戦士と苺のロールケーキ
私の目の前にベージュのローブを羽織った女がいる。女魔法使いのアミルだ。私とは協力者、というか友人という間柄である。
私と同じく、彼女は単独で行動する冒険者だ。もうずっとひきこもってばかりだったが、ひきこもる前は単独冒険者同士臨時パーティーを組んで依頼を受けたことが何度かある。
私は一人での行動のほうが好きなのだが、彼女と行動することもまた好きだった。
彼女は魔法使い、つまりは後衛だ。戦士である私にとっても、パーティーというかコンビを組むのは都合がよかった。実力的にもほとんど同じだったため、相性も良かった。
ただ、二か月ほど所用で古都から出ていたら、戻ってきたときには彼女は立派なひきこもりになっていたのだ。
なんでもその間にいやなことがあったらしい。気分転換に何度か冒険に出ようと誘ったのだが、結局は連れ出すことが出来ず、そのまま彼女と会わない日が何日も続いた。
おたがい相性が良かったとはいえ、正式ではなく臨時のパーティーだ。ここで流れるのも何かのさだめとは思いつつも、なかなか見捨てることもできず今まで悶々としていたのだが……。
「エリィ、ちょっと一緒に来てほしいところがあるんです!」
久しぶりに見たと思ったら、第一声がこれだ。以前のような陰鬱な様子などまるでない。むしろ輝いてすら見える。私の悩んだ時間はなんだったというのか。
「構わないが……。どこへいくんだ?」
「いいところですよ」
なにはともあれ、こうして元気になってくれたことはうれしい。杖を振りまわさんばかりの勢いのアミルを見て、私も武骨な大剣を手に取るのだった。
「ここがそうなのか?」
彼女についていった私は思わず落胆の声をあげる。
いいところ、なんていうからどんなところかと思えば、古都ジシャンマから歩いてすぐの森ではないか。王都グラージャの近くにある有名なコラム大森林とは違い、名前すらない、近場の、とかあの、という形容詞であらわされる森である。
「ここですけど、もっと先です!」
私の落胆に気付いていないのか、アミルはずんずんと進んでゆく。この先に行っても目ぼしいものなんて何もない。いったいどこへ行くのだろうか。ときおり近づいてくる魔獣の気配に殺気を飛ばして威嚇しながら私はアミルについていった。
「おぉ……」
「ふぅ、ここです」
歩くことしばらく。
私の目の前には少しメルヘンチックな建造物があった。窓の装飾品や扉の構えはなかなかお高そうなものだ。
「じゃ、いきます!」
「おいおい、ちょっとまってくれ」
私を置いていくかのようにしてアミルはそこの扉を開けた。カランカラン、という気持ちのいい音が響く。先ほどまで魔獣の鳴き声を聞いていたので、この音だけで心が落ち着くような気がした。
「やぁ、いらっしゃい……こないだの人だね。また来てくれたんだ」
「はい、マスターの言う通り、ちゃんとお友達も連れてきましたよ?」
冗談のつもりだったんだけどなぁ、とにこにこと柔和な笑みを浮かべる青年がそこにいた。明るい茶髪と対照的な漆黒の瞳が印象的だ。
彼は黒いズボンに、貴族が着ているような白いシャツを着ている。どちらも上等なものなのだろう、わずかにつやがあるようだ。その上から、こちらはまぁ普通と思われる蒼いエプロンをつけている。
一番目を引くのは頭に巻いている布だろう。冒険者の盗賊がよく使うようなタイプ、いわゆる防具としてのバンダナに近いが、緑色をベースとして奇妙な、どこか美しい模様が入っている。バンダナからはみ出た茶髪と相まってなかなか映えていた。
「あ、やっぱり珍しいですかね、この格好」
私のじろじろとした視線に気づいたマスターが問うてきた。
「いや、ちょっと見慣れないもので驚いただけだ」
「僕のところでは割とみんな着ている服なんですけどね」
やっぱりセイフクにエプロンはダメかなぁ、などとマスターがつぶやいていた。……セイフクとはなんだろうか?
「おっといけない。お席にどうぞ」
気がつけばアミルはちゃっかり席に座っていた。
今更ながら部屋の中を見渡すと、うむ、シンプルながらも落ち着きのある。イスやテーブルで一杯だ。洒落た酒場といったところ雰囲気が近いだろうか?
