顔をそらしました。……あ、ちょっとかわいいかも。


「……あ」


「すごいねェ。こんな歌声聞いたのは久しぶりだよ」


「び、びっくりしました……!」


 リュリュさんが顔をそらしたその先。闇に溶け込むような紺色の衣服を纏ったおじいさんと、なにやら甘やかな香りがする鍋を持ったマスターがいました。


20160724 文法、形式を含めた改稿。


あれなんて言ってるんだろうね?

きちんとした歌詞があるのなら、いったい何語で歌っているのだろう?

意外と適当だったりするのかな。

某有名ゲームのそこそこ有名な音楽はソラミミだとああ聞こえるんですよ。


マスターは高校に入るまで転校を繰り返していたため、あまりお友達らしいお友達がいませんでした。ゆえに家事の合間にゲームをやるようになりました。ある日擬似的な多人数プレイができると評判の『ゴッドインバイバー』に出会い、ハマりこむようになりました。今ではちょくちょくホヅミと一緒に遊んでいます。


エルフは耳がいいので音に対する感受性が強くなります。それゆえ歌をうまく歌える人が多いです。単純に年の功というのもあります。

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