窓から入ったカラフルな光がとても幻想的だ。弱いとはいえ魔獣の闊歩する場所にあるようなものではないはずなのだが、どういうことなのだろう?
「ご注文は?」
席についたのを見計らってマスターが訪ねてくる。
「ここはいったいなんなんだ? 私は彼女に連れてこられただけなんだが……」
「ああ、失礼。ここは《スウィートドリームファクトリー》。甘い物とか軽食をだす喫茶店みたいなものですよ」
「マスター、何か適当に、オススメなので!」
「……私もそれで」
かしこまりました、とマスターが奥へと引っ込んでいく。途中で棚のところへと手を伸ばすと、手に収まる程度の四角い箱を取り出し、きりきり、と音を立てて何かをした。
~♪
「わぁ!」
「これは……?」
どういう仕組みだろうか。たしかにその箱から優しげな音色が聞こえてくる。
落ち着くようなメロディは、この部屋の雰囲気と見事に合わさっていた。なにかの魔道具だろうか? 魔道具にしてもこんなものは聞いたことがない。
「すごいですよね、エリィ。こないだ来た時はあれやってくれませんでしたよ」
「そうだな。それよりも、ここはなんなんだ?」
音が出る箱といい、こんな場所にあることといい、どうも普通の店ではない。
「ここはですね、こないだ偶然みつけたんですけど、すっごいおいしい物が食べられるんです!」
~♪
なんだか質問の答えになっていない気がする。とはいえこの様子をみると、おそらくこの店がアミルをひきこもりから立ち治らせる要因となったものだろう。
~♪
心地よい音色が響く。
この音色を聴くだけでもここに来た甲斐があったといってもいいだろう。いつになっても、未知のものを体験した時のこの感じはいいものだ。
「それくらいで驚いていると、このさきもっと驚きますよ?」
「やけに挑戦的だな? 私の評価はちょっと厳しいぞ?」
こうして穏やかに笑いながら話したのはいつ以来だろうか。アミルは完全に立ち直ったとみて間違いがない。
~♪~♪~♪♪~──......
「そう言われると、緊張しますね」
「あ、マスター」
音楽が止まったのとほぼ同じタイミングでマスターが奥から顔を出した。手にはやや大きめのお皿が二つ。つやのある白い材質のものだ。
「《苺のロールケーキ》になります」
「わぁ!」
「……おぉ?」
なんだろうか、これは。
なにやら優しい黄色みの円筒状のものがそこにあった。断面が渦巻状になっているところ見ると、何かを巻いたものらしい。何か、と断定できなかったのは、巻いているものも巻かれているものもわからなかったからだ。
巻いている黄色いのも、巻かれているなんだかよくわからない白いのも見たことがない。かろうじて白いのの中にあるイチゴだけはわかった。
不思議なことに、見た目的にはそこまで派手ではないものの、どこか完成された美しさがある。
「ごゆっくり、どうぞ」
マスターが言うか言わないかのうちにアミルは早速皿に添えてあったフォークを使って“ろーるけーき”とやらを頬張る。
皿もそうだがフォークもまた不思議な材質だ。細いし、装飾もあって脆そうなのに、丈夫なようだ。アミルは口の端に白いのをつけ、恍惚の表情を浮かべていた。
……この娘、こんな子だったっけ?
「おいひぃ……」
さて、そんな様子を見せられたら私だってたまったもんじゃない。知らず知らずのうちにごくりと喉を鳴らし、フォークを手に取っていた。
そっとフォークを突き刺す。
わずかな手ごたえ。
想像以上にやわらかい。
おそるおそる口に運んだ。
───なにッ!
口に出さなかったのではない、出せなかったのだ。
あまい。
あまい。
あまい。
あまいあまいあまいあまいあまいあまい、うまい!
口に含んだとたんに香る甘く香ばしい香り。
黄色いのが舌に触れた途端に感じた、ほのかな、しかし確かな甘味。今までに食べたことのないやわらかさだ。舌と歯でそっと、でも力強くそれを押すと、今度は中から白い物と思しきものが出てくる。
こちらは黄色いの以上だ。舌に触れた途端に消えてなくなってしまう儚さなのに、それを強烈に印象付けるかのように感じる甘さ。
驚く、どころではない。考えることができない。たぶん、今の私もアミルと同じように口の端を白いので汚していることだろう。
加えてこのイチゴだ。
ある程度咀嚼して出てきたこのイチゴは、程よい酸味があり、口全体を引き締め、そしてこの甘さを引き立ててくれる。しゃくっとした歯ごたえもいい。甘さと酸味のバランスが良すぎる。
「……!」
それにしてもおかしい。
自分でも気付かないうちにどんどんフォークが進んでいく。まるで夢の中にいるようだ。体の自由が、利かない。
香ばしいような香り。
もふっとした食べ応え。
今までに感じたことのない上等の甘さ。
私が食べてきたものは一体何だったんだ?
私の中の何かが、壊れた気がした。
そして──
「もう、ない」
そう、もうないのだ。私の至福の時間は終わりらしい。
いくらなんでも早すぎる。まだちょっとしか食べていない気がするのに。
しかし口の中に広がる余韻が、わずかに白いのがついたなにも乗っていない皿が、私が確かに“ろーるけーき”をたべたことを物語っている。
ふとアミルをみると、彼女もまた名残惜しそうな瞳で皿を見つめていた。だが、やはりどこか表情は明るい。たぶん私もそうなのだろう。
確かに名残惜しいことではあるが、いまならどんな男でも振り向かせることが出来る笑顔を浮かべられる自信がある。
「は、はは……っ!」
なんだか気分がいい。
これほどまでに気持ちがいいのはいつ以来だろうか?
「お気に召しましたか?」
「はい、もちろん!」
「ああ、最っ高の気分だ!」
「それはよかった」
いつのまにか近くにいて、にこにこと柔和な笑みを浮かべるマスター。優雅な手つきで皿を片づけた。
「なぁマスター。差し支えなければ教えてほしいのだが……。あの黄色いのと白いのはなんだ? あんなの見たことがない」
「私もそれ気になってました!」
おそらくは答えてくれないだろう。あれだけのものなのだ。普通だったら秘匿する。
だが、マスターはにこにこしながら答えてくれた。
「ああ、黄色いのはスポンジ、白いのはクリームって呼ばれてますよ。スポンジは単体では出なくて、だいたいクリームなんかと一緒に使って ケーキとして出るんです」
「あ、じゃぁこないだの“しょーとけーき”も……」
「ええ、そうです。今日のはそれを丸めたものです」
「あともう一つ。……あのイチゴ、ジシャンマのものではない、よな?」
「え?」
そう、これも重要だ。
“すぽんじ”やら“くりーむ”の影に隠れて忘れかけてしまうが、あのイチゴだってただものではない。
私はいろんなところに旅したことがある。当然、現地の特産品なんかも食べるわけで、舌にはちょっと自信がある。
その舌が言っているのだ。果物で有名なジシャンマ産のものでも、あのイチゴのうまさには到達できないと。
「おぉ、お客さんすごいですね。あれは、僕の友人が作ったものなんですよ。いっぱい採れたからって貰ったんです。ちょくちょく分けてくれるんで助かってます」
「……ジシャンマ産じゃなかったんだ」
アミルはどうやら気づいていなかったらしい。
「……あっ」
さて、帰ろうとしたところで気づいてしまう。今、私には手持ちがあまりない。
もともと古都の外へ行くというのでお金など最低限しか持ってきていないし、そもそも最近金欠だったのだ。
あれだけのものだ。いったいいくらするのだろう。よく考えてみれば、ここは内装も外装もこじゃれている。もしかして、めちゃくちゃ高いんじゃないだろうか?
「心配しなくていいですよ、エリィ」
「しかし……」
そんな私の表情をみてアミルが声をかけてくれた。彼女はあらかじめお金を持ってきていたのだろうか。最悪、立て替えてもらって後でまとめて払うしかない。
「ここ、とっても安いですから」
にこにこしながらマスターが告げた金額は、私が想定していた金額よりもはるかに少ないものだった。
無理やりにでもお金を握らせようとした私に対し、マスターは次もまた来てくださいね、ひいきにしてくれたらいいですから、なんて言って受け取らなかった。
私は不服だった。申し訳なかった。
またここに来ることも、ひいきにすることも、常連さんになることも、もうすでに私の中で決まっていたのだから。
20150411 文法、形式を含めた改稿。